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2014年8月14日木曜日

デフレビジネスの終焉

 書きたい記事がたくさんあるにもかかわらず何故だか昨日は気分が乗らず、そのまま布団に入っておねむになってしまいました。もっとも「企業居点」の方は100件近くデータを追加するなど熱心に更新して、ようやく収録データ数も14000件突破しました。これだけデータあればいろんな記事書けるし、もうそろそろこっちにもとりかからないとなぁ。手を広げ過ぎな気もするが。
 真面目な話をすると、昨日記事が書けなかったのは今書こうとしているネタ数本がヘビー級ボクサーの一発並に重たい内容のため、書くとしたらこっちも結構しんどくなることが予想されていたからです。幸いというか先々週に部屋を引っ越してからは妙な騒音もなくなりかなり集中力を維持できるようになって先週なんかも我ながらいいと思える記事を連発して投入出来たくらい環境が整ってきたのですが、それでもこれから書く記事は明日から軽い夏休みに入る今日じゃないと手を付けたくない内容です。あと関係ないですが、一昨日に壁に取り付けられるタイプのトイレットペーパーホルダーを買うことが出来て、これまでそういうのが無かったのもあり今非常に満足しています。
 
 ようやく話は本題に入りますが、久々に自分のブログの直近アクセス数を見てみると「平成史考察~玄倉川水難事故(1999年)」がやっぱりというか一位に来ていました。この記事は毎年このシーズンになると急激にアクセス上がるのでこれは予想できたことなのですが、その下の二位に今年四月に書いた「人材派遣企業各社の平均的マージン率」という記事が入ってきていることに驚きを覚えると共に素直にうれしく思いました。
 この記事は自分がまた一人(もっと友達が欲しい)で人材派遣のマージン率を調査しデータをまとめた上で書いた記事で、そこそこ力も入っていることもさることながら大手企業はこうしたデータの公開義務を放棄していると指摘するなど近年の記事としては最高傑作と見てもいいくらい気に入っています。にもかかわらずというか公開当初はそれほどアクセスが良くなく、「なんでやねん!」ってよく周りにもぼやいてましたが、時間が経つにつれこうやってじりじりと伸ばしてきたということはやはり社会的にも注目度の高いトピックであったのかと改めて感じ入りました。
 
 この記事はタイトルからもわかる通りに派遣労働者の報酬がメインテーマなのですが、これとは別に以前、具体的には2011年に「アルバイト人口を考える」という記事を私は執筆しています。こちらの「アルバイト人口を考える」という記事は中身を読んでもらった方が早いかもしれませんが、小売や飲食サービスなどといった業種の企業はほぼすべてどこも、主要な労働力を大学生アルバイトに頼り切っている点があり、仮にアルバイトする学生がいなくなれば途端に業務が成り立たなくなる可能性があると指摘しています。
 勘のいい人、というか私に近い感性を持っている人ならここで「ゼンショー」という単語を頭に浮かべるかもしれません。大手牛丼チェーン「すき家」を運営するゼンショーでは近年、アルバイトを含む従業員の不足や、これまでの過剰というかまごうことなきブラックな労働が指摘されるなどして店舗の運営すら維持できず、日本各地で三桁にも上る店舗の閉店にまで追い込まれています。
 
 一体何故ゼンショーは従業員を集められなくなったのか。最大の理由としては間違いなくアベノミクスによる景気の上振れからくる労働者需要の増加、言うなれば人手不足の深刻化ですが、この背景にあるものとしてもう一つ、絶対的な労働者の減少があると私は見ています。
 
 先程にも書いたように私は外食チェーンや小売業はその労働力の多くを学生アルバイトに大きく依存し過ぎている傾向がこれまでにあったと考えています。今更ながら改めて考えてみると、バブル崩壊後の日本では売上げの減少に対してどこも人件費を削減することで収支を補ってきましたが、代替する労働力の対象として学生を取り込むという動きを、意識的にか無意識的にかまではわかりませんが国家ぐるみでなんかやっていたような気がします。高卒で就職させず大学進学率を引き上げようとする動きとかですが。
 更に言えば大学生でも物足りなくなり、今度はフリーターという言葉を使って高卒後、大卒後の若者を非正規採用の労働者に取り込み、これでも物足りないから今度は派遣を作り、それでも物足りないから最後は深夜の居酒屋に顕著な外国人留学生を使ったりと、なんかこうやって安く使える労働力を社会ぐるみで生んできたような気がしないでもありません。
 
 ただこれまではこうした手を変え品を変えというやり方でどうにかこうにか労働力を確保し続けることに成功してきましたが、もうそろそろ限界というか破綻する時期になってきたのかなというのが私の見方です。それと同時に、安い賃金の労働者に依存することで成立してきたいわゆる「安かろう悪かろうorまあよかろう」を是とするデフレビジネスも、終わりが近づいてきているかもとも考えるわけです。
 
 ゼンショーがアルバイトを募集しても確保できなくなってきているのはこれまでの安い賃金と過酷な労働が敬遠され始めてきたことに間違いありませんが、逆を言えば以前はそれでも働く人間がいたわけで、それが何故この段階で上手く回らなくなってきたのかというと単純にもう労働者が有り余っていないためではないかと思います。私がここで言うまでもなく日本の勤労人口は年々割と早いペースで減少してきておりますし、なおかつ若年層は少子化でそれがより顕著です。これまでは若者の数が減りながらも大学進学率が上昇することでアルバイトに入る若者の数をある程度維持できてたのかもしれませんが、既に大学進学率も頭打ちしてきており、フリーターという単語も最近聞かなくなるほど減ってきています。
 ならばと秘策の外国人留学生ですが、たとえば中国人なんかだと以前よりは今はもう大分裕福になっており、必死こいてでもアルバイトするような子は前よりは減ってる気がします。更に言えば、日本来るくらいだったらアメリカ留学を選択するほど、STAP問題を始めこのところ日本の学術的イニシアチブは落ち込んでるようにも見えます。
 
