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2016年12月15日木曜日

水戸藩は何故幕末に失墜したか

 見出しつけるのに悩んだけどインパクトを狙うとしたらやはり失墜を選ぶべきだと思ってこうしました。何気に新聞記事ならまだしもネット記事なら見出しでアクセスが決まると言っても過言ではなく、前にJBpressで書いた記事でも「中国バブル崩壊」という言葉を敢えて入れたからその記事はアクセスよかったんだろうなと思いますし。

 さて話は本題に入りますが、この前則天武后書いたついでに水戸光圀の「圀」という文字が則天文字だと言及したところかなり久々にコメントもらえました。最近少コメントなかったから寂しかったのもありちょっと心が動いたのですが、幕末の尊王攘夷運動で当初は最も主導的であって水戸藩が最後は全く明治維新に関わらず終わってしまったことを解説していなかったことを思い出したので、今日はそのテーマについて解説します。結論から述べると、内ゲバで内部崩壊したことが原因です。

水戸藩(Wikipedia)

 水戸藩といえば水戸黄門でお馴染みの例のあれですが、幕府の開幕当初から徳川本家とはやや距離を置いていたというか、親藩の中でも割と独自路線を突き進み続けた藩であります。なんでそうなったのかというと一つは御三家の中で最も江戸に近い位置に属し必然的に「永遠のナンバー2」的な役割を背負わされたこと(本家相続に一切絡まなかったし)、もう一つとして水戸光圀以降に始まる水戸学という独自の思想・歴史観を持つ学問が盛んだったためだと私は考えます。
 水戸学について簡単に述べると、水戸光圀が独自に日本史をまとめあげようと「大日本史」という歴史書籍の編纂を始めたことがきっかけで過去の歴史や思想について本家のことをお構いなしに収集、議論するようになり、一種独特の思想が形作られまとまったものを指します。具体的に述べると石田三成に対して初めて好意的な評価を行っていたとも言われ、この点一つとっても反中央的な思想も少なからず持っていたのでは想像させられます。

 そんな水戸藩ですが、九代目の徳川斉昭が割とカッカした人物だったというか政治参画意識が高い人間で、折しも黒船来航の時代とあって幕府に対して公然と異論を唱えたり生温いなどと文句言うなどして江戸の本家との対立を深めました。こうした斉昭の姿勢は藩士も同様で、水戸学の中で国学が勢いあり、徳川家の癖に天皇家への意識も高かったもんだから自然と尊王攘夷論が藩の主論となっていきます。
 こうした水戸藩を危険と考えた幕府は猛然と抑えにかかり、将軍の後継争いで斉昭の実子であり一橋家に養子に出された慶喜が負け紀伊藩出身の家茂が選ばれ、大老に井伊直弼が就任すると本格化し、直弼の主導した安政の大獄で水戸藩士が片っ端から処刑されたほか斉昭も隠居を強要され、徹底的に叩かれます。逆にこうした弾圧によって水戸藩内では尊王攘夷論がますます高まり、自藩だけでなく長州や薩摩といった他藩の攘夷志士たちにすらも水戸藩士が指導を行うなど全国的なリーダー役を務めるようになり、直弼が暗殺された桜田門外の変の頃に一つのピークを迎えます。

 しかし尊王攘夷で過激な思想を持っていた水戸藩ですが、全体的に過激だったことは間違いないのですがその集団内でもいくらか温度差があり、その温度差から過激派の天狗党と、穏健派(つってもかなり過激)の諸生党に内部分裂し、なかなか攘夷が実施されないことにしびれを切らした天狗党が挙兵して起こったのが天狗党の乱です。

天狗党の乱(Wikipedia)

 はっきり言ってこの天狗党の乱は完全な内ゲバで、同じ水戸藩士同士でガチの戦争をやり合って双方ともに多大な犠牲を出します。またここまで大事でなくても、水戸藩内の攘夷派同士でちょっとした路線の違いとかで暗殺とかも普段からやり合ってたことも想像に難くなく、そうこうしているうちに人気と実力を兼ね備えた指導者らがどんどんと消え去り、全国的にも水戸藩出身の攘夷志士の発言力はみるみる落ちていきました。
 敢えてもう一つ水戸藩の内部抗争が激しくなった理由を挙げると、桜田門外の変の後で一橋慶喜が謹慎から解放された上に幕政に参画するようになり、水戸藩と幕府との距離が縮まったことからそのまま佐幕路線を歩むか、あくまで幕府と袂を分かって独自路線を歩むかで水戸藩内が割れるようになったのではと勝手に想像しています。

