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2011年7月20日水曜日

中国で商売する上でのカントリーリスク

 かねてから左クリックの調子が悪かったので新しいマウスを買ってきました。買ってきたのは近くのウォールマート系列スーパーの好又多で売ってたヒュンダイ製のマウスですが、そこそこ悪いわけではないもののもともとのパソコンデスクと椅子の高さのバランスの悪さから使ってて肩が痛くなります。それでも前のマウスより全然いいけど。

 話は本題に移って、先日に友人から自分のブログを見ていてやはり中国のカントリーリスクは高いと感じるという感想を受けました。確かに例の新幹線の話題などからすれば予期せぬ事態が起こりやすい国だと皆さん感じられるかもしれませんが、実はそういう記事を書いて煽っている本人が言うのもなんですが、私は中国というのは実はカントリーリスクが非常に低い国だとこの頃、というよりこっちで働いてみて感じるようになりました。

 私もかつては中国というのはカントリーリスクが高く、市場は大きいけれど商売も一筋縄では行かない国だろうという印象が強かったです。それが逆転したのはこっちにきて顧客と話をしている時で、その顧客が言うには確かにアメリカなどの欧米諸国と比べればそうみえるかもしれないが、ほかのアジア諸国に比べれば中国というのは実は非常に商売がやりやすいそうです。
 まず第一に言えるのは、国内の治安です。中国というのは警察がいろんな意味で強い国で地方によっては料金をちょろまかすタクシー運転手もおりますが、そういう細かいのに目を瞑れば都市部においては非常に治安のいい国で、夜も全く心配せずに一人で出歩けるほどです。ただ中国人は夜九時過ぎても子供を外で遊ばせておくのはよしたほうがいいと思うけど。治安というのは馬鹿にならないもので、それこそ強盗やテロなどが多い国では駐在員自身の安全を確保するために家賃なども高い居住地に住む必要も出てきます。けちな話をすると海外保険代だって高くなりますし。

 その上で中国が他の国と比して商売がやりやすいのは、宗教上の障害が少ない点です。それこそイスラム教の影響が強い国ですと様々なタブーがあり、確か昔には味の素が食品の製造過程で豚の油を使っているという根も葉もないデマが流れて直撃を受けたという話があるなど、普段生活する上でも数多くの制限があります。
 それに比べて中国はというと本当に何でもありというか、文化的にも近いことから日本と同等の感覚でさえいればタブーには触れずに済みます。

 そんな中国で唯一カントリーリスクというか触れてはならないものは政治関係の話題ですが、逆を言えば政治事にさえ関わらなければ本当になんでもやっていいように感じます。一応国が保護している産業などについては海外からの投資や買収が制限されたりはしますが、面倒な手続きと合弁などの手段をとりさえすれば国内でどのような活動をしても許されますし。
 もっとも去年のレアアースの禁輸措置など突然ありえない行動に出られたりはしますが、この点は確かにひどいといえばひどいですが多かれ少なかれ他の国でも相応のリスクはあります。言ってしまえばアメリカのトヨタ叩きもそうでしたし、タイでも毎回短期間で終わりますがクーデターが起こるなど、中国に限ることではありません。

 この辺自分がよく成長したなぁと思う点ですが、日本ではなにがなんでも想定外の事態は起こることは絶対にあってはならないし、もし起こったらその対応よりも責任者は誰か捜すことの方が優先されていた気がしますが、中国で働いてたり生活していると想定外の事態が起こるのが当たり前で、その都度に素早く対応できるようになってきています。これは世代による価値観なのかもしれませんが、どうもこっちで生活していると日本人は想定外の事態になれてないというか、ちょっとした事をすぐカントリーリスクにまで数えてしまうところがあるような気がします。
 昔から日本人は一番最悪な事態は起こらない、というか起こるはずないと妙な割り切り方をするところがありますが、そういう思考からは早く脱却したほうがいいと思います。私なんかこのところ、「これ以上最悪の事態が起こるとしたらどんな状態だろう」と常に考えるようになりましたし。