 改めて述べると、単純に3K労働に回る人材が急速に減少してきているのが現状ではないかと言いたいわけです。さらに進めて述べると、低賃金でフルに働かせることでゼンショーを始めとしたデフレビジネスの企業は採算を維持してきましたが、労働者が確保できなくなれば元も子もなく、また賃金を上げる代わりに価格の値上げをしようものなら品質の高いほかの店と価格が並ぶわけですし、はっきり言っちゃうとこの先暗いよと私は思ってます。
 2000年代の日本ではデフレが進行したことによってとにもかくにも低価格の商品やサービスが伸びてきましたが、もうそろそろこうしたデフレビジネスも限界にきているのかもしれません。となるとデフレからの脱却も近いのかと言えそうですが、現時点ではただ労働者が減少しているだけで、全体で賃金が上がっているわけではないためデフレ脱却というにはまだ早いでしょう。とはいえ、こうした動きは全体景気を考える上でまだ前向きでいい材料なのではないかと私は支持します。最後に付け加えて言うと、労働法を確信犯で無視する姿勢を明確に打ち出しているゼンショーは何故上場維持が許されるのか、誰もケチ付けない日本は怖いなってところです。
 
 明日から私用で上海にしばらく滞在するため8/18(月)までブログを休みます。明日は後輩二人と会うけど、財布のお金足りるかなぁ。

2014年8月12日火曜日

漫画レビュー「エンバーミング」

キャバレー ロンドン(Youtube)
 
 上のリンク先は70年代くらいに何故か全国ネットで放映されていたというキャバレーのCMです。一体何故キャバレーがテレビコマーシャルを、しかも全国ネットでと現代人たる私にしたら驚きなのですが、それ以上に映像の演出の古さというか痛々しさになにか見てはいけないものを見てしまったような感覚があります。
 どうしてこんな古いどころか私が生まれてくる前に放送されていたCM映像を持ってきたのかというと、和月伸宏氏の「エンバーミング」という漫画にこのCMをもじった場面が出てくるので、それから興味を持って検索して発見したからでした。
 
エンバーミング(Wikipedia)
 
 和月伸宏氏と言ったらそのデビュー作でもあり代表作である「るろうに剣心」がちょうど今実写映画化されており、なおかつ連載当時はドラゴンボールなき後の少年ジャンプを牽引した人気漫画ということもあって知ってる人も多いかと思います。特に私くらいの年代であれば「るろうに剣心」を知らない奴はモグリのモーグリ(自分で書いてて意味が分からない)もいいところで、男の子なら一回はこの漫画に出てくる必殺技を傘使って真似したことがあるはずです。
 なおこれは余談ですが、大学時代に二浪して入学してきた友人に、「確か君、るろうに剣心好きだったよね。これからはもじって『拙者、にろうにでござるよ』って自己紹介してみたら」と言ったらめっちゃ嫌そうな顔されました。
 
 話が飛び飛びですが元に戻して、そんな超有名作家である輪付氏が今現在ジャンプスクエアで連載しているのが「エンバーミング」というこの漫画です。私が何故この漫画を手に取ったのかというと、「るろうに剣心」はそんな好きじゃなかったけど和月氏のその後の作品である「武装錬金」は好きだったということと、中国いてて暇で、なんか電子書籍で読み始めるのにいい漫画ないかなと探していたところばったり巡り合ったためです。なお現在はこの前アニメ化が決まった「監獄学園」を電子書籍で読み進めています。
 
 結論から言うと、「エンバーミング」はとても読めた漫画ではありませんでした。
 私はこのブログで「シドニアの騎士」や「極黒のブリュンヒルデ」など基本的に自分が読んでて面白く、他の人にも勧めたい漫画しか取り上げてきませんでしたが、今回初めて批判文としてレビューを書きます。先に申しあげると私は「エンバーミング」を三巻までしか読んでいませんが、三巻でもういっぱいいっぱいでこれ以上は金払って読みたくないと感じる内容でした。
 
 大まかなあらすじを書くと、部隊は19世紀のイギリスで、ひょんなことから近所に出るという化け物と戦った主人公は辛くも相手を倒すものの自分も深手を負い死んでしまいます。ただ主人公が死んだその場をたまたま通りかかった研究者によって蘇生処置が施されフランケンシュタインとして蘇り、しかもその研究者から今さっき倒した化け物もフランケンシュタインだと明かされます。研究者は主人公に対して蘇らせたかわりとして自分の目的、ほかの現存するフランケンシュタイン全部を薙ぎ倒せと要求して……ってところが数行でまとめられる内容です。
 このあらすじからもわかるようにこの漫画では数多くの死人、死体が処置を施されて何らかの特殊能力を持った上で蘇ってバトルするバトル漫画なのですが、一番致命的なのはバトル漫画の癖に絵に動きが全く感じられない点です。こう見るのも私だけかもしれませんが、バトルシーンのコマを見ていてもキャラがそれほど激しく動いているように見えず、しかも大体がどちらかが必殺の一撃みたいなのを相手に一発ぶつけて決着がついてしまうためグダグダ感が半端じゃないです。改めて思い返すと、「るろうに剣心」も戦闘での駆け引きはそんなに多くなくて大抵必殺技でパツンと決まってしまうことが多かったような。
 
