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2009年10月11日日曜日

ストーリーを作るのが上手いと思う漫画家

 一つ前にあんな記事を書いておきながらこんな記事を書くのもアレですが、日本の漫画作品は絵柄やコマ割りの技術もさることながらその作品内のストーリーの奥深さ、面白さも海外から高く評価されております。以前に聞いた話だと欧米では漫画(コミック)はあくまで子供向けの内容であるのに対して日本の漫画は大人から子供まで、しかも真剣に考えさせられるような物が多いと評価されており、私自身もその通りだと考えております。

 何故日本の漫画がそれほどまでに高いストーリー性を持ったかというと、それはやはり漫画の神様こと手塚治虫氏の素晴らしい才能によるものだと思います。元々手塚氏自身が映画や演劇好きでストーリー作りに力を入れるタイプだったということもありますが、それ以上にあの奇想天外で重厚さを高く持つストーリーを自ら編み出してあれだけの作品に表現してのけたという手塚氏の才能にはほとほとため息が出るくらいで、私は手塚氏は恐らく漫画家にならなくとも、小説家や戯作家としても十分に成功したのではないかと見ています。その手塚氏の影響を日本のほぼすべての漫画は受けており、そうした事を考えるとストーリーがいいということがいい漫画の条件と早くから認識されていたのでしょう。

 そんな日本の漫画作品を私が読んでいて、それこそこのごろは全く本が売れない小説家も真っ青なストーリーを量産していく漫画家に出会う事も少なくありません。そこで今日は私から見てストーリー作りが上手いと思う漫画家を幾人かここで紹介しようと思います。

1、光原紳(代表作品「アウターゾーン」)
 私がストーリー作りをする際に今でも最も参考にするのが、この光原氏です。このアウターゾーンはもう大分古い漫画ですが基本は一話完結のショートストーリー形式で、様々な人間が現実から考えられない奇妙な体験をするという内容で、作者がホラー映画好きということもあって全体的にグロテスクな描写が多いものの教訓的なエピソードも多く、何よりこうした暗い作品にありがちなバッドエンドではなくハッピーエンドで終わるために読後感のよい作品ばかりでした。作者本人も単行本の中で述べていますが、読者の思いもよらない形で絶望的な状況からハッピーエンドに落とす事に苦心したそうで、それだけに話の展開の仕方、構成の作り方は今でも学ぶものが多いと感じさせられます。

2、八木教広(代表作品「クレイモア」)
 宗教画を思わせるような細い線で緻密に独特な絵を描く方ですが、それ以上に独特なのはストーリーの構成の仕方だと常々思わせられる方です。いちおう八木氏の代表作品としては「クレイモア」を挙げましたが、私はこれ以前の「エンジェル伝説」の方が好きで、あれほど腹を抱えて笑わせられた作品は未だかつてお目にかかったことがありません。この「エンジェル伝説」の具体的な内容を簡単に説明すると、主人公は非常に心優しい性格をしているも顔が物凄く怖いというありがちな設定の学園漫画なのですが、本当にありがちな設定なはずなのにどうしてあれだけ話を面白くできたのだろうか……。

3、岡本倫(代表作品「エルフェンリート」)
 現在この作者は「ノノノノ」という作品を連載しており、この漫画は目下のところ私が一番熱狂して読んでいる漫画なのですが、やはり岡本氏とくれば前作の「エルフェンリート」に尽きるでしょう。
 この作品は前にも一回取り上げた事がありますが、一見すると萌え系の漫画かと思わせられるようなかわいい絵柄ながらも内容はひたすらにグロテスクで、中には読んでトラウマになったという人もいるとかいないとか。実際に日本の漫画作品の中でもあれだけ暴力的、猟奇的描写に富んだ漫画となると「寄生獣」とか「ベルセルク」くらいなものなのですが、「エルフェンリート」の場合はそういう描写がなさそうな絵柄やキャラクターだけに読んでて受けるショックもひとしおです。この作品は話の中で多少ご都合主義的に初期のセリフと矛盾する点もあるのですが全体的には程よくまとまっており、ただグロテスクなだけでなく意外に考えさせられる内容から一気に読み切ってしまった作品でした。なお現在連載中の「ノノノノ」はグロテスクな描写はないものの、きちんとスキージャンプについて取材がされていてやはり大した作者だと思わせられるないようです。

