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2015年6月4日木曜日

地方紙が減ると現職が受かる?

 先日、私がこのブログで悉く毎日の記者をこき下ろす記事を読んだのか、「毎日の記者でもこんないい本書いてるぞ」と言って、友人がある本を紹介してきました。どうでもいいですがその友人は冷凍庫にいつも冷凍たこ焼きを常備しています。



 上記の本は毎日新聞の米国支局などで働いていた方が日本以上に経営が大きく傾いている米国の新聞業界について丹念な取材をした上、現状と今後の展望についてまとめられた本です。一言で言って非常によく整った内容で、米国のジャーナリズムが今どんな状態にあるのか、またインターネットの普及によってかつてと比べて圧倒的に経営環境が悪化する中でジャーナリストたちはどのように時代へ対応しようとするのかがしっかり書かれてあり、毎日にもこんないい記者がいたのかと唸らせられました。
 この本についてつきっきりで解説してもいいのですが、今回は敢えてこの本に書かれていて私が特に注目した点について紹介しようと思います。それはどんな点かというと、地方新聞が減少するにつれて地方議会選挙で現職議員が有利になるという米国の調査結果です。

 最初にまずアメリカの新聞業界の現状について少しだけ触れますが、端的に言えばインターネットの普及に伴う新聞離れが日本の状況なんかよりもずっと深刻で、特にリーマンショックのあった2008年以降は全米で新聞社の経営が一気に傾き、新聞社で働く記者の五分の一が退職する羽目となっております。
 こうした中、米国の新聞各社はこぞって、「何故市民は新聞を読まないのか」という理由を調査し、その上でネットとどのように連動して購読料を得るのかを必死で模索したり、安価で質の良い報道をどう行うか、他社とどのように連携すればベストなのかと様々な取り組みを行っています。日本でもこういう動きが全くないわけではありませんが米国と比べるとやはり鈍く、というのも日本の場合は新聞配達システムが異常なまでに完備されているため米国ほど新聞離れが急激ではなかったという事情が作用しています。

 そのように米国の新聞業界、というよりメディア業界は激しく揺れ動いている最中なのですが、先ほどの新聞離れの原因を探る調査の中で一つ面白い結果が出ており、それが地方紙が減ることによって地方議会選挙で現職議員が有利になるという調査結果です。
 米国は日本と比べると、というより日本の新聞業界だけが世界的にも珍しく朝日や読売といった全国紙のシェアが極端に高い国なのですが、米国にもワシントンポストなど全国紙はあるもののどちらかと言えば州や都市ごとに発行される地方紙を購読する層の方が多いです。ただ地方新聞社は全国紙の新聞社と比べると経営体力は弱く、リーマンショック以降は経費節約のため取材範囲を狭めたり、下手したら倒産するケースが増えており、発行される地方新聞の種類は減少傾向にあるそうです。

 そうした中で起きている変化というのが、先ほどの地方議会の選挙結果です。一体何故地方新聞が減ることで選挙に影響が出るのかというと、地元の選挙について各立候補者の主張にまで掘り下げた取材をして報じる記事が減るからです。
 地方紙がメインに扱うトピックは言うまでもなく地元のローカルニュースです。逆に全国紙は日本の全国紙よろしく、大都市ならともかく小さい地方自治体の議会選挙なんて細かく報じることはないでしょう。なので各立候補者の政治信条や政策案などを細かく報じる地方紙が減少すると有権者たちは地元の選挙戦の情報が得られないためか、自然と「前もやっていたんだし」とばかりに現職への投票行動を強め、新人議員が出辛くなっていくというのが今、米国で起こっているそうです。

 この話を見てパッと思いついた言葉は、「日本は何年前からだ」という一言でした。日本にも地方紙はもちろんありますが米国ほど流通量は多くなく、大半の日本人が読むのは全国紙です。地方議会選挙について関心を持つ市民は大都市を除くと傍目から言ってそれほど多くないし、また地方紙を除くと立候補者についていちいち報じるメディアは皆無と言っていいでしょう。
 日本はただでさえ地方紙を読む層が多くない上に、近年は地方新聞社の経営悪化によって取材の範囲も狭まっているとよく聞きます。つまり何が言いたいのかというと、日本の地方議会の混乱や腐敗は地方紙の衰退が大きく作用しているのではと言いたいわけです。

 日本の地方議会の混乱に関しては昔から何度もこのブログで私も狂犬のように吠えてきましたが、去年の号泣議員みたいなカス議員の話は枚挙に暇がなく、なんでこんなのが受かるのかっていうとメディアの監視が機能せず世間もほとんど関心を持たないということに尽きるでしょう。そして一番監視を行うべき立場にある地方紙がこのところ元気がなく、米国の様に現職ばかり受かって新人地方議員が生まれてこないという悪循環が以前から続いているのではないかと私は考えます。

