本日早朝、オウム真理教で指名手配されていた最後の一人、高橋克也容疑者が逮捕されました。これで一連のオウム事件はすべての容疑者が逮捕されたこととなり、名実ともに一つの区切りを迎えることとなりました。逮捕自体については取り立てて書くことはないのですが、今回の騒動を見て感じたこととしてはやはりテレビの力の絶大さに尽きます。先日から監視カメラの写真などが公開されていたことから恐らく逮捕は近いと予想していましたが、訪れていた漫画喫茶の店員からの通報が逮捕の決め手となったことから見てもここ数日の報道が大きな原動力となったと見て間違いないでしょう。以前に何かのテレビ番組で、今時戦闘に指名手配犯の写真や似顔絵を貼っても誰も集まらないし見ないので意味がなく、むしろ定期的にテレビで、「本日の指名手配犯の時間です」とばかりに報道した方が効果があるという意見がありましたが、今回の一件を見る限りだとさもありなんです。
あともうひとつ気になった点としては、あまり言いたくはありませんが警察は本当に真剣に捜査していたのかという疑問点です。既につかまっている平田信容疑者は出頭したにもかかわらず機動隊員に「よそ行って」と追い帰されるわ、菊池容疑者に至っては近所の人間から通報があったにもかかわらず黙殺するなど、これまで長きにわたって捕まらなかったのは警察の怠慢も影響しているのではないかと思わざるを得ません。私としては警察をあまり叩くよりは応援したい身ですが、一連の不手際で何か処分を出したとも聞きませんし、この件に関しては疑いの目を持ちます。
最後にどうでもいいことですが、なんかさっきからYahoo Japanだけ一切アクセスできません。多分中国政府がアクセスを禁止しているからでしょうが、なんでこうなるのか、理由が知りたいです。今やってるイベントとしては上海国際映画祭くらいしか浮かびませんが、豆知識ですがこの映画祭の期間は当局の検査も厳しくなるので海賊版DVD屋はどこも閉めて、終わったらまた開きます。どうせ私は利用しないけど。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2012年6月15日金曜日
2012年6月14日木曜日
ストレスに対する人間の心理行動
先日訪問したある会社から、ストレスに対する人間の心理行動というのは決して1種類じゃないという話を聞きました。その人曰くストレスに直面した際に人間は、そのストレスの発生源となる問題を解決しようと動こうとするのと、その問題は大したものじゃない考えてストレスを軽減しようするのとで、大別して2種類に分かれるそうです。問題解決に取り組みつつストレス負担を下げるといった具合に、両方一緒にできるというのがベストだそうですが、日本人はどちらかというと問題解決にひたすら取り組もうとするところがあって、ストレス負担を高めてしまう傾向があるそうです。逆に中国人なんかはあまり大きな問題と取らずにストレス負担を小さくするのはうまいものの、問題解決をなかなか行おうとせずに長期にわたってストレスにさらされる傾向があるとのことです。
なかなか話を聞いてみると面白い内容で、確かにストレスに対する対応というのは人それぞれ異なる気がします。私などはまさに典型的な日本人パターンで、何か問題が起こるとすぐに処理したがり、逆に即座に処理できなければ不安で仕方がなくなって参ってしまうことが多いです。今すぐ思い当たるのだと、去年にシチズンの時計が壊れた際になかなか修理することができなくて、なんか途中で泣き出したりしましたし……。
そういう意味では日本人が苦手とする、問題をそれほど深刻に考えないという心理行動はまさに大事なもののように感じます。ちょっと古いですが以前に渡辺淳一氏が「鈍感力」という本を出して物事を必要以上に真剣に感じない能力、また過剰な敏感さや繊細さを捨てる努力の必要性を訴えましたが、友人も絶賛してたようにもっとこの言葉が普及するべきだと私も思います。
ただこの「鈍感力」という本を書いた後で渡辺氏は、「周囲に求められているにもかかわらず全く適切な対応ができなかった安倍首相(当時)は鈍感なだけだ」と批判し、必要なものを感じ取れないことについては問題だという見方をしていました。折角安倍元首相に登場願ったんだからもう少し政治の話をすると、今増税議論で盛り上がっていますが、本来ならばこの議論は十年前にやっておかなければならなかった議論であります。もちろん今のうちにやっておくに越したことはありませんが、この十年間、日本の政治は対処すべき課題、行うべき改善策というのは割とはっきりしていましたが、どの政治家もやろうとしなかったというか国民も敢えて目を閉じていたようなところがあります。早く処理すればそれで言い訳ではありませんが、問題を先送りしてきた付けというのがまさに今の世の中で、そういう意味では日本人も中国人と同じストレスの処理方法をしているのかもしれません。
なかなか話を聞いてみると面白い内容で、確かにストレスに対する対応というのは人それぞれ異なる気がします。私などはまさに典型的な日本人パターンで、何か問題が起こるとすぐに処理したがり、逆に即座に処理できなければ不安で仕方がなくなって参ってしまうことが多いです。今すぐ思い当たるのだと、去年にシチズンの時計が壊れた際になかなか修理することができなくて、なんか途中で泣き出したりしましたし……。
そういう意味では日本人が苦手とする、問題をそれほど深刻に考えないという心理行動はまさに大事なもののように感じます。ちょっと古いですが以前に渡辺淳一氏が「鈍感力」という本を出して物事を必要以上に真剣に感じない能力、また過剰な敏感さや繊細さを捨てる努力の必要性を訴えましたが、友人も絶賛してたようにもっとこの言葉が普及するべきだと私も思います。
ただこの「鈍感力」という本を書いた後で渡辺氏は、「周囲に求められているにもかかわらず全く適切な対応ができなかった安倍首相(当時)は鈍感なだけだ」と批判し、必要なものを感じ取れないことについては問題だという見方をしていました。折角安倍元首相に登場願ったんだからもう少し政治の話をすると、今増税議論で盛り上がっていますが、本来ならばこの議論は十年前にやっておかなければならなかった議論であります。もちろん今のうちにやっておくに越したことはありませんが、この十年間、日本の政治は対処すべき課題、行うべき改善策というのは割とはっきりしていましたが、どの政治家もやろうとしなかったというか国民も敢えて目を閉じていたようなところがあります。早く処理すればそれで言い訳ではありませんが、問題を先送りしてきた付けというのがまさに今の世の中で、そういう意味では日本人も中国人と同じストレスの処理方法をしているのかもしれません。
