時期的には大体7、8年くらい前頃から、「ギャグ漫画家は精神を病みやすい」というような言葉がネットを中心に散見されるようになりました。こんな風に書くくらいだから私がこの意見に対して疑問を持っていることはわかるでしょうが、サッと検索した所、他にも同じような見解を持つ人も少なくないような気がします。
私が疑問に思う根拠としては言われるほど鬱になったギャグ漫画家を聞かないからです。なんかWikipediaには、「吾妻ひでお、鴨川つばめ、桜玉吉、山田花子、ねこぢる、田中圭一などのギャグ漫画家が深刻な精神状態に追い込まれたことで有名であり、作風からも著者の鬱状態が読み取れる。」と書かれてありますが、なんか見ていて違和感覚えるというか、上の人たちの名前を見ていると何もギャグ漫画家でなくても売れなくなって鬱になるのではという気がしてなりません。「ねこぢる」に至っては、精神病んだ奴が漫画描いてただけで順番が逆だし。
実際に精神を病んだ漫画家で私が知っている人を上げると、「いいひと」、「最終兵器彼女」の作者である高橋しん氏が鬱だと発表して実際に連載を中断したことがあります。もう一人、こちらは「なるたる」だとわかり辛いでしょうが名作「ぼくらの」の作者の鬼頭莫宏氏も、「なるたる」の連載後半期は鬱だったと言われており、当時の作品を見る限り明らかにそうだろうなと納得するくらいヤバイ状態でした。知ってる人には早いですが「なるたる」は全体的にはかわいい絵柄なのに序盤から激しい暴力描写が多く、後半に至っては更に輪をかけてひどくなっており、特にあるキャラの惨殺シーンに至ってはあれ以上の激しい暴力描写シーンは真面目にこの世にないんじゃないかっていうくらいタガの外れた内容になっています。でもまぁこの人、その後で「ぼくらの」を描いてるんだから見事克服した、というよりもあの精神状態を我が物にしたんだろうな。
高橋氏にしろ鬼頭氏にしろ、どちらも代表作品がいわゆる「セカイ系」で共通しているのが興味深いです。「セカイ系」というのは簡単に言えばエヴァンゲリオンっぽい退廃的な世界観と終末的な内容の作品群を指しますが、やはりこの系統の作品を書く漫画家に関してはちょっと精神病んでるのではと思う方がちらほらいます。それだけに何故に「ギャグ漫画家は精神を病みやすい」って言葉が流行るのか、むしろセカイ系だろと声高に主張したかったりするわけです。
ちなみにほかにセカイ系上げろってんなら遠藤浩輝氏の「EDEN」が来ますが、これは途中までしか読んでません。
話は戻りますが、私の興味としては何故セカイ系の作者ではなくギャグ漫画家が精神を病みやすいと言われるのか、その背景というか動機に興味があります。先週からずっとお腹が痛いので簡単にまとめますが私の推測で述べるなら、「ギャグ漫画家は精神を病んでいる、むしろ病んでなきゃできない、病むべきだ」みたいな願望めいた既視感なり偏見があるからではと勝手に見ています。
ギャグ漫画は多かれ少なかれ不条理を作品に取り込んでギャグに昇華する傾向があり、見る人からすれば作者はまともな、常識的な人であるとは思えない、むしろ非常識でおかしな人だという風に考えが言ってしまうのかもしれません。確かに故赤塚不二夫みたいにプライベートでもぶっ飛んでいたギャグ漫画家もいましたがそれを言ったら普通のストーリー漫画家でもぶっ飛んでる人は少なくなく、逆に「クレヨンしんちゃん」の作者の故臼井義人は周囲からは物凄い常識人でまともだったと言われており、一概に「おかしな精神の人じゃなければギャグは描けない」ってわけでもないでしょう。まぁ楳図かずお氏は変わった人だとは思いますが、私の中であの人はギャグ漫画家というよりは哲学漫画家だと思います。
・【衝撃】干物妹!うまるちゃん作者・サンカクヘッドの人生が壮絶すぎる・・・【画像・性別・結婚嫁情報あり】2ch「うつ病で漫画掛けるんか?」「うまるで一生暮らせるんやろな」(NEWSまとめもり)
この記事を何で書こうかと思ったのかというと、上のまとめサイトを見たのがそもそもの始まりでした。このまとめサイトではヒット漫画「干物妹!うまるちゃん」の作者のサンカクヘッド氏が過去に何度も自殺未遂するほど追い込まれていたという話が紹介されているのですが、私の知る限りこの情報には何もソースが見当たらず、検索をいくらかけても同じ掲示板というか同じ書き込みしか見受けられません。では一体何故この出所不明の情報を書き込んだ人は「自殺未遂した」と急に言いだしたのか、考えられる理由としてはサンカクヘッド氏のことが嫌いか、上で書いたようにギャグ漫画家には洩れなく精神を病んでもらいたいというような願望があるのかななどと思ったわけです。
ちなみに私もこの「うまるちゃん」は全巻を購入するほど気に入って読んでる作品ですが、作者のサンカクヘッド氏はサービス精神が旺盛な人のようでどの単行本にも大量の描きおろしおまけ漫画が加えられており、また作者本人のプライベートというか制作風景についてもよく漫画化しています。
ホームページにもプライベートネタがたくさん公開されているのですが、たとえばこれとかこれを読む限りだと、「とても自殺なんてする人に見えない」というのが私の感想です。自分の経験から言うと、男らしさを前面に打ち出す人のほうが自殺しやすく、逆ほどしないです。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2016年5月24日火曜日
2016年5月22日日曜日
ブラック企業と公表された会社、そして私の過去
・「若冲展」 ついに「320分待ち」に呆れる声も(R25)
また本題と関係ないですが上のニュースを見て、昔京都で開かれた若冲展に行った時のことを思い出しました。確かどこかのお寺で開かれていましたが普通に入って、見て、絵葉書買って帰りましたが、320分待ちになるなんて東京はつくづく文化がないからこういうのに大挙してくるんだなとちょっと京都人みたくせせら笑いたくなります。
過去にも同じように奈良県興福寺の阿修羅像が東京ツアー(展示)を行った時に大行列となりましたが、私が初めて興福寺でこの阿修羅像を見た時は私以外宝物殿に誰もいない状態だったので、この時も同じように、「東京もんは文化ないんやな」と周囲に話してました。何気に阿修羅像を資産に見立てた場合、キャッシュ・フローはどうなるのか試算してみたい。
・残業100時間超が10人以上 ブラック企業の社名公表(朝日新聞)
それでようやく本題ですが、厚生労働省はこのほど残業時間が非常に長い状態が常態化したまま改善を行おうとしない、俗にいうブラック企業に当たる会社として千葉県にある棚卸代行業のエイジスという会社を公表しました。今回の公表は先だって厚生労働省が規定したブラック企業対策の一環としての公開措置に基づくもので、今回が第一回目の公開となります。
