昨夜は深夜0時に就寝して午前10時まで寝ていました。でもって今日のお昼にカツサンドを食べたら猛烈に眠くなって昼寝をしたら2時間も寝ていて、見事に半日眠るという偉業を達成することとなりました。普段の睡眠時間が少ないからって、こんなにも平気で人間眠れるものなんだなぁ。多分今夜もコテンと眠れそうだし。
話は本題に入りますが、昨年末に南アフリカ共和国で人種札別政策、アパルトヘイトを廃止に動かせたネルソン・マンデラ氏が死去されました。マンデラ氏の死去に合わせて各テレビ局や新聞ではマンデラ氏の業績やその人生を紹介する特集が数多く組まれたのですが、正直に言ってこれら特集を見るにつけ私自身は強い不快感を覚えていました。
前もって述べておくとマンデラ氏に対しては何十年も監禁され、家族との接見も半年に一回に制限されながらも一貫として差別撤廃を訴え続け、大統領に就任してからもその強いリーダシップから第三世界を代表して意見を国際社会に訴え続けるなどその業績は疑う余地もなく、その屈服無き精神は私も深く尊敬しています。にもかかわらず何故マンデラ氏を紹介する報道に不快感を覚えていたのかというと、かつて日本人が南アフリカ共和国より「名誉白人」と呼ばれていた事実に対して悉くスルーしていたからです。
・アパルトヘイト 「名誉白人」項(Wikipedia)
アパルトヘイト政策について細かい説明は本題ではないので省略しますが、要するに人種差別を国家政府が認めて差別対象となる黒人層に大幅な制限を課していた政策です。この政策は黒人というか白人以外の有色人種が対象となって現代の日本人の感覚からすると驚くほど極端な政策が取られていたと言います。マンデラ氏はこの政策の撤廃を訴えたことから収容所に監禁されたのですが、彼の必死の努力の甲斐もあって撤廃直前に至っては国際社会は南ア政府に対して強い制裁措置、具体的には貿易制限などをかけて撤廃を促しておりました。
この制裁措置ですが、今でいうなら北朝鮮やイランに対して行われていたものに近いです。通商を制限することによって改革を促すものであって、これを実行するには国際社会が一致団結して多少の不利益を覚悟してでも貿易をやめなければいけないわけですが、仮に抜け駆けをするところが現れようものならその効果が薄まることは言うまでもありません。日本だって、北朝鮮に今貿易制裁を課しておりますが中国が北朝鮮に物資を流しているのを見たらあまりいい気分しないでしょう。
ここで「名誉白人」という言葉について説明しますが、この言葉はアパルトヘイト政策を敷く南アが、「有色人種であるけれども白人と同等の権利を有して差別対象にはしない」と認定した民族、国民に与えられる名称でした。対象となったのはアメリカ出身の黒人とか白人も食べにくるような中華料理店を運営する華僑などでしたが、実は日本人もこの名誉白人に数えられていました。一体何故日本人が名誉白人となったのかというと、ほとんどの先進国がアパルトヘイトへの非難から南アとの貿易を制限する中、一貫して活発に取引を続けたからです。
どうして日本人が他の国が手控える中で南アとの貿易を継続したのかというと、単純に旨味が大きかったからです。南アは希少な天然資源が豊富な国であるため本音ではほかの国も取引を続けたかったのでしょうがそれを我慢してまでアパルトヘイトを批判していた中、日本は全くそんな事情も気にせずにアパルトヘイトを継続する政府を支援するかのように貿易を継続して、いわば独占的に儲けていました。そんなことをやっていた日本人がマンデラ氏が死去するや彼は立派な人物であったなどと報じるのを見るにつけ、彼と対立していた昔の南ア政府とずぶずぶの関係だった連中が何を言うかと、皮肉めいた感情を覚えていたのは自分しかいないのかとちょっとイライラしていました。
ちょこっと今回の記事を書くに当たって検索をかけてみると琉球新報はちゃんとこの事実について触れており、私もなんだか安心しました。何もどっかの国の大統領みたいに未来永劫に謝罪し続けろとこの件に関して私は主張するつもりは毛頭ありませんが、まだそんな遠い昔の話でもないんだし、マンデラ氏が亡くなられたという一つの契機でもあるのだし、この「名誉白人」であったことに触れてこの事実を認識しておいてもらいたいというのが私の本音です。逆を言えばこの事実ついて触れずに置きながらマンデラ氏を讃えるのは、些か言い過ぎかもしれませんが冒涜に近いようにすら思えます。
我ながらこういう事をやかましく言うようになって自分も年寄りくさくなったなという気がします。もっともアパルトヘイトが行われていた時代は幼児だった癖にとも思えますが、自分が最初に就職した会社で貿易部門にいた頃、上司が「俺たちは名誉白人だからな」などと皮肉めいて言っていた当たり、貿易関係者の間では広く認識されていた事実だったのだなと感じていたのでこうして書くに至りました。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2014年2月2日日曜日
2014年2月1日土曜日
茶道具を購入
昨夜はこのところ行っていなかったので仕事が終わったら定時ですぐ帰り、晩飯食べて漫画喫茶に行こうと思ってたら、やけに緊急の仕事が振られて帰宅が通常よりやや遅れて帰りました。にもかかわらずなじみの喫茶店でカレー食べて漫画喫茶へ突入したわけですが、そこで時間が余ったので新規開拓とばかりに「へうげもの」という漫画を手に取って読んでみました。ちなみに、ついでに読んだ漫画は「デスレス」と「ギャンブルフィッシュ」と「悪の華」。
話は「へうげもの」についてですが、戦国時代の茶人であり利休七哲の一人である古田織部を主人公にした作品で、物欲のままに行動する主人公の姿はなかなか痛快です。話題作だから前から気になっていたもののなかなか手に取らなかったのですが、今回読んでみて売れるだけある作品だと私も太鼓判を押します。
それでこの作品に影響されたというか、物凄く茶道具が欲しくなりました。元々、以前から茶碗やティーカップを集めることが好きでしょっちゅう買いあさっていたのですが、今の家に引っ越してからは物がかさばると大変だなどと考えて急須すら持たず、お茶もティーパックで済ます毎日です。しかし「へうげもの」を読んで久々に急須などをそろえてお茶を飲みたいと猛烈に願い、早速次の日である今日になって靴底がはがれたのでホームセンター(島忠)に安全靴を買い替えに行くとともに、伊勢丹に行っていい道具はないかと探しに行ったわけでした。
そんなこんだで買ってきたのが上の二品です。当初は急須のみ買うつもりでしたが、右の茶碗がセールで1300円だったのでついでに大人買いしちゃいました。なお急須の方は2700円で、自分のことを「花園君の考えは乱暴すぎるんだよ」と先週言い放った友人からすれば、「急須にこれだけの金額をかけるなんて花園君の金銭感覚はおかしい」と指摘してくれることでしょう。ついでに書くとその友人は学生時代、「100g100円以上の肉は買わない」と言い放つほど価格にシビアでした。
斜め上からの角度で撮った写真です。見てもらえばわかるように急須の方は蓋がなかなかオシャレで、あと取っ手が平べったくて持ちやすいです。急須に限りませんが私や茶道具や食器に関しては表面が波打ってたり、ざらざらしている方が好きで、逆につるんとした白一色の物なんかはあまり好みじゃありません。