 一方、維新の立役者となった長州や薩摩は早くから藩内の意見統一を図り、また大勢が決まるや余計な内部抗争は行わず一丸となって行動したこともあって、維新を主導しただけでなく次の明治の時代にあっても重鎮を成すに至りました。特に薩摩藩においては意見統一を図るため、藩内の過激な譲位論者を寺田屋騒動でまとめて粛清するという冷徹な決断も行っており、そうした甲斐あって長州以上にガチッとした組織を維持できていたと思います。同様に土佐藩も、武市半平太率いる土佐勤王党を粛清して意見統一を行い、薩長以上に余計な血を流さず漁夫の利を得て戦後のキャスティングボードを握るに至りました。

 私自身は組織なんてクソ食らえで頼りになるのは自分の腕力のみだと公言するほど自他ともに認める個人主義者でありますが、この幕末期においては藩という組織力の差がその後の趨勢を明確に決めた時代であったと考えています。水戸藩は当初は全国をリードするほどの影響力を持ちましたがその後の内部抗争を見る限りだと全体としてやはり個が先立ち過ぎており、それによって自ら滅んでいったと思え、単純に惜しいことをしたと感じさせられます。
 なおこのサイトで茨城の県民性について調べたら、「怒りっぽい性格に、桜田門外の変、血盟団事件、五・一五事件、二・二六事件など、歴史上のテロ事件にすべて絡んでいる茨城県人の過激な血を認識することがある。」と書いてあり、水戸学のスピリッツは現代にも続いているのかとなんか妙にビビりました。

 最後おまけですが、江戸時代における徳川家の各分家と本家との距離感について個人的な見解を下記にまとめておきます。

<遠い~>
・水戸藩:常に距離を置き、むしろ反逆的
・越前藩:藩祖の結城秀康の頃からやや距離感がある

・尾張藩:吉宗の時を除けば常に中立的で、無関心に近い

・紀伊藩:本家継承者を出すなど関係が強いが、明治維新の際はあっさり裏切った
・会津藩:ガチのシンパで、発足当初から崩壊まで本家との結びつきが最強に強い
<~近い>

2016年12月13日火曜日

中国で唯一の女帝

 作家の塩野七生氏がヒラリー・クリントンの大統領選敗退について、「自分でガラスの天井がどうとかだなんて言うからだよ」って具合で辛辣に言ってて笑えました。でもこの発言、男が言ったら言ったで問題になる辺り、ガラスの天井がってとこなんでしょう。
 なお中国では女性の社会進出はかなり当たり前で、企業の経営者とかでも確実に日本より多くいます。政治の世界では男性が依然とメインですが、私が見る限りだと恐らく米国よりかは最高権力者に女性が来ても中国人は抵抗感を覚えないのではという気がします。ただ過去の歴史で言えば日本は何人も女性天皇が出ているのに対し、中国で女性の皇帝はただ一人だけです。

武則天(Wikipedia)

 上のリンク先は武則天と書いていますが変換が面倒くさいので則天武后でこの記事は通します。

 則天武后とは唐の時代、「王の中の王」とまで言われた中国屈指の名君と謳われる二代目皇帝太宗の側室として歴史の表舞台に出ます。元々、隋唐時代の貴族の娘として生まれ幼いころから機転が効く美人だったため側室となったのですが、どういうわけか後宮入りした後で皇太子に見初められ、太宗が死んだ後は太宗の側室は全員尼にならなければならないところをどうにかこうにか書類とかをごまかすことで尼にはならず、帝位を継いだ皇太子こと三代皇帝の高宗の側室にクラスチェンジします。

 当初はあくまで数ある側室の中の一人という立場でしたが、ちょうどそのころに高宗の正室である皇后と寵姫が後宮内で対立しており、皇后側が寵姫に対抗するため則天武后を自分の派閥に引き入れたことで寵姫陣営は徐々に勢力を失って行ったのですが、頭の回る則天武后は皇后をも追い落とし、自らが高宗の皇后の座に取って代わってしまいました。
 なお元皇后を追い落とした際のエピソードとして真偽不明ながらも、則天武后が生んだ子供を元皇后が見に行った直後、則天武后は自ら自分の子供を殺し、子供が死んだのは元皇后が毒殺したせいだと訴えたためという話があります。本当にこんな話があったのかはまだわかりませんが、則天武后が気が強く野心深い性格であったのはその後の人生を見る限り間違ってはいません。