以前に厚生労働省がこのようにブラック企業を公開すると宣言はしていたものの実効性は如何にという見方がありましたが、一応口先だけでは無かったということは証明してみせました。しかし公開されるとしたらワタミのような飲食系がまず最初だろうと思っていたところ棚卸の代行サービス会社、しかも千葉県かよなどと言いつつホームページを閲覧してみましたが、ここって私がかつて学生時代にバイトしていた会社でした。
会社名、会社ロゴ、でもって私が出勤していた柏営業所の地図、果てには棚卸端末機も自分が使ってたのは「DC2X」だったということまでよく覚えています。なおこの棚卸端末機をどう使うのかというと、腰にベルトをまいて利き手側にだらりと腰から垂れ下げ、左手で在庫数を数えながら右手でブラインドタッチしながらカウント数を入力するというやり方してて、多分これは今も同じでしょう。
私がこのエイジスでバイトしていたのは大学一回生の夏休みで、夏休みの始まりと共に実家に帰っていたので実家から通える距離にあるここが募集していたため応募したらすぐに受け入れてくれました。エイジスの人曰く、夏休みや冬休みが繁忙期であるため人手はいくらあっても足りないとのことで、その言葉の通りバイトの出勤希望日を出したら確実に出勤できるような状態でした。
あくまでアルバイト経験者としての視点でこのまま書き続けますが、正式なバイト出勤へと出る前二はまず最初に幕張にある研修センターで先程の端末機の使い方を半日で教わりましたが、この研修中にもきちんとアルバイト料は支払われます。実際の出勤だと大体夕方の六時か七時くらいに事務所へ集合し、そこから車に乗せられて請負先の小売店へ赴くというスタイルでした。在庫数を調べる棚卸という作業上、請負先が就業を終えた夜間でしか棚卸が出来ないためここのアルバイトというか業務は実質的に夜間しか行えず、夜のうちに作業を行って翌早朝に引き上げるというのが作業の大まかな流れでした。事務所に返って帰宅できる終業時刻は私の感覚だと確か午前四時くらいが多かった気がして、よく始発列車を柏駅でジュース飲みながら待ってたりしました。
業務時間帯が深夜であるため、アルバイト代には基本的に深夜割増がつくだけに給与はそれほど悪くなかったと感じていました。ただ夜中ずっと作業するため翌日は朝から昼過ぎ、下手したら夕方近くまで寝るため一回作業に出ると翌日もほぼ潰れてしまうということから、ある程度お金を稼いだ後はそんなに出勤せずに大学生になって初めての夏休みをを満喫するように過ごしました。
その後、同じ年の冬休みにもエイジスからは出勤しないかと促す電話を受けましたが、これ以降は長期休み中であってもほとんど実家に戻らず京都で過ごすことが多かったため、再びここでアルバイトをすることはありませんでした。エイジス側としては折角研修を受けさせて経験者でもあることからなるべく出てもらいたかっただろうと思うだけに、期待に沿えず少し申し訳ない気持ちを今でも覚えています。
繰り返しになりますがあくまでアルバイト経験者としての視点で述べるなら、ブラック企業と言われるほどの会社なのかなという疑問は覚えます。今はどうか知りませんが少なくとも私がアルバイトをした以前であればバイトの人間に無理な要求はせず、きちんと時間管理してその分の給与はくれたし研修もちゃんと受けさせてもらえました。
ただ、これが社員の立場だったらどうなのか。先程にも書いた通りにここのサービスは繁忙期に仕事が過度に集中するためその間はずっとでづっぱりで、バイトが集まらなかったら社員も現場にずっと出て作業する羽目となることを考慮すると、言われているように残業時間が月100時間を超えるのも確実な気がします。改善しろったって人員増やしても閑散期だと人手が余っちゃうわけだし、その点はどうなのかなという疑問はややあります。それとも、こんな時こそ派遣使えってか?
実際の現状を見ていないことからここで私があれこれ言うのもお門違いだと思うのでもうやめますが、アルバイト側から言えばそこまで変な会社じゃなかったというのが私の感想です。今回の公表の件についてもきちんとプレスリリース出して改善に取り組むと言っている辺りは、ワタミとかよりはずっとマシなんじゃないかという気がしてなりません。
最後に、アルバイトだったので基本的に社員の方と絡むこともなければ他のアルバイト仲間ともそれほど親しくすることもほとんどなかったのですが、印象深い記憶として出勤二日目か三日目に社員らしき人たちが履歴書を見ながら、「なんでこんな学歴ある人来てんの?」と呟きながら私の方を数人がちらっと見てきたことがあります。別に不快感などを覚えたわけではありませんが、ツッコむべきところは「何で京都の学校通ってんのにここいるの?」じゃないのかなと、妙に納得しない気持ちは覚えたのを今でもよく覚えています。
おまけ
請負先へ向かう途中ミニバンの後ろの席で同じバイトの男性同士が、「女の子に着てもらいたい格好といったらなに?」、「スク水、ナース服?」なんて会話をしていたこともあり、なんか議論の論点がくだらないなぁなんて思ったこともありました。ちなみに過去に同じ質問を私が受けた際には、「全身タイツ」と即答しています。
また本題と関係ないですが上のニュースを見て、昔京都で開かれた若冲展に行った時のことを思い出しました。確かどこかのお寺で開かれていましたが普通に入って、見て、絵葉書買って帰りましたが、320分待ちになるなんて東京はつくづく文化がないからこういうのに大挙してくるんだなとちょっと京都人みたくせせら笑いたくなります。
過去にも同じように奈良県興福寺の阿修羅像が東京ツアー(展示)を行った時に大行列となりましたが、私が初めて興福寺でこの阿修羅像を見た時は私以外宝物殿に誰もいない状態だったので、この時も同じように、「東京もんは文化ないんやな」と周囲に話してました。何気に阿修羅像を資産に見立てた場合、キャッシュ・フローはどうなるのか試算してみたい。
・残業100時間超が10人以上 ブラック企業の社名公表(朝日新聞)
それでようやく本題ですが、厚生労働省はこのほど残業時間が非常に長い状態が常態化したまま改善を行おうとしない、俗にいうブラック企業に当たる会社として千葉県にある棚卸代行業のエイジスという会社を公表しました。今回の公表は先だって厚生労働省が規定したブラック企業対策の一環としての公開措置に基づくもので、今回が第一回目の公開となります。
以前に厚生労働省がこのようにブラック企業を公開すると宣言はしていたものの実効性は如何にという見方がありましたが、一応口先だけでは無かったということは証明してみせました。しかし公開されるとしたらワタミのような飲食系がまず最初だろうと思っていたところ棚卸の代行サービス会社、しかも千葉県かよなどと言いつつホームページを閲覧してみましたが、ここって私がかつて学生時代にバイトしていた会社でした。