 バトル漫画の癖にバトルが全然面白くない点もさることながら、展開の遅さも見ていて面白くありません。単行本の1巻のラストで、「よし、じゃあロンドンに向かうぞ!」ってなるのですが、2巻は丸々一冊が主人公とは全く関係ない別のフランケンシュタインの話で読んでて連続性が非常に乏しく、3巻になってようやくロンドンに着く有様です。しかもロンドンに着いたら着いたで、「切り裂きジャックを探せ!」なんて話になり、なんで19世紀にロンドンときたら切り裂きジャックしか出てこないんだよ、しかも想像した通りやっぱりこいつもフランケンシュタインになってるしと思え、ちょっと大げさかもしれませんが非常に稚拙な展開に思えました。19世紀のイギリスと言ったらシャーロック・ホームズやフローレンス・ナイチンゲールだっているのにさ、まぁナイチンゲールがバトル漫画で大立ち回りしたらそれはそれであれだが。
 
 このほか細かい点を挙げたらキャラクターの発言や行動が不自然に感じることが多かったり、着ている衣装も当時のロンドンっぽくしているのかもしれませんが全体的に地味で見栄えも悪いうというか漫画の絵としてやや古臭く感じたり、こういってはなんですが「武装錬金」の頃はもっとマシだったのになぁと残念に思う出来でした。
 何もこんな批判をわざわざブログで書くことかと我ながら思うのですが、一番最初のキャバレーロンドンのCMを紹介したいと思ったのと、ちょっと今の和月氏はジャンプ黄金期の悪い部分、具体的に言えばなかなか話が進まない展開の遅さなどを変に継承してしまっているように見えるという点を指摘したく、スパッと書き上げた次第です。最近重い話題が多くてこういう記事も書きたかったし。

2014年8月10日日曜日

米軍によるイラク空爆の実施について

 日本ではこのところ佐世保の事件やら台風やらであんまり大きく取り上げられてないように見受けられるのですが、イラクから撤退をし始めている米軍がこのほど、イラク北部でイスラム過激派「イスラム国(ISIS)」に対する空爆を実施しました。この件について友人からリクエストを受けたので取り上げますが、当初はあんまり興味なかったものの、改めて構造を見比べるとなかなか面白い状態かもと注目し始めています。
 
 
 今回の空爆に至る背景を簡単に説明すると、イラク戦争でのフセイン政権打倒後、米軍はイラクに長らく駐留して治安維持などの活動に努めてきました。しかしイラクの治安情勢はお世辞にも改善してきたわけでもないのに、アフガニスタンとともに駐留兵力の削減を公約に掲げて当選したオバマ大統領はアフガニスタンに続きイラクでも撤退に取り掛かり始めました。その結果というか、イラクでは北部を中心にアルカイダを始めとするイスラム過激派勢力が再び勢力を強めだし、またイラクの政権も選挙でごたごたが起こるなど見ていてあまりいい感じしない状態が続いていました。
 
 そんな中、にわかに名前が通るようになったのが先程挙げたISISこと「イスラム国」という勢力です。この勢力はアルカイダ同様にイスラム原理主義を掲げる集団なのですが、その特徴としてはとにもかくにも手段が残忍で、アルカイダからもその残忍さから距離を置かれているとも聞きます。実際に先程中国での空爆に対する報道について調べていると、ISISによるイラク人の殺害前、後の写真が引っかかり、殺害された死体というのも釘で打ち殺されているという痛々しいものでした。
 
 今回、米軍はこのISISに対して証す民族保護を理由に空爆を実施したとのことで、今後もしばらく同じような空爆が実行されるものだと思います。この米軍による空爆に対して私は、かねてからISISの過激な行動を聞いているだけに今回は支持に回るというのが本音ですが、その一方で下記の記事を見てちょっと考えるところもあります。
 
 
 この記事ではイラクへの空爆について米露の外相が競技を行ったと報じてあるのですが、ちょうど米露は今、クリミア半島を含むウクライナ東部の問題でごたごたしており、特にマレーシア航空の墜落に対して経済制裁の応酬を繰り広げているだけになかなか微妙な駆け引きに見えてきます。さらにこの競技について時事通信は、
 
「シリアでは、イスラム国は反アサド派として内戦に加わっているが、米国もその反アサド派を支えている矛盾をラブロフ外相は会談でけん制した可能性がある。 」
 
 ここで書かれている通り、長い内戦が長く続くシリアでもISISは活動しており、しかも米国が支援する反アサド派(=反政権側)に与していると見られています。対するロシアはアサド派(=政権側)を支援しており、米国によるアサド派への空爆の提案を事実上、ロシアがとん挫させています。
 シリアの現状までここで詳しく解説するとさすがにややこしくなるので避けますが、この時事通信の記事でちょろっと触れているようにISISに対してシリアでは事実上支援している癖にイラクでは空爆するという、一見すると矛盾した行動を米国は取っているように見えます。真剣に中東情勢について調べているわけではないのでもしかしたら私が間違えているのかもしれませんが、ちょっとこの米国の方針のブレは看過できないかも、対テロリストという原則を無視して各地の情勢を引っ掻き回しているだけではないのかという懸念も覚えます。
 
 とはいえ、イラクとアフガニスタンに対して深く関与しているのは目下、米国のみで、実際に治安はかなり悪化しているのでこの地で何かしらの行動は必要です。各報道では今回の米軍の空爆に対し、他国と一切競技せずに独断で実施したことについて問題ある行動なのではと提起していますが、ほかの国はイラクとアフガニスタンにそれほどコミットしていない、それどころか関わりたくないような態度を取っていることを考慮すると私としては米国が単独で動いたことにそれほど疑問は覚えません。なお現在までに、欧州諸国は今回の米国の行動を支持というか追認、中国は支持も肯定も言わずスルー、日本はもちろん「理解している」です。あとこれは中国での報道ですが、英国が将来的に米軍と共に空爆に加わるかという点について、英国はなるべく関わりたくないようだと書いてありますがそりゃそうだよなって気がします。
 
