このブログでよく毎日新聞の記事と記者を馬鹿にすることが多いですが、以下の記事は読んでて非常に面白かったです。取り立てて大きく注目するほどでもない内容のニュースをうまい文章で紹介してあり、非常に読み応えのある記事です。
・<弘前市提唱>現存12天守同盟に「待った」 犬山城、壁に(毎日新聞)
それで話は本題ですが、先日お笑いコンビ「ピース」の又吉氏が執筆した「火花」という小説が芥川賞を受賞し、現在進行形で大いに注目されております。この件について私も記事を書こうかなと思ったのですがそもそも「火花」は読んでないし、この本が芥川賞の候補に入った時点で受賞することは目に見えるほど当然でごく当たり前な出来事のように思えたので無視しました。なお昨夜友人とはこんな会話を交わしています。
「芸能人が受賞したんだから、次は有名声優辺りが書いた小説が受賞すんじゃね( ゚Д゚)」
「じゃね(゚Д゚ )」
この受賞劇について言いたいことが全くなかったわけではないのですがそうした経緯もあって書かなかったところ、下記の山本一郎氏のコラムを今日読み、まさに私が言いたかったことを全部言ってくれていると思わずうならされる内容でした。
・ピース又吉『火花』売れて良かったね
基本的に考え方としてはまさに上記コラムの通りなのですが、このコラムを読んでてもう一つ気になった点として、今日の見出しに掲げた「すべてのジャンルはマニアが潰す」という一言です。
・買収後売り上げが激増 プロレス人気再燃を新日オーナー語る(NEWSポストセブン)
なんか今日はやたら記事紹介が多いですがそれは置いといて話を進めると、この言葉はトレーディングカードを製造・販売をしている「ブシロード」という会社の木谷高明社長が述べた言葉です。今まで自分は知らなかったのですが木谷社長は新日本プロレスを2012年に買収し、数年で売上げを倍増させるなどプロレス人気を立て直す見事な経営手腕を見せているそうです。
そんな木谷社長が上記のインタビュー記事の中でプロレス人気が何故衰退していたのかという理由について述べた言葉が、「すべてのジャンルはマニアが潰す」なのですが、この言葉の意味はコアなユーザーはライトユーザーを拒絶し、弾く傾向があり、コアユーザーが増えすぎると逆に人気は衰退していくという内容です。
この言葉はなかなかもって見事な指摘だと思え、実際に90年代の2D格闘ゲームブームや往年のスキーブームなど、なんとなくあてはまるような事例がポンポンと浮かんできます。政治においてもコアな支持者の囲い込みを続けたことによって日本の社民党は明らかに衰退し、逆にライトな支持層を取り込んで急激に拡大してトニー・ブレアのイギリス労働党は政権を取るなど、この言葉がそのまま当てはまる気がします。
私自身も本当に市場を拡大するならコアなユーザーを切り捨ててでもライトユーザーの取り込みに従事するべきだと、おぼろげながら考えていましたが、こうもはっきりとした言葉でこの意味を表現する人物がいたとは非常に驚くと共に、やはり業界の最前線にいる人はただ者じゃないと、中国語で言うなら「了不起」と言いたくなる人物です。
ヽ(*゚д゚)ノ<カイバー
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2015年8月13日木曜日
天津大爆発事故について
一体どんな書き出しから書けばいいのか戸惑うくらい、昨夜起こった天津大爆発事故は衝撃的でした。
既に各種の報道で皆さんも見聞きしておられるかと思いますが、昨夜中国天津市にある浜海新区という経済開発区の倉庫で大爆発が起こり、現在もなお被害の全容がわからないほどの大惨事となっております。今回の事故規模については百聞は一見の如かずというか、現場近くで爆発を撮影した写真や動画が既にメディアやサイトなどで公開されており、その映像の迫力たるや下手なハリウッドの映画を大きく上回ると思えるもので見ていて心底ぞっとさせられます。
爆発原因については倉庫内に保管されていた化学薬品やガスなどだという推測が出ているもののまだはっきりしませんが、少なくともこれほど大規模な爆発を起こす物質があったことと、それらを引火させてしまう管理体制であったというのは事実でしかありません。今日も同僚らと少しこの事件について話しましたが、恐らくこの地区の防災担当者は今頃監禁させられた上で遠くへ左遷させられるか牢獄に入れられるでしょう。幸いというか、労働教育は数年前に廃止されてますが。
それとこれは当局への苦言ですが、やはり未だに情報を小出しにするというのはいい加減無理があるでしょう。かつて事故を起こした新幹線を埋めるなどと言う暴挙を中国当局は犯しておりますが、今回の爆発事故については有害な物質が空気中に広がっている可能性もあるだけに、被害情報と共に確かな情報を可能な限り早く発表するべきでしょう。いい加減昔と違うんだし。
少し個人的な印象を書いていくと、報道では最初の爆発が起こった後にもう一回爆発があった、つまり二回の爆発が起こったと伝えられています。実際に爆発当時を映した動画をみるとその通りなのですが、最初の爆発も確かに随分と大きく夜空が一瞬で明るくなるほどであるものの、二回目の爆発の大きさは一回目を遥かに凌駕しており、空どころか辺り前面が紅く染まった上に周囲の建物や木々が爆風で大きく揺れたりひん曲がったりするのが見受けられます。爆心地には恐らくもう何も残ってないため原因の特定は難しいでしょうが最初の爆発によよって二回目にどんなものが引火したのか、この点が非常に気になります。
最後に被害状況についてですが、現時点の報道では死者は約50人、負傷者は数百人と報じられていますが、こんな情報ははっきり言って当てになりません。昨年8月に私の地元の昆山で起こった爆発事故も当局の発表では60人強が死亡したことになっていますが、私の横のつながりから得た情報によると実際には110人程度が死亡しており、負傷者はその数倍にも上る大惨事だったそうです。
今回の天津大爆発は夜間帯だったとはいえその爆発規模は桁違いに大きく、断言してもいいですが死者は100人を確実に越えるでしょうし、負傷者を含めると四桁にも上る可能性があるでしょう。逆を言えば爆発時が夜間だったのはまだ幸いで、仮に昼間であれば死者数が四桁に昇る恐れもあったでしょう。