こちらは茶碗ですが、満を持して私のブログで大きさ比較をする際に出現する阿修羅像フィギュアに登場してもらいました。こうして並べると大きさがわかりやすい……なんてことはないでしょう。
折角だから入れてみた。
上の構図をアップしたもの。っていうかこんなことしてたら阿修羅観音に呪われても何も文句言えないし、そもそもなんでこんなことしようとするのか自分のセンスを時々疑う。
続いて急須との比較。黒い茶器を二つもかと少し思いましたが、蓋の染付が明るいからまぁありかな。それにしても自分のデジカメは阿修羅像ばかり写してて、付喪神がついたらなんか怒られる気がする。付喪神がつく以前に阿修羅観音に怒られそうだけど。
蓋の裏を取ってみた写真。右下に茶葉のかけらがついているのは観なかったことにしてください。
実際にお茶を入れた状態での撮影。黒色茶碗に対してなかなかいい深緑色が映えてます。ここだけの話、湯飲みなどではなくこうした大きな茶碗で飲むとなかなかお茶もおいしく感じられるし、こういう事に興味がない人でも一回くらいは大きな茶碗で飲んでみて、出来ることなら一つくらい持っておくことをお勧めします。
最後に私が茶碗など食器を選ぶ際のポイントとしていることとして、先ほど述べたように外観がざらざらした感じであることと、使い古した後でどんな風になるのかを想像しています。新品の状態ではよくても使い古して茶渋などがつくと外観ってのはやっぱり変わってしまうものですが、いい茶碗などは逆に渋さが増すこともあり、また使い古した姿でも美を感じられそうだと思えたらなかなかに買いじゃないでしょうか。
それにしても今回品物を見ている時に鉄器もあったのですが、一個くらいはああいう急須も欲しいです。ここだけの話というか実は南部鉄器を愛好する中国人は多く、私の知り合いの中国人もわざわざ取り寄せて購入していました。
あとこれは中国製と比べてですが、鉄器に限らずとも日本の陶器は優れている上に価格も安く、これだけいい品が溢れているのだからもっと日本人はこういう茶器を購入するべきだと思います。中国も陶芸が盛んな国ですが、意外や意外にあまりいい品が市場に出回っておらず、日用品としての湯飲みも絵付けから焼きまでそれほどいいレベルになく、日本の100円ショップで売っているものにすら劣っているように見えるくらいです。つうか日本はもっと茶道を海外に普及させて、こういう茶器の輸出を増やすべきなんじゃないかな。
話は「へうげもの」についてですが、戦国時代の茶人であり利休七哲の一人である古田織部を主人公にした作品で、物欲のままに行動する主人公の姿はなかなか痛快です。話題作だから前から気になっていたもののなかなか手に取らなかったのですが、今回読んでみて売れるだけある作品だと私も太鼓判を押します。
それでこの作品に影響されたというか、物凄く茶道具が欲しくなりました。元々、以前から茶碗やティーカップを集めることが好きでしょっちゅう買いあさっていたのですが、今の家に引っ越してからは物がかさばると大変だなどと考えて急須すら持たず、お茶もティーパックで済ます毎日です。しかし「へうげもの」を読んで久々に急須などをそろえてお茶を飲みたいと猛烈に願い、早速次の日である今日になって靴底がはがれたのでホームセンター(島忠)に安全靴を買い替えに行くとともに、伊勢丹に行っていい道具はないかと探しに行ったわけでした。
そんなこんだで買ってきたのが上の二品です。当初は急須のみ買うつもりでしたが、右の茶碗がセールで1300円だったのでついでに大人買いしちゃいました。なお急須の方は2700円で、自分のことを「花園君の考えは乱暴すぎるんだよ」と先週言い放った友人からすれば、「急須にこれだけの金額をかけるなんて花園君の金銭感覚はおかしい」と指摘してくれることでしょう。ついでに書くとその友人は学生時代、「100g100円以上の肉は買わない」と言い放つほど価格にシビアでした。
斜め上からの角度で撮った写真です。見てもらえばわかるように急須の方は蓋がなかなかオシャレで、あと取っ手が平べったくて持ちやすいです。急須に限りませんが私や茶道具や食器に関しては表面が波打ってたり、ざらざらしている方が好きで、逆につるんとした白一色の物なんかはあまり好みじゃありません。
こちらは茶碗ですが、満を持して私のブログで大きさ比較をする際に出現する阿修羅像フィギュアに登場してもらいました。こうして並べると大きさがわかりやすい……なんてことはないでしょう。
折角だから入れてみた。
上の構図をアップしたもの。っていうかこんなことしてたら阿修羅観音に呪われても何も文句言えないし、そもそもなんでこんなことしようとするのか自分のセンスを時々疑う。
続いて急須との比較。黒い茶器を二つもかと少し思いましたが、蓋の染付が明るいからまぁありかな。それにしても自分のデジカメは阿修羅像ばかり写してて、付喪神がついたらなんか怒られる気がする。付喪神がつく以前に阿修羅観音に怒られそうだけど。
蓋の裏を取ってみた写真。右下に茶葉のかけらがついているのは観なかったことにしてください。
実際にお茶を入れた状態での撮影。黒色茶碗に対してなかなかいい深緑色が映えてます。ここだけの話、湯飲みなどではなくこうした大きな茶碗で飲むとなかなかお茶もおいしく感じられるし、こういう事に興味がない人でも一回くらいは大きな茶碗で飲んでみて、出来ることなら一つくらい持っておくことをお勧めします。
最後に私が茶碗など食器を選ぶ際のポイントとしていることとして、先ほど述べたように外観がざらざらした感じであることと、使い古した後でどんな風になるのかを想像しています。新品の状態ではよくても使い古して茶渋などがつくと外観ってのはやっぱり変わってしまうものですが、いい茶碗などは逆に渋さが増すこともあり、また使い古した姿でも美を感じられそうだと思えたらなかなかに買いじゃないでしょうか。
それにしても今回品物を見ている時に鉄器もあったのですが、一個くらいはああいう急須も欲しいです。ここだけの話というか実は南部鉄器を愛好する中国人は多く、私の知り合いの中国人もわざわざ取り寄せて購入していました。
あとこれは中国製と比べてですが、鉄器に限らずとも日本の陶器は優れている上に価格も安く、これだけいい品が溢れているのだからもっと日本人はこういう茶器を購入するべきだと思います。中国も陶芸が盛んな国ですが、意外や意外にあまりいい品が市場に出回っておらず、日用品としての湯飲みも絵付けから焼きまでそれほどいいレベルになく、日本の100円ショップで売っているものにすら劣っているように見えるくらいです。つうか日本はもっと茶道を海外に普及させて、こういう茶器の輸出を増やすべきなんじゃないかな。
橋下大阪市長の辞任、再出馬宣言について
・橋下氏、出直し市長選表明 維新役職辞任も示唆(産経新聞)
テレビニュースなどの報道などでもう皆さんも知っておいでかと思いますが、維新の会の代表でもあり著名人である橋下大阪市長が本日、突然の辞任と共に次の市長選挙に再出馬することを発表しました。私の意見を先に述べると、かまってちゃんもいい所だなぁというのが本音です。