 私は以前から日本の政治の混乱は政治家が育たない土壌に原因があり、それは国会というよりも政治経験を鍛えることのできる地方議会がきちんと機能していないせいだと分析してきました。今もこの考えは変わっていないのですが、地方議会の問題点や、逆に有望な新人をきちんと報じて有権者に伝えられるメディアがいないというのが案外、根本的な原因ではないかと思えてきました。
 ではこれからの日本のために地方紙にはもっと頑張ってもらうしかないかと言えば、ちょっとこれには私は「うーん」と言ってしまいます。なんでかっていうと日本の地方紙最大手の「中日新聞」は逆恨みもありますが大嫌いだし、ほかにも具体名は挙げませんが大きい地方新聞社は大概にしろよと言いたくなるほど偏向的な報道が見られます。田中康夫の時は酷かったし。
 一番期待したいのは米国流ですがNPOで、地方議会の現状は選挙において有権者へ適切に情報を送るような組織が育ってもらいたいというのが一番の希望です。私自身がそういうNPO作りたかったのもありますが、さすがにもうこれ以上は運命に翻弄されたくないしなぁ。

2015年6月3日水曜日

ジョジョに見る美しい日本語

 先日、私は「負のオーラ」という記事で鬱憤なりフラストレーションがたまった状態の方が良い記事が書きやすいと紹介しました。言ってしまえば憎悪を剥き出しにして何かを批判する記事を書くとそれなりに文章も締まってメッセージ性も高まるのですが、これらは言うまでもなく負の感情がこもった文章です。
 ただこれの逆、つまり何かを誉めたり賞賛したりする正の感情を文章にするというのは案外難しかったりします。文章で何かを誉めようとすると有体な表現というか見慣れた表現の連発になりやすく、またそうした表現は繰り返せば繰り返すほど安っぽく見えてきます。なお余談ですが、京都人が誉め言葉を使う際は本当に誉めて言っていることより皮肉で言っていることの方が多いです。

 なんで本当に心の底から賞賛したいという気持ちがあっても、それを文章で表現するとなるとそれは至難の業です。賞賛に限らず感謝や激励といった正の感情を文章にぶつけようと思ってもなかなかぶつけきれず、これまで私もそこそこの時間を文筆に捧げてきましたが「これだ」と納得できる表現に仕立て上げられた覚えは負の感情とは違い一度もありません。逆に負の感情だったら「どうや!」って言える表現はいくらでも作ってきた覚えはありますが。
 なおまた話が横道それますが正の感情の中で一番頻出なのは恋愛系の感情で、J-POPの歌詞なんかは逆にこれしかないのと言いたくなるくらい溢れてます。しかしどの恋愛ソングも私の胸を打つ表現はなく、「てめーらの感情なんてこの程度か」とやけに上から目線で物言ってます。

 話は戻しますが、そういう正の感情が込められた文章として一番私の胸を打った作品は何かというと、変な話ですが人気漫画の「ジョジョの奇妙な冒険」でした。この漫画はセリフ回しが独特で名言も数多く生み出されていますが、それらの名言とされる表現はどっちかっていうと激しいものが多く、具体的には、「このド低能がぁー!」、「かかったなアホが!」などばかりですが、こうした暴言に紛れて実にきれいな日本語表現がたまに入ってきます。
 それらのきれいな表現はそれまでのストーリーがあるからこそ映えるというのもありますが、第七部「スティール・ボール・ラン」の後半で主人公のジョニィ・ジョースターがそれまで一緒に旅して苦楽を共にしてきたジャイロ・ツェペリに向けて言った下記の言葉が、本当に私の胸を打ちました。

「ありがとう…ありがとうジャイロ。本当に…本当に…『ありがとう』…それしか言う言葉がみつからない…」(22巻より)

 恥ずかしい話ですがこの表現を見る度に私はリアルに涙を流します(ノД`)
 必要以上に言葉は重ねず、友へ向ける感謝の気持ちを「ありがとう」としか言えないとするこの表現は私が知る限り最も感情が込められている表現のように思え、もし仮に使う機会があったらどっかで使おうと密かに画策しているくらい気に入っています。

 同じくこの第七部では本編とは別にインターミッション的な回想シーンがあるのですが、そこでの文章も際立って美しい表現が成されています。ここで簡単にこの第七部のあらすじを説明しますが、主人公たちは騎馬でのアメリカ横断レースに参加しているのですがそのレースの過程で「聖人の遺体」を奪い合うこととなり、暗殺者たちに狙われながらレースというか旅を続けるという話です。
 そのインターミッションは旅の途中、主人公が独白するような形で語られます。ちょっと長いですが引用すると、


馬が入れる木の下や岩陰を見つけたら
とにかくその場所に防虫対策の簡易ベッドを作って ひたすら寝た
馬は立って眠る
陽が傾きかけたら再出発で 月明りがあれば夜進み
闇夜なら 馬が岩や毒トゲで負傷するリスクをさけ 即刻キャンプの決断をする
ぼくらの馬は水を4日間飲まなくても大丈夫だった