それにしてもこれほどの爆発事故、少なくとも自分がこれまで映像で見てきた中ではかつてないほどの大きさです。ちょっと気が早いかもしれませんが悲惨な爆発事故の例として、今回の天津大爆発は歴史に残るんじゃないかなとすら思います。
既に各種の報道で皆さんも見聞きしておられるかと思いますが、昨夜中国天津市にある浜海新区という経済開発区の倉庫で大爆発が起こり、現在もなお被害の全容がわからないほどの大惨事となっております。今回の事故規模については百聞は一見の如かずというか、現場近くで爆発を撮影した写真や動画が既にメディアやサイトなどで公開されており、その映像の迫力たるや下手なハリウッドの映画を大きく上回ると思えるもので見ていて心底ぞっとさせられます。
爆発原因については倉庫内に保管されていた化学薬品やガスなどだという推測が出ているもののまだはっきりしませんが、少なくともこれほど大規模な爆発を起こす物質があったことと、それらを引火させてしまう管理体制であったというのは事実でしかありません。今日も同僚らと少しこの事件について話しましたが、恐らくこの地区の防災担当者は今頃監禁させられた上で遠くへ左遷させられるか牢獄に入れられるでしょう。幸いというか、労働教育は数年前に廃止されてますが。
それとこれは当局への苦言ですが、やはり未だに情報を小出しにするというのはいい加減無理があるでしょう。かつて事故を起こした新幹線を埋めるなどと言う暴挙を中国当局は犯しておりますが、今回の爆発事故については有害な物質が空気中に広がっている可能性もあるだけに、被害情報と共に確かな情報を可能な限り早く発表するべきでしょう。いい加減昔と違うんだし。
少し個人的な印象を書いていくと、報道では最初の爆発が起こった後にもう一回爆発があった、つまり二回の爆発が起こったと伝えられています。実際に爆発当時を映した動画をみるとその通りなのですが、最初の爆発も確かに随分と大きく夜空が一瞬で明るくなるほどであるものの、二回目の爆発の大きさは一回目を遥かに凌駕しており、空どころか辺り前面が紅く染まった上に周囲の建物や木々が爆風で大きく揺れたりひん曲がったりするのが見受けられます。爆心地には恐らくもう何も残ってないため原因の特定は難しいでしょうが最初の爆発によよって二回目にどんなものが引火したのか、この点が非常に気になります。
最後に被害状況についてですが、現時点の報道では死者は約50人、負傷者は数百人と報じられていますが、こんな情報ははっきり言って当てになりません。昨年8月に私の地元の昆山で起こった爆発事故も当局の発表では60人強が死亡したことになっていますが、私の横のつながりから得た情報によると実際には110人程度が死亡しており、負傷者はその数倍にも上る大惨事だったそうです。
今回の天津大爆発は夜間帯だったとはいえその爆発規模は桁違いに大きく、断言してもいいですが死者は100人を確実に越えるでしょうし、負傷者を含めると四桁にも上る可能性があるでしょう。逆を言えば爆発時が夜間だったのはまだ幸いで、仮に昼間であれば死者数が四桁に昇る恐れもあったでしょう。
それにしてもこれほどの爆発事故、少なくとも自分がこれまで映像で見てきた中ではかつてないほどの大きさです。ちょっと気が早いかもしれませんが悲惨な爆発事故の例として、今回の天津大爆発は歴史に残るんじゃないかなとすら思います。
2015年8月12日水曜日
人民元の切り下げについて
土日に大雨が降ってからこちらは随分と涼しくなって過ごしやすいのですが、なんか逆に暑さがなくなったことによって気が抜けちゃったのか、このところは家帰ってパワプロで延々とバッティングし続ける日々が続いています。ちなみに打率は5割4分くらいです。
なわけで今日はブログ休もうかなとも思ってましたがさすがにほっとけないニュースというか、中国が昨日に引き続き今日も人民元の強引な切り下げをやってきたので、いくらか解説文を載せます。
まず人民元の切り下げとはどういう事か。これは簡単に言えば通貨としての価値を安くするという方法で日本円と比べるなら仮に以前は1元=20円だったとすると、この二日間で3%程度下がったということから「20×0.03=0.6」となるため、現在は1元=19.4円になる計算です。
こうなるとどうなるかですが、国外に製品を輸出すると以前は20円で売っていたものが19.4円に値下げしても中国側は同じ利益を受け取れるようになるので、輸出競争力が増します。まぁこの辺はほかの解説でも読んで納得してください。
それで話は人民元に移りますが、そもそも人民元の為替相場はどのように運営しているのか。私がざっとこの二日間で切り下げ関連のニュースを見ている限りだとどこも人民元レートの決定システムを理解していない人間が記事書いてるなという印象を覚えましたが、これに関しては内心しょうがない気がします。実際、人民元レートは日本円や米ドルの変動相場制と違って「管理フロート制」という妙なシステムで、私も十分に理解している状態だとは言えません。
理解が間違っているかもしれないという前提で簡単にこの管理フロート制システムを私なりに説明すると、これは人民元の変動幅を前日の終値を基準値として上下2%に固定するというシステムで、たとえば前日終値が1元=20円だったとすると、翌日の変動幅は20×0.02=0.4となるので、19.6~20.4円の間でしか変動しないということとなります。この方法だったら終値付近で中国の政府系金融機関が介入すればいくらでも為替レートをコントロールできるので、まぁ中国にとっては都合のいい手段でしょう。
では今回の切り下げはどういう風に行われたのでしょうか。通常、人民元の為替レートは前日の終値を基準としてそこから上下2%を変動幅とするのですが、今回の切り下げは前日の終値に対して11日は1.9%、12日は1.6%切り下げた値を基準値として、そこからいつものように2%の変動幅で取引させました。
要するに今回のは中国政府が前日の終値なんて関係なくいきなり人民元のレートを変更したようなもので、誰の目から見てもかなり強引な手段を採ったと言える行動でしょう。仮にこれがまかり通るなら、人民元のレートはいつでも自由に中国政府が決められると言っても過言ではありません。