4、楠桂(代表作品「鬼切丸」)
 これはちょっと自分でも考えちゃいましたが、この楠氏はデビュー作品の「八神くんの家庭の事情」の連載中にも言われていた通りにキャラクターの心理描写を描くのが非常に上手く、それが遺憾なく発揮させられたのが上記に挙げている「鬼切丸」です。この作品を説明するとなるとちょっと面倒ですが、要は人間が恨みつらみを持っちゃうと鬼になって鬼切丸という名の少年に片っ端から切り殺されていくという話なのですが、何がすごいかというと鬼になる人間(主に女性)が鬼になる過程に持つ嫉妬や恨みといった感情の描き方が鋭く、それこそ読んでいて、「これでどうして鬼にならずにおれようか」と思わせられるような内容ばかりでした。私はこの作品を連載が終了してから読みましたが、よくもあれだけの心理描写を毎週描いていたなと感心させられるストーリーでした。なお現在楠氏が連載中の「ガールズザウルス」についてはあまり評価しておりません。一応買って読んでるけど。


5、徳弘正也(代表作品「ジャングルの王者ターちゃん」)
 手塚治虫、水木しげる、さいとうたかをといった大御所を除いて、現役漫画家のなかで最もストーリー作りが上手い作者を挙げるとすれば、多少考える余地はあるものの私はこの徳弘氏を挙げるようにしております。徳弘氏とくれば代表作品に挙げた「ジャングルの王者ターちゃん」が一番知られていると思いますが、この作品も激しい格闘シーンの描写もさることながら、どれだけ緊迫したシーンの中にも一発で力が抜けるようなギャグを必ずちりばめ、非常にアクセルとブレーキの効いたストーリーがよく展開されております。特にギャグについては、よくぞこんなものを考えるなと思わせられるようなすさまじい下品さで、ウィキペディアにも書いてあるけどよくテレビアニメ化できたものだと感心させられるほどです。

 ただ徳弘氏はそうしたギャグセンスもさることながら本筋に重厚なテーマ性を持たせることも多く、「狂四郎2030」ではクローン社会について非常に示唆の富んだ世界観が作られており、文句なしの傑作だと私からも太鼓判を押させてもらいます。なおこの作品にて私が一番笑ったのは、主人公と仲違いして出て行った親友を遺伝子改造されて会話の出来ない女性が追いかけ、「あ、あ、あ!」と言うのに対し親友が、「よせよ。どうせ何も分からないくせに……」と言い捨てるや、「あ!」と言いながらミニチュアの船の「帆」を指差し、親友も、「すんません、言葉わかってるんですか?」と平伏するシーンでした。

柴田亜美氏の作品について

 自分くらいの年代の人間には、「南国少年パプワくん」の作者といえば覚えがあるかもしれませんが、この漫画の作者こそ今日のお題になっている漫画家の柴田亜美氏です。実はうちの姉がこの人の漫画の大ファンで、世に出ている作品であれば片っ端から買ってきていたので私も一通り読んできました。

 そんな柴田氏の漫画についてレビューがてら意見を書かせてもらうと、まず何よりも言いたいことはこの人は漫画家としては絶望的にストーリーを作るのが下手な人だという印象が強いということです。デビュー作の「パプワくん」にしろ「自由人HERO」にしろやたらと自分が過去に描いた別作品のキャラクターを登場させては世界観に矛盾を作り、結末も伏線を回収しきれずに終わることが多く、ひどいのになるとまとめきれず未完結で終わってしまっている作品も珍しくありません。

 それでもうちの姉のように熱狂的なファンが付く理由は何かとくれば、やはりその独特な絵柄と短いシーンの中で見せる絶妙のギャグセンスに尽きると思います。先ほど挙げた「自由人HERO」においては本編は途中からかなりグダグダになるものの、短編ギャグ作品の「バード~幸せの青い鳥」では各キャラクターの個性が見事に引き出されていて非常に面白い作品になっています。