夜のキャンプ時もそれなりに忙しい
馬の毛並みのブラッシングをみっちり数時間してやる
筋肉マッサージの意味もあるが 防虫や病気の危険回避のためだ

進行中 道幅の視界が狭くなり
仮に道端に朽ちた木の十字架が何基かあったら要注意だ
過去に山賊が旅人を虐殺したか それに近い事故が起こった場所の可能性が高い
襲撃に適した「地形」という事だ
敵はいないかもしれないが まわり道するか
または覚悟を決めて 戦闘態勢をとってそこを通り抜けるしかない

でも レース中もっとも神経と体力を使うのは「河」を渡る時だ
それが大きい河だろうと 小さい河だろうと
水に入ると360°無防備状態になるし ブヨや蚊の大群はいるし
もし水の中を泳いでいるマムシに馬が噛まれでもしたら その時点でアウトだからだ

ここまでの旅 いったい何本の「河」をぼくらは渡って来たのだろう……
そしてあといくつの「河」を渡るのだろう……

ジャイロの淹れるイタリアン・コーヒーは こんな旅において格別の楽しみだ
コールタールみたいにまっ黒でドロドロで 同じ量の砂糖を入れて飲む
これをダブルで飲むといままでの疲れが全部吹っ飛んで
驚くほどの元気が体の芯からわいてくる
信じられないくらいいい香りで もっともっと旅を続けようって幸せな気分になる
まさに大地の恵みだ
ジャイロはたまにこれをヴァルキリー(馬)たちにぬるーくして飲ましている
(14巻より、サイト「族長の初夏」さんの「荒木飛呂彦の文体」という記事を参照しました)


 紀行文のような文章ですが、読んでいて旅の様子が目に浮かぶようであり、また主人公二人の本筋には出てこない交流も書かれるなど、一読して凄い衝撃を受けた文章でした。正直に述べると、これほどきれいな文章を自分には書ける自信がありません。

 「ジョジョの奇妙な冒険」の作者である荒木飛呂彦氏は漫画家としても一流ですが、こうした場面場面の言葉の表現においても地味にすごい才能の持ち主のように見えます。ジョジョというと激しい表現ばかり注目されがちですが、こうしたきれいな表現ももっと注目されてもいいのではないかと思えます。

2015年6月1日月曜日

派遣雇用の望ましい形

 このブログ開設当初はたくさんあった政策話をこのところほとんどしていないのと、ここらでまたすこしテコ入れしとかないともう次はないと思うので、また派遣雇用について私が「こうあるべきだ」と思う形について説明します。
 結論から述べると、私は日本の雇用形態は現在の正社員を中心として考える法体系から派遣雇用を中心とした形態に変えていくべきで、言ってしまえば派遣雇用をもっと促進するべきだという立場を取ります。ただそれは派遣雇用がきちんとしたルールの上で運用されることを前提としており、現状は罰則がないため折角の法律も機能しているとは思えず、また派遣企業の乱立振りも目に余るため業界再編を促すべきだとも考えております。

 私は今年の1月に改正派遣法によって各派遣企業に公開が義務付けられているマージン率がきちんとネット上で公開されているのか、またその平均値はどの程度なのかを調べ、下記の記事にてそのデータを公開しました。

人材派遣企業各社のマージン率一覧、及びその公開率

<マージン率は原則ネット上で公開するべし>
 記事の内容は執筆前から友人に太鼓判を押されていたのもありますが私としても絶対の自信を持っており、おかげさまで「マージン率」と検索かけたら大体どこもこの記事が一番上にヒットするようになり、コメント欄を見ても現役の派遣雇用の方々に見てもらっているようでそこそこの仕事をしたという自負があります。
 私が何故この記事を書こうと思ったのかというと前の記事でも書いてありますが、派遣雇用を考える上でいちばん基本となるデータというのがこのマージン率だと思え、このマージン率を叩き台にして現在の状況はどんなものか、派遣企業のピンハネは酷くないか、逆に良心的な派遣企業はどこなのかを探れるのではと考えました。しかし公開こそ法律で義務付けられているものの罰則がないためかネット上で正直に公開している企業は5分の1程度しかなく、これでは比較のしようがなく、派遣労働者、派遣を受ける会社双方にとってデメリットが大きいように見えます。
 繰り返しになりますがマージン率は派遣を考える上で一番重要なデータであり、公開義務を罰則をつけてでも徹底すべきだと考えます。