では何故中国政府は今回このような強引な手法に打って出たのでしょうか。理由はほかの記事などでも言われている通りに各種の経済統計で景気の衰えを示すような悪い数値が相次いでおり、景気後退を懸念した中国政府が輸出のテコ入れとして為替に手をかけたというのが実情だと私も思います。今日発表された統計でも不動産投資の伸びに明らかな鈍化が見られ、一番最後の砦ともいうべき不動産業界すら振るわない状態になって当局も危機感を持ったのかもしれません。
ただ今回の為替操作についてもう少し深く述べると、中国としても苦渋の決断だったのではと思う節があります。というのも中国はかねてから人民元を国際通貨として世界に認めてもらうために様々な努力を続けてきましたが、今回のこの為替操作によって明らかに世界通貨への道は後退しました。逆を言えば世界通貨化を一時諦めなければならないほど景気に対して危機感を持っているとの証左でもあり、今後発表される他の経済指標を注意深く見ていく必要があるでしょう。
なわけで今日はブログ休もうかなとも思ってましたがさすがにほっとけないニュースというか、中国が昨日に引き続き今日も人民元の強引な切り下げをやってきたので、いくらか解説文を載せます。
まず人民元の切り下げとはどういう事か。これは簡単に言えば通貨としての価値を安くするという方法で日本円と比べるなら仮に以前は1元=20円だったとすると、この二日間で3%程度下がったということから「20×0.03=0.6」となるため、現在は1元=19.4円になる計算です。
こうなるとどうなるかですが、国外に製品を輸出すると以前は20円で売っていたものが19.4円に値下げしても中国側は同じ利益を受け取れるようになるので、輸出競争力が増します。まぁこの辺はほかの解説でも読んで納得してください。
それで話は人民元に移りますが、そもそも人民元の為替相場はどのように運営しているのか。私がざっとこの二日間で切り下げ関連のニュースを見ている限りだとどこも人民元レートの決定システムを理解していない人間が記事書いてるなという印象を覚えましたが、これに関しては内心しょうがない気がします。実際、人民元レートは日本円や米ドルの変動相場制と違って「管理フロート制」という妙なシステムで、私も十分に理解している状態だとは言えません。
理解が間違っているかもしれないという前提で簡単にこの管理フロート制システムを私なりに説明すると、これは人民元の変動幅を前日の終値を基準値として上下2%に固定するというシステムで、たとえば前日終値が1元=20円だったとすると、翌日の変動幅は20×0.02=0.4となるので、19.6~20.4円の間でしか変動しないということとなります。この方法だったら終値付近で中国の政府系金融機関が介入すればいくらでも為替レートをコントロールできるので、まぁ中国にとっては都合のいい手段でしょう。
では今回の切り下げはどういう風に行われたのでしょうか。通常、人民元の為替レートは前日の終値を基準としてそこから上下2%を変動幅とするのですが、今回の切り下げは前日の終値に対して11日は1.9%、12日は1.6%切り下げた値を基準値として、そこからいつものように2%の変動幅で取引させました。
要するに今回のは中国政府が前日の終値なんて関係なくいきなり人民元のレートを変更したようなもので、誰の目から見てもかなり強引な手段を採ったと言える行動でしょう。仮にこれがまかり通るなら、人民元のレートはいつでも自由に中国政府が決められると言っても過言ではありません。
では何故中国政府は今回このような強引な手法に打って出たのでしょうか。理由はほかの記事などでも言われている通りに各種の経済統計で景気の衰えを示すような悪い数値が相次いでおり、景気後退を懸念した中国政府が輸出のテコ入れとして為替に手をかけたというのが実情だと私も思います。今日発表された統計でも不動産投資の伸びに明らかな鈍化が見られ、一番最後の砦ともいうべき不動産業界すら振るわない状態になって当局も危機感を持ったのかもしれません。
ただ今回の為替操作についてもう少し深く述べると、中国としても苦渋の決断だったのではと思う節があります。というのも中国はかねてから人民元を国際通貨として世界に認めてもらうために様々な努力を続けてきましたが、今回のこの為替操作によって明らかに世界通貨への道は後退しました。逆を言えば世界通貨化を一時諦めなければならないほど景気に対して危機感を持っているとの証左でもあり、今後発表される他の経済指標を注意深く見ていく必要があるでしょう。
2015年8月11日火曜日
SEALDsに対する印象
今日女子サッカーの澤選手が結婚したというニュースが流れたのを見て一瞬、「あれ、今日ってエイプリルフールだったっけ?」と思ってしまいました。もちろんこれは冗談で、澤選手結婚おめでとうございます。
そんな前振りとはまた全く脈絡のない本題ですが、あまりにも時事ネタで解説するものがないのでSEALDsについて私の印象を語ろうと思います。ちなみに「シールズ」って発音を聞くと私の中で思い浮かぶのは米国海軍特殊部隊のネイビー・シールズです。なお「エイリアン2」にも出演したマイケル・ビーンという俳優は何故かこのシールズの隊長役を演じることが多い俳優だったりします。
・SEALDs(ニコニコ大百科)
SEALDs(以下、シールズ)とは正式名称が「自由と民主主義のための学生緊急行動」という学生団体で、やってることは安倍政権の批判です。最初に書きますが私はこの団体と構成員に対して率直に言っていい感情を持っておらず、そもそも話題にあげる価値すらもないと内心では思っています。
彼らの活動についてはネットなどでいくつか報じられているので知っている方も多いでしょうが、主な主張としては現在安倍内閣が進めている安保関連法案の否定、そして安倍首相の退陣で、逆を言えばこれ以外だと目につく主張なんて皆無でしょう。
