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2013年10月24日木曜日

「ほこ×たて」のやらせ報道に対する所感

 先程家に帰宅して冷凍しておいた手ごねハンバーグをチンして夕ご飯を食べましたが、食べながらテレビでも見ようとチャンネルを回したものの、結局テレビの電源を切ってしまいました。というのもどのチャンネルも面白くなく、頼みのNHKのクローズアップ現代ですら介護離職がテーマの番組で、大事な問題を取り上げていることはわかるけど見ていてなんか元気なくなってくるから避けました。それにしてもチャンネルはいくつもあるのに見れる番組が一つもないというのはこれ如何にってなもんです。しかもどの番組も、正直に言ってただ横で映っているだけでイライラするというか不快感を催すものばかりで、あくまで私の感覚ではありますが楽しむ以前の番組しかありませんでした。

 こうしたテレビの面白さの下落は今に始まるものじゃありませんが、今日またそれを象徴するような報道が出てきました。

フジテレビ、「ほこ×たて」の放送取りやめ 当面は自粛(デイリースポーツ)

 上記リンク先を含めた一連の報道によると、フジテレビの「ほこ×たて」という、様々な業界の達人なり商品同士が直接対決を行ってどちらが勝つのかを競うこの番組で悪質なやらせが行われていると、なんとこの番組の出演者がブログで明かしました。詳しい内容はその他の報道で見てもらいたいのですがこの出演者自身、何度もこの番組に出ている上、明かされたやらせの内容が妙に生々しいというか真実味があり、いろんな方面で早くも大きな話題となっております。
 こうした反応を受けてか当事者であるフジテレビ側も即反応し、リンク先のニュースによると次回以降の番組放送を取りやめ、自粛すると発表してきました。やらせ自体はまだ認めておらず調査中と主張しているものの、先ほどの出演者の発表内容といい、フジテレビのガチに焦っているこの対応を見る限りだと私はあまり疑う気にはなりませんね。

 そもそもというかこの「ほこ×たて」という番組、以前からきな臭い噂というか疑義の声が絶えない番組でもありました。一番議論されていたのは「ハッカーVSセキュリティソフト」という対決で、たまたまこの回だけは私も見ていてそれなりに面白いとは思っていたのですが、放送後にハッカーの側から放送されなかった場面で不利な条件を突き付けられたとか、突然の対決ルール変更などがあった事実が明かされ、始めからマッチポンプというかシナリオ有りきというか、八百長があったのではないかという噂が流れていました。
 それ以降はこの時ほど大きな話題にならなかったものの演出面で怪しい場面が少なくないなど言う声はちらほら聞かれ、それに合わせて私の周りでも「段々つまらなくなってきた」など番組を見なくなる人も出てきました。

 そうした矢先に今回のやらせ報道と来たもんですから、「やっぱり」という言葉がまず真っ先に浮かんできました。すべての演出を否定する気は毛頭ありませんが今回行われていたというやらせは完全に視聴者をだますものでしかなく、こんなことをやって恥ずかしくないのと番組制作者に直接問いただしてみたいものです。
 かなり昔というか学生時代にテレビ局、ひいては放送倫理・番組向上機構(BPO)にもいた放送関係者の授業を受けたことがありましたが、その講師は放送していい番組か悪い番組かを見分けるためにはたった一つの質問があればいいと言っていました。その質問というのは番組制作者に対するもので、「貴方は自分が作った番組を自分の子供に自信を持って見せられますか?」というものでした。「ほこ×たて」のプロデューサーさんはどう聞くのかなこの質問を。

 今、フジテレビは決して冗談ではなく視聴率で凋落の一途をたどっており、番組制作向け予算額で大幅に少ないテレビ東京にまで背後に迫られて「振り向けばテレ東」とまで言われるほど危機的な状況に陥っています。来年3月には「笑っていいとも」も終わるそうですし、この際だから放送免許もそろそろ返上するなりしたらどうかと、NHKニュースを見ながら思う次第です。

2013年10月23日水曜日

阪急阪神ホテルズのメニュー偽装問題について

「鮮魚」メニュー実は冷凍 阪急阪神ホテルズ異なる表示(朝日新聞)