<同一賃金同一労働の徹底>
 企業が何故派遣労働者を必要とするのかといえば、それは間違いなく「いざとなった時に切り捨てられるため」ということに尽きるでしょう。好景気時には労働力が必要であっても不景気時にはその人員はコストにしかならないため、企業は派遣労働者を人件費の調整弁として使っているのが現状です。一部の政党なんかはこうした考え自体がおかしいとして派遣への批判を行っていますが、経営者の立場から見たらこのように考えるのは私からすれば当然で、そもそも正社員を解雇しづらい日本の現況を考えるとこうした派遣に活路を見出すしか方法がないという見方を持っております。
 ただしこれで腑に落ちないのは同じ仕事をしておきながら正社員と派遣労働者との間で手取り給与に差があることです。一般的には派遣労働者の方が収入が少なく、ボーナスも派遣だけ(現地採用もだが)出ないということもざらです。変なたとえを使うと派遣労働者というのはいざって時に弾除けとなって死んでもらう用員と言ってもよく、この事実を考えると同一賃金同一労働は当たり前どころかむしろ正社員よりも多く給与をもらってもいいんじゃないかとすら思います。
 もちろん企業は派遣労働者のみならず派遣企業にもお金を支払わなければなりませんが、その役割と立場を考えると正しく受け取るべき報酬が違うのではなんて、倫理的な価値観とずれてやしないかと思うわけです。

<派遣企業の再編推進>
 はっきり言って日本は派遣企業が異常に多すぎるような気がします。一般労働派遣ですら免許さえ取ればすぐに事業開始できるという間口の広さもさることながら現在の日本の派遣業界は乱立も激しすぎるのではないかと見ております。大手と呼ばれるような資本力の高い会社ですら両手の指じゃ足りないくらいありますし、中小零細となるとリストを見るだけでも嫌になるくらいで、何かしら法律で圧力かけるなり競争を促すなりして統廃合を促し、再編を進めるべきだと個人的に考えております。

2015年5月31日日曜日

千葉のマッドシティ~ラーメン屋「とみ田」

 先日に私は松戸市にある有名ラーメン屋さんとして、私の潜伏地近くにある「兎に角」というお店を紹介いたしました。ここの店先は常に行列が出来ていてさぞ有名なラーメン屋なのだろうと思い紹介したのですが、「『兎に角』も有名店だが、それ以上に『とみ田』のが有名だぞ」と、リアルマッドシティ市民の友人が何をかいわんやと言ってきました。
 誠に恥ずかしながらそれほどラーメン、というより食に対してそれほど興味を抱かない性分なため有名ラーメン店のチェックなどほとんどしたことがなく、この「とみ田」というお店についても全く知識を持っておりませんでした。そうした反省を兼ね、先日日本に一時帰国した際にこちらのお店をちょこっと訪問してきたので、一つこのブログでも紹介しようと思います。



 まず「とみ田」がどれだけ有名なお店なのかというと、飲食店ランキングサイトの「なんとかデータベース」のラーメンランキングの項目を見てみると、なんとこの「とみ田」はこの記事の執筆時点で堂々の2位に入っております。先日見た時は3位、ついさっき見た時は1位だったので小幅ながら順位に変動はあるものの、間違いなくランキング上位の常連とも言っていいお店で全国的にも有名なお店のようです。なお先日紹介した「兎に角」は37位に入っており、全国ランキングとことを考えるとこちらも相当な有名店でしょう。



 そうした下調べを経て、空いた時間に松戸駅からやや東南側にある「とみ田」の店先へ行ってみました。時間は昼過ぎの2時くらいで、なんでこの時間帯にしたのかというと訪問してラーメンを食べるつもりが全くなかったからです。なんでラーメン店の取材なのにラーメンを食べる気が全くなかったのかという、友人情報だとこの店はガチな有名店で常に行列が出来ていると聞いており、さすがに長時間並んでまで食べたいとまでは思わず、ひとまず写真だけ撮って記事書こうと考えていたからです。
 そう考えながら店についてみると、上の写真の様に実際には誰も並んでおりませんでした。一体何でやねんと思いつつ入り口前の看板を見てみると、どうもこの日は休業日で、自宅でも作れる麺とスープがセットのお土産品しか販売していませんでした。


 できればごっつい行列でも撮っておきたかったなと思いつつカメラを回していると店の中から店員が私に近づいてきました。「げっ、撮影で注意されるかな(;´Д`)」と思ってやや身構えたところ店員はこの日は休業であるとまず謝罪し、「もしよければ上記のお土産品など如何でしょうか( ^ω^ )」と話しかけてきました。偏見かもしれませんが有名ラーメン店の店員は横柄な人が多いように思っていただけに、この店員の親切な対応を変に感じ入ってしまって言われるがままお土産品の「つけそば」を購入することにしました。
 なおこの購入時に店員へいくつか質問をしたのですが、なんでも店長がお店にこれない日は原則的に休業となってお土産品の販売だけになるそうです。また普段はどれくらい行列が出来るのかと聞いたところ、「土日であれば3時間待ちということもありますね」と話しており、なんかいろいろと考えさせられました。


