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2014年6月23日月曜日

自民党都議のセクハラ発言問題について

 久々に政治記事を書きますが、各所で報道されている通りに先日都議会で塩村文夏都議に対して「早く結婚しろ!」などという品のない野次が飛んできた件について、自民党の鈴木章浩が本日、自らが発言主だと明らかにした上で塩村都議に謝罪しました。あんま長く書く記事ではないのでちゃっちゃといいたいことを書きますが、まぁ次の目はないでしょうね。
 
 一応というか渦中の中で自ら名乗り出てきたのは評価してあげたいものの、既にこの問題が取り上げられ始めた時点で発言主は鈴木都議ではないかとネットを中心にささやかれており、今日の発表を見て私も「ああやっぱこの人だったんだ」と思ったほどでした。何を言いたいのかというと今回の発表は刑事用語でいうなら自首ではなく出頭、つまり犯人がわからない状態で自分がやったと名乗り出たというよりはもうバレバレだったから、「そうよ、何を隠そう俺こそが犯人だ」とばかりに開き直って名乗り出たようにしか見えず、実際にあまり反省してるようにはとてもじゃないけど思えません。
 さらに鈴木議員自身が問題発生当初に記者からのインタビューで、「そのような野次は聞こえなかった」などと言った本人でもあるにも関わらず否定しており、自分の発言が問題あったとわかっていた上で隠そうしていたのは明白でしょう。それから名乗り出るまでの時間は数日あったにもかかわらずダンマリ決め込んでたんだから、うやむやにする気は満々でさっきも言ったように隠し通せないから開き直っただけでしょう。
 
 こういってはなんですが、ガンダムで言えばアルベオ・ピピニーデン(わかる人いるかな?)並に情けない奴としか思えません。発言の品のなさもさることながらバレバレの癖にしらばっくれて、事と問題が大きくなってから観念して白状するなど時代劇の小悪党ですらもっと堂々としてる気がします。それだけに、「子供は産めないのか」という野次は言っていないと抗弁してますが、果たして本当にそうなのか私個人としてはまた嘘ついてるのではと強い疑問を感じます。
 この件に限るわけじゃないですが地方議員に白国会議員にしろ、政治的知識や立ち回りの良さ以前に人間としての資質が明らかに終わっている人間がいくらなんでも多すぎます。もっともイタリアにはベルルスコーニという大物もいますが。
 
 本来議員を監視するべきマスコミも国会議員は愚かこういう地方銀になると完全にするーもいい所で、もう少しメディアの監視として地方議員を力入れて取り上げるべきだと前々から思います。そもそも日本で政治家が育たないというのも、こうしたレベルアップの場である地方議会があまりにもレベルが低すぎる点もあると思うんだし。
 なお地方議員出身者として過去にいた大物としては、やっぱ私の中では野中広務氏が挙がってきます。そこまで嫌ってるわけじゃないけど、やっぱ悪人というかダーティな人は長生きするなぁ。

2014年6月22日日曜日

目下に苦痛を強いる日本人、といじめの構造

 昨日にブログを更新しようとしたらいきなり部屋のブレーカーが落ちて停電となり、パソコンを起ち上げることが出来ませんでした。すぐに電気関係の人には来てもらって一部コンセントにつながる配電に問題あるとして、明かりはついたもののパソコン用のコンセントが駄目だったので結局あきらめました。不思議なのは今朝になったら、問題の配電部分にあるブレーカーが元通り起ち上がって普通に使えるって点なんだけど。
 あと金曜日も更新をサボりましたが、これは上海に仕事で行って虹橋駅から鉄道で昆山まで帰ろうと六時に駅についてチケットを取ったら、残っているチケットが9時半のチケットしかなく、帰宅したのが10時半くらいだったためです。にしても上海~昆山間20分強の電車に乗るのに3時間待ちっていうのもなぁ。この間平気で待てる自分も中国時間に慣れたもんだ。
 