長く語るほどでもない連中なので何故私がこれほど見下しているのかというと彼らの主張をどんなに聞いても、安保関連法案のどこが問題なのか、この法案の可決によって現行とどう変わるのかという解説なり展望が全くありません。むしろ彼らは安保関連法案の中身自体をまともに理解していないのでは、にもかかわらず安倍内閣を批判しているのではと思う節すらあり、政治思想的な動機で行動しているようには見えません。
では何故彼らは妙な徒党組んで活動しているのか。はっきり言いますが政治とは全く関係のない所、日々の生活なり人間関係なりでストレスや不満を抱えて、それを「政治活動」と称して安倍内閣にうっぷん晴らしの八つ当たりをしていると私は思います。そう思う根拠として彼らの発する主張の大半が法案の中身や日本の将来というよりも、安倍首相個人への人格批判ばかりで、しかもその罵倒の仕方が幼稚極まりないからです。もっともこれは朝日新聞の社説にも言えますが。
偉そうな口をききますが政治議論で人格批判をするということは、もうその時点で相手を論理的に攻撃する材料を持っていないと自ら明かしてしまうもので、普通の人間ならやりません。しかしシールズはむしろこの人格批判それ自体を目的とするかのように安倍首相の批判を繰り返しており、政治的な動機というよりただ単に憂さ晴らししたいだけの人間が集まっただけではないかというのが私の見立てです。言ってしまえば、反日デモの際のどさくさに紛れて商店破壊した中国の日雇い労働者とどっこいどっこいでしょう。
ハナからまともに法案の中身を理解できるほどの知恵がないというのはわかってますが、せめて理解しようという努力を見せるならまだ批判活動をしていてもかわいげがありますが、シールズに関してはむしろ理解を拒むような行動も見られます。何故なら何がどう変わるのかが正確になると大袈裟に「これから徴兵制が始まる」なんていう突飛過ぎる意見が主張できなくなる恐れがあり、逆を言えばきちんとした理解が進むと彼らは主張せんとする島を失うことになるのではないかと思います。こういう連中でも大学生になれるあたり、この前の小学四年生に扮した変な慶應の学生といい、ちょっと私も心配になってきます。
最後にこれは蛇足かもしれませんが、そもそも「SEALDs」という団体名からして私の癇に障ります。なんで無駄に横文字使おうとするのか、普通に日本語でいいじゃんと思うと同時に、最初に述べたように「シールズっつったらネイビー・シールズだろ!」と思え、どうして軍事化を否定しながら軍の特殊部隊と音の被る団体名にするのか理解できません。
おまけ
冒頭にあげたマイケル・ビーンは「ターミネーター」で未来からやってくる青年、カイル役も演じていますが、以前に芸能人の眞鍋かをり氏が芸能記者に、「妊娠したのではという噂が出ていますが?」と聞かれた際、
「身に覚えがある。未来からやってきたという男とアメリカのモーテルで一夜の過ちを……。生まれてくる子供にはジョンと名付けよう」
と、とっさに答えたことがあり、この一件で眞鍋氏は凄い人だということがよくわかりました。
そんな前振りとはまた全く脈絡のない本題ですが、あまりにも時事ネタで解説するものがないのでSEALDsについて私の印象を語ろうと思います。ちなみに「シールズ」って発音を聞くと私の中で思い浮かぶのは米国海軍特殊部隊のネイビー・シールズです。なお「エイリアン2」にも出演したマイケル・ビーンという俳優は何故かこのシールズの隊長役を演じることが多い俳優だったりします。
・SEALDs(ニコニコ大百科)
SEALDs(以下、シールズ)とは正式名称が「自由と民主主義のための学生緊急行動」という学生団体で、やってることは安倍政権の批判です。最初に書きますが私はこの団体と構成員に対して率直に言っていい感情を持っておらず、そもそも話題にあげる価値すらもないと内心では思っています。
彼らの活動についてはネットなどでいくつか報じられているので知っている方も多いでしょうが、主な主張としては現在安倍内閣が進めている安保関連法案の否定、そして安倍首相の退陣で、逆を言えばこれ以外だと目につく主張なんて皆無でしょう。
長く語るほどでもない連中なので何故私がこれほど見下しているのかというと彼らの主張をどんなに聞いても、安保関連法案のどこが問題なのか、この法案の可決によって現行とどう変わるのかという解説なり展望が全くありません。むしろ彼らは安保関連法案の中身自体をまともに理解していないのでは、にもかかわらず安倍内閣を批判しているのではと思う節すらあり、政治思想的な動機で行動しているようには見えません。
では何故彼らは妙な徒党組んで活動しているのか。はっきり言いますが政治とは全く関係のない所、日々の生活なり人間関係なりでストレスや不満を抱えて、それを「政治活動」と称して安倍内閣にうっぷん晴らしの八つ当たりをしていると私は思います。そう思う根拠として彼らの発する主張の大半が法案の中身や日本の将来というよりも、安倍首相個人への人格批判ばかりで、しかもその罵倒の仕方が幼稚極まりないからです。もっともこれは朝日新聞の社説にも言えますが。
偉そうな口をききますが政治議論で人格批判をするということは、もうその時点で相手を論理的に攻撃する材料を持っていないと自ら明かしてしまうもので、普通の人間ならやりません。しかしシールズはむしろこの人格批判それ自体を目的とするかのように安倍首相の批判を繰り返しており、政治的な動機というよりただ単に憂さ晴らししたいだけの人間が集まっただけではないかというのが私の見立てです。言ってしまえば、反日デモの際のどさくさに紛れて商店破壊した中国の日雇い労働者とどっこいどっこいでしょう。
ハナからまともに法案の中身を理解できるほどの知恵がないというのはわかってますが、せめて理解しようという努力を見せるならまだ批判活動をしていてもかわいげがありますが、シールズに関してはむしろ理解を拒むような行動も見られます。何故なら何がどう変わるのかが正確になると大袈裟に「これから徴兵制が始まる」なんていう突飛過ぎる意見が主張できなくなる恐れがあり、逆を言えばきちんとした理解が進むと彼らは主張せんとする島を失うことになるのではないかと思います。こういう連中でも大学生になれるあたり、この前の小学四年生に扮した変な慶應の学生といい、ちょっと私も心配になってきます。