 そんなやり取りを経て買ってきたお土産の「つけそば」が上記写真です。右上のラップはトッピングのねぎで、他にはスープと麺がそれぞれ入っておりました。なおこの日はお昼に「日高屋」の味噌ラーメンを既にというか2時間前に食べていましたが、時間置くのが妙に嫌だったから結局潜伏地帰ってすぐ作って食べることにしました。なんでこう変にせっかちなんだろう。
 作り方は普通の即席麺と同じでスープを温めた後に麺をお湯でほぐし、それぞれお皿に盛って完成です。


 盛りつけ後の配膳が上記写真です。スープの中にはトッピングのねぎのほか、やや見え辛いですが分厚いチャーシューも入っております。あと左上にある時計は友人が置いているものですが、実際時間より5分ほど早く設定してあるのでちょいちょい鬱陶しいです。

 準備万端整えて試食してみたところ、一言で言えば「一線を画すラーメン」という感想を最初に覚えました。一番変わっているなと思ったのは麺で、写真でもわかる通り比較的太くうどんっぽい見た目をしているのでちゃんと中までほぐれているか心配でしたが、不思議なくらいに麺の中心までほぐれており、それでいて歯応えが全く失われていないくて何で作っているのか気になりました。
 スープことつけ汁は濃い目の味つけがされており、私の舌感覚で言えばおいしいかったです。ただスープの味に関しては人によって多少好みが分かれるかなと思え、やっぱり私が気になったのは麺の方でした。

 あまり大した試食レビューになっていませんがこれは私が本当に食に興味が薄い事に端を発するため、どうかご容赦ください。ただ「とみ田」のラーメンは即席麺になって一般小売店などにも手広く販売されているため、それでよければ手に取ることはそれほど難しくはありません。実際、ヨーカドーでも売ってたし。
 最後のまとめとして、本当に今の今まで知らなかったのですがマッドシティこと松戸と、隣接する柏市のエリアは有名ラーメン店の激戦地だとラーメン通の間で見られているそうです。そこそこ長く住んでたけど案外知らなかったもんだ。

2015年5月30日土曜日

どうすれば日本は二次大戦に参戦しなかったのか

 先日、大学の先輩からアニメ「シュタインズゲート」を見るようやけに猛プッシュされました。どうもGW中が暇だったのかこのアニメを全部見て気に入ったようだったようで、ひとまず付き合う形で自分はアニメの原作となったゲームからやると言って、日本に一時帰国した際に購入し、つい先ほどエンディングを見ました。
 このゲームはどんな内容かというと端的に言ってアドベンチャーゲームで、基本はシナリオを楽しむだけのゲームです。ではどんなシナリオかというと悲惨な結末を迎える未来を変えるために何度もタイムリープして過去に戻るといういわゆるタイムトラベル物です。話自体はよく出来ていてそこそこ骨のあるシナリオでしたが、敢えて苦言を呈すと主題歌がちょっと悪いなという気がします。

 ここで話は変わりますが、歴史議論において「もし○○だったら」という仮定の話がよく出てきます。小説なんかだと「歴史IF物」としてジャンルも固まっている程ですが、二次大戦に関するものだと「どうすれば日本は米国に勝てたか?」という視点でよく語られることが多いような気がします。
 しかし本当に検討すべきはそこではないのでは、具体的に言えばどうすれば日本はあの無謀な戦争に参戦しなかったという点こそ議論すべきではないかとふと思え、今日は仮に自分がタイムトラベラーとなるのであればどうすれば参戦を回避できたのかという視点でもって、当時の未来改変ポイントを探ってみようと思います。

ポイント1、東条英機がいなかったら
× 東条の代わりはいくらでもいた
 これは断言してもいいですが、開戦時の首相である東条英機は確かに熱心な開戦論者であったものの、彼以外の陸軍幹部らもほぼ全員が同じ思想を持っていました。そのため仮に東条が存在しない、もしくは開戦以前に暗殺されていたとしても、山田風太郎のいうように「東条の代わりはいくらでもいた」というのがオチだったでしょう。
 ただ開戦後であれば、東条がいない、または暗殺されていればもう少し早く終戦できた可能性はあるかと思えます。実際に暗殺しようとした人たちも多かったし。

ポイント2、満州事変が起こらなければ
× 満州事変以前から日米間で中国市場の権益競争は起こっている
 日本が本格的に帝国主義でもって侵略を開始する第一歩となった満州事変ですが、これ自体は関東軍の独断専行による陰謀で、少しテコ入れすれば阻止できた可能性は高いです。しかし仮に満州事変が起こっていなくても日米は日露戦争以降から中国市場の権益を巡って競争しており、遅かれ早かれ何らかの形で衝突が起こったのではないかと私は考えます。これと同様に、盧溝橋事件に伴う日中開戦が無くても同じでしょう。
 もし本気で中国権益において日米の衝突を避けようものなら、日露戦争直後に満鉄経営でハリマンの出資を受け入れることしかなかったかもしれません。っていか、この出資拒否こそが日米戦争の根源たる原因だったと私は思います。