2012年6月13日水曜日
今日のサッカーオーストラリア戦
最近なんか自分のツイッターのフォロワーになってくれる人がやけに増えているのですが、生憎と中国からではツイッターにアクセスできないので更新することができません。もしこのブログを見てフォロワーになった方にはこの場を借りて、何も書く事ができないことを謝ります。その分、ブログはモリモリ書いてくけど。
話は本題に入りますが、本日夜はWカップの予選のオーストラリア戦があって、日本中が熱狂していたかと思われます。うちの会社の上司も、「今日はサッカーあるから早く帰るね」といって作業が残っている自分たちを置いてとっとと帰ってしまいました。もっとも上司は、「ほかの部署の連中にも、いざとなったらここのテレビ使えと言ってあるから」といって、暗に社内にある日本の番組が見られるテレビを使っても構わないという発言をしてくれてたので、遠慮なく自分も中継を見ておりました。
前回のヨルダン戦も同僚と一緒にスポーツバーに行って見ていましたが、このところの日本のサッカーの試合は段違いに強くなったのもあって、見ていて本当に面白いです。今回のオーストラリア戦は1-1の引き分けでしたが、アウェーということ、相手があのオーストラリアということを考えると立派な成績だと思います。
実は海外生活をしていて何が辛いかと言うと、こういうスポーツの試合でみんなと一緒に盛り上がれないのが辛いです。去年もアジアカップや女子Wカップで日本チームが大活躍した際も、ネットで結果だけしか見ることができず、なんだか楽しそうな雰囲気を遠くから見ているようで少し寂しかったです。幸いというか最近会社の同僚に同性で比較的年の近いメンバーが集まってきているので一緒に盛り上がれるようになりつつありますが、意外とこういう空気に乗れない寂しさというのも、海外に来て初めてわかるようになりました。
それにしてもヤフーのコメントにもあったが、本田選手の髪の毛はいつも根元まで金髪で、黒い箇所が全くないのは何でだろう。
話は本題に入りますが、本日夜はWカップの予選のオーストラリア戦があって、日本中が熱狂していたかと思われます。うちの会社の上司も、「今日はサッカーあるから早く帰るね」といって作業が残っている自分たちを置いてとっとと帰ってしまいました。もっとも上司は、「ほかの部署の連中にも、いざとなったらここのテレビ使えと言ってあるから」といって、暗に社内にある日本の番組が見られるテレビを使っても構わないという発言をしてくれてたので、遠慮なく自分も中継を見ておりました。
前回のヨルダン戦も同僚と一緒にスポーツバーに行って見ていましたが、このところの日本のサッカーの試合は段違いに強くなったのもあって、見ていて本当に面白いです。今回のオーストラリア戦は1-1の引き分けでしたが、アウェーということ、相手があのオーストラリアということを考えると立派な成績だと思います。
実は海外生活をしていて何が辛いかと言うと、こういうスポーツの試合でみんなと一緒に盛り上がれないのが辛いです。去年もアジアカップや女子Wカップで日本チームが大活躍した際も、ネットで結果だけしか見ることができず、なんだか楽しそうな雰囲気を遠くから見ているようで少し寂しかったです。幸いというか最近会社の同僚に同性で比較的年の近いメンバーが集まってきているので一緒に盛り上がれるようになりつつありますが、意外とこういう空気に乗れない寂しさというのも、海外に来て初めてわかるようになりました。
それにしてもヤフーのコメントにもあったが、本田選手の髪の毛はいつも根元まで金髪で、黒い箇所が全くないのは何でだろう。
2012年6月9日土曜日
第二次上海事変に対する考察 後編
昨日に引き続き第二次上海事変について解説いたします。昨日は主に言語別の解説サイトで語られている内容にどう違うのか、というより日中がお互いに都合のいいことばかり書きあっているということを紹介しましたが、今日は事件の経過とともに、一番の問題の焦点となっている「どっちがどのような目的を持って、軍事衝突にまで発展したのか」という点について私の見解を書きます。
早速ですが、事件の経過を私なりに簡単にまとめると以下の通りとなります。なお年代はどれも1937年です。
7/7 盧溝橋事件が勃発。華北地域で日中間の戦闘が始まるが両政府ともに外交は不拡大方針を打ち出し、上海を含む華東地域にまで戦火は広がらなかった。
8/9 当時の虹橋空港周辺で上海海軍特別陸戦隊中隊長の大山勇夫海軍中尉と斎藤與蔵一等水兵が他殺体で発見される。
8/10 日本側は大山中尉の殺害を中国軍衛兵らの待ち伏せによる殺害と主張。中国軍側は大山中尉らが先に発砲したので正当防衛と主張し議論は平行線。ノルウェー総領事アールが各国領事と事件に対する共同会議を設けるべきと主張したが、何故か日本総領事の岡本は当初は拒否し、最終的に承諾。会議で中国軍は上海周辺から全面撤退するべきと主張した。また日本国内の閣議では陸軍の派遣が決定された。
8/11 蒋介石、中国軍の上海への進軍を命令。日本軍は海軍陸戦隊を上陸。
8/12 上海市長、かつて軍事衝突を引き越した前科(第一次上海事変)があるとして日本側の主張に抗議。上海市民は中国軍の治安統治を望んでいると主張。日中間の事件を巡る交渉は引き続き行われた。
8/13 虹口区で戦闘が開始。日本語ウィキペディアでは午前10時半頃に中国側から、百度百科では時間は記載せず日本側から攻撃を仕掛けてきたと記載。英語版ウィキペディアでは9時頃に中国側から攻撃開始と記載。(注:2018年7月現在、百度百科では「日本側から攻撃を仕掛けてきた」という記述はみられない。記事執筆時の誤読もしく削除された可能性あり)
8/14 中国軍機による市外への誤爆が起こり、民間人約三千人が死傷。また市街地で本格的な戦闘が起こるが、中国軍は兵力で日本の10倍以上と圧倒的に勝っていたものの、火力が致命的なまでに不足し日本軍の防御陣地を攻略できなかった。
8/18 英米仏政府が日中に停戦を呼びかけるが日中共にこれを拒否。
8/23 日本から派遣された軍が上海市北部に上陸。本格的な戦闘が11月まで行われ、両軍ともに激しい消耗戦となる。最終的に日本軍が上海周辺地域を制圧し、そのまま南京へ進軍することとなる。