会社名、会社ロゴ、でもって私が出勤していた柏営業所の地図、果てには棚卸端末機も自分が使ってたのは「DC2X」だったということまでよく覚えています。なおこの棚卸端末機をどう使うのかというと、腰にベルトをまいて利き手側にだらりと腰から垂れ下げ、左手で在庫数を数えながら右手でブラインドタッチしながらカウント数を入力するというやり方してて、多分これは今も同じでしょう。
私がこのエイジスでバイトしていたのは大学一回生の夏休みで、夏休みの始まりと共に実家に帰っていたので実家から通える距離にあるここが募集していたため応募したらすぐに受け入れてくれました。エイジスの人曰く、夏休みや冬休みが繁忙期であるため人手はいくらあっても足りないとのことで、その言葉の通りバイトの出勤希望日を出したら確実に出勤できるような状態でした。
あくまでアルバイト経験者としての視点でこのまま書き続けますが、正式なバイト出勤へと出る前二はまず最初に幕張にある研修センターで先程の端末機の使い方を半日で教わりましたが、この研修中にもきちんとアルバイト料は支払われます。実際の出勤だと大体夕方の六時か七時くらいに事務所へ集合し、そこから車に乗せられて請負先の小売店へ赴くというスタイルでした。在庫数を調べる棚卸という作業上、請負先が就業を終えた夜間でしか棚卸が出来ないためここのアルバイトというか業務は実質的に夜間しか行えず、夜のうちに作業を行って翌早朝に引き上げるというのが作業の大まかな流れでした。事務所に返って帰宅できる終業時刻は私の感覚だと確か午前四時くらいが多かった気がして、よく始発列車を柏駅でジュース飲みながら待ってたりしました。
業務時間帯が深夜であるため、アルバイト代には基本的に深夜割増がつくだけに給与はそれほど悪くなかったと感じていました。ただ夜中ずっと作業するため翌日は朝から昼過ぎ、下手したら夕方近くまで寝るため一回作業に出ると翌日もほぼ潰れてしまうということから、ある程度お金を稼いだ後はそんなに出勤せずに大学生になって初めての夏休みをを満喫するように過ごしました。
その後、同じ年の冬休みにもエイジスからは出勤しないかと促す電話を受けましたが、これ以降は長期休み中であってもほとんど実家に戻らず京都で過ごすことが多かったため、再びここでアルバイトをすることはありませんでした。エイジス側としては折角研修を受けさせて経験者でもあることからなるべく出てもらいたかっただろうと思うだけに、期待に沿えず少し申し訳ない気持ちを今でも覚えています。
繰り返しになりますがあくまでアルバイト経験者としての視点で述べるなら、ブラック企業と言われるほどの会社なのかなという疑問は覚えます。今はどうか知りませんが少なくとも私がアルバイトをした以前であればバイトの人間に無理な要求はせず、きちんと時間管理してその分の給与はくれたし研修もちゃんと受けさせてもらえました。
ただ、これが社員の立場だったらどうなのか。先程にも書いた通りにここのサービスは繁忙期に仕事が過度に集中するためその間はずっとでづっぱりで、バイトが集まらなかったら社員も現場にずっと出て作業する羽目となることを考慮すると、言われているように残業時間が月100時間を超えるのも確実な気がします。改善しろったって人員増やしても閑散期だと人手が余っちゃうわけだし、その点はどうなのかなという疑問はややあります。それとも、こんな時こそ派遣使えってか?
実際の現状を見ていないことからここで私があれこれ言うのもお門違いだと思うのでもうやめますが、アルバイト側から言えばそこまで変な会社じゃなかったというのが私の感想です。今回の公表の件についてもきちんとプレスリリース出して改善に取り組むと言っている辺りは、ワタミとかよりはずっとマシなんじゃないかという気がしてなりません。
最後に、アルバイトだったので基本的に社員の方と絡むこともなければ他のアルバイト仲間ともそれほど親しくすることもほとんどなかったのですが、印象深い記憶として出勤二日目か三日目に社員らしき人たちが履歴書を見ながら、「なんでこんな学歴ある人来てんの?」と呟きながら私の方を数人がちらっと見てきたことがあります。別に不快感などを覚えたわけではありませんが、ツッコむべきところは「何で京都の学校通ってんのにここいるの?」じゃないのかなと、妙に納得しない気持ちは覚えたのを今でもよく覚えています。
おまけ
請負先へ向かう途中ミニバンの後ろの席で同じバイトの男性同士が、「女の子に着てもらいたい格好といったらなに?」、「スク水、ナース服?」なんて会話をしていたこともあり、なんか議論の論点がくだらないなぁなんて思ったこともありました。ちなみに過去に同じ質問を私が受けた際には、「全身タイツ」と即答しています。
2016年5月20日金曜日
北(朝鮮)の国から~丹東旅行記 お土産など
何故か知りませんが今凄く眠いです。仕事は繁忙期過ぎてそんな忙しくないのに、丹東旅行の疲れがもしかしたらあるのかもしれません。後また南京虫かダニがどっかから入ってきたのか、上半身の所々に針で刺したかのように出血しだすのも鬱陶しいです。
さてようやくこの丹東旅行ネタも最後というわけで、前回までで大まかな旅行行程については書き終えております。今回は補足情報としていくつか追記するわけですが、最初に書いておきたいこととしては宿泊した「新安東大酒店」についてです。「安東」というのは丹東の旧地名なのですが、このホテルは恐らく市内のホテルとしてはトップクラスの規模で宿泊期間中はイベントスペースで常に結婚披露宴が開かれておりメジャーなホテルなのだと思います。
しかしその一方、出資者は香港資本であることは確認しましたが、恐らく北朝鮮の資本も入っている、もしくは何らかのつながりなり便宜なりが確実に存在するホテルだと確信しています。理由としてはホテル内では常に金日成バッジをつけた北朝鮮政府職員らしき人物が見られたということ、もう一つ、ホテル設計が明らかに中国の物とは異なっているからです。
あまり世間で言われることがありませんが中国の大規模な建物には特徴的な設計が必ず盛り込まれており、具体的にあげると「吹き抜け」が絶対存在します。風水の概念で龍が上に登るようにという意匠らしいのですが、ショッピングモールやホテルなどでは最低でも一階から三階程度までは必ず中央またはロビーに吹き抜けが設けられています。
然るにこの新安東大酒店にはそうした吹き抜けがないばかりか廊下が極端に狭くて細く、一見して強い違和感を覚えました。もっとも一緒にいた上海人の友人は私が指摘するまで気が付かなかったけど。
しかも四階から十九階は何故かホテル宿泊客用のエレベーターでは行くことが出来ず、多分これも北朝鮮の事務所なり北傭船人労働者の宿泊スペースになっているせいではないかと思います。フロントも、顔つきからして朝鮮族系に思えたし。
なお、何故かホテル前の駐車場にはGE型インプレッサWRX STIが駐車してて無駄にビビって写真撮ってました。やはりこういう中国でレアな車を見ると興奮する。
