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2011年3月7日月曜日

パソコン破損(ノД`)

 更新がまたしばらく空いてしまいましたが、この土日はお袋が例の春秋航空の格安チケットを使って上海に遊びに来たのでその相手をしておりました。そんなわけで昨日の晩にまた借りている部屋に戻り、適当にネットを見つつそろそろブログを書かなきゃと思っていたら画面が突然切り替わってブルースクリーン。一瞬で血の気が引きました。

 結論から言うと、それまで使ってきた私のノートパソコンがお釈迦になりました。パソコン本体は起動するもののOSが立ち上がらず、しかもセーフモードですら起動しないことから多分ハードディスク自体かその周辺がやられたんだと思います。そもそもこのパソコンはもう七年間も稼動していて去年夏にも同じくハードディスクが壊れて交換したくらいだったので、普通に寿命が来たのだと思います。
 じゃあ今一体なんでブログを書けているんだという疑問が持たれているかと思われますが、今使っているのは知り合いから借りているノートパソコンで一時代替的に使用しております。とはいってもこのパソコンは故あって今週の木曜までしか使えないので、金曜以降は果てさてどうしようかと今から思案中です。

 というのも今回壊れたノートパソコンを修理するくらいならこちらのパソコン屋に頼めば決して無理ではなさそうですが、生憎今回OSをインストールするCD類を持ってきておらず、ハードディスクを取り替えたところでまた立ち上げる方法がありません。となると新しいパソコンを仕入れるしかないのですが、ちょうど今週金曜に引越しをすることとなっており引越し先の部屋の敷金やら何やら入用で今非常に懐が厳しい状態です。カードでキャッシングをすればまだ余裕はありますが、今日計算したところだと現在の預金だとパソコン購入のための余剰資金は大体5000元(約60000円)程度あるものの引越し後の生活費を考えると出来れば3000元(約36000円)以内に抑えたいのが本音です。
 しかもこっちでパソコンを買おうにも日本で売ってるような日本語OSや日本語キーボード仕様なんてものはほぼないため、現地中国仕様で選ばなければなりません。出来れば日本仕様のノートパソコンがほしいものの、今使っているこのパソコンを始めとして会社で使用しているパソコンは中国製のため設定時の表示がすべて中国語で度々言語切り替えをやる必要があるのですが、一応今のところは使えてて現にこうしてブログも平気で打ててるため、この程度は甘受するべきなのかもしれません。あとどうでもいいですが中国語のキーボード入力はGoogleの入力システムがすごく便利です。

 正直に言って、渡航前に最も恐れていた事態が見事に現実となりました。こうなることを恐れて渡航前にはあらかじめ新品のノートパソコンを購入するか、画面やキーボードが小さくて難儀するものの去年に購入したネットブックを持っていくかで悩んだのですが、結局使い古して操作性には文句のない往年のdynabookを持ってきて今回のような事態になってしまいました。ただ今回壊れたとはいえこのパソコンは実稼動でもう七年にも及んでおり、むしろよくここまで持ちこたえてくれたと物に対する八つ当たりが激しい私ですら今回は素直に現実を受け止めました。その代わりあまりのショックから昨日はまだ夜10時半にもかかわらず不貞寝を始めてしまいましたが。

 予定としては今週金曜に引越しをして、その次の土曜にでもどこかで中古のノートパソコンを目標2000元で探そうと思います。この際贅沢は言わずネットさえ出来ればいいくらいなので、何故か外付けDVD-RAMも持ってきており、どうにか安い型落ちがないかと今から祈っているほどです。実家に頼んで例のネットブック(これもdyanabook)を送ってもらうという手も無くはないですが、そのネットブックだと先にも言った通りにキーボードと画面が小さいという難点に加え、電源が中国の電圧に対応していないために変圧器も必要になります。変圧器自体も実家にあってこちらでも安くで調達することは出来ますが、それだったらこの際一時用でいいから新しいパソコンを探してみる方がいいかなと今考えてます。

 このように書いていると如何にもパソコンに依存した生活をしているかのように感じられるかもしれませんが、海外で生活しているとパソコンとインターネット環境はもはやライフラインに近い存在です。ちょこっとバスや列車の運行など現地情報を調べることから日本の情報取得、そして何よりメールやスカイプといった日本との連絡ツールと考えると必需品といって差し支えないほどです。まぁ実際、家に帰るとやること無いのでずっとネット見ているのは事実ですが……。
 今回不幸中の幸いだったといえるのは、パソコンが壊れたのが昨日だったことです。もしこれが先週だったらただでさえ引越しを間近に控えている頃で各種の対応が取れずシャレにならない程困る事態に陥っていたかと思います。以前と比べて、こうしたピンチに対して「まだいいタイミングだ」と思えるようになってこれたのは自分でも成長を感じます。もっとも一番我ながらすごいと思ったのは、自転車で房総一周中に茂原駅前で自転車を割り折った時に「駅前でよかった」と考えた時でしたが。