 話は本題というか前回記事の続きです。前回記事で私は、日本人は「努力=苦痛」と考えている節があり、苦しい体験を重ねることこそが努力だと考えるあまりにトレーニングなどにおいて効率を無視したやたらめったら苦しいだけの練習メニューや回りくどい煩雑な手続きを選んで採用してしまう傾向があるのではと主張しました。逆に、能力向上において効率的で時間が短縮できるメニューは努力しているどころかサボっているとみなし、むしろ敬遠してしまっているところもあると考えております。
 こうした情景は中学高校の運動部系部活動に多くみられ、また実社会においても上司が部下に対して簡単に解決できる方法を知っておきながら敢えて教えず、回りくどいやり方で仕事を課したりするなどの点でも見られ、さらにはそうした下積みならぬ無駄な努力を大事な経験として尊重しているように私には見えて仕方ありません。こうした行為は何故起こるのか、一人でじっくり考えてみたところ共通するワードというかセリうに「お前のためを思って敢えてやらせているんだ」というセリフが浮かんできました。
 
 このセリフの意味というのも、「効率の悪い、間違っているやり方だとわかってはいるものの、こうした苦労が後に生きるから敢えて課しているんだ」という意味合いで、要するに相手のためを思っての行為だということを何故か毎回主張しています。私自身もこういう不条理な苦労を強いられた経験が何度もあるしそれに対して抗議してきましたが、そうすると決まって「お前のためを思って」という言葉を言い返され、詭弁だろうと内心では思い続けてきました。しかもこういうセリフを言う奴に限って、自分だけ得すればいいと考えている奴が多いし……。
 
 ここで私が何を言いたいのかというと、相手のためになるのであればどんな苦労を強いても構わないという不文律が日本社会に蔓延していると思います。それどころか、「苦労を強いるのは相手のためになる」と言ってもよく、むしろ率先して強いるべきだなんて考える人間もいるような気がします。効率のいい正解の方法が確立されているにもかかわらず敢えて教えず、「自分で正解を導き出す過程が重要だ」等と言って何も指導しないとか、漫画などに出てくる体を壊しかねないトレーニングを詳しく検証せずに部員に課したりなどと、こういう行為が行われる背景には必ずと言っていいほど「お前のため」というセリフです。
 最初考えた時はここら辺までが一つの仮説かなと考えて結論をまとめるつもりだったのですが、ふと思案を巡らしている最中に、突き詰めればこうした「苦労を強いるのは相手のため」という妙な信仰こそが日本人のいじめ行為の根源ではないかと思いつきました。
 
 何故いじめは起こるのか、この問いは長い間議論され続けているものの未だに私は得心する回答どころかまともな仮説すら見たことがありません。そんな自分にとって「相手のためになるのだから何をしてもいい」とする行動原理はいじめをする人間の大きな皇帝材料になっていると思えるだけでなく、彼らのセリフの端々にもそれを感じさせるものがあるような気がします。部活動の上級生から下級生の死後気においても、「こういうしごきがあったから今の俺たちがいる」とか、「苦しいからこそ乗り越える価値がある」などという自己弁護じみた言葉がよく聞こえるようですし、同級生同士のいじめでも「パシリにするのもあいつのため」なんてセリフがなんか聞こえてきそうな気がします。
 しかしいうまでもなくいじめ行為というのは相手の為でもなんでもなくいじめる側にとって都合のいい行為でしかありません。しかし最初に挙げた「苦痛=努力」こと「なんでもいいから苦労することはいいことだ」という概念が妙な肯定材料になって、こうしたいじめが日本に蔓延する要因となっているのではと私は言いたいわけです。その際、相手のためになるかどうかはいじめる側が恣意的に判断できるのですが。
 
 結論を述べると日本人はこういう妙な「苦労することはいいことだ」、「苦労を乗り越えた先に価値を得られる」という信仰を早く捨てるべきでしょう。かなり昔に私は苦労にも二種類あり、必要な苦労と無駄な苦労があると主張しましたが、日本における苦労は大半が無駄な徒労です。逆に必要な苦労ほど注目もされず、また邪道なやり方として批判される傾向があった気がします(一昔前のウェイトトレーニングなど)。こうした信仰は早く捨て、成長にためには「正しい選択こそ重要」という価値観を得ない限り、いじめも案外なくならないんじゃないかと勝手に思っている次第です。
 