 話は戻り見事皇后の座についた則天武后は自分の生んだ息子を皇太子に据え、政治に興味のなかった高宗に代わって摂政のように政治を自らが動かしていきます。この則天武后が治めた時代に大和朝廷が朝鮮半島で行った最後の決戦の白村江の戦いが起こっており、この戦いを制して朝鮮半島の支配権を唐が確立しています。
 その後、旦那の高宗が死に息子の中宗が継ぎますが頼りないので一旦廃位させ、その後は下の息子の睿宗を帝位に継がせますが、やっぱり途中で頼りなくなったのでこの際だからといって自らが皇帝となり、国号も「唐」から「周」に変えさせました。

 こうした則天武后の専横に皇族などからも反乱がおきますが片っ端から鎮圧され、でもって危険だと思った奴は片っ端から処刑していき、権力を固めていきました。しかし則天武后の場合、刑罰や粛清は苛烈ではあったもののこれと思う人材は出自を問わず採用していき、その中からは名臣、名将と呼ぶに相応しい人物が何人も現れたため、宮廷内はおどろおどろしながらも国全体で言えば政治的にも非常に安定して平和を保ち続けました。
 よくコップの中の嵐と言いますがまさにこの時の唐の宮廷がそうで、コップの外の国全体は平穏を保っていたため、女性でありながら簒奪を行ったにもかかわらず則天武后に対しては比較的中立的な評価がなされることが多く、現代においても主人公のドラマがよく撮影されるほど、「性格はあれだけど政治家、皇帝としては有能だった」という評価は揺るぎません。

 最終的には重臣らに半ば脅迫される形で一度は自ら廃した中宗を次の皇帝に指名したことで「周」は一代限りの国として終わりますが、それ以前もその後も中国には女帝が出ていないことからも、彼女が中国史においても稀有な人物であったことは間違いないでしょう。

 なんで今日にこんなメジャーな人物を取り上げようかと思ったのかというと、もし則天武后をわかりやすい例えに持ってくるとしたら何がいいかなと思い、京都の和菓子屋辺りがいいのではと思いついたからです。
 話としては、老舗の和菓子屋で正妻と内縁の妻が対立を起こし、先代の当主が手を付けていた頭のいい女中を正妻が自陣に引き入れて見事内縁の妻を追い出したところ、今度はその女中が現当主に取り入り、引き入れた正妻すらも追放した上で女中が正妻となり、その後は自らが店を切り盛りして腕のいい職人や番頭を集め、現当主の死後も和菓子屋を拡大し続けた……的な話を考えていました。考えているうちになんか朝ドラ辺りでこういうドロドロした話をやってもらいたいなぁと思ったとさ。

  おまけ
 則天武后は在位中、やたらと名称改変を好んで新しい漢字を作らせまくってました。そうしてできた漢字は「則天文字」と言われるのですが、日本人に一番有名なのとなると「水戸光圀」の「圀」という漢字で、これは「国」を意味なく変えたものです。中国に住んでて「圀」という漢字は今まで見たことがないだけに、則天文字は多分中国よりも日本の方がよく使っているような気がします。

  おまけ2
 やたらと名称改変を好んだ当たり、日本の称徳天皇とダブります。

2016年12月11日日曜日

トヨタが作った超名車「セラ」


 先程、Yahooのトップページの広告欄らしき箇所で、「セラを55万円安く購入するには?」という文章が表示され、気になってしまい開けたページに表示されていたのが上記ページです。画像はないですがページをそのままロールすると、よれよれのプリウスを下取りに出してセラを表示価格の55万円引きで購入したと書いててその秘訣はこちら的にリンクが貼られていましたが、結論から言えば、「舐めたことぬかしてんじゃねぇこのボケ!」と同時に、いろいろな面で狂った文章だなと思いました。というのもセラを買おうとする人なんて、よっぽど頭がおかしい人か、よっぽど車の醍醐味がわかってる人か、サポート対策のため回収に急ぐトヨタ関係者しかいないからです。

トヨタ・セラ(Wikipedia)

 そもそも一体何故こんな広告と出会ってしまったのかというと、恐らくつい最近に友人へこの「トヨタ・セラ」という車を解説した際に検索をかけたからだと思います。その際友人には、「トヨタは十年に一回くらいとんでもなく凄い車を出す。このセラもその一つだ」と言って紹介しました。そんな「セラ」とはどんな車かですが、百聞は一見に如かずなので上記ウィキペディアのサイトを開いて画像をみてもらった方が早いので、是非とも一回は見てください。
 文章で説明するとこの車は1990年にトヨタが発売した3ドアクーペなのですが、何がすごいかってその造形です。なんとドアがランボルギーニやカウンタックといった超高級車と同じ「ガルウィング」という縦に開く構造をしている上、ルーフは全面ガラス張りという、素直に言えばとてもトヨタが作ったとは思えない感じする車です。しかもこれ、百万円台で売っていたというからなお驚きです。