大雑把にまとめると以上のようになります。日本語版ウィキペディアの記述を引用すると、「日本側は3ヶ月で戦死者10076名、戦傷者31866名、合わせて41942名の死傷者を出し、日露戦争の旅順攻略にも匹敵する凄残な消耗戦であった。」とのことで、決して楽勝な勝利ではなかったことがうかがえます。ただ英語版ウィキペディアにも書かれていましたが中国軍の火力が絶対的に不足していたのは事実なようで、緒戦では日本側の防御陣地が全く攻略できず、緒戦の失敗を蒋介石も後悔していたそうです。
また補足として、この戦闘で中国軍を指揮していたのは蒋介石ですが、その相談役にはドイツから派遣されたゼークト大将、ファルケンハウゼン中将がおり、ドイツ軍が深く介入しております。そもそも蒋介石の精鋭部隊を訓練したのはドイツの将校で、またこの戦闘自体、両者が築いた要塞線に日本軍を引き込んで一網打尽にするという作戦目的があったとも言われております。結果的にはこの要塞線はあっさり突破されたのですが、第一次大戦もあったし、やっぱりこの時はドイツも日本が憎かったんじゃないかと個人的に思います。
そろそろ本題に入りますが、この第二次上海事変は一体日中はどういう目的を持ち、どんな背景で起きたのでしょうか。日本側は「中国がケンカ売ってきた」と言い、中国側は「日本が侵略してきた」とお互いに言い合っており完全に食い違ってます。これはなにも日中だけじゃなくどこの世界も同じでしょうが。私はあくまで一素人であって具体的な検証はやはり歴史学者に任せるべきでしょうが、愚才ながら私の見解を敢えてここで書かせてもらうと、この第二次上海事変は日中両軍が望んだ戦争だと考えております。
まず敢えて中国軍の目的から書いてきますが、中国軍、つまり蒋介石の腹としては華北地域で既に戦闘が始まっており、遅かれ早かれ日本とは全面戦争になると考えてたのだと思います。既に1936年12月に西安事件が起こって共産党との国共合作に動いていましたし、全面戦争になるのが見えているのなら先手を打って主要都市である上海を確保しておく、もしくは上に書いたように要塞線に引き込んで撃破しておこう、というのが私なりの見解です。
さらに付け加えると、当時に数多くの租界があった上海で実際に戦火を起こすことで欧米列強の目を日中戦に向けさせるというのも狙いだったと思います。下手すればわざと大敗して見せることで中国への同情を集めるという腹も持っていたと、可能性レベルなら言ってもいいでしょう。
このように考える根拠としては、既に国共合作に動いており敵は日本ということで方針が決まっていた、華北で戦闘が起こっていた、そして何より最初の大山中尉の殺害事件の後の中国軍の展開の早さの三点が挙がります。
これに対し日本側ですが、さすがに第一次上海事変(日本人僧侶に対し田中隆吉陸軍少佐が暗殺者を仕向け、中国のせいにして攻撃)のように大山中尉らをわざと殺したとは思い辛いですが、何か事が起こればそれを口実に中国への攻撃を開始したいと考えていたような節がある気がします。こう思う根拠として、大山中尉の殺害事件後に頑なに中国軍の全軍撤退を求めるという、殺害事件の処理を巡る外交にしてはかなり強圧的な内容であることと、8月10日の領事会議への参加を当初拒否したという、ちょっとよくわからない姿勢を見せているからです。また中国軍同様、といっても既に展開している中国軍の備えという言い訳は立ちますが、日本側もやけに対応が早いというか軍の派遣を決めるタイミングが機敏だったようにも感じます。軍事に疎いからこの辺どうなのかは断言しかねますが。
また日本軍については明確な前科があります。満州事変にしろ盧溝橋事件にしろ、政府の方針とは逆に現地の軍隊が勝手に攻撃や占領を行っても現地指揮官は処罰されるどころか逆に高く評価されており、この辺は歴史学者らもはっきり指摘しておりますが、結果が良ければ命令違反をしても許されるというジオン軍のジーンみたいな風潮がはびこっていたそうです。実際に南京への進軍は現地派遣軍が勝手に決めて、政府が追認するという有様でした。
そのため、当時の近衛文麿政権は確かに不拡大方針を持っていたかもしれませんが、少なくとも中国現地にいた軍はそうでもなく、攻める口実を待ち構えていたのでは、そしたら蒋介石軍が動いてきたのでよし来たとばかりに動いた、というのが第二次上海事変における日本軍への私の見解です。ただ一点付け加えるとしたら、日本軍としても列強の租界があってある意味戦いづらい上海に対し、こんなに早く中国軍が動いてくるとは予想外だったような気がします。結果的に日本人居留民を危険に晒すことにもなりましたし、多分日本軍は大山中尉の事件から少なくとも一週間くらいは猶予があると思って強気の外交に出たところ、急に攻撃されて慌てたのは事実ではないかと考えています。
自分がこの見解にたどり着いたのは、やはり英語版ウィキペディアを見てからでした。事実関係だけ追ってみてみるとなんか日本軍も中国軍も初めからかなり強気でやる気に見えてきて、お互い先制攻撃を先に受けたと主張しますが、逆を言えばそれだけどっちから攻撃が起こってもおかしくない状況だったわけで、そういう風に考えるとこうなるのではという具合にまとまっていきました。
昨日今日の休日は本当に何もせずにスターウォーズのゲームでジェダイを殺しまくってたので、気力体力ともに現在十分な状態です。さすがに手間のかかるネタだけあっただけにこういう状態じゃないと全く書く気が起きませんでしたが、その甲斐あっていい内容にまとまっているのではと自負します。
早速ですが、事件の経過を私なりに簡単にまとめると以下の通りとなります。なお年代はどれも1937年です。
7/7 盧溝橋事件が勃発。華北地域で日中間の戦闘が始まるが両政府ともに外交は不拡大方針を打ち出し、上海を含む華東地域にまで戦火は広がらなかった。
8/9 当時の虹橋空港周辺で上海海軍特別陸戦隊中隊長の大山勇夫海軍中尉と斎藤與蔵一等水兵が他殺体で発見される。
8/10 日本側は大山中尉の殺害を中国軍衛兵らの待ち伏せによる殺害と主張。中国軍側は大山中尉らが先に発砲したので正当防衛と主張し議論は平行線。ノルウェー総領事アールが各国領事と事件に対する共同会議を設けるべきと主張したが、何故か日本総領事の岡本は当初は拒否し、最終的に承諾。会議で中国軍は上海周辺から全面撤退するべきと主張した。また日本国内の閣議では陸軍の派遣が決定された。
8/11 蒋介石、中国軍の上海への進軍を命令。日本軍は海軍陸戦隊を上陸。
8/12 上海市長、かつて軍事衝突を引き越した前科(第一次上海事変)があるとして日本側の主張に抗議。上海市民は中国軍の治安統治を望んでいると主張。日中間の事件を巡る交渉は引き続き行われた。