 既に各所の報道で皆さんも知っておいでかと思いますが、阪急阪神ホールディングス傘下のホテル会社である阪急阪神ホテルズは昨日22日 (経済紙っぽい書き方をするなぁ自分も)、自社が運営するホテルやレストランで提供した食事にメニューと異なる食材を使っていたことを発表しました。阪急阪神ホテルズは会見で謝罪を表明し、料理を提供した顧客に対して全額返金を行う方針も合わせて発表しています。

 昨日にこのニュースを見た時の私の感想はというと、「京都新阪急ホテルも?」という、ちょっと妙な反応の仕方でした。なんでピンポイントにここを思い浮かべたのかというと、ここは京都駅の真正面にあって京都駅に行く度にいつも目の前通って、「一回でいいからここ泊まってみたいなぁ」と何度も考えてた場所だったからです。ちなみに報道というか発表によると、やっぱりここのレストランでも誤表示があったそうです( ´・ω・)y━フゥ

 たった今、「誤表示」と書きましたがこの表現を「偽装」と書くべきか「虚偽記載」と書くべきかでちょっと悩みましたが、温情をこめて「誤表示」を採りました。結論をもうここで書きますが私個人としては今回の阪急阪神ホテルズの発表は批判を受けるのはしょうがないものの全額を返還する対応、そして自ら発表したその姿勢に関しては高く評価しています。

 そもそも阪急阪神ホテルズは何故今回このような発表をしたのかというと、なんでも他社のホテルで似たような誤記載が発覚したのを契機に社内調査をしていたところ、自分たちも同じことをやっていたということに気が付いたそうです。何故誤表示が起こったかという背景に関してはメニュー作成担当者、調理担当者、食材発注担当者、仕入れ業者の間で連絡の不備や認識不足があったためで意図的ではないと説明していますが、さすがにこれはちょっと信じられず、多分この中の単独、複数を問わず誰かが明確な意識を持ってやっていたのがオチだと思います。

 ただそうは言うものの、仮に黙って社内処理さえすれば世に出ることのなかった事実なだけに、本社の管理側は今回のこの行為が行われていたことを知らなかったというのは全額返金という対応を採ったあたりからも真実だと思います。罪を憎んで人を憎まずとも言いますが、こうして自浄作用が働いた上に反省する態度をしっかり示しているのだからその点は評価してあげるべきだし、むしろ率先して発表したことを誉めるべきではないでしょうか。

 というのも、このような異なる食材をメニューに載せる行為は、飲食業界だと日常茶飯事なんじゃないかと思うからです。話に聞く限りですけどスーパーの食材も表示偽装はこの前のイオンだけじゃなく本当に溢れているそうで、牛肉の偽装もハンナンの会長が逮捕されるまで当たり前のように行われていました。まだ味とかでわかりやすい食材ですらそんな状態なのですから、もっとわかり辛い調理後の料理に至っては数多くの飲食店で同じ行為がされているような気がします。
 これは完全に私の勘ですが、今回の阪急阪神ホテルズの発表を契機に今後恐らく、同じような行為が内部告発なりであちこちで明るみに出る気がします。その対応もさることながら今後の展開いのける嚆矢となる発表なだけに、阪急阪神ホテルズは心を入れ替えて頑張ってもらいたいと心からエールを送りたいです。

 こんな記事書いたんだし、京都新阪急ホテルの割引券とかくれないかな……。

  おまけ
 ちょっと趣が異なりますが、このところ出版業界で内部告発をきっかけとした不祥事が二つ明るみに出ています。一つは秋田書店で漫画雑誌でアンケート回答者へ抽選で送る景品を実際に葉送っていなかったという事例で、もう一つはぴあが「ももいろクローバーZ」の特集誌の発行部数を実際より少なく申告していた事例です。

