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2012年1月15日日曜日

日本に影響を残した外国人~エドワード・モース

 自分は恐らくほかの歴史好きと共通するでしょうが、子供の頃に歴史漫画を読んだことから歴史に興味を持つように至りました。ちなみに好んで読んだのは編年体ではなく紀伝体というべきか特定の人物にスポットを当てた歴史漫画で、何故かそのころから戦国時代の登場人物を贔屓にして読んでいた気がします。ただ紀伝体の歴史漫画も読み終えるとやはりつまらないもので、仕方ないのでとようやく手に取ったのは確か小学館の「日本の歴史」シリーズだったと思いますが、その第1ページ目に登場したのが今日紹介するエドワード・モースです。

エドワード・S・モース(Wikipedia)

 エドワード・モースはアメリカの動物学者で、明治初期にお雇い外国人として来日を果たした人物です。来日理由は節足動物の標本を集めていたことからこの手の種類が多数生息するという日本に興味を持ったことからだそうですが、彼を現在の日本で有名足らしめたのはこの専門の動物学ではなく、日本考古学の創立者としてでした。
 モースは西南戦争の起きた1877年に来日し、明治政府から標本採集の許可を取るために横浜から新橋へ鉄道で移動中、日本初の考古学発掘の現場となる大森貝塚を見つけます。当時の日本人からすればこの貝塚の考古学的価値に気づく人間はいなかったようですが外国人には魅力的に映ったのか、モースのほかにもかのシーボルトの二男であるハインリッヒ・フォン・シーボルトも同時期に発見して発掘に強い情熱を持っていたと言われております。

 話はモースに戻りますが、元々モース自体が動物学以外にも考古学にも造詣が深かったこともあり、明治政府に対して正式にこの貝塚の発掘許可を申請しました。無事許可が下りるやモースは東大の学生を引き連れて発掘を行い、土器や人骨など様々な発見をして論文で発表し、重複した土器などを一時離日した際にアメリカへ持ち帰り紹介を行ったようです。その後1878年に再び来日すると今度は出土品を細かく整理した上であちこちで講演し、また論文発表や学会の創設などによってこの分野における開拓にいそしんだとされます。

 恐らく通常の日本史だと彼について紹介されるのはここまでで、後はせいぜい「日本で初めて進化論の講義を行った」と書かれる程度でしょう。私自身も彼の名前と功績については強く認めていたもののこれ以上の知識は持ち合わせていなかったのですが、最近になって調べてみると最初の離日の際に東大に対し、「哲学講師が必要ならフェノロサを呼べ」と、なんとあのアーネスト・フェノロサを日本に引っ張り込んだ張本人だったということを知っていろんな意味でしびれました。これはこの時期のお雇い外国人みんなに共通して言えることですが、みんなどこかしこで接点を持っていてそうした縁が数珠つなぎに繋がって来日してきています。

 フェノロサについてもこの連載でいつか取り上げる予定ですが、彼がいなかったら今の奈良の観光産業はまず成り立たないことを考えるとその影響度は半端じゃありません。もうこの時点で私にとってのモースの評価は格段に上がったのですが、その後に起きた関東大震災によって東大図書館が全部焼けたと知るや自分の蔵書1万2千冊をすべて東大に寄付するという遺言を残す(モースの死後、実際に寄付された)など、日本の学術分野における彼の功績は計り知れないものがあります。
 実はこの連載を始めるきっかけとなったのはこのモースにほかならず、明治のお雇い外国人はみんなどこかしかで接点を持ってその縁が伝手となって来日していることを意識した際、こうやってひとりひとり取り上げてみた方がいいのではと思ったからでした。その上で上記の関東大震災のエピソードも、既に知られている人物でもこうしたまだ知られていない面もあり、特に日本に尽くしてくれたエピソードというものは広く認知させるべきだと考えたのも突き動かす一つの理由となりました。最初の歴史漫画と言い、何かと自分のスタートに縁がある人だとつくづく感じます。