  おまけ
 体育会系のしごきに対して猛批判をしている人物の一人に元巨人の桑田氏がおります。実際に桑田氏と同年代のPL高校出身者はみんな口をそろえて、「桑田さんは一切自分たちをいじめなかった」、「しごきとか全くなかった」と話しており、昔からフラットな考え方を持っていた人物だったんだと私も陰ながら評価しております。
 ただちょっと気になる点として、桑田氏と同学年でPL高校野球部に在籍した清原選手に関しては何故か誰も桑田氏みたいな印象を述べる人がおらず、同時期なのに誰も言及しないのが返って怪しいと思ってたりします。まぁ想像はつくけどさ。

2014年6月19日木曜日

「努力=苦痛」と考える日本人

 先月書いた「伝えることに全く努力しない日本人」の記事に潮風大使さんから続編を期待するようなコメントを書いていただきましたが、実は自分としてもこの記事は言いたいことを完全に書き切れておらず、態勢が整い次第にまた続きを書こうと考えていた記事でした。なおここだけの話、そこそこ面白い内容書いたからもうちょっと反応あってもいいかなと思ってましたが、直接コメントくれたのは某上海人だけだったという。
 そんなわけで今日はその続きの記事となるのですが趣旨はちょっと変わります。結論からスパッと述べると、私が見るに日本人は見出しに掲げた通り「努力=苦痛」と考え、言うなれば「努力には苦痛を伴う」を通り越して苦痛を味わうことそれ自体が努力だと本気で信じ込んでいるように見えます。見方はいくつかできますがこの考え方は弊害が多く、突き詰めていくと日本人の最も暗部たる部分の根源につながるのではないかと見ております。
 
 自分が何故このような考えを思いついたのかというと、「伝えることに~」の記事で上司が部下にほとんどまともな指示を与えていないにもかかわらず自体が上手くいかなかったら部下を責めるという構図の例を持ち出した時、「恐らく、こういう時の上司って自分が指示をちゃんと伝えようとしていないことを内心では自覚しているはずだよな」と思ったことからでした。自分の実体験もそうですし他人の体験、そして横から見ていた実例などを鑑みても明らかに不足した指示内容で部下を動かす上司は大抵その後、「お前が今後相手の意を汲んで動けるようになれるため敢えてこういう風にやってるんだ」というような感じで自慢げに言う輩がマジ多かったです。自分に言わせるなら、相手が指示内容を理解しているどうかを読み取れない人間が言うセリフじゃないなという気がしますが。
 
 上記のような構図は上司が敢えて部下に苦痛を与えさせようとしている構造なのではないかと考えた際、そもそも日本では指導者が指導を受ける側に対して効率性を無視し、やたら苦痛を与えようとすることが多いのではないかとふと閃きました。代表例は言うまでもなく中学や高校の運動部系部活で、自分もギリギリ「水は飲むな」と言われてきた世代ですが、これら運動部系部活の練習はどこか体力や技術の向上というより、身も蓋もない言い方をすると如何に部員を苦しませるかに重きが置かれている気がしてなりません。
 確かにスポーツにおいては体力や技術に加えて試合などでは精神力も要求されるため苦しいことを耐え抜く体験も全く無意味ではないと私も思いますが、それを推しても日本の部活動は度が過ぎています。それこそ脱水症状や筋肉疲労など体を壊す恐れのあるほど無茶な練習を休憩抜きで強制することはもとより、うさぎ跳びや片足ケンケンなど体力・技術の向上に全く無意味な徒労ともいえる練習メニューすら課したりします。自分なんか小っちゃい頃から納得しないことには反発が強かったあまり、この練習は無意味で役に立たないと思って中学で最初に入ったバスケ部をすぐに辞めましたけど。
 
