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2014年7月23日水曜日

上海食品会社の期限切れ肉出荷問題について

 散々このブログで愚痴っていた今借りてる部屋の騒音問題ですが、再来週あたりにでも引っ越すことが決まりようやく落ち着きそうです。今の部屋の大家にこの問題を相談したところ親身に対応してくれて、騒音の元凶であるスポーツクラブにもいろいろ言ってくれていたこともあり申し訳ない気もしますが、今後ずっと続くこと考えるとしょうがないか。
 ただ、さすがにこっち来て二ヶ月後にすぐまた引越しというのはなかなかしんどい話です。ネットの契約はこれまで通り使えますが回線工事には来てもらわないといけないし、気力がかなり萎えてきます。
 
 
 こっちきてからほとんど書いていない中国ネタ記事ですが、自分にとっては「そんな大騒ぎするものかな?」と思うもののなんか日本で大騒ぎしているようなので取り上げることにします。
 
 恐らく皆さんも内容は既に知っているかと思いますが、上海の食肉会社である上海福喜食品がこのほど、中国のテレビ局による潜入取材によって品質保持期限の切れた肉をほかの肉に混ぜて出荷していることが明らかになりました。意外に大手の会社だったので日本のマクドナルドやファミリーマートはおろか、米マクドナルドまでここから食肉を調達しており、各社ともにここから仕入れいていた肉を使った食品の出荷を取りやめるなどその対応と混乱は広がりを続けております。確かファミリーマートだったと思うけど今回の事件について、「我々は裏切られた、そして消費者を裏切ってしまった」と、なんか中二病っぽい発言してて笑えました。
 
 それで早速続報はないかなと中国現地の報道をざらっとみてみたところ、上海ローカルである東方網の記事だとこの会社は食肉というか家禽を自前で育てずよそから仕入れてるのですが、つぶした鷄がなんと何の保冷処置のない常温の倉庫に保管されてて記事中の見出しには、「神秘の倉庫」とまで書いています。でもって国内外で影響が広がっており、日本マクドナルドについてもわざわざ共同の記事引用して取り上げてます。
 
 この事件、というか事件の報道についていくらか私見を述べさせてもらうと、まずリンクを貼った読売の記事には従業員が「(混ぜても)死にはしないから問題ない」と言ったと書かれてありますが、敢えて正確な意味を類推するならこの従業員は「ばれなきゃ問題じゃない」と言ったと見るべきだと思います。ごく一般の日本人からしたら考えられないかもしれませんが、現代中国人の気質として「その場さえよければ未来は考えない」という概念が強く、将来不利になることがわかっていながらもその場が切り抜けられるなら嘘でも偽装でもなんでもやらかします。
 それにしたって問題のある食材を混ぜて後でばれたら大損害を被るはず、なんて日本人は考えますが、そもそも中国人はばれた後のことなんて全く想定せず、その場で儲かるのであればすぐ偽装に手を出します。これは何も食品業界に限らない話でちょっと専門的な話をすると、今私も関係する鋼材業界なんてひどいもんです。知ってる人には当たり前ですが中国の鉄鋼メーカー、商社から鋼材を買おうとすると最初のサンプルは指定通りの良品が届きますが大量に発注すると最初のサンプルとは打って変わって質が悪くなり、また今回の食肉同様に良品の鋼材の中に不良な鋼材をちょこっと混ぜてくることなんて日常茶飯事です。そのため、日系の自動車メーカーはほぼ間違いなくすべての会社で下請けメーカーに対し中国製の鋼材を使用すること厳禁しており、うちなんかは台湾や韓国から引っ張ってますがわざわざ日本から引っ張ってくるのも珍しくありません。
 
 そういう世界を知っているもんだから私はこの事件の報道を見て、「ああ、ばれたんだ。この前ケンタ行ってお腹痛くなったのってこれかなぁ、夏だし」なんて思っただけです。言い換えるなら、こんなのどこもやってることでモラルだのなんだのというより、当たるか当たらないか、最初の従業員の言葉じゃないですけど私の感覚だとその程度にしか思いません。
 