上記の産経の記事、ならびにテレビニュースなどの報道によると、橋下市長は今回の辞任理由を自身が進める大阪都構想について民意を問うためとしており、さらにそうする理由として公明党が政策協定で反対したためだと名指しで批判しております。細かい議論などは見ていないためまだ何とも言えない部分もありますが、仮にこの通りだとすると公明党のせいで出直しをするんだと言っているようにしか見えません。言ってしまえば公明党との話し合いや協議を放棄しているようにも見えるし、民意を問うったってわざわざ辞任して市長選にまでする必要はないように思えます。
となると何か別の腹があるのではと見てみましたが、差し当たって自分が勘付いたのは選挙日程と任期です。この辺は時事通信の記者も同じように考えたのか知りませんがきちんと記事に載せてくれており、「橋下氏が出直し選で再選された場合、任期は残りの2015年12月まで」だそうで、出直し選で当選しても変わらないようです。
仮に任期が次の衆議院選挙直前に合わせられているのなら国政出馬を睨んでの行動だと読めるのですが、元々の任期で変わらないのであればこの線は薄いです。となると今回の辞任は本当に公明党への八つ当たりと共に選挙で圧勝することによって自分は民意を得ているという大義名分を得たいがためだけの再出馬と考えるべきなのかもしれません。
私個人の意見は先ほどにも述べた通りに今回の橋下氏の行動はあまり評価できず、大義のためというより小義のため、話し合いや調整などといった努力を放棄して自分が有権者から評価を得ているということを再確認したいがための行動にしか見えません。恐らくというか有権者の目にもそう映るでしょうし、維新の会を含めた支持率も今回の辞任によってこれまで以上に下がると予想します。
では次の大阪市長選はどうなるのか。残念というべきか対抗馬があまりにもいないために現状では7割方の確率で橋下氏が再選されるでしょう。私個人としては橋下氏は破壊型の政治家であって創造型でないことはこれまでの施政を見る限り明らかで、もう長く大阪に居座ってやるべきことはやり終わって出来ることはもう何もないと見ているのでそろそろ降りてもらいたいところですが、いい候補者がほかに出ない限りはまたやっちゃうんだろうねと残念な気持ちでいっぱいです。細かいところを突っつくと、あの「あべのハルカス」の工事を不許可、または中断させられなかっただけでもその能力を疑いますが。
なら誰なら橋下氏を破って市長選に勝てるかですが、東国原氏ではまず負けるでしょうし、ほかの有名所も東京都知事選(これの日程は辞任発表時期に影響したかも)に出ていてちょっと人手不足というか日本は本当に政治家が少ない国だと思えてなりません。もし本気でやるっていうのならやっぱり現職の国会議員を議員辞職させてぶつけるくらいしかなく、小泉進二郎氏だったら8割方勝てるような気がします。もっともそんな都落ちみたいなことを誰がするかってんだけど。
ただ三年くらい前と比べて橋下氏も、維新の会も随分と支持を失ったなぁとしみじみ思います。致命的だったのは去年の今頃に出てきた、従軍慰安婦に関して米国をも批判した橋下氏の妙な発言でしょうが、それ以前にも公募した大阪区長が相次いで問題を起こして辞任するなど勢力の急拡大を測って自滅した節があります。彼らの失敗理由を指摘すると「焦り」と「人を見る目のなさ」の二点につき、何もこの業界に限らなくても日本に不足しているのは人材ではなく伯楽だなということを最後のまとめにしようかと思います。
テレビニュースなどの報道などでもう皆さんも知っておいでかと思いますが、維新の会の代表でもあり著名人である橋下大阪市長が本日、突然の辞任と共に次の市長選挙に再出馬することを発表しました。私の意見を先に述べると、かまってちゃんもいい所だなぁというのが本音です。
上記の産経の記事、ならびにテレビニュースなどの報道によると、橋下市長は今回の辞任理由を自身が進める大阪都構想について民意を問うためとしており、さらにそうする理由として公明党が政策協定で反対したためだと名指しで批判しております。細かい議論などは見ていないためまだ何とも言えない部分もありますが、仮にこの通りだとすると公明党のせいで出直しをするんだと言っているようにしか見えません。言ってしまえば公明党との話し合いや協議を放棄しているようにも見えるし、民意を問うったってわざわざ辞任して市長選にまでする必要はないように思えます。
となると何か別の腹があるのではと見てみましたが、差し当たって自分が勘付いたのは選挙日程と任期です。この辺は時事通信の記者も同じように考えたのか知りませんがきちんと記事に載せてくれており、「橋下氏が出直し選で再選された場合、任期は残りの2015年12月まで」だそうで、出直し選で当選しても変わらないようです。
仮に任期が次の衆議院選挙直前に合わせられているのなら国政出馬を睨んでの行動だと読めるのですが、元々の任期で変わらないのであればこの線は薄いです。となると今回の辞任は本当に公明党への八つ当たりと共に選挙で圧勝することによって自分は民意を得ているという大義名分を得たいがためだけの再出馬と考えるべきなのかもしれません。
私個人の意見は先ほどにも述べた通りに今回の橋下氏の行動はあまり評価できず、大義のためというより小義のため、話し合いや調整などといった努力を放棄して自分が有権者から評価を得ているということを再確認したいがための行動にしか見えません。恐らくというか有権者の目にもそう映るでしょうし、維新の会を含めた支持率も今回の辞任によってこれまで以上に下がると予想します。
では次の大阪市長選はどうなるのか。残念というべきか対抗馬があまりにもいないために現状では7割方の確率で橋下氏が再選されるでしょう。私個人としては橋下氏は破壊型の政治家であって創造型でないことはこれまでの施政を見る限り明らかで、もう長く大阪に居座ってやるべきことはやり終わって出来ることはもう何もないと見ているのでそろそろ降りてもらいたいところですが、いい候補者がほかに出ない限りはまたやっちゃうんだろうねと残念な気持ちでいっぱいです。細かいところを突っつくと、あの「あべのハルカス」の工事を不許可、または中断させられなかっただけでもその能力を疑いますが。
なら誰なら橋下氏を破って市長選に勝てるかですが、東国原氏ではまず負けるでしょうし、ほかの有名所も東京都知事選(これの日程は辞任発表時期に影響したかも)に出ていてちょっと人手不足というか日本は本当に政治家が少ない国だと思えてなりません。もし本気でやるっていうのならやっぱり現職の国会議員を議員辞職させてぶつけるくらいしかなく、小泉進二郎氏だったら8割方勝てるような気がします。もっともそんな都落ちみたいなことを誰がするかってんだけど。
ただ三年くらい前と比べて橋下氏も、維新の会も随分と支持を失ったなぁとしみじみ思います。致命的だったのは去年の今頃に出てきた、従軍慰安婦に関して米国をも批判した橋下氏の妙な発言でしょうが、それ以前にも公募した大阪区長が相次いで問題を起こして辞任するなど勢力の急拡大を測って自滅した節があります。彼らの失敗理由を指摘すると「焦り」と「人を見る目のなさ」の二点につき、何もこの業界に限らなくても日本に不足しているのは人材ではなく伯楽だなということを最後のまとめにしようかと思います。
2014年1月30日木曜日
「極黒のブリュンヒルデ」のアニメ化について
また趣味の話で申し訳ないのですが、私が以前から熱読している「極黒(ごっこく)のブリュンヒルデ」という漫画が四月からアニメ化するそうです。以前にも紹介した「シドニアの騎士」といい、なんか今年の四月は面白そうなアニメが一気に放映されるなぁ。
