ページ

2020年1月11日土曜日

朝日出身記者の一番悪い癖

 昨日の記事の続きとなります。昨日の記事で私は、昨日にJBpressで配信されたゴーン記事は、かねてから日産の問題をマツダと比較した記事がなかったことがないことにイラついていたということともに、元朝日新聞記者の井上久男氏が書いた「日産vs.ゴーン 支配と暗闘の20年」を読んで、思うところがあったためと書きました。
 最初に断りを言っておくと、上記の井上氏の本は決して悪い本ではなく、日産の歴史とゴーン入閣以来の経営に関する説明は非常にわかりやすく書かれており、日産について詳しくない方が読む上では非常にいい本だと思います。井上氏自身がゴーン氏に直接インタビューした内容も書かれており、ゴーン氏がどういう風になりふり構わなくなっていったのかという過程はよく描かれています。

 しかし、昨日の記事にも書いた通り井上氏は日産のゴーン問題についてこの本の前半で、トヨタ自動車と比較を行っています。曰く、トヨタと違って日産には創業者がいないため社内の求心力がなく、経営者が私利私欲に走りやすく、且つ内部抗争の激しい社風だったという風に説明していますが、この点については率直に言って強い疑問を覚えました。
 また仮に比較する場合、会社規模でいうならホンダ、そして外国人経営者という点で比較するなら本来マツダが来るべきであり、トヨタ自体は確かに自動車業界のあらゆるベンチマークとなる会社ですが、少なくともゴーン問題を語る上では真っ先に外すべき比較対象でしょう。

 上記指摘にも一部重なるのですが、同様にこの本の前半部を見て私は、「ああ、朝日の一番悪い癖が出ているな」とはっきり感じました。もったいぶらずに述べると、朝日系の記者はほぼ例外なく何でもかんでも過去の歴史や事件構図をはめ込んで結論を出そうとする傾向がみられあります。この本も然りで、そのせいで分析と結論がややずれているように感じました。
 上記傾向の具体例を挙げると、

「戦前の治安維持法を彷彿とさせる~」
「太平洋戦争突入に至るまでの経緯と~」
「安保闘争が起きた当時の雰囲気が~」
「バブル前に失敗した経済政策を思わせる~」

 最後のに限って言えば朝日に限らないですが、朝日の普段の論説を見ているとかなり多くが「前にもこんなことがあった、今まさにその時の状況に近い」という風な結論に至っているケースが非常に多いです。はっきり言いますが、これは朝日系の記者が書く文章において物凄い目立つ特徴で、恐らくですが朝日新聞内でこうした記事や論説の書き方を行う伝統が強く残っているのでしょう。
 なお毎日出身者も上記に近い結論を書くことがありますが、朝日の場合はまだ結論に至るまでの解説や経緯分析はしっかりしているのに対し、毎日はその経緯説明の段階で感情的に書き立ててくるし、そもそも記事文章自体もあまりうまいとは思えず単純にわかりづらい印象があります。

 私個人の見立てで言うと、朝日系の記者はみんな文章自体はしっかりしており、よくわかりやすく書いていると思います。そのため何かの事件などに関して経緯については非常に良く書かれていて「うんうん、それもアイカツだね」的に納得感を覚えて行く矢先、結論部分で突然、「だが、こうした流れはかつての~のようにもみえる」などと、急に変な結論に飛んでってしまうことが多く、最終的な結論がなんかおかしいものになるというパターンがあるという気がします。
 それもそのはずというか、私が見る限り朝日系の記者はほぼ無意識に過去の事例を現代の事件や論争に当てはめて考察、分析しているように見えるのですが、そのまま過去の構図を当てはめて「歴史は繰り返される」的な結論にしようにも、必ずしもその通りになるわけなんてありません。中には確かに類似する構造でそうした過去事例との比較が適切なケースもあるにはありますが、時代が変われば周辺状況まで一致するはずなんてなく、そうした点を全部無視して過去の構図を当てはめても的外れな結論になる以外ありません。