 更に言うと、まぁ確かに中国じゃこういうこと多いけど、日本も過去にやらかしてるしねぇなんてちょっと皮肉っぽく思います。まさかここでこの事件名を出すとは自分以外有り得ないだろうと思うのですが、日本では2007年にミートホープがありとあらゆる食肉偽装、具体的には今回と同じ期限切れ肉を混ぜたり、動物の血液混ぜたり、消費期限切れで返品されたコロッケをラベル張り替えて再出荷したりと、まぁ今見返しても凄いことやってたなと思えてきます。しかもこの事件で面白いのは内部告発者が保険所に訴えても動かず、仕方ないのでNHKと北海道新聞に伝えたら黙殺され、最後に朝日新聞行ったらスクープにしてくれたという点で、北海道新聞は警察には厳しいけど部落には甘いなぁなんて過去記事で私も書いてます。
 
 要するに何が言いたいのかっていうと、こういうことは国や地域に関係なくよくあることだし大袈裟に騒がず、とりあえずばれたところは潰しておけばいいなんて具合でもうちょっと冷静になったらということです。我ながら厭味ったらしい言い方して書いてますが、この事件に関しては先ほどのミートホープの事件を思い返すにつけ、「これだから中国は」と批判するニュースではないと思ったので敢えて皮肉を込めて書いています。

2014年7月22日火曜日

山田風太郎の日記を読みだして その三

 既に何度か記事にしていますが、山田風太郎が戦中に書きつづった日記「戦中派虫けら日記—滅失への青春」をこのほど読み終えました。ちんたらと読んでたのもありますが、ちょっと時間をかけ過ぎた気もしなくもありません。もっとも長い時間かけただけあってこの本の文章量は非常に多く、確か4年くらいの日記がまとめてあるのもあって読み終わった時には何となくほっとした気もしました。
 
 それで早速感想ですが、全編読み終えた後に書かれてあるこの日記が出版された当時の山田風太郎が書いた回想文がなかなか面白かったです。まず第一声に、自分も先に書いたレビューで指摘していますが前半部に何を食べたとかどこで誰と食ったかなどと食べ物の記述が非常に多い点について、山田自身も苦笑するような感じでこれだけ食い意地の張った日記を残しているとはと述懐してます。ただ当時の状況について何よりも「餓え」が記憶に残っているとした上で、「戦時中というと空襲などが連想されがちだが、当時を生きた人間にとっては満足に食べられなかった思い出の方が強いはずだ」とかなり強い口調で述べており、読んでて意外とそうなのかもしれないなと私も思いました。あと、自分は今でもそうだが当時も小食の部類だったと、ちょっと言い訳っぽいことも書き加えられてます。
 
 そうした前半部以外の描写についてはもう一言、「自分はこの日記に書かれている程立派な人間ではなかった」とした上で、哲学めいた思考やどのように生きるべきかなどといろいろ日記に書いているが、それは当時の年齢からくる思考であって、必ずしもそうした高尚な思考の通りに生きていたわけではないと謙遜した内容を書いています。ただ日記の内容からすると医学校での級友たちからは「山田は常に黙っていろいろ考えている」などと言われていたことがわかり、その後長じて昭和を代表する作家となったことからも周囲とは一線を画すような思慮を持った人物であったことは想像できます。
 
 日記部分の感想を述べると、前半に関しては本当にこれでもかというくらいに食べ物の話題が多いのに対し、後半、具体的には1944年のヶ所に至っては空襲の話が非常に多く出てきます。どこそこで空襲があったとか、空襲警報によって列車が止まって移動できなかった、学校の宿直中に空襲警報が鳴り、何も知らないまま寝たままで死ぬこともありうるなどと死生観について仲間と語り合ったりと、まぁ空襲の話ばかりです。もっとも、空襲の悲惨さについてはほとんど触れられず、実生活への影響の方に重きを置いた書かれ方ですが。
 このほか興味深かったのは、学校での軍事教練の話です。医学校に通っていた山田は学校に付いていた軍人の指導の下でクラス全員で演習形式の軍事教練を受け、「怪我人発生!」、「火災発生、消化の水を運べ!」などと実践差ながらの指示が飛ぶ中、どさくさに紛れて、「奥野中尉、戦死!」などと、指導している軍人の名前を勝手に挙げて戦死したことにする学生がいたようで、言われた軍人も、「誰だ、勝手に俺を殺した奴は!」などと怒ってたという話が読んでて面白かったです。どの時代にも面白い奴はいるもんです。
 