2012年1月14日土曜日

部下から評価する管理職

 戦争における優秀な指揮官を指す表現として、「弱卒を以って強兵となす」という言葉があります。これはそれほど訓練されてなかったり、身体的に劣っていたりする兵士でも戦闘を勝利に導くことのできる指揮官を指しており、私の中では補給もままならない中で占領地で食糧を強奪することもなくインパール作戦で善戦した帝国陸軍の宮崎繁三郎がこの評価に値すると思います。それにしてもさっきグーグルでセーフサーチ強で検索したら、上記リンク先(元自分のブログ)が出てこなかったのはなんでだろう……。
 話は戻りますが、逆に言うのなら強兵を率いているのであればよっぽど不利な状況でない限りは勝利するのが当たり前です。そういう意味では指揮官への評価というのは率いる兵や装備の質で決まるようなもので、強い軍隊を率いておきながら負けるというのは無能の証明以外の何物でもありません。話はまた二次大戦中に戻りますが米軍側は日本軍に対して、「兵員は優秀であるが指揮官が無能故に戦いやすい」と分析しており、私も当時の日本軍の作戦を見るにつけ一部には粘って粘って相手を苦しめた栗林忠道などもおりますが、基本的にはアメリカのこの分析に同感です。

 こうした考えは何も軍隊に限らず、私は現代社会の一般企業における管理職についても同じことが言えると考えています。たとえば二つの部署で同じ成果を上げているとしてもそれぞれの管理職が率いる一般社員の質によってはその評価は全然変わってきて、評価変数としては率いる部下の人数、人種、技能、資格、経験などなどたくさんありますが、真に評価する上ではこうした部分に光を当てる必要があるでしょう。世間一般ではよく売上げや収益といった表面的な成果ばかりが評価対象となりますが、こんなのは二度繰り返しますがあくまで表面的な数字を表しているにすぎず、会社経営を考える上では重要ではありますが管理職の評価項目としては実に薄っぺらいものだと常々感じます。重要なのは、どのような戦力でどれほどの成果を挙げたのかです。

 それこそ去年のプロ野球に例えると、阪神タイガースの真弓監督は成績不振からとうとう契約期間を残しながら退任を余儀なくされましたが、去年の阪神は日本人年棒だけ取ってみれば12球団トップで、また8月までは球界一のストッパーと信じている藤川球児選手を全く使おうとしながら2年連続で9月に入るやありえないくらい連投させるという妙な采配を見るにつけ、やはりあの解任は仕方がなかったかと思います。逆にこっちはパリーグですがオリックスの岡田監督なんか補強らしい補強はほとんどない中、というか元々の選手層がそれほど厚くない中でクライマックスシリーズの出場争いに最後まで絡むなど非常に善戦しており、阪神時代からそうでしたが現役監督の中では一目置かされる実力です。

 ちょっと過分に趣味の話が入りましたが今日何を一番言いたのかというと、「お前らが無能だから成績が上がらないんだ」と部下に向かって言う人は「俺は無能だヽ(`Д´#)ノ 」と自分で言っているだけだということです。部下が優秀でないならそんな部下をどのように使っていくのか、どうやって能力を引き上げていくのかを考えるのが管理職の仕事で、先ほどのセリフはそうした責任をうっちゃって自らの無能ぶりを明らかにしているだけです。まぁさすがに暴力事件とか交通事故などの問題をしょっちゅう引き起こす人間が部下だったらいろいろ同情するけど。
 逆に経験年数や実績をたくさん積んでいる部下を付けてもらいながら、標準の成果しか上げられない管理職というのもまた問題で、大きな成果を上げたとしても人員配置によっては取り立てて大きく評価するべきではないかと思います。そういう意味だと去年のソフトバンクホークスの秋山監督への評価はあの戦力だと難しくなる……。

