今年に入りやけに絶好調が続いていて今も感覚とかがやけに鋭い状態が続いているのですが、今日になってようやく自分が疲れていることになんか気が付きました。前にも一回書きましたが、人間満ち足りた状態だと感覚が鈍る傾向があり、逆にちょっと疲れたり打ち込まれている状態の方がものを書くに当たってはいいような気がします。精神的にはあんまよくないかもしれないけど。
そんなことはさておき本題に移りますが、そろそろ次期衆院選の日程について考えてもいい頃なので、ちょっとこのテーマでこのところ不足しがちな政治記事を書こうと思います。
まず現在の民主党政権についてですが、野田首相に代わった後は消費税増税論議が大きくなるなど悪くない面もありますが、全体的に見るならやはりまだ実行力に乏しいだけでなくビジョンも小さいため、少なくとも私にとっては不満が多い政権です。ただこうした見方がどうやら大半のようで、詳しい数字は出しませんが支持率も低迷に喘いでおり、この後回復する手段もないことを考えると恐らく解散までこのまま低空飛行をし続けることとなるでしょう。
それで解散の時期ですが、一応現在の衆議院の任期は2013年8月まであるので最長で1年以上の猶予はあります。ただ基本的に支持率の低い政権は解散したところで負けることが必定なため、恐らく麻生政権同様に任期ギリギリまで粘って民主党は自ら解散に打って出ることはないでしょう。また自民党もはっきり言って民主党以上にひどい状態が続いており、谷垣総裁もオウムみたいに「解散するしかない」としか言わないので決定的なダメージを与えて解散に追い込むことは不可能とこちらは断言します。
となるとやっぱり来年夏まで持越し、ってことになるわけですが実はこれだと私は非常にまずいんじゃないかと内心考えています。恐らくこんな大胆な考え方をするのは冗談抜きで私だけの可能性もありますが、今私が一番気になっているのはほかならぬ現天皇陛下の容体です。無理して強行する必要はありませんが衆議院の解散には天皇の儀礼がこれまで必要とされているだけに、皇太子が代行することも考えられますが天皇の容体によってはスケジュールがいろいろと面倒になる可能性があるのではと気にしています。
さらに一ブロガーとして冷徹な意見を言わせてもらうと、仮に来年の春とか夏頃に万が一のことがあった場合は選挙どころではなくなることもあり、政治的混乱がそのまま社会的混乱にまで一気に直結する可能性すらあります。政治力学で考えるなら、敢えてこのタイミングで解散に出て損害を出来るだけ少なくする戦略というのもあり得ますが。
じゃあ一体いつの時期に解散、総選挙をすればいいのかですが、大事を取るなら今年の秋から冬にかけてが一番差し障りが少ないのではと予想します。といっても解散したところで現在の日本政治は争点という争点がなく、仮に自民党が復権したところで状況は今以上に悪くなるだけでなんら前進することはないでしょう。一つ希望があるとしたら前にも一回だけ書いたことがあるように、ここまで日本の政治をダメにさせた比例選挙制を廃止することが一番だと思えるだけに、野田首相には真面目に政治生命を賭して選挙制度改革に取り組んでほしいというのが今日の私の意見です。
久々の政治記事だけど、やはり書き上げるのがやけに早いな(;´Д`)
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2012年2月26日日曜日
2012年2月25日土曜日
日本に影響を残した外国人~アーネスト・サトウ
前からやりたかったのもあり、今日は幕末から明治にかけて活躍した英外交官のアーネスト・サトウを取り上げます。
・アーネスト・サトウ(Wikipedia)
まず名前からして一見「ハーフなのか?」と疑わせるような苗字していますが、確かにハーフではあるものの父親がドイツ人、母親がイギリス人の歴としたイギリス人で、日系の血は入っておりません。ただ日本になじみ深い苗字であったことから、日本で生活する上では大いに役に立ったと本人も言っております。
早速本題に入りますが、サトウは英外務省に入省すると19歳で通訳生として1862年に来日します。当初は日本語の力量も高くなくていろいろ苦労したそうですが、徐々に上達してくると伊藤博文や高杉晋作といった長州藩士らと交流を深め、幕末の日英外交に深くかかわるようになります。
そんな彼が日本中に一躍名前を知られるようになったきっかけは、当時在日外国人の間で読まれていたジャパン・タイムズに1866年に寄稿した文章でした。その寄稿分というのは「英国策論」といって、主な内容はウィキペディアから抜粋すると以下の三点に絞られます。
・将軍は主権者ではなく諸侯連合の首席に過ぎず、現行の条約はその将軍とだけ結ばれたものである。従って現行条約のほとんどの条項は主権者ではない将軍には実行できないものである。
・独立大名たちは外国との貿易に大きな関心を持っている。
・現行条約を廃し、新たに天皇及び連合諸大名と条約を結び、日本の政権を将軍から諸侯連合に移すべきである。
読んでもらえばわかりますが、非常に大胆な内容になっております。現代に例えて言うなら「有力な県が政府を倒すべき」と言っているに等しいです。これを読んで狂喜したのはほかでもなく攘夷派の薩摩藩や長州藩でした。著者名も匿名だったのにどっからか漏れたのかサトウだとばれており、本人の意図しないところであちこちで流布され、どうもイギリスと接近していた薩摩藩などでは「イギリスは倒幕を支援していると表明した」と喧伝していたようです。
ただ実際の歴史も嘘から出た誠とというべきか、その後イギリスはパークス公司らによって薩摩藩と完全な協力関係になります。この過程でサトウも西郷隆盛らと親交を深めたと言われ、戊辰戦争の開戦後も明治天皇と謁見するなど日本史の一舞台に立ち会うこととなりました。
明治期に移った後もサトウは外交官として日本に留まり、何度か本国に一時帰国することはあっても長い期間を日本で過ごしております。またこの間、日本人女性の武田兼との間に二人の息子までもうけています。そして1883年に一旦離任してほかの国に移りますが1895年には駐日特命全権公使となり再び日本に戻り勤務を続け、最終的な在日歴は25年にも上りました。晩年はイギリスに戻り、そのまま没しております。
以上がウィキペディアの記述を抜粋してまとめた内容ですが、こっから自分の真価発揮というかかつて映画の「ラストサムライ」公開に合わせて放送された「その時、歴史が動いた」で紹介されていたエピソードを紹介します。それにしても9年前の放送内容をよく覚えているもんだ。
まずは取るに足らないエピソードですが、サトウが日本で「面倒くさいな」と思ったものとして、席順の習慣があったそうです。曰く、「日本人は複数人で集まる際、だれが上座に座るかで揉めてなかなか始められない」だそうです。この話を聞いてから下宿の私の部屋で集まる際、新入りが来る際はわざと机の上に方位磁針を置いて上座を意識するかどうかを試すようになりましたが、みんなちゃんと意識して話題にするあたり同じ日本人です。