 私に言わせると上記の点で朝日系の記者は、対象を対象そのものとして分析、理解しようとする視点、努力に欠けている人が多い気がします。安易に過去の構図を当てはめて今後こうなると結論を出すというのは、安直すぎる以外何物でもありません。

 上記内容を先週友人に話したところ、昨日にも書いたように「JBpressでぜひそれを書くべきだ」とプッシュされたのですが、業界内の人材流動の激しいマスコミ業界でそういうの書いたらいろいろ齟齬が出るためそれは無理といい、代わりにゴーン事件のマツダとの比較を出すことになったわけです。
 友人は上記の私の分析に非常に納得がいったそうですが、私自身もわりと朝日の特徴をうまく突いていると考えています。恐らく他の多くの人、特に朝日の論説について批判的な人は、途中まではいいのに結論部分で突然変におかしくなるという朝日系の論説傾向を、意識しないまでもなんとくなく感覚では理解しているのではと思います。

 ただ上記の朝日系の文章特徴について、少なくとも私はこれまで他の誰かが説明しているのを見たことがありません。そういう意味でもしかしたら私が初めて主張する意見なのかもしれませんが、ただ単に私が気付いただけで、考えればすぐわかるような事柄だと思います。それくらい、かなりはっきりした特徴だと思うし。

 なお、他のメディアについて言えば読売、日経はともに現実的な意見を結論にすることが多く、解説文の上手さもあって総合力で言えばこの二紙が一番実力が高いとみています。毎日については前述の通りで理論立っておらず、産経に関してはひたすら感情に訴えかけるところがあり、論理性を欠くところがややある気がします。

 井上氏の本の話にようやく戻ると、前半部で井上氏は日産について、「内部抗争の激しい社風であり、それがゴーン解任のクーデターにつながった」ともいうべき主張を行っています。しかし、内部抗争が多かったという事実自体は間違っていないものの、過去の内部抗争がゴーン解任に関係するかと言ったら私は疑問です。また日産の社風についても、ゴーンが来てから既に19年経っており、その間に全く日産の社風は変わらなかったのかとい言われるとこれまた疑問です。むしろゴーン風味にかなり変わったと聞いており、もし内部抗争が今の日産で激しいというのなら、それは労働組合とか過去の独裁者ではなく、ゴーンと言う独裁者の影響であり過去とは無関係じゃないかと言うのが私の見方です。
 このように考えた際、井上氏は「日産の内部抗争の歴史」という構図を今回のゴーン問題に当てはめ過ぎて、それによって分析結論もやや違う方向に引っ張られているように感じました。私としては一旦そういうのは全部切り捨てて、「なぜ経営の公私混同が起きたのか」という問題を考えることこそ、ゴーン事件のケーススタディとなると考えて、マツダと比較したわけです。

2020年1月10日金曜日

ゴーン記事の裏側

共に外国人経営者に救われた日産とマツダの大きな差(JBpress)

 はい、というわけで今日配信された自分の記事はこれです。
 なおこれとは全く関係ないけど前、自分が書いた記事の話題を話したら後輩に、「あ、それに関する記事を読んだことあります」とか言われたけど、その記事書いたのは俺だったというオチがありました。

 今回この記事は昨年末の奇跡の脱出劇以降、メディア界に突如発生した空前のゴーンブームに乗っかる形で書いた記事です。ただ最初はこういう記事を書くことは全く考えておらず、先週土曜に友人に勧められ、日曜に書いて、月曜に提出して金曜の今日に配信されるというハイペースで進めることとなりました。まぁ記事内容自体は新規に調べなおすこともないので、すぐに書けましたが。
 記事内容については直接読んでもらえばわかる通り、日産のゴーン問題についてマツダとは何が違ったのかを比較する内容ですが、裏テーマはいろいろと仕掛けています。