 どちらもあまりにも内容がせこすぎて呆れる限りですが、ぴあの例に至っては理解不能としか言いようがありません。通常、発行部数は広告費を高くするためやや多めに発表するのですが、著作権を持つスターダストプロモーションへ支払う印税をケチるため、わざと少なめに申告したとのことでアホじゃんとしか言いようがありません。
 実は先日、タイムリーなことにぴあを訪れることがあって向こうの会社の人とも会って話しましたが、まぁ感じの悪いの、話しの組立てが下手なので物凄い不快感を存分に味わいました。ぴあ側はほかの書籍や雑誌では同じことはしていないと言ってますが、こんなせこいことを昨日今日で思いついてやるかっていう気もするし、上記のように社内の人の印象が悪かっただけに、ほかにも同じことやってるんじゃないかと個人的に思います。

2013年10月22日火曜日

私立校教師の指導力について

 何度もこのブログで書いているので知っている方も多いでしょうが、私は中学受験をして私立の中高一貫校に通った経歴を持っております。そんな私の個人的な意見として、進学校とされる私立校の教師は世間で見られるほど指導力が高くはないのではないかという気がします。

 私の経験談で話すと確かに通った中学、高校には熱心な教師もいて教え方も上手な人もいましたが、それは必ずしも全員ではなく、教科によってははっきり言って教え方が非常に悪い教師もいました。なんでそんなことが言えるのかというと、同じ学年内でたとえば数学なら数学、理科なら理科でクラス別に指導する教師が異なってて、ある教師のクラスだけが極端に平均点が低く大きな差がついたことがあったり、あと私自身の体験としては進級して指導教師が変わるや途端にその科目の点数が伸びたりすることもありました。まぁこれは相性が良かっただけかもしれませんが。

 はっきり言って私の通った学校は世間一般では進学校として通っておりましたが、ただ教科の進捗スピードが速いだけで教師の教え方が上手いかどうかでみると結構微妙だったと思います。先程の様に一部の教師が極端に教え方が悪いというのもありましたが全体で見ても、「進学校だから教師の指導がいい」とはとても言えない学校でした。
 このように考える根拠としては実にシンプルな理由が二つあり、一つは校内の成績上位者はみんな学外の予備校なりに通っている人間だったことと、勉強について行けず落ちこぼれる生徒は果てしなく成績が落ち込んで行ったからです。かくいう私も中学時代の成績は下から数えればすぐに数えられる水準だったのですが、高校進学後に予備校に通うや一気に成績が跳ね上がって、自分で「学校通う意味あんのかこの結果は?」などと自分でツッコんだくらいです。単純に予備校教師と比べても授業時間数は少ないにもかかわらず理解度は予備校のが勝ってたし、成人して中学校時代の授業を思い出すにつれてなんであんな妙な教え方してたんだあの教師はと思う事すらあります。

 それでここからがミソなのですが、何故教師の指導力がそれほどでもないのにその学校は進学校と呼ばれたのか、結論から言うと選抜試験が難しくて倍率が高く、いい素材というか学力の高い子供が入学してくるからじゃないかと勝手に睨んでいます。

 これは予備校で働いている友人が言ってたことですが、やっぱり子供によって理解力には差があり、理解力が高い子どもの方が教える側としては楽だそうです。私自身も大学時代に後輩を指導した際、その理解度の差というか反応速度の違いは人によってはっきりと感じます。
 思うに、自分の通った中学、高校はそこそこ県下で知名度があって人気だったことから優秀な生徒を集めやすく、その優秀な生徒の上に胡坐をかくというか、教師の教え方が悪くても生徒はきちんと理解して、そこそこいい大学に進学する人間も出てくることから進学校として成立してたんじゃないかという、かなり不届きな考えを持っています。

 敢えて学力を料理にたとえると、生徒自身の理解力なり才能は素材で、教師の指導というのは調理技術に当たります。極論を述べると素材さえよければ調理技術が如何に未熟でもそれなりの料理は出来てしまいます。素材が悪いにもかかわらずまともな料理に仕立て上げる、またはいい素材を存分に活用して上等な料理をこしらえてこそ一流の料理人であって、教師にも同じことが言えるのではないでしょうか。