もう一つのエピソードは先ほども出てきた西郷隆盛に関するものですが、どうもサトウは西郷に対しては軒並みならぬ親交を持っていたようで、西南戦争に出陣する直前の西郷とも会っていたようです。また勃発後も東京で勝海舟と会い、西郷の助命を嘆願したそうです。ただサトウの助命嘆願に対して勝は、ここで死ぬのが西郷にとっても望みだとして、特に運動はしなかったようです。このエピソードを引いて司会の松平定知氏は、「サトウにとってのラストサムライは西郷だったのかもしれない」といって番組をまとめていました。
幕末の歴史問題でパークスは出てくることはありますが、サトウが出てくることはまずありえません。しかし私は幕末期の志士らの思想に大きな影響を与える文章を発表していることから彼の功績は決して小さくないとみており、もうちょっと大きく取り上げてもらいたいなとかねがね思っております。
・アーネスト・サトウ(Wikipedia)
まず名前からして一見「ハーフなのか?」と疑わせるような苗字していますが、確かにハーフではあるものの父親がドイツ人、母親がイギリス人の歴としたイギリス人で、日系の血は入っておりません。ただ日本になじみ深い苗字であったことから、日本で生活する上では大いに役に立ったと本人も言っております。
早速本題に入りますが、サトウは英外務省に入省すると19歳で通訳生として1862年に来日します。当初は日本語の力量も高くなくていろいろ苦労したそうですが、徐々に上達してくると伊藤博文や高杉晋作といった長州藩士らと交流を深め、幕末の日英外交に深くかかわるようになります。
そんな彼が日本中に一躍名前を知られるようになったきっかけは、当時在日外国人の間で読まれていたジャパン・タイムズに1866年に寄稿した文章でした。その寄稿分というのは「英国策論」といって、主な内容はウィキペディアから抜粋すると以下の三点に絞られます。
・将軍は主権者ではなく諸侯連合の首席に過ぎず、現行の条約はその将軍とだけ結ばれたものである。従って現行条約のほとんどの条項は主権者ではない将軍には実行できないものである。
・独立大名たちは外国との貿易に大きな関心を持っている。
・現行条約を廃し、新たに天皇及び連合諸大名と条約を結び、日本の政権を将軍から諸侯連合に移すべきである。
読んでもらえばわかりますが、非常に大胆な内容になっております。現代に例えて言うなら「有力な県が政府を倒すべき」と言っているに等しいです。これを読んで狂喜したのはほかでもなく攘夷派の薩摩藩や長州藩でした。著者名も匿名だったのにどっからか漏れたのかサトウだとばれており、本人の意図しないところであちこちで流布され、どうもイギリスと接近していた薩摩藩などでは「イギリスは倒幕を支援していると表明した」と喧伝していたようです。
ただ実際の歴史も嘘から出た誠とというべきか、その後イギリスはパークス公司らによって薩摩藩と完全な協力関係になります。この過程でサトウも西郷隆盛らと親交を深めたと言われ、戊辰戦争の開戦後も明治天皇と謁見するなど日本史の一舞台に立ち会うこととなりました。
明治期に移った後もサトウは外交官として日本に留まり、何度か本国に一時帰国することはあっても長い期間を日本で過ごしております。またこの間、日本人女性の武田兼との間に二人の息子までもうけています。そして1883年に一旦離任してほかの国に移りますが1895年には駐日特命全権公使となり再び日本に戻り勤務を続け、最終的な在日歴は25年にも上りました。晩年はイギリスに戻り、そのまま没しております。
以上がウィキペディアの記述を抜粋してまとめた内容ですが、こっから自分の真価発揮というかかつて映画の「ラストサムライ」公開に合わせて放送された「その時、歴史が動いた」で紹介されていたエピソードを紹介します。それにしても9年前の放送内容をよく覚えているもんだ。
まずは取るに足らないエピソードですが、サトウが日本で「面倒くさいな」と思ったものとして、席順の習慣があったそうです。曰く、「日本人は複数人で集まる際、だれが上座に座るかで揉めてなかなか始められない」だそうです。この話を聞いてから下宿の私の部屋で集まる際、新入りが来る際はわざと机の上に方位磁針を置いて上座を意識するかどうかを試すようになりましたが、みんなちゃんと意識して話題にするあたり同じ日本人です。
もう一つのエピソードは先ほども出てきた西郷隆盛に関するものですが、どうもサトウは西郷に対しては軒並みならぬ親交を持っていたようで、西南戦争に出陣する直前の西郷とも会っていたようです。また勃発後も東京で勝海舟と会い、西郷の助命を嘆願したそうです。ただサトウの助命嘆願に対して勝は、ここで死ぬのが西郷にとっても望みだとして、特に運動はしなかったようです。このエピソードを引いて司会の松平定知氏は、「サトウにとってのラストサムライは西郷だったのかもしれない」といって番組をまとめていました。
幕末の歴史問題でパークスは出てくることはありますが、サトウが出てくることはまずありえません。しかし私は幕末期の志士らの思想に大きな影響を与える文章を発表していることから彼の功績は決して小さくないとみており、もうちょっと大きく取り上げてもらいたいなとかねがね思っております。
2012年2月24日金曜日
搾取する者、される者
ネット上で大きな騒ぎになっていると同時に、私自身も思うことがあるので今日は下記のワタミ従業員自殺のニュースについて書きます。
・ワタミ従業員自殺:ストレス原因と労災認定(毎日新聞)
詳細はリンク先の記事を読んでもらえばわかりますが、居酒屋チェーンのワタミに入社した女性が入社二ヶ月後に自殺した件についてこの度、裁判所が労災と認定しました。報道によるとこの女性は入社したばかりにもかかわらず月の残業時間が140時間を超えていたとされ、しかも研修らしい研修も受けられず深夜業務を課されていたそうです。
ネット上では今回の判決を受けワタミに対する批判が集まっているようで自分も一部の掲示板を見ましたが、渡邊会長の過去の発言とよく比較されており、こういってはなんですが不当な批判だとは感じませんでした。いくらか抜粋すると、「自殺が起こる社会というのはなにかが欠けている証拠だ(じゃあお前の会社は何が欠けてるんだよ)」とか言ってたり、部下に向かってビルの窓から突然飛び降りろと命令したりとか。
そうした議論の中に、「こういう過重労働させられている従業員が多いから、居酒屋チェーンには行きたくないんだ」という意見がありましたが、元々脂っこい料理が嫌いなせいもありますが私も同じ理由で、日本にいた頃は居酒屋チェーンを避ける傾向がありました。特に数年前からはやはり重労働であることからか、深夜時間帯はどこいっても留学生と思しき外国人従業員ばかりが勤務しており、同じ日本人ですら酔っぱらいの相手は大変だというのに、ある意味ではお客さんと言ってもいい留学生にこんな仕事を任せていいのだろうかと強い嫌悪感を感じたこともありました。