 恐らく明日明後日は問題なくブログを更新できますが、来週以降はもしかしたらまた更新が不安定になるかもしれません。こういう時に限って前原外相が辞任したりと書くべき話題には事欠かないのですが、タイミングは本当に選べないので仕方ありません。ただ希望的観測ではありますが土曜には安いパソコンを仕入れて問題なく更新を再開できるとは思いますし、引越し先自体が今よりいろんな面で便利な場所になるので物事がうまく運んでくれると願ってます。
 蛇足な話ですが今の自分の状況は半年前からするととても考えられないほどいい意味で転回しており、人生こういうこともあるのかと折に触れてよく思ってたりします。そのため今回のパソコン破損もむしろ今までツキ過ぎたツケが来たんだろうとすら思いましたし、これ以上事態が極端に悪化することもないと確信に近い形で感じております。今の状況について詳しいことはまた後ほど直接このブログで話そうかと思いますが、渡航前に最悪だと想定していた事態に対してもこうして落ち着いてブログにかけるほど現在の自分はすこぶる元気です。

2011年3月4日金曜日

中国でのここ数ヶ月のインフレ

 私が以前に中国に長期滞在した時期は2005年から2006年の北京に留学していた時期ですが、それから約五年経ち現在また中国に来ております。今回再び中国での生活をしていて気になる点を挙げるとすればそれはいくらでも挙げられるのですが、以前の留学期との比較となると最も気になるのはほかでもなく中国の物価です。普段生活をしていても、「あれ、こんな値段したっけ?」と思うようなことが数多く、以前は学生で現在は給料をもらう勤め人という立場から購買力の差が出ているだけかもしれませんが、当初は世間でも言われているように北京に比べて上海の物価が桁外れに高いゆえにこのように感じているのかと考えていました。

 しかし周囲の情報を比較してみるとどうやらこれは間違いで、どうも私が中国を留守にしていた五年間で中国全体で物価が上がってきているというのが真実だったようなのですが、その期間も五年間というより正しくはここ数ヶ月で急激に物価が上がってきているというのが実情のところのようです。
 私は独り暮らしということもあってあまり食材などを買ったりする機会はないのですが、自炊などして購入している人から聞く限りですとパンや野菜の値段がこのところ急激に上がってきており、生活に支障が現れるほど影響を受けているという話をよく聞きます。デフレ下の日本ではあまりピンと来ない話ですがでは何故今中国で物価が上がっているのかですが、石油価格の高騰など世界的な要因も全く影響していないわけではないものの、その最大の理由はやはり最低賃金の上昇にあるのではないかと私は見ております。

 ここ数ヶ月の中国の経済ニュースで主要なトピックはどこそこの企業が不祥事を起こしたとか決算が同だったかという内容ではなく、一に最低賃金の上昇、二に不動産投資の制限です。後者はともかく前者の最低賃金について詳しく解説すると、中国は日本同様に各地方ごとに条例のような形で最低賃金が決められているのですが、去年から上海、香港を初めとした各主要都市で一斉にこの最低賃金額がそれ以前と比べて大幅に引き上げられてきております。最低賃金がどうして引き上げられるのかというと表向きの理由は当然底辺労働者の保護で、去年はホンダの部品工場でストライキが起こるなど賃金に対して労働者の不満や要求が高まっている背景から中国もこの点に対して大分ナーバスになってきております。
 またそうした社会問題対策以外にもマクロ的な見方で言えば、海外からの人民元切り上げ圧力が高まっていることや、ベトナムなど中国以上に人件費の安い国の勃興など、これまでのように輸出依存型の経済から脱却して一定度の内需を高めなければならないところにまで中国は来ており、中産階級層の増加を国全体で図る必要に迫られていることも影響しているでしょう。