 ちなみに上記の「お前らが無能~」のセリフはさすがに私は言われたことはなく、まだこれまでマシな上司に巡り合っているような気がします。ただ今までついた上司はみんな揃って私に対し、「お前ほど言うこと聞かない奴は初めてだ」と、口裏合わせているんじゃないかと言いたくなるくらいに同じことを言ってきます。以前はそれほど気にしませんでしたが最近になってようやく私も自覚症状が出てきたというか、確かに言うこと聞いてるフリしてスタンドプレーが多く、上司からすると扱いづらいことこの上ない部下だろうなという気がしてきました。

2012年1月13日金曜日

外国との協力の歴史を学ぶ意義

 当初は「日本に影響を与えた外国人」として日清戦争前の風刺画などで有名なジョルジュ・ビゴーを書く予定だったのですが、なんかどうにもやる気が起きないというか文章が浮かばなかったので流すことにしました。実はビゴーについては流すのはこれが二回目で、改めて考えてみると日本に影響というよりもただ有名な外国人なだけなのかもしれないのでもう取り上げない方がいいかもしれません。

 それはさておきこの「日本に影響を与えた外国人」の連載ですが、個人的にはなかなか面白いところに着目しているのではないかと自負しております。というのも歴史というのはどの国においても自国民を中心に語って外国人というのはどちらかというと文化人枠で語ることが多く、どうしても主役としては取り扱われないところがあります。ただ国政において何が最も大事かというと経済と外交(国防や戦争を含む)の二本柱で、経済だけならともかく外交においては相手がいて成り立つ商売です。そういう意味ではもっと外国人に着目して相手側からの視点で見た歴史というのはどんなものなのかというものを追求するのもありなんじゃないかと思います。

 またこれは私個人の主観でありますが、やっぱり外国人の歴史を知るにつけその外人の出身国にも興味が湧いてきます。私自身も三国志で諸葛亮や曹操に興味を持ったことからこうして中国語で飯食う身分になってしまいましたが、仮に幼少のころに興味を持った対象がシモ・ヘイへだったら今頃フィンランドにいたかもしれません。まぁそんな奴はそうそういないだろうけど。
 さらに言えばこうした人物だけでなく、昔にも取り上げましたがイラン・イラク戦争や湾岸戦争時のトルコ航空の日本人への配慮なども知るにつけ、相手国に対して単純に感謝の気持ちも芽生えますしやはり旅行とかにも行ってみたいと考えるきっかけになります。このトルコ航空の事例などは普通に歴史の授業を受けていたらまず知ることのないエピソードでありますが、私は両国の友好感情を高めるためにも、もっとこういうことを日本とトルコの双方で教え合うほうがいいと思います。といっても、トルコの方ではしっかりエルトゥールル号のことをきちんと教えてくれているようなのですが……。

 こうしたトルコ以外にも、杉原千畝とユダヤ人のエピソードとか去年の地震の際の台湾の支援など、年号とかよりも私はこうした両国の協力というエピソードこそ後年に伝えるために教えていくべきなんじゃないかと常々思います。逆に、これははっきりと批判させてもらいますが中国や韓国の歴史教育で日本の大して過剰な憎悪を持たせるような教え方は、日本人の自分がイライラするだけでなく将来的にその憎悪が政府自体に向かってくる可能性もあるのでするべきではないでしょう。何も全く教えるなとは言いませんし韓国については併合、中国に対しては侵略したのは間違いない事実なんだから言い訳するつもりはありませんが、一体何世代に渡って憎悪を植え付け、お互いに分かり合えるかもしれない可能性を摘み取る気なんだと声を大にして言いたいです。まぁ日本も政府主導でロシアに対しては北方領土教育ってのがありますけど……。

 私は熱烈な主義者たちが主張するほど、大半の国民は歴史教育で受ける影響というものはそれほど大きくはないと考えています。むしろ発信力の強い、もとい声のでかい連中が互いを批判するために歴史という科目を出汁に使っている可能性の方が高いと見ています。ただ相手国に対してポジティブな興味を持つ一つのきっかけになるというか、そういうような教育だったらもっと価値が出てくるのではというのが今日の意見です。