またこれと同時に、居酒屋に限らずこうした外食チェーンの経営者は現場を見ているのか、実際に自分は同じ条件で働いてみたことがあるのかという疑問もよく覚えます。実際に利用して話に聞く限りですが、こうしたチェーン店の従業員の勤務状況はまさに超人的で、体を壊したりしない方が不思議に思うくらいです。それでていて賃金は安いと聞きますし、その上で最近はやたらめったらに妙なクレーマーが増えていることを考えると自分なんかじゃとても務められる自信がありません。
こうしたことを踏まえて言うと、今に始まるわけじゃありませんが自分より上の世代に「最近の若者は働くことに対する意欲が少ない」とは全く以って言われたくありません。自分たちの世代は上の世代に比べて昇給もなければボーナス額も少ない上、携帯電話とかネットなど変に情報通信機器が発達したおかげで24時間どこでも働けるようになって、労働環境の厳しさは比較にならないほど高まっていると言い切ってもいいです。こんな環境でも文句も言わず働いている自分たち世代と比べると、やる気が低いという事実は認めてもいいですが頑張りが足りないとか言われるのは心外この上ありません。
さらに踏み込んでいうと、やや古めかしい言い方ですが現代社会では明確に搾取というものが起こっているように感じます。このワタミの例なんか典型ですが、本当に他人を酷使して殺したところで屁とも思わない連中ほど「会社を急成長させた」とか言われてでかい顔しているは非常に気に食わないです。言ってしまえばなんで会社が急成長したのかといえば、その経営者の手腕が優れているというよりは従業員を酷使して、その犠牲の上で成長させたようにしか見えない企業が数多くあります。昔は松下さんがこの典型でしたが、金儲けがうまいと誉めるのはいいけど人格的にはむしろ批判されるべきで、安倍元首相みたいに諮問委員会に招くというのはお門違いもいいところでしょう。
私は身を削って働くこと、それを推奨することについては批判をしません。そして身を削ってまで働こうとしない自分が、そういうことを是とする人たちに批判されることに対しては甘んじて受けます。だがしかし、他人には死ぬくらい身を削って働くことを強制しておきながら相応の対価を支払わず、自分だけがのうのうとしながら丸儲けをする人間は明確な私の敵です。たとえそれが世の中の常、現実としてそびえているとしても、それを良いと思うかどうかは別です。
人によってはそうした構図を是認することで競争力が維持され、世の中は回るんだという人もいるかもしれません。しかし自分は、そうやって是認してきた姿こそが今の日本だとみており、ひいてはデフレを起こして競争力が失われたと考えています。またΖガンダムのカミーユ・ビダンじゃないですが、優しい人間のいない世界を作って何になるんだよと言いたいです。自分自身はそれでよくったって、そんな世界を次の世代、今の子供たちの世代に引き継がせていいのかというのが常々主張している私の意見です。
・ワタミ従業員自殺:ストレス原因と労災認定(毎日新聞)
詳細はリンク先の記事を読んでもらえばわかりますが、居酒屋チェーンのワタミに入社した女性が入社二ヶ月後に自殺した件についてこの度、裁判所が労災と認定しました。報道によるとこの女性は入社したばかりにもかかわらず月の残業時間が140時間を超えていたとされ、しかも研修らしい研修も受けられず深夜業務を課されていたそうです。
ネット上では今回の判決を受けワタミに対する批判が集まっているようで自分も一部の掲示板を見ましたが、渡邊会長の過去の発言とよく比較されており、こういってはなんですが不当な批判だとは感じませんでした。いくらか抜粋すると、「自殺が起こる社会というのはなにかが欠けている証拠だ(じゃあお前の会社は何が欠けてるんだよ)」とか言ってたり、部下に向かってビルの窓から突然飛び降りろと命令したりとか。
そうした議論の中に、「こういう過重労働させられている従業員が多いから、居酒屋チェーンには行きたくないんだ」という意見がありましたが、元々脂っこい料理が嫌いなせいもありますが私も同じ理由で、日本にいた頃は居酒屋チェーンを避ける傾向がありました。特に数年前からはやはり重労働であることからか、深夜時間帯はどこいっても留学生と思しき外国人従業員ばかりが勤務しており、同じ日本人ですら酔っぱらいの相手は大変だというのに、ある意味ではお客さんと言ってもいい留学生にこんな仕事を任せていいのだろうかと強い嫌悪感を感じたこともありました。
またこれと同時に、居酒屋に限らずこうした外食チェーンの経営者は現場を見ているのか、実際に自分は同じ条件で働いてみたことがあるのかという疑問もよく覚えます。実際に利用して話に聞く限りですが、こうしたチェーン店の従業員の勤務状況はまさに超人的で、体を壊したりしない方が不思議に思うくらいです。それでていて賃金は安いと聞きますし、その上で最近はやたらめったらに妙なクレーマーが増えていることを考えると自分なんかじゃとても務められる自信がありません。
こうしたことを踏まえて言うと、今に始まるわけじゃありませんが自分より上の世代に「最近の若者は働くことに対する意欲が少ない」とは全く以って言われたくありません。自分たちの世代は上の世代に比べて昇給もなければボーナス額も少ない上、携帯電話とかネットなど変に情報通信機器が発達したおかげで24時間どこでも働けるようになって、労働環境の厳しさは比較にならないほど高まっていると言い切ってもいいです。こんな環境でも文句も言わず働いている自分たち世代と比べると、やる気が低いという事実は認めてもいいですが頑張りが足りないとか言われるのは心外この上ありません。
さらに踏み込んでいうと、やや古めかしい言い方ですが現代社会では明確に搾取というものが起こっているように感じます。このワタミの例なんか典型ですが、本当に他人を酷使して殺したところで屁とも思わない連中ほど「会社を急成長させた」とか言われてでかい顔しているは非常に気に食わないです。言ってしまえばなんで会社が急成長したのかといえば、その経営者の手腕が優れているというよりは従業員を酷使して、その犠牲の上で成長させたようにしか見えない企業が数多くあります。昔は松下さんがこの典型でしたが、金儲けがうまいと誉めるのはいいけど人格的にはむしろ批判されるべきで、安倍元首相みたいに諮問委員会に招くというのはお門違いもいいところでしょう。
私は身を削って働くこと、それを推奨することについては批判をしません。そして身を削ってまで働こうとしない自分が、そういうことを是とする人たちに批判されることに対しては甘んじて受けます。だがしかし、他人には死ぬくらい身を削って働くことを強制しておきながら相応の対価を支払わず、自分だけがのうのうとしながら丸儲けをする人間は明確な私の敵です。たとえそれが世の中の常、現実としてそびえているとしても、それを良いと思うかどうかは別です。
人によってはそうした構図を是認することで競争力が維持され、世の中は回るんだという人もいるかもしれません。しかし自分は、そうやって是認してきた姿こそが今の日本だとみており、ひいてはデフレを起こして競争力が失われたと考えています。またΖガンダムのカミーユ・ビダンじゃないですが、優しい人間のいない世界を作って何になるんだよと言いたいです。自分自身はそれでよくったって、そんな世界を次の世代、今の子供たちの世代に引き継がせていいのかというのが常々主張している私の意見です。