 金曜日の日経平均の株価暴落はこの空爆が原因とされていますが、果たして今後どうなるのか。私の予想としては結構長く続き、また米軍のイラク駐留兵力も増強されることもあり得るのではないかという気がします。もっともその時期はオバマ政権中か次の政権か、意外と次の大統領選挙の主要なトピックになるかもしれません。

2014年8月9日土曜日

麻原彰晃を処刑すべきか

 昨日の記事で私は大逆事件を取り上げ、政府が幸徳秋水の様な知名度のある思想犯を処刑してしまったばかりに当時の社会主義者は幸徳を殉教者のように扱い、処刑した政府に対する批判が火を巻くと共に社会主義者を勢いづかせる結果となったことを取り上げました。その上で政治犯、思想犯というのはほっとけばいろいろ時の政権に都合の悪い言質を広めるが、処刑したら処刑したでシンボリックに扱われて残党を勢いづかせるので処理に非常に困る傾向があると書きました。現代においてもこのようなタイプの死刑囚は存在しており、具体的に挙げると連合赤軍事件に関わりあさま山荘に立てこもった坂口弘死刑囚がまさにこの典型例なのですが、もう一人、処刑に当たって残党の存在を意識せねばならない人物としてオウム事件の麻原彰晃死刑囚も挙がってくるように思え、今日はその麻原の処刑の是非について私の意見を述べようと思います。
 結論から述べると、やるなら可能な限り早くにというのが私の意見です。
 
 麻原彰晃死刑囚については説明するのも馬鹿馬鹿しいですが、地下鉄サリン事件を始めとした数々のオウム事件の首謀者であり最高責任者であります。裁判では意味の分からない言動や行動を見せ精神障害者のような素振りを見せましたが、死刑判決直後に、「なんでだよちくしょう」と叫んだ辺りから終始一貫してまともな判断力が持たれていると見られ、元弟子の上祐史浩氏も、「詐病に違いない。ああいうことをする人間だ」と評しています。
 その麻原死刑囚ですが、死刑判決は既に確定しているものの現在に至るまで未だ刑の執行はされていません。彼の刑が執行されない理由はほかのオウム真理教による犯罪事件での容疑者の裁判が完了していないためだと言われ、特に長年指名手配されていながら検挙されなかった平田信容疑者を始めとする三名の存在が大きいとされますが、これはやはり方便で実際には残党への対応というか考慮が本当の理由だと思います。
 
 現在、オウム真理教はアーレフとひかりの輪に団体が分離しており、後者はともかく前者は未だに麻原への崇拝を続けているとされその影響力は無視できないとされます。仮に麻原の死刑を執行するのであれば間違いなく何らかの反応が予想され、勝手な予想ですが、「政府の心無い弾圧によって殉教された」といってまた崇められ、信徒をつなぎとめる説法にでも利用されることでしょう。大体この手のカルトは中途半端に規制しようものなら逆に反発してより結束を強めるばかりか自分たちの信じる道は正しいと自己肯定することもあり、執政者側から見れば誠に扱いの難しい所でしょう。
 では麻原を処刑すると残党は結束を強める可能性があるというのなら、坂口死刑囚のように死刑判決を与えたまま刑は実際には執行せず、拘留し続けて生殺しにすべきなのでしょうか。確かに処刑するよりは残党が妙な正当性を持つこともないでしょうし、獄中とはいえ自然死であれば、「国家に殺された」というのも実際に処刑するより幾分トーンは下がります。
 
 しかし、上記のような点を考慮しても私は麻原を処刑すべきだと思います。理由は単純で、彼が処刑されなければ数々のオウム事件で被害を被った方々があまりにも浮かばれません。残党への対策を考慮すると麻原の処刑は明らかに悪手ですが、犯罪者、それも被害者に対する社会による報復の原則をこの事件ばっかりは疎かにしてはならない気がします。
 言うまでもなくオウム事件は日本の建国史上で過去最大規模の犯罪事件であり、化学兵器による無差別テロも実行されており、何とか命は繋ぎ止めたものの現在も重い障害に苦しむ被害者が大量に存在しています。その上で麻原は政治犯ではありません。国家転覆を企てたという事実から思想犯には定義によっては入るかもしれませんが、何かしら信念なりに基づいて行動していたわけでもなく、あくまで私利私欲によって事件を起こした犯罪者です。政治犯ではなくあくまで犯罪者として処断すべきであり、たとえ残党を勢いづかせてしまう可能性があるとしてもこれで処刑されなければ正義がどこかに行ってしまうような、そんな感覚が自分にはあります。
 
 その上で個人的な意見を述べると、ほかの弟子の裁判が続いていたということは重々承知ですが、処刑に当たって少なくとも五年くらい早くやっておけばという思いが自分にはあります。何故もっと早くにやっておけばというのかというと、麻原の親族、具体的に言えば子供がここ数年で成人となり、アーレフの指導者として活動を始めてきたからです。本当に個人的な意見で間違っている可能性はあるものの、彼らが活動を始める前であればまだ処刑後の影響は抑えられたのではという気が私にはします。
 さらにその上に又述べると、指名手配されていた三人が捕まり裁判が続いている最中ではありますが、可能な限り早く処刑をした方が良いのではとも思います。理由はいくつかありますが一つは自然死にさせてはならないということと、二つ目はこのまま伸ばしても処刑後の残党への影響は大きく変わらないように思える(むしろ延ばせば大きくなる可能性も覚える)のと、三つ目は日本の死刑制度に対する意識をこれを機に一気に傾けなおしたらという考えからです。
 