 恐らく現代の運動部でも効率の悪い、危険な練習が日々繰り返されていることだと思います。同じ練習時間にやるのであれば効率のいい練習メニューをこなす方が良いに決まっているのに恐らく日本の運動部指導者はそうしたメニューを優先的に選ぶことよりも、怪我させない程度に部員がどれだけ苦しい思いをするかでメニューを選んでいるような気がしないでもありません。そしてその行動原理たるは「流した汗の分だけ強くなれる」という、最初に掲げた「苦しい思いをすることこそが努力」という概念にあるのではないかと考えるわけです。くどいようですが要するに、苦痛に耐えることこそが努力で成長の原動力になるという妙な信仰を日本人は持っているのではと私は言いたいのです。
 
 言ってしまえば、10キロくらい走って汗を流すのと、サウナに入って汗を流すのでは同じ汗を流す行為でも意味合いは全然変わってきます。ですが日本の運動部とかでは本当に流す汗の量を競おうというような練習が見られ、文字通りサウナでもなんでもいいから汗を流す量を増やそうとするかのような練習をやっているように見えます。しかし体力や技術の向上は流した汗の量に必ずしも比例するわけではないのは普通に考えれば当たり前です。体力・技術の向上に多少の汗を流すことは必要でも、苦痛を伴わなければならないとは私には思えませんし、サウナで汗をいくら流したって、それがそのスポーツ能力の向上に直結しないのであれば無駄な汗以外の何物でもありません。
 
 やたら例ばかり出してあまりノリのいい文章とは言えませんが、突き詰めると日本の運動部は体力・技術の向上以上にどれだけの苦痛に耐え抜くか、どれだけ苦痛に耐えたかを目指しているところがあると断言します。そして努力というのは、体力や技術の向上をどれだけ目指すかではなく、どれだけ苦痛に耐えたかという意味合いで考えているというわけです。
 私に言わせればこれは本末転倒以外の何物でもないのですが、こうした考えは運動部に限らず日本社会全体に案外浸透しきっている気がしてなりません。ここまで極端な言い方しなくても「努力というのは苦しい思いをすること」といえば日本人なら誰もが頷くでしょうし、苦しい思いをした人間の方が工夫をして楽に物事を運んだ人間より必ず偉くて強いはずだときっとみんな信じていることでしょう。
 
 下衆な言い方をすればこうした思想はマゾ気質もいい所で、どれだけ汗を流した、血を流した、ゲロ吐いたかで人間の価値が高まるなんてチャンチャラおかしく、こうした苦労自慢をあちこちでやる日本人というのも変な方向に振れたもんだなぁと素直に思います。もっとも、人が嫌がることを率先してやってきた人間に対しては私は価値が高いと認めますが。
 
 という具合でいつにもましてやたら挑発的な文章を綴りましたが最後に言いたいこととして、日本人が自分一人で勝手に苦痛を求めたがるというのは気持ち悪いけどそれ自体は問題ないなと私は考えます。真に問題なのは、仮説ではありますがこうした苦痛を日本人は他人にも求めているのではないかということで、次回では何故日本人はいじめを好むのか、この「努力=苦痛」という信仰と絡めて自説を紹介します。

2014年6月18日水曜日

東京女子医大の事件について

 書きたいネタは溜まっているのですがいまいち気分が乗ってこないから週末に回そうという判断で、このところはさらりとかわせるネタで凌いでおります。気合入った記事は後から見ても出来が良く、閲覧数もコメントもそこそこ伸びはするのですがやっぱり書いている時の負担も大きいわけで、なるべく本調子の時に書きたいのが真情です。今日もそういうわけで東京女子医大の事件についてですが、案外今日の記事は自分にしか書けないんじゃないかな。古い事件を引っ張ってくる辺りで。
 