2012年1月11日水曜日

調子の良さと記憶力

 昨夜は友人と3カ月ぶりに再会したのですが、食べ飲み放題の焼肉屋だったということもあって無意味にワインなんか頼んで「ルネッサーンス!」を繰り返したせいかなんか今日はやけに右側頭部が痛かったです。それにしてももうずいぶんと日本のテレビは見ていないが、髭男爵はまだ頑張っているのだろうか。

 さてこのところブログの文章表現がやけに調子良いのが反映されてか、いろんな方からコメントをたくさん受けて非常にやる気が出ております。なんで急に文章表現が良くなったのかいろいろ意味が分からないのですがいくつか考えられる理由としては、やはり香港から上海に戻って、一応住み慣れた部屋に戻ってきて落ち着きを取り戻しているのが大きいのかもしれません。海外から海外に戻って落ち着くというのも何ですが。
 それともう一つ、この前の話じゃないですけど自分がややハングリーさを取り戻してきたというか、現状にまたぞろいろいろ不満を持ち始めているのもあるかもしれません。それは一体どんな不満だと普通は続くのですが会社の陰口をここでいちいち言ったってしょうがないし、差し当たって無難なところだと旧正月も近くて日本人みんなそわそわしているのを見ると、長らく日本に帰っていないこともあっていろいろ思うところがあるといったところでしょうか。私の最長海外滞在期間は留学中の1年間ですが、去年7月から一度も帰ってないから下手するとこのまま記録更新になるかもしれません。つうか代休くらい好きに取らせろよ……。

 そんなこんだで不満を持ちつつも好調を維持しているのですが、それは何も文章表現にとどまらずある意味私の代名詞に近い記憶力もこのところ冴え渡っております。昨日もその友人といった焼肉屋で、その店は去年7月にも一緒に訪れているのですがお互いにやけにかわいい女性店員がいることは覚えており、まだ勤務を続けているのを見て懐かしいなぁとかぼやいていたのですが、

私「そういえば前来た時にあの子の日本語が上手だと君言ってたよね」
友人「えっ、そんなこと言ってたっけ?」
私「言ってたじゃん。わざわざ呼び止めてどこで習ったんだって聞いて、中国で独学したと聞いてなんか驚いてたでしょ」
友人「えー、そうだったけ?」
私「でもってやけにかわいいから、焼肉屋の勤務を十時くらいに終えてこのビルの上の階にあるスナックでそのまま勤務するんじゃないのとか、そういうことも話してたでしょ」

 という会話をしたのですが、どうもその友人はこの内容は忘れていたようです。
 別にこれに限らず相手がすっかり忘れていた会話の内容をやけに細かく長年覚え続けていることは私にとって珍しくないですが、なんか年末あたりからこの感覚がやけに鋭くなっており、敢えて口に出したりしませんが相手の顔を見るだけで「数ヶ月前はこういう会話したなぁ」とか頭の中でいろいろ巡ってきます。今まであまり意識はしてきませんでしたが、調子によってこの辺の記憶も左右されることが今回でよくわかりました。

映像記憶(Wikipedia)

 さすがに歴代の偉人たちと比べると程度の差こそあれ、自分ももしかしたらこれんじゃないかと過去に何度か疑っています。この「映像記憶」というのは自分は「直観像記憶」という言葉でこれまで呼んできてますが、要するに目で見た光景をチラ見で永久記憶にしてしまう能力のことを指しており、最近よく引用する南方熊楠なんかは他人の家で何十冊も本を読んで家に帰り、それらの本を一言一句丸写しにしまったことがあるということからこの能力の持ち主だと言われています。
 さすがにこの熊楠みたいな真似しろったって私にできるわけありませんが、佐藤優氏も「その時の光景映像と一緒に会話内容などを覚える」と言っており、私自身もやはり情景とともに会話の内容を思い出すことが多いです。

