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2012年2月20日月曜日

追い求めるべき幸福とは 前編

 私がよく友人から一番注意される内容ときたらかねてから書いてある通りに、「人を見下す癖をやめろ」というもので間違いないのですが、この次によく注意されるものとして、「もっと自分の幸福を考えろ」というものがあります。恐らくこんな変な注意のされ方するのは私以外だと数少ないでしょうが、お前ら示し合わせているんじゃないかと思うくらいにこれまで実に多くの人間からこういうことを言われてきております。
 言わんとする内容はまんま言葉の通りで、もっと自分の身を大切にという内容と共に、周囲に対する気遣いなんかせずにもう少しわがままに生きた方がいいというものです。自分でも全く意識していないわけではありませんが、やはりどうも周りからも自己破滅的な生き方をしているように見えるようで、はっきり言ってくれる友人なんかは、「悪い意味で分け隔てがなく、自分をすり潰そうとしている」と言ってくれます(ノД`)

 ただこうは言われるものの、一体何をすれば自分は幸福だと感じるのか皆目見当が付きません。実際に真面目な話、今までの自分の人生で決断してきた選択には「苦」より「楽」を求めるものは一部入っておりますが、単純に幸福を目指して選んだ選択は断言してもいいですが一つもありませんし、相対的に見れば自分からいばらの道へ頭から突っ込んでいくものの方が圧倒的に多いです。なんでそんな選択をいつまでも選び続けているのかというと、育った環境にもよるでしょうが私個人の資質としか言いようがないでしょう。

 逆に私の目からすると、一体なんでみんなしてそんな幸福になろうとするのだろうと思うことがありますし、そもそも何を以って幸福を感じるのかが全く分かりません。そりゃ確かにお金がたくさんあればないよりは楽でしょうが、それで満足感を得られるかというと私はきっと得られることはできないでしょう。今現在でも私は特に買いたい物もありませんし、もう少し給料は増えてほしいとは思うもののまとまった金があってもむしろ使い道に困ると思います。
 じゃあ家族や恋人がいる状態がいいのかとなると、これもまた何か違和感を感じます。こちらもいるに越したことはありませんが、いなかったらいなかったらで楽なんじゃないかと思うこともあり、結局は環境の違いでしかない気がします。あと最後に仕事もせずに毎日好き勝手にダラダラ生きれるとしたらというのも幸福の一例として挙がってきますが、これなんか自分が一番嫌なパターンで、仕事が忙しすぎるのはもちろん嫌ですがやっぱり何かしら動き回ってないと落ち着きません。

 上記のような考え方をする人間ははっきり言って自分以外だと見たことがありませんし、自分自身でレアケースだと自認しております。ただこうして条件をすり潰していくにつれ、一体何を以って幸福なんだと言えるのか実に深く感じます。新興宗教やってる友人などは、「生きていること、ただそれ自体がありがたい」と何度も自分に聞かせてきますが、そりゃ安全安心保障付きの日本だから言えることであってアフガンとかでも同じこと言えるのかよと思うので全く意に介しません。また生きててよかったと思うことより、私は絶対的に辛いことの方が多いと考えているので、ある意味自殺者が多い今の日本の現状というものは理に適っているとさえ思います。

 では安定というのは幸福の条件になるのでしょうか。確かに仕事や生活が安定しているというのははっきり言ってありがたいと、去年に職場を3つ、国2つを跨いだ私が保証してもいいですが、それで幸福なのかとなるとやっぱ腑に落ちません。同年代の中でも非常に山っ気が強い性格というのもあるでしょうが、同じ日々が続くといずれ飽きが来るのではという気がします。また一程度のストレスは体にいいと言われておりますが、やはりスリルというものが生活中に感じなければどんどん自分が弱っていくようで自分としては好ましくありません。かといって安定がなさすぎるのもハードですが。

 このほか儒教の価値観で「中庸」というものがあって、どれもほどほどの状態を保つことが一番という考え方がありますが、これなんか私はしっくりくるのでほどほどの安定とスリル、給料などなどを一応は掲げていますが、やっぱり破滅的というかある所まで来たら突然それを自ら崩そうとするところがあり、今の環境なんかまさにそんな状態です。
 なんか妙な独白が続きますが、どうも自分には一貫して幸せになろうという意思がなく、折々で不幸を目指し走り出すところがある気がしますし、普段からも必要以上の責任や負担を抱え込もうとしてます。破綻していると言えばそれまでですが、なんかそれとは違うんじゃないかなという気もしないでもありません。

 ただ私の場合は間違いなく極端な例でしょうが、ほかの人ももっと幸福とはなんなのかを意識して考えた方がいいんじゃないかと思います。単純な幸福を求めようとしていざ実際に手に入れてみると実は違ったというケースほど不幸なものはなく、立ち止まらなくてもいいから常日頃からあーだこーだ考えることも必要なんじゃないでしょうか。
 そういった観点から、次回は私が面白いと感じる幸福論、というか水木しげる氏の話を読んでて感じたことを紹介します。

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