ポイント3、ソ連と開戦していたら
× 漁夫の利を得るタイミングで米国は参戦してくると思える
 日米開戦以前、具体的には独ソ戦開始と共に日本が日ソ中立条約を破ってソ連と開戦していたらという仮定です。仮にこのタイミングで日本がソ連領内に進撃していたらさしものソ連もスターリングランド戦はおろかモスクワまでドイツに占領されていたと断言してもいいでしょう。ただこのような状況になればさすがに米国もドイツを叩かねばと腹をくくる可能性が高く、何らかの口実でもって連合国側として参戦してきたのではと私には思えます。でもってソ連もモスクワを奪われた後も結構しぶとく戦ってきそうですし、大戦の結果も大きく変わらなかったのではと思えます。

ポイント4、軍部の暴走を抑え政党政治が続いていれば
× むしろ政党議員の方が好戦的だった
 はっきり言ってこれは論外もいい所ですが、軍部が台頭せず政党政治が続いていたとしても日米戦は確実に起こっていたでしょう。というのも当時の政党は贈賄が横行するなど激しく腐敗していた上に、下手な軍人よりも外交において好戦的で米国にも勝てると信じ込んでいた議員が多かったと聞きます。結局、手をかけるのが軍人か議員かの違いだけになるでしょう。

ポイント5、日独伊三国軍事同盟を結んでいなければ
△ 断言こそできないものの回避できた可能性がある
 当時の外交で一番致命的だったと言えるのがまさにこの日独伊三国軍事同盟で、ファシズム国家のドイツ、イタリアと結んだことによって英国やフランス、米国との関係を日本は一気に悪化させています。仮にこの同盟が結ばれず米英との関係を多少なりとも維持できていれば国民感情も違ってたでしょうし、場合によっては欧州の大戦勃発を受けて軍需による経済恩恵を日本が得ることも出来たかと思えると、日米戦は回避できたのかもという期待はもてます。
 ただ日本の中国への侵略はこの時既に始まっており、米国にとっては日本のこの行動は許し難い物であったことに間違いありません。そのため回避できたかどうかに関しては半々ではないかというのが私の見方です。

ポイント6、日本がハル・ノートを受諾していれば
〇 開戦する理由が日米間でなくなる
 敢えて象徴的な意味合いを汲んでハル・ノートという言葉を使いましたが、要するに日米交渉が妥結していればという仮定です。通商や中国問題を巡って日米間で協議が持たれ、最終的にこの交渉が決裂というか日本が投げるに至って真珠湾奇襲が行われることとなりますが、仮にこの交渉が妥結していれば日米の通商も復活し、また欧州大戦の特需も受けられて日米開戦は回避できた可能性が高いのではと思います。
 だた妥結した場合、日本は侵略した中国の領土、及び仏領インドシナからすべて撤退せざるを得なかったのは間違いありません。これは当時の日本から見れば大きな損失で、そのような条件を呑んだ場合は書く量の一人や二人は確実に暴動や暗殺によって死ぬこととなったでしょう。しかしそれでも、日米戦によって失われた損失に比べればそれは本当に小さな小さな損失でしかなく、日清戦争後の三国干渉を受け入れる度量があの時の日本にあればとつくづく思えます。

 以上が私が考えられる、主だった未来改変に至る重要なポイントというか歴史の分岐点です。いろいろ意見はあるでしょうが日本がもう少し粘り強く米国と交渉していれば、大局を見て中国から撤退していればあの戦争は起きなかったのではというのが私の見方です。
 ただこれらとは別に、大きな歴史の分岐点がもう一つ存在しています。

ポイントX、ヒトラーがいなければ
◎ 日米戦どころか二次大戦も起こらなかった
 また山田風太郎からの引用ですが、「東条はいなくても戦争は起こったが、ヒトラーがいなければあの大戦は起こらなかった」というのは恐らくどの歴史家の間でも一致する意見ではないかと思います。それほどまでにヒトラー一人の歴史における影響力は桁違いに大きく、彼一人の存在の有無だけで当時いた数千万、下手すれば億単位の人間の生き死にが変わったことでしょう。ヒトラーの代わりはおらず、ヒトラーはヒトラーでしかなれなかったと考えるとまさしく魔人といってもいい人間といえ、あれほどまでに世界史に影響を与えた人物はほかにはチンギス・ハンくらいかもしれません。
 となると私がタイムトラベラーとなる場合、なるべく早い時期にヒトラー暗殺をもくろんで過去へと渡ることになりそうです。なんかターミネーターっぽくなるけど、そもそもドイツ語出来ないから行くの面倒くさいなぁ。

2015年5月29日金曜日

食品ブランドに見るジェンダー

 今日帰宅中に何故か、雪男と雪女はいるのに何で雪オカマはいないんだろう、ジェンダーフリーじゃねぇのかよちくしょうという考えがよぎり、カウンセリングでも受けた方がいいのではと自分で心配になってきました。