8/13 虹口区で戦闘が開始。日本語ウィキペディアでは午前10時半頃に中国側から、百度百科では時間は記載せず日本側から攻撃を仕掛けてきたと記載。英語版ウィキペディアでは9時頃に中国側から攻撃開始と記載。(注:2018年7月現在、百度百科では「日本側から攻撃を仕掛けてきた」という記述はみられない。記事執筆時の誤読もしく削除された可能性あり)
8/14 中国軍機による市外への誤爆が起こり、民間人約三千人が死傷。また市街地で本格的な戦闘が起こるが、中国軍は兵力で日本の10倍以上と圧倒的に勝っていたものの、火力が致命的なまでに不足し日本軍の防御陣地を攻略できなかった。
8/18 英米仏政府が日中に停戦を呼びかけるが日中共にこれを拒否。
8/23 日本から派遣された軍が上海市北部に上陸。本格的な戦闘が11月まで行われ、両軍ともに激しい消耗戦となる。最終的に日本軍が上海周辺地域を制圧し、そのまま南京へ進軍することとなる。
大雑把にまとめると以上のようになります。日本語版ウィキペディアの記述を引用すると、「日本側は3ヶ月で戦死者10076名、戦傷者31866名、合わせて41942名の死傷者を出し、日露戦争の旅順攻略にも匹敵する凄残な消耗戦であった。」とのことで、決して楽勝な勝利ではなかったことがうかがえます。ただ英語版ウィキペディアにも書かれていましたが中国軍の火力が絶対的に不足していたのは事実なようで、緒戦では日本側の防御陣地が全く攻略できず、緒戦の失敗を蒋介石も後悔していたそうです。
また補足として、この戦闘で中国軍を指揮していたのは蒋介石ですが、その相談役にはドイツから派遣されたゼークト大将、ファルケンハウゼン中将がおり、ドイツ軍が深く介入しております。そもそも蒋介石の精鋭部隊を訓練したのはドイツの将校で、またこの戦闘自体、両者が築いた要塞線に日本軍を引き込んで一網打尽にするという作戦目的があったとも言われております。結果的にはこの要塞線はあっさり突破されたのですが、第一次大戦もあったし、やっぱりこの時はドイツも日本が憎かったんじゃないかと個人的に思います。
そろそろ本題に入りますが、この第二次上海事変は一体日中はどういう目的を持ち、どんな背景で起きたのでしょうか。日本側は「中国がケンカ売ってきた」と言い、中国側は「日本が侵略してきた」とお互いに言い合っており完全に食い違ってます。これはなにも日中だけじゃなくどこの世界も同じでしょうが。私はあくまで一素人であって具体的な検証はやはり歴史学者に任せるべきでしょうが、愚才ながら私の見解を敢えてここで書かせてもらうと、この第二次上海事変は日中両軍が望んだ戦争だと考えております。
まず敢えて中国軍の目的から書いてきますが、中国軍、つまり蒋介石の腹としては華北地域で既に戦闘が始まっており、遅かれ早かれ日本とは全面戦争になると考えてたのだと思います。既に1936年12月に西安事件が起こって共産党との国共合作に動いていましたし、全面戦争になるのが見えているのなら先手を打って主要都市である上海を確保しておく、もしくは上に書いたように要塞線に引き込んで撃破しておこう、というのが私なりの見解です。
さらに付け加えると、当時に数多くの租界があった上海で実際に戦火を起こすことで欧米列強の目を日中戦に向けさせるというのも狙いだったと思います。下手すればわざと大敗して見せることで中国への同情を集めるという腹も持っていたと、可能性レベルなら言ってもいいでしょう。
このように考える根拠としては、既に国共合作に動いており敵は日本ということで方針が決まっていた、華北で戦闘が起こっていた、そして何より最初の大山中尉の殺害事件の後の中国軍の展開の早さの三点が挙がります。
これに対し日本側ですが、さすがに第一次上海事変(日本人僧侶に対し田中隆吉陸軍少佐が暗殺者を仕向け、中国のせいにして攻撃)のように大山中尉らをわざと殺したとは思い辛いですが、何か事が起こればそれを口実に中国への攻撃を開始したいと考えていたような節がある気がします。こう思う根拠として、大山中尉の殺害事件後に頑なに中国軍の全軍撤退を求めるという、殺害事件の処理を巡る外交にしてはかなり強圧的な内容であることと、8月10日の領事会議への参加を当初拒否したという、ちょっとよくわからない姿勢を見せているからです。また中国軍同様、といっても既に展開している中国軍の備えという言い訳は立ちますが、日本側もやけに対応が早いというか軍の派遣を決めるタイミングが機敏だったようにも感じます。軍事に疎いからこの辺どうなのかは断言しかねますが。
また日本軍については明確な前科があります。満州事変にしろ盧溝橋事件にしろ、政府の方針とは逆に現地の軍隊が勝手に攻撃や占領を行っても現地指揮官は処罰されるどころか逆に高く評価されており、この辺は歴史学者らもはっきり指摘しておりますが、結果が良ければ命令違反をしても許されるというジオン軍のジーンみたいな風潮がはびこっていたそうです。実際に南京への進軍は現地派遣軍が勝手に決めて、政府が追認するという有様でした。
そのため、当時の近衛文麿政権は確かに不拡大方針を持っていたかもしれませんが、少なくとも中国現地にいた軍はそうでもなく、攻める口実を待ち構えていたのでは、そしたら蒋介石軍が動いてきたのでよし来たとばかりに動いた、というのが第二次上海事変における日本軍への私の見解です。ただ一点付け加えるとしたら、日本軍としても列強の租界があってある意味戦いづらい上海に対し、こんなに早く中国軍が動いてくるとは予想外だったような気がします。結果的に日本人居留民を危険に晒すことにもなりましたし、多分日本軍は大山中尉の事件から少なくとも一週間くらいは猶予があると思って強気の外交に出たところ、急に攻撃されて慌てたのは事実ではないかと考えています。
自分がこの見解にたどり着いたのは、やはり英語版ウィキペディアを見てからでした。事実関係だけ追ってみてみるとなんか日本軍も中国軍も初めからかなり強気でやる気に見えてきて、お互い先制攻撃を先に受けたと主張しますが、逆を言えばそれだけどっちから攻撃が起こってもおかしくない状況だったわけで、そういう風に考えるとこうなるのではという具合にまとまっていきました。
昨日今日の休日は本当に何もせずにスターウォーズのゲームでジェダイを殺しまくってたので、気力体力ともに現在十分な状態です。さすがに手間のかかるネタだけあっただけにこういう状態じゃないと全く書く気が起きませんでしたが、その甲斐あっていい内容にまとまっているのではと自負します。