 なんでこんな愛校心の欠片もない記事を書こうとしたのかというと、前述のある中学校教師の授業中の言葉を何故か突然思い出したからです。そのセリフというのはその教師の担当科目でテストの平均点が悪かった際に、「なんでお前たちは上の学年よりこんなに出来が悪いんだ」というものでした。単純に上の学年より素材が悪くて申し訳ないとしか私としては言えないのですが、さっきのセリフは悪い素材じゃもうお手上げだと言ってるようなもので、わざわざ自分の無能ぶりを棚に上げなくてもという気も今更ながらします。ここまで言えばわかるでしょうが、学力の低い生徒を引っ張り上げてくる教師こそ指導力のある教師だと私は考えているわけです。

2013年10月21日月曜日

書評「夢を売る男」

 またというか百田尚樹氏の小説を紹介するのもこれで三度目ですが、贔屓にしているというわけじゃないもののなんか周りの人がこの人の本を貸してくれるので、ブログの上で感想を伝えるという意味合いもあって毎回書いてます。ちなみに、各本の入手経路は以下の通りです。

・永遠の0:大学の先輩が貸してくれた(in中国)
・海賊と呼ばれた男:親父が貸してくれた
・夢を売る男:高校の同級生が貸してくれた

 まず前回紹介した「海賊と呼ばれた男」については主人公のモデルとなった出光佐三を異常に持ち上げ過ぎで、提灯記事もとい提灯伝記もいいところだとして本屋大賞という賞を受賞するに値しない本だと述べ、自分でもびっくりするくらい厳しく批判しました。なのでこういう書評記事をアップする際にはいつもAmazonの広告リンクを貼りつけていますが、自分が薦められない本の広告なんて貼りつけられないというのと、批判した手前、作者の百田氏に悪いと思ってその記事に関しては何も広告を付けませんでした。
 しかし今回紹介する「夢を売る男」ですが、これに関しては文句なしにお勧めできます。むしろ何故この本を差し置いて「海賊と呼ばれた男」が本屋大賞を受賞したのか、「夢を売る男」がどうして選ばれなかったのか納得いかないくらいです。ま、あの内容では文学賞なんて取れるわけないんですけどね

 早速この作品についてあらすじを簡単に紹介しますが、この本は自費出版を手掛ける出版社を巡るドタバタ劇なストーリーです。主人公はその出版社で働くやり手の編集兼営業課長みたいな人なのですが、自費出版をしたいと原稿を持ち込んでくる人だけでなく、自社で催行した文学賞の応募者などに対して、「我々は本当に良い作品だと思ったのですが敢え無く大賞の選考に漏れてしまいました。しかし貴方の作品は世に埋もれさせるにはあまりにも勿体ないだけに、我々と一緒に自費出版をしませんか」、などというセールストークで以って口説き落とし、次々と自費出版を促していきます。

 一体何故自費出版を促すのかというと、さっきのセリフの様にその作品に価値がある、売れると思うからではなく、執筆者が出版社に支払う編集・出版代行料が大きな収入源となるからです。作中では具体的な数字も書かれてあり、数万部発行するに当たり実際にかかる費用は約20万円程度に対し、出版社がその執筆者に請求する金額は150万~200万円で、本を1点自費出版させることで100万円超も利鞘が出るという計算です。おいしいねぇ。
 この数字なんですが、妙にリアルというかかなり実態に近い数字だと思えます。というのも以前に自費出版について私が調べた際にも1点の自費出版費用は大体200万円前後で上記の数字とピタリと一致するだけに、実際の発行費用も20万~40万円程度が真実なのでしょう。

 あらすじに戻りますが、こんな感じなのでその出版社は作品として売れる、売れないは度外視し、何らかの原稿を持っている、書ける人間に対して自費出版をさせることで売り上げを増やすという事業をやっているわけです。作中ではその出版社に入ったばかりの新人が、売れる可能性のない本をさも売れるかのように持ち上げてお金をかすめ取るなんて詐欺みたいだと抗議する場面もあるのですがそれに対し主人公は、「いいか、これはあくまで社会事業なんだ!」と言って諭すシーンがあります。
 主人公に言わせると、何かしら原稿を数百枚書いたり、毎日ブログを更新したりするような人間はある意味で異常な人間で、表現したという欲求が溜まり切っている状態なんだそうです。そうした人間にこうして自費出版を持ちかけ、実際に出版までこぎつけさせることで彼らのフラストレーションを解消する一助になっており、運が良ければ、万に一つもないんだけど、大ヒットして大いに売れる可能性もあるだけに「俺たちは執筆者に夢を売っているんだ!」という主張が展開されます。