ちょうどいい機会なのでこの「極黒のブリュンヒルデ」という漫画、というより作者の岡本倫氏について自分の所感を述べると、漫画家など芸術家には変わり者が多いとよく言われますが、実存する人物に対して非常に失礼極まりないことを言うと、本当の意味で頭がおかしい人っていうのはきっとこの人なんだろうなどと前から思っています。
岡本氏の代表作となるとデビュー作でもある「エルフェンリート」という漫画で、この漫画はかわいらしい女の子の絵柄が表紙であるため一見すると萌えマンガにしか見えませんが、その内容は下手なスプラッター映画よりも激しい残虐描写に満ち溢れていて、連載中は「萌えマンガの皮を被ったトラウマ本」とまで言われたほどです。そういう特殊な嗜好性が海外だと妙に受けるというかこの漫画は主にアメリカで大ヒットしており、岡本氏も「シドニアの騎士」の弐瓶勉氏同様に日本国内よりも海外の方が評価が高い珍しい漫画家です。
話は「ブリュンヒルデ」に戻りますが、岡本氏はこの作品の前に「ノノノノ」という今でこそ旬の女子(男装)のスキージャンプ漫画を描いていてこれもまた非常に面白かったのですが敢え無く打ち切りに遭ってしまいました。その際にどうも知り合いに岡本氏は、「お前が求められているのはエルフェンリートの様な漫画だ」と言われたそうで、原点回帰とばかりにこの「ブリュンヒルデ」を書き始めたと述べています。
原点回帰というだけあって、「萌えマンガの皮を被った究極のスプラッター」は見事なまでに復活しています。冗談抜きでそういう描写が苦手な人にはこの漫画は一切薦められないのですが、具体的にどれくらいスプラッターなのかというと大体単行本一冊当たりにつき上半身と下半身が分断される人間が一人や二人出てきます。冗談かと思われますがこれはマジです。
ではストーリーはどうかというと、簡単にあらすじを述べると高校男子である主人公のクラスにある日、幼い時に死んだ幼馴染によく似た女の子が転校してくるのですが、その子は自分は魔女であり超常現象じみた能力を用いることが出来ると話して実際にその力を主人公の目の前で見せます。これだけならよくある展開ですがこの辺はさすが岡本氏というべきか、ヒロインら魔女は鎮死剤という薬を一日一回飲まないと全身から血が噴き出しバラバラになって死ぬという、どうしてそう平然と残酷な設定を用いてくるのか理解の範疇を軽く越えてきます。こうした設定に限らなくても以前から岡本氏は普通の人間じゃ有り得ないとしか思えない展開を平然と打ち出してくることが多く、この「ブリュンヒルデ」でも「あれっ?」て思ったら重要そうな登場人物がさくっと死ぬことが多いです。
この辺が岡本氏が異常だなぁと一番に思う点なのですが、自分がこの人の漫画を読んでいてよく感じるのは残虐描写に対して全く呵責なく描かれているように見えます。言ってしまえば「エルフェンリート」や「ブリュンヒルデ」などよりも残虐な漫画は世の中いくらでもあります。しかしそれらの漫画と岡本氏の漫画で決定的に違うのは、どの漫画も残虐なシーンをなるべく際立たせるように、読者にショックを与えるように何かしら作者の意図が込められて描かれているのに対し、岡本氏は「よくあるシーン」のような具合で1コマにポンとそういうシーンを何気なく投入してきます。言いづらいのですが敢えて表現すると、そういうシーンを載せるのにためらいがないというかなんとも思っていないとしか思えない展開が多く、同様に漫画の中の登場人物に対して生かそうが殺そうがどうでもいいような、まるで感情がなく淡々とストーリーを展開している風によく感じます。もっとも主要キャラは何があっても死なないというところがあるだけまだ人間味が感じられますが……。
さっきから岡本氏のことを一体なんだと思っているのかと言わんばかりの評論を書いておりますが、これは言い方の問題であって私自身は岡本氏を当代でも稀有な漫画家だと考えており、弐瓶勉氏と並んで最大限に高く評価しております。ただその才能は漫画というよりはストーリー原作者としての方が高く、いくつか原作のみ参加した漫画もありますがそのどれもが「岡本倫節」というような、見ていてゾッとするようなセリフと展開のオンパレードでした。
なおデビュー作の「エルフェンリート」はストーリーはいいが絵に難があるとよく言われていましたが、現在においてはややキャラクターの描き分けが上手でないものの昔と比べたら劇的に向上しており、運が良ければ「ブリュンヒルデ」は「エルフェンリート」より売れるんじゃないかとみています。本音を言えばその前の「ノノノノ」が売れてアニメ化もしてほしかったのですが。
2014年1月29日水曜日
東京都知事選の得票順位予想
昨日はまた更新をさぼりましたが、「企業居点」の作業を優先しただけであって書くネタがなかったわけじゃありません。それよりもこのところは書かなきゃならないネタが多すぎて書ききれない状況が続いており、次の土日にでも一気に放出しようかなぁ。つっても、このところ企業居点の作業と日々の勤務で左手を固定した状態で使うことが多すぎるせいか、朝起きるとリアルに左手だけ神経痛を覚えるから無理しない方がいいんだけど。
話は本題に入りますが、選挙戦が繰り広げられている次回東京都知事選で得票順位の予想が出来たので、余計なことをガタガタ言わず早速主要四候補に対する私の予想順位を披露します。
1位 舛添氏
2位 細川氏
3位 田母神氏
4位 宇都宮氏
結論から述べると舛添氏が当選すると見てほぼ間違いないでしょう。根拠としては主要候補の中で舛添氏が厚生大臣時代など豊富な施政経験を持つことに加え政策論が無難というかオリンピック対応など過不足なく揃っているからです。逆に言うなら、ほかの候補者は強みという部分以上に弱みというか問題点が多すぎるからです。
一人一人特徴を述べていくとまず細川氏については応援に小泉氏が就いたことからどうなるものかと少し慎重になりましたが、先週に開かれた記者会見を見て悪い意味でこの人は変わってないことに気が付きホッとしました。前の記事にも述べましたが細川氏は敢えて言うなら劣化ルーピーこと鳩山由紀夫元総理と下位互換バージョンに近く、具体的な手段なく理想論ばかり主張する傾向にあるため幅広い……と言わなくても一定の支持も得られないのではないかと私は見ます。
仮に鳩山元総理の出現前ならまだしも、一度あれを見ている日本人からすると同じような臭いのする人物にはさすがに警戒が強くなるでしょう。とはいえ知名度は依然と高く、メディアも「舛添VS細川」という筋立てで報じることが多いためなんとなく二位に来ちゃうんじゃないかというのが結論です。
続いて三位の田母神氏ですが、右派系の団体からの支持が厚いことと理念はともかくとして主張する政策内容は細川氏、宇都宮氏に対してまだ無難であることから三位予想となりました。当初は細川氏を抜いて二位になるかなとも考えたのですが、やはり知名度の差は覆りづらいことと先程にも述べたようにマスコミが対立構造を煽っているので抜けきらないところに落ち着きました。
