よく「社会は厳しいんだぞ」と子供に言う大人の姿が描かれることがありますが、少なくとも私にとってはこれは当てはまることはありません。というのも比較的恵まれた社会人生活をしているのもあるでしょうがそれ以上に、中学、高校時代の方が私にとって何より辛い期間だったからです。
以前の「陽月秘話」の頃からすでに何度も愚痴っていて読んでる人には早いでしょうが、私の中学、高校時代は何も楽しい思い出がありませんでした。個別のエピソードではいくつか面白いものがあるもののあの時代の生活が有意義かどうかといえば全く価値は感じられず、中高一貫校であったため中学の時点で高校に進学してもこの環境が延長するとはっきり自覚していた私はわざわざ高校への進学をやめようとすら考えていたくらいです。中にはこうして大学にも進学して無事就職できたことから「高校に行っといて良かったね」と言われることもありますが、多分高校に行かなくとも大学への進学意識は非常に高かったので普通に大検とってきちんと進学できてたと思います。
具体的に中学、高校時代で何が嫌だったかといえば、えらそうな言い方になりますが周囲のほかの生徒が非常につまらない人間ばかりでした。常識が通用しないというか会話が面白くないというか、多分他の中高一貫校でもそうでしょうが人間関係が中学から高校までそのまんま動かないことから世界観がありえないくらい狭く、被害妄想が入っていることを認めますがその世界観から外れる私のような人間はかなり排他的に扱われてました。
それを表す一つのエピソードとしてよく使うのは、大学進学率に対する価値観です。進学校であったため中学に入学した時点で私の学校のほぼ全員の生徒は大学に進学することが規定路線です。それゆえにある授業で教師が、「日本の大学進学率は40%強(当時)」と説明したところ、「えー、八割くらいいっているかと思ってた」と洩らす生徒がおり、日本の子供は望めば誰だって大学にいけると信じて疑わないところがありました。
もっともそういう学校に通っていたので私の世界観も当時は決して広かったわけではありませんでしたが、なにが中学、高校時代で一番辛かったのかというと会話時に常に力をセーブして話しなくてはならないのが辛かったです。というのもその学校内の常識に従わない話し方や会話内容を出すと平気で、「何言ってんだお前」とすごまれるし、羽目を外して会話テンポを上げると相手は話の内容を理解できないで、何のためにここでみんな勉強してるんだろかと当時はめちゃくちゃ悩んでました。
逆に、その後大学に進学した後で知り合った人間に政経やら哲学など自分でも結構難しいと思う内容を話すと、「よぅ知っとるなぁ」と向こうも乗り気になって話しついてきたりするのを見て、「なんでわかるの?」としつこいくらいに聞くほど驚いたのを今でも覚えてます。
ただそんな嫌な学校の中でも、気が合う人間は全くいなかったわけでなく今でも連絡を取り合う友人は何人かおります。逆を言えば今付き合ってる人間以外だとあの学校の人間とは誰とも連絡を取りたくないとすら考えてるわけですが、今連絡を取り合っている友人の一人とは妙に気が合ったのか、理系の人間ゆえに政治系の話題は共有できなくとも何故だか関係は続いております。
まぁ明かしてしまうとその友人というのはちょっと前にリンクを結んだ「薬学部ナギ」の管理人なのですが、最近どうも私のブログに影響を受けたのかブログ作成に凝っているようで、また新しいブログを立ち上げたそうです。
・大学受験フジギリ
彼は具体的にどういう友人かといえば昔から今に至るまで「わがままなやっちゃなぁ」と思わせられる人物で、ブログの文章にもどことなくそういう性格がにじみ出てる気がします。ただわがままといっても自己中心的な性格というよりは主観が強いという性格で、間違ったこととかおかしなことがあればすぐに「それっておかしいじゃないか」というような人間ゆえに私と妙に気があったんじゃないかと思います。逆を言えば私も他人、というよりかは一般的な日本人より主観が明らかに強い口でこういうブログを運営しているわけですが、この性格で今までいろいろ損をしてきたなと思う一方、いい生き方をしてきたとこの頃誇れるとともに比較的恵まれた今の環境を得るきっかけになったのだと前向きに見られるようになっています。
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