 具体的にどれくらい物価が上がってきているのかいい指標がなくて説明がし辛いのですが、高級品はそれこそ日本の物価とほとんど変わらないにもかかわらず食品や乗り物代などはこれまでの中国は非常に安い価格で利用することが出来ました。それが今回のインフレでは食料品を筆頭に値段が上がってきているため、最低賃金の上昇で中産階級が育つのが先か、貧困層が食料品の価格に追いつけなくなるのが先かという、なかなか厳しい綱渡りを強いられているようにも見えます。
 ただいくら先延ばしにしようともこのような問題にいつか中国はぶつからなければならないこともあり、逃げずに最低賃金を引き上げて今現在で対応するというやり方の方を私は支持します。しかし一部ですでに言われておりますがこの物価高が原因となってさらなる暴動が起こる可能性も否定できず、ひいては人件費の上昇から投資が減り、バブル崩壊のきっかけになるのではないかという否定的な見方も存在し、私も否定するつもりはありません。

 現在私が最も懸念しているの不動産の価格というか、賃貸料の価格です。友人に上海市の比較的中心部に近い家賃はどれくらいかと聞いたところ、ワンルームで2000元(約24000円)は厳しく、最低でも2500~3000元(約30000~36000円)はすると言われました。この前何気なく千葉県の実家近くの不動産情報をネットで見たら普通につきの家賃が20000円台の部屋がたくさんあり(駅から離れてたけど)、何で日本より給与水準の低い中国で家賃がこんなに高いんだよと思うのと同時に、こんなに安いんだったら千葉県の実家に住みつつ一部屋借りて、秘密基地みたいにいろいろ使ってもよかったなという考えがもたげました。

2011年3月2日水曜日

ゼロスポーツ倒産のニュースについて

破産ゼロスポーツが郵便EVを納品できなかった本当の理由(レスポンス)

 昨日に第一報を見ましたが、電気自動車を製造するベンチャー企業のゼロスポーツが日本郵便との契約問題でこじれたことから倒産したというニュースを今日は取り上げます。

 昨日に報じられていた内容ではゼロスポーツは日本郵便から受注を受けていた配達用として使う予定であった電気自動車を期日までに納入することが出来ず、総額35億円もの大型契約を日本郵便から契約解除をされただけでなく遅延を理由に7億円もの違約金を請求されたことによって運転資金がショートして倒産したという内容でした。ざっと話を見る限りですとまず35億という契約金額もさることながら納期遅れの違約金も7億円にも昇るという内容に面食らい、一体どういう契約だったのか、それと納期遅れといっても自動車といういくらでも代替できる商品でここまで違約金が発生するのかという感想を持ちました。
 そんなわけで続報はないものかと昨日から関連ニュースをチェックしていたのですが、早くも今日にはその内実を詳しく紹介しているニュースが報じられました。

 詳しくはリンク先のレスポンスの記事を読んでもらえばわかりますが、簡単に経緯をまとめるとざっとこんなもんです。

・去年八月に日本郵便からゼロスポーツはスバルの軽トラ「サンバー」を改造した電気自動車1030台の発注を受ける
・その後スバルが2011年度いっぱいで「サンバー」の生産中止を行うと発表する
・生産中止になることから、双方でベース車両をダイハツの「ハイゼット」に変更するとで合意する
・その後日本郵便内でゼロスポーツとの随意契約上、ベース車両変更に伴い実証実験の必要性があることが後からわかる
・実証実験を理由に日本郵便は初回規定納期三日前に納期遅延は認められない旨をゼロスポーツに伝える
・ゼロスポーツは納期に間に合わすことが出来ず、契約解除と違約金を請求される


 大まかにまとめると大体こんなもんです。
 こういうのもなんですが、この記事の内容が真実だとすると日本郵便が結構な無茶振りをしているようにしか見えない展開です。そもそものベース車両が「サンバー」から「ハイゼット」に途中で変更になった時点でメーカー側としては大変になることは目に見えており、納期がやや遅延することも普通の感覚なら起こりうるとわかるはずですし融通を利かせるのもやむを得ないでしょう。にもかかわらず日本郵政は実にその納期の三日前に突然遅延を認めないとの連絡を行った上で契約解除、違約金請求という文字通り手の平返すような仕打ちをゼロスポーツに行って破産に追い込んでおります。

 記事中でも指摘されておりますが、日本郵便がゼロスポーツに対して通知を行った時期はちょうど去年夏のお歳暮騒動による影響で業績ががた落ちしたという決算が報告されている時期で、日本郵便に対してコストダウンの必要性が各所から指摘されていた時期です。恐らく間違いではないでしょうが、このゼロスポーツへの発注をなかったことにするために敢えて無茶な要求を出して契約を自ら破談にさせようと仕向けたのだと私も思います。
 その結果はしごをはずされたゼロスポーツは倒産したわけですが、今後の成長分野であるEV関連企業をこのような形で潰してしまうとは国は何を考えているのか、というコメントが寄せられておりましたがまさに正鵠を射た意見でしょう。