最後に宇都宮氏ですが、非常にきわどいことを書くとこの方は年を取ってから変な権力欲に目覚めちゃったのかなと失望する気持ちでいっぱいです。宇都宮氏は宮部みゆき氏の小説「火車」に出てくる多重債権者救済を専門とする弁護士のモデルとなるなど、この方面においては右に出るものがないほど悪戦苦闘してきた人物だと聞いておりました。しかし前回の都知事選にも出馬しておりますが話を聞いていても「この人じゃなければならない」と思わせるような独自性の強い政策案は全くと言っていいほどありません。むしろほかの候補と主張する内容が被っていることが多く、だったら別の人に任せればいいのではという気分にもさせられるくらいです。
では何故宇都宮氏は都知事になろうと出馬するのか、はっきり言えば彼の権力欲から来る道楽行為にしか私には見えません。権力欲から来る行為を否定するつもりは全く有りませんが、宇都宮市の場合は明らかに晩節を汚すような選挙の仕方で、なおかつ支持層に共産党を囲っているあたり、共産党には失礼だけれども負けること前提でやっているようにも見えます。こういうあたりを有権者はちゃんと見抜くのではないかと思い、主要候補で最低順位になると私も予想したわけです。
最後に主要候補全体を見て思うことですが、どうして年寄りばかりこう出馬するのかなという風にげんなりさせられます。都知事であれば私としては40代くらいの人がやるのがいい塩梅じゃないかと思うのですが日本だと政治キャリアが積み辛いこともあり、70を越えた爺さんがこうして選挙に出ているのを見るとつくづくもったいない気がしてなりません。
もっとも維新の会が公募した大阪市内の区長がことごとく問題起こして辞職しているのを見ると、若いからっていいわけでもないなと私ですら感じてきます。まぁこれは年齢以前に維新の会における審査基準に問題があったからかもしれませんが。
話は本題に入りますが、選挙戦が繰り広げられている次回東京都知事選で得票順位の予想が出来たので、余計なことをガタガタ言わず早速主要四候補に対する私の予想順位を披露します。
1位 舛添氏
2位 細川氏
3位 田母神氏
4位 宇都宮氏
結論から述べると舛添氏が当選すると見てほぼ間違いないでしょう。根拠としては主要候補の中で舛添氏が厚生大臣時代など豊富な施政経験を持つことに加え政策論が無難というかオリンピック対応など過不足なく揃っているからです。逆に言うなら、ほかの候補者は強みという部分以上に弱みというか問題点が多すぎるからです。
一人一人特徴を述べていくとまず細川氏については応援に小泉氏が就いたことからどうなるものかと少し慎重になりましたが、先週に開かれた記者会見を見て悪い意味でこの人は変わってないことに気が付きホッとしました。前の記事にも述べましたが細川氏は敢えて言うなら劣化ルーピーこと鳩山由紀夫元総理と下位互換バージョンに近く、具体的な手段なく理想論ばかり主張する傾向にあるため幅広い……と言わなくても一定の支持も得られないのではないかと私は見ます。
仮に鳩山元総理の出現前ならまだしも、一度あれを見ている日本人からすると同じような臭いのする人物にはさすがに警戒が強くなるでしょう。とはいえ知名度は依然と高く、メディアも「舛添VS細川」という筋立てで報じることが多いためなんとなく二位に来ちゃうんじゃないかというのが結論です。
続いて三位の田母神氏ですが、右派系の団体からの支持が厚いことと理念はともかくとして主張する政策内容は細川氏、宇都宮氏に対してまだ無難であることから三位予想となりました。当初は細川氏を抜いて二位になるかなとも考えたのですが、やはり知名度の差は覆りづらいことと先程にも述べたようにマスコミが対立構造を煽っているので抜けきらないところに落ち着きました。
最後に宇都宮氏ですが、非常にきわどいことを書くとこの方は年を取ってから変な権力欲に目覚めちゃったのかなと失望する気持ちでいっぱいです。宇都宮氏は宮部みゆき氏の小説「火車」に出てくる多重債権者救済を専門とする弁護士のモデルとなるなど、この方面においては右に出るものがないほど悪戦苦闘してきた人物だと聞いておりました。しかし前回の都知事選にも出馬しておりますが話を聞いていても「この人じゃなければならない」と思わせるような独自性の強い政策案は全くと言っていいほどありません。むしろほかの候補と主張する内容が被っていることが多く、だったら別の人に任せればいいのではという気分にもさせられるくらいです。
では何故宇都宮氏は都知事になろうと出馬するのか、はっきり言えば彼の権力欲から来る道楽行為にしか私には見えません。権力欲から来る行為を否定するつもりは全く有りませんが、宇都宮市の場合は明らかに晩節を汚すような選挙の仕方で、なおかつ支持層に共産党を囲っているあたり、共産党には失礼だけれども負けること前提でやっているようにも見えます。こういうあたりを有権者はちゃんと見抜くのではないかと思い、主要候補で最低順位になると私も予想したわけです。
最後に主要候補全体を見て思うことですが、どうして年寄りばかりこう出馬するのかなという風にげんなりさせられます。都知事であれば私としては40代くらいの人がやるのがいい塩梅じゃないかと思うのですが日本だと政治キャリアが積み辛いこともあり、70を越えた爺さんがこうして選挙に出ているのを見るとつくづくもったいない気がしてなりません。
もっとも維新の会が公募した大阪市内の区長がことごとく問題起こして辞職しているのを見ると、若いからっていいわけでもないなと私ですら感じてきます。まぁこれは年齢以前に維新の会における審査基準に問題があったからかもしれませんが。
2014年1月27日月曜日
八甲田山の悪夢
このブログを日常的に呼んでいる人なら周知の事実ですが私は極端に寒さに強く、記憶する限り過去四年間で一度もダウンジャケットに袖を通したことがありません。それどころかコートもこの前正装しなきゃいけない時に一回着ましたがそれ以外だとほぼ皆無で、出勤時はパーカー一枚、オフの日はGジャン一枚で元気に走り回ってます。北京でも冗談抜きでGジャン一枚だったし。
ただそんな自分でも昨日今日の寒さは非常に堪え、直前に気温が上がった反動もあるでしょうが珍しいことに参ってます。個人的な印象ですが寒くなる前に全国各地で雨が降ったことから湿気が増したことから心なしか風が重たく、乾燥している時期に比べて冷たいように思えます。北京なんか空気乾燥しているから気温は氷点下マイナス十度でも日によっては東京より寒くないし。
このように寒い時期が続くとついつい「寒くてつらいなぁ」などと独り言も出てくるのですがその際に、「八甲田山に比べれば」という言葉が同時に浮かんできます。ある程度年齢の高い世代なら何のことか言うまでもないでしょうが私より下の世代は何のことかちんぷんかんぷんでしょうし、今日はひとつ気合入れて日本の冬山遭難史上で最大最悪の事件である八甲田山の雪中行軍遭難事件を紹介しようと思います。
・八甲田雪中行軍遭難事件(Wikipedia)
この事件が起きたのは明治時代、日露戦争を控えた1902年で、結果から話すと遭難した陸軍兵士210人中で生き残って救助されたのはわずか11人(うち6人は救出後すぐ死亡)。生存率はわずか5.2%という凄惨な遭難事件となりました。
事件の経緯を話すと、当時の日本陸軍内部ではロシアとの戦争が間近であるとの観測から戦場となる寒冷地での訓練の必要性が高まっており、各地で戦術研究を兼ねた訓練が実施されておりました。そうした訓練の一環として、事件の舞台となった八甲田山で冬山での行軍や輸送訓練を計画されたわけです。