 ただこの記憶ですが、自分の場合はてんかん症を患っているのが地味に影響しているんじゃないかとも考えています。一応、中学生頃から意識的に記憶力を高めるように努力はしていますが、脳に関わるものだとどうもこっちの線を疑ってしまいます。何気に調子のいい時ほど急に発作が来ることもあるので、ここ一年は全く発作が来ていませんがちょっと体に注意をして過ごそうと思います。

2012年1月9日月曜日

日本は不況なのか

 なんかこのところ短い記事が続いているから今日あたりは長い記事を書こうとビゴーについて調べたりしてましたが、どうもそんなノリになりきらないので今日もまた短めになりそうです。ただ文章量は短い一方で、表現なんかはやけに調子がいいのが気になるんだけど。

 それでは本題に入りますが、先月の香港滞在中にやってきた友人とあれこれ話した中に、香港の景気の話がありました。現在、というより去年の香港の景気は本人らも認めるくらいにバブリーともいえる好景気で、日本で言えば丸の内に当たるセントラルの地価が一時は歴代最高にまで高騰した1997年の香港返還時を上回ったくらいでした。
 そうした私の話を聞いて友人も、街中を観察するにつけ「確かにバブルだよなぁ」とため息をよく漏らしていたのですが、そんな友人に対して私は、「そんな香港にいるからこそよく思うが、今の日本はみんな不況不況というけど俺には好景気を謳歌しているようにしか見えない」と話しました。

 普通に考えれば誰だっておかしいと思うし私自身もなんか間違っている気がしないでもないですが、それでも私は奇をてらってではなく真面目に日本の景気はいい状態だと考えています。国内だけ見ていると景気の悪いニュースしかありませんが、国際的に比較するなら日本の経済データは間違いなくほとんどの国を上回っており、こういってはなんですが景気が悪いと言うことがなにかおこがましいような気すらします。
 具体的なデータを片っ端からあげていくと、若年失業率は欧州先進国でも20%以上いくのが当たり前だし、物価と比較したパートタイムの給与も十分生活していけるどころか貯蓄すら貯められる、失業しても各種手当を受けられる、そしてなんといってもこれだけの円高にもかかわらず企業がなかなか潰れない点も見逃せません。

 さらに言えば、恐らく日本ではそれほど大きく報じられていないかと思いますが中国や香港では毎日と言っていいほど欧州の債務危機問題が経済紙に大きく載ります。それだけ危機感も強ければこの問題が悪化することで被る影響も多いからでしょうが、日本はいくらなんでもと思うくらいに報道に温度差が感じられます。この理屈は単純で、別に欧州の景気が悪くなったところで日本は中国をはじめとしたほかの国ほど影響を受けないからで、現実に今私が欧州での取引が多い企業を挙げるとすれば自動車のマツダくらいしか浮かびません。逆を言えば今後のマツダの経営が非常に気になるんだけど。
 さらにさらに言うと、世界的に見ても銀行を始めとした日本の金融系企業は現金もたらふく持っており、あっちこっちで悲鳴が上がる中でかなり余裕綽々な状態に見えます。中国の銀行も同様に大量の現金を持っていますが、今の日本は円高ということもあって今年は欧州系企業の大型買収が一気に進むんじゃないかと内心見ています。去年武田薬品がどっかの製薬企業を買収してその買収額が大きくニュースになりましたが、今年に入って1ユーロ=100円を切ったけど支払いはもう済んじゃったのだろうか。

 こういう風に思うのも海外にいるからかも知れませんが、厳しいことを言えば今の日本は余裕があるにもかかわらず苦しい苦しいと言って、苦しい振りする自分に酔っているようにしか見えません。ハングリーさを持てとは言いませんが、必要以上に自分を卑下するのは現状認識を危うくさせるだけだというのが今日の私の意見です。

2012年1月8日日曜日

与謝野晶子の教科書の扱いについて

与謝野晶子(Wikipedia)

 与謝野晶子とくれば明治から昭和にかけて活躍した女流歌人として中学生以上の日本人なら誰もが知っている人物ですが、実はここだけの話、私は教科書における彼女の扱いにかねてから不満を持っております。別に与謝野晶子に対して何か恨みがあるわけでもないですし彼女の業績、そして和歌は素人ながら高く評価しているのですが、日本の教科書では「日露戦争に対して和歌で反戦を主張した女性」として紹介されるのが我慢ならないのです。