 この記事の内容が本当に正しいかどうかまではさすがに検証できませんが、政権交代以降、再国有化が着々と進む郵政の経営は去年のお歳暮騒動といい見ていて首をかしげる内容が数限りません。そのため今回のこのゼロスポーツ倒産のニュースを見た際もまた何か日本郵政がおかしなことをしたのではないかと私は真っ先に疑ったくらいで、この元のニュース記事の内容も疑うより信じる気持ちの方がはっきり言って強いです。

 最後にどうでもいい内容ですが、スバルの「サンバー」と聞いて真っ先にこの画像が頭に浮かびました。



 以前にどっかで拾った画像ですが、こういうのをいちいち集めて取っておくあたりが自分らしいです。

2011年2月28日月曜日

王道を外れること

 ちょっとこのところこそこそと動いているので、これからしばらく記事の投稿がまた減ってくるかもしれません。今週末にはうちのお袋が例の茨城空港発上海行き春秋航空格安チケットをどうやったかは知らないが取ってこっちに遊びに来る予定なので、日曜は書くだろうけど土曜日は早くも休業予定です。
 そういうわけで今日もちょっとやることがあって本当は休みにする気だったのですが、短くてもいいから何か書こうかと思い直していたら折角の機会なのでちょっと自分の遍歴について簡単な感想でも書いてみようかという気になりました。

 率直に言って、自分はあらゆる面で王道を外れた生き方をこれまでしてきたかと思います。私の簡単な略歴を書くと、

・鹿児島県で生まれ、千葉県で育つ
・千葉市内の中高一貫の私立校に進学する
・何故か大学は京都にある私大にいく
・途中休学して北京に一年留学する
・大学卒業後、新卒で東京の会社に就職する
・数年の勤務後に退社し、中国の日系企業に転職する

 たまに知り合いからこのような私の略歴を見て、「パーフェクトやん」と言われることがありますが、内実は決してそんなもんじゃなく結構途中途中にどろどろした過程が色々含まれております。細かくは書きませんが略歴で見るほど私はこれまで順風満帆に来ている訳でなく、要所によっては山中鹿之助ではありませんが敢えて苦労することがはっきりわかっている道を自分で選んでいることがあります。

 ちょっと前に「必要な苦労、余計な苦労」という記事を書きましたが、その記事で余計な苦労はしないに越したことがないと主張しながらもこれまでの私の人生の中では妙なプライドが邪魔してわざわざ余計な苦労を抱え込んだりすることが非常に多かったです。今思い返すとあそこまで無茶しなくともよかったんじゃないかというようなことも数多いのですが、それはそれで若い自分が正しいと信じて取った行動なのだから今となってとやかく言うべきではないと自らに言い聞かせています。
 そうした私の天邪鬼的な行動で最も根幹となっているのは、この記事の題にもしている王道を外れることです。昔からやや目立ちたがりな性格ゆえにほかの人がやっていることは逆のこと、ほかの人があまりしない行動をとかく好んで取る傾向があり、たいした理由もないのに「ほかの人がやらないから」という理由だけで行動して失敗したことが本当に多々あります。

 こうした王道を外れることのメリットを挙げるとするなら、やはりほかの人間にない経験や技術を得られることにつきます。その一方でこれはほかのどの人間も持つ経験を得られないということと同義で、はっきり言えば確かに大きなメリットを得られる可能性がないわけではないがそれはほとんどなく、むしろ共通体験が得られなくて余計な苦労を負う可能性の方が明らかに高いです。
 ここまでわかっていながらも私は未だに王道を外れた道を追おうとすることが多いです。もちろん実際に激しい活動をしていたりする人からしたら少し外れる程度でへたれもいいところですが、朱に交わって赤くなるまいとわざとはずれっぽい選択肢を選んでは自滅するようなことが今でも多々あります。一体何故そのような行為を繰り返すのか、この問いに対して答えようとするのは我ながらなかなか難しいのですが、敢えて答えるとしたらやっぱり自分は高みを目指していきたいと考えており、王道はまだ後からでも体験しやすいもののそれを敢えて外れた道は意識しないと経験が出来ないと思うゆえだという気がします。