この訓練には青森歩兵第5連隊(210人)と弘前歩兵第31連隊(37人)の二部隊が参加することとなり、このうち遭難することとなったのは青森歩兵第5連隊です。両部隊はそれぞれ別ルートから冬の八甲田山に入って目的とする駐屯地への移動を計画したのですが、映画や小説などと事実は異なり両部隊とも計画や日程の擦り合わせなどは行っておらず、お互いの部隊の存在すら知らなかったそうです。
話は遭難した青森歩兵第5連隊を中心に進めます。こちらの部隊ではそれ以前からも寒冷地訓練は幾度か行っていたものの本格的な冬山登山の経験はほとんどなく、また以前から訓練を実施してきた指揮官が休養のため離れ、代わりにほとんど経験のなかった神成文吉大尉が訓練中の部隊を率いることとなりました。
このように訓練前から非常に危なっかしい出だしと言わざるを得なかったのですが、これに拍車をかけたのは天候の急変です。実際の訓練開始前、登山ルートの確認のために数名が登山を行ったのですがこの時の天気は晴天で、特に大きな問題もなく移動を完了したことから部隊間では行軍訓練に対して初めから楽観視されていたと言われます。そうした見方は装備からも見て取れて、大半の兵士は毛糸の外套を着るほかは特別な防寒装備もなく、手袋に関しても軍手程度だったそうです。靴に至っては当時としては珍しいゴム靴などただ一人を除いて持っておらず、革製の軍靴で冬山登山に臨むくらいでした。
このような無謀と言ってもいい装備で臨んだ訓練当日は猛烈な寒気が周辺地域を多い、地域住民も訓練に臨もうとする部隊に対して決して山に入ってはならないと警告したそうです。それもそのはずというかウィキペディアによるとその日は日本各地で観測史上最低気温を記録するという、歴史上かつてないほど寒い日で、一説によると気温はマイナス20度、吹雪による体感温度はマイナス50度にまで達していたと言われています。このような気候にもかかわらず部隊は当初の計画通りに山へと入り、悪夢のような遭難へと突き進むこととなります。
遭難一日目。部隊は山に入るや深い雪によってすぐに行軍が困難となり、そりでの移動が難しいと判断したことから食料や燃料といった物資を各兵士がそれぞれ手に持ち移動を始めます。しかし猛吹雪からすぐに前後不覚に陥り、帰路すらままならないことから当日は雪濠こと雪の中に穴を掘って露営することとなりました。
遭難二日目。部隊の指揮官らはあまりの天候の悪さから訓練を中止してやってきた道を引き返すことを決断したものの、ここが運命の分かれ道となってしまうのですが夜中の二時から行軍を開始してしまいます。何故こんな時間に動き出したのかというと既に凍傷などで動けなくなる兵士が続出しており、急いで山を下り治療を受けさせなければと焦りがあったためだと言われていますが、結果的にまだ日も明けきらぬ暗い時間に動き出したことによって完全に道に迷ってしまい、出口のない遭難へと突き進むこととなってしまったわけです。
この二日目の迷走について詳細は省きますが、道がわからない中で真偽の取れない情報が錯綜し、不眠不休で絶食していたことからこの日から凍死する兵士も現れて部隊の統制すらままならない状況となったそうです。結局右に左に無為に動いて体力を消耗しただけで最初の露営地からほとんど移動できず、この日も再び露営することとなります。三日目の朝までに部隊の三分の一に当たる約70人が行方不明、または凍死しており、想像するにつけ恐ろしい状況と言わざるを得ません。
そうして明けた三日目。この日も天候は回復しなかったものの帰路を探して生き残った兵士らは行軍を開始しましたが、途中で断崖に突き当たったところで指揮官の神成大尉が、「天は我々を見放した」と述べた上で、生き残っている兵士らにここで部隊を解散するので各自で帰路を探しだすようにと伝えるに至ります。この解散命令によってそれまで保っていた兵士たちの緊張感というか意識が切れてしまい、生き残った方の証言によると突然裸になって凍死するものや崖下や川に飛び込むなど発狂する人間が一斉に現れたとのことです。
このあと部隊は神成大尉、またはゴム靴をたまたま持ってきて履いていた倉石大尉らなど主だった指揮官のグループごとに分かれて帰路を目指したのですが、このうち神成大尉のグループにいた後藤伍長が遭難から五日目、いつまでたっても中継地に現れない部隊を心配して出されていた捜索隊に見つかったことによって遭難していたことがようやくわかります。なお後藤伍長は発見された際、雪の中で直立したまま何事かを一人でしゃべっていたほど意識があいまいだったそうですが、救助の甲斐あってこの遭難における生存者の一人となっております。
後藤伍長の発見後、正式に救助隊が組まれて生存者の救出へ軍や地域住民は動くわけですが、天候は依然として悪いままで救助隊の中でも凍傷になる人間が後を絶たず二次被害が深刻だったそうです。また息のある生存者を見つけても皮膚すら凍っている有様で、治療のために注射しようとしたら針が折れたとの信じられないような話すらあります。そして山の中に置き去りにされた遺体はほぼ例外なく凍っており、無理にでも雪から引き出そうとしたら関節から文字通りポキリと折れることもあり、慎重に周囲の雪を掘りすすめていかなければならないために作業は難航したそうです。
またこれは遭難中のエピソードですが、みな意識の限界ともいうべき境地にあってふとしたことをきっかけに発狂することが後を絶たなかったそうです。そのためあるグループでは奇声が挙がったらラッパ係にラッパを吹かせてその音によって意識を保っていたものの、極寒の環境からそのラッパ係の唇がラッパに張り付き、そのままはがれてしまったという話も聞きます。
どれもこれも人の想像力を超えるほどの状況というべきか、この遭難事件は絶望的な状況というよりほかなく、これより何を以って表現すればいいのかわからないほど恐ろしい事件だったと言わざるを得ません。最終的に救出された生存者は最初に述べた通りに11人で、救出後すぐに亡くなった6人を除くとわずか5人しか八甲田山から生きて出ることが叶いませんでした。部隊を指揮した神成大尉は発見時は息があったものの山の中ですぐに亡くなりますが、もう一人のグループを率いた倉石大尉は崖穴の中に避難しながら移動していたところを遭難九日目に救助され、無事に生還を果たしております。
なお生存者はみな凍傷によってほぼ全員が四肢のいずれか、または全部を切断することとなるのですが、不思議というか奇妙というか、この倉石大尉のみが五体満足な状態で救助されてその後軍隊に復帰しております。倉石大尉は士官であったことから兵卒に比べて装備が充実していたことと、たまたま私物としてゴム靴を持って履いていたことなどが大きかったとも言われていますが、それ以上にこの人自身の体力が図抜けていたことが大きいのではないかと私は見ております。
しかし人の運命というものはわからないもので、この倉石大尉はこの遭難から三年後、日露戦争中の戦闘で戦死することとなります。それこそ、天は何故彼を二度も死地へと誘ったのかと、いたためれない気持ちにさせられます。
この遭難事件は作家の新田次郎によって小説にされ、それが高倉健氏の主演で映画化されたのが「八甲田山」です。この映画は多いに当たったことから当時の世代に幅広く事件が知れ渡ったものの、逆にこの映画を見ていない自分くらいの世代は事件そのものもあまり知らないのではないかと思い、ちょっと書いてみる気になりました。