 自分がこの日記を読んでみたのは戦時中の人間は実際にどんな生活をしていたのか、どんなことを考えていたのかを知りたかったためです。山田自身もこの日記について、「(出版した)今となっては当時の状況についてこの様に書くことはできない」と語っており、後年述懐するのと、当時に日記としてそのまま書くのでは同じ人物であっても全然内容が変わってきてしまいます。
 こういう点を社会学は重視しており、自分がこの日記を手に取ったのも社会学的な興味によるものが大きいです。実際に読んでみて戦時中の人間は今、教育者や指導者が言うような価値観とはやっぱり異なった価値観だったのでは、具体的に言うと戦況も気になるが一番の関心事は何度言っても実生活で、物資不足や食糧不足といった不満が最大の関心事だったように思えます。何人死んだかについては日記の前半で、ガダルカナル島の玉砕については触れられ、補給をしっかり行えなかった海軍を批判していますが、後半に行くにつれてこうした記述は減り、「国民生活はもう限界に近い」といった内容が多く書かれていきます。
 
 翻って現在をみても、国民の最大の関心事は言うまでもなく生活、給料で、自由だとか倫理だとか国際秩序なんてどうでもいいってところです。集団的自衛権もマスコミが騒いではいるものの、多分どうでもいいって人が8割くらい行くような気がします。
 産経だったか忘れましたが安倍政権の支持率が下がっていることに対する評論で、集団的自衛権の容認で堕ちたことは確かに大きいが、その背後ではこのところアベノミクスに対して批判的する層の割合が肯定の割合を上回るようになっており、こうした経済政策への不満が支持率低下の主要因ではと書かれてあって読んでて唸りました。実生活を何より優先するという価値観を私は批判するつもりはなく、むしろ山田風太郎の日記読んで、昔から案外こういうもんだよねという気持ちが強まりました。

2014年7月20日日曜日

死刑賛否に対する世論の潮目

 様々な意見があることは承知であるものの、近年の日本では死刑に対する賛否において賛成派の方が大勢を占め、なおかつ増えてきているように思えます。あくまで個人の実感ではありますが私がまだ子供だった頃などはもう少し反対派の方が多かったような気がするのですが、賛成派が反対派を上回った時期というか潮目について、日本では二つのターニングポイントがあったように思えます。
 
 一つ目のターニングポイントはオウム事件です。言うまでもなくこの事件は日本犯罪史上過去最大のもので主犯の麻原彰晃を始め数多くの人間に死刑判決が下りていますが、普段は死刑反対を標榜する大手メディアであってもこの事件の死刑囚に関してはどこも擁護しないというか死刑に反対するような報道が見られない気がします。大手メディアはちょっとダブルスタンダードではないかという気もするのですが、仮にオウムの犯人の死刑に反対するような報道をすれば間違いなく市民から大反発を喰らうであろうし、また市民もオウムに対しては強く死刑執行を望むような世論があるだけに、「死刑はやっぱりなくてはならない」と思わせられる事件だったように思えます。
 
 もう一つのターニングポイントは光市母子殺害事件です。事件の詳細についてはもはや詳しく語りませんが、犯人の個人的資質や犯行もさることながら弁護を担当した安田弁護士の常軌を逸していると言ってもいい弁論に強い憤りを覚えた市民も少なくなかった気がします。実際に私の周りでもあのような弁論の展開に怒りを覚えむしろ犯人を死刑にすべしだと言う人間も多く、皮肉なことに安田弁護士の頑張りは死刑賛成派を増やす結果を生んだように見えます。
 