2012年2月23日木曜日
水木しげる伝説
なんかありそうでないような感じがするので、私が尊敬してやまない水木しげる大先生の伝説的なエピソードをまとめてみようと思います。水木氏は以前に朝ドラで「ゲゲゲの女房」が報じられたことからその奇人ぶりなどが一部伝わったものの、評論家の呉智英氏をして「水木しげるの最高傑作は水木しげる」と言わしめるだけあって、明らかに常人離れしたエピソードが数多いです。このところ友人(特に松戸の)がスカイプに出てくれないこともあるので、自分の有り余る記憶力を存分に使って書いてこうと思います。
エピソード一覧
・死というものがどんなものかわからず、5歳の時に弟を海に落として死なせてみようとする。途中でばれてものすごく怒られた。
・あまりにもぼーっとしているので、小学校の入学を一年遅らされた。
・いつでもどこでもおならをすることが出来た。
・自宅に動物園を作ろうと兄弟で動物を集めまくるが、飼育が下手でみんな死なせてしまった。
・15歳で大阪の印刷所に働きに出るが、遅刻欠勤を繰り返して2ヶ月クビになる。その後も行く先々を短期でクビになる。
・東京芸大に進学希望を持ち、受験資格を得るためにまず大阪府立園芸学校に入ろうと受験する。面接試験で志望理由を「東京芸大の受験資格を得るため」と正直に告白し、不合格となる。なおこの時の受験者数は51人で、合格者は50人だった。
・軍隊から徴兵を受け、入隊する前に死を意識してゲーテなど哲学書を読み漁る。
・入隊後、そのマイペース振りから将校と間違えられ風呂で年長兵から背中を流される。後でばれて思い切りひっぱたかれる。
・軍隊でラッパ係となるが全く拭けなかったため配置転換を受ける。「北か南か」と聞かれて「北は寒いから南」と答えて、激戦地ラバウルへ送られる。
・ラバウルまでの輸送中、敵船から魚雷攻撃を受ける。水中を泳ぐ魚雷を見て笑ってたらひっぱたかれる。
・ラバウルで所属していた小隊が全滅した中、一人生き残る。原隊へ逃亡中に現地住民にも襲われるが九死に一生を得る。なおこの時の夜間移動中、ある場所でぬりかべが立っているように押しても引いても全く先に進めない空間に出くわす体験をする。夜が明けるとその先は崖下だった。
・ラバウルの司令官、今村均に「やけに太った兵隊だな」と言われる。なお終戦直後、今村均が全兵士に対して「一人残らず日本へ帰国させてみせる」という訓示を受け、なんとなく生きて帰れる実感がわいたと述べている。
・ラバウルの現地住民に聖書を読み聞かせるなど交流を深め、現地除隊してそのまま住もうかと考えた。
・帰国後、魚屋やタクシーのリース業など様々な商売に手を出し、その後紙芝居作家から貸本漫画家へとなる。
・貸本漫画家時代は極貧で、原稿料をもらうための電車代を質屋に借りる始末だった。
・40歳前に見合いから5日で結婚。見合いについては「嫁の隣にいる父親の顔が異常に長かったため、嫁の顔の長さが当時はわからなかった」と述べている。
・40歳を超えて初めて「テレビくん」がヒット作となる。その後「鬼太郎」の連載も始まって激務となり、このころのことを元アシスタントの池上遼一は、「前夜に誰かがもんじゃ焼きが食べたいなと言ったから、次の妖怪は『なんじゃもんじゃ』だと決めるくらい忙しかった」と述懐している。
・80年代にスランプとなり、「妖怪なんて非科学的なもん、いるわけないだろ」と漏らすほどピンチになる。ただ娘が修学旅行先で目々連を見たと言ったことから奇跡の復活を遂げる。
・86歳時、昼食にメガマックとポテトを完食。このほかピザなども丸々平らげている。
・宝塚の遊園地で鬼太郎のイベントがあったことを手塚治虫に八つ当たり気味に文句言われ、手塚の嫉妬深さを皮肉る「一番病」という作品を書く。手塚は手塚で水木に対抗して「どろろ」を書いた。
・手塚、石ノ森が早世したことについて「徹夜自慢は早死にする」と述べ、自分はマイペースでよく寝ていることをアピール。
・補聴器を一時期、聞こえる方の耳につけていた。
エピソード一覧
・死というものがどんなものかわからず、5歳の時に弟を海に落として死なせてみようとする。途中でばれてものすごく怒られた。
・あまりにもぼーっとしているので、小学校の入学を一年遅らされた。
・いつでもどこでもおならをすることが出来た。
・自宅に動物園を作ろうと兄弟で動物を集めまくるが、飼育が下手でみんな死なせてしまった。
・15歳で大阪の印刷所に働きに出るが、遅刻欠勤を繰り返して2ヶ月クビになる。その後も行く先々を短期でクビになる。
・東京芸大に進学希望を持ち、受験資格を得るためにまず大阪府立園芸学校に入ろうと受験する。面接試験で志望理由を「東京芸大の受験資格を得るため」と正直に告白し、不合格となる。なおこの時の受験者数は51人で、合格者は50人だった。
・軍隊から徴兵を受け、入隊する前に死を意識してゲーテなど哲学書を読み漁る。
・入隊後、そのマイペース振りから将校と間違えられ風呂で年長兵から背中を流される。後でばれて思い切りひっぱたかれる。
・軍隊でラッパ係となるが全く拭けなかったため配置転換を受ける。「北か南か」と聞かれて「北は寒いから南」と答えて、激戦地ラバウルへ送られる。
・ラバウルまでの輸送中、敵船から魚雷攻撃を受ける。水中を泳ぐ魚雷を見て笑ってたらひっぱたかれる。
・ラバウルで所属していた小隊が全滅した中、一人生き残る。原隊へ逃亡中に現地住民にも襲われるが九死に一生を得る。なおこの時の夜間移動中、ある場所でぬりかべが立っているように押しても引いても全く先に進めない空間に出くわす体験をする。夜が明けるとその先は崖下だった。
・ラバウルの司令官、今村均に「やけに太った兵隊だな」と言われる。なお終戦直後、今村均が全兵士に対して「一人残らず日本へ帰国させてみせる」という訓示を受け、なんとなく生きて帰れる実感がわいたと述べている。
・ラバウルの現地住民に聖書を読み聞かせるなど交流を深め、現地除隊してそのまま住もうかと考えた。
・帰国後、魚屋やタクシーのリース業など様々な商売に手を出し、その後紙芝居作家から貸本漫画家へとなる。
・貸本漫画家時代は極貧で、原稿料をもらうための電車代を質屋に借りる始末だった。
・40歳前に見合いから5日で結婚。見合いについては「嫁の隣にいる父親の顔が異常に長かったため、嫁の顔の長さが当時はわからなかった」と述べている。
・40歳を超えて初めて「テレビくん」がヒット作となる。その後「鬼太郎」の連載も始まって激務となり、このころのことを元アシスタントの池上遼一は、「前夜に誰かがもんじゃ焼きが食べたいなと言ったから、次の妖怪は『なんじゃもんじゃ』だと決めるくらい忙しかった」と述懐している。
・80年代にスランプとなり、「妖怪なんて非科学的なもん、いるわけないだろ」と漏らすほどピンチになる。ただ娘が修学旅行先で目々連を見たと言ったことから奇跡の復活を遂げる。
・86歳時、昼食にメガマックとポテトを完食。このほかピザなども丸々平らげている。