 私個人の印象で述べれば、この車の得意なデザインは現代においても十分通用するように思え、現に私も新車で売られていれば利便性を度外視しても確実に購入を検討していたかと思います。スターレットがベースってのもいいし。
 またガルウィングという特殊な形状を一般量産車に採用したという点も見逃せず、一品物で作るならともかくこれを量産車で実現したというのは技術的にすごい、っていうか普通有り得ないとすら思える水準で、一体この時のトヨタはどんだけすごい工程技術持っていたのかと目を見張りました。販売されていた当時はさすがに私も小さくてこの車の存在を全く知りませんでしたが、後年になってその存在を知り、トヨタの地味に高い技術力に畏怖感すら覚えたほどです。

 そんなセラという車を、55万円引きで買おうなんてはっきり言ってふざけるなというお話です。試しに中古車サイトで見てみたら二台がそれぞれ58万円と67.5万円で売られており、55万円差っ引いたらほとんどタダ同然です。まぁ年数が年数だしほぼスクラップに近い状態もあり得るのですが、プリウスを下取りに出してセラを買おうなんて気違いもいい水準で、恐らくいろんな車種名を登録して同じテキストを表示する広告の類なのでしょうが、よりによってこのセラを表示してしまうと全体的に狂った文章にしかなり得ません。それだけに写真の女性も頭のおかしい人にしか見えなくなるという恐ろしさを含んでいます。

 このセラについて実際に乗車したことはないものの実車は生で見たことはありますが、単純に美しい車だと感じました。小型の車体ながら全体が整っており、何よりガラスでできたルーフが未来的なイメージを感じさせ、もっかいこんなのトヨタ作ってくれないかとすら思ったほどです。もっとも現代でこんな車作ろうものなら確実に衝突安全テストは突破できないでしょうし、コストも跳ね上がって300万円台に乗る可能性すらあります。バブル期だから作れた車の一つですが、こういう面白味のある車を今後もトヨタには期待したいです。

「BLMAE」のPVについて

 誰かとは言いませんが、引退すると発表したからといって既に撮影済みのCMなどが放映を打ち切られることは普通ないと思うだけに、あの報道は真実だったんだろうなと見ています。



 上記動画は「シドニアの騎士」でブレイクした漫画家の弐瓶勉(にへいつとむ、通称ニビンベン)氏のデビュー作である「BLAME(ブラム)」が来年劇場アニメ化されることが決まり、公開に先立って配信されたプロモーション映像です。このBLAMEという作品は連載当時から私も読んでおり、日本漫画の基準を大きく凌駕した圧倒的なスケールの世界観と桁違いに巨大な構造物、そして全く詳細を明かさないストーリー展開と相まって強い衝撃を覚え、つい先日に愛蔵版全6冊も購入するほどはまっていました。この作品が元で弐瓶氏の後続の作品である「バイオメガ」、「シドニアの騎士」も即購入を決断したほどです。

 そんなBLAMEの映像化ですが、正直言ってこのPVを見る限りだと全く期待できないというかスタッフはBLAMEの世界を全く理解してないのではと思うほど落胆させられました。まずキャッチコピーの「生き延びろ!」ですが、私の感覚だとBLAMEの世界では主人公を始め大半のキャラクターが遺伝子改造、もしくはサイボーグ化されててびっくりするくらい不死身な連中ばかりで、生身の人間に至ってはそれこそゴミ屑のように片っ端からミンチになる以外の運命しかありません。ヒロインのシボというキャラに至っては登場する度に身体が消滅しては別の身体に乗り移り、「内臓のない体は慣れないわね」などと言いつつ見事な七変化かましており、こうした世界観からすると「生き延びろ」というよりは「死んでも蘇る」という方が合っている気がします。

 ヒロインに負けず劣らず主人公の霧亥(キリイ)の不死身っぷりもぶっ飛んでおり、自慢の武器の「重力子放射線射出装置」を撃つたびに片腕がもげますが全く意に介さないし数ページしたらまたくっつくし、溶解した金属にくべられてもほっとけば五体満足で復活するしで、そんなキャラ達を前にして「生き延びろ」なんていわれてもなんだかなぁって感じです。
 またPVの中でその霧亥が「俺は人間だ」というセリフを言っていますが、これにも強い違和感を覚えます。というのもこの主人公、「森田さんは無口」という漫画の主人公と並び全くセリフをしゃべらない極端に無口な主人公で、セリフをしゃべるのも後半に至っては数話につき一回あるかないかで、たまに喋るセリフも「おい」とか、「あれは珪素生物だ」しかなく、作中の全セリフをリストアップしようとしてもあっという間に終わっちゃうくらいの人物です。