 現時点で一部のメディアや団体はまだ死刑反対の意見を述べたり、死刑執行について政府の横暴などという報道を行いますが、世論はどうかというとそうしたメディアに対して冷ややかな視線を送っているように見えます。また司法も世論の厳罰化を望む流れを汲んでおり、かつては永山基準と言って「二人以上の殺害」が死刑判決が下りる条件として存在しましたが、近年は一人殺害のケースにあっても動機や手段が残忍である場合は死刑判決が下りるようになっており、もはや永山基準は事実上、機能していない過去の存在となりつつあります。
 私自身はかつては死刑反対派でありましたが、その理由というのもどちらかと言えば宗教的理由で「人が人の生死を決めるべきではない」という主張でしたが、先ほどの光市母子殺害事件といい、殺すよりほかのない犯罪者を見るにつけこうした考えも吹っ飛んでいきました。まぁ死刑反対派を標榜していた頃から、一日一回は「あの野郎、ぶっ殺してやる」っていうようなことを日常的に口走ってたけど。

2014年7月19日土曜日

美濃加茂市長の逮捕・起訴について

 
 最初の報道からやや時間が経っているのでニュース内容を忘れた方もいるのではないかと思うのですが、当選時に全国最年少だったということから話題となった美濃加茂市の藤井浩人市長が6月24日、愛知県警、岐阜県警の合同捜査本部によって収賄容疑から逮捕されました。逮捕から約3週間後の今月15日には同容疑で起訴され、藤井市長は現在も警察によって拘留されたままとなっております。結論から先に述べるとちょっと気が早い気もするもののかといって今声を上げないのはおかしいと思うので書きますが、現時点で私はこの事件は冤罪の線が濃厚ではないかと考えております。
 
 事件の背景を簡単に説明すると、逮捕容疑となったのは藤井市長が市長に当選する前の市議だった昨年3~4月、地下水供給設備会社の社長から中学校に取りつける雨水濾過機の件で便宜を図るよう依頼され現金を受け取ったと警察は主張しています。金銭は二回に分けられ受け取ったとされ、それぞれ10万円と20万円、合計で30万円だったということですが、この時点でこの事件には無理があるように感じます。
 建前上は収賄に金額は関係なく、受け取ったか否かが重要ですが、それにしたって30万円の収賄でいきなり逮捕だなんて今まで聞いたことがありません。30万円と言ったら楽天イーグルスにいた一場元選手が学生時代に阪神タイガースから栄養費として受け取った額と同じ(巨人は確か200万円)で、収賄事件として扱うにしてはあまりにも小さすぎる金額です。別にタイガースがケチというわけじゃないが。
 同じ収賄疑惑と比較するにしても、この前辞めた東京都の猪瀬前知事に至っては5000万円が現金そのままで見つかったにも関わらず逮捕には至っておらず、仮に藤井市長の水準で逮捕されるなら猪瀬前都知事は166回も逮捕されなければなりません。まぁ実際に166回も逮捕されたらギネス記録でしょうが。
 
 この時点でもうグダグダですが、それ以上にグダグダなのは藤井市長が現金を受け取ったとする警察の根拠です。あくまで報道ベースですが私が聞いた情報だと、「業者社長と藤井市長が会ったその日に、社長の口座からそれぞれ10万円と20万円が引き出されている」という理由を真面目に挙げています。これだと私が10万円を口座から引き出してその日に政治家にあったら収賄で起訴できちゃうような論理です。あと私個人の感覚で言わせてもらうと、普通現金渡すなら最低でも会う前日、もしくは一週間前に下ろして封筒とかに入れて保管しないかな。
 その上で興味深いのは、藤井市長と業者社長が会ったその場には中立な第三者が同席しているという点です。この第三者は別の議員秘書だそうですが、藤井市長と社長が現金、もしくはそんなのが入ってそうな封筒を受け渡す現場を見ていないと主張しています。そしたら警察は「第三者が席を外した隙に渡した」と展開したものの、第三者は「一度も席は外していない」とすぐさま打ち返す始末で、警察の言い分と当時の状況について早くも食い違いを見せております。
 