2012年6月8日金曜日
第二次上海事変に対する考察 前編
以前に友人の上海人を靖国神社についている博物館に連れて行った際、日中戦争のコーナーで「なんで上海事変の説明がないんだ」ということを言っていました。前からこのブログで書いているように日本史においては絶対の自信を持っている上に日中戦争に関してはほかの人より詳しいと自負していた私ですが、この言葉を言われた当初は「上海事変ってなんだっけ?」と、パッと内容を思い出すことはありませんでした。それもそのはずというか、上海事変は高校の日本史ではあまり取り扱われません。家に帰ってからいろいろ調べましたが、唯一確認できたのは予備校お手製のテキストにほんのちょっとだけという有様で、これなら自分が知らなくてもしょうがないなと自己満足しました。
その後、ずっと頭に気にかかっていたのでいつかは解説記事を書こうかなと考えていたのですが、先月になってネタ切れに及ぶにつれてようやく決心がつきました。そんなわけでまたネットを使っていろいろ調べていたのですが、調べている最中にいくつか疑問点が出てきたので調べてみると、いろいろと面白いことが互いにわかってきたので、今日はこの辺を一気に解説しようと思います。
まず上海事変とは日中戦争時に起きた上海での日本と中国の軍事衝突事件を指します。この衝突は1932年と1937年の二回あり、前者を第一次上海事変、後者を第二次上海事変と分けておりますが、上海事変ときて一般的に指されるものは日中戦争が本格化するきっかけとなった後者の第二次で、今回解説するのもこちらの方です。
この第二次上海事変がどういったものかを簡単にまとめると、1937年同年7月に起きた盧溝橋事件によって日中間で戦争が開始された後、日中両政府は建前は戦争不拡大方針を打ち出して外交での決着を図っていたのですが、盧溝橋事件から一ヶ月後の8月、日本の水兵が上海市で殺されたことをきっかけに両軍で戦闘が勃発。両政府ともそれまでの外交決着をあきらめ本格的に戦争を遂行する方針に切り替え、日中戦争が本格化する一手となった事件です。
ざっと書くとこれだけなのですが、私がウィキペディアで調べていて少し気になったのはやけに蒋介石の陰謀論が細々書かれていることです。そりゃウィキペディアなんだからあまり期待する方が間違っているものの、なんとなく日本の正当性を主張するかのような文言が目立ったので、それならどうせ中国語も読めるんだし、中国側がどうこの事件を取り扱っているかもこの際調べてみました。
すると面白いことに、ネット上の情報だけですが中国側は中国側で日本が無理な戦闘をけしかけてきたとこっちも正当性を主張している始末でした。中国がまた歴史捏造をしたということに済ませれば楽なことこの上ありませんが、果たして本当にそうなのか。そもそも事件の重大性に比べ日本の取り扱いが小さいことを考えるとそうとも言い切れないんじゃないかと思い、何か調べる方法はといろいろ考えた結果、もう頑張っちゃって英語版のウィキペディアも見比べてみようという結論に至りました。そういうわけで、参考した際とは以下の3サイトです。
・第二次上海事変(ウィキペディア)
・八一三事変(百度百科)
・Battle of Shanghai(Wikipedia)
百度百科というのは中国版ウィキペディアみたいなもんです。なんでここを参照したかというと、第二次上海事件に関して論じる中国の掲示板などで、ほとんどの人がここのサイトから情報を引用していたらからです。あと英語版ウィキペディアの記事についてですが、久々に長い英文を読んだ、しかも一般的でない単語多かったのでなんかしんどかったです。
まず特筆すべき点として、各サイトごとに参戦兵力と損害が異なっており、まとめると以下のようになります。
<参戦兵力>(括弧内は損害)
日本語:日本軍25万人(7万人)、中国軍60万人(15~20万人)
中国語:日本軍28万人(4万人)、中国軍は記載なし
英語:日本軍30万人(9.2万人)、中国軍60万人(33.3万人)
どれも本当に同じ戦闘を扱っているのかと言いたくなるように見事にばらけてます。歴史を一致させるというのは難しいですね。
まず言えることとして、中国のサイトが中国軍の参戦兵力を具体的に書かなかったのは意図的なものでしょう。百度百科以外でも探してみましたが見つからず、恐らくウィキペディアに書かれている60万人という数字が当たりでしょう。何故か書かなかったのかというと、2倍以上の兵力を投入したにもかかわらず負けたという事実を隠したいのと、出来るなら日本が不意打ちして中国軍は少ない兵力で抗戦したが負けてしまったという、中国は被害者という印象を作りたいためだと思います。こんだけネットの発達した時代なのにね。
次に気になった点、というより明確な意図を覚えた点として、中国軍の誤爆事件が百度百科にはやはり書かれていません。戦闘が開始後2日目に中国軍は日本の軍艦へと空爆を仕掛けるのですが、日本側の抵抗などを受けた結果、なんと市内のど真ん中、具体的にいえば現在も上海一の繁華街である南京路に誤爆するというとんでもない大ミスを犯しています。この結果、三千人以上の民間人が死傷しているのですが、日本語と英語のウィキペディアでは数字や場所について一致した記述があるのに対して百度百科は完全スルーです。これは中国贔屓の自分でも、見過ごすことのできない印象操作です。
そしてもうひとつ気になった点、というより三ヶ国語で調べようと思ったきっかけですが、第三国の反応についても三者バラバラです。私が最初日本語のウィキペディアを読んでいて非常に気になった点というのがここなのですが、「海外メディアの反応」というところで、海外メディアは日本側は戦争をギリギリまで回避しようとした、中国が無理に戦闘を仕掛けてきたと報じたと、日本にとって都合のいいところだけを如何にも切り取っているような印象を受けました。
それならばと百度百科はどうか。するとこっちはこっちで、西欧諸国はみんな日本の行動に憂慮したとか、上海にいるジャーナリストらは日本の帝国主義的行動を批判したなどと書いてあります。まぁ多分こうだろうとは思ったけど。
なら最後の砦の英語版ウィキペディアはどうだったのか。多分これが真相だと私は感じるのですが、「列強諸国はヨーロッパ事情に頭がいっぱいで、あまり感心を持たなかった」とのことです。そもそも他国のジャーナリストや新聞がどう報じたかを言い合っても、私はしょうがないと思うのですが。