 ただ、ここまで書いておきながら非常に情けない限りですが、事件の被害者の方々に非難されても仕方ありませんが、麻原を除くほかのオウム事件の死刑囚に関しては生殺し案こと処刑はせず、永久に拘留するという手段にしてもらいたいと個人的に思います。理由はまたいくつかあり、一つ目は彼らは事件当時にマインドコントロール下にあったとみられるのと、二つ目は現時点で一名を除き表面上は麻原への帰依を失い事件について証言を行っていること、三つ目はこの事件の生き証人として残すべきではという自分の社会学士としての興味からです。
 ここで書いた意見は我ながらかなりきわどさを覚えます。批判や非難は甘んじて受けるつもりですが、あくまで私個人の意見としてこの記事で展開して置こうとキーボードを叩いた次第です。

2014年8月8日金曜日

大逆事件とは

 昨日晩飯何食べようと考えながら帰宅していると、店の門前に敷いてあるダンボールの上でぐっすり眠ってるトラ猫に一目ぼれしてそのままそこの台湾料理屋で飯食いました。今日は中国のケンタッキーでチキンバーガーが安くなる日なのでこっちで食おうと思いましたが、雨も降ってたしちゃんとしたのを食べようと結局またその台湾料理屋で飯食いました。今日はトラ猫は出勤してませんでしたがそのかわりに成猫の三毛猫と小っちゃい子猫二匹がいたのでお腹いっぱいにはなりました。なにこの猫喫茶ならぬ猫食堂……。
 
 話は本題に入りますが、昨日は我ながらやけに頑張って社会主義と共産主義の違い、並びに日本語における社会主義思想の用語の曖昧さについて記事を書きましたが、これはすべて今日の記事の伏線として用意したものです。なくったって別に問題ないでしょうが知ってたらまだ理解しやすいかなと思ったので書いたのですが、じゃあ今日は何を書くのかというとある意味日本で最も有名な政治弾圧事件といっていい大逆事件について、この事件を中学高校で教える欺瞞について述べていきます。
 
大逆事件(Wikipedia)
 
 この事件は有名さもさることながら受験教養としてほぼ必須の内容であるため歴史通でなくても大まかな内容を大半の方は知っているかと思います。ではこの事件はどんな内容なのかというと、「明治天皇暗殺を企図したとして幸徳秋水などが濡れ衣を着せられ死刑にされた政治弾圧事件」といった辺りが無難な所かと思え、もうちょっと詳しい方なら、「幸徳秋水が社会主義者であったため、その思想が危険だと見られて殺された」というかもしれません。もっとも昨日の記事に書いたように一体何故社会主義が政府に睨まれるのかという要因について説明できる人間となると限られてくるかもしれませんが。
 実際、この事件はある意味で幸徳秋水が中心となっており、捜査も幸徳を中心にして進められただけでなく世論も幸徳の処罰に対して主に注目されました。ウィキペディアの中でも大逆事件のページのほかに「幸徳事件」という別記を用意している程で、まぁ力が入っているのは間違いないようです。
 
 結論から述べると、この事件に対する上記のような理解は半分当たりで半分外れといったところで、的確な理解ではないと私は考えています。というのも、明治天皇の暗殺計画は幸徳は関わっていないながらも、この大逆事件で逮捕された一部のメンバーの間では実際に企図されていたからです。なので正しい理解としては、「明治天皇暗殺を計画した犯人らが検挙された際、幸徳は関わっていなかったもののその一味として一緒に検挙され死刑にされた」というのが無難な所でしょう。
 
 事件について詳しく解説します。まず幸徳秋水というのは青年期に中江兆民に師事して学んだ後、日本における初期の大新聞と言っていい万朝報のライターとなります。この万朝報で頭角を現した幸徳は世間からも高い評価を受けるものの日露戦争について開戦に踏み切った日本政府を批判した所、万朝報の部数が激減し、やむなく万朝報は戦前の朝日、毎日同様に社の方針を戦争肯定に切り替えます。この方針切り替えに反対した幸徳は堺利彦、内村鑑三、石川三四郎と共に出奔して平民社を起ち上げるなど独立するわけですが、こうした過程の中から徐々に社会主義思想を持ち、政治活動にも身を投じていくこととなります。
 
 ここで少し余談ですが、現在において社会主義者のイメージの強い幸徳ですが、若い頃などは幅広く多様な人間と交流を持ち、特に伊藤博文や西園寺公望といった立憲政友会メンバーとは親しく付き合っていました。西園寺に関してはネット上の資料で裏付けが取れないものの、確か西園寺がフランス留学から帰国後に新聞を起ち上げた際、幸徳が主筆となってその活動を支えたという話したあったと言われています。
 私が何でこのエピソードを知ってるのかというと、大学受験時代に同志社大学の過去問を勉強してたら日本史科目にこのエピソードが出てくる問題が設けられてたからです。ちなみにこの問題、最後の問いでは、「なおこの試験問題は西園寺とかかわりの深い大学の資料を参考にして作られた。その大学名を下記の選択肢から選べ」と書かれ、選択肢には「A、同志社大学 B、立命館大学 C、??? D、???」と書かれていたように記憶します。問題解いてて皮肉っぽいことやるなぁと思いつつ、ちゃんと正解の選択肢を選んでやりましたが。
 