2011年7月19日火曜日

海外に来る年齢

 昨日出張から帰ってきましたが、出張場所はヒントを出せば一昨日NHKに映ってた場所です。もちろん私は映ってるわけではありませんが、帰るなりまた家のネットが接続できなくなってて、今日の昼間にはさすがに従業員を怒って直させました。中国ではよくあること。

 それでは本題に入りますが、先日縁あって出身母校の上海校友会に出席しました。比較的大きな会合だったので参加者は約40人も数えたのですが、その会では意外というべきかなんというか、なんと私が最年少の参加者でした。当初私はその会には上海に留学で来ている留学生らも来るだろうと踏んで中堅くらい、もしくは比較的若い世代に入っているだろうと思っていたのですが蓋を開けてみるとぶっちぎりの最年少参加者で、近い年齢の方も何人かいましたがほとんどが40代以上のおっさんという会となりました。まぁそのおっさんどもは女性参加者の周りに群がってたが。

 このブログではちょこちょこ匂わせていますが、私の年齢は現在20代の後半です。確かに少子化だし、日本国内ならまだしも上海という土地柄を考えれば今回最年少となったのも無理ないかもしれませんが、内心私は中国に遅れてやってきたとこれまで自覚していました。
 私は元々新卒で就職活動をしていた際に、中国語を使えるということでメーカーのような、中国に駐在させて働く機会があるような企業を中心に面接を受けていましたがすべて落ち、最終的に採用してくれた商社では中国語はあまり使う機会のないところでした。それだったら最初から大学卒業とともに中国にやってきて現在働いているように現地採用で就職先を見つければよかったのですが、その考えは全くなかったというわけではなかったものの、やはりいきなり中国で働けるのか、就職先がきちんと見つかるのかという懸念から日本での雇用生活を最初にスタートさせたわけでした。

 その後日本で数年働いた後にやはり中国に来たいと思ってこうして現地採用されるに至りましたが、本来であれば大卒直後の22~23歳くらいから中国で働くつもりだったのにと考えていただけに、20代後半での中国上陸は遅過ぎるとまでは言いませんがやや出遅れたスタートだと今まで考えていました。
 しかし実際に働いて見るとどこいっても20代の日本人はほとんどおらず、今回の校友会のように自分が最年少のような立場になることが多く、他の参加者らからよくそんな年齢、しかも日本からの派遣ではなく現地採用できたものだと妙な感心のされ方をすることが非常に多いです。現在の会社でも私の年齢は下から二番目で、しかも編集職という立場では異常に低い年齢です。

 それこそ二年や三年前は早く中国に行かなくては、今行かないと二度と来れなくなると焦る気持ちでいっぱいでありましたが、現在の状態を鑑みるにつけてそこまで焦らなくともよかったのではないかとこの頃思います。何故私がここでそんなことを書くのかというと、同じように海外での就職を希望している人たちに対して20代での海外就職はまだそれほど多くないと言いたいからです。現地採用においても話を聞く限りではやはり30代くらいでの転職希望者がメインのようですし、今までの自分はちょっと生き急ぎ過ぎたと思います。
 ただだからと言って、こちらに来たのが早過ぎたとは思っていません。やはり今の自分の年齢で来れた、しかも中国での就労ビザ(Zビザ)が取れやすくなる日本での就労経験2年以上を持っていたことは有利に働きましたし、いいタイミングで決断してこれたという実感は強いです。早ければいいというわけではありませんが、ある程度考え方や希望がはっきりした段階に至ればすぐに決断するというのはそれほど悪くはないかと思います。

 藤田田はなんでも、「20代はボロクソに働き、30代になったら稼いで貯めた金で海外に行け。そして40代で起業しろ」と言ってたそうですが、時間的にはこれくらいが確かにいいのかもしれません。自分はややフライングして20代からもう海外に来ちゃいましたが、人間思ったより後からでも巻き返しは利くもんだというのが今日の意見です。