 たまにふと、自分が安全策を図って王道をひたすら歩もうとしていたらどうなっていたかという気がします。それこそ公務員試験対策やお金になりやすい資格の取得、ほかの人がやっているようなサークルやコンパへの参加などを積極的に行っていたらという仮定ですが、多分今よりあまり物事を考えない人間になってるだろうなという気がしてやっぱり自分は今の方がいいという結論にいつも落ち着きます。

2011年2月27日日曜日

国の教育レベルについて

「あと1元ありませんか?」

 中国でレジにて会計を済ます際、必ずと言っていいほどこのように聞かれます。

 たとえば購入金額が合計16元のところで20元札を渡すと上記のように1元があるかどうかを聞かれ、言われた通りに1元を追加して合計21元を渡すと5元札でおつりが返ってきます。
 何もこのようなことは中国に限らず日本でも951円の会計の際に1051円を渡すような形で日常茶飯事のように行われておりますが、中国の場合だとこれがより顕著というか店員の側が客に強く要求してくるところがあり、この前なんか私の前で会計を済ましているおばさんが小銭はないと答えたにもかかわらず、「あんたのかばんからさっきからチャリチャリ音するから、本当は持ってるんでしょ」と店員が追求してきたことがありました。おばさんもおばさんで、「ばれたか(∀`*ゞ)テヘッ」といってかばんから小銭出すし。

 このような会計時の額合わせというか簡単な暗算は日本や中国ではごく当たり前に行われていますが、実際のところこういう行為が行われている国はそれほど多くはない気がします。というのも私がかつてイギリスに訪れた際に売店で買い物時にいつものように金額を合わせて余計に小銭を足して支払ったところ、「こんなにいらないよ」といって小銭分だけ返されました。このようなことはほかの店も同様で、店員の反応を見ている限りですと、イギリスではこのように額を合わせるという習慣がないだけなのかもしれませんが、どうも瞬時の暗算が出来ないのではないかという気がします。同様のことはアメリカでもあり、このような経験から日本人というのはほかの国の人と比べて暗算をぱっとできるのかと妙な感心をした覚えがあります。

 そう考えるなら日本同様に金額を瞬時に暗算しておつりを自然にまとめる中国人も相当な計算力を持っていることになります。実際に私の目から見てもこのような計算を初めとした中国人の教育水準は決して低くなく、国際レベルでは比較的高いレベルにあるのではないかという気がします。ただこれはあくまで中国の都市部の話で、地方となるとまだ学校も整っていない地域も数多くあるということから国単位ではまだ未知数ではありますが。
 その一方、現在の日本は国全体で義務教育が徹底されててこうした生活上の暗算はもとよりかつて海外遊説中に小泉元首相が、「日本人はホームレスですら新聞が読める」と述べたように漢字が混ざる複雑な文字系統にもかかわらず識字率も世界屈指の高さを誇っております。教育崩壊が叫ばれて久しいものの、他国と比較するなら日本は未だ高い教育水準にあると言っていいと私は思います。

 聞くところによるとアメリカやフランスでは移民が多くいることからそれぞれ英語、フランス語を理解できない労働者が数多くおり、工場などではそうした労働者に対してマルチ言語で作業手順所を作ったりなどあれこれ対策が必要だそうです。それに比べると日本は移民が少ないというのもありますが誰もが皆日本語を理解でき、なおかつそこそこの計算力を持っているのですから他国と比較するなら人件費を抜きにすると日本の労働者は優秀と言えるでしょう。経営側がそれに甘えている気もしないでもありませんが。

 こういう風なことを考えるにつけ、国を支えていく上で教育というものは本当に重要なんだという気がします。今でこそ当たり前と考えてしまいますがたとえば日本人の30%程度が文字が読めない文盲だったとすると、自治体の処理から雇用現場の対策など様々な点で現在よりも手間と苦労が必要となります。またこうした基礎教育はもとより、医療や工業技術といった専門的な知識についても各分野で今よりも人材が少なくなってしまえば途端に経済が回らなくなるのも目に見えてます。もっとも医療現場は今人手不足で問題となってますが。