なんかここまで書くとさも中国がまたねじくれたこと書いてるように思えるかもしれませんが、日本のウィキペディアにも記述が足りないと感じるところがあります。そのヶ所というのも、欧州諸国とは別にまだ余裕のあった米国はこの事件を通して、中国側に接近するようになっております。しかも上海事変後、中国側の提議によって米英を含む九カ国条約加盟国による国際会議が開かれ和平案が検討されますが、この点については日本語ではスルーされてます。まぁ何も決まらなかったのは事実ですが。
既に大分長くなっているので、上海事変の経過と、誰がどういった目的で起こしたかについての見解はまた次回に解説します。
その後、ずっと頭に気にかかっていたのでいつかは解説記事を書こうかなと考えていたのですが、先月になってネタ切れに及ぶにつれてようやく決心がつきました。そんなわけでまたネットを使っていろいろ調べていたのですが、調べている最中にいくつか疑問点が出てきたので調べてみると、いろいろと面白いことが互いにわかってきたので、今日はこの辺を一気に解説しようと思います。
まず上海事変とは日中戦争時に起きた上海での日本と中国の軍事衝突事件を指します。この衝突は1932年と1937年の二回あり、前者を第一次上海事変、後者を第二次上海事変と分けておりますが、上海事変ときて一般的に指されるものは日中戦争が本格化するきっかけとなった後者の第二次で、今回解説するのもこちらの方です。
この第二次上海事変がどういったものかを簡単にまとめると、1937年同年7月に起きた盧溝橋事件によって日中間で戦争が開始された後、日中両政府は建前は戦争不拡大方針を打ち出して外交での決着を図っていたのですが、盧溝橋事件から一ヶ月後の8月、日本の水兵が上海市で殺されたことをきっかけに両軍で戦闘が勃発。両政府ともそれまでの外交決着をあきらめ本格的に戦争を遂行する方針に切り替え、日中戦争が本格化する一手となった事件です。
ざっと書くとこれだけなのですが、私がウィキペディアで調べていて少し気になったのはやけに蒋介石の陰謀論が細々書かれていることです。そりゃウィキペディアなんだからあまり期待する方が間違っているものの、なんとなく日本の正当性を主張するかのような文言が目立ったので、それならどうせ中国語も読めるんだし、中国側がどうこの事件を取り扱っているかもこの際調べてみました。
すると面白いことに、ネット上の情報だけですが中国側は中国側で日本が無理な戦闘をけしかけてきたとこっちも正当性を主張している始末でした。中国がまた歴史捏造をしたということに済ませれば楽なことこの上ありませんが、果たして本当にそうなのか。そもそも事件の重大性に比べ日本の取り扱いが小さいことを考えるとそうとも言い切れないんじゃないかと思い、何か調べる方法はといろいろ考えた結果、もう頑張っちゃって英語版のウィキペディアも見比べてみようという結論に至りました。そういうわけで、参考した際とは以下の3サイトです。
・第二次上海事変(ウィキペディア)
・八一三事変(百度百科)
・Battle of Shanghai(Wikipedia)
百度百科というのは中国版ウィキペディアみたいなもんです。なんでここを参照したかというと、第二次上海事件に関して論じる中国の掲示板などで、ほとんどの人がここのサイトから情報を引用していたらからです。あと英語版ウィキペディアの記事についてですが、久々に長い英文を読んだ、しかも一般的でない単語多かったのでなんかしんどかったです。
まず特筆すべき点として、各サイトごとに参戦兵力と損害が異なっており、まとめると以下のようになります。
<参戦兵力>(括弧内は損害)
日本語:日本軍25万人(7万人)、中国軍60万人(15~20万人)
中国語:日本軍28万人(4万人)、中国軍は記載なし
英語:日本軍30万人(9.2万人)、中国軍60万人(33.3万人)
どれも本当に同じ戦闘を扱っているのかと言いたくなるように見事にばらけてます。歴史を一致させるというのは難しいですね。
まず言えることとして、中国のサイトが中国軍の参戦兵力を具体的に書かなかったのは意図的なものでしょう。百度百科以外でも探してみましたが見つからず、恐らくウィキペディアに書かれている60万人という数字が当たりでしょう。何故か書かなかったのかというと、2倍以上の兵力を投入したにもかかわらず負けたという事実を隠したいのと、出来るなら日本が不意打ちして中国軍は少ない兵力で抗戦したが負けてしまったという、中国は被害者という印象を作りたいためだと思います。こんだけネットの発達した時代なのにね。
次に気になった点、というより明確な意図を覚えた点として、中国軍の誤爆事件が百度百科にはやはり書かれていません。戦闘が開始後2日目に中国軍は日本の軍艦へと空爆を仕掛けるのですが、日本側の抵抗などを受けた結果、なんと市内のど真ん中、具体的にいえば現在も上海一の繁華街である南京路に誤爆するというとんでもない大ミスを犯しています。この結果、三千人以上の民間人が死傷しているのですが、日本語と英語のウィキペディアでは数字や場所について一致した記述があるのに対して百度百科は完全スルーです。これは中国贔屓の自分でも、見過ごすことのできない印象操作です。
そしてもうひとつ気になった点、というより三ヶ国語で調べようと思ったきっかけですが、第三国の反応についても三者バラバラです。私が最初日本語のウィキペディアを読んでいて非常に気になった点というのがここなのですが、「海外メディアの反応」というところで、海外メディアは日本側は戦争をギリギリまで回避しようとした、中国が無理に戦闘を仕掛けてきたと報じたと、日本にとって都合のいいところだけを如何にも切り取っているような印象を受けました。
それならばと百度百科はどうか。するとこっちはこっちで、西欧諸国はみんな日本の行動に憂慮したとか、上海にいるジャーナリストらは日本の帝国主義的行動を批判したなどと書いてあります。まぁ多分こうだろうとは思ったけど。
なら最後の砦の英語版ウィキペディアはどうだったのか。多分これが真相だと私は感じるのですが、「列強諸国はヨーロッパ事情に頭がいっぱいで、あまり感心を持たなかった」とのことです。そもそも他国のジャーナリストや新聞がどう報じたかを言い合っても、私はしょうがないと思うのですが。