 ここで出てきたジェンダーですがつい先ほど友人と話をしていたら食べ物のジェンダーの話になり、具体的に言えばお米のブランド名はどうして女性名が多いのかというの疑問が持ち上がってきました。実際に私が日本でお米を買う際は山形県の「つや姫」、秋田県の「あきたこまち」を選ぶことが多いのですが、どちらも女性を表すブランド名となっております。なお「つや姫」は以前に山形県知事から猛プッシュされてから選ぶようになりました。

ブランド米一覧

 上記リンク先で主要なブランド米の名前が載っていますが、こちらの一覧を見ても「ふさおとめ」、「きぬむすめ」、「ひとめぼれ」など女性をイメージさせるような名前がやはり多いです。もっとも、熊本県の「くまさんの力」、「森のくまさん」など異彩を放つブランド名も散見されますが……。
 業界の慣習なのかどうなのかまではわかりませんが、少なくともこうして眺める限りだとお米のブランド名には女性をイメージさせる名前をつけることが多いようです。しかしここは敢えてジェンダーフリーの精神でもって、どっかしらで男臭さ満点のブランド名をつけるところがあってもいいんじゃないかと思え、ないなら俺たちで考えようと友人としばし提案し合いました。

 まず真っ先に出てきたのは九州産のお米に「九州男児」。九州に関連するものだったら「九州男児」って付けとけば大丈夫だろうという安直さです。同じ九州なら私の生まれ故郷である鹿児島であれば「西郷札」にならって「西郷米」もアリではないかとも思えます。こっちも鹿児島なら西郷さん付けとけばとりあえずOKだろうって感じです。
 歴史人物で名前を付けるとしたら、迫力ある名前としてはお米の産地でもある新潟県出身の山本五十六が使いやすそうに思え、ここからもじるなら「五十六米」というなんか読み間違えそうな感じの配列になってしまうので、そのなんま「五十六」でいいんじゃないかとも思えてきました。この案を提示した所友人からは、「それだとむしろ日本酒の名前になってないか」とツッコまれました。

 この友人のツッコミからさらに発展したのですが、お米とは逆に日本酒には男性をイメージする商品名が付けられることが多いように思えます。いちいち名前までは挙げませんが地名を絡めるパターンが多いのですが「鶴」とか「鷹」って文字が加わる当たり、そこはかとなく男臭い加齢臭を感じる名前です。購買層が男性メインということからこれはこれで自然でしょうが、もうちょっと女の子らしい名前もあっていいように思えます。
 じゃあつけるとしたら何か、有名な女性名をつけるとしたら何かと話しになって真っ先に出てきたのは、「清酒 小保方 アルコール度数30%ありまぁす」だった当たり、あまり真剣ではなかったのでしょう。その延長で友人からは「佐村河内」という名称が挙げられ、ラベルにはもちろん「私が作りました」というメッセージをつけようということで一致しました。

 久々にふざけ切った記事内容ですが、要するに食べ物のブランド名にはそこはかとなくジェンダーイメージが固定されているということが言いたかっただけです。アメリカの台風は女性のヒステリーな性格と絡めて以前は女性名を付けることが慣習でしたが、ジェンダーフリーな世の中なんだし誰も想像できないような斬新なブランド名もあっていいかと思え、こうしたジェンダーの壁を越える思想実験もたまには悪くないと思えました。

2015年5月28日木曜日

千葉のマッドシティ~創学舎

 昨日の記事の流れというべきか、今日は大学受験時に私が通っていた「創学舎」という予備校について紹介します。

創学舎ホームページ

 この創学舎というのは松戸市や柏市などの地域に教室を置く、言ってしまえば地方予備校です。今は恐らく柏教室で行っていると聞きますが、以前は高校生向けの授業は新松戸教室で行われており、私もこの新松戸教室に大学受験時は通っておりました。
 そもそも何故この創学舎に入ったのかというと、高校に進学して親から予備校は入れ、ここなら近くて比較的安いと言われたので言われるがままに入りました。自転車で通える範囲内だったし。

 講義科目は高校生向けに限れば高一と高二は英数の二教科、高三からはこれに現代文、古典、漢文、日本史、物理、化学、小論文が加わってきますが、私の時代もこれと同じでした。私は高一から入学して最初は英数、でもって高三からはたしか国語系科目と日本史、それと小論文を取っていた気がします。
 授業はここもお手製のテキスト、っていうかコピー機で印刷したものを無理やり閉じた手作り感溢れるテキストが使用されてましたが、テキスト内容は今思い返してもよく整理されていた内容で、大学に進学した後も英語なんかは折に触れて読み返したくらいです。また市販されている受験参考書についてもどれを使うべきか講師に相談すると熱心に教えてくれて、その参考書でわからない点があるとこちらもすぐ相談に乗ってくれました。