最後にこれは蛇足かもしれませんが、そもそも「SEALDs」という団体名からして私の癇に障ります。なんで無駄に横文字使おうとするのか、普通に日本語でいいじゃんと思うと同時に、最初に述べたように「シールズっつったらネイビー・シールズだろ!」と思え、どうして軍事化を否定しながら軍の特殊部隊と音の被る団体名にするのか理解できません。
おまけ
冒頭にあげたマイケル・ビーンは「ターミネーター」で未来からやってくる青年、カイル役も演じていますが、以前に芸能人の眞鍋かをり氏が芸能記者に、「妊娠したのではという噂が出ていますが?」と聞かれた際、
「身に覚えがある。未来からやってきたという男とアメリカのモーテルで一夜の過ちを……。生まれてくる子供にはジョンと名付けよう」
と、とっさに答えたことがあり、この一件で眞鍋氏は凄い人だということがよくわかりました。
2015年8月9日日曜日
日本式経営の「婿養子」という世襲方法
今年5月に私は「書評『会社が消えた日 三洋電機10万人のそれから』」という記事を書き、かつて存在した日系大手家電メーカー三洋について取り上げました。この記事の中で三洋の二代目社長であった井植敏氏の言葉として、
「日本は相続税率が高いため、会社を興して成功した創業一家は自己の財産を所有し続けるため経営能力が無くても会社を経営し続けなければならなくなる。米国の様にオーナーが会社を所有し、プロの経営者を雇って会社を経営させるという方法が採れない」
といった内容の言葉を引用しました。この言葉の意味をもう一回かいつまんで説明すると、日本だと会社起ち上げて大成功して財産作っても、いざ子供に相続させようとしても税金で大方取られてしまいます。ではどうすれば円滑に資産を相続できるかというと、起ち上げた会社をそのまま子供に社長職を継がせられれば家族として「会社」という資産を保持できるわけです。
しかしこれには一つ問題があります。その問題というのも会社を継ぐ子供が必ずしも経営的才能に恵まれているかどうかわからないということです。恵まれていれば別に問題ありませんがいわゆる二代目のボンボンバカ社長だった場合、会社の経営は混乱して破綻し、折角の資産も失ってしまうことになってしまいます。
こうした日本の現況に対して欧米はどうかというと実は事情が異なります。会社を起ち上げた創業者はそのまま子供に経営を引き継ぐ例もありますが、大方の大企業では株式だけを保有し続け、経営は外部から招へいしたプロ経営者に任せてオーナー一家は配当金を受け取り続ける道を選びます。こうした方法が採れるのも井植氏の言う通りに相続税の税率が低いからやれる方法で、いわゆるセレブと言われる米国の資産家一家はこのようなパターンで使いきれない金を使い続けていることが多いです。
先ほどの井植氏はこの日本と欧米における相続の違いについて、「日本では会社の所有と経営が分離していない」と述べております。実際に欧米は上記の通りに「所有(株式の保有)」と「経営(社長になる)」がはっきり分かれており、所有するオーナー一家の役割は外部からまともな経営者を持ってくることと、株式を持ち続け独立性を守ることの二点に集約されます。
こと会社の継続という観点だけで見るならば、この所有と経営は分かれている方が良いに決まっています。既に述べた通りに日本のような相続の仕方では経営センスのないオーナー一家の跡取りが社長になってしまう可能性が高く、どんなに立派な企業でもバカ社長の指先一つでお釈迦になってしまう可能性がなくなりません。
ではオーナー一家以外から社長を取ってくればいいのかとなると必ずしもそうは言いきれません。というのも日本の場合はオーナー一家以外だと社内から昇進して社長に就くいわゆる「サラリーマン社長」が多いのですが、果たしてそういう内部出身者が優秀かどうかとなるとこちらも必ずしもそうだと言いきれません。少なくとも、会社の内外から広く捜してくる例と比べるなら社内からの昇進だと比較対象数が圧倒的に小さいと言わざるを得ません。
こうした会社の相続という課題について、実はかつての日本式経営にはちょうどいい解決方法があり、実際に多くの企業で採用されていました。その解決方法というのも、「婿養子」を取るという方法です。
現代の日系企業でこれを実践して成功している代表格は自動車会社のスズキで、ここは現在の鈴木修会長と先代の会長はどちらも次代の経営者と見込まれたことによって婿養子として創業者一家に入り、実際に同社の事業拡大を見事果たしております。鈴木修会長に至っては、元々銀行屋だったのに先代(二代目)に見込まれて自動車会社に移ってこれだけ会社大きくしたんだから、やっぱ大したもんだと私も評価しています。
日本式経営、というより日本式家族は江戸時代からこのように「優秀な人材を外部から婿養子として入れる」という手段を採っており、あのトヨタも豊田佐吉に続く二代目は婿養子の豊田利三郎であったなど、以前はそれほど珍しくもない手法でした。この婿養子に迎え入れるという手法であればある程度実績なりを収めた優秀な人材を外部から招聘するため経営者のセンスとしては問題なく、また家族にも入ることから会社という資産をオーナー一家は所有し続けられます。
この「婿養子」という制度は所有と経営を両立できる優れた手段であり、あまり大きく取り上げられたりしませんが私は日本式経営の大きな特徴の一つだったのではないかと考えております。しかしたった今「だった」と述べた通りに、この手法は過去のものとなりつつあり今後も採用するオーナー一家が現れるかとなると疑問符を打たざる得ません。
第一の理由はイエ意識の変化で、自由な恋愛結婚が一般的となっている今の世の中で、「こいつは経営センスがあるから将来お前はこいつと結婚しろ」と親から言われたって、はいそうですかと素直に従う社長令嬢がいるかとなると……まぁいないでしょう。第二の理由は少子化と晩婚化で、曹操婿養子を取れるほど女の子があまってないという家庭が多いかと思えます。
私自身は先ほどにも述べた通りに「婿養子」というのは非常に優れた相続手段であると同時に優れた企業の経営手段だと思うのですが、一般的な日本人はカビ臭いやり方だと恐らく否定するでしょう。しかし大塚家具の問題にしろ相続と経営の問題は現代においても頻発しており、実際に実行するかどうかは置いておいてこのような手段もあるということを再認識した方が良いのではと思いこうして記事をしたためました。