 私は以前の陽月秘話にて、経済を拡大させるのに何が一番必要かといったら人口以上に教育が最も必要だと主張しました。この考え方は今でも変わりがなく、むしろこうして海外に出る度に基礎教育の重要性などについて気づかされます。この点で私が非常に英断だったと思うのは明治維新期のメンバーたちの決断です。
 明治維新後の日本はお世辞にも財政状況は良いというわけでなく、国の予算のほとんどは大商人からの借金によるものでした(その代わり払い下げなど見返りがあったが)。それにもかかわらず非常に早い時期から学制を整備して全国各地に尋常小学校を作る一方、当時の最高権力者であった岩倉具視の給与以上の金額で外国人教師を招聘して高等教育も整備するなど、教育を非常に重視していたことがわかります。現代で考えてもこの時の明治政府の教育施策が後の日本の急成長に大きな貢献をしていることははっきりしており、このときに徹底させた基礎教育があったからこそ二次大戦後も急速な復興を果たすことも出来たかと思われます。

 これは京都の人から聞いた話ですが、昔から京都は戦乱が多かったために京都人は燃えて島可能性のある家や家財といった財産にはあまりお金をかけずに形のない教育にお金をかける傾向があるそうです。現実に京都は市内にかつての教育施設から発展した数多くの大学があり、また私立中高などを見ていると教育熱が比較的高いと感じられます。生憎公立校は学区制のために人気がないですが。

 国敗れて山河ありとは言いますが、教育さえしっかり施しておけば国は滅んでもすぐに建て直すことは可能なのかもしれません。逆を言えば教育が駄目になればどれだけよいインフラがあったとしても後々国は滅んでしまうかもしれません。
 自分は個人として主義主張が強すぎるために教師にはなるべきでないとかなり早い時期に考えて実際になろうともしませんでしたが、なにかしら教育に貢献できるような活動は今後しなきゃならないなぁとは思ってます。具体的に何するかまでは未定ですが、このブログから何か発展することが出来ればそれに越したことはないのですが。

2011年2月26日土曜日

日本の天才たち

 大分前にも陽月秘話で似たような記事を書きましたが、よく日本人は欧米と比べて平均的な人材が多く、天才が少ないと言われているような気がします。しかし私の見方だと決して日本人に天才が少ないわけでなく、むしろ同じ日本人同士で評価してあげられないためにノーベル賞を受賞して一気に注目を浴びた田中耕一氏のように海外から評価されて始めてその才能や功績に気がつくことが多いだけなのではないかと常日頃考えています。そういう意味では日本は天才が少ないのではなく伯楽が少ないと思われ、日本において人材不足というのも優秀な人材がいないのではなくて優秀な人材を見分ける人間がいないがゆえに起こる現象ではないかとすら思います。

 さて先日、ネットの掲示板にてこれまでの日本人で誰が一番の天才かというテーマで議論されているのを見つけたのですが、そこでは本当に数多く有名な人物が挙げられていました。一言で天才といっても、「どんなことでも卒なくこなせる万能の天才」と「何か一つに極端な才能を持つ一方でほかの多くの面で欠落が見られる天才」と大極して二種類に分かれます。海外の天才で言うと前者はレオナルド・ダヴィンチ、後者はアインシュタインが典型例ですが、以前にこのような解説を行っていたコラムニストによると野球選手で言えば前者は走攻守すべてに秀で調子の波が少ないイチロー選手、後者は打撃に関しては天才的ながらも「失敗は成功のマザー」などといった独特の話法を持つ長嶋茂雄氏がそれぞれ挙げられていました。長島氏についてはこの前見た、「いやー、昨日は疲れててシャワー食べてうどんを浴びたらすぐに眠ってしまいましたよ」という話が個人的にツボに入りました。

 そういうわけで今日はちょっと私が思い当たる日本の天才たちをリストアップしようかと考えたわけですが、普通にリストアップするのでは芸がないので上記二種類の天才の型ごとに分けて挙げてこうかとも考えましたが、実際にこれをやるとなると業績以外にもいろいろ私生活ぶりとかも考慮しなければならないためにちょっと今回は見送ります。これ以上前置きは無用なので、早速ご覧ください。

  <私の考える日本人の天才>
南方熊楠(植物学者)
黒田官兵衛(軍師)
永田鉄山(軍人)
大村益次郎(軍人)
八木秀次(物理科学者)
田沼意次(政治家)
関孝和(和算学者)
平賀源内(発明家)
手塚治虫(漫画家)
大友克洋(漫画家)
写楽(画家)
空海(僧)
岡本太郎(芸術家)
秋山真之(軍人)
安藤百福(経営者)
華岡青洲(医師)
土井利勝(政治家)
親鸞(僧)
太田道灌(武士)
藤堂高虎(武士)
横井軍平(ゲームクリエイター)
松本清張(作家)
原敬(政治家)


