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2014年11月18日火曜日

高倉健に対する中国の反応

 今日は安倍首相の解散宣言といい介助犬はフォークで刺されたのではなく皮膚病だったのではなどとビッグニュースが目白押しな日ですが、何よりも国民にとって大きな衝撃と共に受け止められたのは俳優の高倉健氏の逝去報道で省。すでに各所で報じられているのでニュースリンクは貼りませんが、昼ごろには中国でも大きく報じられて友人なんかは真っ先にメールを送ってきたくらいでした。
 
 中国に高倉氏の人気と知名度については過去にも記事にしておりますが、さすがに若い世代くらいになると知らない人が増えているものの一定の年齢以上の層には未だに圧倒的な認知度を誇ります。高倉氏が主演した映画は改革開放政策に移った中国で初めて公開された海外映画で(確か「幸せの黄色いハンカチ」)、当時の中国の状況を考えると農村部にいた人間からすれば生まれて初めて見る動く映像に映った主演男優が彼だったようで、その影響もあってか私もこれまで中国人が「男の中の男」と呼ぶ人間として高倉健氏の名前が挙げられるのを何度も聞いています。
 ちなみにもうひとり「男の中の男」として挙げられた人物には何故か「聖闘士星矢」の「フェニックス一輝」がいます。基本的に男臭いのが中国人の好みっぽい。
 
 そんな高倉氏の逝去報道は日本の報道開始とほぼ同時に中国でも流れ、今日帰りに立ち寄ったラーメン屋のテレビで見た夕方のニュースでも過去の出演映画の映像と共に長い時間、かなり大きな扱いでもって報じられていました。ではネットではどうかと見てみたところ、ちょっと自分でも驚くくらい大きく取り扱うメディアが多いです。
 たとえばこちらのサイトは東方網というサイトの一ページですが、なんと高倉氏の死去に合わせてわざわざ特集ページを独自に組んでおり、これまでの経歴や主要な出演作品、国内外の評価などについて細かくまとめられており、アクセス数も相当高いようで関連する記事複数本がランキング上位に入ってます。
 
 
 またこちらの記事では高倉氏の結婚と離婚、そして離婚後に再婚をしなかったという経歴についていい具合で記事にまとめています。またマニアックな内容と思いつつもこれに対する閲覧者のコメントも、「再婚しなかったなんてなんて清廉な人だったんだ」とか、「どうか安らかにお眠りください」などと、読んでるこちらも感情を感じるような内容が数多く並んでいます。
 
 かつて三船敏郎が逝去した際、日本国内以上に欧米メディアが大きく取り上げ一部のテレビニュースに至ってはトップニュースで報じられたと聞いております。さすがに高倉氏の場合は日本国内の圧倒的な人気から海外報道が勝ることはないと思いますが、それでもこうして中国メディアが大きく報じる点を見るにつけその影響力の大きさを改めて覚えます。それと同時に、本当に偉大な人が亡くなってしまったのだという強い喪失感も覚えます。果たして今後、彼のような俳優が日本に現れるのか、そもそも映画の中とは言え彼のような日本人が出てくるのか、考えは尽きません。
 
 最後に、先ほど「映画の中とは言え」という表現を用いましたが、映画の外ことプライベートでも高倉氏は非常に生真面目で誰からも親しまれる人物だったと聞いております。かなり昔に坂東英二氏がテレビ番組で語っておりましたが、男やもめの高倉氏に坂東氏が冗談で、「何だったらうちの娘でももらってくれませんか」と言ったら後日、非常に丁寧な言葉でもって坂東氏の申し出をお断りするという直筆の手紙が送られてきてびっくりしたそうです。また同じ番組で、ある晩に突然高倉氏が坂東氏の自宅に一人で現れ、映画か何かで共演した記念として腕時計のプレゼントを持ってきたそうです(高倉氏は度々共演者にこうしたプレゼントをしていた)。
 坂東氏からしたら高倉氏ほどの大物がこうも真剣に接してくれることにひたすら恐縮だったようで、「心臓に悪いのでどうかやめてください。お心遣い、本当に感謝していますから」とテレビを通して伝えていましたが、本当に映画の中の様に生真面目だったという人柄うかがえるエピソードです。

2014年11月17日月曜日

シベリア出兵とイワノフカ事件

 前回記事に続いてシベリア出兵中のある事件を取り上げますが、その前にロシアの村で起こったある出来事を紹介します。その年、日本の代表団がシベリア抑留者の慰霊碑を建立しようとその村へ訪れたのですが、その村の住人らはやってきた日本人代表団らに対して、「昔、日本人がこの村で行ったことを知らないのですか」と尋ねたそうです。その村こそが今日の見出しに掲げたイワノフカ村です。
 
イワノフカ事件(Wikipedia)
 
 シベリア出兵の概要については前回記事に書いた通りで、日本は明確な領土的野心の下に他の参加国が繰り出した数倍の兵力をシベリア地域に送りこの地で傀儡政権の樹立などを企てたものの、結果としては何も得ることがなく列強各国にその野心を疑われたことと兵力の損失だけを生みました。このシベリア出兵中に日本はモスクワを占領したレーニン率いるボリシェビキ政権(社会主義政権)と対立していた白軍を支援しておりましたが、シベリア出兵中における最大の敵は赤軍本軍ではなくパルチザンでした。
 