 このようにストーリー製作に関わる漫画は途中から破綻をきたす事が多いのですが、逆に製作に関わらない取材レポート漫画においては遺憾なくその実力が発揮される事が多く、現在は連載を止めておりますが柴田氏はちょっと前まで長い間ゲーム誌の業界取材漫画を描いており、「Gセン場のアーミン」、「ドキばぐ」といったこれらの漫画は作者の個性も強いこともあってこれらは素直に面白いと思える作品です。個人的に一番笑ったのはスターオーシャン3の取材時の話で、いろいろ失敗ばかりしているトライエースの開発担当者を励ます漫画を描いたところ、入稿直前に発売延期が決まり、急遽オチとなる4ページ目が差し替えられた話でした。

 そんなもんだから私はかねてより、この人は原作者を付けて漫画を書かせたほうがいいのではともう十年位前から考えていたのですが、唯一と言っていいほど柴田氏の作品で非常に収まりがよかった漫画として私が進められるのは、「ジバクくん」という漫画です。この作品はアニメ化もされましたが、本当にこの人の漫画の中では唯一と言っていいほど初めから終わりまで一貫した世界観とストーリーで、話の折々に挿入されているギャグシーンも秀逸なものばかりです。アニメ版は多少結末が漫画版とは異なっておりますがこちらもとても面白く、よければまた再放送とかしてくれないかと一人願っています。

北京留学記~その十四、民主主義の導入

 留学中のある日、いつものように売店の前で新聞やら雑誌の品定めをしていると見出しにて、「民主主義建立」と書かれた新聞があるのをみつけました。時期的には確か2005年の十月頃で、一体何の事かと思って新聞を買って読んでみると、中国政府が中国国内において民主主義を成立させるための過程、目標を書いた政府文書を発表したということが報じられていました
 この中国政府が発表した文書を敢えて日本風に言うならば、「民主主義設立白書」といった物ですが、正直言って初めて見たときはノストラダムスの予言書みたいなものかと不謹慎ながら思ってしまいました。共産主義国家を堅持しつつ、ここ近年はさらに党の影響力を強めようとしている中国においてそんな文書が出るはずもない、という風に思われる方も少なくないかと思われますが、面白い事に中国政府は結構まじめにこの文書を作っていました。

 中国についていろいろと調べている方にとっては当たり前かもしれませんが、実際に国を運営している共産党幹部ですら現共産党体制のままではいずれは破綻すると、かなり大きな危機感を持っております。彼らは表では民主主義を否定して共産党主義による政治体制の優越を主張していますが、内心では如何にして民主主義の政治体制の移行できるかを考えていると言われております。
 だとすると何故そう考えているのにすぐに民主主義に移行しないのかといううと、結論からとっとと言えばソ連の崩壊があったからです。ソ連末期のゴルバチョフ政権は共産主義体制から情報公開など急激に民主化路背に舵を切ったためにバルト三国を皮切りにどんどんと領内で独立が相次いだ上、守旧派と革新派に分かれて最終的には崩壊し、その後十年近くに渡って国内で混乱状態が続きました。

 中国はこのソ連の経過を大きな反面教師としており、民主化に移行するにも急激にではなく穏やかに移行せねば国内が大きく混乱すると見越しており、そのため現在においても共産党主義を打ち出しているわけです。その一方で民主主義を徐々に広めていこうというのが上記の一般報告文書で、この中ではまだ全国の体制については言及はほとんどありませんでしたが、地方の民主化については積極的な内容が書かれていました。

 ちょうどこの新聞を買った日、私が注目したその記事がその晩のニュースでも取り上げられており、その中では政府の役人が中国の農村にてこの文書を説明し、「これからは自分達で自分達の指導者を決めるんだ」と話していました。
 実は今の中国で放置できないほど大きくなっている問題の一つに、地方首長の汚職があります。中国は広いので日本なんかより地方首長に大きな権限があり、地方の警察権から裁判権、果てには土地の強制収用権まで握っており、中には住民に無制限に税金を取り立てるうえに自分たちの都合のよい施設を建てるために住居民を追い出し、おまけにこういうものにつきものの賄賂まで横行しています。現在の胡錦濤政権になってからはこれらの汚職に対して厳しくはなり、年々検挙される地方幹部の数は増えてはいるものの、依然とまだ片付け切れていない問題として残っております。