 改めて言うまでもないでしょうが、この事件で一番重要なのは藤井市長が収賄を行った証拠が全くないという点です。警察が証拠として挙げているのは先ほどにも書いたように社長の口座から現金が引き出された記録だけで、そのお金が藤井市長に行ったという根拠が全く何もありません。これほど根拠薄弱、さらに金額が小さいにもかかわらず自治体の長たる市長をいきなり逮捕した上で長期間拘留するというのは異例というか常識外れとしか言いようがなく、さらに逮捕してからもこれという証拠や供述も出てこないばかりか、警察のあやふやな対応の方が目立つだけに冤罪ではないかと思えてきました。
 
 自分はこういう記事を書く際は比較的慎重に、本当にその容疑がクロなのかシロなのかはっきりしない段階で憶測を書くのはよくないと考えるため興味は持っても記事化は控えるようにするのですが、さすがにこの事件に関しては「おかしいのでは」と疑問を呈さず黙っていることの方が間違っているように思え、今回藤井市長を応援するような意味合いで意見を出すことにしました。
 地元ではどうかはわかりませんが全国規模だとそれほどホットイシューにはまだなっていないように思えますが、仮にこの事件が冤罪だとしたら警察は一体何をやろうとしたのか、それこそかつての村木厚子氏の事件の再来となるかもしれません。これは憶測ですが、藤井市長に対していきなり逮捕だなんて、裏で何かしらの意図が働いているのかもしれません。それこそ藤井市長の政敵が仕組んだとかそういうのだとか。
 
 あと最後に今回の記事を書くに当たってネットで過去の報道を調べていたところ、藤井市長が犯人であることを前提にニュース記事をまとめただけの人がいることに気が付きました。
 
 
 全体に渡って藤井市長を亜酒て批判するようなまとめ方がされており、私に言わせると公平性を欠いた内容に思えます。ただ中見出しに「情けない 情けない 情けない」となんか妙なフレーズ書いているのは妙に印象に残り、これって自分のこと言ってんのかな、これで冤罪だとしてもこのまとめ記事は残るのかななんて皮肉っぽく覚える次第です。まぁネットってこういうところあるしな。

2014年7月17日木曜日

小保方氏論文に対する早稲田の対応

 最近時事批評ばかりでオリジナリティのある記事が書けてないなと我ながら思うものの、昨日書いた「不死身の弁護士」という記事に関しては久々に読み物としてそこそこ面白く感じられるものが書けたと自画自賛に浸っていたところ、潮風大使さんからもコメントもらってなんかちょっといい気分に浸りました。
 そもそも時事批評が増えているのは単純に「これ書きたい!」とか「これ解説してみよう!」というような意欲がこのところ湧かず、とりあえず更新するために一応やっとくか的にその日に浮かんだものをパッと適当に書くことが多いためです。なんでこんなの増えてるのかというと何度も愚痴ってていい加減にしろよと自分でも思いますが、今借りている部屋の有り得ない騒音に集中力がかなりかき乱されるため、マジでやる気が失せているからです、今日なんかも過去最大音量、自分が全力で壁叩くよりもでかい音が室内で延々となってたので、引っ越してまだ二ヶ月弱ですがさすがにそろそろまた引っ越そうかと思います。引っ越す前に大家に向かって、「てめぇ知ってて黙ってたのか?」と一回くらいは凄もう。
 
 
 そういうわけでまた時事批評ですが、上記リンク先などの報道によると、STAP細胞の捏造で今年の流行語大賞も視野に入りつつ偽科学の歴史に名を刻んだ小保方氏がかつて早稲田大学で提出したコピペ論文について早稲田大学は、提出時の手違いということで小保方氏の博士号を取り消さないという発表を下しました。結論から述べると早稲田大学の理工学部は底辺もいい所だと思うのと同時に、今年この学部に受験する奴の顔とか見てみたいなと言ったところです。
 