 一体どうして社会主義というか左巻きの人は同じ意味で一般的にも認知されている語があるのにわざと小難しい単語に置き換えようとするのか気がしれませんが、この「パルチザン」というのは言うなればゲリラです。政権が直接命令、指示する軍隊ではなく一般市民(多くは農民)が自発的に赤軍に協力したり、武器を取って敵軍と戦う兵士、集団、軍隊を指すのですが、日本にとってシベリア出兵はこのゲリラ(もうパルチザンなんて言葉は使わないぞ)との戦いだったと言っても間違いないでしょう。
 社会主義革命戦争中のロシアでは都市部はともかく農村部ではボリシェビキへの支持がきわめて高く、白軍が占領したとしてもすぐにゲリラが活動を行って妨害するので占領地を放棄することも頻繁にありました。また一般市民との区別も難しいことから、簡単な例えを用いるならベトナム戦争下の米軍などの様にいつどこで襲われるのか、現地の兵士たちにとっては非常にナーバスにさせられる存在だったのだと思います。
 
 そうした「見えない敵」であるゲリラに対し白軍や日本軍は神経を尖らし、ゲリラを匿った、協力したとみた村落を頻繁に襲撃し焼き尽くしていたそうです。これは当時の軍内部の報告書にもしっかり記されている事実で、件のイワノフカ村の事件も海外の調査隊が生存者の証言をまとめていることから否定はできないでしょう。言ってしまうなら、ベトナムで米軍や韓国軍がやったことを日本軍はシベリアでやっていたというわけです。
 
 話はイワノフカ事件に焦点を絞ります。このイワノフカ村もボリシェビキの影響力が強かったことから日本軍は村民から武器の押収やゲリラと見られる人物の処刑を行っていたところ、思わぬゲリラの反撃を受けて一個大隊が全滅するという被害を受けました。このゲリラに対する攻撃の報復として日本軍は村を包囲した上で、集中砲火を浴びせた上に家々をもやし、老若男女の区別なく殺害したわけです。殺害者数は約300人と見られていますが、この村が現代にまで存続していることを考えると皆殺しまでには行かなかったようです。
 その後日本軍はこの虐殺の事実を隠すどころか宣伝にも使っていたようで、「抵抗すればイワノフカ村の二の舞になるぞ」という脅しをほかの村にもかけていったそうです。
 
 こうした行為はイワノフカ村に限らずほかの多くの村落においても程度の差こそあれ行われていたとみられます。というのも当時の日本軍内の報告書には著しい軍記の乱れが内外から日本の司令部に報告されており、指揮官幹部らは安全なウラジオストックで砲塔を繰り返しているのに対し現場では何の攻略目的や作戦計画のないまま零下何十度という厳しい環境下に放り込まれ、略奪や強姦、虐殺が日常的に行われているなどと生々しい証言が残っています。
 また私個人にとってちょっと面白いと感じる報告として、当時出兵していた部隊では「歩兵隊式」という、末端の兵士による士官へのリンチが頻繁に起こっていたそうです。士官が少しでも横柄な態度や妙な要求でもしようものなら兵士同士が結託し、前線であることをこれ幸いにとばかりに暴行して服従させていたというもので、中には、「殴られるくらいはまだいい。戦場だったらどこから弾が飛んでくるのかもわからんのだし」という証言を残した帰還兵までもいたそうです。こうした状態であったことから前線の指揮官は略奪や暴行する兵士を止められなかったばかりか、彼らに気兼ねして期限を取るといった行動も見られたことが報告されています。
 
 このような事態を招いた理由はいくらでも挙げられるし中には戦場では仕方のないことだという人もいますが、私としてはやはり無計画な派兵こそが最大要因だと見ます。前回記事でも述べたように日本は明らかに下心を持ってシベリア出兵を行っており、しかも出兵の大義名分であるチェコ軍団が無事に帰還しても、白軍が完全に粉砕されても、明確な攻略目標などないまま長期間大兵力を派兵し続けました。戦うべき理由もなければ目的もなく極寒の地に派遣され続ければそりゃ現場もおかしくなるのは当たり前で、何故ほかの国と同時期にすぐ撤兵しなかったのか強く理解に苦しみます。
 
 その上で今回のイワノフカ村事件について述べると、恐らく私と同世代であればこの事件を知らない人間の比率はフォーナイン(=99.99%)を確実に超えるでしょう。一方で、前回記事で紹介した「尼港事件」は認知度はこちらも確実に低いでしょうが一応高校レベルの日本史の教科書には確実に載っています。何が言いたいのかって、殺られた事実だけ教えて殺った事実には触れないってのはアンフェアじゃないか、この一点に尽きます。
 別に朝日新聞みたいに「日本人はもっと他国に謝罪し、反省すべきなのかもしれない(いつも末尾は推量系)」なんていうつもりは全くないしことさら大きく取り上げようというつもりは全く有りませんが、同じ「朝日」繋がりで言うと歴史というのはスーパードライなくらいに感情を全く持たず、淡々と事実のみを直視する視点こそが大事だと私は思います。私なりのこうした視点で述べると、片一方側の事実は取り上げておきながら同じ傾向を持つ事実は無視するなんて以ての外だし、そもそもこのシベリア出兵自体を日本の教育界はあまり教えたがらないなと内心思います。
 