話は変わって買ってきたお土産についてですが、今回買った中では上の写真のコーリャン酒用ボトルがめちゃ気に入ってます。酒飲めないくせになんでこんなの買ったのかというと単純にこのボトルが欲しかったためで、サイクリングの最中にさりげなくこのボトルを取り出して水とか飲みだしたらかっこよさそうと思ったためでした。値段は30元(約540円)で、中に入っていた酒は友人と一口だけ飲んで洗面所に流したら洗面所がしばしコーリャン酒の臭いに包まれました。
この写真は買いはしなかったものの土産物屋で売っててなにコレと思った商品です。見たところなんかの魚の干物のようですが、表面に妙な日本語が書かれていました。
こちらはちゃんと買ってきたお土産で、なんと北朝鮮の紙幣+コインです。
なんかいかにもちゃちいというか偽物っぽいお金ですが売店の人曰く「本物」とのことです。そもそも偽札作ってる国の本物の紙幣っていうのも変ですがそれ以上変なのはこの紙幣セット、全部で約8000北朝鮮ウォンあるものの、これが何と35元(約630円)で買えてしまいます。逆を言えば北朝鮮の為替はそれだけ低いというかほとんど交換価値がないようなものだということです。
個人的にはこうしたお金以外にも将軍様グッズが何かあれば買っていきたいと思ってはいたものの、その手のグッズは他にはほぼ何もありませんでした。っていうかまともなお土産なんて無く、どこいっても干したブルーベリーとかよくわからないゆで卵、本物かどうか怪しい朝鮮人参ばかりしかなく、後なんか韓国製のお菓子ばかりが売られていました。
一応会社へのお土産として恐らく韓国製と思しき「朝鮮人参キャンディー」を買って帰りましたが、今日同僚から、「お腹すいているけど花園さんの買ってきたくそまずいキャンディーしかない(´・ω・`)」とリアルに言われました。
私も舐めてみましたが実際にくそまずく、なんていうか砂を噛むような味がする上にやたらと匂いが強烈だから近くで誰かが封を開けただけでわかってしまうほど臭います。無駄に二袋も買ってきたから、多分向こう半年は放置されることになると思う。
さてようやくこの丹東旅行ネタも最後というわけで、前回までで大まかな旅行行程については書き終えております。今回は補足情報としていくつか追記するわけですが、最初に書いておきたいこととしては宿泊した「新安東大酒店」についてです。「安東」というのは丹東の旧地名なのですが、このホテルは恐らく市内のホテルとしてはトップクラスの規模で宿泊期間中はイベントスペースで常に結婚披露宴が開かれておりメジャーなホテルなのだと思います。
しかしその一方、出資者は香港資本であることは確認しましたが、恐らく北朝鮮の資本も入っている、もしくは何らかのつながりなり便宜なりが確実に存在するホテルだと確信しています。理由としてはホテル内では常に金日成バッジをつけた北朝鮮政府職員らしき人物が見られたということ、もう一つ、ホテル設計が明らかに中国の物とは異なっているからです。
あまり世間で言われることがありませんが中国の大規模な建物には特徴的な設計が必ず盛り込まれており、具体的にあげると「吹き抜け」が絶対存在します。風水の概念で龍が上に登るようにという意匠らしいのですが、ショッピングモールやホテルなどでは最低でも一階から三階程度までは必ず中央またはロビーに吹き抜けが設けられています。
然るにこの新安東大酒店にはそうした吹き抜けがないばかりか廊下が極端に狭くて細く、一見して強い違和感を覚えました。もっとも一緒にいた上海人の友人は私が指摘するまで気が付かなかったけど。
しかも四階から十九階は何故かホテル宿泊客用のエレベーターでは行くことが出来ず、多分これも北朝鮮の事務所なり北傭船人労働者の宿泊スペースになっているせいではないかと思います。フロントも、顔つきからして朝鮮族系に思えたし。
話は変わって買ってきたお土産についてですが、今回買った中では上の写真のコーリャン酒用ボトルがめちゃ気に入ってます。酒飲めないくせになんでこんなの買ったのかというと単純にこのボトルが欲しかったためで、サイクリングの最中にさりげなくこのボトルを取り出して水とか飲みだしたらかっこよさそうと思ったためでした。値段は30元(約540円)で、中に入っていた酒は友人と一口だけ飲んで洗面所に流したら洗面所がしばしコーリャン酒の臭いに包まれました。
ベルトつけるとこうなる
ベルト脱がすとこうなる
この写真は買いはしなかったものの土産物屋で売っててなにコレと思った商品です。見たところなんかの魚の干物のようですが、表面に妙な日本語が書かれていました。
「せいか味のあめ」ってなんだ?
こちらはちゃんと買ってきたお土産で、なんと北朝鮮の紙幣+コインです。
個人的にはこうしたお金以外にも将軍様グッズが何かあれば買っていきたいと思ってはいたものの、その手のグッズは他にはほぼ何もありませんでした。っていうかまともなお土産なんて無く、どこいっても干したブルーベリーとかよくわからないゆで卵、本物かどうか怪しい朝鮮人参ばかりしかなく、後なんか韓国製のお菓子ばかりが売られていました。
一応会社へのお土産として恐らく韓国製と思しき「朝鮮人参キャンディー」を買って帰りましたが、今日同僚から、「お腹すいているけど花園さんの買ってきたくそまずいキャンディーしかない(´・ω・`)」とリアルに言われました。
私も舐めてみましたが実際にくそまずく、なんていうか砂を噛むような味がする上にやたらと匂いが強烈だから近くで誰かが封を開けただけでわかってしまうほど臭います。無駄に二袋も買ってきたから、多分向こう半年は放置されることになると思う。
2016年5月19日木曜日
北(朝鮮)の国から~丹東旅行記 二日目
前回に引き続き北朝鮮との国境沿いにある丹東に旅行してきた話を書きます。
二日目の日曜日は一緒に来た友人と共にあらかじめ申し込んでいた現地旅行会社の半日ツアーに参加しました。なお申し込んでたのは180元のコースでしたが向こうのミスで150元のコースに入れられていたため、見に行く予定だった観光スポット一つを訪れることなくツアーが終わってしまったので友人が文句言ったら二人分の差額60元を返してくれました。
ツアーはバスで移動するというものでしたが生憎この日は雨で、バスから降りる度に傘指してバスに戻るもんだから湿気ムンムンのツアーでした。しかもかねてから楽しみにしていた「朝鮮戦争記念館」は現在改装中なので中には入れることが出来なかったり、雨で視界が悪いのに丹東が一望できる山の上行って案の定何も見えなかったりと、隣にいた友人はずっとブツブツ文句言ってました。
ちなみにツアーの参加客はざっと見たところ中高年しかおらず、ほぼすべて華北の人間で北方訛りの強い中国語で会話していました。恐らく華南から来たのは私と友人くらいなものだったのですが、逆を言えば北の人間からすれば丹東はそこそこ観光地としてみられているのかもしれません。