 まずなんでこの記事を書いたのかと言うと、友人が「日産vs.ゴーン 支配と暗闘の20年」という本を勧めてきたことがそもそものきっかけでした。友人の感想は、「事件の経緯などについてはよく書かれているけど、トヨタと違って創業家一族がいないから日産でこういうこと起きたという意見はどうかと思う」というもので、実際に私も買って読んでみたところ、これとプラスアルファの意見を持ちました。
 この創業家一族の存否についてはわざわざ細かく書かなくても、ホンダやダイハツ、スバル、三菱などはどうなのかという話になるし、また私の記事でも書いている通りに現実には創業家一族がいることによって起こる業務上横領などの企業不正はいくらでもあるため、日産のゴーン問題を考える上では考慮すべきトピックではないというのが私の見方です。

 その上でこれも記事に書いていますが、このゴーン問題において真に検討すべきトピックとしては、「経営者の公私混同」、「国外メーカーとの提携のあり方」、「外国人トップ」の三つにほぼ絞られるとみています。この三点を考えるとやはり、日産同様にその経営危機時にフォードから社長を招いて再建を果たしたマツダこそが恰好の比較対象だと、実はかなり前から考えていました。
 しかしこれまでゴーン問題について日産とマツダを比較した記事はついぞ見たことがなく、この点については口と顔には出しませんでしたが、日本のメディアに対して実はかなり前から不満に感じていました。その点を含め先ほどの友人と上記書籍の書評で話したところ、「ユー、もうそれ書いちゃいなよ」と故ジャニーさんみたくプッシュされたので、ほかに書く奴いないし、確かに自分が書くしかないかと考えて書くことにしました。

 書き上げた感想としては、久々に骨太な経済記事を書けて、かなり満足しています。書いてる時も割と楽しく書けており、そのせいか当初は末尾に、

「なおゴーン氏の最大の功績を挙げるとしたら、Z33型フェアレディZを世に出したことだと思います。あれは、いいものだ」

 という内容が書かれていたのですが、さすがに筆が走り過ぎていると思って最後の編集段階で削除しました。要するに、そうやって調子に乗るくらいいい気分で書けたってことです。

 ヤフコメを見る限りだと今回の記事に関しては割と賛同する意見が多くみられ、コメントもそこそこ得られてライター冥利に尽きます。中には私同様にこれまでマツダとの比較が行われてこなかったことに不満を持っていたと書いている人もいて、そういう意味ではこういう記事を届けられたのは本当に良かったと思います。
 またヤフコメの中の意見では、「結局のところ、経営者云々ではなく提携先のフォードとルノーの器の差ではないか」という指摘が多くみられ、この点に関しては私も否定しないしその通りだとも考えています。ただルノーに関してフランス政府が関与しているのだからうまくいかないのは初めからわかっていただろうと書いている人もいましたが、この点に関してはエマニュエル・マクロンの介入開始時期を考慮してから言ってほしいと、一応反論しておきます。

 それで肝心のこの記事の裏テーマについて言うと、日産とマツダで何が違ったのかと言うと、記事中で強調している「経営トップの任期の設定と交替」のほか、「方針の一貫性」というものがありました。何故マツダのフォード出身社長は短期で何人も交替しながらもマツダは再建できたのかと言うと、再建フェーズに対応した経営者が送り込まれていたというのもありますがもうひとつ、再建方針がマツダ、フォード、そして交替していった社長たちの間できちんと共有されていたから、トップの交替があっても混乱なく再建が進んでいったと私は見ています。

 ゴーン氏は日産のトップに留まる理由として、自分以外にこの役を果たせる人材がいないと在任中に何度も言っていましたが、逆を言えば後継者を全く育てられなかったとも言えます。それと同時に、ゴーン氏が去るとこれまでの方針がひっくり変わる可能性があるということで、それだけ組織、企業間で方針が共有されていなかったとも言えます。
 実際にゴーン氏の逮捕以降、もう死に体の三菱はともかく日産とルノーの互いの関係や感情は悪化し、日産トップにはルノーとの協調役が選ばれることとなりました。高々と言っては何ですがトップ一人いなくなっただけで関係にヒビが入る組織と言うのは一言で言って脆いとしか言いようがなく、その点でマツダとフォードとは全然違ったということを密かに言いたくて裏テーマにしていました。