 件のコピペ論文は私の記憶が確かなら全体の半分に当たる箇所がまるまるどっかのホームページからの引用で、実質論文の体を成していないものだったはずです。小保方氏はこの論文について草稿を間違って出したと言い訳して、早稲田の調査委員会は本来出そうとしていた完成版を確認したと述べていますが、本当に確認したのかな、本当にそんなのあるのかなと正直言って疑います。そもそも草稿の時点でコピーした文章を貼り付けること自体が私にとっては有り得ないとしか思えず、こんな言い訳で納得する人間というのは学問に関わってはいけないようにすら感じる次第です。
 
 そして一番肝心なのは、この時コピペ論文を出した小保方氏は後年、STAP細胞論文で加工した画像を出すは、そもそも内容自体が捏造としか言いようのない実験結果を出すなど、大きな問題を起こしているという点です。仮にこの博士号取得の段階で彼女を学界から追放していれば、博士号などやらなければ日本科学会の歴史と信用に泥を塗ることもなく、理研のかねてから問題ある体質も明るみに出なかったと考えると早稲田理工学部は小保方氏を致命的な点で助長させたとしか思えません。言ってしまえば、本来排除すべき人間を世に送り出してしまったというべきか。
 
 聞くところによると早稲田発の論文では小保方氏以外にもコピペの疑われるものが多数見つかっているとのことで、今回の子の小保方氏への対応はほかの人間への影響拡大を恐れてのもの、処分を広げないためのものとみて間違いないでしょう。しかしそれが許されるかと言ったらそんなわけもないし、そもそもそういう質の低い人間が教育を担っているということが分かったのだから潔く落ちぶれるのが本来あるべき姿ですし、そういう意味でこんな問題起こしておきながら早稲田理工学部に入ろうとする間に対して私ははっきりと軽蔑します。
 
 この問題に限るわけじゃないですが、どうしてどの組織もよりによってこんな無責任な奴がと思える人間が責任を負う立場に上るのか不思議でしょうがありません。大分前に皮肉って「日本じゃ無責任な奴が昇進して責任のある奴は落とされる」と書きましたが、あながち間違ってないし、また日本人も世の中そうあるべきだという態度が少なからず見えます。

2014年7月16日水曜日

不死身の弁護士

 以前ネット上で、「國松長官ってタイラント並にタフじゃね?」という議論が起こりました。この國松長官というのは1995年に何者かに狙撃されて三発の銃弾を受けた國松孝次元警察長官のことで、この事件で使われた銃というのが「コルト・パイソン」という口径の大きい弾を使用する銃だったのですが、國松元長官は手術中に三度も心臓が停止するなど危険な状態となりながらも無事回復を果たしました。
 この時使われた「コルト・パイソン」なのですが、この銃は有名なホラーアドベンチャーゲームの「バイオハザード」にも出てくる銃で、ゲーム中では強力な威力を誇る銃として出てきます。その威力たるや雑魚のゾンビだったら確実に一撃でふっとばし、ラスボスである前述の「タイラント」という敵にも有効な武器となります。こんな銃から発射された弾を三発も受けていながら生還したということで、「ゾンビ<國松元長官≒タイラント」という妙な図式が成り立ち、上述の様な議論となったわけです。
 
 なおこの事件ですが、実行犯は結局逮捕されないまま現在では時効となったものの、事件当時に地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教が警察の捜査をかく乱するために実行したのではないかと疑いの目が向けられていました。実際はどうだったのか、現在公表されている材料からだと私には正直判断しかねないものの、時効となった際に警察幹部が、「それでもオウムが怪しい」と主張したのはちょっと負け惜しみもひどいのでは、犯人を捕まえられなかったのにいうセリフなのかなとやや不審に感じました。
 ただ警察がオウムを当時に疑ったというのは無理もない話で、実際にオウムは地下鉄サリン事件以降に警察捜査をかく乱するために物騒な事件を起こしております。そもそも地下鉄サリン事件自体、公証人役場事務長逮捕監禁事件でオウムに捜査の手が伸びようとしたことから疑いの目をそらす、捜査をかく乱するという目的で起こされたものでした。
 