 話は戻りますが社会主義者として活動するようになった幸徳ですが、彼の主張は同じ社会主義のグループの中でも特に過激なもので、実質的に無政府主義と言っていい思想を持っていました。当時の社会主義グループの中には穏健な政治活動によって社会主義の実現を目指す者もいたのですが幸徳のグループは暴力による革命を起こしてでも社会主義実現を目指すという主張をしており、穏健派からも苦言が出るほどの過激なものだったようです。
 実際に当局もこうした過激な主張に対して目を光らせており(政府をぶっ倒すと抜かすのだから当たり前だが)監視を続けており、公道で革命実現を叫んだ上に赤旗を振ってたから荒畑寒村らを一斉に逮捕する「赤旗事件」なんてのも起こってます。もっともこの事件で逮捕、拘留されたことから荒畑寒村は大逆事件では検挙されずに戦後にまで政治活動を続けることとなったのですが。
 
 話は大逆事件に戻ります。こうして官憲から監視や弾圧を受け続ける中で幸徳の取り巻きで宮下太吉管野スガ新村忠雄古河力作の四名は革命実現に向けてまず明治天皇を暗殺しようと計画し、実際に爆弾の製造にまで着手します。彼らが爆弾を製造していたのは当時に爆弾の材料といった証拠も見つかってますし、また実験の過程を隠語を使って、「赤ん坊(「爆弾」の隠語)の鳴き声(=爆発音)が思った以上に大きくてびっくりした」という手紙も見つかってるため、計画は確かにあったと見て間違いないでしょう。
 問題なのは幸徳がこの計画に関わっていたのかどうかなのですが、当時暗殺計画に関わっていた菅野スガは夫の荒畑寒村が逮捕されていただけでなく本人も無職だったため幸徳に生活の支援をしてもらっており、そのままなし崩し的に幸徳の愛人となってて同棲しておりました。幸徳の逮捕時も一緒だったため幸徳が暗殺計画を菅野の口から何らかの形で聞いていた可能性は現代においてもあり得るとみられますが、首謀していたかどうかについては数々の資料から現在はほぼ否定されているようです。
 
 しかし元老の山縣有朋はかねてから幸徳を嫌っていただけでなく、社会主義に対して憎悪にも近い感情を持っていたことからこれは好機とばかりに幸徳を首謀者にでっち上げるように計らい、首尾よく死刑にまで持っていきました。もっともこの大逆事件の裁判は当時にあっても知識人を始めとした層から政府に対して批判され、現代にまで続く山縣の不人気に一役買っております。
 これは私の意見ですが、やはりこの時に幸徳を処刑したのは山縣、ひいては明治政府の大きなミスだったように思えます。ある種、この事件で幸徳が無実の罪によって処刑されたことによって、殉教したキリストの様に、社会主義陣営で幸徳をシンボリックに扱うと共に政府はやはり打倒すべき存在だと燃え上がらせてしまっているからです。ほかのメンバーならまだしも一般市民の間でも知名度が高く政財界の人間とも交流していた幸徳を殺すということは影響力があまりにも大きく、現代においても日本で最も有名な政治弾圧事件として取り上げられることを鑑みても早計だったのではないかと思えます。
 
 この事件に限らず、政治思想犯の処刑というのは案外難しいものです。放っておくと余計な思想をばらまくし、かといって始末すると殉教者の様に扱われて残党を勢いづかせてしまうため、施政者側の目から見ると扱い辛いように思えてきます。じゃあどうすればいいのか、一つのモデルケースとしては連合赤軍ことあさま山荘立てこもり犯の首領であった坂口弘死刑囚のように、死刑判決を与えた上で刑は執行せず、生かしたまま拘留し続けるパターンがまだベターな気がします。仮に実際に革命が起こっても、ネルソン・マンデラ元南アフリカ大統領の様に生かしておけば言い訳も成り立つし。
 あと坂口と同じように永田洋子も死刑を判決したものの病死するまで拘留しましたが、この間に永田はちょっと情けない言い訳をあれこれ述べ続けて世間の信用を落とすことを自らやってのけてくれました。死人に言うのもやや酷な気がしますが、カスもカスなりに生かしておけば役に立つこともあるのだなと彼女の人生を見ていて思えます。
 
 ここで次の記事の引きですが、じゃあ麻原彰晃はどうするべきなのか。この点について次回記事では私の意見を述べようと思います。
 
  おまけ
 山縣有朋は本当に社会主義が嫌いで、明治の東大で私の専門とする社会学の講義を始めようとしたら、「社会」って文字があるだけで、「けしからん!誰だそんなの始めようとしてるんだ!」と激怒したそうですが、講義を始める東大教授が旧知の人間だったので、「なんだあいつか。だったらオッケー!」といって矛を収めたそうです。面倒くさそうなおっさんだなぁ。
 
  おまけ2
 この幸徳事件も大杉事件も実際の事件の真相よりもどちらかというとある一端、特に弾圧されたという箇所がやたら強調されて学校で教えられている気がします。全否定する気はありませんがなんか一面的な見方に思えるため、だったらあんま教えない方が良いのではないかと思うのと同時に、一体何故弾圧にばかり大きく取り上げられるのか、その背景について疑問を覚えます。この辺はまたしばらくしたら取り上げます。
 
 そんなに意識したつもりはないのに、何故かめちゃくちゃ長くなってしまった……。書いてる時間は一時間弱なのにな。

2014年8月7日木曜日

社会主義と共産主義の違い

 最近関わることがだいぶ減っていますが、もし大学生、それも経済学部や政治学部の学生に合うことがあれば、「社会主義と共産主義の違いは?」という質問を投げかけたいです。さらに、「一体何故社会主義者はいろんな国で弾圧されたのか?」という質問もつけて。
 恐らく、こんな質問をしたところで100人中1人もまともな回答をすることが出来ないでしょう。この問いに対する明確な答えを学校も教えないし、自分から興味を持って調べるような人間もほとんどいません。しかし歴史の流れ、特に二次大戦後にソ連を筆頭として生まれていった共産圏、そして冷戦の構造を考える上でこの社会主義と共産主義の違い、この二者の思想の相違点を把握しておかなければまともな理解も生まれず、また現代日本の社民党、共産党の違いも理解できないままというのは誠惜しいものなので、今日は浅学ながら私なりにこの二つの違いについて解説しようと思います。
 