 多分、ここまで読んだ時点で「それってお前やんけ」と、読者の方々は私のことを思い浮かべてるんじゃないかと思います。まぁ実際にほぼ毎日ブログを更新するし、表現欲求が異常に高いことは認めますが、実際にこの本貸してくれた友人も、後から読ませた親父も、「毎日ブログを更新する奴は異常だって書いてるじゃねぇか」って真っ先に突っ込んできやがったし。

 話が少しそれましたが、上記の主人公の主張というのは実に正鵠を得ていると思います。確かに近年の日本ではツイッターやSNSが普及したことから、「もっと俺の書く文章を世の中に知らしめたい」と思う人間が増加しており、そうした人間を食うことに力を入れる、つまり自費出版事業を強化している出版社も増えています。更に作中ではかつて文学賞を受賞したような文豪が評価する、発表する小説なんて今の時代では全く売れず、飯のタネにもならないとどの出版社も理解しているが大手はそのプライドから文芸誌を出し続け、赤字を生む要因になっていると出版業界全体に蔓延する問題も指摘しています。

 ざっとこんな具合なんですが、出版業界のタブーというか問題点に深く切り込んでいる上、あまりにもリアリティに溢れている話が多く、よくこんな逆批判本を出版できたなと感心してやまない次第です。これが冒頭に述べた、文学賞は絶対に取れない本だという根拠です。
 しかし自分もメディア業界に身を置いたことがあるだけに、今の日本の出版業界を取り巻く状況については多少の理解があると自負します。その自分に言わせると、この本は本当に今の出版業界の問題点を鋭くあぶりだしており、なおかつストーリー展開でも同じ自費出版事業を手掛けるライバル社が現れたりと浮き沈みがあって読んでいて次のページを早くみたいという感覚を久々に覚えた作品です。なわけで、今日はちゃんとAmazonの広告を貼り付けますが興味がある方は何もわざわざAmazonで買わなくてもいいので、思い切って手に取ることをお勧めします。




2013年10月20日日曜日

サザエさんにまつわる法則

 サザエさんとくれば日本人にとって説明するまでもない国民的アニメですがその知名度と影響力の高さゆえに世の中の様々な事象に対して法則名として使われることも少なくありません。そこで今日はサザエさんにまつわる各種の法則をまとめて取り上げてみようと思います。

1、サザエさん症候群 (Wikipedia)

 サザエさん関連で最も有名な法則というのはこの「サザエさん症候群(シンドローム)」で間違いないでしょう。この法則というか現象は何も日本に限らずほかの国にも似たようなものがあるかと思いますが、日曜日の夕方に放映されるアニメのサザエさんを見る度に、「ああ、明日(月曜日)からまた仕事か……」という事実を意識し、ブルーになるというか鬱っぽい気分になる事を指します。なにもサザエさんに限らず日曜の終わりを感じさせる番組の笑点や大河ドラマなどにも同じことが言えますが、数ある候補の中からサザエさんが選ばれる当たりさすがというべきでしょうか。
 ちなみに余談ですが前職でお世話になった香港の編集長と、ある日こんな会話をしました。

「花園君、君はサザエさんシンドロームという言葉を知っているかね?」
「もちろん。あの日曜の晩に気分が落ち込むという奴でしょ」
「僕にとってすればサザエさんなんてまだ甘い。僕が銀行員だった頃は土曜の晩の時点で明後日からまた仕事が始まると思い、落ち込んでいたよ……」

 行員の仕事は大変なようです……。


2、サザエさん効果(Wikipedia)