 要約すると、きちんと組織や方針がしっかりしていればトップが去っても企業というのは崩れないものであり、それこそが本当の組織力だということです。もっとも、マツダは昔からちょっと羽振りよくなるとすぐ調子に乗る癖があり、CX-5の好調で調子づいて急に車種ラインナップを広げて苦しくなり始めているなど、今はちょっとおかしくなっていますが。フォードもフォードで、マツダの技術が使えなくて世界的に販売が苦しくなるなどしており、もっと二人で仲良くやってけよと老婆心ながら思います。
 なお開発自体はフォード出身社長が来る前から行われていたでしょうが、フォード出身社長時代のマツダの会心作は初代デミオだとみています。実質これがすべてのコンパクトカーフォーマットの原形となり、恐竜で言えば始祖鳥といえます。これに追随してトヨタがヴィッツを作って普及させ、ホンダがフィットを作ってコンパクトカーという形を完成させたというのが私の見方です。我ながら、コンパクトカーには本当にこだわるなと自分でも思いますが、このくだりも本当はJBpressの記事に入れたかったです。

 最後に、実は今回の記事を書く前の前述の書籍への書評で友人に、「朝日出身記者の一番悪い癖が出ている」という感想を述べていました。最初友人は、「それこそ記事に書けよ!」とめちゃくちゃプッシュしてきたのですが、諸般の理由からこれは書けないので、じゃあマツダとの比較で日産記事を書こうとなったのが、本当の執筆開始プロセスでした。こちらの内容についてはまた次回で。

2020年1月8日水曜日

イラン情勢の緊迫化について

 既に各所で報じられている通り、イラン革命防衛隊の司令官暗殺以降、イラン情勢が緊迫化してきています。中国でもすわ第三次世界大戦かなどと大きく注目されており、今晩のゴーンの会見もやや印象が薄らいでいるかのように見えます。

 正直、中東情勢について私は詳しくなく、解説するようなネタも知識もないのが現状です。ただこれは他の日系メディアについても同様だと思え、日本はイランとは歴史的には実はつながりが深いものの、イラン情勢について詳しい人間は案外多くないようで、直近のイラン関連報道も基本外信を引用する形での報道ばかりです。
 改めていくつか報道を見てみると、暗殺されたイランの司令官はこれまで多くのテロ事件に関わってきていたとか、ISとの戦闘でスンニ派勢力が追放されたイラク政府は現在、実質的にイランの傀儡政権になっているなど、これまであまり見聞きしなかった情報が一斉に出てきたように見えます。それだけにこれを機に、中東情勢をしっかり学びなおす必要もありそうです。

 そんな知識のない状態で一つだけ言いたいことを言うと、この中東情勢を「米国VSイラン」という構図で見るのはやはり良くないという気がします。ではどんな構図がいいのかと言うと、「イスラエル(米国)VSイラン」という構図が一番大事で、米国が何故イランと敵対するのかというと、イスラエルが軸になっているという前提を常に考慮に入れる必要があると思います。
 無論、これ以外にも石油資源や米国寄りのアラブ諸国などいろいろ考慮すべき要素は他にもありますが、やはり米国はイスラエルとの関係の延長線上で中東情勢を見ています。トランプ大統領などはその典型で、米国大使館をエルサレムに移すなど、イスラエルとの関係を非常に重視しています。

 以上の内容を含め、また今度辺り中東戦争について調べなおそうかなと言う風に今考えてます。アリエル・シャロンも今やおらず過去の歴史となりつつありますが、中東戦争を理解しないと現代中東情勢はまずわからないだけに、興味がある方は調べるようお勧めします。