 結論から述べます。社会主義と共産主義の違いは究極的には「政府の存在を認めるか否か」です。
 両者の思想に共通している諸条件としては、
 
1、労働者を中心とした社会
2、富・財産の共有(私有を認めない)
3、可能な限りの平等な世界
 
 この三つに関しては共通していると言っても過言ではありませんが、これらの理想を達成するための手段として政府というもの認めるか、認めないかで異なります。この場合ですと、後述しますが用語の関係もあって断言できるわけではないものの、少なくとも日本における社会主義は国家による政府の支配はそれ自体があってはならないものと考え、その存在を否定しています。対する共産党としては、同じく支配階級による国家政府は打倒すべきとしながらも、富の再分配や効率的な社会運営のためには強大な権力を持った政府が必要だとして、政府の存在を認めます。もっとも認めるったって共産党は、その強大な政府機能は共産党自身が果たさねばならず、ほかの政党の存在はあってはならないとして排除します。この辺は今の中国政府と中国共産党が一番わかりやすいモデルケースですね。
 
 社会主義、共産主義共に既存の国家政府、現代の日本やアメリカといった民主主義的選挙で選ばれた議員、そして官僚によって運営される政府は打倒すべきであることは一致しています。ただ社会主義は既存政府を打倒した後は政府はなるべく市場に関与すべきではなく国家防衛にのみその機能を持てばいい(=夜警国家思想)という考えを持っているのに対し、共産主義は既存政府亡き後を放任した所で世の中平等にはならないので、社会全体での平等の実現に向けてはやっぱり中央組織がある程度管理、運営せねばならないという考えにあり、政府(共産党の言い分としては「政府」ではなく「党」)が必要という立場を取るわけです。
 ただどちらにしろ社会主義も共産主義も既存政府を打倒する、取って代わるべしという思想を持っているわけで、そのため19世紀から20世紀にかけて両者は時の政府によって弾圧されたわけです。まぁ「いつかぶっ倒す!」と言ってるんだから政府が弾圧するのも当然と言えば当然な気がしますが。
 
 さて、書いてしまえば400字程度の簡単な解説で済むわけですが、こうした両者の違いについて理解している人はどうして世の中崇ないのでしょうか。この原因を私なりに書くと、社会主義陣営の人たちは相手が理解できないようなやたら難しい言葉で説明することがさも価値があるかのように考えてるようで、この手の簡単な内容について回りくどくかつ意味のない専門用語を駆使して主張することが多く、そのためこうした違いについて本人たちもわかってないのではないかと内心考えています。また最初に「用語の関係」と書きましたが、日本語において複数の意味が一つの言葉にごっちゃになっていることが多く、それがため混乱を招いているともいえるかと思います。
 
 こっからちょっとディープな話になりますが、用語を一つ一つ整理します。
 まず「社会主義」という言葉ですが、これは本来なら平等思考で労働者よりの思想を包括する大きな枠を指す言葉で、言ってしまえば「共産主義」も社会主義の中の一つのグループと言えます。なのに何故私はここで社会主義と共産主義を別々のものに熱かったのかというと、日本において社会主義はどちらかというと無政府主義(アナーキズム)という意味で用いられることが多いからです。
 社会主義の中にある大きなグループの分け方としては、私の理解だと以下の三つに分かれます
 
1、社会民主主義:既存政府による統治の中で選挙といった政治活動を通して理想の実現を目指す
2、無政府主義:既存政府を打倒し、労働者同士のコミュニティーの中で理想の実現を目指す
3、共産主義:既存政府を打倒し、共産党が労働者を組織、指導して理想の実現を目指す
 
 この三つをまとめて「社会主義」と呼ぶのが正しいのですが、日本だとどうにもそうはいかず、少なくとも「社会民主主義」と「無政府主義」は日本だと完全に別個となってて社会主義というとどっちかというと「無政府主義」を指すことが多いため、この際用語をそのまま使いました。ちなみにこれは共産主義の中の話ですが、社会運営の中心となるのは普通だと「労働者」ですが、これを「農民」に差し替えたバージョンも存在します。労働者が資本家(=企業経営者)と対立構造であるのに対し、農民バージョンは「農奴VS地主」という対立構造を煽って支持者を獲得するという戦略でこのバージョンは生まれていきました。旧ソ連はまだともかく、中国共産党は明らかにこっちの農民バージョンで支持者を獲得していったわけですが、なんでそうなったのかというと戦前戦後の中国は工場で働く労働者よりも農民のが多かったことが背景にあります。
 
 久々にやや難しい内容を書きましたが、ここで書いたのはあくまで私の理解であるため必ずしも正しい解説というわけではありません。ただ先ほどにも書いたようにこの辺の解説においてどこも用語の不統一がひどく、誰かがこの辺をしっかり整理しないといけないのではないかと思い自分なりにこうして記事にまとめてみることにしました。
 しかし改めてまとめてみると、結構小さな違いを社会主義陣営はこだわって、思想の遠い資本主義陣営よりも同じ社会主義陣営でしつこく争っていたんだなというのを感じました。さっきも書いたけど、本人たちも自分たちがどういう思想を持って行動しているのか、あんま理解してなかったんじゃないかなぁ。