・宝塚の遊園地で鬼太郎のイベントがあったことを手塚治虫に八つ当たり気味に文句言われ、手塚の嫉妬深さを皮肉る「一番病」という作品を書く。手塚は手塚で水木に対抗して「どろろ」を書いた。
・手塚、石ノ森が早世したことについて「徹夜自慢は早死にする」と述べ、自分はマイペースでよく寝ていることをアピール。
・補聴器を一時期、聞こえる方の耳につけていた。
2012年2月22日水曜日
名古屋市長の南京大虐殺発言に対する反応
・河村市長、南京発言撤回せず 重ねて「大虐殺無かった」(朝日新聞)
期待もされていることでしょうし、物議を読んでいる名古屋の河村市長の発言に対する中国現地の反応を今日はお届けしようかと思います。それにしても仕事中にもたくさん読んでいるのに、家帰ってまで中国の新聞読んでると本当にしんどくなる……。
まず事の発端となった河村市長の発言ですが、なんでも名古屋市と友好都市関係を結んでいる南京市の代表団が訪問した際に、彼らの面前で「南京大虐殺はなかった」と主張したそうです。しかもその根拠というのも「俺の親父は従軍して南京に行ったが、現地の中国人に歓迎された」というもので、歓迎されるくらいなんだから虐殺なんてなかったという展開だそうです。事の真偽は別として、こんな根拠でケンカ売るような発言するのかよと一見して思います。
それで本題の今日の中国の反応ですが、やはりどの新聞も写真入りで非常にでっかく取り上げて、上海のローカル紙なんかどこで見つけてきたのか河村市長がどっかでカレーうどんを食っている最中の写真を載せてきました。報道内容は基本的に日本で報じられているものと同じで、くれぐれも言っておきますが極端な歪曲の類は一切ありません。むしろ今回の騒動で名古屋市側が、「あの発言は市長個人の考えによるもので、名古屋市を代表するものではない」という発表をどこも引用しており、落ち着いた報道の仕方をしていると思えます。
ただこちらでは河村市長を批判するとともに、面前でこの発言を受けた南京市の代表団に対しても批判が集まっております。というのもある中国系通信社が今回の件で名古屋市に取材を行い、名古屋市の職員の話として、「今回の発言を受けた南京市の代表団はその場では抗議せず、すぐに話題を変えた」と報じたからです。ちなみにこの通信社はその名古屋市職員のことを「榎本先生(中国語で「先生」は日本語の「~さん」)」と書いており、「非常に誠実に対応してくれた」としています。
私個人の意見を書かせてもらうと、中国側の反応としては今回の発言は「日本人の態度」というよりは「河村市長個人の態度」として受けているように思います。そういう意味ではまだ落ち着いた反応をしており極端な政治問題にまでは発展しないかとは思うのですが、今年は日中国交回復40周年ということでいろいろ式典とかがこっちでも予定されているのですが、これらがもしかしたら一部プログラム変更とかになったりする可能性があるかもしれません。
あと私の南京大虐殺に対する考え方ですが、率直に言うとこれは歴史や政治問題にして「得」をする人間が日中双方にいるため、まだしばらくは解決しないでしょう。具体的に誰がどう得をするのかについては突き放させてもらいますが、これを飯のタネにしている日本人もたくさんいることだけは断言してもいいです。このような観点から、何がどう真実であるかを調べる以前に今はただ熱を冷ますことだけがこの問題の対処として一番正しいと私は考えています。
最後にもう一件、日本人絡みの下記ニュースが本日中国紙でも報じられていました。
・中国:武漢で日本人の自転車盗難 ネットで5万人が捜索協力、奇跡…手元に戻った(毎日新聞)
このニュースの内容というのも、自転車で世界一周旅行中の河原啓一郎さんが湖北省武漢市に滞在中、なんと自転車を盗まれてしまったそうです。河原さんには誠に申し訳ないのですが、あまりにも中国らしい展開だったので昨日にこのニュースを見た時はえらい笑ってしまったのですが、なんでもこのニュースは武漢市現地でも大きく取り上げられていたようで、中国版ツイッターこと微薄でみんなして連絡を取り合い、なんと奇跡的に河原さんの自転車が見つかり本人の所へ戻ってきたようです。
自分はこのニュースを今日付けのチャイナデイリーで読んだのですが、こちらも河村市長に負けず非常に大きな扱いで、でかい写真付きで堂々と載せられておりました。ただチャイナデイリーの記事だと河原さんの年齢は28歳と書いてあり、毎日の27歳と一つ差がありましたが。あと河原さんの自転車の行方ですが、なんでも中古自転車屋で1000元(約12万円)で売られてたそうです。今自分が買おうと思っているスポーツ用自転車が新品で1000元くらいだから、河原さんの自転車は相当いい自転車なんだろうな。
期待もされていることでしょうし、物議を読んでいる名古屋の河村市長の発言に対する中国現地の反応を今日はお届けしようかと思います。それにしても仕事中にもたくさん読んでいるのに、家帰ってまで中国の新聞読んでると本当にしんどくなる……。
まず事の発端となった河村市長の発言ですが、なんでも名古屋市と友好都市関係を結んでいる南京市の代表団が訪問した際に、彼らの面前で「南京大虐殺はなかった」と主張したそうです。しかもその根拠というのも「俺の親父は従軍して南京に行ったが、現地の中国人に歓迎された」というもので、歓迎されるくらいなんだから虐殺なんてなかったという展開だそうです。事の真偽は別として、こんな根拠でケンカ売るような発言するのかよと一見して思います。
それで本題の今日の中国の反応ですが、やはりどの新聞も写真入りで非常にでっかく取り上げて、上海のローカル紙なんかどこで見つけてきたのか河村市長がどっかでカレーうどんを食っている最中の写真を載せてきました。報道内容は基本的に日本で報じられているものと同じで、くれぐれも言っておきますが極端な歪曲の類は一切ありません。むしろ今回の騒動で名古屋市側が、「あの発言は市長個人の考えによるもので、名古屋市を代表するものではない」という発表をどこも引用しており、落ち着いた報道の仕方をしていると思えます。
ただこちらでは河村市長を批判するとともに、面前でこの発言を受けた南京市の代表団に対しても批判が集まっております。というのもある中国系通信社が今回の件で名古屋市に取材を行い、名古屋市の職員の話として、「今回の発言を受けた南京市の代表団はその場では抗議せず、すぐに話題を変えた」と報じたからです。ちなみにこの通信社はその名古屋市職員のことを「榎本先生(中国語で「先生」は日本語の「~さん」)」と書いており、「非常に誠実に対応してくれた」としています。
私個人の意見を書かせてもらうと、中国側の反応としては今回の発言は「日本人の態度」というよりは「河村市長個人の態度」として受けているように思います。そういう意味ではまだ落ち着いた反応をしており極端な政治問題にまでは発展しないかとは思うのですが、今年は日中国交回復40周年ということでいろいろ式典とかがこっちでも予定されているのですが、これらがもしかしたら一部プログラム変更とかになったりする可能性があるかもしれません。