 そんな霧亥がわざわざ自分が人間だなんていちいち主張するとは私にはとても思えず、むしろ映像化するならこの無口な個性を極端に生かして一切セリフを言わないでほしいと思うくらいなのになんなんだこのPVはと、あくまで一ファンの立場ではありますが納得いかない点が多々あり、こんな感じで映像化されるくらいならいっそ作ってもらいたくないとすら覚えます。

 なお漫画についてですがこれは文句なしに絶賛できる作品で、敢えてこの漫画に比肩するとしたら大友克洋氏の「AKIRA」くらいではないかとも思います。何故かというと背景に移る構造物が極端に精密且つ巨大であり、「真の主人公は構造物」とすら言われ、極端なセリフの少なさと相まって漫画というよりは画集と呼ぶ声もあり、背景ひとつで漫画作品を成立させた大友氏に通ずるところがあるからです。このBLAMEの背景の特徴ですが、作者の弐瓶氏は元々ゼネコンで現場監督をやっていたという漫画家としては特殊な経歴を持つこともあって、人物と構造物の対比に関しては間違いない当代随一の人物でありその特徴が最大限に生かされているのもこのデビュー作であるBLAMEです。
 そうした背景の美しさ(畏怖さ?)もさることながらSFチックでありながらどこか猛烈なグロテスクさを覚える珪素生物、セーフガードといった敵役の造詣も非常に素晴らしく、特に作品中で屈指の人気を誇る「サナカン」という敵役についてはあれほど冷たい目をした漫画キャラクターを誇張ではなく私は知りません。しかも紙切れをばらまくように片っ端から人間を惨殺していくもんだから、このキャラには恐怖を通り越した何かを感じたと共に、終盤になって再登場した時の立ち位置が後年までも強烈に印象に残っています。

 ただ印象に残った箇所ですが、やはり一番「えっ?」とさせられたのは連載終了後、作者のセルフパロディ作品として公開された「ブラム学園」に尽きます。知ってる人には早いですがめちゃくちゃハードで慈悲のかけらも何もないSF作品なのにこのパロディ作品ではグロテスクな造形そのままで作中キャラクターの歪な学園生活が繰り広げられ、読んだ人間全員が「どうしちゃったの弐瓶先生!?」と、軽く作者の心理状態を心配したことかと思われます。ちなみにこのブラム学園は読み切りで三作品が公開されましたが、三作中で主人公の霧亥が喋るシーンは一つもなく毎回肘鉄とかビーム撃たれて〆られています。

2016年12月9日金曜日

ウェブメディアの炎上騒動について

 昨日の昼食時の議題は、「ベジタリアンは虫食ってもいいのか?」でした。まぁ仮にOKだったとしてもカブトムシなんか食べたくない人のが大半だろうけど。

炎上中のDeNAにサイバーエージェント、その根底に流れるモラル無きDNAとは(ヨッピー)

 DeNAを筆頭とするIT企業のウェブメディアが信用性のない記事を公開しまくって炎上している問題について述べている記事ですが、今まで知りませんでしたがなかなか見識の高い人だと思う記事です。文章もうまいから長くても読んでて全然ストレス感じませんでした。

 さてこの問題についてですが、記事を公開停止している会社は倫理観がないなど盗用や著作権に対する意識が低いなどとあちこちで論じられているので今更私が同じようなこと言ってもつまんないと思います。唯一この方面で言うとしたら、DeNAは社長がでてきてこんにちは、じゃなく今回の騒動について謝罪していましたが、私が見る限り「悪い」と思って謝罪したのではなく「マズイ」と思って謝罪しただけでほとぼりが冷めたらすぐまた似たようなことをすると思います。

 ほかの人と同じこと言ってもつまらないと思うので私の目線でこの問題について敢えて切り込むとすれば、一番気になったのは「ウェブ記事の質」についてで、単刀直入に言うと、Web上ではどれだけ記事の質が良くてもその記事が読まれるとは限らず、むしろ記事の質がどれだけ悪かろうと工夫次第で膨大なアクセスが得られちゃうってことです。それで何が起こるかと言うと、質の悪い記事に質のいい記事が埋もれてしまうことが大いにあると言いたいわけです。

 そもそも今回のDeNAの問題が何故公になったのかと言うと、医療情報という生命と健康にも関わる敏感な分野に手を出したこともさることながら、そうした根拠のない記事がウェブ検索で片っ端から上位に来てたことがきっかけでした。一体何故そうしたカス記事が上位に来たのかというとDeNAの検索対策、やや専門的に言えばSEO対策が非常に充実していたためで、繰り返し言いますが記事内容の質がよかったためではありません。
 ウェブにおいては実質、検索で上位に来るかどうかですべてのアクセスが決まると言っても過言ではありません。なので記事の質が悪くともその方面の対策や技術に長けていればアクセスを稼ぐページは作れてしまい、逆にどれだけ質がよくともその辺の対策が悪ければアクセスはどうやっても伸びないわけです。