<参考>
ソレイマニ殺害の衝撃【バックナンバーPickup】(JBpress)

2020年1月7日火曜日

若さってなんだ

 昨日の記事で昨夜は同僚と夜遅くまで食事して喉潰したってことを書きましたが、食事場所は日本料理屋で、時節柄店内のテレビでは年末の紅白歌合戦の映像が流れていました。ただその映像を見ていて同僚と、「曲も誰もわかんない」という感想で共通しました。

 ここでわざわざ説明するまでもなく、日本の音楽業界は完全な斜陽です。市場規模でいうなら90年代後半が一番大きくCDのミリオン達成数も今とはけた違いに多く、当時の私が青春時代にあったということも影響しているでしょうが、曲としての質や完成度も当時の方がずっと上だった気がします。少なくとも上海のアニソンライブで演奏されるのは同時代の曲ばかりです。

 またセールス面以外でも、いわゆる「時代の流行歌」として数年後も多くの人の記憶に残っている曲が近年どれほどあるのかというと、恐らくほとんどないと思います。それこそ一昨年くらいに何が流行ったのかと聞いて、すぐに答えられる人はほとんどいないでしょう。
 一方、90年代の曲だったらあまり音楽に造詣のない私ですらある程度歌詞とかもそらんじています。前にも書きましたが、以前上海でモー娘。の「LOVEマシーン」のアレンジBGMを聞いた時も、「あれからの日本の未来はWow Wow Wow Wowとはならなかったのか?(;゚Д゚)」などと一人で茫然となったくらいだし。

 こうした点を勘案すると、単純にアーティストの質が下がってきている、もしくは良きものが評価されなくなった時代になったの二つに一つでしょう。もしくは、両方が一緒に影響しているかもしれません。
 かつてこのブログに書いた芸術論でも述べている通り、優れた芸術の定義とは、時代や世代に関わりなく長きにわたり評価され続けることであり、音楽のクラッシックなどはまさにその典型です。そう考えると近年の日本の音楽シーンは使い捨てもいいことで、後年にカバーされることも恐らくないことを考えると、はっきり言えばどんだけ文化が低落してんだと言いたくなってきます。

 などと言う風に今日ブログ書こうかなと思っていたら、ふと思い出したことがありました。それは何かというと先日に会社で年上の同僚と、それぞれが小学生時代に今と違ってどんだけ体力があったのかなどという風な話をしていた際、同僚が音楽の授業の話をして、

同僚「当時、好きな曲を学校に持ってきて歌うというテストがあったから、宇宙刑事ギャバンのカセットを持っていったら――」
花園「若さってなんだ」

 同僚が話し終わらぬうちにまさにその曲の歌詞を私が口にしたのに同僚は驚き、「まだ生まれてないじゃん!?」とか言われました。実際そうだけど。
 何故生まれてもない時代のこの曲の歌詞を知ってたのかと言うと、その宇宙刑事ギャバンの曲は昔、ネットでBM98という音楽ゲーム「ビートマニア」の曲を誰もが自由に作成して遊べるゲームを遊んでいた頃、たまたま拾って演奏していたことがある曲だったからです。ただ、それだけだったら多分記憶にも残らなかったでしょうが、この曲に関してはめちゃくちゃ強い印象に残りました。なんでかっていうと、わかりやすい音程とフレーズに加え、凄まじく記憶に残る歌詞だったからです。

 その辺は実際に聞いてもらえばわかりやすいですが、「若さ、若さってなんだ」とか、「あばよ涙 よろしく勇気」など、一回聞けば一発で覚えるような濃い歌詞ばかりで、私以外にも記憶に残っている人も多いのか、地味にいろんなゲームや漫画などでこれらの歌詞を一部引用している例が見られます。
 そうしたことから年上の同僚に話を合わせられたのですが、これがめちゃくちゃ同僚の琴線に触れたのかしばらくこの話題で盛り上がりました。恐らく私だけでなく、リアルタイムで聞いていた同僚にもこの曲は強い印象に残っていたからこそ、知ってる人がいてめちゃうれしかったのでしょう。