 かなり私的な基準でなおかつ時代も職業も順不同ですが、ざっとこんなもんです。

 さすがに一人ひとりの解説は出来ないので大雑把な解説を行うと、日本で天才の代名詞となっているのはまず間違いなく平賀源内で、その次に来るとしたら南方熊楠ではないかと思います。今回ここで挙げた人物らは功績もさることながら私から見てやや知名度が低すぎるのではないかと思う八木秀次や花岡青洲を敢えて入れていますが、その一方で戦国時代では何故織田信長を差し置いて藤堂高虎がいるのかと思う方がおられるかと思います。信長については確かに先進性といいその後スタンダードとなる考えを編み出していて十分に天才の名に恥じないと思いつつも、彼の才能は天才性というよりは革新性に富んでいるように思え、それゆえに私の中の評価は天才ではなく革新者であるため今回リストからはずしました。逆に藤堂高虎を何故入れたのかというと、彼は和歌山城を初めとして数多くの日本の名城を築城しており、日本の城郭建築に大きな影響を与えていると判断したゆえです。

 大体30分くらいで考えたリストなので多分しっかり考えればもっと色々いるでしょうが、猛将列伝に続いて天才列伝みたいな感じでこれから一人ひとりを詳しく記事にしていった方が案外面白いかもしれません。

 ちなみに私は昔、というよりは今でもたまにこれだけ毎日長文の記事を更新していて文章については天才的だと友人らから褒めてもらえることがありますが、私自身としては自分の文章は誤字脱字もさることながら流麗さが感じられず、なおかつ文字量の割には内容がやや軽薄すぎるように思えてあまり評価しておりません。その分、これは意図してのことですが読んでてストレスを感じることが少なく理解しやすい文章には仕上がっているとの自負はあり、天才からは程遠い、ただ文章に手馴れている程度の才能ではないかと考えています。

 むしろ私自身の能力に限れば、記憶に関する能力の方が先天的な才能があるように感じます。このブログでもたまに突拍子もないことから過去の小さな事件を掘り出しては一緒に解説することがありますが普段でも友人らから、「本人が言った事を忘れていることをよく覚えている」といわれることが多く、先ほどもこの記事書きながら友人と、

花園「そういえば前に君がファブリーズで除霊もできると言ってたよね。あれ、テクモというゲーム会社の人が『零』というホラーゲーム作っている時に怪奇現象に遭い、そういえば幽霊はじめじめとしたカビっぽいところにいるようなと思ってファブリーズかけたら途端に現象が止んだことから出た噂なんだって」
友人「あー、そういえばそんなん言ってたかも。てか、なんでそんなの覚えてるの?」
花園「覚えてるも何も、確か五年前の冬くらいに君の部屋で話してる時に出た話だよ。自分もファブリーズ使い出してこの前思い出したから調べて見たんだ」

 たまに自分でも、なんでこんなくだらないことをいつまでも覚えてるんだろうという気になります。

2011年2月23日水曜日

私生活を切り売りすることについて

 このところ以前の陽月秘話で見受けなかったハンドルネームの方々からよくコメントを戴きます。コメントの内容を見ている限りですとどうも以前から読んでてもらっている方々のようで、よくもまぁこんな駄々長いブログを読んでてもらえるなとうれしく感じるとともに、潜在的な固定読者はなかなかに多いのだと身が引き締まる思いがします。

 さてその陽月秘話改め現在の陽月秘抄ですが、やはり住所が日本国内から中国国内に移り変わった影響から日本の社会批評などが減ってきて、その分中国関係や歴史関係の話がこのところ多いと自分でも自覚しております。この辺をもう少し何とかならないものかと色々考えてて、中国のテレビはケーブルテレビなので契約次第によっては日本のテレビ局の海外放送も受信することが出来るのでちょっと今検討しております。
 その分中国のニュースをどんどん翻訳して書いていけばという案も考えてはいるのですが、なんというかただ翻訳して載せるだけだと芸がないような気がしてどうもプライドがそれを許しません。もうすこし経ってこっちのニュース情報を加工できるくらいに物知りになれば話は別ですが、現時点ではまだ手を出す気にはなれずにおります。