このツアーバスでの移動中にはガイドが北朝鮮の事情について説明する場面もあり、ガイドによると丹東にはたくさんの北朝鮮人が出稼ぎに来ており、その収入は月収で1000元(約1万8000円)だとのことで実質的にこの地域の最低賃金で働いているそうです。参考までに、上海と深圳ならもう最低賃金は2000元を超えています。
ただこれで終わらないのがやはり北朝鮮。一人月収1000元で働くのですがこのうち六割に当たる600元は強制的に北朝鮮政府が徴収するとのことで、労働者が受け取れるのはわずか400元だそうです。しかもそのお金の大半は本国の家族らへ送金するとのことで、恐らく中国国内の衣食住は保証されているでしょうが、自分で自由に使うお金はほとんどない模様です。この中国での出稼ぎでは大体3年くらいいるそうなのですが、北朝鮮に戻った後で貯めたお金で何を買うかっていうと一番多いのは自転車とのことで、向こうではまだ自転車が高級品として扱われているということも教えられました。
ここから私の考察ですが、ざっと見まわしたところこの丹東の街の住民はやけに裕福層に見えました。というのも中国の地方都市にしては日本車やアメ車など比較的いい車が走っており、安い中国国産車がほとんど見られないほどでした。中国の地方都市でなおかつ主要な産業がないにもかかわらず一体何故かと疑問に思ったのですが、考えられる理由としては一つには観光産業がきちんと成り立ってサービス業でやっていけている、もう一つとしては北朝鮮人を安い賃金でこき使えるからではないかと推察しました。途中で土産物屋の親父にも話を聞きましたが韓国人もたくさん敢行に来ているとのことで、実際に街中歩くと韓国人向けと思しきクラブが林立しています。逆に、日本人はほぼ全く来ないと話していて、「お前、小日本なのか」と言われた挙句にせがまれてパスポート見せる羽目になりましたが。
この前の記事の写真で国境の川幅がどれだけあるかがわかりにくかったので、上野写真を用意しました。大体上の写真位がスタンダードでこれくらいの川幅なら両側にフェンスも設けられていませんが、場所によってはジャンプすればすぐ飛び越えられるくらい狭まっている所もあり、そういうところだと有刺鉄線も張られてたりしました。
話はツアーに戻りますが昼食に食堂へ連れてこられましたが友人が、「衛生的によくない」と拒否したため、我々だけ持参してきたパンを食べて昼食とした後、さっきの川幅の写真のところからボートに乗り込み北朝鮮側の陸地へ近づいてきました。先程にも書いたようにこの日は大雨でなんとなく気分的には強襲上陸をやるような感じだったのですが、この上の写真がそれらしい雰囲気を出せたと思います。
真面目な話、かなりスピード出すボートで5元でビニールの合羽買って着込んだけどすごい寒かった。
これもボートで近づいた北朝鮮側の埠頭ですが、この埠頭は戦前に日本が建てたものらしいです。この写真は一切ズームをしておらず、実際に数メートルの距離まで近づいています。
このボートでの移動中、北朝鮮の見張りの兵士にもかなり近づきました。さすがに兵士に対しては「カメラを向けるな」という指示があったので写真を撮りませんでしたが、ライフル持っているのもいれば、女兵士が立っていたりする場所もあり友人はやたら興奮していましたが、自分としては北朝鮮人を見たところで何の感動もなくやや冷めた目で見ていました。
それにしても、なんだか人間サファリパークみたいな感じで一方的に観光の材料とされる北朝鮮側の人たちはどんな気分なんだろ。
ボートで北朝鮮側を見て回った後は市内の歴史博物館やらお土産屋やら万里の長城の始点地などを見てホテルへと戻りましたが、ちょうど夕方頃には雨が止んで晴れ渡り、ホテルの部屋から臨んだ北朝鮮の風景も遠くまで見られるようになりました。
上の写真のズームアップ
同じくズーム。なんか政府系の建物らしいのが見えた。
しつこくズーム。これらすべて同じ場所から撮影してます。
この後軽く市内を散策して、夕食は四川料理のお店入って海鮮料理を食べてきました。料理はおいしかったものの四川風なだけあって半端なく辛く、貝を三つくらい食べたらもうそれ以上は食べられませんでした。
翌日、正午の便で上海へと戻りましたが丹東の空港は軍民共用のため、飛行機乗るのを待っている間に練習機とみられる戦闘機の離発着を複数回見る機会がありました。主な旅行内容についてはほぼ書き終えましたが、もう一回おまけとして戦利品を紹介します。
2016年5月17日火曜日
北(朝鮮)の国から~丹東旅行記 一日目
先週土曜から昨日までの三日間、中国東北部にある遼寧省丹東市へ友人とともに旅行していました。この街は一体どんな街かというと、よく日本のテレビニュースとかで「北朝鮮との国境沿いにある中国の街では今何が起きているのだろう?」というナレーションと共に紹介されるあの街で、鴨緑江を挟んで北朝鮮と国境を接する場所です。なんでこんなとこ来たのかっていうと、上海人の友人が「どうしても行きたい!」と去年くらいからずっとねだってたからで、私の方から行きたくていったわけではありません。興味はあったけど。
ホテルから望む北朝鮮側の風景
上記写真のアップ
上海市から青島を経由して約5時間かけて飛行機で丹東市に降り立ちました。上海からの直行便はなく、また上記の経由便も早朝六時のフライトであったため昼前に丹東に着いたとはいえ眠くてフラフラでしたが、ホテル側の送迎車に載せられてホテルについてチェックインし、最初に取ったのが上の二枚の写真です。
このブログにアップする写真は基本的に携帯電話のカメラで撮影することが多いものの、今回の旅行では自慢の富士フイルム製デジカメ「F770EXR」を使用しており、コンパクトデジカメでありながら20倍までズームする性能をいかんなく発揮してくれました。真面目な話、100m程度の距離であれば窓の中だってこれ一つで覗けます。
左側が北朝鮮、右側が中国
あまりいい対比になっていませんが、中国側には高層ビルがいくつもそびえたつのに対して北朝鮮側にはビルはおろか建物すら見えません。同じ社会主義国家でありながら、指導者ひとつでこの差です。
観光地でもある鴨緑江にかかる橋の手前
改めて写真見直してたら左のおばちゃんがめっちゃこっち見てた
泊まったホテルは「新安東大酒店」というホテルですぐ目の前に中朝国境の鴨緑江という河が流れる場所で、そのまま徒歩で観光客が集まる鴨緑江橋まで行けました。この橋周辺には天気が悪かったにもかかわらずこの日もたくさんの観光客と土産物売りが集まっており、恐らく修学旅行と思われる大連の高校生集団も来ていました。
手前の橋は観光用の橋で、後ろのは鉄道用の橋です。手前の橋を建てたのは何気に戦前の日本でしたが、朝鮮戦争の折に米軍によって爆撃され(中国側の主張)、今に至っても北朝鮮側の半分が途切れたままとなっています。