あと私の南京大虐殺に対する考え方ですが、率直に言うとこれは歴史や政治問題にして「得」をする人間が日中双方にいるため、まだしばらくは解決しないでしょう。具体的に誰がどう得をするのかについては突き放させてもらいますが、これを飯のタネにしている日本人もたくさんいることだけは断言してもいいです。このような観点から、何がどう真実であるかを調べる以前に今はただ熱を冷ますことだけがこの問題の対処として一番正しいと私は考えています。
最後にもう一件、日本人絡みの下記ニュースが本日中国紙でも報じられていました。
・中国:武漢で日本人の自転車盗難 ネットで5万人が捜索協力、奇跡…手元に戻った(毎日新聞)
このニュースの内容というのも、自転車で世界一周旅行中の河原啓一郎さんが湖北省武漢市に滞在中、なんと自転車を盗まれてしまったそうです。河原さんには誠に申し訳ないのですが、あまりにも中国らしい展開だったので昨日にこのニュースを見た時はえらい笑ってしまったのですが、なんでもこのニュースは武漢市現地でも大きく取り上げられていたようで、中国版ツイッターこと微薄でみんなして連絡を取り合い、なんと奇跡的に河原さんの自転車が見つかり本人の所へ戻ってきたようです。
自分はこのニュースを今日付けのチャイナデイリーで読んだのですが、こちらも河村市長に負けず非常に大きな扱いで、でかい写真付きで堂々と載せられておりました。ただチャイナデイリーの記事だと河原さんの年齢は28歳と書いてあり、毎日の27歳と一つ差がありましたが。あと河原さんの自転車の行方ですが、なんでも中古自転車屋で1000元(約12万円)で売られてたそうです。今自分が買おうと思っているスポーツ用自転車が新品で1000元くらいだから、河原さんの自転車は相当いい自転車なんだろうな。
追い求めるべき幸福とは 後編
昨日に引き続き、幸福論の話です。
まず最初に今回の件で何が一番言いたいのかというと、幸福というものは個々人によって完全にバラバラで、定型というものはまるでないということです。前の記事でも書きましたが私にとってすると一般的な幸福の条件は少なくとも「快」の条件になるというわけではなく、場合によっては「不快」な条件に適合することすらあります。私みたいなのは明らかに例外ではあるものの、断言してもいいですが幸福の条件は個々人によって確実に個人差があり、画一的な条件が決まっているわけではありません。
これが何を意味するかというと、幸福の定型とされるものを追いかけていざ手にしたところで、本当に満足が得られるのかということです。もちろん全く満足感がないということはないでしょうが、後々に「やっぱりああしとけばよかった」という後悔が出てくる可能性があるんじゃないかと私は考えています。私がこう思う理由として大きいのはやはり「失われた十年」に青春期を過ごして、この間に「こうすれば幸せになる」と盛んに喧伝されたものがわずか数年後に片っ端から消え去っていったのを見ているせいだと思います。今じゃ完全に死語ですが、一時期は「レーゾンデートル」とかいう言葉が流行って、「自分探し」とか「自己実現」の重要性が盛んに主張されましたが、これに乗っかった人たちは今どうしているのか気になります。
じゃあどんな幸福を追いかければいいのかですが、突き放した言い方をすると自分で考える以外にないと思います。何も十年先の幸せとか長期的な視野に立たなくてもいいから、少なくとも「世間一般で言われているから……」というような理由で安易に選ばず、他人が主張するものでもなんとなく納得できるものを追いかけてれば後悔はないと思います。たとえ周りからそんなの信じても得しないよと言われても、本人が納得することが一番大事です。
そんなこんだで話は飛びますが、数ある幸福論の中でも私がひときわありがたがって聞いているのはほかでもなく、漫画家である水木しげる氏の幸福論です。なんかちょっと検索かけたらすぐ出てきましたけど、主に主張している七ヶ条というのは下記の通りだそうです。
第一条 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
第二条 しないではいられないことをし続けなさい。
第三条 他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし。
第四条 好きの力を信じる。
第五条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
第六条 怠け者になりなさい。
第七条 目に見えない世界を信じる。
いかにも水木氏らしい主張ですが、書かれている内容と実際の半生を見比べると自然と頭が垂れてきます。一例を出すと第六条の「怠け者になりなさい」ですが、これに限らず水木氏は普段からたくさん寝て食べることは大事だとよく主張していますが、その一方で自身は若い頃に戦争で軍隊生活を経験し、復員後もそれこそ寝ずに働いてスズメの涙ほどの収入で暮らしているだけに、ほかの人とこの言葉の重みが段違いに違います。
これはあくまで私の解釈ですが、水木氏が主張する幸福論とは「自らの中の内なる欲求に従え」というのが大まかな意なのではないかと思っています。要するに、寝たいとか食べたいという人間の根源的な欲求に加え、個々人が持つ嗜好の対象に素直な気持ちで向き合えという風なものだと考えています。その上でさっきの第三条こと「他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし」で、それこそ資産の量など他人との比較でしか証明できないものは少し違うのでは、と言っているのだと思います。あくまで私の解釈ですが。
こういった水木氏の考え方に触れる前から私はかねがね強情で知られていましたが、自分自身の考え方、思い方に素直になることは非常に重要だと考えていました。私も中学生くらいの頃なんかはやっぱり世間体とかを気にして、いくらか心に思っていることと全然違うことを言ったり振る舞ったりしましたが、そうした行動の後は何とも言えない嫌な気持ちでいっぱいになっていました。逆に成人した今、周囲からどんだけ批判されようが自分自身が間違っていないと思うことを言ったりやったり、一例を挙げると「今日は眠いから飲み会には行きません」と言った後はその後の立場が苦しくなるとしても(実際なった)あまり後悔がありませんでした。
非常に飛び飛びな内容となりましたが、結論としては周囲の雑音というものはしばしば幸福を阻害する可能性があるということです。私自身は何を以ってすれば自分が幸福になるのかを未だ見つけていませんし、恐らく今後も一生追い求めることはないでしょうが、朱に交われば赤くなる様なことだけは避けて生きてこうと思います。
まず最初に今回の件で何が一番言いたいのかというと、幸福というものは個々人によって完全にバラバラで、定型というものはまるでないということです。前の記事でも書きましたが私にとってすると一般的な幸福の条件は少なくとも「快」の条件になるというわけではなく、場合によっては「不快」な条件に適合することすらあります。私みたいなのは明らかに例外ではあるものの、断言してもいいですが幸福の条件は個々人によって確実に個人差があり、画一的な条件が決まっているわけではありません。