おまけ
昨夜この記事内容について友人打ち合わせをした際、「スズキの会長以外に代表的な婿養子っているか?」という話になり、結局出てきたのは「マスオさん」だけでした。実際、日本で最も有名な婿養子といったらこの人しかいないでしょうヽ(*゚д゚)ノ<カイバー
「日本は相続税率が高いため、会社を興して成功した創業一家は自己の財産を所有し続けるため経営能力が無くても会社を経営し続けなければならなくなる。米国の様にオーナーが会社を所有し、プロの経営者を雇って会社を経営させるという方法が採れない」
といった内容の言葉を引用しました。この言葉の意味をもう一回かいつまんで説明すると、日本だと会社起ち上げて大成功して財産作っても、いざ子供に相続させようとしても税金で大方取られてしまいます。ではどうすれば円滑に資産を相続できるかというと、起ち上げた会社をそのまま子供に社長職を継がせられれば家族として「会社」という資産を保持できるわけです。
しかしこれには一つ問題があります。その問題というのも会社を継ぐ子供が必ずしも経営的才能に恵まれているかどうかわからないということです。恵まれていれば別に問題ありませんがいわゆる二代目のボンボンバカ社長だった場合、会社の経営は混乱して破綻し、折角の資産も失ってしまうことになってしまいます。
こうした日本の現況に対して欧米はどうかというと実は事情が異なります。会社を起ち上げた創業者はそのまま子供に経営を引き継ぐ例もありますが、大方の大企業では株式だけを保有し続け、経営は外部から招へいしたプロ経営者に任せてオーナー一家は配当金を受け取り続ける道を選びます。こうした方法が採れるのも井植氏の言う通りに相続税の税率が低いからやれる方法で、いわゆるセレブと言われる米国の資産家一家はこのようなパターンで使いきれない金を使い続けていることが多いです。
先ほどの井植氏はこの日本と欧米における相続の違いについて、「日本では会社の所有と経営が分離していない」と述べております。実際に欧米は上記の通りに「所有(株式の保有)」と「経営(社長になる)」がはっきり分かれており、所有するオーナー一家の役割は外部からまともな経営者を持ってくることと、株式を持ち続け独立性を守ることの二点に集約されます。
こと会社の継続という観点だけで見るならば、この所有と経営は分かれている方が良いに決まっています。既に述べた通りに日本のような相続の仕方では経営センスのないオーナー一家の跡取りが社長になってしまう可能性が高く、どんなに立派な企業でもバカ社長の指先一つでお釈迦になってしまう可能性がなくなりません。
ではオーナー一家以外から社長を取ってくればいいのかとなると必ずしもそうは言いきれません。というのも日本の場合はオーナー一家以外だと社内から昇進して社長に就くいわゆる「サラリーマン社長」が多いのですが、果たしてそういう内部出身者が優秀かどうかとなるとこちらも必ずしもそうだと言いきれません。少なくとも、会社の内外から広く捜してくる例と比べるなら社内からの昇進だと比較対象数が圧倒的に小さいと言わざるを得ません。
こうした会社の相続という課題について、実はかつての日本式経営にはちょうどいい解決方法があり、実際に多くの企業で採用されていました。その解決方法というのも、「婿養子」を取るという方法です。
現代の日系企業でこれを実践して成功している代表格は自動車会社のスズキで、ここは現在の鈴木修会長と先代の会長はどちらも次代の経営者と見込まれたことによって婿養子として創業者一家に入り、実際に同社の事業拡大を見事果たしております。鈴木修会長に至っては、元々銀行屋だったのに先代(二代目)に見込まれて自動車会社に移ってこれだけ会社大きくしたんだから、やっぱ大したもんだと私も評価しています。
日本式経営、というより日本式家族は江戸時代からこのように「優秀な人材を外部から婿養子として入れる」という手段を採っており、あのトヨタも豊田佐吉に続く二代目は婿養子の豊田利三郎であったなど、以前はそれほど珍しくもない手法でした。この婿養子に迎え入れるという手法であればある程度実績なりを収めた優秀な人材を外部から招聘するため経営者のセンスとしては問題なく、また家族にも入ることから会社という資産をオーナー一家は所有し続けられます。
この「婿養子」という制度は所有と経営を両立できる優れた手段であり、あまり大きく取り上げられたりしませんが私は日本式経営の大きな特徴の一つだったのではないかと考えております。しかしたった今「だった」と述べた通りに、この手法は過去のものとなりつつあり今後も採用するオーナー一家が現れるかとなると疑問符を打たざる得ません。
第一の理由はイエ意識の変化で、自由な恋愛結婚が一般的となっている今の世の中で、「こいつは経営センスがあるから将来お前はこいつと結婚しろ」と親から言われたって、はいそうですかと素直に従う社長令嬢がいるかとなると……まぁいないでしょう。第二の理由は少子化と晩婚化で、曹操婿養子を取れるほど女の子があまってないという家庭が多いかと思えます。
私自身は先ほどにも述べた通りに「婿養子」というのは非常に優れた相続手段であると同時に優れた企業の経営手段だと思うのですが、一般的な日本人はカビ臭いやり方だと恐らく否定するでしょう。しかし大塚家具の問題にしろ相続と経営の問題は現代においても頻発しており、実際に実行するかどうかは置いておいてこのような手段もあるということを再認識した方が良いのではと思いこうして記事をしたためました。
おまけ
昨夜この記事内容について友人打ち合わせをした際、「スズキの会長以外に代表的な婿養子っているか?」という話になり、結局出てきたのは「マスオさん」だけでした。実際、日本で最も有名な婿養子といったらこの人しかいないでしょうヽ(*゚д゚)ノ<カイバー
このところのジャンルのばらけ方について
気づいている人は気づいているかもしれませんが、元から一貫性のないブログではあるものの、このところの記事ジャンルのばらけ方は書いてる本人からしてもかなり異常な水準となっております。試しにこの一週間の記事タイトルを並べると、以下の様にと手も同じ人間が書いているブログだとは思えないほどばらけています。