 このような地方の首長も基本的には共産党支部内の指名で決まるのですが、こうしたものに対して恐らく中国政府は、こんな文書を作って説明するくらいなのだから徐々に選挙制度を導入して住民自らに首長を決めさせようというのが目下の目標なのだと私は見ています。日本の場合は国政選挙から選挙制度が広まった、言うなれば上から民主主義が徐々に広まっていきましたが、これに対して中国は下から民主主義を国内に広げようというのではないかと思われます。どちらにしろ、このような制度が中国で完成を見るまでに自分は生きていられるか、長い時間がかかるであろうことは予想に難くありません。

2009年10月10日土曜日

続、日本のスポーツ教育といじめ問題についての考察

 本当は昨日に書きたかったのですが、昨日にこんな目を疑うようなニュースありました。

「礼儀なってない」就寝中の下級生108人に正座 松江高専の寮(YAHOOニュース)

 上記にリンクを貼ったニュースの内容を簡単に説明すると、松江工業高等専門学校の寮にて就寝中の下級生108人が夜中に突然上級生4人に礼儀がなっていないということを理由にグラウンドに呼び出され、一時間半にも渡り正座やランニングを強制されたことが判明し、学校側は事実関係を認めた上級生4人に対して退学を勧告して全員そのまま自主退学し、また寮の各部屋への呼び出しを行った2年生7人にも停学処分を行ったということが報じられております。

 言葉が汚いですが、この事件で退学となった上級生らは頭がおかしいのでは、というのが最初にニュースを見た時の私の感想です。一体何の権限があって就寝中の下級生を呼び出してこんな意味のない制裁を課したのか、私が典型的な文化系の人間だからそんな風に思うのかもしれませんがどうあがいてもこんな事をしようとする人間の考え方が理解できません。しかも記事によると上級生らは後で脱いだそうですが当初は目出し帽のような覆面をしていたそうで、自分たちのやっている事が容認されるような行為ではないと自認している節すらあり、同情する余地が全く感じられないことから学校側が行った事実上の退学処分について私も適切であったと思います。

 それにしても、この事件は見れば見るほどに呆れさせられる事件です。呼び出しの理由が「礼儀がなっていない」だったそうですが、いくら上級生とはいえこんな事をしようとする人間にだけは礼儀を教わりたくはありません。それでも一体何故こんな理不尽でアホらしい事が計画され本当に実行されてしまったのかといえば、いわゆる日本型体育会系的縦社会組織の弊害に尽きると私は思います。私がここで長々というまでもなく日本の中学、高校の寮や運動部のほとんどでは礼儀、上下関係を教えるという名目の元に、上級生から下級生への理不尽な暴力、しごきが常態化していると言われております。

 この問題について私は以前に、「日本のスポーツ教育といじめ問題についての考察」という記事で取り上げたのですが、実はこの記事と「犯罪者の家族への社会的制裁について」の二本の記事は去年に書いた記事であるものの、FC2の出張所の方では現在に至ってもコンスタントに拍手ボタンが押されるだけでなく非公開でのコメントもいくつか受け付けており、あくまで小さいながらも書いた本人も驚くほどの息の長い反響を得ております。ただ驚くとは言っても、両方とも他の記事と比較して書いた際の力の入れ具合は大きかっただけに、評価していただけて非常にうれしく思っております。

 話を戻しますが、そんな教育的処置の名の下での上から下へのしごきと呼ばれるいじめについて、私は日本はもっと本格的に憂慮すべきだとかねがね思っていました。何故ならそうした組織的価値観が本来合理性を追求すべき企業、官公庁といった組織にも引き継がれ、日本全体の利益や幸福を大きく逸させていると考えており、なによりもこんな明らかに馬鹿馬鹿しい事をいつまでも続かせるべきではないと思っていたからです。