 これは今回調べている最中にたまたま見つけて初めて知ったのですが、なんでも大和総研が2005年に発表したレポートに載せられた言葉なのですが、ヤマト総研の説明によると、サザエさんの視聴率の上下と東証株価指数の上下との間に高い相関性があるそうです。具体的に言うと、サザエさんの視聴率が下がれば株価が上がり、視聴率が上がれば株価は下がる傾向が見られるとのことです。実際に両者がどれくらい相関しているのか表す相関係数も出されており、その数値はなんと0.86に達し、ニューヨーク株式市場と東証株価指数の相関係数の0.56を大きく上回る水準だそうです。
 なんでこれほど相関があるのかという理由については、サザエさんを見ないというのは夕方に外出しており、消費が行われている状態にあるからではないかという仮説が出されてありますがこれについては反論も出ています。どちらにしろかなり面白い研究結果で、ヤマト総研もやるなぁと思うと同時にこれから自分も参考にしようと思います。

3、サザエさん方式(ピクシブ百科事典)

 こちらも有名というか、日本の漫画やアニメといったコンテンツにおける特殊な表現手法として私も高く評価しています。
 言うまでもないことでしょうがサザエさんの世界では年を跨ぐ時間の進行はなく、カツオが進級することもなければタラちゃんやイクラちゃんはいつまでたっても子供のままです。これはサザエさんという番組が日常を描いていることと深く関係しており、人間関係や各キャラの設定に変動があっては困るためでしょうが、注目すべきはこうした時間の進行がないまま日常が永遠に繰り返されるというストーリーが他の日系コンテンツに見られることです。

 厳密にはわかりませんが、このように日常が繰り返される方式のコンテンツはほかの国にはそれほど見られないのではないかと思います。アメコミではスヌーピーが出る「ピーナッツ」なんかはこの類かもしれませんが、「スパイダーマン」のように長期連載であってもストーリーは必ず進行していく形式が多いように見えます。片や日本はサザエさんを筆頭に「クレヨンしんちゃん」や「ドラえもん」など数多くの作品でこのサザエさん方式でテレビ放映が続いています。
 なおこのサザエさん方式ですが、別称では「サザエさん時空」と呼ばれることもあります。永遠と日常が続くことから変な目で見ると「出口のない世界」にも見えて、「終わりがないのが終わり、それがゴールド・エクスプリエンス・レクイエム」、なんていうジョジョ5部に出てくるジョルノのセリフがなんだか連想されます。

 あとこのサザエさん方式に加えるべき作品なのかでちょっと悩むのが、日本が誇る二大推理漫画の「名探偵コナン」と「金田一少年の事件簿」です。後者は中断が挟まれたりしてますが、どちらも長期連載にもかかわらず登場キャラクターは年齢を重ねることがありません。その結果どうなってしまったのかというと、それぞれの世界における1年間の殺人事件の被害者数がえらいとこまでカウントされてしまっており、どんだけ物騒な世の中なんだよとツッコミたくなる事態に陥ってます。

2013年10月17日木曜日

武田信玄の上洛はなんのため?

 昨夜のNHKのテレビ番組「歴史秘話ヒストリア」では上杉謙信が特集されておりました。その番組で知ったのですが以前やっていた大河ドラマ「風林火山」の放映以降、川中島の観光イベントにこのドラマで上杉謙信役を演じたGackt氏が毎年ゲスト参加して好評を博しているそうです。ここだけの話、よくドラマで話題性を得るためだけに役者ではなく芸能人を配役することがありますが、「風林火山」における上杉謙信役にGackt氏はベストキャストだったと思え、放映以降の上杉謙信のイメージは今じゃGackt氏以外には考えられません。
 もう少しおまけ情報を入れると、上杉謙信はよく僧形の姿で描かれることがあり、白い頭巾を被れば上杉謙信のモノマネとして通用するくらいイメージが強いですが、「風林火山」における上杉謙信は長髪の痩せた武士の姿、っていうかまんまGackt氏の普段の姿で描かれてます。ウィキペディアの情報によるとこれはGackt氏の提案によって実現したそうで、その根拠というのも「川中島の合戦時にはまだ上杉謙信は出家していない」とGackt氏が主張したことからだそうです。