 このギャバンの曲一つとっても、これ以上インパクトのある曲を近年、私は聞いたことがありません。何でもかんでもインパクトが大事ってわけじゃないけど、少なくとも歌詞に関しては記憶に残らないというのであれば、それまでの価値としか言いようがありません。金はなくとも文化は作れる、そういう意味でもっと日本のアーティストには奮起を促したいです。

喉が痛い(´Д`)

 今日、仕事が終わった後から同僚とずっと食事しながら9時半くらいまでしゃべってたせいか、今喉が痛いです。ブログでもずっと言いたい放題な通りリアルでもかなりしゃべり続けることが多いのですが、相手が割と寡黙な聞き役だった場合はガチで延々と一人で独演会を続けることがあり、そうなった場合は割と激しく喉を消耗します。

 幸い、今日一緒に食事した同僚はまだ向こうからもいろいろ話してくれる人だったのですが、最近こんなに長く話していることは少なかっただけに、今日は久々に喉を酷使した感じです。真面目に明石家さんま氏などは案だけしゃべって、喉を壊したりしないのだろうかとこうなるたびによく思います。むしろどうすれば喉を疲れさせずにしゃべれるのか、また鍛え方とかあるのか、たまに気になったりします。

 また最近はめっきり少なくなりましたが、大声を出すと割と一発で喉を潰します。これも声がでかくて有名だった張飛とかどうしてたのか、鍛えてたのかとかなんか気になります。さらに言えば、喉を鍛えてる人は風邪とか引いても喉が痛くならなかったりするのだろうか。

 紙幅が余っているのでもう少し書くと、なんか今日の上海は最高気温が20度を突破するなど春めいた気候になり、普通に暑かったです。明日も夜は冷え込むが昼間はまた20度を超えるとか言っており、あんま冬らしくないと思ってそれほどうれしくありません。

2020年1月3日金曜日

最も完成された必殺技

 友人が明日書く記事をどうするか返事くれないので、この間にブログ記事書くことにします(´;ω;`)ウッ…

 さて私が子供だった時代にナンバーワンのアニメ、漫画ときたら間違いなくドラゴンボールです。なお同時代に人気を博していた「ダイの大冒険」が今度再アニメ化することになりましたが、この漫画はかねてから現代の少年たちにも是非見せたいと思ってた作品なだけに密かに喜んでいます。
 なお「ダイの大冒険」で某魔法使いが自爆技を仕掛けるシーンについて以前友人が、「子供の頃も感動したけど、大人になってからあの決断と行動がより心に沁みるようになった」とうまいコメントを言ってました。

 話は戻りますがドラゴンボールでは様々な必殺技が登場しますが、最も頻度が多く使われたのはかめはめ波であることに間違いないでしょう。地味にこの技はこの漫画、というより日本の全漫画における閃光型必殺技の代表格で、このかめはめ波という必殺技があったかなかったかで、日本の格闘漫画における表現技術は大きく変わっていたのではないかとも考えています。
 登場頻度が多かっただけにかめはめ波は様々なバリエーション(片手、瞬間移動、曲がるかめはめ波)も生まれていますが、こうした応用の幅の広さも必殺技としての価値を高めた気がします。なお個人的に一番好きなのは、対ベジータ戦での4倍界王拳かめはめ波です。

 ただかめはめ波のほかにも、ドラゴンボールを代表する必殺技として元気玉があります。個人的にこの元気玉こそが、格闘漫画というより日本の創作において最も完成された必殺技ではないかと密かに睨んでいます。一体何が完成されているのかというと、「ここぞというところの奥の手」としてのメリット、デメリットの演出が際立っているからです。
 知ってる人には説明不要ですが、この元気玉というのはあらゆる生物からエネルギーを集めて気弾を作り、それを相手目掛けてぶつけるという必殺技です。命中させればまさに一撃必殺と言えるような強大な破壊力を持ちますが(=メリット)、この技を放つためには前述の通りエネルギーを集める動作過程が必要となり、その過程では両手を空に掲げたまま完全無防備のまま立ち尽くすこととなります(=デメリット)。