 そうした考えを、この前このブログの話が出たときに私の従兄弟に話す機会がありました。ちなみにその従兄弟は私と一番年齢が近い従兄弟ながらもうちのお袋が兄弟で末っ子で、なおかつ婚期が遅かったせいで十年も年齢が離れており、子供時代から今に至るまでよく可愛がってもらっています。
 実はその従兄弟、高校へは中学時代のバレー部での活躍からスカウトを受けて進学し、進学後には見事インターハイにまで出場している根っからの体育会系出身です。それだけに自分のこの考えにどのように反応するかとかねがね気になっていたのですが、まず部活内でのしごきは私も主張しているように何の練習効果もないとはっきり頷きました。しかし、それだったら直ちにそういったことは止めるべきじゃないかと続いて私が言った所、それには従兄弟は首を振ってこう言いました。

「しごきが明らかになんの練習にもならないとみんなも分かっているが、それでもしごきをした年代が試合で勝てば効果があることになってしまい、下の年代にも引き継がれていってしまう。また仮にある年代でそういったしごきを止めたところでその下の年代がそれを続けるかは分からないし、部活顧問が規制をしてもその顧問が辞めて新しくやってきた次の顧問になったらまた復活してしまう事もある。そんな感じでこういったしごきは常に順繰りに繰り返されたりするものなのだから、少なくとも絶対に止めさせることはできないんだよ。体育会系の世界ではそれが当然で、理屈なんてないんだ」

 実際にそういう世界にいた従兄弟なだけに、この返答は私にとって重みのある言葉でした。ただ話す時になにか憂いを含んでいるような態度があったように思え、気になって例の婚期の遅かったうちのお袋にこういうことを話したと言ったら、従兄弟の高校時代について教えてくれました。
 なんでも強豪と呼ばれた従兄弟の高校のバレー部でも他の類に漏れずいじめやしごきが激しく、あまりの仕打ちに高校一年生の時に従兄弟も寮を飛び出し、片道30キロほどの道のりを歩いて両親の実家まで夜中に逃げてきた事があったそうです。そんな経験から従兄弟らが三年生になった時、もうこんな事は止めようと同学年のチームメイトともに部活内改革を行っていたそうです。そうした経験があったからこそ、上記の言葉につながったのだと思います。

 そのような従兄弟の経験を考えると、やはりこういった部活内などのいじめやしごきを日本人が止める事は非常に難しいことなのでしょう。しかしほんの少しずつでもいいから、馬鹿馬鹿しい事だとみんなが自覚しあってこういったことを減らして行かねばと、所詮は文化系の理想論と言われるかもしれませんが私はこうしてブログにてこの問題を訴えつづけていこうと思います。

カープ、緒方選手の引退について

最後は三塁打!広島・緒方、引退試合に出場(YAHOOニュース)

 上記のニュースにある通り、私も大好きな選手の一人であるカープの緒方選手が本日引退試合に出場しました。
 緒方選手はトリプルスリーこそ達成していないながらも全盛期は走攻守がどれも備わった選手で、特に盗塁においては幾度か盗塁王を獲得しており元ヤクルトの古田選手に、「刺せたと思っても刺せなかったことのある唯一の選手」とまで言わしめております。現在でこそ盗塁を多く決められる選手と来たら阪神の赤星選手が代表的なように、走塁と守備を専らとして打撃は内野安打、セーフティバントのように小技を決めてくる印象がありますが、この緒方選手においてはホームラン数も非常に多くて年間30本塁打、打率三割も度々経験している強打者でもあり、近い選手と来て私が思い浮かべられるのは現役時代の真弓現阪神監督くらいです。あ、でも元横浜のローズ選手、鈴木尚典選手もこんなタイプだったか。

 元々広島というチームは私も以前に選手年鑑から選手の年齢構成を分析した事がありましたが、若手層とベテラン層が多くて中堅層の選手数が非常に少ない、他球団と比べてもややいびつなくびれ型の選手年齢の構成を持つチームです。この原因については初期の頃から若手を激しいトレーニングで鍛えて潰す一方、それを乗り越えたら鉄人衣笠、金本に代表されるように怪我に強くて選手寿命の長い選手が生まれるというタイガーマスクの虎の穴方式ではないかと推測してレポートにまでしましたが、この緒方選手もそのような長寿選手の一人で、プロ野球在勤の23年もの間広島のファンの方々に愛され続けました。