橋を見終わった後、すぐ近くにあった北朝鮮レストランに昼食のため訪れました。上の写真はその昼食の最中に予告なしで行われた店員による余興ですが、ぶっちゃけ上手な歌ではありませんでした。また昔の中国みたいに北朝鮮人店員にはサービス精神が全くなく、店内でずっと大声でしゃべるは、オーダーは取りに来ないわ、そもそもメニューはなく上の写真の後ろにある料理の写真を見て注文するという斬新なシステムで友人とともに呆れてました。
でもって頼んだ料理も、野菜炒めは全く味がせず、豆腐の鉄板焼きはやばいくらい塩辛く、まるで味付けがなっていないひどい代物だったため結局ほとんど食わずに残して出ていきました。同じ北朝鮮レストランでも、上海のだったらまだ食べられる物を持ってくるというのに。
昼食後、再び鴨緑江に戻って河岸から出ているフェリーに乗って北朝鮮国境へと近づきました。鴨緑江は中朝の共同管理河川であるためこの河自体が文字通りの「国境線」なのですが、北朝鮮へと近づくこのフェリーには中国人も大量に乗り込んでみんなしてカメラを構えるなど立派な観光スポットとして機能しているように見受けられました。
北朝鮮側ではあまり人の姿が見られませんでしたが、ある一角に集中してたむろしていたところを捉えたのがこの写真です。写真だとかなり近づいているように見えますが実際はかなり距離が離れている所をズームを活用し、揺れる船の上で撮影しています。
北朝鮮側にある観覧車らしき物体。近くにはウォータースライダーらしきものもありましたが、この観覧車は滞在中には回転するところを一度も見ることがありませんでした。
なおこの鴨緑江は場所にもよりますがそれほど川幅の広い河ではなく、感覚的には関東の利根川に近い印象を覚えます。そのためそれこそ夜などであれば人目を忍んで泳ぎ渡ることもそれほど難しくないように思え、中国側も北朝鮮側も川幅が狭い所でなければ河岸にフェンスすらないので脱北自体は極端に難しくはない気がします。もっとも、亡命するには中国側に渡った後が大変だと聞くので渡るだけではどうにもならないのでしょうが。
この日はフェリーに乗った後はホテルに戻り、仮眠を取った後でホテル内のレストランで飯食いました。ホテルの詳細についてはまた明日にも詳しく書きますが、ホテル内のテレビでは日本のNHKだけでなく北朝鮮のテレビ番組も視聴することが出来ましたが、見ていてつまらなかったのですぐに切りました。
ホテル内のレストランでは友人の要望もあり海鮮系のメニューを多めに頼みましたが、昼間の北朝鮮レストランとは違ってこちらの料理はどれもおいしかったです。さすがに海に近いだけあって素材はどれもよく、海鮮料理を食べに来るだけでも観光地としては成立する気がします。
なお、会計の際に私が中国語を話したらチマ・チョゴリをきた女性店員がやけにびっくりしてました。っていうかこの北朝鮮人店員、全くしゃべろうともせず物凄い無愛想でしたが、多分客としゃべるなと言い含められてたんだと思います。ということで、続きはまた次回に。
2016年5月16日月曜日
立ち向かっていく覚悟
このところブログ更新が滞っておりましたが理由を明かすと、先週金曜日は夜に飲み会があり、その翌日の土曜から今日の夕方までは友人と一緒にちょっと旅行に行っていました。旅行内容についてはまた明日からゆっくりと紹介してくつもりですが今日は疲れてもいるので適当にかける内容でまとめます。
さて今年の大河ドラマ「真田丸」はネットでの評判を見る限りだと非常に好評で、ほぼ毎週どの俳優のどういう演技が良かったかなどと話題になっており、もはやタイトルすら思い出せない昨年の大河ドラマは最低視聴率を更新するか否かしか話題にならなかった(後半に至っては話題にも出なかった)ことを考えると近年としては上々の出来なんじゃないかと思います。
ここで話は主役の真田信繁(幸村)について触れますが、真田家の旗印は「六文銭」といって、当時流通していた貨幣を六つ並べるという意匠です。知ってる人には有名ですがこれは三途の川の渡し賃が「六文」であることに由来しており、渡し賃は準備済みで死ににいくことを恐れないぞという意思表示を込めてこうした旗印となったわけです。なお渡し賃がなかった場合は三途の川のほとりで「脱衣婆」というババアに渡し料金代わりとして身ぐるみ剥がされるとされており、もし自分が臨死体験するならこのババアが本当にいるのかどうかをまず確かめたいと思っております。
この真田家の旗印、並びに随筆「葉隠」にある「武士道とは死ぬことと見つけたり」という文言といい、実際は別として日本人が理想とする精神形というのは「決死」こと「死ぬことを恐れない」という精神状態だと私は考えています。なもんだから事ある毎に、「死ぬことを恐れたらそこで日本人終了だよ」などと妙なことをリアルでたまに口走ったりもしますが、半分本気であります。
もちろん決死の覚悟とはいうものの戦時中の特攻作戦などは礼賛するつもりはなくあくまで理想的な精神形として扱っていますが、極端な話をすると実行するしないは別として、こうした感情を持つ日本人は最近いるのかなと少し気になります。というのも私の場合は、「誰かを殺すこととなってでも~をしたい」というような感情を頻繁に覚えるとともに、その際には必ず自分の死もカウントに入れています。
要するに「死んでも~したい」という感情を自然に持つわけなのですが、実際に誰かを殺したり自分の死を犠牲にしてでも何かを奪うというようなことは今の所実行してはいませんが、それくらいの覚悟を持って生きている日本人は今どれくらいいるのかと疑問に思うわけです。このような危険思想を持つ私に言わせると、自分の死すら秤にかける覚悟を持つと案外何にでも立ち向かえるというか、腹が座ります。
これまでの人生で私もそれなりに、恐らく普通の日本人からしたらまず渡るまい危ない橋を敢えて渡ってきた自負がありますが、その際には「失敗したら死ぬか?」という問いを必ず行っていますが、実際には命に係わる決断なんてそうそうあるわけじゃなく、どんな決断であっても最低限「死ぬ」ことはありません。大金を失ったり安定した身分を失ったり人間関係を失ったり修羅道に落ちたりすることはありますが、実際に命を落とす程の決断を迫られることはほとんどありません。いう必要はないでしょうが、命を懸けるくらいの感情を持てば基本何でもできるというわけです。
恐らく普通の日本人が決断する際は生活を懸けたり、預金を懸けたり、将来を懸けたり、安定を懸けたり、世間体を懸けたりするでしょうが、それらを秤に懸けたところで悩みは尽きるどころかむしろ増えることの方が多いと思います。日常での決断であればそれでもいいと思いますが、リストラされたり、追放されたり、陥れられたり、裏切られたり、追い詰められて選択の余地のない状態であれば上記の存在をベットしてしまうと、リターンが得られる見込みが低いため心理的な負担になりやすく、逆に命をベットしていればどんな逆境であっても大抵は「必ず死ぬ訳じゃない」と開き直れます。実際私も、何も死ぬわけじゃないという言葉を覚悟にして逆境に対し何度か立ち向かっており、周囲から精神的に非常にタフだという評価を得るに至りました。