 私自身、大学受験時にシベリア出兵という単語と概要は覚えましたが、そもそもチェコ軍団って何、現地でどんな活動したのといったことは全く以ってちんぷんかんぷんでした。日本史科目に関しては今も昔も並外れた成績だったことを考えると、私以外の人間に至っては全く理解せず「シベリア出兵→米騒動」という脊椎反射的なワード繋がりを覚えられれば御の字だったでしょう。
 しかし成人になってから改めて一次大戦を勉強し直したついでに勉強し直すと、やってることはまるきり米軍のベトナム戦争と変わりがないように思えてきました。ベトナム戦争についてはその悲惨さを学校では学びましたが、もっと身近な日本がやった例については細かく教えずにスルーするってのはちょっともったいないと思うついでに何らかの意図があるのではないかと勘繰りたくなります。中には規模が同たらこ歌らという人もいるかもしれませんが、人が何人死のうが自分は全く興味がありません。やったかやらないか、何やったか、これだけが重要です。
 
 繰り返して述べると、シベリア出兵と関連して尼港事件だけ取り上げてこっちのイワノフカ事件を始めとする現場の乱れをスルーするというのは、あれこれ理由を述べるまでもなく私個人として気に入らないというか癪に障ります。朝日新聞みたいに、ってか従軍慰安婦や南京大虐殺は取り上げるがこっちをスルーする朝日をちょっとどうかとも思うけど、参考書位には一言書いた方が良いのではというのが私からの提言です。
 あと最後に蛇足ですが、明確な目的がないまま戦争に兵を派遣して無駄に浪費するという構図、なんかどっかの国で見たようなとデジャビュを覚えます。思えばこの時から日本の軍隊はいかれてたのかもしれません。

2014年11月16日日曜日

シベリア出兵と尼港事件

 尼港(にこう)事件と聞いて何のことかすぐに言えるような人は私と同じで恐らくどこか頭のおかしい人でしょう。私自身ですら復習しなければすぐに記憶から飛ぶような事件だし、一応大学受験の参考書にはちょこっとだけ書かれているけど実際の入試に出題された例は見受けません。
 
尼港事件(どちらもWikipediaより)
 
 尼港事件とは、第一次大戦期に日本が行ったシベリア出兵中に起きた虐殺事件のことを指します。この事件について解説する前にまず、シベリア出兵について話をしましょう。シベリア出兵とは何か端的に述べるなら、一次大戦の末期に社会主義革命が起きたロシア(ソ連)に対する列強による干渉戦争、いわば社会主義革命を潰すために行われた侵略と言ってもいいでしょう。
 
<ロシア国内の革命戦争>
 一次大戦末期の1917年、ロシアでは十月革命が起こりレーニン率いるボリシェビキこと共産主義勢力が政権を握りました。こうした動きを懸念したのはほかでもなくイギリス、フランスをはじめとした列強各国というか連合国側で、彼らは対戦中のドイツとボリシェビキ政権が単独講和して東部戦線が解消されたことと、社会主義革命が他国に広がるのを恐れ、まだロシア領内でボリシェビキと主導権争いを続けていた勢力こと白軍を支援しようと企図しました。
 ここでまた二度説明ですがレーニン率いるボリシェビキ勢力は「赤軍」と呼ばれ、これに対しボリシェビキに抵抗していたロシア国内の勢力をまとめて「白軍」と呼んでました。何故この白軍は「まとめて」というのかですが、実態としては「反ボリシェビキ」を掲げていた勢力を一括してこう呼んでいたため実体としては同床異夢な民主党のような存在だったらしく、共和制主義者、王政復古主義者、反レーニンな社会主義者などごった煮な状態で、説明するまでもなくまとまった行動が取れず歴史では結局赤軍に敗北することとなります。もっとも、勢いに乗じた赤軍が何故かフィンランドに攻め込んできたのですが、それに対して祖国防衛のために動いたフィンランド軍も白軍に数えられ、この中には二次大戦で活躍するマンネルハイムも指揮官として参加しており、一時は首都ヘルシンキを奪われたものの最終的には見事赤軍の撃退に成功しています。
 
<チェコ軍団>
 話は本題に入りますが、このシベリア出兵が行われた理由は一に連合国による対戦国ドイツへの牽制、二にロシアの社会主義革命の粉砕でしたが、さすがにこんな理由を正直に出しては大義名分が立ちません。そこで取られたのが、ロシア領内で孤立していた「チェコ軍団」の保護、救出でした。
 当時のチェコ(スロバキアを含む)はオーストリアによって統治されていて独立を果たせていませんでした。そこに目をつけたロシアは国内にチェコ独立を目指す義勇兵組織を起ち上げ、主に戦時中にオーストリアとの戦闘で捕まえたチェコ人、スロバキア人の捕虜を組み入れ、オーストリア軍との戦闘に出兵させていました。しかし十月革命の後、このチェコ軍団は所属先はおろか行先も決まらず、そもそも祖国もまだなかったことから行き場に困りシベリア地方で孤立することとなりました。
 