 そんな私が何で緒方選手が好きになったのかというと、ちょっとした偶然がきっかけでした。
 私が小学生だった頃、新聞屋から人気がないという事でもらったヤクルト対広島戦のチケットを携えて親父と一緒に観戦した際、試合中に突然うちの親父が急に動いて体を前のめりにするや飛んできたファールボールを見事にノーバウンドでキャッチしました。そのキャッチしたボールこそ、緒方選手の打ちもらした球でした。

 本来は返さなくてはいけないのかもしれませんがその後に球場係員がこなかったため、そのままそのボールを持ち帰る事にしました。今でも自分の部屋にそのボールは保管していますが、プロ野球で実際に使われたボールを放った選手という事でそれからは緒方選手の事をマークするようになり、往年の活躍を見るたびに他の贔屓にしている選手同様にうれしさを覚えていました。

 始まりがあれば終わりがあるというように、どれだけ好きな選手でも永遠とその活躍を見守る事はスポーツの世界ではありえません。ですがひと時の間でもすばらしいプレイを見せつけてファンを楽しませてくれ、その役目を果たし終えた引退選手たちには深い感謝と敬愛の念を私から送らせていただきます。

  今年の主だった引退選手
・江藤智選手(西武)
・緒方孝市選手(広島)
・小宮山悟選手(ロッテ)
・清水崇行選手(西武)
・立浪和義選手(中日)

2009年10月8日木曜日

中国の通史を学ぶ難しさ

 先日に中国語の恩師の許を訪問した際、久々にかなり通な話ができるという事で双方ともに飛ばし気味で中国に関する話をしてきました。中国や韓国は近くて遠い国だとよく言われますが、案外中国について細かいところまで分かる日本人は少ないのでなかなか気持ちのよい会話ができました。

 その時の恩師との話に出てきた話の一つに、中国の歴史についての話がありました。日本人がよく知っている中国の時代とくれば言わずもがなの三国志にて描かれている三国時代ですが、この時代以外の中国史となると途端に認知度は低くなってしまいます。それでもまだ「史記」に描かれる殷から周への易姓革命、春秋戦国時代、項羽と劉邦の漢楚興亡史までなら知っている人もいるのですが、はっきり言って三国時代以後ともなると中国史はもうほとんど何も知らないという方が大半なのではないかと思います。

 実際に三国時代の後に成立した晋王朝はすぐに滅び、その後いくつもの王朝が出来たり滅んだりした五胡十六国時代という私自身も細かく把握していないほど非常にややこしい時代に突入するので、三国時代から隋唐時代までのつながりが薄くなるのも仕方がない気がします。

 私は基本的に歴史というものは、前後のつながりがあるからこそ認知、把握が出来るものだと考えており、それが上記の例のようによく分かりにくい時代が間にあると途端に全体像が見えなくなって自然と記憶するのも難しくなると思います。特に中国においてはこの五胡十六国時代のほかにも唐と宋の間にある五代十国時代もあり、中国とそこそこ専門的に関わってきた私ですら未だになかなか全体像をつかむ事が出来ずにおります。

 更にこうした中国の歴史を学ぶ上で難しくさせているものとして、宋以後の通史を学ぶのに適当な本がないという理由も挙げられます。高校で教えられる世界史では欧米の歴史と交代に教えられる上に結構ややこしいところはすっ飛ばされているので言うまでもないのですが、目下のところ先ほどの史記、三国志、そして十八史略を除くと中国史を学ぶのに一般的な本や教科書というものはあまり多くありません。そうした学ぶ材料が少ないということも、中国の通史を学び辛くさせている要因だと、先生と共通の認識を持ったわけです。