 
事件の内容はあちこちで報じられていると思うから知っている方もいると思いますけど簡単に説明すると、東京女子医大で今年二月、本来子供への投与が禁じられている鎮静剤「プロポフォール」を投じられた二歳の男児が投与から三日後に死亡し、警察が業務上過失致傷の疑いで捜査を始めたとのことです。この事件で引っかかるのは、投与されたプロポフォールは子供への投与が禁じられているにもかかわらず使われたという点だけでもきな臭いのですが、今回の事件で投与された量は成人に対して使う場合の基準値の約2.7倍という異様な量だったそうです。さらに東京女子医大は過去にも今回の男児以外にも子供に対して投与しており、因果関係はまだはっきりしていないものの一切に投与された子供のうち12人がその後に死亡したことが報告されています。仮にこれらの報道や報告が事実だとすれば、違法な行為によって何人もの子供を死に至らしめたという、近年でも稀なほどの医療過誤事件になるのではないかと密かに見ています。
 
 上記のような点だけでも十分注目に値するのですが、私がこの事件で何よりも注目したのはこの事件が東京女子医大で起きたという点です。というのも東京女子医大は過去にも心臓手術で大きな事件を起こし、捏造も図ったという前科があったからです。
 
東京女子医大事件(Wikipedia)
 
 事件内容は上記リンク先に簡単に書かれていますが2001年に東京女子医大で心臓の外科手術が行われた際、人工心肺装置に不具合が起こり、患者であった当時十二歳の女児が手術から二日後に死亡しました。この死亡事故後、東京女子医大では手術のカルテが改竄され、手術当時の状況がぼかされただけでなく手術中に人工心肺装置を操作していた助手がミスをしたことが原因であるという内容にしつらえており、病院側もその改竄されたカルテ通りの発表を行いました。
 その後の裁判での検証によると、人工心肺装置を動かしていた助手の捜査には過失がなく、むしろ不必要に取り付けられたフィルターが閉塞したためという人工心肺装置自体の瑕疵が原因であると結論付けられ、事件後に逮捕されたものの助手には無罪が下り、カルテを改竄をした医師のみが有罪となりました。
 
 事件自体は予見できない事故であったものの、事故後の対応についてこの病院は一体何なんだと真面目に当時覚えました。未だに覚えているくらいだから相当悪い印象だったのでしょうけど、今回の鎮静剤の事件報道を見て「また東京女子医大か」などと思うのと同時に、また何か隠蔽工作をしているのではないかという疑いを率直に持ちました。
 
 先日にも高校のバスの手配を忘れたことを隠蔽するために脅迫状を偽造したJTBの社員が逮捕されましたが、大きな失敗やミスは起きてしまった後にはもう取り返しはつきません。大事なのはその後のカバー対応で、そういう意味で今度の東京女子医大は過去の反省を活かせるか正念場じゃないでしょうか。
 といっても、以前から禁止されている子供への投与を繰り返してたって点で反省がないと証明しているようなもんですが。あと今回の事件とかこの事件を区別する上で、「東京女子医大事件」じゃ見分けつかないなぁ。

2014年6月17日火曜日

「今週の調合」というヤバかった企画

 海外生活を送る上で一番厄介なものは病気で、さらに言えばその病気を誘発させるストレスも当てはまります。そのため海外生活を送楼という人間については可能な限りストレスの原因を断った上で(断ちきれないだろうが)、ストレスを軽減する道具なり食べ物なり娯楽なりを持っていくことが重要となります。そういう言い訳を立てた上で私はソニーのPSVitaを購入して、パズドラと共に日々激しく遊ぶ毎日を贈ったりしてます。
 
 そのPSVitaですが、昔のプレイステーション時代のゲームがダウンロードによって遊べるということもあって渡航前にあらかじめいくつかダウンロードしておきました。そのダウンロードしたゲームの中には「マリーのアトリエ」という、現在も続編が続いているガストという会社の花形ゲーム第一騨も入っており、私自身はこれまでこの「アトリエシリーズ」というゲームはやったことはなかったのですが人気の高い作品でもあるので今回遊んでみることにしました。結果から言えば確かによくできたゲームで、ストレスなくサクサク進む上にやりこもうとすれば奥の深いシステムなだけに完成度の高い作品だと文句なしに太鼓判が推せるゲームで、現在はその二作目の「エリーのアトリエ」を時間を見つけては遊んでおります。
 