2011年7月13日水曜日

文芸春秋の足利事件キャンペーン

足利事件キャンペーン はじめに(文芸春秋)

 このブログでもこれまでに何度か取り上げてきておりますが、先日たまたま上記サイトを見つけたのでここにリンクを貼ることにしました。上記サイトは2009年に無罪が証明されて釈放された菅家利和さんが巻き込まれた足利事件を含む、栃木県と群馬県において発生し未解決のままの幼女誘拐、殺人事件(北関東連続幼女誘拐殺人事件)について、日テレ記者の清水潔氏が追ったレポートです。清水氏の記事は毎月文芸春秋に載せられているのですが、上記サイトではうれしいことにこれまでのものから最新の記事まですべて閲覧することが出来、部外者の私が言うのもなんですが今ここでこの記事を読んでいる方にはどうかご一読いただきたいと切に願います。

 内容について簡単にまとめると、菅家さんが釈放される前から該当地域にて幼女の誘拐、殺人事件が頻発していることから清水氏は同一犯の可能性を探り、その後の独自調査で菅家さんは足利事件の犯人ではないという結論に達し、果てには犯人と非常に思しき人物の特定にまで至る過程が記事に描かれております。記事内容は非常にしっかりと取材をした上で書かれているだけに説得力が高く、また遺族や当時の事件目撃者などから詳細な情報を聞き出しており、始めに読んだ際はこんな凄い記者が世の中にいたのかと思わせられるほどの構成でした。
 ただそうした記事構成以上に、真犯人と思しき人物がはっきりと特定しており、なおかつ足利事件で誤認逮捕をしたにもかかわらず「時効だから」といって捜査に着手しようとしない栃木県警の対応には深い怒りを覚えさせられます。先日に書いた問題のある県警リストも元を辿ればこの清水氏の記事を読んでまとめようと思い立ったものですし、一ブロガーとはいえこの事件についてはなるべく広く世に訴えるべきだという考えから、こうして関連する記事を折あらば書いております。

足利事件など未解決5事件、被害者家族会発足へ(朝日新聞)

 これは先月末のニュースですが、こうした清水氏の活動もあってか北関東連続幼女誘拐殺人事件の被害者遺族らは家族会を結成しました。知らない人からすればそれほど気にも留めないニュースだったかもしれませんが、清水氏の記事を読んでた私からすればこれをきっかけに事件が動いてくれればという思いをさせられる大きなニュースでした。

2011年7月11日月曜日

部落への報道が明るみになった日

 前回の記事に続き、部落問題についてです。前回でも書いたように私は部落問題を掲げる部落解放同盟などの組織は信用しておらず、むしろ彼らのこれまで起こしてきた行政への介入や恐喝事件などから彼らを暴力団ともども一刻も早く社会から追放すべきだという立場をとっております。

 さて近年になってネットの発達などもあってこうした部落出身者らによる団体の明らかに非合法な活動が徐々に日の目を浴びてきましたが、前の記事でも書いたように90年代の頃は部落という文字自体がマスメディアで報じられることは全くありませんでした。一体どうしてそこまで彼らが力を持ったのかは非常に気になるところで私も興味はあるのですがそれはまた置いといて、逆にどうして今になってこれらの問題が日の目を浴びるようになったのか、非合法な活動をしていた連中への批判が起こるようになったのでしょうか。
 これはあくまで私の一つの推論ですが、大きなターニングポイントとなったのはほかでもなく下記のハンナンの牛肉偽装事件が摘発されたことがすべてのきっかけだったように思えます。