 仮にデメリットがないのに、威力の高い必殺技が存在したらどうなるのか。RPGゲームで言えばMPをほとんど消費しないのに強力な呪文があるようなもので、こんなのあったら普通はバンバン使って、他の技や呪文には一切目もくれなくなるでしょう(例:DQ6のハッサンのハッスルダンス)。
 そのように考えると、「威力の高い必殺技には、相応のリスクやデメリットがある」という条件があってこそ、初めて「使うか、使うまいか」という問いが生まれることとなるわけです。またこの問というか条件があるからこそ、他の必殺技との使い分けが生まれるわけです。

 前述のかめはめ波と元気玉の関係がまさにこれで、普段はリスクもデメリットの少ないかめはめ波がバリエーション多く使われ、本当にここぞというここぞに限って元気玉が使われています。それこそ作中におけるかめはめ波の使用回数は数えきれないほどありますが、元気玉は実にたった三回(界王星での修行は除く)しか使われていないものの、そのインパクトと使用場面は圧倒的に印象に残るものでした。
 特に最後の元気玉の使用シーンは連載中をリアルで追っていましたが、通常よりもがばっとエネルギーを集める仕様からなかなか協力者が出ないところで、あの驚きの展開ぶりは読んでで本当に意表を突かれた気がしました。その後の撃とうにも撃てるだけの体力がもはや残っていないという状況の逆転ぶりも、演出の妙が非常に光っていました。

 この記事で何が言いたいのかというと、漫画やアニメ、ゲームでただ威力が高いだけの必殺技というのは蛇足になりかねないということです。相応の代償を払うからこそ強力な必殺技が映えるのであり、ノーデメリットであればはっきり言ってありがたみが薄れます。さらにそんな威力が高いだけの必殺技の登場は、そのほかの下位の必殺技を駆逐することになり、実際に一部格闘漫画では新技が出るとそれ以前の技は一切使われなくなることが多いです。某サッカー漫画でもそうですが。
 なおその某サッカー漫画のゲームで必殺シュートを使ったら、ゴールキーパー含め4人吹っ飛ばし、ゴールネットを突き破った上に後ろの壁のコンクリにもめり込んだことがありましたが、普通にこんなシュートのボールに当たったら死ぬと思います。

 新技の登場によってそれ以前の技が使われなくなると、単純に演出も単調になりがちです。やはり技というのはバリエーションこと使い分けがあってこそ話の展開にも弾みが生まれるもので、新技によって旧技が駆逐されるなんてのは自ら幅を狭めるような行為でしかないでしょう。
 そういう意味でドラゴンボールにおけるかめはめ波と元気玉、特に元気玉の物語における必殺技としての完成度は群を抜いていると私は思います。作者の鳥山明氏が意図したものかどうかはわかりませんが、ドラゴンボールにおけるストーリー演出で最も光るのはこの点だというのが私の見方です。

  おまけ
 ゲームにおける必殺技は威力以上に画面演出も重要視されますが、個人的に好きだったのは「その身に刻め!」でおなじみの「ヴァルキリープロファイル」の演出の数々でした。もっとも某甲冑の騎士クリソツキャラの必殺技は「てめぇの技も見飽きたぜ!」と思いましたが。
 単体の技だったら、「テイルズオブエターニア」の「極光剣」が上記の代償もあってすごい好きで、今でもたまに動画を見返したりしますが、意外にPS時代の方がこの手の演出は良かったなと今でも思ってます。

2020年1月2日木曜日

2019年の日本経済

Q、日本史三大「乱」とは何か?