 モスクワのボリシェビキ政権はこのチェコ軍団の取り扱いについて当初、武装解除の上でウラジオストクからアメリカへ移動することを認めますが、チェコ軍団の兵士が移動の過程でハンガリー兵と乱闘事件を起こしたことによりボリシェビキ政権は態度を硬化させチェコ軍団の移動を一時中止させます。これに対してチェコ軍団も現地に指揮官、最高責任者がが存在していなかったこともあって苛立ち、ボリシェビキ政権に対して蜂起し、再武装を始め、結果的に赤軍との戦闘を始めることとなりました。
 このようにシベリア地方で孤立しながら赤軍と戦うチェコ軍団を英仏は「連合国の一員」であり救助の対象でもあるとし、ボリシェビキ政権へ干渉戦争を起こすいい口実になるとして兵士の派遣を決断します。しかしチェコ軍団のいるシベリアは欧州からみれば地球の反対側にあり、なおかつドイツとの戦争もまだ続いていたことから、地理的にシベリアに派兵しやすい位置にある日本と米国に対して出兵を要請します。
 
<日本の出兵と狙い>
 日本は英仏からの要請に対して当初、「アメリカが出兵するのであれば兵を派遣する」と、アメリカの顔を立てる形で答え、その後アメリカが派兵を決定すると約束通り、1918年に出兵を内外に発表します。しかし遠慮がちな態度と裏腹に日本側は当初からやる気は満々だったと言われ、狙いとしては満州、シベリア地域で新たな領土を獲得するとともに現地に傀儡政権を立てて日本本土の防衛、領土拡張を最初から狙っていました。
 事実、英仏の派兵規模が1000人前後、日本に次いで規模の大きかったアメリカが約8000人だったのに対し、日本は最終的に約7万3000人という異常な量の兵員を派遣しております。またその行動もエキセントリックというよりほかなく、当初はウラジオストックより先には進軍しないという規約があったにもかかわらず平気で破り、北樺太や満州地域はおろか、バイカル湖周辺にまで占領地域を拡大します。
 
 こうした日本の行動に派遣国はほぼすべて懸念を示します。というのも派遣をしたその年の1918年11月に連合国と戦っていたドイツで革命が起こり一次大戦が終結し、背後(東部戦線)からドイツを牽制するという目的が無意味と化していたからです。しかもチェコスロバキアもこの際に独立を果たし、英米仏はしばらくは駐留を続けてましたがチェコ軍団もロシア領内から出た1920年にはみんな撤兵したのに対し、日本は上記のような目的もあって1922年まで一人で延々と残り続けました。
 しかも日本国内ではシベリア出兵を機に需要が高まると見られた米が商人によって買占めが行われ、それ以前から高騰していた米価がさらなら高騰を見せたことによって「米騒動」が起こります。結局、日本軍はシベリア地域で動き回りましたが領土を獲得する大義も得られなければ傀儡政権の樹立も果たせず、兵員や物資の損害を生むだけ生んで何も得ることなく撤退することとなります。
 
<尼港事件>
 上記が高校で教えられる範囲のシベリア出兵の中身、と言ってもこんなに詳しくやる教師はいないでしょうが、大体が米騒動とセットで教えられます。米騒動のほかにもう一つしべリサ出兵と共に一緒に関連付けられるキーワードとしてもう一つの本題であるこの「尼港事件」があるのですが、この事件はシベリア出兵中の1920年にアムール川河口の港湾都市、ニコラエフスクで赤軍パルチザンによって起こされた虐殺事件を指します。
 
 非常にきわどい内容なので簡潔に説明することに努めますが、当時ニコラエフスクには多数の日本人居留民とユダヤ人、白ロシア人が住んでおり、ボリシェビキ政権に抵抗する白軍の部隊とシベリア出兵によって派遣された日本軍守備隊も合わせて駐屯しておりました。当時漁業事業を営む日系企業がこの町に進出しており日本人居留民(約700人)も数多く居住していたことから、日本の領事館も設置されていました。
 この街にロシア人を中心として中国系、朝鮮系を内包した赤軍パルチザン部隊約4000人が白軍を追って1920年1月に進撃してきたのですが、日本軍守備隊(約300人)は日本人居留民保護を目的に駐屯していたものの白軍司令官とともに赤軍と交渉に当たり、居留民の安全、白軍関係者に対する不当な処罰をしないこと、一定期間の移動の自由を条件にニコラエフスクを赤軍パルチザンに明け渡しました。なお開城時に白軍の最高指揮官三名が自決していますが彼らについてこの事件をまとめた記者、グートマンは「彼らは、仲間の将校や、ニコラエフスクの市民より幸福であった」と書き残しています。
 
 こうしてニコラエフスクに赤軍パルチザンが入城しますが、残っている証言によると彼らは当初の約束を守らず市民への略奪や暴行、白軍兵士への迫害や投獄、殺害を繰り返したため日本守備隊と対立を深めます。そうした最中、パルチザンの司令官は日本軍に対して武器弾薬の引き渡し(武装解除)を要求し、事態悪化を恐れた日本守備隊は引き渡す前にパルチザンに対して決起を行ったものの兵力の差は埋められず敗北し、全滅します。
 日本軍の決起後にパルチザンは日本軍に協力したとして日本領事館を攻撃しただけでなく日本人居留民を一方的に殺害し、その後事態を知った日本軍がニコラエフスクへの派兵準備を始めると日本軍の報復を恐れたのか、証拠隠滅と日本軍への進軍妨害を兼ねて今度は日本人だけでなく、中国系を除いたロシア人やユダヤ人などあらゆる街の人間の殺害を始め、被虐殺者数は街の全人口の半分に当たる6000人以上に上ったと言われています。なおこの時にパルチザン内部でも虐殺を批判する幹部がいたものの、ほかの居留民殺害に紛れて一緒に殺されたようです。
 