なんかここまで書くとさも中国がまたねじくれたこと書いてるように思えるかもしれませんが、日本のウィキペディアにも記述が足りないと感じるところがあります。そのヶ所というのも、欧州諸国とは別にまだ余裕のあった米国はこの事件を通して、中国側に接近するようになっております。しかも上海事変後、中国側の提議によって米英を含む九カ国条約加盟国による国際会議が開かれ和平案が検討されますが、この点については日本語ではスルーされてます。まぁ何も決まらなかったのは事実ですが。
既に大分長くなっているので、上海事変の経過と、誰がどういった目的で起こしたかについての見解はまた次回に解説します。
2012年6月7日木曜日
東電OL殺人事件の元被告釈放について
なんか昨日今日とニュースが盛りだくさんでいろいろ書ききれないことが多いのですが、そんな数あるニュースの中で一番に取り上げようと思ったのが今日の東電OL殺人事件で逮捕され有罪判決を受けた、マイナリ元被告の釈放のニュースです。このニュースの私の感想は、遅きに失したとはいえ釈放されて本当に良かった、この一点に尽きます。
この事件については前身の「陽月秘話」でも確か取り上げていたと思いますが、念のため簡単に問題点をまとめます。事件そのものについてはウィキペディアの記事を参照するか、可能ならば佐野眞一氏の著書である「東電OL殺人事件」を読まれることを強くお勧めします。
まずこの事件、というより裁判でおかしな点はマイナリ元被告が犯人であるという証拠は全くと言っていいほどない、というより、マイナリ元被告が犯人ではないという証拠や状況の方が多かった点です。マイナリ元被告が逮捕された理由は被害者に生前、不特定多数の一人として接触してたことと、殺害されていた現場ことアパートの一室にマイナリ元被告の遺失物が発見されたという理由からでした。現場となったアパートに出入りしたことについてはマイナリ元被告も認めておりますが、問題なのは出入りしていたのはマイナリ元被告だけではなく、非常に多くの人間が被害者と一緒に出入りしていた点で、現実に犯行現場からは被害者でもマイナリ元被告でもない第三者の遺失物が数多く発見されており、これら遺失物でもって殺害した犯人とする証拠能力は皆無と言っていいほどありません。
さらに事件当日においては、マイナリ元被告にはかなり確実なアリバイがありました。この点については佐野氏の著書に詳しいですが、当時マイナリ元被告の勤務地である海浜幕張駅周辺から勤務後、被害者の殺害時刻にまで現場に行くことはほぼ不可能でした。何気にこの海浜幕張駅は中学高校時代に6年間通い続けた駅であるためこのアリバイ関連の話は私の中で非常にすっと入ってくるのですが、この海浜幕張駅を通る京葉線と武蔵野線の乗り換えのタイミングは今でこそ改善されているものの当時は絶望的なまでに悪く、どう踏ん張ったって犯行時刻には間に合わないと私も断言していいです。そんな確固としたアリバイに対し検察は裁判で、ちょっと記憶があいまいですが確か、「マイナリ元被告が勤務を終えた時間を間違えて、通常より早く店を出た」と主張していたような気がします。ガキみたいなこと抜かしやがって、ふざけるのも大概にしろと言いたいです。
また今回の再審開始のきっかけは被害者の死体に付着していたDNAが再鑑定され、マイナリ元被告の物ではないという結果が出たことからでしたが、こんなのも実は事件発覚当時からわかっていたことでした。当時はDNAではありませんでしたが、確か血液型がマイナリ元被告とはっきりと異なっていて、何故こんなわかりきっていた事実から再審が決まったのか、もっと早くに判断できなかったのか悔やんでも悔やみきれません。
今日、この再審開始のニュースを見た同僚などはマイナリ元被告はてっきり無罪判決を受けていたものだと勘違いしていました。恐らくその原因は佐野氏の著書が一審の判決、つまり無罪判決が出たところで終わっているからだと思いますし、うちのお袋も同じような勘違いをしていました。上記に上げた証拠からアリバイを考えれば無罪判決が出て当然なのですが、実はこの事件の真の闇は第二審、東京高裁にあります。というのも一審で無罪判決が出た直後、「マイナリ元被告以外が犯人である可能性は非常に低い」と声高に主張したある裁判官がおり、通常であれば一審で無罪判決を受けた被疑者は拘置所から釈放されるのですが、国外逃亡の恐れが高いとしてマイナリ元被告には釈放が許されませんでした。
仮にこれがアメリカ人や中国人など強国の人間であれば、人権侵害であるとして激しい抗議を受けるために釈放されていたでしょう。しかしマイナリ元被告はネパール人であったため、小国ゆえの悲しさか政府を通した圧力は通じず、人道上最低と言わざるを得ない違法な拘置を日本は実行しました。なおマイナリ元被告はその後、自身を犯人で間違いないと主張したその裁判官と対面します。相手は東京高裁第二審という法廷の裁判長として現れたのですが、裁判が始まる前からこんなこと言ってる人間が無罪判決なんか出すわけなく、逆転有罪の無期懲役を言い渡しています。
この時の裁判長こと高木俊夫氏について、私は彼の多大な功績を紹介せずにはいられません。古くは狭山事件の再審請求棄却に関わっており、東電OL殺人事件の前にはあの足利事件にも東京高裁の裁判長として菅谷さんに無期懲役刑を言い渡しております。私としてはぜひ、今回の東電OL殺人事件もはっきりと冤罪が証明され、数多くの冤罪事件を手がけた裁判官として歴史に名を残してもらいたいと強く祈るばかりです。
この事件については前身の「陽月秘話」でも確か取り上げていたと思いますが、念のため簡単に問題点をまとめます。事件そのものについてはウィキペディアの記事を参照するか、可能ならば佐野眞一氏の著書である「東電OL殺人事件」を読まれることを強くお勧めします。
まずこの事件、というより裁判でおかしな点はマイナリ元被告が犯人であるという証拠は全くと言っていいほどない、というより、マイナリ元被告が犯人ではないという証拠や状況の方が多かった点です。マイナリ元被告が逮捕された理由は被害者に生前、不特定多数の一人として接触してたことと、殺害されていた現場ことアパートの一室にマイナリ元被告の遺失物が発見されたという理由からでした。現場となったアパートに出入りしたことについてはマイナリ元被告も認めておりますが、問題なのは出入りしていたのはマイナリ元被告だけではなく、非常に多くの人間が被害者と一緒に出入りしていた点で、現実に犯行現場からは被害者でもマイナリ元被告でもない第三者の遺失物が数多く発見されており、これら遺失物でもって殺害した犯人とする証拠能力は皆無と言っていいほどありません。