2014年8月5日火曜日

中国の部屋に良くあること

 前回記事でも詳しく書いてありますが、先々週の土曜に引っ越して新居に移りました。その新居ですが先週土日に本格的に掃除してようやく一心地着いたのですが、掃除している最中にいくつか思い当たる節があるので今日はそういった、中国の部屋にあるある的な話を書いてくことにします。
 
 まず前提の話として、私個人の特徴として非常に掃除好きです。部屋の埃を気にするのはもとより窓ガラスなどは異常なまでに吹き続ける癖もあり、学生時代のバイト先だった喫茶店では掃除に力入れ過ぎて逆に注意されたこともありました。そんな自分に言わせると中国の部屋は「腕が鳴るぜ!」と言いたくなるほど汚れているところが多い、というより退去、入居に合わせて掃除することがまずないです。
 日本人の感覚ですと退去前に住人はある程度部屋を掃除してなおかつ余計なごみやいらなくなった家具とかを処分する必要がありますが、中国ではそんな感覚は全く以ってナッシングです。でもって日本だと家主は新しい入居者が来る前に業者などを使って掃除しておくことが普通で、掃除されてなかったらむしろどうなってるんだとクレーム物ですが、ここまで言えばわかるでしょうが中国ではそんな気を使ったサービスはほとんど皆無です。中には家主負担、または入居者負担で業者に掃除させる部屋もありますが、基本的には入居者自身が引越しと共に掃除しなきゃいけません。まぁ中には掃除しないで汚い環境に適応するような奴もいますけどね。
 
 そのため、引っ越しは家具やら生活用品とか買い物に合わせて家具の配置などいろいろ忙しいですが、中国の場合ですとそれに加えて掃除という作業も求められ、引っ越しに使うエネルギー量は日本なんかと比べてもかなり多くてそれで私も体調崩したんでしょう。じゃあどれくらいその掃除がハードというかどういう共通点があるのか、既に中国国内だけで六部屋も渡り歩いた自分の経験を紹介します
 
  1、釘
 これは三回目に住んだ部屋が最も特徴的でしたが、何故か中国の部屋はやたらあちこちにちっちゃな釘が落ちていることが多いです。今の部屋も棚の後ろとか引き出しの中とかどこに使うんだというような釘がやたら多いですが、三回目の部屋は床が絨毯で、その絨毯に折れ曲がった釘が何本も絡まってたため掃除する度に見つけてはほどいて捨ててました。多分、拾った合計では100本越えてたような。
 
  2、トイレの固定ボルト
 これはほぼ100%、どの部屋でも共通してますが、トイレの中蓋を固定するボルトがどこも初期状態ではゆるゆるです。ゆるゆるのため中蓋は座るたびにずれるというか動きまくるくらいなのでいっつも締め直すのですが、なんでどこもゆるゆるなのか、ってか普通に使っててこのボルトは緩むはずないと思うのだけれどと不思議でしょうがありません。
 
  3、ベッドの下の埃
 大体どこも埃まみれなのは共通してますが、その中でもひときわ強烈なのはベッドの下です。業者が掃除した部屋でもベッドの下は放置されていることが多く、夏場なんかは寝具にダニ付くと嫌なので私なんかは頑張ってベッドをずらすなどして掃除するのですが、これは一体何年物だと問いたくなるような埃の量に毎回うんざりします。今の部屋も、全身でダイブしても埃がクッションとなって衝撃が幾分和らぐんじゃないかと思うような量で、ぶつくさ文句言いながらモップかけて掃除しました。
 
  4、風呂場ガラスの水滴痕
 これなどは中国ならではの特徴ですが、中国の水はカルシウム成分の多い硬水のためガラスの水滴痕というものが付きやすいです。ただそれを考慮しても、風呂場のガラスは向こう側が見えないくらいびっしり水滴痕がついているというのは、単に定期的な拭き取りをサボっている故に起きているものだと思います。
 この水滴痕ですがついたばかりの頃であれば普通のスポンジで取れますが、大分年月が経つとガラスの一部のように固定化しちゃってたわしでこすっても取れません。専用のやや酸性の強い洗剤であれば取れるでしょうがさすがにそこまでは頑張らず、三回目の部屋では定期的に力入れて擦っていたら退去する頃には大分クリアになるくらいに削り取れていたので、新しい部屋でも毎日ちょっとずつ擦ってこうと思います。
 
  5、大量のゴミ
 最初にも触れていますが、とにもかくにも前の住人のゴミが室内に放置されてます。今の部屋なんか冷凍庫開けたらキムチくさかったので絶対韓国人だろうと思ってたら案の定ハングルの書かれた紙がすぐ見つかったのですが、そうした紙ぐらいならともかく、水が入ったままのペットボトルがベランダに数本放置されているのはちょっと自分もゾッとしました。このほかよくあるものとしては雑誌、洗顔液、よくわからない食品とかで、これらをゴミ袋に入れるだけでも結構手間です。
 
 こんな風に書いていますが実は今の部屋なんかまだマシな方で、酷い部屋なんか腐った食品が冷蔵庫の中に眠ってて冷蔵庫全体がカビでびっしりとか、目の前をやけにでかいゴキブリが飛び交うような部屋だって平気であります。日本人からしたらそんな汚い部屋に入居者が来るわけないのだし少しは掃除して見かけをよくしないのかと思うでしょうが、中国人はそんな風には思わないようです。
 逆を言えば日本の不動産仲介サービス、そして入退去のマナーはかなりしっかりしているといえるのですが、その一方で家賃代の支払いに応用が無かったりしたり、電気家具とかきれいなままなのに置いて行けず処分してしまうなど無駄だと思える点もあります。まぁ住というのはかなり文化の違いが出るところだし、いちいち比較するのも野暮かなと思いますが。