・北条政子の歴史的存在感と人格
・人工筋肉の将来性
・「自由」という言葉が持つ二つの定義
・千葉のマッドシティ~ありがとう早稲田ビル
・「江戸しぐさ」は何故流布されたのか
・現代の僧兵
なんで僧兵の話をした後に江戸しぐさに移り、その後マッドシティについてどうでもいい記事を書いたかと思ったら今度は自由に関してやけに哲学的な内容。かと思ったら今度はいきなり人工筋肉を話題にあげて、続く記事では北条政子がまた突然現れるなど、自分で書いておきながらですがかなり意味が分かりません。
一体なんでこんな記事ジャンルがばらけているのかというと理由は単純に時事ネタがあまりにもなく、間に合わせで適当に思いついた内容をぱっぱ書いているためです。本来このブログは時事、政治の話題を取り上げた解説記事がメインのはずなのですが、このところは右も左も安保関連法のどうでもいい議論ばかりで話題にあげるネタが全くなく、仕方がないのでどうでもいい記事を無駄に量産することとなっております。
ただこのところの記事はコラムとして、空いた時間にちょこっと読んで楽しめるような記事となるようには意識しており、それぞれの記事は単体だと決して悪くない出来ではないかと自負しています(マッドシティを除いて)。しかしこればっかだとブログとして果たしてどうなのか、頼むから何か興味を引く事件なり議論でも起きてくれよと密かに願う次第だったりします。
・北条政子の歴史的存在感と人格
・人工筋肉の将来性
・「自由」という言葉が持つ二つの定義
・千葉のマッドシティ~ありがとう早稲田ビル
・「江戸しぐさ」は何故流布されたのか
・現代の僧兵
なんで僧兵の話をした後に江戸しぐさに移り、その後マッドシティについてどうでもいい記事を書いたかと思ったら今度は自由に関してやけに哲学的な内容。かと思ったら今度はいきなり人工筋肉を話題にあげて、続く記事では北条政子がまた突然現れるなど、自分で書いておきながらですがかなり意味が分かりません。
一体なんでこんな記事ジャンルがばらけているのかというと理由は単純に時事ネタがあまりにもなく、間に合わせで適当に思いついた内容をぱっぱ書いているためです。本来このブログは時事、政治の話題を取り上げた解説記事がメインのはずなのですが、このところは右も左も安保関連法のどうでもいい議論ばかりで話題にあげるネタが全くなく、仕方がないのでどうでもいい記事を無駄に量産することとなっております。
ただこのところの記事はコラムとして、空いた時間にちょこっと読んで楽しめるような記事となるようには意識しており、それぞれの記事は単体だと決して悪くない出来ではないかと自負しています(マッドシティを除いて)。しかしこればっかだとブログとして果たしてどうなのか、頼むから何か興味を引く事件なり議論でも起きてくれよと密かに願う次第だったりします。
2015年8月7日金曜日
北条政子の歴史的存在感と人格
よく「歴史の陰には必ず女あり」なんていう言葉がテレビ番組などで使われたりしますが、私に言わせればそんなのフェミニストのたわごとに過ぎず、少なくとも有史以来の歴史は男性が基本的に動かしてきたものに間違いありません。言ってしまえばさっきの言葉はこじつけで、歴史を動かした女性に関与しただけの女性を無理やり際立たせようとする意図合っての言葉ではないかと私には思えます。
ただ欧米にはジャンヌ・ダルクやエリザベス一世、ロシアのエカチェリーナ一世など、そして中国にも則天武后や西太后など確かに歴史を大きく動かした女性が出てきており、この点に関しては何も異論がありません。しかし日本の歴史ではどうか、推古天皇や日野富子など確かに歴史に影響を与えた女性はおりますがどちらかというと歴史に関与しただけで、シビアな目で見るなら動かしたとなるとそれは大袈裟ではないかとただ一人を除いて思えます。そう、あの北条政子を除くとするならば。
私は以前(二年も前だが)に「日本で歴史を動かした女性」という記事でも北条政子(+おね)を取り上げていますが、真の意味で日本史を動かした女性となると彼女以外いないのではないかと思います。彼女の実績というか経歴については説明するまでもないですが、鎌倉幕府の開祖たる源頼朝の妻となり実家の北条家ぐるみで彼を応援しただけでなく、頼朝の死後も父と兄にあれこれ指示して実質的に北条家による執権政治の基礎を作ったことは言うに及ばず、承久の乱で鎌倉武士を統率して後鳥羽上皇一派を追いやったことによって明治維新まで続く武家政権を確立したことは、徳川家康などにも劣らない大きな歴史のインパクトだったと私は評価しています。
無論、北条政子一人の力でないことは間違いありませんが、彼女の死後に編纂された北条家の歴史書(吾妻鏡)によって持ち上げられて記録された可能性もありますが、あの当時の女性対する価値観が低かった時代においてこれほどまで大きく記述が割かれていることを考えると、やはり当時の北条家を引っ張っていた存在であったことは嘘ではないと思います。ここで注目すべきは一体何故、北条政子はそれほど指導力を発揮できたかという点でしょう。
彼女が強い指導力をそこまで発揮できた理由としてまず浮かび上がるのは、彼女自身の人格というかパーソナリティが頭抜けていたからではないかと私は考えています。というのも彼女の経歴を見ていると当時としては珍しく頼朝とは恋愛結婚で、しかも親に許嫁を押しつけられた際は駆け落ちまでしています。また結婚後は当時としては当たり前だった側室を頼朝が持つことを許さず、浮気には半端じゃなく厳しかったと吾妻鏡がお節介にも既述しており、こう言ってはなんですが価値観が当時というよりは現代に近く、まるで現代からタイムスリップでもして鎌倉時代に現れたのではないかと思える節があります。これは言い換えるなら既存の価値観にとらわれず、自身の価値観でもって物事を見て行動していた人物といえ、織田信長の様な合理性(+わがままな性格)を持ち合わせていたのかもしれません。