 また前置きが長くなってしまいましたが本題に移ると、上杉謙信のライバルとくれば武田信玄ですが、前々から納得いかないというか疑問に感じていることに、武田信玄は何故晩年に上洛しようとしたのかという事実があります。そこで今日は現在の説ととともに私の意見を載せてみます。

西上作戦(Wikipedia)

 織田信長にとって本能寺の変を除く人生最大のピンチとくれば、武田信玄が上洛に動いた1572~1573年であることに歴史通なら誰もが頷くでしょう。この時期、信長は浅井、朝倉の連合軍はもとより一向宗、上杉家、毛利家、そんでもってそれらをたきつけた足利家との光線が続いており、それこそほんの一刺しバランスが崩れることで一気に尾だけが崩壊しかねないような状況にありました。
 こんなにっちもさっちもいかない状況に飛び込んできたのが武田信玄です。甲斐を進発すると駿河を経由して途中にある徳川家の城を次々と攻略し、家康本隊も三方ヶ原の戦いで壊滅させております。仮にあのまま尾張にでも進軍していたら織田家は崩壊していただろうと言われますが運がいいというか途中で信玄が病没し、武田家は結局、志半ばで甲斐に撤退することとなります。

 さてこの武田家による西上作戦に対して私が何に疑問を持っているのか一言でいうと、適当な地盤も持たずに遠征を行う価値が本当にあったのかという点です。要するに、この遠征は戦略上、そこまで価値があったのかについて疑問があるわけです。
 確かに当時の織田家は「SAN値!ピンチ!」って言いたいくらいに逼迫した状況下で、武田家が徳川家を破って背面から突きようものなら致命傷を与えることも不可能ではなかったと思います。しかしそれはあくまで仮説であり、、仮に織田家が犠牲を覚悟で武田家に向き合うのであれば勝機はやはり織田家にあったように思えます。

 当時、反織田勢力は一向宗は元気100倍みたいな状況で手が付けられないくらいでしたが、浅井、朝倉の連合軍は1570年の姉川の戦い以降は衰退の一途をたどっております。当時の織田家の戦線が近畿から北陸、東海と広い版図故に長く伸びきっていたのは事実であったものの、仮に近畿地方を放棄して岐阜周辺に兵力を集中させ防衛に徹していれば武田家の兵力に対しても十分対抗できたように思えます。しかも長期戦に持ち込むことが出来たら、この後に述べる補給の点から言っても十中八九の割合で織田家が勝っていたでしょう。

 この補給についてですが、武田家は上杉、北条と同盟し後顧の憂いを断って遠征に打って出ましたが、遠征軍故に補給の問題がかなり大きかったように思えます。ただでさえ信玄の領土は山地が多く米があまり取れない場所で、それに大兵力だったことを考えると長期戦に耐えられるとはとても思えません。
 また仮に尾張まで武田家が進撃できたとしても、本国との距離は果てしなく遠くなり、逆に徳川家の残存勢力なり織田家の別動隊が後方攪乱を行えば一気に瓦解しかねない状況になります。徳川家を完全に踏み潰してから行くのであればまだわかるんだけど。

 要は兵糧というか補給の面でかなり怪しい面が多いと思うだけに、何故信玄がそんな無謀な上洛を行おうとしたのかが理解できないわけです。よしんば織田家を叩いて京都にまで行ったとしても、そこからまたすぐに甲斐に引き返すんじゃ骨折り損のくたびれもうけだし、撃破した織田家の領土を丸ごと得ようったって、果たして短期間でそううまく管理できるのかなとも思えますし。

 このように考えると、信玄は本当に上洛が目的で遠征を起こしたのかも怪しく思えてきます。一説では上洛というよりは徳川家の領土制圧が目的だったという意見もあるそうで、まだこっちの方が隣接地を併呑する形になるわけですから理解が出来ます。

