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2012年2月23日木曜日

水木しげる伝説

 なんかありそうでないような感じがするので、私が尊敬してやまない水木しげる大先生の伝説的なエピソードをまとめてみようと思います。水木氏は以前に朝ドラで「ゲゲゲの女房」が報じられたことからその奇人ぶりなどが一部伝わったものの、評論家の呉智英氏をして「水木しげるの最高傑作は水木しげる」と言わしめるだけあって、明らかに常人離れしたエピソードが数多いです。このところ友人(特に松戸の)がスカイプに出てくれないこともあるので、自分の有り余る記憶力を存分に使って書いてこうと思います。

  エピソード一覧
・死というものがどんなものかわからず、5歳の時に弟を海に落として死なせてみようとする。途中でばれてものすごく怒られた。
・あまりにもぼーっとしているので、小学校の入学を一年遅らされた。
・いつでもどこでもおならをすることが出来た。
・自宅に動物園を作ろうと兄弟で動物を集めまくるが、飼育が下手でみんな死なせてしまった。
・15歳で大阪の印刷所に働きに出るが、遅刻欠勤を繰り返して2ヶ月クビになる。その後も行く先々を短期でクビになる。
・東京芸大に進学希望を持ち、受験資格を得るためにまず大阪府立園芸学校に入ろうと受験する。面接試験で志望理由を「東京芸大の受験資格を得るため」と正直に告白し、不合格となる。なおこの時の受験者数は51人で、合格者は50人だった。
・軍隊から徴兵を受け、入隊する前に死を意識してゲーテなど哲学書を読み漁る。
・入隊後、そのマイペース振りから将校と間違えられ風呂で年長兵から背中を流される。後でばれて思い切りひっぱたかれる。
・軍隊でラッパ係となるが全く拭けなかったため配置転換を受ける。「北か南か」と聞かれて「北は寒いから南」と答えて、激戦地ラバウルへ送られる。
・ラバウルまでの輸送中、敵船から魚雷攻撃を受ける。水中を泳ぐ魚雷を見て笑ってたらひっぱたかれる。
・ラバウルで所属していた小隊が全滅した中、一人生き残る。原隊へ逃亡中に現地住民にも襲われるが九死に一生を得る。なおこの時の夜間移動中、ある場所でぬりかべが立っているように押しても引いても全く先に進めない空間に出くわす体験をする。夜が明けるとその先は崖下だった。
・ラバウルの司令官、今村均に「やけに太った兵隊だな」と言われる。なお終戦直後、今村均が全兵士に対して「一人残らず日本へ帰国させてみせる」という訓示を受け、なんとなく生きて帰れる実感がわいたと述べている。
・ラバウルの現地住民に聖書を読み聞かせるなど交流を深め、現地除隊してそのまま住もうかと考えた。
・帰国後、魚屋やタクシーのリース業など様々な商売に手を出し、その後紙芝居作家から貸本漫画家へとなる。
・貸本漫画家時代は極貧で、原稿料をもらうための電車代を質屋に借りる始末だった。
・40歳前に見合いから5日で結婚。見合いについては「嫁の隣にいる父親の顔が異常に長かったため、嫁の顔の長さが当時はわからなかった」と述べている。
・40歳を超えて初めて「テレビくん」がヒット作となる。その後「鬼太郎」の連載も始まって激務となり、このころのことを元アシスタントの池上遼一は、「前夜に誰かがもんじゃ焼きが食べたいなと言ったから、次の妖怪は『なんじゃもんじゃ』だと決めるくらい忙しかった」と述懐している。
・80年代にスランプとなり、「妖怪なんて非科学的なもん、いるわけないだろ」と漏らすほどピンチになる。ただ娘が修学旅行先で目々連を見たと言ったことから奇跡の復活を遂げる。
・86歳時、昼食にメガマックとポテトを完食。このほかピザなども丸々平らげている。
・宝塚の遊園地で鬼太郎のイベントがあったことを手塚治虫に八つ当たり気味に文句言われ、手塚の嫉妬深さを皮肉る「一番病」という作品を書く。手塚は手塚で水木に対抗して「どろろ」を書いた。
・手塚、石ノ森が早世したことについて「徹夜自慢は早死にする」と述べ、自分はマイペースでよく寝ていることをアピール。
・補聴器を一時期、聞こえる方の耳につけていた

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