・承久の乱
・応仁の乱
・清武の乱

 上のはもちろん冗談ですが、直近百年において「~の乱」という名称が定着したのは「清武の乱」だけだと思えるだけに、この点一つとっても大きな事件であったと思えます。このほかプロ野球の出来事で歴史事件にもじるとしたら、「カノッサの屈辱」ならぬ「33-4の屈辱」辺りかなと思うのですが、久々にリンク先の記事見ると、

<日本シリーズ ワースト記録(4試合)>
最低打率 .190 阪神 2005年
最少打数 116 阪神 2005年
最少得点 4 阪神 2005年
最少安打 22 阪神 2005年
最少本塁打 0 阪神 2005年・2014年
最少塁打 24 阪神 2005年
最少長打 2 阪神 2005年
最少打点 4 阪神 2005年
最多併殺 6 阪神 2005年
最多暴投 3 江草仁貴(阪神) 2005年
最低防御率 8.63 阪神 2005年
最多ファン逮捕人数 5 阪神 2005年

 最後の項目が最高にイカしています。

 話は本題ですが最近経済記事書いてなくて自分が何の記者だったのか忘れそうになってきたこともあり、昨年の日本経済について思ったことをそのまま書くと、一番大きいのは地味にタワマン神話の崩壊じゃないかと考えています。

 具体的に価格動向を細かくは追っていませんが、これまで価格が下がることなく安定資産の有力候補として騒がれ続けましたが、昨年に入ってからは一転して今後の補修費問題やタワマン住人同士の軋轢などネガティブニュースが突然見え始めるようになりました。また台風襲来による増水で設備破損が起こった武蔵小杉のタワマンも、なんとなくタワマン神話が崩壊しつつあるニュースだったように思え、今年この方面の価格動向を専門的に記事にまとめてみるのも案外ありかもしれません。

 次のトピックとしては、やはりと言っては何ですが株価です。年末の終値はなんだかんだ言いつつ高水準の価格でフィニッシュを決めるなど、一年を通して高値水準をよく維持したものだと内心思っています。米国でもダウ平均が過去最高を何度も更新するなどしていますが、今年の株価は米中貿易摩擦の交渉進捗によって大きく上下しつつ、地味に全体として徐々に上昇するというトレンドを辿っていました。
 以上のような背景から、案外トランプは敢えて米中交渉が不調だというニュースを一旦流した後で、発展があったと発表することを繰り返して、株価を釣り上げているんじゃないかという見解を以前友人に示したことがあります。もちろん検証のしようはありませんが、実際このような感じで世界中の株価が動いていたでしょう。


 個別銘柄に関しては上記の小僧寿しの劇落ぶりが非常に印象的だったのに対し、下記のワークマンの急激な高騰ぶりが非常に対照的でした。

っていうかワークマンが時価総額で並み居る名門企業を追い越す日が来るなんて、誰が想像したことでしょうか。何気に工場に勤務してた時はよくこことか島忠に安全靴買いに来てたけど、結構いいデザインの衣類がいい値段で売ってたのを覚えており、現在の急成長ぶりに関してはそれほど不思議には感じません。あとはこのペースをどれだけ維持してブランド価値を高められるかでしょう。

 最後に、流行に関して言えばなにはともあれタピオカが来るでしょうが、伝え聞くところによると既にこのブームも終息し始めているそうです。タピオカで自分が覚えているのは、姉貴が通っていた大学の2000年前後の文化祭にてタピオカの屋台が出てて、そこで初めて飲んだことくらいです。正直言ってストローでかくて飲みづらいなと思い、その後もあまり飲みたいと思わなくなりました。
 なお中国にいると時折、ドクターペッパーを飲みたくなります。あれ中国だとまず見かけないのですが、変な中毒性があって飲めないとわかるとやたら飲みたくなります。同様に、チェリオのメロンクリームソーダも日本にいると何故か飲み始めるのですが、癖の強い味ってのはなんかよくない中毒性持ってます。