 さっきからなんかうまくまとめきれていませんが、武田家にはもう一つ問題があるというか、織田家と違って武田軍を構成する兵士のほとんどが農民兵です。織田家は戦争のみを遂行する職業兵士を擁することによって度重なる遠征や迅速な移動を可能にしましたが、当時の織田家以外の大名家では半農半兵の兵士が主力で、農繁期は農作業を行う必要があるために戦争を行うことが出来ませんでした。武田家の西上作戦は1573年の4月に信玄の急死を受けて終了していますが、仮に生きていたとしても農作業の予定から言ってあれ以上の期間は軍を動かせなかったことでしょう。

 以上の様に、私の目から言ってあの武田家の遠征は上洛を果たすには穴だらけというか問題があまりにも多すぎます。そのため信玄の目的は上洛して天下に号令を出すことよりも、既に記述しているように徳川家の領土制圧か、織田家に一撃を喰らわせて浅井、朝倉家を始めとする反織田勢力が盛り返すチャンスを作ることだけにあり、織田家を本気で攻め滅ぼすつもりは毛頭なかったのではないかと思います。逆を言えばこの信玄の戦略が読めていれば、織田家はひたすら防衛に徹して長期戦に持ち込むことで逆に武田家を窮地に誘い込むことも出来なくはなかったとも考えられます。

 まとめとしては上記の二つの目的はどちらも信玄の急死、または計画に無理があって果たせず終いで、あの遠征は家康に冷や汗をかかせただけの結果しか作れなかったとしか言えず、評価としてはあまり芳しくない遠征だったと言いたいわけです。それなら目的を絞って、浜松城の完全奪取だけでもやっておけばよかったのにと、結果論からなら言えるわけです。

2013年10月16日水曜日

中国の経済犯罪に関する謎の統計( ´,_ゝ`)

 今日も神経をすり減らす中で元気に中国ニュースを見ていたところ、また面白いニュースが見つかったので紹介しようと思います。その内容というのも、中国における経済犯罪の統計で、要するにどれだけの資金が持ち逃げされたかについてやけに詳しくまとめられてます。

中国外逃裸官人均携款500万 最年轻者25岁(鄭州版報)

 記事の出典は鄭州晩報(サイトに至っては東方網だが)と書いてありますが、記事中で引用したデータは経済誌の「財経」のものだと但し書きがあります。何気にこの「財経」は私が不定期に購読していた経済紙で、上海人の友人にこれ読んでるって言ってみたら、「中国人からしても難しい内容なのに、こんなの読むの?」と言われてちょっと自信がつきました。最初はコンビニ(セブンイレブン)で買ってたけど、後に会社がまとめて買ってる雑誌の中に入ってたと知ってアイヤーとか抜かしてました。

 そんなどうでもことはいいとして本題に入りますが、持ち逃げ資金に関する実に様々な統計が記事中では紹介されています。それにしてもそもそも、なんでこんな統計があるのか、っていうか統計取るほど数も多過ぎやしないかなどと、どこから突っ込んでいいかよくわからないネタです。こういうわけのわからなさが中国のいい所であり自分の好きな所でもあるのですが。
 と、あまり長々と書いてもいいのでとりあえず乗っている統計データを片っ端から書いてきます。

<一人当たり海外逃亡資金>(1元=15円で計算)
・2000~2003年:430万元(6450万円)
・2007年:540万元(8100万円)
・2012年:480万元(7200万円)
※記事では「2012年は500万元を下回った( ^∀^)」って書いてます。

<海外逃亡人数、資金の累計>
・1990年代中期以降で1.6万~1.8万人
・累計流出資金:8000億元(1兆2000億円)
※記事中では上記の数字に対して関連官庁から正式に発表されたデータではなく真偽は怪しいとして、実際にはもっと多いことを示唆している。

<2007年の取り締まり実績>
・経済犯罪者の逃亡人数:5724人
・うち捕獲人数:4547人

<最年少経済犯罪者の年齢>
・25歳

 ざっと書いてあるデータをまとめましたが、実際にはもっと多いだろうっていう気がしますね。なおこれらのデータは公務員、国有企業の責任者、金融業界関係者の枠内で民間企業の社長とかは入ってない模様です。それにしても最後の25歳は盗んだ金で走り出す25の夜を堪能したのだろうか。