 以前からこのブログで取り上げていますが、オウム事件についてはいずれしっかりとまとめ直して見たいと前々から考えてて密かに当時の事実などを調べているのですが、最初に挙げた國松元長官も相当タフな人でしたがそれに負けず劣らずタフだったというか不死身もいい所じゃないかと思える、滝本太郎弁護士について今日は紹介します。
 
滝本太郎(Wikipedia)
 
 滝本弁護士はオウム真理教が殺人を含む暴力的な手段を用いるきっかけとなった坂本弁護士一家殺害事件の被害者である、坂本弁護士と旧知の間柄だったことからオウムの被害対策弁護団に加わり、まだオウムが世間に広く認知される前の段階から脱会者の救済を行いながらオウムに対し激しい批判を繰り返しておりました。そうした活動の中には麻原彰晃が超能力を持つ証拠だとして空中浮遊をした写真を出していたことから、「空中浮遊なら俺も出来る」と同じような写真を撮影して信者らに見せるというなかなかユニークな行動もあり、こういった活動から滝本弁護士が関わった信者の大半は脱会していったそうです。
 ただこうした滝本弁護士の姿勢はオウムにとって目障り極まりなく、自然の流れというかオウムの殺害対象リストに載ることとなります。そして実際に暗殺計画が実行されたのですが、なんと滝本弁護士はオウムに4度も暗殺が仕掛けられながらも無事に生きながらえるという驚異的なタフネスぶりを見せています。その内訳は「滝本太郎弁護士サリン襲撃事件(Wikipedia)」に詳しいですが、簡単にまとめると下記の通りです。
 
1、駐車中の車のフロントガラスにサリンが噴霧され、一時視力が落ちたものの命に別条なし
2、車のドアノブにVXガス(液状)が塗布されるも、手袋をはめてたのでノーダメージ
3、同じく車のドアノブにVXガス(液状)が~以下同文
4、ボツリヌス菌が塗られたコップにジュースを注がれ飲むがノーダメージ
 
 どれをとっても「これでどうして死ななかったの!?」と思うくらいガチな暗殺が仕掛けられていますが、滝本弁護士は悉く切り抜けて現在においても元気に存命されています。無論、オウムという危険な団体を相手にしていたことから滝本弁護士は日頃から対策などを取っていたでしょうけど、それにしてもこの危機の潜り抜け方は不死身と言ってもいいんじゃないかと思います。逆を言えば、カルト団体やヤクザ団体を相手にする警察官や弁護士関係者は、常にこのような危険と隣り合わせで仕事をされているのだということも示唆しており、これらの仕事をされている方には本当に頭が下がります。
 
 なおもはや私の趣味と言っていい赤軍派など極左団体の関係史においても、警察官が刺されたり撃たれたり、果てにはその家族が爆殺されるといった悲劇が70年代前後には頻繁に起こっていました。そう考えると戦争がないだけでも十分に大きいですが、近年の日本は本当に平和というか安全になったと思えます。これは時代が変わったためか、それとも社会が成熟したためか、どちらであるかについては議論の余地がありますが、どっちにしろ社会をいい方向に持っていこうという努力は続けなければと思う次第です。と言っても、そんなの思うの私だけか。

2014年7月14日月曜日

他の家電を吸収するi-Phone

 上記の写真は上海にある某ショッピングセンターで撮ったものです。それにしても何故トーマスが戦車に、これでは「戦車トーマスじゃん」といいながら撮影しました。
 あとこのブログで部屋の騒音がマジヤベェって中学生ばりに吠えてたら最近やたらあちこちから「騒音大丈夫?」って聞かれます。正直に言って大丈夫じゃなく、聞こえてくるのは午後7時から9時までの二時間であるものの、この間全力で壁を叩くような低音が部屋中に鳴り響いて椅子に座っていても音波の振動を確実に感じられます。日本だったら経営者を半殺しにしても許されるレベルだ、本気で早く引っ越そうかな。
 