最後にちょっとした豆知識ですが、この映画で神成大尉をモデルにしたキャラを演じたのは役者の北大路欣也氏で、先程の「天は我々を見放した」という彼のセリフは当時の流行語となったそうです。そんなエピソードをCMプランナーはしっかり把握していたということか、例のソフトバンクのテレビコマーシャルで北大路氏が声優をしている白い犬のお父さんが何故か冬山に昇る回があり、その時のBGMになんと先程の映画「八甲田山」のBGMが使われたそうです。こんなマニアックなつながりなんて誰もわからんだろうにと思いつつも、きちんと実行してくる辺りは感服させられます。
ただそんな自分でも昨日今日の寒さは非常に堪え、直前に気温が上がった反動もあるでしょうが珍しいことに参ってます。個人的な印象ですが寒くなる前に全国各地で雨が降ったことから湿気が増したことから心なしか風が重たく、乾燥している時期に比べて冷たいように思えます。北京なんか空気乾燥しているから気温は氷点下マイナス十度でも日によっては東京より寒くないし。
このように寒い時期が続くとついつい「寒くてつらいなぁ」などと独り言も出てくるのですがその際に、「八甲田山に比べれば」という言葉が同時に浮かんできます。ある程度年齢の高い世代なら何のことか言うまでもないでしょうが私より下の世代は何のことかちんぷんかんぷんでしょうし、今日はひとつ気合入れて日本の冬山遭難史上で最大最悪の事件である八甲田山の雪中行軍遭難事件を紹介しようと思います。
・八甲田雪中行軍遭難事件(Wikipedia)
この事件が起きたのは明治時代、日露戦争を控えた1902年で、結果から話すと遭難した陸軍兵士210人中で生き残って救助されたのはわずか11人(うち6人は救出後すぐ死亡)。生存率はわずか5.2%という凄惨な遭難事件となりました。
事件の経緯を話すと、当時の日本陸軍内部ではロシアとの戦争が間近であるとの観測から戦場となる寒冷地での訓練の必要性が高まっており、各地で戦術研究を兼ねた訓練が実施されておりました。そうした訓練の一環として、事件の舞台となった八甲田山で冬山での行軍や輸送訓練を計画されたわけです。
この訓練には青森歩兵第5連隊(210人)と弘前歩兵第31連隊(37人)の二部隊が参加することとなり、このうち遭難することとなったのは青森歩兵第5連隊です。両部隊はそれぞれ別ルートから冬の八甲田山に入って目的とする駐屯地への移動を計画したのですが、映画や小説などと事実は異なり両部隊とも計画や日程の擦り合わせなどは行っておらず、お互いの部隊の存在すら知らなかったそうです。
話は遭難した青森歩兵第5連隊を中心に進めます。こちらの部隊ではそれ以前からも寒冷地訓練は幾度か行っていたものの本格的な冬山登山の経験はほとんどなく、また以前から訓練を実施してきた指揮官が休養のため離れ、代わりにほとんど経験のなかった神成文吉大尉が訓練中の部隊を率いることとなりました。
このように訓練前から非常に危なっかしい出だしと言わざるを得なかったのですが、これに拍車をかけたのは天候の急変です。実際の訓練開始前、登山ルートの確認のために数名が登山を行ったのですがこの時の天気は晴天で、特に大きな問題もなく移動を完了したことから部隊間では行軍訓練に対して初めから楽観視されていたと言われます。そうした見方は装備からも見て取れて、大半の兵士は毛糸の外套を着るほかは特別な防寒装備もなく、手袋に関しても軍手程度だったそうです。靴に至っては当時としては珍しいゴム靴などただ一人を除いて持っておらず、革製の軍靴で冬山登山に臨むくらいでした。
このような無謀と言ってもいい装備で臨んだ訓練当日は猛烈な寒気が周辺地域を多い、地域住民も訓練に臨もうとする部隊に対して決して山に入ってはならないと警告したそうです。それもそのはずというかウィキペディアによるとその日は日本各地で観測史上最低気温を記録するという、歴史上かつてないほど寒い日で、一説によると気温はマイナス20度、吹雪による体感温度はマイナス50度にまで達していたと言われています。このような気候にもかかわらず部隊は当初の計画通りに山へと入り、悪夢のような遭難へと突き進むこととなります。
遭難一日目。部隊は山に入るや深い雪によってすぐに行軍が困難となり、そりでの移動が難しいと判断したことから食料や燃料といった物資を各兵士がそれぞれ手に持ち移動を始めます。しかし猛吹雪からすぐに前後不覚に陥り、帰路すらままならないことから当日は雪濠こと雪の中に穴を掘って露営することとなりました。
遭難二日目。部隊の指揮官らはあまりの天候の悪さから訓練を中止してやってきた道を引き返すことを決断したものの、ここが運命の分かれ道となってしまうのですが夜中の二時から行軍を開始してしまいます。何故こんな時間に動き出したのかというと既に凍傷などで動けなくなる兵士が続出しており、急いで山を下り治療を受けさせなければと焦りがあったためだと言われていますが、結果的にまだ日も明けきらぬ暗い時間に動き出したことによって完全に道に迷ってしまい、出口のない遭難へと突き進むこととなってしまったわけです。
この二日目の迷走について詳細は省きますが、道がわからない中で真偽の取れない情報が錯綜し、不眠不休で絶食していたことからこの日から凍死する兵士も現れて部隊の統制すらままならない状況となったそうです。結局右に左に無為に動いて体力を消耗しただけで最初の露営地からほとんど移動できず、この日も再び露営することとなります。三日目の朝までに部隊の三分の一に当たる約70人が行方不明、または凍死しており、想像するにつけ恐ろしい状況と言わざるを得ません。
そうして明けた三日目。この日も天候は回復しなかったものの帰路を探して生き残った兵士らは行軍を開始しましたが、途中で断崖に突き当たったところで指揮官の神成大尉が、「天は我々を見放した」と述べた上で、生き残っている兵士らにここで部隊を解散するので各自で帰路を探しだすようにと伝えるに至ります。この解散命令によってそれまで保っていた兵士たちの緊張感というか意識が切れてしまい、生き残った方の証言によると突然裸になって凍死するものや崖下や川に飛び込むなど発狂する人間が一斉に現れたとのことです。
このあと部隊は神成大尉、またはゴム靴をたまたま持ってきて履いていた倉石大尉らなど主だった指揮官のグループごとに分かれて帰路を目指したのですが、このうち神成大尉のグループにいた後藤伍長が遭難から五日目、いつまでたっても中継地に現れない部隊を心配して出されていた捜索隊に見つかったことによって遭難していたことがようやくわかります。なお後藤伍長は発見された際、雪の中で直立したまま何事かを一人でしゃべっていたほど意識があいまいだったそうですが、救助の甲斐あってこの遭難における生存者の一人となっております。
後藤伍長の発見後、正式に救助隊が組まれて生存者の救出へ軍や地域住民は動くわけですが、天候は依然として悪いままで救助隊の中でも凍傷になる人間が後を絶たず二次被害が深刻だったそうです。また息のある生存者を見つけても皮膚すら凍っている有様で、治療のために注射しようとしたら針が折れたとの信じられないような話すらあります。そして山の中に置き去りにされた遺体はほぼ例外なく凍っており、無理にでも雪から引き出そうとしたら関節から文字通りポキリと折れることもあり、慎重に周囲の雪を掘りすすめていかなければならないために作業は難航したそうです。