 この事態に日本軍は救援隊を派遣しますが、アムール河の解氷を待って到着した頃にはパルチザンは逃げ出しており、既にニコラエフスクは焦土と化していました。またソ連側でもこの時のパルチザンを監督していたハバロフスク革命員会が事態を知り、パルチザン兵士への聞き取りを行っています。唯一溜飲が下がることとしては、ハバロフスクの革命員会はパルチザン兵士と接触した上で指令をだし、虐殺時のパルチザン指揮官であるトリャピーツィン以下幹部全員を捕縛した上で処刑している点でしょう。この時の容疑は「同士、同胞に対する虐殺」だったそうです。
 
 
 以上がシベリア出兵と尼港事件に関する顛末ですが、この事件は当時の日本国内においても衝撃と共に受け止められ、時の原敬政権が部隊を派遣しながらみすみす居留民を見殺しにしたと強く批判されています。また日本側はこの事件の報復としてその後しばらく北樺太を占領し続ける行動に出ています。
 という具合でいつものようにロシアは恐ろしあという結論で片づけたいところなのですが、そうは言いきれない点がこのシベリア出兵にはまだ隠されています。この記事だけでも非常にしんどかったですが、続きはまた次回にて頑張って書きます。我ながら、歴史学者でも文化部記者でもないのによくやるよ。

2014年11月13日木曜日

解散・総選挙予測の報道について

 また本題と関係ないところから始めますが、8月に書いた「大津の欠陥マンション訴訟について」という記事がこのところ私のブログで最もアクセス数が多くなっております。というのも何度かワイドショーに取り上げられていたようでちょうどその放送日と重なるようにグンとアクセスが跳ね上がっているのですが、あまりにもアクセス稼ぐもんだからなんかいたたまれない気分になり、この訴訟の当事者である住宅販売会社の大覚さんに、「こういう記事書いてアクセス稼がせてもらっています。ありがとう、でもって拙い文章でごめんね(^_^;)」っていうメールを送ったらすぐ、「応援ありがとうございます。アップ直後から見ています(*^^)」という返事をもら、「え、見られてたの(;゜Д゜)」という具合で急に焦りを覚えました。なんかますます申し訳ないので、この記事読んでる人はこういう訴訟が起きてると言って大覚さんのサイトを他の人も紹介してあげてください。
 
 話は本題に入りますが、皆さんも知っての通りだと思いますが年内にも安倍首相は議会を解散し、総選挙を実施するのではないかとの報道が出ております。この報道を最初に目にした時は人気を二年も残しておいて、なおかつ現在与党自民党は議会で多数の議席を保有しているのだから打って出るわけないだろうと思って信じませんでしたが(確か初報は毎日新聞だったような)、その後も複数のメディアに跨って続報がどんどんと出ており、特に地方の選挙区が急に候補者選びなどで慌ただしくなったというのはどうやら事実そうであることから決して根拠のない報道ではなかったようです。実際に安倍首相が決断するかしないかはまだわかりませんが、少なくとも解散を執行部が検討しているというのは間違いない事実でしょう。
 なおこの解散予測報道についていくつかのメディアは予測が正しい根拠や解散に打って出る理由をいろいろ挙げており、中には飯島勲内閣官房参与がそれとなく匂わしていると書いたメディアもありましたが、私個人は飯島氏の資質といい人格といいあまり信用していないのでこれは全く参考になりませんでした。ただもしこの噂が間違っているなら、今のところ最も高く評価している菅官房長官が何かしらコメントするよなと思うと真実味があるように感じます。
 
 では一体何故このタイミングで安倍政権は解散に打って出るのか。理由はいくつか取り沙汰されていますが消費税の再増税が最大の理由であることに間違いないでしょう。当初は来年10月にも消費税を10%まで引き上げる予定でしたが足元の景気は念願の円安を達成しておきながらも改善する目途が立っておらず、株価は上昇し続けているものの実体経済や個人消費は苦しい状態が続いております。この時期にさらなる引き上げを行えば止めの一撃になりかねないと批判する声も多く、少なくとも引き上げ時期の延期くらいはやらないとまずいのではないかと与党内からも声が上がっていると聞きます。中国にいながら我ながらよく言うよ。
 
 私としては海外の投資家は既に消費税の再増税に伴うインフレを見越して金融取引を行っており、ここでスケジュールを弄れば投資家から失望を買うだけでなく解消しつつあるデフレに逆行しかねないとして延期はすべきでないという立場を取っております。しかし実体経済が芳しくない、当初の想定以上に悪くなりつつあることは理解しており、何故そうなっているのかという理由については消費税の引き上げ以上に政府が何の成長戦略も描けていない、いわば安倍政権の不手際にあると考えております。とはいえ足元の状況が悪いことは事実で、来年十月に再引き上げをしたらググッと景気が悪化するという予測に関してはさもありなんでしょう。
 