 この際に先生は、陳舜臣氏の「中国の歴史」という本が通史を学ぶ上で役に立つと言われたのでこれから徐々に読んでこうと考えていますが、中国史は戦国時代や三国時代以外にももっと面白い時代や話は多く、明の洪武帝の話とか清の光緒帝のところなど、自分からも紹介したいような話はいくらでもあるので興味を持つ方は是非ご自分で学んで欲しいと心から思います。
 ゆくゆくはこのブログで中国の通史を自分で書き上げることができたらと考えていますが、そんな事を考える暇があったらとっとと留学記を終わらせるべきでしょうね。ちなみに先生にも現在連載中の留学記のオリジナルを送ったのですが、ブログで公開しているような敬体ではなく非常にラフな元の文体のがいいよと言われました。

2009年10月7日水曜日

北京留学記~その十三、国際会議の報道

 私が中国に滞在中、NHKを見ていると非常に中継場所として映ったのが天安門前のホテルでした。一体どうしてそこから中継が行われるのかというと、六カ国会議の現場状況の中継が必ず映されたからです。

 2005年からもう四年も経って段々と影も薄くなってしまいましたが、この時期は北朝鮮の核問題の対処を巡る周辺五カ国を含めた六カ国会議が何度も北京で開催されていました。日本としても今より拉致問題への国民の意識が強かったために注目されていたのか集中して報道されており、何度も中継に出てくる北京を見ては随分とメジャーなところに来たもんだと思うほどでした。
 さてそんな日本の報道振りに対して中国のメディアはどのように報道していたかですが、こちらは靖国のときほど細かくはチェックしていなかったものの、やはり日本よりはまだこの問題に対する直接的な危機感が薄いせいか、本当に小さく報道しかされておりませんでした。当時の私の手記を読むとこの日中の六カ国会議報道の温度差について、

「心なしか、六カ国協議における日本の立場と同じものを感じる。」

 と、まとめております。


 この六カ国会議のほかに私が中国に滞在中にあった大きな国際会議というともう一つ、2005年12月における香港での世界貿易会議がありました。もっともこちらは先ほどの六カ国会議に比べて、ほとんどの日本人の方は何が起きたか知らないのかと思います。

 具体的にこの世界貿易会議で何があったのかというと、この時の会議での主要な議題は農作物の貿易自由化についてだったそうですが、会議中に主に韓国からやってきた農民の自由化反対グループと警官隊が衝突し、警官隊が催涙弾を撃つなどの騒ぎとなりました。当時チャンネルをつけるとニュース番組では特番や現場中継を設けるなどして大きく報道していましたが、まるで戦争映画化かのように催涙弾の煙が立ち込める中dエ警官隊と韓国人農民グループがぶつかっており、最初見たときには何事かと思ったほどでした。

 そんな中国での大きな報道振りに対して日本ではどうかというと、自分が調べた限りでは日本ではインターネットのYAHOOニュースとNHKが香港にて衝突が起こっているとだけで、まるで交通事故の一例を紹介するおざなり程度の報道しかされておりませんでした。試しに日本に帰国後にあちこちの友人にこのニュースの事を尋ねましたが、記憶している人間はただの一人もいませんでした。

 ではこの事件は中国国内であったことから大きく取り上げられたのかというと、ちょっと事情は異なるかと私は考えております。この時のテレビ中継をみている際に相部屋の相手だったルーマニア人と話をしたのですが、中継される暴動を見ながらお互いにアンチグローバリゼーションの抵抗運動だなどと、それぞれが知っている内容を伝え合いました。
 この「アンチグローバリゼーション」という言葉は以前にも、「日本語にならないアンチグローバリゼーション」という記事でも紹介していますが、要するに貿易の過剰な自由化は世界経済を成長させるどころか貧困を助長させるという主張で、自由化を促進させようとする世界会議が開かれるたびにあちこちでこの主張をしている団体が激しい抗議活動を行っております。なお、一番でかかったのは2001年のイタリアでの会議です。

 リーマンショックを起こった今だったら多少はこれらの主張も実感が伴うように感じられるので、今だったら報道の仕方も違ったかもしれませんが、世界の学生はこのアンチグローバリゼーション運動をみんな知っているのに対して日本人だけはほぼ皆無といっていいくらいこの流れを知らず、それが当時の報道にも現れたのでしょう。昨日に書いたオリンピックの報道でもそうですが、もう少し世界の動きや流れを日本人は意識して取り入れてもらいたいものです。