昨日朝起きて目覚まし時計を見てみたら、11時を指しててめちゃ慌てました。実際には8時半だったのですが、目覚まし時計が壊れたのか恐ろしい速度で秒数がカウントされるという状態にあり、時間がずれていたようです。
なので今日新しい目覚まし時計を購入して、元の目覚まし時計の電池を抜こうとしたら2本のうち1本が液漏れしてたのか白い粉にまみれてました。壊れたのもこれのせいだったのかわかりませんが、電池を取り換えても元の目覚まし時計は電源すらつかなくなっていました。
話は本題ですが、何度か過去の記事でも紹介している「2050年のメディア」という本についてレビュー記事を書きます。
この本は以前書いたように友人から面白いと言われて勧められたものの、値段が1900円もすることから電子書籍のセールを待つため一旦保留し、年末のセール時に満を持して買いました。大まかな内容を説明すると、インターネット技術の登場により新聞メディアはどのような影響を受けたのかを、実際の企業当事者たちの当時の動向について丹念に取材して、時系列でそのインパクトや変化、対応が追われています。
元々は慶応大学のSFCで開かれていた著者の講義がベースになっているということから、掲載内容も1つのテーマごとに細かく区切られて載せられています。具体的にはインターネット黎明期における通信インフラ敷設時代、Yahoo発足当初のポータルサイトにおけるニュース掲載契約、読売・朝日・日経の夢のコラボ(であったはず)の「あらたにす」の設立背景、日系電子版の設立経緯などテーマごとに章が区切られており、連載特集記事の様に読むことができて非常に読みやすい構成でした。それでも内容多くて全部読むのに時間かかりましたが。
この手のネットメディアによる新聞メディア駆逐系の本は、今に始まるわけじゃなくかねてから数多くあります。その手の本とこの「2050年のメディア」の最大の差を挙げるとしたら、「2050年のメディア」は、ネットと新聞、双方の立場からその周辺状況の変化を追っている点でしょう。
具体的な当事者を挙げるとYahoo Japanことソフトバンク、読売、日経新聞で、中でも読売新聞は恐らく著者にとって最大の取材対象であったことから非常に事細かにその動きが取り上げられています。そのためか、本来はネットメディアとの相克とはあまり関係なにもかかわらず、清武の乱とか2000年前後のプロ野球の暴力団追放運動まで何故か解説されています。
通常、この手の本はネットならネットメディア、新聞なら新聞メディアの一方向をベースに語られることが多く、どちらかといえば後者の方が多いですが、やや「それでも新聞は滅びない!」的な結論に至ることが多いです。
それに対してこの本では、先ほども書いた通りにネットと新聞の双方の立場からニュースという者を軸にメディア環境の変化が追われており、非常に示唆に富んでいます。2010年代におけるYahoo Jaopanにおけるニュース配信事業を巡る内部分裂など、こうした取材姿勢だからなこそ終えることのできた代表格とも言えるでしょう。
また、著者はそれこそネット黎明期からこのテーマを長年取材してきているだけあって、90年代からつい最近の事件まで詳しく追われています。そうした流れを読んでて感じることとしては、以前にも書きましたがこの議論は「ネットVS新聞」なのではなく、結局は「Yahoo JapanVS新聞」であったということも読んでて感じ取れました。
控えめに言ってもお勧めできる内容で、単純に新聞メディアの90年代以降の動きを追うだけでも読む価値があります。特に私から批判する点はなく、非常に学ぶことの多い内容です。
最後にこの本の展望にそうならば、この先生き残るのは系列印刷所が少なかったからこそ事業転換を遂げられた日経新聞だけとなるわけですが、いろいろと対策をとってきた読売新聞、というより読売新現社長の山口寿一氏がどういう風に舵を取るのかも個人的には気になります。これまでその名前も知りませんでしたが、この「2050年のメディア」の主人公は誰かとなるとこの山口氏がそうであるように思え、個人的に非常に興味の持てる人物であります。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2020年1月26日日曜日
2020年1月24日金曜日
ゲームレビュー「デイグラシアの羅針盤」
今日スーパー行ったら、マスクがワゴンに大量に置かれててやたらみんな写メ取ってました。っていうか「写メ」って今でもいうのか?