生存権を主張するわけじゃないですがもし自分が死ぬような目にあうのであれば、そうそうそんな場面は実際ないですが、ためらいなく他人を殺したって別にいいと私は思っております。逆を言えば、「自分は死ぬかもしれないが他人を殺してはならない」という価値観は無駄に自分を追い詰めかねず、危険なことを言っていることは百も承知ですがそういう概念は持たない方がいいと、少なくとも強くい来るためにはお勧めしません。
その上で、「自分が死んでもこうしてやりたい」という概念があるとすれば、上記の覚悟を持っているのであればそれは追いかけた方がいいのではとも思います。無論、そんな命を懸けるような概念が見つからないに越したこともないっちゃないですが、いざって時に命を秤に懸ける覚悟というのは持っておくと強いというのが私の持論です。
さて今年の大河ドラマ「真田丸」はネットでの評判を見る限りだと非常に好評で、ほぼ毎週どの俳優のどういう演技が良かったかなどと話題になっており、もはやタイトルすら思い出せない昨年の大河ドラマは最低視聴率を更新するか否かしか話題にならなかった(後半に至っては話題にも出なかった)ことを考えると近年としては上々の出来なんじゃないかと思います。
ここで話は主役の真田信繁(幸村)について触れますが、真田家の旗印は「六文銭」といって、当時流通していた貨幣を六つ並べるという意匠です。知ってる人には有名ですがこれは三途の川の渡し賃が「六文」であることに由来しており、渡し賃は準備済みで死ににいくことを恐れないぞという意思表示を込めてこうした旗印となったわけです。なお渡し賃がなかった場合は三途の川のほとりで「脱衣婆」というババアに渡し料金代わりとして身ぐるみ剥がされるとされており、もし自分が臨死体験するならこのババアが本当にいるのかどうかをまず確かめたいと思っております。
この真田家の旗印、並びに随筆「葉隠」にある「武士道とは死ぬことと見つけたり」という文言といい、実際は別として日本人が理想とする精神形というのは「決死」こと「死ぬことを恐れない」という精神状態だと私は考えています。なもんだから事ある毎に、「死ぬことを恐れたらそこで日本人終了だよ」などと妙なことをリアルでたまに口走ったりもしますが、半分本気であります。
もちろん決死の覚悟とはいうものの戦時中の特攻作戦などは礼賛するつもりはなくあくまで理想的な精神形として扱っていますが、極端な話をすると実行するしないは別として、こうした感情を持つ日本人は最近いるのかなと少し気になります。というのも私の場合は、「誰かを殺すこととなってでも~をしたい」というような感情を頻繁に覚えるとともに、その際には必ず自分の死もカウントに入れています。
要するに「死んでも~したい」という感情を自然に持つわけなのですが、実際に誰かを殺したり自分の死を犠牲にしてでも何かを奪うというようなことは今の所実行してはいませんが、それくらいの覚悟を持って生きている日本人は今どれくらいいるのかと疑問に思うわけです。このような危険思想を持つ私に言わせると、自分の死すら秤にかける覚悟を持つと案外何にでも立ち向かえるというか、腹が座ります。
これまでの人生で私もそれなりに、恐らく普通の日本人からしたらまず渡るまい危ない橋を敢えて渡ってきた自負がありますが、その際には「失敗したら死ぬか?」という問いを必ず行っていますが、実際には命に係わる決断なんてそうそうあるわけじゃなく、どんな決断であっても最低限「死ぬ」ことはありません。大金を失ったり安定した身分を失ったり人間関係を失ったり修羅道に落ちたりすることはありますが、実際に命を落とす程の決断を迫られることはほとんどありません。いう必要はないでしょうが、命を懸けるくらいの感情を持てば基本何でもできるというわけです。
恐らく普通の日本人が決断する際は生活を懸けたり、預金を懸けたり、将来を懸けたり、安定を懸けたり、世間体を懸けたりするでしょうが、それらを秤に懸けたところで悩みは尽きるどころかむしろ増えることの方が多いと思います。日常での決断であればそれでもいいと思いますが、リストラされたり、追放されたり、陥れられたり、裏切られたり、追い詰められて選択の余地のない状態であれば上記の存在をベットしてしまうと、リターンが得られる見込みが低いため心理的な負担になりやすく、逆に命をベットしていればどんな逆境であっても大抵は「必ず死ぬ訳じゃない」と開き直れます。実際私も、何も死ぬわけじゃないという言葉を覚悟にして逆境に対し何度か立ち向かっており、周囲から精神的に非常にタフだという評価を得るに至りました。
生存権を主張するわけじゃないですがもし自分が死ぬような目にあうのであれば、そうそうそんな場面は実際ないですが、ためらいなく他人を殺したって別にいいと私は思っております。逆を言えば、「自分は死ぬかもしれないが他人を殺してはならない」という価値観は無駄に自分を追い詰めかねず、危険なことを言っていることは百も承知ですがそういう概念は持たない方がいいと、少なくとも強くい来るためにはお勧めしません。
その上で、「自分が死んでもこうしてやりたい」という概念があるとすれば、上記の覚悟を持っているのであればそれは追いかけた方がいいのではとも思います。無論、そんな命を懸けるような概念が見つからないに越したこともないっちゃないですが、いざって時に命を秤に懸ける覚悟というのは持っておくと強いというのが私の持論です。
2016年5月12日木曜日
三菱自動車のルノー・日産連合入りについて
見出しは普通に「日産傘下に」出もよかったのですが、今回の提携に伴うインパクト説明する上ではやはりルノーの名前は外せないでしょう。
既に報道も出ている通り、また燃費不正をやらかして私も「来年には経営破綻する」と予言した三菱自動車に対し軽自動車(+ディグニティ)で提携をしていた日産自動車が本日、三菱自動車に出資すると両者揃って発表しました。今回の出資は新株発行方式によって行われ、これにより日産自動車は三菱自動車の発行株式の三割強を握り筆頭株主となるため、事実上、三菱自動車は日産傘下の子会社になります。またそれに伴い、日産の親会社である仏ルノーと合わせるとトヨタやフォルクスワーゲンといった世界大手グループとも販売台数で肩を並べるようになり、「日産が三菱を救済した」というよりは「ルノー・日産連合が世界大手グループに並び立った」という風に見るべきニュースでしょう。
<出資準備はいつから?>
それにしても気になるのは一体いつからこの出資提携を両社、特に日産が準備していたかという点です。
カルロス・ゴーンがいくら決断が早いとはいえ一朝一夕で2370億円もの巨額の出資を決められるわけはなく、恐らく三菱の先月20日の記者会見以前、具体的には日産から三菱側へ燃費不正の疑いを持ちかけた今年二月頃から両社で入念に準備していたのではないかと思います。
・日産自動車と三菱自動車、戦略的アライアンスを締結 日産、2,370億円で三菱自動車株34%を取得へ(三菱自動車)