 そんな「マリーのアトリエ」ですが、このゲームが出た当時に主役の声優をしていた池澤春菜氏がパーソナリティとなってゲームと連動したような企画を持つ「池澤春菜のみんなで、た〜る 〜ラジオ・マリーのアトリエ〜」というラジオ番組があったそうです。自分もつい最近になって知ったのですがこのラジオ番組はそこそこ評判を得たというか、ある企画が妙なインパクトを以ってネット上で検索するとその企画について言及しているサイトがいくつか見られました。その企画というのも、「今週の調合」という企画です。
 
 「マリーのアトリエ」というのは錬金術師の主人公がいろんなアイテムを調合して作るというコンセプトのゲームなのですが、そのコンセプトを現実に持っていき、いろんな原料をミキサーで混ぜて新たな飲み物を作ろう、というのが「今週の調合」の企画内容だったそうです。この企画の内容はリンクを貼ったウィキペディアの記事中に全部書かれているのですが、第1回こそ「マンゴー+特濃牛乳+ガムシロップ」で「マンゴーミルク」という無難な飲み物が出来ましたが、2回目にはもう「梅昆布茶+アロエドリンク+パイナップルスライス」の組み合わせとなり、先行きの不安さを感じさせる組み合わせとなっております。
 そして第4回。この時の組み合わせは「みかん果汁100%ジュース+トマトジュース+苺の板チョコ+フルーツゼリー」で、出来た飲み物に命名された名前というのも「胃液」で、どうやらかなりまずい飲み物、っていうか板チョコが混ざってる時点で最早飲み物なのかと疑いたくなるになったようです。その後も、
 
第10回・ハイソサイエティ(赤貧):カレーヌードル(粉)+鮭缶+牛乳
第12回・ゲロッパ:おかゆ+あんずゼリー+カラムーチョ
第16回・バイヲハザードをおえっ♥:あずきアイス+ヤクルト+夕張メロンジュース+昆布おにぎり
第20回・ぷるぷるクーヘン:麻婆豆腐+生クリーム+バームクーヘン
 
 などと、名前や組み合わせを見ているだけでも色々と不安になってくる物が次々と出来上がっていき、声優とはいえ一体何故こんな無茶な企画をと思わずにはいられません。特に第25回の「賃上げスペシャル 一気したらあげましょう(うまい棒めんたいこ味+焼きそばパン+おでんの出汁+栄養ドリンク(アミールS))」に対する池澤氏の感想が、「飲んだ後悪寒が来て、すっと何かが抜けた」と書かれてあるのには読んでて吹き出しました。それにしても、誰がこんな企画やろうと考え出したんだろうなぁ。

2014年6月16日月曜日

欧米におけるタトゥーは本当にファッション?

 本題を話す前にちょっとした中国におけるネットテクニックを紹介します。中国では現在、数多くのサイトが検閲対象となって閲覧することが出来ず、その対象にはこのブログのサービス元となっているGoogle社のBlogger、そして日本のFC2、ライブドア、アメブロなど主要なブログサイトが含まれております(何故かgooブログだけは普通に使えるし見れる)。ただブログの文章を見るだけであればFeedspotを始めとしたRSSリーダーソフトに登録すればこれらRSSリーダーを通してみることができるので、定期的に閲覧するブログがある方などにはお勧めです。まぁこれ以外にも裏ワザはありますがそれはまた今度に。
 
 話は本題に入りますがリンクを結んでいる潮風大使さんのブログで、小学生の父兄にタトゥーをしている人が増えてきたということについて書かれた記事が載せられていました。ちなみに潮風大使さんのブログもFC2なのでRSSリーダーを通して読んでます。
 もちろんタトゥーといっても見るからにヤクザな方というわけではないものの、果たしてこういう風潮はどんなものかと潮風大使さんは問題提起をされておられるのですが、その問題提起に対してなるほどと思うと同時になんか日本のタトゥーに対する言い方というか言い訳について以前から奇異なものを感じていました。もったいぶらずに述べると、「日本ではタトゥーに対する偏見は強いが欧米ではごくごく一般的なファッションとして捉えられている」といった主張で、要するに日本人はややタトゥーに対して厳しすぎるという反論です。
 