 でここだけの話、やはり質の悪い記事の方が量産されることも多くなおかつSEO対策もそこそこ出来てるため、そうしたカス記事によって良記事が埋められてしまうことで、折角存在する良記事が見えなくなってしまうという弊害があります。私自身も調べ物とかしていて検索上位に何の参考にもならずどうでもいいことしか書いてない記事ばかりで辟易していた所、検索下位にこれはと思う記事を見つけ感動したことが何度もあり、何故これほどいい記事が上位に来てもっと読まれないのかと他人事ながら歯がゆい思いをしたことすらあります。

 このブログに関しても、少し強気に出れば同じ内容を論じているほかの記事に比べてもそこそこ面白い切り口で書いている自信がありますが、ホットな話題とかで検索上位に来ることはまずなく、大勢の人間に読まれることなくほかのカス記事に埋もれてしまうことも少なくない気がします。もっともその代わり、定期的に読んでくれている読者の方々は相当の猛者揃いというかコメントとか見ていてもいい読者を得たなと思えるだけに少数精鋭なブログであるという自負もあります。

 今回、DeNAや便乗したサイバーエージェント、リクルートなどもウェブメディアを閉鎖する動きが広がっていますが、個人的にはこの動きはもっと続き、ウェブ上からカス記事がなるべく少なくなるに越したことはないと思います。それと同時に、本当に価値のある良記事がもっと人目につくようガイドラインとかその方面のまとめ・評論サイトなんかがもっと広がればウェブメディア全体にとっても価値が高まるのではないかという風にも考えており、ただ倫理観の低い連中を叩いているだけではウェブメディア業界全体の底上げにはつながらないということを今回は主張したかったわけです。

 最後にまた自分語りすると、このブログは徹頭徹尾記事の質だけで勝負しています。大勢に読まれることに越したことはありませんがいい書き手もいればいい読者もおり、その逆に悪い書き手もいれば悪い読者もいるだけに、しょうもない読者はむしろ遠ざける様な書き方を敢えてやっている所もあります。自分自身が必ずしもいい書き手であるなどと自惚れてはいませんが、いい読者を囲うということは読者の方々にとっても大きなメリットがあると思うだけにこの方面はかなり意識してやっています。

2016年12月7日水曜日

オバマ大統領の総括

 最近の米国情勢記事はどれもこれもトランプ次期大統領に関する報道ばかりですが、トランプの就任とともに大統領職から降りるオバマ大統領についてそろそろ総括するような記事が欲しいのでもう自分で書きます。

 結論から言えば近年稀に見る傑出したリーダーだったというのが私の評価です。毎日新聞のアホが最近何でもかんでも「トランプ現象」と言ってトランプと結びつけた誤った報道を展開しておりますが、米国の大統領選が始まるずっと前、具体的には二年くらい前から世界各地でリーマンショック以前のグローバル化に逆行するブロック化は勢いを増してきており、北欧やフランスでの移民排斥運動は前から盛んになり始めてて因果関係がまるで逆です。世界がそのようにブロック化へ突き進んでいったのがこの八年ですが、この八年に米国大統領としてほぼ一貫として国際協調路線をオバマ大統領は取り続けていました。

 面倒くさいですが一応その根拠と言うか国際協調路線と言える行動を挙げるとTPP推進、イラクやアフガニスタンからの段階的撤兵、キューバ訪問、冷戦末期以来の核兵器削減などで、細かい点を挙げればもっといくらでも出てくるでしょう。先にも言った通りにこの八年間、世界はほぼ一貫してブロック化の流れを突き進みましたがその中でオバマ大統領は協調路線を崩さず、仮に彼が逆の立場だったら世界のブロック化の程度はもっと激しかっただろうと私は考えます。
 もっともそうした協調路線が外交上で成功したとは必ずしも言い切れないところがあり、一番大きな失敗はイラクからの撤兵を急いだあまりISISをのさばらせたこと、次にシリアでの内戦激化で、ロシアのウクライナ割譲はまぁプーチンが上手だっただけでオバマ大統領のせいとは言い切れないでしょう。

