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2014年7月20日日曜日

死刑賛否に対する世論の潮目

 様々な意見があることは承知であるものの、近年の日本では死刑に対する賛否において賛成派の方が大勢を占め、なおかつ増えてきているように思えます。あくまで個人の実感ではありますが私がまだ子供だった頃などはもう少し反対派の方が多かったような気がするのですが、賛成派が反対派を上回った時期というか潮目について、日本では二つのターニングポイントがあったように思えます。
 
 一つ目のターニングポイントはオウム事件です。言うまでもなくこの事件は日本犯罪史上過去最大のもので主犯の麻原彰晃を始め数多くの人間に死刑判決が下りていますが、普段は死刑反対を標榜する大手メディアであってもこの事件の死刑囚に関してはどこも擁護しないというか死刑に反対するような報道が見られない気がします。大手メディアはちょっとダブルスタンダードではないかという気もするのですが、仮にオウムの犯人の死刑に反対するような報道をすれば間違いなく市民から大反発を喰らうであろうし、また市民もオウムに対しては強く死刑執行を望むような世論があるだけに、「死刑はやっぱりなくてはならない」と思わせられる事件だったように思えます。
 
 もう一つのターニングポイントは光市母子殺害事件です。事件の詳細についてはもはや詳しく語りませんが、犯人の個人的資質や犯行もさることながら弁護を担当した安田弁護士の常軌を逸していると言ってもいい弁論に強い憤りを覚えた市民も少なくなかった気がします。実際に私の周りでもあのような弁論の展開に怒りを覚えむしろ犯人を死刑にすべしだと言う人間も多く、皮肉なことに安田弁護士の頑張りは死刑賛成派を増やす結果を生んだように見えます。
 
 現時点で一部のメディアや団体はまだ死刑反対の意見を述べたり、死刑執行について政府の横暴などという報道を行いますが、世論はどうかというとそうしたメディアに対して冷ややかな視線を送っているように見えます。また司法も世論の厳罰化を望む流れを汲んでおり、かつては永山基準と言って「二人以上の殺害」が死刑判決が下りる条件として存在しましたが、近年は一人殺害のケースにあっても動機や手段が残忍である場合は死刑判決が下りるようになっており、もはや永山基準は事実上、機能していない過去の存在となりつつあります。
 私自身はかつては死刑反対派でありましたが、その理由というのもどちらかと言えば宗教的理由で「人が人の生死を決めるべきではない」という主張でしたが、先ほどの光市母子殺害事件といい、殺すよりほかのない犯罪者を見るにつけこうした考えも吹っ飛んでいきました。まぁ死刑反対派を標榜していた頃から、一日一回は「あの野郎、ぶっ殺してやる」っていうようなことを日常的に口走ってたけど。

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