さらに事件当日においては、マイナリ元被告にはかなり確実なアリバイがありました。この点については佐野氏の著書に詳しいですが、当時マイナリ元被告の勤務地である海浜幕張駅周辺から勤務後、被害者の殺害時刻にまで現場に行くことはほぼ不可能でした。何気にこの海浜幕張駅は中学高校時代に6年間通い続けた駅であるためこのアリバイ関連の話は私の中で非常にすっと入ってくるのですが、この海浜幕張駅を通る京葉線と武蔵野線の乗り換えのタイミングは今でこそ改善されているものの当時は絶望的なまでに悪く、どう踏ん張ったって犯行時刻には間に合わないと私も断言していいです。そんな確固としたアリバイに対し検察は裁判で、ちょっと記憶があいまいですが確か、「マイナリ元被告が勤務を終えた時間を間違えて、通常より早く店を出た」と主張していたような気がします。ガキみたいなこと抜かしやがって、ふざけるのも大概にしろと言いたいです。
また今回の再審開始のきっかけは被害者の死体に付着していたDNAが再鑑定され、マイナリ元被告の物ではないという結果が出たことからでしたが、こんなのも実は事件発覚当時からわかっていたことでした。当時はDNAではありませんでしたが、確か血液型がマイナリ元被告とはっきりと異なっていて、何故こんなわかりきっていた事実から再審が決まったのか、もっと早くに判断できなかったのか悔やんでも悔やみきれません。
今日、この再審開始のニュースを見た同僚などはマイナリ元被告はてっきり無罪判決を受けていたものだと勘違いしていました。恐らくその原因は佐野氏の著書が一審の判決、つまり無罪判決が出たところで終わっているからだと思いますし、うちのお袋も同じような勘違いをしていました。上記に上げた証拠からアリバイを考えれば無罪判決が出て当然なのですが、実はこの事件の真の闇は第二審、東京高裁にあります。というのも一審で無罪判決が出た直後、「マイナリ元被告以外が犯人である可能性は非常に低い」と声高に主張したある裁判官がおり、通常であれば一審で無罪判決を受けた被疑者は拘置所から釈放されるのですが、国外逃亡の恐れが高いとしてマイナリ元被告には釈放が許されませんでした。
仮にこれがアメリカ人や中国人など強国の人間であれば、人権侵害であるとして激しい抗議を受けるために釈放されていたでしょう。しかしマイナリ元被告はネパール人であったため、小国ゆえの悲しさか政府を通した圧力は通じず、人道上最低と言わざるを得ない違法な拘置を日本は実行しました。なおマイナリ元被告はその後、自身を犯人で間違いないと主張したその裁判官と対面します。相手は東京高裁第二審という法廷の裁判長として現れたのですが、裁判が始まる前からこんなこと言ってる人間が無罪判決なんか出すわけなく、逆転有罪の無期懲役を言い渡しています。
この時の裁判長こと高木俊夫氏について、私は彼の多大な功績を紹介せずにはいられません。古くは狭山事件の再審請求棄却に関わっており、東電OL殺人事件の前にはあの足利事件にも東京高裁の裁判長として菅谷さんに無期懲役刑を言い渡しております。私としてはぜひ、今回の東電OL殺人事件もはっきりと冤罪が証明され、数多くの冤罪事件を手がけた裁判官として歴史に名を残してもらいたいと強く祈るばかりです。
2012年6月5日火曜日
称賛された中国のバス運転手
このところ中国の報道で、杭州市のあるバス運転手が大きく取り上げられております。事の起こりは先日、この運転手が勤務で乗客を乗せてバスを運転していたところ、突然目の前から大きな鉄板が突如飛来してきて、運転してたバスの正面に直撃しました。現在においてもこの鉄板がどこから来たのかはっきりわかっていませんが、私が見た報道だとどうもトラックか何かの外装部品らしく、近くで破損して剥がれた物ではないかということです。
話は戻りますがこの鉄板はフロントガラスを破り、そのまま運転手の体に深く突き刺さりました。この瞬間は車載カメラで詳細に撮影されており、動画は見てませんが写真であれば私も見ており、避ける間もなく文字通り一瞬のうちに運転手の体に刺さっておりました。ただこの運転手、それこそ刺さった衝撃で一瞬で意識が飛んでもおかしくないにもかかわらず、その後もハンドルを握り続けバスを路肩に寄せるとサイドブレーキをしっかり引いてハザードランプを点灯したところで意識を失い、そのまま絶命しました。
仮にこの運転手がバスを止めるといった適切な対応をしなければ、それこそバスは暴走して乗客の命も危なかったでしょう。命を失うような事態にあっても最後まで職責を全うした運転手として、大規模な追悼会が開かれるなどその死が惜しまれております。確か年齢は31歳だったかな。
私個人としても気が動転しておかしくない状況にもかかわらず冷静な判断を保ち、なおかつそれを実行したこの運転手には尊敬の念を強く覚えますし、こうして大きく取り上げられるというのも素直に良い現象のように感じます。日本ではこの前、友人に馬鹿にされたからと言って中学生がバスジャックを起こそうとしましたが、一歩間違えれば多くの人間が死ぬようなことをよくもそんなくだらない理由で起こしてくれたものだと、中国のこの事故を見て改めて強い憤りを感じました。
話は戻りますがこの鉄板はフロントガラスを破り、そのまま運転手の体に深く突き刺さりました。この瞬間は車載カメラで詳細に撮影されており、動画は見てませんが写真であれば私も見ており、避ける間もなく文字通り一瞬のうちに運転手の体に刺さっておりました。ただこの運転手、それこそ刺さった衝撃で一瞬で意識が飛んでもおかしくないにもかかわらず、その後もハンドルを握り続けバスを路肩に寄せるとサイドブレーキをしっかり引いてハザードランプを点灯したところで意識を失い、そのまま絶命しました。
仮にこの運転手がバスを止めるといった適切な対応をしなければ、それこそバスは暴走して乗客の命も危なかったでしょう。命を失うような事態にあっても最後まで職責を全うした運転手として、大規模な追悼会が開かれるなどその死が惜しまれております。確か年齢は31歳だったかな。
私個人としても気が動転しておかしくない状況にもかかわらず冷静な判断を保ち、なおかつそれを実行したこの運転手には尊敬の念を強く覚えますし、こうして大きく取り上げられるというのも素直に良い現象のように感じます。日本ではこの前、友人に馬鹿にされたからと言って中学生がバスジャックを起こそうとしましたが、一歩間違えれば多くの人間が死ぬようなことをよくもそんなくだらない理由で起こしてくれたものだと、中国のこの事故を見て改めて強い憤りを感じました。
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