 件の和歌というのは言うまでもないでしょうがいわゆる「君死にたまふことなかれ」で戦地に赴く弟の身を案じる歌だったのですが、確かにこの和歌が発表された当時は国よりも家族のことが大事なのかといろいろ批判を受け反戦思想家と思われたようですが、恐らくこの時の与謝野晶子の心境というのは単純に、戦争どうこうは無視してその歌の通りに弟のことだけを心配していただけかと言われております。というのも後年、与謝野晶子は第一次大戦、二次大戦の頃には「ガンバレ日本!」ってな感じの、日本の戦争勝利を祈るようなかなり好戦的な和歌を詠んでいるからで、本人も言っていますが根っからの反戦主義者でなかったというのは間違いないと言っていいでしょう。

 にも関わらずここまで与謝野晶子が「反戦主義者」として現代日本で祭り上げられているのは、はっきり言いますが橋本大阪府知事が現在目の敵にしている日教組をはじめとした一部の集団による事実歪曲があったからでしょう。こう考える根拠として、日露戦争時より明らかに言論弾圧が激しかったにもかかわらずシャレや冗談抜きで徹頭徹尾で反戦を主張し政府を批判し続けた、石橋湛山については「反戦主義者」として教科書では教えられていないからです。この理由はあくまで私の推測ですが、石橋湛山は戦後に自由民主党に在籍したからだと思います。

 一応、日露戦争時の反戦主義者としては与謝野晶子のほかにも内村鑑三(この人は根っからの反戦主義者、ってかお上嫌いだった人)もよく一緒に教えられていますが、私は与謝野晶子を反戦主義者だったと教えることは彼女の実情から認識を遠ざけてしまうと考えており、「まぁこんな歌も歌ってたよ」と教えるくらいの方がいいと思っています。

2012年1月7日土曜日

茶のしずく石鹸問題に対する消費者庁の不作為

消費者庁「茶のしずく」報告見過ごす 注意喚起に遅れ(朝日新聞)

 当初は見送ろうと思っていた事件ですが、やはり記録のために一筆書いておくことにします。
 発端となる事件は福岡県のせっけん製造販売会社「悠香」が販売する「茶のしずく石鹸」の利用者の間で、小麦アレルギーが発症したことでした。既に報道で知っている方も多いでしょうが、それまで何の不自由なく生活していた利用者たちはアレルギーの発症によって小麦を使った食品が一切食べられなくなったそうで、深い同情を覚えるとともに事件を引き起こした連中に対しては強い憤りを覚えます。

 ただこの事件で許せないのは販売する前にアレルギーの可能性を考えて検査をしなかった悠香はもとより、事件報告を受けていたにもかかわらず放置し、発表を遅らせたことで事件を拡大させた消費者庁の存在です。上記の朝日のリンク先によると、消費者庁は事件報告を受けてから注意喚起するまで七ヶ月も要しており、もし即座に発表してさえいれば被害の拡大が一程度防げたでしょう。今日の報道によると少なくとも569人が発症しており、潜在的な被害者は4桁にも上ると推定されております。

 こんにゃくゼリーに対する粘質的な態度をはじめ、かねてから私は消費者庁には強い疑念を持っておりました。福田康夫元首相は辞任時の記者会見にて在任時の成果としてこの消費者庁の創設を挙げておりましたが、仮に消費者庁が存在などせず従来の部署がこの茶のしずく問題に当たっていれば被害の拡大を防げたかもしれないと思うと、随分と余計なものを作ってくれたものだと思わざるを得ません。あれだけこんにゃくゼリーに構っている暇があったのに、どうしてこの問題には常識的な対応が取れなかったのか疑問極まります。ただの張りぼてなど必要なはずはなく、早めに消費者庁は潰れてくれた方が世のためだと私は考えます。