昨日晩飯何食べようと考えながら帰宅していると、店の門前に敷いてあるダンボールの上でぐっすり眠ってるトラ猫に一目ぼれしてそのままそこの台湾料理屋で飯食いました。今日は中国のケンタッキーでチキンバーガーが安くなる日なのでこっちで食おうと思いましたが、雨も降ってたしちゃんとしたのを食べようと結局またその台湾料理屋で飯食いました。今日はトラ猫は出勤してませんでしたがそのかわりに成猫の三毛猫と小っちゃい子猫二匹がいたのでお腹いっぱいにはなりました。なにこの猫喫茶ならぬ猫食堂……。
話は本題に入りますが、昨日は我ながらやけに頑張って社会主義と共産主義の違い、並びに日本語における社会主義思想の用語の曖昧さについて記事を書きましたが、これはすべて今日の記事の伏線として用意したものです。なくったって別に問題ないでしょうが知ってたらまだ理解しやすいかなと思ったので書いたのですが、じゃあ今日は何を書くのかというとある意味日本で最も有名な政治弾圧事件といっていい大逆事件について、この事件を中学高校で教える欺瞞について述べていきます。
・大逆事件(Wikipedia)
この事件は有名さもさることながら受験教養としてほぼ必須の内容であるため歴史通でなくても大まかな内容を大半の方は知っているかと思います。ではこの事件はどんな内容なのかというと、「明治天皇暗殺を企図したとして幸徳秋水などが濡れ衣を着せられ死刑にされた政治弾圧事件」といった辺りが無難な所かと思え、もうちょっと詳しい方なら、「幸徳秋水が社会主義者であったため、その思想が危険だと見られて殺された」というかもしれません。もっとも昨日の記事に書いたように一体何故社会主義が政府に睨まれるのかという要因について説明できる人間となると限られてくるかもしれませんが。
実際、この事件はある意味で幸徳秋水が中心となっており、捜査も幸徳を中心にして進められただけでなく世論も幸徳の処罰に対して主に注目されました。ウィキペディアの中でも大逆事件のページのほかに「幸徳事件」という別記を用意している程で、まぁ力が入っているのは間違いないようです。
結論から述べると、この事件に対する上記のような理解は半分当たりで半分外れといったところで、的確な理解ではないと私は考えています。というのも、明治天皇の暗殺計画は幸徳は関わっていないながらも、この大逆事件で逮捕された一部のメンバーの間では実際に企図されていたからです。なので正しい理解としては、「明治天皇暗殺を計画した犯人らが検挙された際、幸徳は関わっていなかったもののその一味として一緒に検挙され死刑にされた」というのが無難な所でしょう。
事件について詳しく解説します。まず幸徳秋水というのは青年期に中江兆民に師事して学んだ後、日本における初期の大新聞と言っていい万朝報のライターとなります。この万朝報で頭角を現した幸徳は世間からも高い評価を受けるものの日露戦争について開戦に踏み切った日本政府を批判した所、万朝報の部数が激減し、やむなく万朝報は戦前の朝日、毎日同様に社の方針を戦争肯定に切り替えます。この方針切り替えに反対した幸徳は堺利彦、内村鑑三、石川三四郎と共に出奔して平民社を起ち上げるなど独立するわけですが、こうした過程の中から徐々に社会主義思想を持ち、政治活動にも身を投じていくこととなります。
ここで少し余談ですが、現在において社会主義者のイメージの強い幸徳ですが、若い頃などは幅広く多様な人間と交流を持ち、特に伊藤博文や西園寺公望といった立憲政友会メンバーとは親しく付き合っていました。西園寺に関してはネット上の資料で裏付けが取れないものの、確か西園寺がフランス留学から帰国後に新聞を起ち上げた際、幸徳が主筆となってその活動を支えたという話したあったと言われています。
私が何でこのエピソードを知ってるのかというと、大学受験時代に同志社大学の過去問を勉強してたら日本史科目にこのエピソードが出てくる問題が設けられてたからです。ちなみにこの問題、最後の問いでは、「なおこの試験問題は西園寺とかかわりの深い大学の資料を参考にして作られた。その大学名を下記の選択肢から選べ」と書かれ、選択肢には「A、同志社大学 B、立命館大学 C、??? D、???」と書かれていたように記憶します。問題解いてて皮肉っぽいことやるなぁと思いつつ、ちゃんと正解の選択肢を選んでやりましたが。
話は戻りますが社会主義者として活動するようになった幸徳ですが、彼の主張は同じ社会主義のグループの中でも特に過激なもので、実質的に無政府主義と言っていい思想を持っていました。当時の社会主義グループの中には穏健な政治活動によって社会主義の実現を目指す者もいたのですが幸徳のグループは暴力による革命を起こしてでも社会主義実現を目指すという主張をしており、穏健派からも苦言が出るほどの過激なものだったようです。
実際に当局もこうした過激な主張に対して目を光らせており(政府をぶっ倒すと抜かすのだから当たり前だが)監視を続けており、公道で革命実現を叫んだ上に赤旗を振ってたから荒畑寒村らを一斉に逮捕する「赤旗事件」なんてのも起こってます。もっともこの事件で逮捕、拘留されたことから荒畑寒村は大逆事件では検挙されずに戦後にまで政治活動を続けることとなったのですが。