 与党としてもこの辺の事情が分かっているだろうし、どうせ再増税で印象悪くなった後で選挙やるくらいならこの際先手に出ようと考えたのかもしれません。もしくは選挙前に引き上げ時期の延期を公約に掲げ、民意を盾にして各方面の了解を得ようという作戦かもしれません。確かにこういう理屈であれば野党は何の準備もしてないので奇襲となってそこそこ議席も確保できるんだし、年内に総選挙をやる価値はあるでしょう。
 
 私の意見としてはやるならやるで構わないしこのやり方が卑怯だとも何とも思いませんが、小渕前大臣を始めとして無能な政治家はこの際切った方が良いよと老婆心的に思います。むしろ次の選挙で小渕前大臣を公認しないと言ったら安倍政権の支持も上がるんじゃないかな。
 野党に関して述べるとまぁ見事なくらいに今ぐちゃぐちゃな状態で、維新の会も軋轢を増している最中ですから今選挙やったらとんでもない結果になるのが目に見えています。民主党なんか下手したら分裂するんじゃないかな、これを機に。

2014年11月12日水曜日

日中で異なる老人のライン

 たまに上司と一緒にバスに乗って自宅近くまで帰ってくるのですが、今年御年59歳の上司と一緒にバスに乗るとほぼ確実に座席にいる誰かが上司に席を譲り、その度に上司も、「俺ってもうそんな年なのかなぁ」と言ってきます。ってか今日言ってきました。こっちにイタコとのある人ならわかるでしょうが中国ではバスや地下鉄で老人や妊婦に対して日本なんかとは段違いなくらいにみんな率先して席を譲る傾向があり、自分も知らぬ顔して席座っていること出来ないから必要とあれば席を譲っております。
 
 こうした席を譲る文化に関しては程度の差はあれ日中で共通していて中国の方がやや強いと言えるのですが、果たして上司は日本で電車に乗ってて席を譲られるのかなと今日ふと疑問に思いました。うちの上司は年こそそこそこいってますが足腰はしっかりしてるし中国来て激痩せしたことから持病の腰痛もなくなり、今のところは日々のストレスからか酒量が増えていることを除けば見るからに健康体です。しかし中国だと周囲から明らかに「席を譲られるべき老人」と見られるのに対し、日本人らしくないけど一応日本人である私の目からすると、「席を譲るとかえって気にするくらいの年齢じゃないのかな」と、もし電車の中でカチあっても席を譲るべきかややためらうべき外見をしています。
 
 何が言いたいのか端的に言うと、老人と認識するラインが日中で明らかに異なっていると言いたいわけです。日本は統計ごまかすために65歳以上を高齢者としていますがほかの国は普通60歳以上です。無論これは法律上の定義であって社会上の観念ではございませんが、社会上の観念でも日本人は相手を社会的弱者である老人と見るラインが中国よりは高くなっている気がします。
 確か三年前くらいのサラリーマン川柳で、定年後に故郷に戻って地元の青年会入ったら60歳なのに若手(最年少)と扱われることを謳う川柳が入ってましたが、これが端的日本人の見方を表しているでしょう。私個人の見方で言っても60歳前後であればまだまだ現役と見られる年齢で、70歳を越えた当たりからもうそろそろ老人、80歳を越えたら本人が同言おうと老人として扱われる気がします。
 
 では中国ではどんなもんか。私の観点で言えば55歳を越えた当たりが老人として区分されるラインだと思います。根拠としては日々の実感と、企業で社長職を努める人間が中国だと40代がメインで50歳を越えると引退とか考える年齢だからです。今の日本では40代の社長であれば若手経営者と呼ばれ、50代の社長でも少なく60歳を越えた人が経営者として一番多い層ではないかと思います。この点一つとっても日本が中国と比べて老人ばかりってのがなんとなく見えてくるのではないでしょうか。
 言うまでもないことですが日本は65歳以上が既に人口の四分の一を越えてて、世界基準の60歳以上だと三分の一くらいいっていた気がします。それくらい老人が多いのだから60歳くらいでへこたれてちゃ社会が成り立たないってのはまだ理解できるものの、日中間の経営者の平均年齢の差はあながち環視できない事態だと私は考えてます。上記の例は社長だけですが責任を持つ管理職の人間も同じくらい平均年齢に差があると思えるし、まぁあとは言わずもがなかな。
 
 かつては人生50年と織田信長は言ってましたが定年が60歳となり今度70歳まで引き上げようかと言われる時代にこういうことを議論するのも野暮な気がしますが、単純に若い人間が多い中国はそれだけで自分からしたら羨ましく見えます。もっともこの点に一番着目しているのはうちの上司とたまたま同い年したうちの親父で、中国に来るたびに街中を若者が多く歩いているという事実を取り上げ嘆息してます。年寄りの視点もたまには聞く価値があるもんだ。
 
  おまけ
 かなり昔にテレビで見ましたが、どっかの町工場で凄い技術を持っていることから定年を過ぎても働き続けているおじいさんがいて、番組が放送された時点で90歳を越えていながら毎日定時出勤してました。しかもその人の息子も60歳を越えており、父よりも先に息子が定年退職するというわけわからない状態になってて、日本は老人を働かせ過ぎではとなんか見ていて妙な気分にさせられました。

2014年11月10日月曜日

日本人で過剰礼賛するテレビ番組

 昨日何故かこのブログの最新コメントを表示するフィード欄がおかしくなったので、HTMLを再度組み直し(自動で組んでくれるサイト経由だが)ました。組み直すついでとして新たに誰がそのコメントを書いたのかAutor欄を表示するようにしましたが、なかなか気に入っています。
 