 上記に上げた外交政策の中で唯一私が全く分からないのはシリア内戦への介入です。基本的には国際協調路線を取りわざわざ広島に訪問してくるなど反戦思想も強い人間であるにもかかわらず、シリアのアサド政権に対しては初めから強硬な態度を取り続け、中国やロシアの反対で実現こそしなかったものの国連で多国籍軍を組織してまでも攻撃を仕掛けようとしていました。一体何故オバマ大統領はシリアにだけはこれほど強硬だったのかがその背景が全く分からず、また日系メディアもその辺をきちんと分析したり解説しないので私の手元にすら全く情報がありません。オバマ大統領のそれまでの姿勢を考えると明らかに逸脱した行動であるにもかかわらず、所詮は遠く離れた中東の事情は日本人にとっては関心が薄いのかもしれません。

 外交の話ばかりしてきましたがオバマ大統領個人の資質に関してもやはり傑出していたと私は考えています。特に優れているのは演説で、就任時や最初の大統領選時の「Yes, we can!」を筆頭にどこでもいつでも見事な演説で、プレゼンに対し比較的厳しい見方を持つ米国人ですらオバマ大統領に対しては手放しで誉めるくらいです。先の広島訪問時の演説も自らが起草したそうですが一言一句に至るまで非常に丁寧でしっかりした作りであるだけに、地頭の良さを強く感じさせられます。

 しかしそうした能力が在任中に生かされたかとなると判断はやや難しく、こと内政に関しては発足当初からの念願であった国民皆保険制度、通称オバマケアの実現は不完全に終わり、トランプ次期大統領も就任後は廃案にすると述べていることから事実上、未達成に終わりました。
 それ以外の面でも米国内の経済についてなりふり構わない金利政策を取り、就任当初はリーマンショックの影響もあったとはいえなかなか好転しない経済に批判も多かったです。もっとも現状において米国経済は比較的安定しているので、政権の経済運営能力は決して低くなかったと私は見ていますが。

 エネルギー政策に関しては専門外のため適当なことしか言えませんが、米国に限らず世界全体でここ数年は主役の変動が激しく、具体的に述べると今年においてシェールガスに関する大きな報道を私は一度も見ませんでした。実際、シェール関連業者の破綻が米国内で相次いでおり、バイオエタノールみたいに一過性の存在で終わってしまうんじゃないかと今考えています。っていうかここでシェールガスを思い出せるだけでも自分はそこそこしっかりしてるなとすら思えてきますが、変動が激しかった分、米国も一貫した政策が取れずどちらかと言えば自国利益よりも対ロシアの嫌がらせに原油価格を動かしてきた、っていうか米露関係で原油価格がずっと動いていたような気もしないでもありません。

 軍事面についても触れるとくと、基本はハト派であったもののビンラディンの暗殺を達成したり、ドローンに代表される無人兵器の活用を広げたりと黒い面も見ようと思えばいっぱい出てきます。後者の無人兵器については映画の「キャプテンアメリカ2 ウィンターソルジャー」でも暗に揶揄されていますが、彼がただのハト派なだけではないということを示す大きな指標と言えるでしょう。

 アジア政策に関しては民主党出身であることから対日関係はブッシュ政権時より冷え込むと当初は予想されたものの、さすがに小泉×ブッシュ時の関係を築くまでには至らなかったとはいえ案外対日政策はそれほど冷遇されてはいなかった気がします。むしろ在任中、中国との通商問題や人権問題が両国間で槍玉に上がることが多く、北朝鮮問題も絡んでオバマ大統領は国内をなだめる火消しに忙しかったような印象を受けます。そう考えると次のトランプ政権では米中関係は恐らくですが今よりずっと先鋭化する可能性が高いように思えてくるわけです。

 以上が私のオバマ大統領評ですが、やはり前任のブッシュ、前々任のクリントンと比べても優秀な大統領だったように思え、黒人初の大統領という点でも十分歴史に残る人間だと思います。ただ個人的に可哀相だったのは同じ時代にロシアのプーチン大統領がおり、ウクライナやシリア問題では完全に相手のペースに乗せられてしまったということで、一矢を報いようという意思は感じたものの、原油価格でのチョーク攻撃は退任が近くなったこともあり先週に終わりを迎えてしまいました。
 逆に考えればオバマが去った後、プーチンが国際政治で更に無双状態になる可能性もあるということです。その辺は次のトランプ政権によりますが、外交力で考えるとオバマ大統領は比較的掲げる旗が国際協調ではっきりしていた分、次の政権はやや厳しくなるのではと個人的に思います。

 今週クソ忙しいからブログ書くのやめようかと思ったけど、政治ネタなだけに何も前準備なしにここまで書いてしまう当たり自分がよくわかりません。

好きなことを仕事にすべき?