上記は三菱自動車のプレスリリースですがその内容を子細に見てみると、今回の出資金額の根拠となる株価について、「株価は、2016年4月21日~2016年5月11日までの期間の出来高加重平均とします。」と書かれてあります。
先にも書いたように三菱自動車が燃費不正を発表した記者会見は4月20日で、翌21日から昨日までは株価はストップ安を決めるなどほぼ一方的に下がり続けていた時期でした。直近という意味では非合理ではないものの、このタイミングを見る限りだと記者会見以前から日産と三菱の間で出資提携に関する協議があらかじめ進められており、日産の出資額を低く抑えられるようにスケジュールを組んでいたのでは、というのが私の見立てです。仮にそうであれば三菱グループからの了解も最初の記者会見以前の段階で日産は取り付けていたとみるべきでしょう。
日産側からすればこれによって比較的安価で三菱自動車を傘下に収められ、三菱側からすれば一見すると低い出資額で甘んじるように見えるものの、日産の救済が無ければ業績は低迷したままで株価も下がり経営破綻待ったなしな状況であったのも真実で、特に既存株主の三菱重工や三菱商事からすれば株価を一気に回復させられる手段であるのならばやむを得ないと判断するのも無理な話じゃないと私には思います。
以上で語った内容は私の推論ですが、仮にこの通りであれば実に周到に準備されたディールであってその手際の良さには皮肉ではなく真面目に大したものだと感嘆させられます。逆を言えば被買収まで散々すったもんだした挙句に債務超過もやってのけたシャープとは、段取りや裏準備の仕方で大きな差があり、さっき友人にも言いましたが大人の会社と子供の会社の違いがはっきり出ています。
最後に今後気になる点として、どこのグループにも所属していない残った日系三社のホンダ、マツダ、スズキはどうなるのか。スズキは多分デマだと思いますが縁を切ったフォルクスワーゲンの代わりにこの前トヨタと提携話がでていると報じられましたが、マツダもスズキも高い技術力を持ちながら資金と販売力のない会社で、組むとしたら「金はあっても技術のない」ところが一番相性がいいです。そういう意味ではトヨタの軍門に下るというのも非合理じゃありませんがどちらもオーナーシップの強い会社なだけにそうそう簡単には身代渡しはすまいでしょう。
となるとフォルクスワーゲンはこの前やらかしたし、残ってるのはGMとの浅い提携とかかなとも思いますが、その辺は今後の展開を見ていくしかなく予想といえるレベルでは何も語れないのが本音です。しかし今回の三菱のルノーグループ入りは上記三社にとっては大きな衝撃になると思え、今後業界再編がさらに進むこととなるかもとは言えそうです。
既に報道も出ている通り、また燃費不正をやらかして私も「来年には経営破綻する」と予言した三菱自動車に対し軽自動車(+ディグニティ)で提携をしていた日産自動車が本日、三菱自動車に出資すると両者揃って発表しました。今回の出資は新株発行方式によって行われ、これにより日産自動車は三菱自動車の発行株式の三割強を握り筆頭株主となるため、事実上、三菱自動車は日産傘下の子会社になります。またそれに伴い、日産の親会社である仏ルノーと合わせるとトヨタやフォルクスワーゲンといった世界大手グループとも販売台数で肩を並べるようになり、「日産が三菱を救済した」というよりは「ルノー・日産連合が世界大手グループに並び立った」という風に見るべきニュースでしょう。
<出資準備はいつから?>
それにしても気になるのは一体いつからこの出資提携を両社、特に日産が準備していたかという点です。
カルロス・ゴーンがいくら決断が早いとはいえ一朝一夕で2370億円もの巨額の出資を決められるわけはなく、恐らく三菱の先月20日の記者会見以前、具体的には日産から三菱側へ燃費不正の疑いを持ちかけた今年二月頃から両社で入念に準備していたのではないかと思います。
・日産自動車と三菱自動車、戦略的アライアンスを締結 日産、2,370億円で三菱自動車株34%を取得へ(三菱自動車)
上記は三菱自動車のプレスリリースですがその内容を子細に見てみると、今回の出資金額の根拠となる株価について、「株価は、2016年4月21日~2016年5月11日までの期間の出来高加重平均とします。」と書かれてあります。
先にも書いたように三菱自動車が燃費不正を発表した記者会見は4月20日で、翌21日から昨日までは株価はストップ安を決めるなどほぼ一方的に下がり続けていた時期でした。直近という意味では非合理ではないものの、このタイミングを見る限りだと記者会見以前から日産と三菱の間で出資提携に関する協議があらかじめ進められており、日産の出資額を低く抑えられるようにスケジュールを組んでいたのでは、というのが私の見立てです。仮にそうであれば三菱グループからの了解も最初の記者会見以前の段階で日産は取り付けていたとみるべきでしょう。
日産側からすればこれによって比較的安価で三菱自動車を傘下に収められ、三菱側からすれば一見すると低い出資額で甘んじるように見えるものの、日産の救済が無ければ業績は低迷したままで株価も下がり経営破綻待ったなしな状況であったのも真実で、特に既存株主の三菱重工や三菱商事からすれば株価を一気に回復させられる手段であるのならばやむを得ないと判断するのも無理な話じゃないと私には思います。
以上で語った内容は私の推論ですが、仮にこの通りであれば実に周到に準備されたディールであってその手際の良さには皮肉ではなく真面目に大したものだと感嘆させられます。逆を言えば被買収まで散々すったもんだした挙句に債務超過もやってのけたシャープとは、段取りや裏準備の仕方で大きな差があり、さっき友人にも言いましたが大人の会社と子供の会社の違いがはっきり出ています。
最後に今後気になる点として、どこのグループにも所属していない残った日系三社のホンダ、マツダ、スズキはどうなるのか。スズキは多分デマだと思いますが縁を切ったフォルクスワーゲンの代わりにこの前トヨタと提携話がでていると報じられましたが、マツダもスズキも高い技術力を持ちながら資金と販売力のない会社で、組むとしたら「金はあっても技術のない」ところが一番相性がいいです。そういう意味ではトヨタの軍門に下るというのも非合理じゃありませんがどちらもオーナーシップの強い会社なだけにそうそう簡単には身代渡しはすまいでしょう。
となるとフォルクスワーゲンはこの前やらかしたし、残ってるのはGMとの浅い提携とかかなとも思いますが、その辺は今後の展開を見ていくしかなく予想といえるレベルでは何も語れないのが本音です。しかし今回の三菱のルノーグループ入りは上記三社にとっては大きな衝撃になると思え、今後業界再編がさらに進むこととなるかもとは言えそうです。
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