 そんなわけで本題ですが、先日友人からこのところ日本で放映されるテレビ番組でやたら「凄い日本人」みたいな特集が増えていると切り出してきました。なんかまたえらそうな書き方になってしまいますが、この友人が思ったことと同じことを私は去年の時点で感じていました。その時も記事に書こうかと思ったものの、今現在(昔から?)の私は日本、並びに日本人に対して並々ならぬ不信感を抱いているため、やや極端に受け取りすぎているのではないかと懸念したため記事化は見送りました。しかし今回話をした友人だけでなく、ネット上でもこうした日本や日本人を過剰に礼賛する番組が多くてうんざりするといった声も散見するようになってきており、一般的な感覚になっているのかと思えてきたので強行して書くことにしました。
 
 まず結論から述べると、簡単に視聴率が取れるからこうした過剰礼賛する特集が増えているのでしょう。ただ友人が話したことですが、従軍慰安婦問題の様に自虐史観から一気に逆ベクトルに振れ過ぎではないかという意見はもっともであり、なおかつ私が見たことのあるこの手の番組は明らかにバランスが偏っていると感じるものが多く、やはりおかしいのではないかという声を上げるべきな気がします。
 具体的にどの点でバランスが偏っているのかというとこれは単純明快で、わざわざ「日本人」としてPRする必要のない人まで「凄い日本人」みたいに取り上げていることが多い点です。確かにこれらの番組で取り上げられる人たちは個人としてみたら立派な特技や知識、実績を持っているのですが、だったら「凄い人」と言えばいいだけなのに何故か「世界に誇れる日本人」みたいな形で番組では紹介されることが多く、その人個人を持ち上げるというよりは日本全体を持ち上げるかのような論調がはっきり言って気に食わないです。恐らく私以外に不満を感じている他の人もこの点について違和感を覚えているんじゃないかという気がします。
 
 あらかじめ申しておくと、立派な功績や特殊な生い立ちを持っている人たちを取り上げるという番組は私は嫌いではありません。しかし近年のこの手の番組はなんか中途半端な人間が出てくることも少なくなく、始めから知名度も高い人もいたりするのでだったらもっと市井に埋もれた人を発掘してきたらどうかなんていう風にも感じます。やや古いですが、NHKの「プロジェクトX」という番組では取り上げるのは基本的に大企業でしたが、その企業の中にいる末端の人間の葛藤を数多く描いてきたから世間にも評価されたように思えます。無駄に「凄い日本」みたいないやらしいアピールもなかったし。
 
 ここでひとつ疑問点を上げますが、なら何故民放どもはやたらに日本アピールを急に行うようになったのでしょうか。この答えの一つは既に述べているようにそれで視聴率が得られるからだと見られ、それは言うなれば私の様に違和感を覚える人間もいる一方で嬉々としてみる人間も一定数存在する、というよりは増えているということでしょう。自分の国が嫌いであるよりは好きな人間が多い方が良いというのはそりゃそうですが、このところの日本は明らかに産業レベルで他の国に追いつかれ始めているにもかかわらず、「日本は技術じゃ負けていない、売り方が悪いだけだ」という苦しい言い訳を展開するなど、実力差をわきまえずに他国を見下す風潮がやや出てきているように見えるためあながち笑っては聞いていられません。自動車に関しても、中国メーカーや韓国メーカーには負けていないとみんな言いますがドイツなど欧州メーカーと比較する話をする人間はほとんど見られず、この手の情報は「ベストカー」という雑誌に頼りきりです。
 ってかなんでカー雑誌に佐藤優氏はまたインテリジェンス講座という連載持ってるんだろうか。インテリジェンスとかあまりにも関係ねぇ……。
 
 自分は従軍慰安婦問題華やかなりし2000年前後の頃は日本を持ち上げようとする意見に対して何も違和感を感じませんでしたが、現状のこの手の番組が氾濫する状況においては「偏狭なナショナリズム」をやや感じます。だからと言って日本はもっと自己批判すべきだとまで言うつもりはありませんが(産業界には言いたい)、凄い個人を取り上げるに当たって無駄に日本人だと強調するのはやめるべきだと思います。個人は個人であって日本人という集合体の一部ではありません。まぁ自分はそっからはじかれた口なので言ってて説得力ありませんが。

2014年11月9日日曜日

何よりも重みのある現場の声

 先日に友人が、「この記事どう?」って下記リンク先の記事について私に意見を求めてきました。
 
 
 リンク先の記事では上海市のはずれにある、西洋風の建築物が密集したところがゴーストタウンになっている状態を紹介し、中国の不動産バブルとも言う現象が見られるがその一方で市民のニーズにあった店舗や物件はそこそこ人気もあれば繁盛しており、ニーズさえ間違えなければまだまだ盛り上がれるという内容が書かれてあります。
 そんなこの記事を読んで私が友人に最初に言った一言は、「この中で紹介されている西洋風の建築物が集まったゴーストタウンだが、俺はここに四年前に足を踏み入れてるよ」というものでした。というのも私は2010年に友人と一緒にこのゴーストタウンへ行ったことがあり、そこでは当時からも人や店舗は一切入っていないながらも風景はいいことから今と同じように結婚式の写真撮影などが行われてて、ぶっちゃけ四年前と何にも変わってないねとこの記事読んで思いました。その上で四年前の時点で存在していた、つまり建築自体はそれより前の不動産物件を取り上げて「不動産バブルの崩壊が懸念される上海の現状はこうだ」と言われても、一年や二年前にできた物件ならまだしもいくら何でも無理があるんじゃないかと思ったわけです。第一、ニーズが合えば売れるなんて言うのは当たり前以外の何でもなくわざわざ記事にする必要もなければ、じゃあ今の上海でどんなニーズがあるのかそこまで具体的に書かないと前の職場だったら書いた人間は怒鳴られてたと思います。マジで。
 