またこれは遭難中のエピソードですが、みな意識の限界ともいうべき境地にあってふとしたことをきっかけに発狂することが後を絶たなかったそうです。そのためあるグループでは奇声が挙がったらラッパ係にラッパを吹かせてその音によって意識を保っていたものの、極寒の環境からそのラッパ係の唇がラッパに張り付き、そのままはがれてしまったという話も聞きます。
どれもこれも人の想像力を超えるほどの状況というべきか、この遭難事件は絶望的な状況というよりほかなく、これより何を以って表現すればいいのかわからないほど恐ろしい事件だったと言わざるを得ません。最終的に救出された生存者は最初に述べた通りに11人で、救出後すぐに亡くなった6人を除くとわずか5人しか八甲田山から生きて出ることが叶いませんでした。部隊を指揮した神成大尉は発見時は息があったものの山の中ですぐに亡くなりますが、もう一人のグループを率いた倉石大尉は崖穴の中に避難しながら移動していたところを遭難九日目に救助され、無事に生還を果たしております。
なお生存者はみな凍傷によってほぼ全員が四肢のいずれか、または全部を切断することとなるのですが、不思議というか奇妙というか、この倉石大尉のみが五体満足な状態で救助されてその後軍隊に復帰しております。倉石大尉は士官であったことから兵卒に比べて装備が充実していたことと、たまたま私物としてゴム靴を持って履いていたことなどが大きかったとも言われていますが、それ以上にこの人自身の体力が図抜けていたことが大きいのではないかと私は見ております。
しかし人の運命というものはわからないもので、この倉石大尉はこの遭難から三年後、日露戦争中の戦闘で戦死することとなります。それこそ、天は何故彼を二度も死地へと誘ったのかと、いたためれない気持ちにさせられます。
この遭難事件は作家の新田次郎によって小説にされ、それが高倉健氏の主演で映画化されたのが「八甲田山」です。この映画は多いに当たったことから当時の世代に幅広く事件が知れ渡ったものの、逆にこの映画を見ていない自分くらいの世代は事件そのものもあまり知らないのではないかと思い、ちょっと書いてみる気になりました。
最後にちょっとした豆知識ですが、この映画で神成大尉をモデルにしたキャラを演じたのは役者の北大路欣也氏で、先程の「天は我々を見放した」という彼のセリフは当時の流行語となったそうです。そんなエピソードをCMプランナーはしっかり把握していたということか、例のソフトバンクのテレビコマーシャルで北大路氏が声優をしている白い犬のお父さんが何故か冬山に昇る回があり、その時のBGMになんと先程の映画「八甲田山」のBGMが使われたそうです。こんなマニアックなつながりなんて誰もわからんだろうにと思いつつも、きちんと実行してくる辺りは感服させられます。
2014年1月26日日曜日
深夜の決闘
それは真冬のある夜、っていうか先週金曜の晩に起きた出来事でした。その日の夜、私はいつも通りブログを書き終えると布団に入って就寝へと入りましたが、時間にして恐らく夜中三時くらい、外から漏れ伝わる聞き慣れない音に目を覚ましました。
「アーオン、アーオン」
「ウーワオー」
一体何なのだこの音はと寝ぼけた状態で神経を集中してみたところ、どうやら家の前で野良猫二匹が互いに威嚇し合っている声だということがわかりました。何でもってこんな夜中にと思いますが元々猫は夜行性なのだし、このくらいの時間にケンカと化するのかと思っていると、
「フギャッ、フギギギル、フォッ!」
とばかりに、威嚇し合う段階からリアルファイトに発展したのか、互いに争う激しい鳴き声が続いて聞こえてきました。先程家の前と書きましたが私が今借りている部屋は一階にあり、窓をガラガラって開くとすぐに軒先へと出られるのですが、どうやらその軒先でケンカしているようですごくはっきりと鳴き声が聞こえてきました。正直に言って、はっきり目が覚めるくらいの大きな泣き声でした。
とはいえそんな長々とケンカはしていないだろうと思ってそのまま布団に入ったまままた寝ようとしたのですが、何故か知らないけどやけに長期戦となり、体感時間にして約30分くらい二匹は争い合っていました。無論その間、こっちは全く眠れません。
終いには「ガツンッ」っていう金属音まで聞こえてきたので、恐らく軒先に置いてある私の洗濯機にどっちかが体当たりをかましてたのだと思います。にしてもあんまり長く続くもんだから、たまたま冷凍庫に入っていたササミの切り身をレンジでチンしていい加減仲裁に行こうかなと思うくらいの長期戦でした。
結局、普段から平日の睡眠時間は約5時間と極端に短いのですが、この日の晩は4時間弱とまた極端に短く終わって次の日はずっとぼーっとした状態で集中力を切らしながら過ごしました。ただうがった見方をすると、実は家の近くで野良猫が根城にしている元家具屋のビルが十年くらいの放置を経てようやく取り壊し工事が始まってきたこともあり、近隣で新たな縄張り争いが始まっているのかもしれません。こんな寒い真冬に根城を失い領土争いに出ざるを得ない野良猫を思うと猫の一生も大変だとつくづく感じ、人の一生が辛いだのなんだのそういう事は考えるべきじゃないなと最後に思った次第です。
「アーオン、アーオン」
「ウーワオー」
一体何なのだこの音はと寝ぼけた状態で神経を集中してみたところ、どうやら家の前で野良猫二匹が互いに威嚇し合っている声だということがわかりました。何でもってこんな夜中にと思いますが元々猫は夜行性なのだし、このくらいの時間にケンカと化するのかと思っていると、
「フギャッ、フギギギル、フォッ!」
とばかりに、威嚇し合う段階からリアルファイトに発展したのか、互いに争う激しい鳴き声が続いて聞こえてきました。先程家の前と書きましたが私が今借りている部屋は一階にあり、窓をガラガラって開くとすぐに軒先へと出られるのですが、どうやらその軒先でケンカしているようですごくはっきりと鳴き声が聞こえてきました。正直に言って、はっきり目が覚めるくらいの大きな泣き声でした。
とはいえそんな長々とケンカはしていないだろうと思ってそのまま布団に入ったまままた寝ようとしたのですが、何故か知らないけどやけに長期戦となり、体感時間にして約30分くらい二匹は争い合っていました。無論その間、こっちは全く眠れません。
終いには「ガツンッ」っていう金属音まで聞こえてきたので、恐らく軒先に置いてある私の洗濯機にどっちかが体当たりをかましてたのだと思います。にしてもあんまり長く続くもんだから、たまたま冷凍庫に入っていたササミの切り身をレンジでチンしていい加減仲裁に行こうかなと思うくらいの長期戦でした。
結局、普段から平日の睡眠時間は約5時間と極端に短いのですが、この日の晩は4時間弱とまた極端に短く終わって次の日はずっとぼーっとした状態で集中力を切らしながら過ごしました。ただうがった見方をすると、実は家の近くで野良猫が根城にしている元家具屋のビルが十年くらいの放置を経てようやく取り壊し工事が始まってきたこともあり、近隣で新たな縄張り争いが始まっているのかもしれません。こんな寒い真冬に根城を失い領土争いに出ざるを得ない野良猫を思うと猫の一生も大変だとつくづく感じ、人の一生が辛いだのなんだのそういう事は考えるべきじゃないなと最後に思った次第です。
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