ハンナン事件(Wikipedia)
牛肉偽装事件

 この事件は国がBSE対策の補償として国が国内牛肉の買取を行ったところ、雪印や日本ハムなど大企業などもこぞって外国産牛肉を国産と偽って買い取らせたという事件です。この一連の偽装事件では先の大企業二社に加えハンナンという会社も牛肉偽装を行っていたのですが、この会社の元会長である浅田満氏は部落解放同盟の幹部であったことから、この事件での2004年の逮捕以前はマスメディアに一切取り上げられることはなかったとのことです。
 しかしこの事件で逮捕されて以降はまるでタガが外れたように一挙に報道され、また解放同盟の幹部という彼自身の経歴についても個別に報じられるようになりました。私は大メディアにとってこの時が一種のタブー解禁日になったと現在考えており、事実その後は部落出身者、団体による犯罪や不祥事事件が次々と報じられるようになっていきます。

 その中でも代表的なのは、「三都物語」と揶揄された下記三府県の市役所における不祥事事件です。

大阪市問題
京都市環境局不祥事
奈良市部落解放同盟員給与不正受給事件

 この市役所の不祥事事件は最初の大阪市問題を我らがMBSこと毎日放送が凄まじい執念で、ぐうの音も出ないような証拠を突きつけて告発したことがすべての始まりでした。あまりにも見事だったのでここでも書きますが、大阪市役所職員が実際働いてもいないくせに残業代を申請して授受しているという噂を聞き、目をつけたある職員の出退勤時間を毎日入り口でチェックし、その上で住民監査請求で給与詳細と照らしてみたところ、毎日定時前後に退庁していたにもかかわらずやっぱり残業代をつけてて不正が明らかになりました。
 その後大阪市の内部調査を勧めたところ同じ事をしていた職員がどんどんと現れ、裏金やヤミ専従など不正と呼ばれるものはすべてやったと言わんばかりにどんどんと明るみになり、その中には同和対策事業での不正もありました。個人的に私がひどいというか呆れたのは、大卒ではあるものの比較的採用されやすい高卒枠に高卒と偽って入庁した職員がなんと965人もいたのですが、先にこれが明るみになった神戸市役所の職員数名は即刻懲戒免職となったのに対し、大阪は停職一ヶ月で済ませました。まぁこれはどこでもやってるし、京都市にもたくさんいるってのはよく知ってるんですがね。

 こうして大阪市の問題が次々と明らかになる中、続いて京都市と奈良市でも役所内の不祥事が一挙に明るみとなって行きました。こちらは大阪市以上に同和問題の側面が強く、同和対策事業として優先的に採用、もしくは関係団体からの強い推薦を受けて採用してきた環境局職員らが平気で仕事を抜けパチンコはするわ、出勤はしないわというのがばれ、釈明に負われた当時の桝本頼兼京都市長が同和枠採用が原因と認めることとなりましたが、この発言があった際にネット上では、「この市長は殺されやしないか」とまで書かれましたが、実は私も同じ心配をしました。もっともこれは杞憂にしか過ぎず、桝本氏はその後任期を全うして引退し、現在も存命です。

 はっきりいって90年代であればこうした不祥事がたとえあったとしても、周囲に知られたとしても堂々と報道されるなんて私には考えられませんでした。しかしどうも2004年のハンナン事件以降、こうした方面へのタブーは薄れたのか公開されるようになり、私にとってはいい世の中になってきたと思えます。
 上記の不祥事事件などは突き詰めれば個人の犯罪です。しかしハンナン事件など明確な幹部が逮捕されたにもかかわらず解放同盟などは公への謝罪、反省のコメントなどは少なく、その当事者意識について疑問に感じることが多いです。ただ奈良市の事件では問題を起こした職員は幹部だったそうですが、解放同盟はきちんと除名という処分を取っており、ケースバイケースなところはあります。願わくば昨日に取り上げた自作自演事件などともにもうすこし自浄作用を働かせてほしいものですが。

 最後にまとめになりますが私が部落団体に一番理解できなく汚いと思えるところは、昔差別されたのだから今現在に特別な補償をよこせと要求する点です。差別されていたことは事実でありますし私自身は深く同情します。しかしその差別の是正を求める、つまり非部落出身者と同じ立場や条件を求めるのならともかく、それ以上の待遇や異常ともいえる補償を要求するのは本末転倒もいいところで、なおかつ過去にその要求のため暴力的手段を取ってきたことは到底認められるものではありません。
 少なくとも現在ある特別な補償等を放棄しない限りは、私は彼らが周囲から変な目で見られているとしても何の同情もしないでしょう。