 今年の忘年会の場所がカラオケ屋となり歌うたうのは好きだけど下手だから行くのやめようかと思ってたら、そのカラオケ屋には猫がいるとわかり今非常に悩んでいます。なお昔、上海の居酒屋で厨房の奥から猫の鳴き声が聞こえるもんだから店員に、「お宅の猫を見せ給え」という無茶なオーダーをかましたことがあります。店員の返答は、「また次回に」でしたが。

 話は本題に入りますが、私はかなりガチなレベルで歴史科目に強く実際に歴史は好きなのですが、大学受験の際に史学科への進学は一応一か所で受験したもののそれほど希望しておらず、初めから社会学を希望していました。何故かというと歴史は好きだけれどもそれを学問として取り扱うとなると別で、むしろ嫌いになりそうだと思ったからです。

 それで今度は仕事の話ですが、私は中学生の頃から新聞記者を目指して実際に新聞記者になるためだけに文章技術を高め続けてきました。しかし新卒で就活を行っていた際、果たして新聞社にこのまま入ってもいいものか、特に希望する政治部や社会部に行ったら破綻するのではという妙な警戒感を持っていましたが、結果から言えばこの予感は間違ってなかったと思います。
 結局新卒では新聞社はおろか100社以上からお祈りメールを喰らう羽目となったものの中国でどうにかこうにかだまくらかして経済新聞社の記者になることが出来ましたが、その新聞社が経済紙で本当によかったと当時思いました。何故かと言うと、政治や社会関連の記事を書くとなると必ずしも私の思想信条と会社の思想信条が一致するわけでなく、仕事していて多分苦しい思いするのが目に見えたからです。逆に経済記事だと、それほど思い入れがないから言われた通り書くことに何も抵抗がなく、自分の記者としての才能があるとしたら、この分野に対する適応性が最も高かったことでしょう。

 こっから真の本題に入りますが、よく世の中で「自分が好きなことを仕事にすべきだ」というような言質が出ていますが、これは私に言わせれば絶対的に間違っている言葉のような気がします。漫画家やライター、流しの首切りなどフリーな立場であれば話は別ですが、基本的に現代の世の中では会社組織に属さなければまともな収入や生活が立たず、そうした会社組織の中で「好きなこと」を仕事にしてしまうとその好きなことに多かれ少なかれ制限が加えられ、大抵の場合は歯がゆい思いをせざるを得ないからです。
 たとえば先程の新聞記者の場合だと、本人は自民党支持だとしても社の方針が朝日新聞みたいであれば自分の思っていることと真逆の内容の記事を書き続けなければなりません。またこれ以外にも車が好きだから大手自動車メーカーに入ってしまいますと、基本的に所属するメーカーの車しか購入することが許されなくなり、結果的にいろんなメーカーの車を乗り比べる機会は確実に減ります。この前日本に帰ったトヨタグループの人も、「選択肢がトヨタ一択」と言ってましたし。

 一言でいえば、好きなことを仕事にすると確かにそれに関わる時間は増えるものの、その好きなことに何かしら制限がつくケースが多くなると言いたいわけです。私に言わせれば好きなことこそ本業からは遠ざけ、むしろ副業でやるべきものだと思います。
 実際に私はなんだかんだ言いつつ報道と思想探究が何よりも好きでこうしてほぼ毎日ブログであーだこーだ好き放題に言っていますが、恐らく普通のメディアではこんな情報発信はまず間違いなくやることは無理です。またこれ以外にも姉妹サイトでやっている日系企業の海外拠点データ収集も、ああした作業が好きだからやっているという面もあり、私本人としては敢えて真面目な仕事にしたくはないという思いがあります。

 もちろん好きなことして金稼げたらそりゃ万々歳ですが、世の中そんなにおいしい世の中ならもっとみんなハッピーです。そうは上手くいかないからみんなストレスフルに生きてるわけで、返って好きなこと語を仕事に重ねようとするとそこそこ苦労があるし、また上記のような制限に伴う微妙なずれによってそれまで好きだったことが嫌いにすらなる可能性もあると思います。だからこそ好きなことは誰にも邪魔されないプライベートな所で、副業みたいにしてやるべきだと私は主張したいわけです。

 ちなみに最近の私は、本業は一応世を忍ぶ仮のサラリーマンとして普通に勤務し、プライベートタイムの副業と言うか趣味としてこのブログを展開するほか、海外拠点データの収集管理、JBpressで月二回程度の記事執筆、週末のサイクリングをやりつつゲームもやり込み、友人から最近無理してないかとなんか心配されてきました。実際、ブログやめたら毎週7時間くらい自由に使える時間が増えると考えると結構頑張ってるなと思いますが、書いてて全くストレス感じないので辞める理由は見当たりません。