 私自身は決して欧米事情に詳しい人間ではないため断言することはできないのですが、欧米ではタトゥーが一般的なファッションとして捉えられているというのは果たして本当なのか、強い疑問に感じます。というのも、プロ野球選手など一種の自営業の人たちは確かにタトゥーをしていることが多いですが、社会的に地位の高いとされるホワイトカラーの欧米人でタトゥーをしている人はほとんどというか全く見ないからです。
 その理由について以前、父親が外資系の企業で働いていた友人によると、「欧米では社会的地位の低い人間であればタトゥーだろうとマリファナだろうとやるのは勝手だが、一般的なホワイトカラーの世界ではむしろ日本以上に厳しい風土にあり、どんだけ小さかろうとタトゥーをしていたらまず大企業では働けない」と話していました。
 
 私自身の見方もこの友人の意見と同じで、確かに欧米ではタトゥーをしている人が多いですがそれは日本人から見た「一般的」な分類とは異なる人たちで、タトゥーに対する社会の厳しい見方は決して日本が特別なわけではないように思います。一言で言えば、半端もんが刺青なんて彫るなよといったところです。
 
 私自身としてはタトゥーを掘っていようがいまいが賢い人は賢いし小賢しい人は小賢しいと、人間やっぱり中身だと考えるのであんま気にしません。ただ「欧米では誰でもやってるもんだ」と誤っているかもしれない認識を唱えて掘る人は間違いなく後者だと思うので出来ることなら時間の無駄なので関りたくはありません。また何かしら信念(どんな信念だろう?)なりもって彫っている人についても、タトゥーを入れることによって社会的な偏見を浴びることは不可避であるということを覚悟せずに彫るのであれば正直に言って軽蔑します。
 漫画のジョジョっぽいセリフを敢えてここで言いますが、覚悟を持たずに行為を行う人間ほど意地汚いものありません。逆を言えば相応の覚悟と信念があるのであれば法を逸脱することも場合によってはありかと思うあたり、つくづく自分の思想はテロリストっぽいと思う次第です。

2014年6月15日日曜日

創業家列伝~木村安兵衛(木村屋總本店)

 あんパンといったら顔の交換が効くヒーローで有名ですが、現物のあんパンは明治創業の木村屋總本店が世に生み出し、日本人の間で一般的な食品として長く親しまれており、中国のパン屋にも「日式餡面包(日本のあんパン)」というメニュー名と共に置かれていることが多いです。そんなあんパンを生み出した木村屋總本店の創業者は新時代に生きるパン職人かと思いきや、幕末を徳川家の武士として仕えていた旧時代の代表格の様な木村安兵衛という人物で、しかも当時としては人生の終わりが見える52歳という年齢からの創業と、ベンチャースピリッツの甚だしい人物であったりします。

木村安兵衛(Wikpedia)

 木村安兵衛は1817年に現在の茨城県牛久市の、長岡又兵衛という武家の家に次男として生まれます。成人後は近隣の龍ヶ崎市にある木村安衛門の婿養子となりますが、生活苦から親戚を頼って江戸へ上り、紀伊徳川家の江戸お蔵番などを務めていたそうです。しかし1868年の明治維新によって徳川幕府は崩壊し、50歳を過ぎた木村安兵衛は武士としての特権はおろか職業すら失います。
 維新後、安兵衛は明治政府が組織した職業安定所の事務員としての職業を得ますが、そこで長崎のオランダ人宅でコックをしていた梅吉という人物と出会います。梅吉から「パン」という食べ物を教えてもらった安兵衛は思い切って事務員をやめ、明治二年の1869年にパン屋として旗揚げする道を選びました。