 話は本題に入りますが、先週土曜に上のトーマスが待っているショッピングセンターに上海忍者とともに訪れて携帯電話を買ってきました。今まで使ってたのは2010年に買ったおもちゃみたいなlenovoのフューチャーフォンで、今回勝ったのはサムスン製ですが私にとって初めてスマートフォンです。行く前は日本にいる友人が気にしている「小米(シャオミー)」というこのところシェアを急拡大しているスマフォにしようかと考えていましたが、改めて商品を見比べてみると結構サイズが大きい上に角ばってて、ポケットに入れていると不都合が起こりそうだと思えたので直前でサムスンの比較的小サイズの電話にすることにしました。なお価格は1300元(約22,100円)のところを1180元(約20,060円)にまけてもらいました。
 
 店頭ではi-Phoneも勧められましたが、みんな持っているのを自分が持つことは宿命的に多分許されないので買わなかったものの、このi-Phoneについて先日、訪問先の会社社長から面白い話を聞くことが出来ました。聞く人からしたら何をいまさらあたりまえなことをと思われるかもしれませんが、その話というのも「i-Phoneがすべての家電を吸収した」というものです。
 
 その会社では電子部品、具体的にはプラスチックで作る射出成型品とその金型を製造するメーカーなのですが、周辺にある同じような金型メーカーはここ数年で日系を含め大分撤退というか清算をしたと話していました。かくいうその社長の会社も結構じり貧で大変な状態らしいのですが、その原因の一つとしてi-Phoneによって家電部品の大半は消えてしまったからだとおもむろに話してきました。
 社長曰く、「かつてはラジカセがあり、デジカメがあり、テレビがあり、ビデオプレーヤーがあり、携帯電話があったが、これらの家電の機能は現在、i-Phone一つですべて代替できる」と話し、それまでバラバラに機能が別れていた家電がi-Phoneというかスマートフォンに集約されたため、部品メーカーからしたらたくさん作る必要のあった部品が必然的に少なくなり、仕事も自然と減っていったとのことです。考えてみれば当たり前ですが今の今までこういう視点がなかっただけになかなか新鮮に感じられ、その後も話を聞くと、もはや家電という弱電分野の業界自体がフォックスコン(ホンハイ精密)など一強を除いてもう駄目なのかもしれないとまで言い出し、セットアップメーカーのパナソニックやシャープもこの分野じゃもう立ち直り効かないのではとも話してました。
 
 改めて内容をまとめると、それまで映像を見るならテレビ、写真撮るならカメラ(デジカメ)、ネットするならノートパソコンをそれぞれ買う必要がありましたが、現在に至ってはもう全部i-Phone一つで済んじゃうのも事実です。写真にこだわったり自分みたいに毎日馬鹿みたいに長い文章をブログに挙げて騒音の愚痴吐く人間ならともかく、人並みにこれらの機能を使う人間からすればi-Phone一つでもう十分でしょう。となるとほかの家電なんてもういらないって話です。
 これは私の予想ですが、こうした他の家電や電子機器の機能をスマートフォンが吸収していく流れは今後もしばらく続くと思います。差し当たって起りそうなのは最早完全吸収したカーナビの機能に加えてETCもスマフォで済んじゃうようになり、果てにはクレジットカードの機能も奪うかもしれません。多分、画面のタッチパネルで指紋認証式が普及したら十分いけるのでは。
 
 家電業界というのはやっぱ種類があってナンボで、種類が減るということはすなわち市場そのものが小さくなることと同義で、特にパーツメーカーからしたら死活問題としか言いようがないでしょう。実際に私が今所属する会社もまだ自動車業界向けの販売は堅調なものの、弱電分野はもう目も当てられないといった状態です。一番悲惨なのは折り畳み式のガラケーに使ってた折り曲げることのできるヒンジ作ってた会社だけど。
 
 この流れが良いか悪いかという判断で行ったら良いも悪いもないというのが正直な感想です。ただ言えるのは時代の流れということで、少なくとも青少年たちには弱電分野を志すというのであれば覚悟を持っておけよとだけ伝えておこうかなと思います。