 話は変わってブログについてですが、私のブログは社会系ニュースや思想に関することばかりで明らかに他の一般のブログとはやや趣が異なっておりますが、基本的にブログというものはその運営者の私生活を切り売りするものだと私は考えております。私生活を切り売りするとは読んで字の如くその執筆者の普段の生活や考えたことなどを敢えて外に公表するということで、書籍の形ではいわゆる私小説というものがこれに当たります。
 私が知る限りではこの私小説を日本で始めて大々的に発表したのは明治の文豪森鴎外で、処女作の「舞姫」自体もこの私小説の要素を過分に含んでて公表当初から色々周囲に言われたそうですが、「舞姫」以上に凄いのが後年の作品に当たる「イタ・セクスアリス」です。こちらは本当に鴎外の私生活というか、自分の嫁と実母の嫁姑抗争をありのままに書いたことで公表時にはこんなものが文学としてなりうるのかといろいろ議論となったそうです。その一方で抗争を暴露された嫁と姑はその後何故だか仲良くなっていったそうですが。

 私のこのブログでもたまにプライベートなことを書いたりしますが、やはり書いてる側からするとこのような私生活を切り売りする記事は書きやすいです。内輪ネタのような感覚というか、大抵自分で面白いと思うことを書くので気分的にも舞い上がり、なおかつ情報の加工が一切必要なくただ記憶に従って書くだけなのですぐにすんなり書き終わってしまいます。それこそちょっと珍しいことをやったり見たりしたことなどを書けば記事としての体裁は出来上がってしまいますし、読者の反応もこれまで書いたそのような記事からするとそれほど悪くない気もします。
 その一方で、書いてあることは本当に私生活の暴露に当たる内容のためこうして文字情報として残ってしまうインターネットに記述してしまえば、その後気が変わったとしてもその情報を秘匿することは難しくなります。それこそ書いた当初はどうでもいい愚痴のつもりで書いたものが後年になって何かの禍根になるかもしれませんし、変な形で揚げ足を取られる事態を自ら招くことにもなりかねません。

 似たような内容で陽月秘話のごくごく初期に確かネットにおける犯罪告白について書いた覚えがありますが、やはりこういうブログとかミクシとかだとあまりにも手軽すぎてついつい余計なことを書いてしまいやすく、注目を集めたいと思ってしまうものなのか先日の中学生による新宿通り魔予告事件など自らを破滅に追いやることまで書いてしまう人も少なからずおります。
 現在までのところ私のこのブログでは書いた後で「しまった!」と思うようなことはありませんが、政治や思想というやや機微な内容が多いことを考慮して比較的に慎重に書いているつもりです。そのためいろいろと準備してそこそこいい内容になると確信を持った記事についても、余計な批判を受ける可能性や一部の無関係な人間を傷つける恐れがあると踏んで結局没にしてしまったことも何度かあります。

 そういう意味で私生活を切り売りするというのは非常に手軽な分、ある種の危険性をはらんでいるということになります。しかもそうやって公表する私生活というのは無限に存在するわけでなく、極論を言えば公表を続けていればいつの日かネタ切れになって切り売りする私生活がなくなってしまうことになります。
 では切り売りする私生活ネタがなくなった人間はどうするのか。別にそれで生計を立ててるわけでなければ極端な影響はないでしょうが、一部の芸能人などにおいては敢えてスキャンダルを起こす、もしくは以前のものを暴露してまで世間の注目を浴びるように仕向けて命脈を保とうとする人がいます。ただそうそう何度もスキャンダルなんて起こせるものではないですし、何度かそういうことを繰り返しているうちに周囲からも飽きられてしまうのが大抵のオチです。

 わざわざ実名までは挙げませんが、女性に多いですがいくつかの芸能人では本当にこういう風になって今じゃすっかり世間から忘れられてしまっている人も少なくありません。切り売りするような私生活もすでになく、スキャンダルを起こしてもまたかと相手にされず、元々の芸も評価されずと一体あんたは今まで何やってきたんだと言いたくなってくる程です。
 このように考えるのなら、私生活というものはある意味その人個人にとって有限の財産という風に見ることが出来ます。もちろんその財産価値は人によって違いますが、公表するという形で消費してしまうと二度と取り返せなくなる可能性を持っており、普段意識しないけどこういう自分とその周囲だけの秘密というものは案外大事なんじゃないかとこのごろ思います。

 お金というものは持ってると使いたくなりますが、一回使ってしまうとなくなってしまいます。私生活も同様で、ついつい珍しい体験などは誰に聞かれることもなく自分から話してしまいがちですが、それをある程度秘密として持つことにもまだ価値があるんじゃないかと思います。まぁどんだけ聞かれようとも話したくない秘密も誰にでもあるでしょうが。