話は大逆事件に戻ります。こうして官憲から監視や弾圧を受け続ける中で幸徳の取り巻きで宮下太吉、管野スガ、新村忠雄、古河力作の四名は革命実現に向けてまず明治天皇を暗殺しようと計画し、実際に爆弾の製造にまで着手します。彼らが爆弾を製造していたのは当時に爆弾の材料といった証拠も見つかってますし、また実験の過程を隠語を使って、「赤ん坊(「爆弾」の隠語)の鳴き声(=爆発音)が思った以上に大きくてびっくりした」という手紙も見つかってるため、計画は確かにあったと見て間違いないでしょう。
問題なのは幸徳がこの計画に関わっていたのかどうかなのですが、当時暗殺計画に関わっていた菅野スガは夫の荒畑寒村が逮捕されていただけでなく本人も無職だったため幸徳に生活の支援をしてもらっており、そのままなし崩し的に幸徳の愛人となってて同棲しておりました。幸徳の逮捕時も一緒だったため幸徳が暗殺計画を菅野の口から何らかの形で聞いていた可能性は現代においてもあり得るとみられますが、首謀していたかどうかについては数々の資料から現在はほぼ否定されているようです。
しかし元老の山縣有朋はかねてから幸徳を嫌っていただけでなく、社会主義に対して憎悪にも近い感情を持っていたことからこれは好機とばかりに幸徳を首謀者にでっち上げるように計らい、首尾よく死刑にまで持っていきました。もっともこの大逆事件の裁判は当時にあっても知識人を始めとした層から政府に対して批判され、現代にまで続く山縣の不人気に一役買っております。
これは私の意見ですが、やはりこの時に幸徳を処刑したのは山縣、ひいては明治政府の大きなミスだったように思えます。ある種、この事件で幸徳が無実の罪によって処刑されたことによって、殉教したキリストの様に、社会主義陣営で幸徳をシンボリックに扱うと共に政府はやはり打倒すべき存在だと燃え上がらせてしまっているからです。ほかのメンバーならまだしも一般市民の間でも知名度が高く政財界の人間とも交流していた幸徳を殺すということは影響力があまりにも大きく、現代においても日本で最も有名な政治弾圧事件として取り上げられることを鑑みても早計だったのではないかと思えます。
この事件に限らず、政治思想犯の処刑というのは案外難しいものです。放っておくと余計な思想をばらまくし、かといって始末すると殉教者の様に扱われて残党を勢いづかせてしまうため、施政者側の目から見ると扱い辛いように思えてきます。じゃあどうすればいいのか、一つのモデルケースとしては連合赤軍ことあさま山荘立てこもり犯の首領であった坂口弘死刑囚のように、死刑判決を与えた上で刑は執行せず、生かしたまま拘留し続けるパターンがまだベターな気がします。仮に実際に革命が起こっても、ネルソン・マンデラ元南アフリカ大統領の様に生かしておけば言い訳も成り立つし。
あと坂口と同じように永田洋子も死刑を判決したものの病死するまで拘留しましたが、この間に永田はちょっと情けない言い訳をあれこれ述べ続けて世間の信用を落とすことを自らやってのけてくれました。死人に言うのもやや酷な気がしますが、カスもカスなりに生かしておけば役に立つこともあるのだなと彼女の人生を見ていて思えます。
ここで次の記事の引きですが、じゃあ麻原彰晃はどうするべきなのか。この点について次回記事では私の意見を述べようと思います。
おまけ
山縣有朋は本当に社会主義が嫌いで、明治の東大で私の専門とする社会学の講義を始めようとしたら、「社会」って文字があるだけで、「けしからん!誰だそんなの始めようとしてるんだ!」と激怒したそうですが、講義を始める東大教授が旧知の人間だったので、「なんだあいつか。だったらオッケー!」といって矛を収めたそうです。面倒くさそうなおっさんだなぁ。
おまけ2
この幸徳事件も大杉事件も実際の事件の真相よりもどちらかというとある一端、特に弾圧されたという箇所がやたら強調されて学校で教えられている気がします。全否定する気はありませんがなんか一面的な見方に思えるため、だったらあんま教えない方が良いのではないかと思うのと同時に、一体何故弾圧にばかり大きく取り上げられるのか、その背景について疑問を覚えます。この辺はまたしばらくしたら取り上げます。
そんなに意識したつもりはないのに、何故かめちゃくちゃ長くなってしまった……。書いてる時間は一時間弱なのにな。
4 件のコメント:
おお、ここからオウムにまで繋げるのですか…。
しかし「死」というのは不思議なものですね。さっきまで人間だったものがこれを通せば「神」になってしまうのですから。それも寿命でなければなおさらです。
余力を残して引退する野球選手の方が後々まで惜しまれるように、「まだやれたはず」という思いが英雄視を肥大化させるのですかねぇ。関羽だの岳飛だの。かくいう私も韓信が大好きです。
おっしゃる通りに人間、死んでしまうと神様になってしまうケースってのは案外多いように思います。幸徳に限らずジャンヌ・ダルクなり悲劇的な死に方すると同情心やらいろいろ集まって、死んでからの方が有名になるという変な話になってしまいます。
ちょっとTINAMIを拝見させてもらいましたが、野球に造詣が深いようですね。自分も野球好きなので、また何か企画できたら記事書いてきます。
なかなか奥深い文書ですわ。理解するまで時間が掛かりますわ。
政治犯ってのはただしらみつぶしに殺せばいいってもんじゃないっていうのが骨子。むしろ拘留する位がベターだってことだよ。
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