これが何を意味するかというと、幸福の定型とされるものを追いかけていざ手にしたところで、本当に満足が得られるのかということです。もちろん全く満足感がないということはないでしょうが、後々に「やっぱりああしとけばよかった」という後悔が出てくる可能性があるんじゃないかと私は考えています。私がこう思う理由として大きいのはやはり「失われた十年」に青春期を過ごして、この間に「こうすれば幸せになる」と盛んに喧伝されたものがわずか数年後に片っ端から消え去っていったのを見ているせいだと思います。今じゃ完全に死語ですが、一時期は「レーゾンデートル」とかいう言葉が流行って、「自分探し」とか「自己実現」の重要性が盛んに主張されましたが、これに乗っかった人たちは今どうしているのか気になります。
じゃあどんな幸福を追いかければいいのかですが、突き放した言い方をすると自分で考える以外にないと思います。何も十年先の幸せとか長期的な視野に立たなくてもいいから、少なくとも「世間一般で言われているから……」というような理由で安易に選ばず、他人が主張するものでもなんとなく納得できるものを追いかけてれば後悔はないと思います。たとえ周りからそんなの信じても得しないよと言われても、本人が納得することが一番大事です。
そんなこんだで話は飛びますが、数ある幸福論の中でも私がひときわありがたがって聞いているのはほかでもなく、漫画家である水木しげる氏の幸福論です。なんかちょっと検索かけたらすぐ出てきましたけど、主に主張している七ヶ条というのは下記の通りだそうです。
第一条 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
第二条 しないではいられないことをし続けなさい。
第三条 他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし。
第四条 好きの力を信じる。
第五条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
第六条 怠け者になりなさい。
第七条 目に見えない世界を信じる。
いかにも水木氏らしい主張ですが、書かれている内容と実際の半生を見比べると自然と頭が垂れてきます。一例を出すと第六条の「怠け者になりなさい」ですが、これに限らず水木氏は普段からたくさん寝て食べることは大事だとよく主張していますが、その一方で自身は若い頃に戦争で軍隊生活を経験し、復員後もそれこそ寝ずに働いてスズメの涙ほどの収入で暮らしているだけに、ほかの人とこの言葉の重みが段違いに違います。
これはあくまで私の解釈ですが、水木氏が主張する幸福論とは「自らの中の内なる欲求に従え」というのが大まかな意なのではないかと思っています。要するに、寝たいとか食べたいという人間の根源的な欲求に加え、個々人が持つ嗜好の対象に素直な気持ちで向き合えという風なものだと考えています。その上でさっきの第三条こと「他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし」で、それこそ資産の量など他人との比較でしか証明できないものは少し違うのでは、と言っているのだと思います。あくまで私の解釈ですが。
こういった水木氏の考え方に触れる前から私はかねがね強情で知られていましたが、自分自身の考え方、思い方に素直になることは非常に重要だと考えていました。私も中学生くらいの頃なんかはやっぱり世間体とかを気にして、いくらか心に思っていることと全然違うことを言ったり振る舞ったりしましたが、そうした行動の後は何とも言えない嫌な気持ちでいっぱいになっていました。逆に成人した今、周囲からどんだけ批判されようが自分自身が間違っていないと思うことを言ったりやったり、一例を挙げると「今日は眠いから飲み会には行きません」と言った後はその後の立場が苦しくなるとしても(実際なった)あまり後悔がありませんでした。
非常に飛び飛びな内容となりましたが、結論としては周囲の雑音というものはしばしば幸福を阻害する可能性があるということです。私自身は何を以ってすれば自分が幸福になるのかを未だ見つけていませんし、恐らく今後も一生追い求めることはないでしょうが、朱に交われば赤くなる様なことだけは避けて生きてこうと思います。
2012年2月20日月曜日
追い求めるべき幸福とは 前編
私がよく友人から一番注意される内容ときたらかねてから書いてある通りに、「人を見下す癖をやめろ」というもので間違いないのですが、この次によく注意されるものとして、「もっと自分の幸福を考えろ」というものがあります。恐らくこんな変な注意のされ方するのは私以外だと数少ないでしょうが、お前ら示し合わせているんじゃないかと思うくらいにこれまで実に多くの人間からこういうことを言われてきております。
言わんとする内容はまんま言葉の通りで、もっと自分の身を大切にという内容と共に、周囲に対する気遣いなんかせずにもう少しわがままに生きた方がいいというものです。自分でも全く意識していないわけではありませんが、やはりどうも周りからも自己破滅的な生き方をしているように見えるようで、はっきり言ってくれる友人なんかは、「悪い意味で分け隔てがなく、自分をすり潰そうとしている」と言ってくれます(ノД`)
ただこうは言われるものの、一体何をすれば自分は幸福だと感じるのか皆目見当が付きません。実際に真面目な話、今までの自分の人生で決断してきた選択には「苦」より「楽」を求めるものは一部入っておりますが、単純に幸福を目指して選んだ選択は断言してもいいですが一つもありませんし、相対的に見れば自分からいばらの道へ頭から突っ込んでいくものの方が圧倒的に多いです。なんでそんな選択をいつまでも選び続けているのかというと、育った環境にもよるでしょうが私個人の資質としか言いようがないでしょう。
逆に私の目からすると、一体なんでみんなしてそんな幸福になろうとするのだろうと思うことがありますし、そもそも何を以って幸福を感じるのかが全く分かりません。そりゃ確かにお金がたくさんあればないよりは楽でしょうが、それで満足感を得られるかというと私はきっと得られることはできないでしょう。今現在でも私は特に買いたい物もありませんし、もう少し給料は増えてほしいとは思うもののまとまった金があってもむしろ使い道に困ると思います。
じゃあ家族や恋人がいる状態がいいのかとなると、これもまた何か違和感を感じます。こちらもいるに越したことはありませんが、いなかったらいなかったらで楽なんじゃないかと思うこともあり、結局は環境の違いでしかない気がします。あと最後に仕事もせずに毎日好き勝手にダラダラ生きれるとしたらというのも幸福の一例として挙がってきますが、これなんか自分が一番嫌なパターンで、仕事が忙しすぎるのはもちろん嫌ですがやっぱり何かしら動き回ってないと落ち着きません。