 と、厳しめの批評を書きましたが、この記事を書いた人を私はこれまで知らなかったのですがどうやら金融系の小説を書いている作家の方で中国に常住しているわけではないようです。恐らくこの記事も上海を短期で訪れてその感想として書いた記事だと思われ、そういう立場であればこの記事で書かれているような意見を持たれるのも不思議じゃありません。ただ以前から上海をよく訪れたり常住している人間からしていると恐らく私みたいに「だから何?」っていう感想しか出てこず、無理して書くくらいならこういう現場にいる人間の話をあらかじめ一回くらい聞いておいてみるのも悪くはなかったのではと思います。
 私が上記のような意見を言えるのもそこそこの期間を上海で過ごしておりなおかつ写真に写るゴーストタウンの現場を知っていたことに尽きます。私のような不動産、金融の素人ですら現場を知っていれば上記のような意見を言えるのですがこれはほかの分野にも同じであって、どれだけ鋭い洞察力や深い知見を持っている人間であっても、現場の事情に関しては現場にいる人間には絶対敵わないだろうと私は考えています。
 
 一気に話が転回しますが上記のような価値観を持つに至った一つのきっかけとして、大学時代に取っていたロシア語の講師(女性)の話があります。その講師は旧ソ連時代に留学もしたことある人だったのですが1991年にゴルバチョフ大統領が腹心に監禁されるクーデター(ソ連八月クーデター)が起きた際、バイトで出入りしてていた大手新聞社に言われて手当たり次第にモスクワにいる知り合いに電話をかけて現場の状況を伝えていたそうです。その電話をかける合間にふとその講師は周りの新聞社社員に対し、「あのー、この事件って多分三日くらいで終わると思いますよ」と伝えたところ、「そんなわけないだろ、何を言ってるんだこの小娘は?」というような呆れて侮るような顔をされたと話していました。しかし実際、リアルに三日でこのクーデターは終わりました。
 この時のことについてその講師は、「電話でモスクワにいる人に話を聞いている感じだと誰も緊迫感を持っておらず、普段通りでなんか怒ってるねみたいな感じだったから」と話していました。一見すると超大国の大統領が突然監禁されて連絡が取れない事態なのだから大事の様に思えますが、モスクワにいる人間、そしてモスクワにいた人間の肌間隔の方が事態の展望予想について正しかったわけです。
 
 このように、変に国際事情に詳しくなくても現場を知っている人間の方が情勢予測の点では案外正しい目を持っていることが多いように思えます。私も前職で一時期香港に渡りましたが、やっぱり現地で経済記事を書くというのはどれだけ産業に関する知識を持っていようが、どれだけ文章を上手く書く技術を持っていようが、記事を書く現場にどれだけ長く滞在して現地事情を理解しているかがモノを言います。この点は日本の大手メディアに対して特に強く言いたいことなのですが、最近はどこも地方支局を減らして大事件が起こるたびに東京から記者を応援に派遣して取材することが多いものの、こういうやり方では取材がどうしても薄くなりがちで長期的な視点だとやはりマイナスだと思います。
 
 ここでまた話が一回転しますが、よく経済紙などで現場の声は大事だという言葉が出てきますが、これについては私も同感です。しかし心の狭い日本人がボトムアップの声を掬い取れるかと言ったら私は甚だ疑問で、先程のロシア語の講師の話に限らず知識はないけど現場にいた人間の声をきちんと汲み取るという例は日本だと少ない気がします。
 もっともこれは自分に対しても言え、よく偉そうに知った振りしてあれこれいろんな分野において批評をしていますがその現場にいる人間から見たら見当違いなことを言っているのかもしれないという懸念は常に持っております。その上で大事にしていることとして、現場にいる人間が自分の意見に同意すれば自信を持って書き、逆に違うと言われたらなるべく現場の生の声をそのまま文字に起こした上で自分の意見を書くようにしております。
 
 最後にもう一度日本のメディア記者に向かって言いますが、自分が何でも知っている、理解できるなんて勘違いも甚だしいです。取材の基本は現場の声をきちんと汲み取り読者にわかりやすく伝えることにつき、変に自分の視点を他人の言葉の様にして入れるなんて間違い以外の何物でもないでしょう。
 
  おまけ
 昔にも書いていると思いますが、この記事に出てくるロシア語講師の授業である日学生が、「せんせー、昨日徹夜でカラオケ行ったから喉痛い。のど飴持ってない?」と言ったら、「あんた大阪のおばちゃんがみんな飴ちゃん持ってるとでも思ってんの?まぁ持ってるんだけど」といってすかさずのど飴出したのを見て、「大阪のおばちゃんってすげぇな(;゜Д゜)」って思いました。