ただそうした革新的な価値観を持っていた一方で、家族に対する意識というか愛情も強く持ち合わせておりました。特筆すべきは娘の大姫に対する様々な気遣いで、大姫自身が病弱だったこともあるでしょうが母親として非常に気に掛ける態度などが良く残されており、このほか義経の妾であった静御前に対する態度も同じ女性として非常に気遣う感情が見て取れます。
しかしそうした家族愛が強かったものの、家族関連では不幸と言ってもよい人生を歩んでいます。頼家と実朝の息子二人はどちらも若くして暗殺され、大姫と三幡の娘二人は年若くして病死し、北条政子は旦那だけでなく四人の子供全員に先立たれる運命となりました。そうした経緯もあってか甥っ子の北条実時に対しては援助を惜しまないなど、なにか思うところがあったんだろうなと思わせる行動が記録されています。
改めてまとめるならば、北条政子は開明的な人格を持ち合わせており行動力も抜群であったため女性というハンデを抱えながら強い指導力を発揮出来たのではないかというのが私の見方です。持ち上げてばっかりですがその人物としての歴史的価値はほかの大物と比べても決して劣ることはなく、特に武家政権の確立を完成させたことを考えれば足利義満や徳川家康に並び立つほどの影響力を持っているように思え、現代の評価はやや低すぎるのではと考えています。
その上で女性の歴史的価値をやたら高めようとするフェミニスト達は、どうもこの北条政子に対しては冷淡というかあまり話題に上げようとしていないのではと思う節があります。勝手ながらこの理由を推理するならば、一つは北条政子の一連の行動が男性的に見えることと、もう一つは幕府存続のために息子の頼家の追放を決めた点などが価値観に合わなかったためではないかと思います。こう言ってはなんだけど、女性からは嫌われそうなタイプに見えるし北条政子は。
ただ欧米にはジャンヌ・ダルクやエリザベス一世、ロシアのエカチェリーナ一世など、そして中国にも則天武后や西太后など確かに歴史を大きく動かした女性が出てきており、この点に関しては何も異論がありません。しかし日本の歴史ではどうか、推古天皇や日野富子など確かに歴史に影響を与えた女性はおりますがどちらかというと歴史に関与しただけで、シビアな目で見るなら動かしたとなるとそれは大袈裟ではないかとただ一人を除いて思えます。そう、あの北条政子を除くとするならば。
私は以前(二年も前だが)に「日本で歴史を動かした女性」という記事でも北条政子(+おね)を取り上げていますが、真の意味で日本史を動かした女性となると彼女以外いないのではないかと思います。彼女の実績というか経歴については説明するまでもないですが、鎌倉幕府の開祖たる源頼朝の妻となり実家の北条家ぐるみで彼を応援しただけでなく、頼朝の死後も父と兄にあれこれ指示して実質的に北条家による執権政治の基礎を作ったことは言うに及ばず、承久の乱で鎌倉武士を統率して後鳥羽上皇一派を追いやったことによって明治維新まで続く武家政権を確立したことは、徳川家康などにも劣らない大きな歴史のインパクトだったと私は評価しています。
無論、北条政子一人の力でないことは間違いありませんが、彼女の死後に編纂された北条家の歴史書(吾妻鏡)によって持ち上げられて記録された可能性もありますが、あの当時の女性対する価値観が低かった時代においてこれほどまで大きく記述が割かれていることを考えると、やはり当時の北条家を引っ張っていた存在であったことは嘘ではないと思います。ここで注目すべきは一体何故、北条政子はそれほど指導力を発揮できたかという点でしょう。
彼女が強い指導力をそこまで発揮できた理由としてまず浮かび上がるのは、彼女自身の人格というかパーソナリティが頭抜けていたからではないかと私は考えています。というのも彼女の経歴を見ていると当時としては珍しく頼朝とは恋愛結婚で、しかも親に許嫁を押しつけられた際は駆け落ちまでしています。また結婚後は当時としては当たり前だった側室を頼朝が持つことを許さず、浮気には半端じゃなく厳しかったと吾妻鏡がお節介にも既述しており、こう言ってはなんですが価値観が当時というよりは現代に近く、まるで現代からタイムスリップでもして鎌倉時代に現れたのではないかと思える節があります。これは言い換えるなら既存の価値観にとらわれず、自身の価値観でもって物事を見て行動していた人物といえ、織田信長の様な合理性(+わがままな性格)を持ち合わせていたのかもしれません。
ただそうした革新的な価値観を持っていた一方で、家族に対する意識というか愛情も強く持ち合わせておりました。特筆すべきは娘の大姫に対する様々な気遣いで、大姫自身が病弱だったこともあるでしょうが母親として非常に気に掛ける態度などが良く残されており、このほか義経の妾であった静御前に対する態度も同じ女性として非常に気遣う感情が見て取れます。
しかしそうした家族愛が強かったものの、家族関連では不幸と言ってもよい人生を歩んでいます。頼家と実朝の息子二人はどちらも若くして暗殺され、大姫と三幡の娘二人は年若くして病死し、北条政子は旦那だけでなく四人の子供全員に先立たれる運命となりました。そうした経緯もあってか甥っ子の北条実時に対しては援助を惜しまないなど、なにか思うところがあったんだろうなと思わせる行動が記録されています。
改めてまとめるならば、北条政子は開明的な人格を持ち合わせており行動力も抜群であったため女性というハンデを抱えながら強い指導力を発揮出来たのではないかというのが私の見方です。持ち上げてばっかりですがその人物としての歴史的価値はほかの大物と比べても決して劣ることはなく、特に武家政権の確立を完成させたことを考えれば足利義満や徳川家康に並び立つほどの影響力を持っているように思え、現代の評価はやや低すぎるのではと考えています。
その上で女性の歴史的価値をやたら高めようとするフェミニスト達は、どうもこの北条政子に対しては冷淡というかあまり話題に上げようとしていないのではと思う節があります。勝手ながらこの理由を推理するならば、一つは北条政子の一連の行動が男性的に見えることと、もう一つは幕府存続のために息子の頼家の追放を決めた点などが価値観に合わなかったためではないかと思います。こう言ってはなんだけど、女性からは嫌われそうなタイプに見えるし北条政子は。
登録:
投稿 (Atom)