上記のような考え方をする人間ははっきり言って自分以外だと見たことがありませんし、自分自身でレアケースだと自認しております。ただこうして条件をすり潰していくにつれ、一体何を以って幸福なんだと言えるのか実に深く感じます。新興宗教やってる友人などは、「生きていること、ただそれ自体がありがたい」と何度も自分に聞かせてきますが、そりゃ安全安心保障付きの日本だから言えることであってアフガンとかでも同じこと言えるのかよと思うので全く意に介しません。また生きててよかったと思うことより、私は絶対的に辛いことの方が多いと考えているので、ある意味自殺者が多い今の日本の現状というものは理に適っているとさえ思います。
では安定というのは幸福の条件になるのでしょうか。確かに仕事や生活が安定しているというのははっきり言ってありがたいと、去年に職場を3つ、国2つを跨いだ私が保証してもいいですが、それで幸福なのかとなるとやっぱ腑に落ちません。同年代の中でも非常に山っ気が強い性格というのもあるでしょうが、同じ日々が続くといずれ飽きが来るのではという気がします。また一程度のストレスは体にいいと言われておりますが、やはりスリルというものが生活中に感じなければどんどん自分が弱っていくようで自分としては好ましくありません。かといって安定がなさすぎるのもハードですが。
このほか儒教の価値観で「中庸」というものがあって、どれもほどほどの状態を保つことが一番という考え方がありますが、これなんか私はしっくりくるのでほどほどの安定とスリル、給料などなどを一応は掲げていますが、やっぱり破滅的というかある所まで来たら突然それを自ら崩そうとするところがあり、今の環境なんかまさにそんな状態です。
なんか妙な独白が続きますが、どうも自分には一貫して幸せになろうという意思がなく、折々で不幸を目指し走り出すところがある気がしますし、普段からも必要以上の責任や負担を抱え込もうとしてます。破綻していると言えばそれまでですが、なんかそれとは違うんじゃないかなという気もしないでもありません。
ただ私の場合は間違いなく極端な例でしょうが、ほかの人ももっと幸福とはなんなのかを意識して考えた方がいいんじゃないかと思います。単純な幸福を求めようとしていざ実際に手に入れてみると実は違ったというケースほど不幸なものはなく、立ち止まらなくてもいいから常日頃からあーだこーだ考えることも必要なんじゃないでしょうか。
そういった観点から、次回は私が面白いと感じる幸福論、というか水木しげる氏の話を読んでて感じたことを紹介します。
言わんとする内容はまんま言葉の通りで、もっと自分の身を大切にという内容と共に、周囲に対する気遣いなんかせずにもう少しわがままに生きた方がいいというものです。自分でも全く意識していないわけではありませんが、やはりどうも周りからも自己破滅的な生き方をしているように見えるようで、はっきり言ってくれる友人なんかは、「悪い意味で分け隔てがなく、自分をすり潰そうとしている」と言ってくれます(ノД`)
ただこうは言われるものの、一体何をすれば自分は幸福だと感じるのか皆目見当が付きません。実際に真面目な話、今までの自分の人生で決断してきた選択には「苦」より「楽」を求めるものは一部入っておりますが、単純に幸福を目指して選んだ選択は断言してもいいですが一つもありませんし、相対的に見れば自分からいばらの道へ頭から突っ込んでいくものの方が圧倒的に多いです。なんでそんな選択をいつまでも選び続けているのかというと、育った環境にもよるでしょうが私個人の資質としか言いようがないでしょう。
逆に私の目からすると、一体なんでみんなしてそんな幸福になろうとするのだろうと思うことがありますし、そもそも何を以って幸福を感じるのかが全く分かりません。そりゃ確かにお金がたくさんあればないよりは楽でしょうが、それで満足感を得られるかというと私はきっと得られることはできないでしょう。今現在でも私は特に買いたい物もありませんし、もう少し給料は増えてほしいとは思うもののまとまった金があってもむしろ使い道に困ると思います。
じゃあ家族や恋人がいる状態がいいのかとなると、これもまた何か違和感を感じます。こちらもいるに越したことはありませんが、いなかったらいなかったらで楽なんじゃないかと思うこともあり、結局は環境の違いでしかない気がします。あと最後に仕事もせずに毎日好き勝手にダラダラ生きれるとしたらというのも幸福の一例として挙がってきますが、これなんか自分が一番嫌なパターンで、仕事が忙しすぎるのはもちろん嫌ですがやっぱり何かしら動き回ってないと落ち着きません。
上記のような考え方をする人間ははっきり言って自分以外だと見たことがありませんし、自分自身でレアケースだと自認しております。ただこうして条件をすり潰していくにつれ、一体何を以って幸福なんだと言えるのか実に深く感じます。新興宗教やってる友人などは、「生きていること、ただそれ自体がありがたい」と何度も自分に聞かせてきますが、そりゃ安全安心保障付きの日本だから言えることであってアフガンとかでも同じこと言えるのかよと思うので全く意に介しません。また生きててよかったと思うことより、私は絶対的に辛いことの方が多いと考えているので、ある意味自殺者が多い今の日本の現状というものは理に適っているとさえ思います。
では安定というのは幸福の条件になるのでしょうか。確かに仕事や生活が安定しているというのははっきり言ってありがたいと、去年に職場を3つ、国2つを跨いだ私が保証してもいいですが、それで幸福なのかとなるとやっぱ腑に落ちません。同年代の中でも非常に山っ気が強い性格というのもあるでしょうが、同じ日々が続くといずれ飽きが来るのではという気がします。また一程度のストレスは体にいいと言われておりますが、やはりスリルというものが生活中に感じなければどんどん自分が弱っていくようで自分としては好ましくありません。かといって安定がなさすぎるのもハードですが。
このほか儒教の価値観で「中庸」というものがあって、どれもほどほどの状態を保つことが一番という考え方がありますが、これなんか私はしっくりくるのでほどほどの安定とスリル、給料などなどを一応は掲げていますが、やっぱり破滅的というかある所まで来たら突然それを自ら崩そうとするところがあり、今の環境なんかまさにそんな状態です。
なんか妙な独白が続きますが、どうも自分には一貫して幸せになろうという意思がなく、折々で不幸を目指し走り出すところがある気がしますし、普段からも必要以上の責任や負担を抱え込もうとしてます。破綻していると言えばそれまでですが、なんかそれとは違うんじゃないかなという気もしないでもありません。
ただ私の場合は間違いなく極端な例でしょうが、ほかの人ももっと幸福とはなんなのかを意識して考えた方がいいんじゃないかと思います。単純な幸福を求めようとしていざ実際に手に入れてみると実は違ったというケースほど不幸なものはなく、立ち止まらなくてもいいから常日頃からあーだこーだ考えることも必要なんじゃないでしょうか。
そういった観点から、次回は私が面白いと感じる幸福論、というか水木しげる氏の話を読んでて感じたことを紹介します。
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