2011年7月10日日曜日

部落問題に対する私の所見

 一つ前の「松本前復興相と福岡空港」記事にて福岡空苦の敷地借地について部落問題に関わる部落解放同盟による行政への介入があったのではないかと私は書きましたが、いい機会なので部落問題について私の所見をここで一気にまとめてしまおうかと思います。こういう記事は休日でもないと書けやしないし。

 まず結論から言うと、私は頭から部落問題を主張する人間は信用しませんし、解放同盟という組織は可能な限り早く解散すべしだという批判的立場を持っております。最初にあらかじめ言っておくと部落問題自体が全く存在しなかったと主張するつもりではなく、少し前の時代で実際にひどいと思うような差別行為を見聞きしています。しかし現在において差別が実際にあるのかどうかとなるとかなり疑問で、少なくとも行政が部落出身者やその団体へ多大な補償や保護、介入を許すほどではないと考えております。

 まず差別が現在まだあるのかどうかという点についてですが、そもそもの話として日本はいじめがかなり多い社会だと私は考えております。小、中学校、部活動のいじめは言うに及ばず職場においてもなんやかんやで無駄としか言いようのないいじめはどこにでもあり、その対象というのも千差万別で、別に被差別部落出身者に限らずいわゆる差別的行為や陰湿な暴力を受けることは多々あるにもかかわらず、部落出身者に対してのみあれこれ行政上の優遇があるのは妙な気がします。その上でこれはある友人の意見ですが、

「日系ブラジル人などと比べて部落出身者は見かけから言語まで完全に日本人と一緒で外見からまずばれることはない。確かに昔から同じところに住んでいたら周囲にも出身がわかっていろいろ言われるかもしれないが、そんなに差別されるのが嫌だったら引っ越せばいいだけの話じゃないか」

 結局のところ、部落問題はこの一言ですべて片付くのではないかと思います。別に部落出身者じゃなくとも今の日本社会は就業において故郷を離れるのがごくごく一般的ですし、東京にでも出てくれば出身についてばれることはまずありません。故郷にとどまっていたい、けど差別されたくないというのははっきり言えば甘えでしかなく、根本的解決方法があるにもかかわらずそれを選択しない人間は何だというのでしょうか。

 その上で私が部落解放運動について批判的な立場を取る理由についてですが、私がこの問題で最初に奇妙さを感じたのは滋賀県のある優遇政策(同和対策事業)でした。それは数年前に見たテレビ番組なのですが、滋賀県にあるという部落出身者のみにしか利用できない体育館の紹介がされていました。その紹介された体育館というのは見る限りやけに立派な施設で、どうしてこれが一般市民には開放されず部落出身者にしか使えないのかという点でもうかなりおかしいのですが、番組でもインタビューでそのことを利用者に尋ねると、「同じ出身者同士で相談できる環境があるのとないのとでは違う」と高校生くらいの男性が話していました。
 この発言にケチをつけると、少なくとも相談だけなら誰かの家でも十分出来るし体育館でする必要性はあまり感じられません。その上で多少やっかみっぽくなりますが、あんな豪華な施設を独占しているからこそ周囲から色々見られるのではないかという気もしないでもありません。真の平等というのは誰もが同じ施設を同じ費用で使うことではないのか、このような主旨を部落団体は持たないのかと疑問を持ったのが始まりです。

 こうした方向性のよくわからない優遇政策とともに、これまでの解放同盟の常識が通用しない異常な行為の数々も見逃せません。一つ一つ説明するのはさすがに面倒なので、この一週間密かに調べていた事件のリンクをここでまとめて貼ります。