 旗揚げした当初の店は「文英堂」という屋号で、現在の新橋付近に店を構えました。従業員は梅吉のほか奥さん子供という見事な家族経営でしたが、肝心のパンははっきり言って全然売れませんでした。しかも開業から九ヶ月目にして店舗が火事に遭って全焼し、心機一転を図って当時はまだまだ一区画に過ぎなかった銀座に引っ越し、そこで初めて「木村屋」という屋号を用います。
 この木村屋へと移る過程で安兵衛は創業メンバーの一人である梅吉を切り、横浜でパン職人として働いていた武藤勝蔵を新たに従業員として雇い入れます。この勝蔵と安兵衛の次男で当時19歳の英三郎は年齢も近く気が合い、この後の木村屋の発展の原動力となったそうです。

 創業当初でこそパンという当時の日本人の舌になじまない食品であったことから苦境が続いた木村屋でしたが、いくつか幸運とも言えるような追い風を受けて業務を拡大していきます。その第一の追い風となったのは海軍で、西洋食を取り入れるという観点からパンがカレーライスと共に軍隊食に採用されます。しかも当時の海軍兵士に多かった脚気の症状にパンと牛乳の組み合わせた対症療法として効くと評判になり、パン食普及のきっかけを掴むことが出来ました。

 しかし好事、魔が潜むというべきか、1872年に木村屋は再び火事に遭い、またも全焼します。なんかこのくだりを見ているとまるで貧乏神でも取り憑いてたんじゃないかと思えてくるくらい不幸ですが、これらの不幸にもめげず安兵衛はまた店を銀座に起ち上げるとともに、「饅頭っぽいパンを作ってみよう!」というノリだったのかまではわかりませんが、日本人の舌に合わせるというコンセプトのもとであんパンの開発を手掛けます。
 このあんパンを最初に目を付けたというか気に入っていたのは、なんと江戸城無血開城にも関わっている元幕臣の山岡鉄舟(身長188cm)でした。なんでもえらい気にいっていたようでほぼ毎日あんパンを食べるあんパン漬けの毎日を送っていたそうなのですが、こんな馬鹿でかい大男(しかも結構イケメン)が毎日あんパン食ってたと思うと何とも言えない気分になります。しかもこの山岡鉄舟、自分が気に入っていたことをいいことに、当時明治天皇の侍従をしていたことから明治天皇の茶菓子として献上するよう取り計らいます。

 この明治天皇への献上の際に木村屋はもうひ工夫をと考え、サクラ付した桜の花びらをへそに埋め込む「桜あんパン」を開発して献上したところ、明治天皇も気に入って今後も定期的に献上するようにと伝えたことからその人気と知名度は一気に全国区となります。こう考えると実質、あんパンのプロデューサーは山岡鉄舟だなぁ。
 それ以降は経営も軌道に乗り、万事オーライな状態となったまま1889年に安兵衛は73歳で往生を遂げます。ただ彼の晩年で不幸だったのは次男の英三郎が1887年に36歳で死去していることで、本人が割と長生きしただけに色々と残念で仕方なかったのではないかと思います。とはいえ木村屋は日本における製パン業のパイオニアとして認知され、現在に至るまで続いていることを考えると大した仕事をこなしてみせたと言えるでしょう。

 私個人の評価を述べると、齢50を超えてなお創業し、また二度の火災に遭っても挫けず製パンを続けたことを考えると生半可な精神の持ち主ではないと強い敬意を覚えます。また西欧のパンという食べ物を日本人向けにアレンジして売り出した点一つとってもなかなか経営センスの優れた物があり、だからこそ現在にも続く企業を生み出せたことでしょう。
 なお木村屋の揮毫はそのプロデューサーたる山岡鉄舟の手によるものだそうです。あとこの山岡鉄舟、山本海苔店と関わって「味付け海苔」の開発のきっかけを与えており、元幕臣の癖にやたら日本の食に多大な影響を与えまくっています。実際に発言とか見ると面白そうな性格の持ち主で、もうちょっと歴史小説とかでも主人公になってもいいし知名度ももっと高くてもいいような気がします。こう思うのも自分だけかな。


  参考文献
「実録創業者列伝」 学習研究社 2004年発行