 私個人の主観で述べると、地方予備校とはいえなかなかしっかりした指導体制で、こと受験に臨むに当たっては信頼が置けるいい予備校だと思います。どの講師も毎年有名大学の受験問題を研究しており、また癖があるというかかなりキャラが濃い面々ですが、一人一人の生徒に対して非常に熱心に受験指導や相談に乗ってくれて、むしろここまで肩入れすると精神的に疲れないのかと逆に心配になるくらいの熱意でした。
 私もご多分に漏れず色々指導してもらい、特に京都の大学に通いたいと相談した所、「お前の場合は確かに一回家を出た方が良いかもな」と背中を押してくれて、決断に当たって大きな要因にもなりました。

 で、そんな創学舎ですが、多分私の本名を言えば何人かの講師は確実に私のことを覚えていることでしょう。別に目立つ気は全くなかったのですが、生来の性分というか何もしなくてもやたら目立つ傾向があり、通っていた頃はこの予備校でもかなり有名人になっていたと思います。
 具体的にどんなことをやらかしていたのかというと、授業中になんかのきっかけでプライベートの趣味はそれぞれなんだという話になり、「小説を書くこと」と自分が話したらじゃあその小説持ってきてと言われ、翌週の授業にでっかいケースの中びっしり原稿用紙積めて持って行ったら、しばらく講師の間で私の小説なりエッセイが回し読みされたそうです。なお読んだ講師の感想はというと、「どことなく坂口安吾のような雰囲気が感じられる」だそうです。多分斜に構えた態度だったからだろうな。

 こうした小説の話だけでなくてもどうも普段の授業態度や行動が目に留まっていたらしく、ある日ある講師から、「ついさっきも職員室でお前のことが話題になっていた」と言われ、どんな内容だったのかと聞いたところ、「あいつは頭がいい、でもノートに何も書かないっていう点で一致した」と言われました。
 これも私の行動の中でかなり顕著な行動で、授業中で教えられた内容はおろか、数学の途中計算式をやたらと省いてノートに書こうとしない所があります。具体的には数学の問題で出された式の後、途中式はなるべく暗算してすぐにイコールで回答を書こうとします。
 このような行動を見られて何度も講師からは途中式を書けと言われましたが、はっきり言ってその度に無視してました。別にその講師が嫌いだったわけじゃないのですが、なんかだらだらと計算式を書くのが面倒くさくて、「結果があってればそれでいい」とばかりに抵抗をし続けました。

 そんでもって極め付けは日本史の授業です。知ってる人には有名ですが私は日本史、というより歴史科目は昔からやたらと強く、小学校からずっと歴史だけは何も勉強しなくてもいつもハイスコアを叩きだしていました。多分日本史、世界史の両方をまとめていいなら、この予備校の中でも通っていた高校の中でも成績は私が一番よかったと思います。
 なもんだから、日本史の授業では実質的に私がペースメーカーとして扱われました。具体的にどんなかというと講師が授業中に誰かを当てて何か質問すると、

講師「○○、この時の人物は誰だ?」
生徒「わかりません」
講師「じゃあ××はどうだ?」
生徒「わかりません」
講師「よし、花園答えてやれ」
花園「□□です」

 という具合に、大体前二人が答えられなかったら私が最後に正しい答えを言って授業は進む形で、一種の進行役みたいな役割を演じてました。なお聞かれた質問には一回も打ち洩らさず、全部正しい答えを言っていたと記憶しています。
 またある日の日本史授業の際にも、一回だけおかしなことを言ったことがあります。

講師「このような過程を経て、アジア初の憲法である大日本帝国憲法が生まれたわけだ」
花園「先生、アジア初の憲法はオスマントルコのミドハト憲法です」

 というように、妙な釘刺しを一回やりました。後で講師も、「今まで日本史の授業を行ってきて一番ビビった」と言っていました。

 こんな具合で、割と好き放題にやらせてもらったこともあってか、まぁ楽しい予備校生活を送らせてもらいました。そういう恩もあってか大学に合格した後は購入した赤本を全て寄贈して、新年度の生徒募集を呼び掛けるチラシにも「お前の文章力が必要だ」と言われてこっちもやる気で宣伝文というか合格体験記を書いてよこしました。

 最後にちょっと本題とは外れるかもしれませんが、この創学舎ではどの講師にもとても親身に接してくれてこちらとしては本当にありがたかったのですが、こちらからしたら大学受験は一回こっきりの経験であっても、講師の側からしたら毎年のイベントで、その度に各年度の生徒たちに親身に接するとなると身が持たないのではないか、燃え尽き症候群にならないのかなと、大学に進学してから思うようになりました。親身に接してくれるのは確かにありがたいですが、生徒の側もそれに甘え続けてはならないのではないか、相談は受けつつも頼り過ぎてはならないという事実に、大学合格後に気が付いたのが私の失敗です。


 上のバナー広告の本は仲の良かった講師が書いた教育理念本です。私も読みましたが興味があればぜひ手に取っていただきたいのと、改めてみると男臭いタイトルだなぁって気がします。