八鹿高校事件
篠山町連続差別落書き事件
滋賀県公立中学校差別落書き自作自演事件
一ツ橋小学校事件
解同高知市協「差別手紙」事件
立花町連続差別ハガキ事件
飛鳥会事件

 これら事件で私が理解できないのは、一ツ橋小学校事件を始めとした一連の自作自演事件です。これら自作自演事件の手はずと言うのは差別的内容が書かれた手紙や落書きを内部で書き、未だにこの地域や学校には差別があると糾弾するといった具合で実行されるのですが、差別を是正するための組織が差別を自分で作るなんて何を考えているのか理解できません。平等を期すために書いておきますが2003年には「連続大量差別事件」といって部落問題とはなんの関係もないある一般人から関係組織へ差別的内容が書かれた手紙が送られる事件がありましたが、それにしたって他の事件を見ているとこの事件も自作自演と疑われたのも無理ない気がします。

 こうした事件以外にも西日本を始めとした各自治体行政への介入、過剰な優遇策ももはや目にあまり、解放同盟というのは百害あって一利なき存在だと私は見ております。敢えて例えるとしたら人権を盾に無茶で非合法な要求を行うということから平安時代の比叡山を始めとした僧兵のようなもので、暴力団ともども排斥対象としてもよい気がします。
 個人的に気になるのはどうして解放同盟はこれほどまでに利権というか力を持つようになったのかということで、いくつか考えられる仮説はあれども確たる証拠には欠けているのが現状です。ただ本当に彼ら組織は90年代には恐ろしいほど力を持っており、大きな事件になろうともマスメディアは一切取り上げることはありませんでした。

 しかし2000年代に入り、潮目はすでに完全に変わっております。次回記事では一体どこで潮目が変わり、社会の見方が変化したのかを取り上げます。それにしても自分も怖いもの知らずになったもんだ。

松本前復興相と福岡空港

 しつこくまた松本前復興相の話ですが、今回の暴言騒動が大きく取り上げられた際に彼にまつわるある妙な話を耳に(目に?)しました。

福岡空港、67億円の赤字、松本組(JC-NET)

 正直なところ私はあまりネットメディアを信頼していないのですが、上記のJC-NETの記事については早くから大した内容をよく取り上げていたものだと嘆息させられました。
 記事の内容を簡単に説明すると、国が管理する空港の中で最も赤字幅が大きい福岡空港なのですが、その額なんと67億円で、乗降客が少ないほかの空港と比べても赤字額が極端に大きい空港です。では一体何故福岡空港がこれほどまでに赤字が大きいのかというと、その最大の理由と見られているのが空港敷地の借地料です。記事によると福岡空港は空港敷地を所有ではなく地主から”借地”しており、借地料として毎年80億円という途方もない金額を支払っているそうです。で、そんなおいしすぎるとしか思えない地主は誰かというと、ほかならぬ件の松本龍前復興大臣の一族が経営する「松本組」がその一人だとの事です。

 あまり航空行政に詳しくないのでそれが一般的なのかどうかまではわかりませんが、普通に考えて空港という重要施設の敷地を借地すること自体がなんだか奇妙に感じます。また毎年80億円、10年も払えば800億円にも上ることを考えるとどうして土地を買収しなかったのか、もしくはどうしてそんないわくつきの場所に福岡空港を立てたのか強い疑問と不満を感じます。憶測で物を言うのはあまりよくはありませんが、契約時に何かしらおかしな取引があったのではないかと思わせられます。
 というのもこれはもう公ですのではっきり書きますが、松本前復興大臣は部落開放同盟のナンバー2で、常識では考えられない行政への介入をしでかしているのではという気配がプンプンします。ちょうど切りもいいので、この辺について次回記事で一気にまくし立てることとします。

2011年7月9日土曜日

社会人生活と比べる私の高校時代

 よく「社会は厳しいんだぞ」と子供に言う大人の姿が描かれることがありますが、少なくとも私にとってはこれは当てはまることはありません。というのも比較的恵まれた社会人生活をしているのもあるでしょうがそれ以上に、中学、高校時代の方が私にとって何より辛い期間だったからです。

 以前の「陽月秘話」の頃からすでに何度も愚痴っていて読んでる人には早いでしょうが、私の中学、高校時代は何も楽しい思い出がありませんでした。個別のエピソードではいくつか面白いものがあるもののあの時代の生活が有意義かどうかといえば全く価値は感じられず、中高一貫校であったため中学の時点で高校に進学してもこの環境が延長するとはっきり自覚していた私はわざわざ高校への進学をやめようとすら考えていたくらいです。中にはこうして大学にも進学して無事就職できたことから「高校に行っといて良かったね」と言われることもありますが、多分高校に行かなくとも大学への進学意識は非常に高かったので普通に大検とってきちんと進学できてたと思います。

 具体的に中学、高校時代で何が嫌だったかといえば、えらそうな言い方になりますが周囲のほかの生徒が非常につまらない人間ばかりでした。常識が通用しないというか会話が面白くないというか、多分他の中高一貫校でもそうでしょうが人間関係が中学から高校までそのまんま動かないことから世界観がありえないくらい狭く、被害妄想が入っていることを認めますがその世界観から外れる私のような人間はかなり排他的に扱われてました。
 それを表す一つのエピソードとしてよく使うのは、大学進学率に対する価値観です。進学校であったため中学に入学した時点で私の学校のほぼ全員の生徒は大学に進学することが規定路線です。それゆえにある授業で教師が、「日本の大学進学率は40%強(当時)」と説明したところ、「えー、八割くらいいっているかと思ってた」と洩らす生徒がおり、日本の子供は望めば誰だって大学にいけると信じて疑わないところがありました。

 もっともそういう学校に通っていたので私の世界観も当時は決して広かったわけではありませんでしたが、なにが中学、高校時代で一番辛かったのかというと会話時に常に力をセーブして話しなくてはならないのが辛かったです。というのもその学校内の常識に従わない話し方や会話内容を出すと平気で、「何言ってんだお前」とすごまれるし、羽目を外して会話テンポを上げると相手は話の内容を理解できないで、何のためにここでみんな勉強してるんだろかと当時はめちゃくちゃ悩んでました。
 逆に、その後大学に進学した後で知り合った人間に政経やら哲学など自分でも結構難しいと思う内容を話すと、「よぅ知っとるなぁ」と向こうも乗り気になって話しついてきたりするのを見て、「なんでわかるの?」としつこいくらいに聞くほど驚いたのを今でも覚えてます。

 ただそんな嫌な学校の中でも、気が合う人間は全くいなかったわけでなく今でも連絡を取り合う友人は何人かおります。逆を言えば今付き合ってる人間以外だとあの学校の人間とは誰とも連絡を取りたくないとすら考えてるわけですが、今連絡を取り合っている友人の一人とは妙に気が合ったのか、理系の人間ゆえに政治系の話題は共有できなくとも何故だか関係は続いております。
 まぁ明かしてしまうとその友人というのはちょっと前にリンクを結んだ「薬学部ナギ」の管理人なのですが、最近どうも私のブログに影響を受けたのかブログ作成に凝っているようで、また新しいブログを立ち上げたそうです。

大学受験フジギリ

 彼は具体的にどういう友人かといえば昔から今に至るまで「わがままなやっちゃなぁ」と思わせられる人物で、ブログの文章にもどことなくそういう性格がにじみ出てる気がします。ただわがままといっても自己中心的な性格というよりは主観が強いという性格で、間違ったこととかおかしなことがあればすぐに「それっておかしいじゃないか」というような人間ゆえに私と妙に気があったんじゃないかと思います。逆を言えば私も他人、というよりかは一般的な日本人より主観が明らかに強い口でこういうブログを運営しているわけですが、この性格で今までいろいろ損をしてきたなと思う一方、いい生き方をしてきたとこの頃誇れるとともに比較的恵まれた今の環境を得るきっかけになったのだと前向きに見られるようになっています。