上海市内は比較的落ち着いているというか、元々この時期は大量の流入人口が地方に帰るため、街中の人気は少なくなります。そのおかげで自転車も走りやすいのですが、夕方からはまた激しい雨になり、明日は政府に言われなくたってあまり外出できそうもありません。
・デイグラシアの羅針盤(公式サイト)
そんなわけでゲームの話ですが、昨夜この「デイグラシアの羅針盤」というゲームをクリアしました。このゲームはアドベンチャーで、大まかなあらすじとしては完成したばかりの深海遊覧船に乗り込んだところトラブルに遭い、水深700メートルの深海で主人公を含む六人が脱出を図るというよくあるパニックものです。
私はSwitch版を購入しましたがお値段はなんと900円と格安設定でしたが、正直に話すと、あまりにも安いからシナリオが短くてすぐ終わるんじゃないかと当初考えていました。
しかし、結論から言うと上記の予想は外れました。この作品はエンディングが三つで、分岐選択肢もたった二つしかないものの、盛り込まれたテキスト量は非常に膨大で、ゆっくり遊んでいたのもありますがプレイ時間はそこそこ要しました。
またアドベンチャーゲームの肝であるシナリオの質も単純に優れており、SF(深海・フィクション)に求められる科学的考証も非常に説得力ある内容がしあげられており、ちょうど深海魚のホウネンエソが状態がいいまま釣り上げられたというニュースが出ていた時期であったことから、シナリオ中に出てくる「生物発光」の話とかが興味深く読むことが出来ました。
他の人のレビューを見ていると、元々は同人ゲームとして作られたことからBGMや一枚絵がやや乏しい出来という意見が多くみられますが、私個人としてはこちらはそれほど気になりませんでした。BGMがしょぼいったって初代プレステ、いわんやスーファミ時代のアドベンチャーゲームと比べれば質は優れており、その時代を知っているが故か最新のゲームに音質で劣るとしてもそんな気になる程度じゃありません。少なくとも情景に外れたようなBGMはありませんし、一枚絵に関してもそんな頻繁に用意されたところでシナリオが悪ければ無意味です。
同時にそういったレビューでは、音声が入っていない点を残念点として挙げる声もありました。この点に関しても、確かに最近のアドベンチャーゲームで音声なしはもはやかなりレアとなってきていますが、あったらあったでいいとは認めるものの、必ずしも必要かといったらそうではないと私は思ってます。やはりアドベンチャーゲームはシナリオがほぼすべてといってよく、音声も演技良ければいいけど、ひどい演技の音声入ったらそれはそれでひどい始末であり、そこまで音声の有無はこだわらなくていい気がします。
さすがにシナリオのネタバレを書くのは良くないのでそこらへんは自重しますが、この作品について制作陣は、今もなおアドベンチャーゲームの傑作として名高い「ever17」をリスペクトして本作品を制作したと語っています。生憎私はマルクス主義的(意味のない、空虚)な理由から「ever17」を遊んだことはないのですが、この作品を作った打越鋼太郎氏のゲームは先日も取り上げた「AI:ソムニウムファイル」などを筆頭にそこそこ遊んでおり、「ever17」がリスペクトされるというのよくわかります。
ただ全シナリオを読んで率直に感じたことを述べると、「デイグラシアの羅針盤」はむしろ、「うみねこのなく頃に」の制作者がその作品で本来やり遂げたかったであろうテーマを正しい意味で見事にやり遂げているように感じました。
「うみねこ」の方で多少のネタバレを含みながら説明すると、この作品では「シュレディンガーの猫」箱の解釈に対する選択性、いうなれば読者(プレイヤー)の読後における解釈選択における基準なり規範、方向性というものをシナリオに取り込もうとしていたと考えられますが、はっきり言えばこの試みは完全に失敗しています。
失敗した理由は明白で、本来はSFに属すジャンルをミステリーと無理やり両立させようとしたためです。また制作者は当初プレイヤーに意図を隠す目的もあってか作品についてのコメントでミスリードを仕掛けた節がありますが、これがらさらにかえって逆効果となり、ミステリー性とSF性の相互背反性を余計に際立たせる結果したもたらさなかったように見えました。
一方でこの「デイグラシアの羅針盤」は、シナリオジャンルとしては徹底的にSFです。「サイエンス・フィクション」なのか「深海・フィクション」なのかはどっちでも取れますが、ミステリーな謎解き要素もないわけではないものの、大別して計三本のシナリオが同じシナリオベースの上できちんと独立構成されていることから、互いに妨害し合うというコンフリクトを起こしていません。さらにその三本のシナリオは舞台設定を除くと、「白い部屋」というある場面のみによって連結しており、この「白い部屋」をどう解釈するかによって、この作品の真実はどれだったのかということが様々に解釈可能です。
「遭難した深海遊覧船で、本当のところ何が起きていたのか」について、はっきり明示された回答は用意されていませんが、「恐らくこうなんじゃないのか?」という解釈は複数用意されており、それをどうとるかは完全にプレイヤーの自由です。またその複数ある解釈はどれもしっかり構成されているので、どれを選んでもそこそこ納得感があるため、考察や選択においてはストレスめいたものは感じません。そういう意味で、「うみねこ」にあった「本当の正しい結末の答えが得られなくてストレスが溜まる」という、制作者が実質的に回答を放棄したことで起こった最大の問題点を回避しつつ、読後における大きな解釈余地も「デイグラシア」は両立させており、意図的かどうかは図りかねますが、意図的であれば見事な技術だと思わざるを得ません。
そういう意味で値段も安いことから、この作品に関してはアドベンチャーゲーム好きであれば文句なしに太鼓判を押せます。実際、ほんの少し前に「AI:ソムニウムファイル」をやっていたのでインパクトがやや薄れた感はありますが、「デイグラシア」も近年稀に見るアドベンチャーの傑作だと思います。
最後に、自分がこの作品で選んだ結末の解釈についてその選択理由について述べると、冒頭に出てくる「大学院生の~」というセリフからでした。まぁこれ以外にもどの単語、どのシーンを真実と捉えるかによって、解釈はいくらでも変わるのですが。
上海市内は比較的落ち着いているというか、元々この時期は大量の流入人口が地方に帰るため、街中の人気は少なくなります。そのおかげで自転車も走りやすいのですが、夕方からはまた激しい雨になり、明日は政府に言われなくたってあまり外出できそうもありません。
・デイグラシアの羅針盤(公式サイト)
そんなわけでゲームの話ですが、昨夜この「デイグラシアの羅針盤」というゲームをクリアしました。このゲームはアドベンチャーで、大まかなあらすじとしては完成したばかりの深海遊覧船に乗り込んだところトラブルに遭い、水深700メートルの深海で主人公を含む六人が脱出を図るというよくあるパニックものです。
私はSwitch版を購入しましたがお値段はなんと900円と格安設定でしたが、正直に話すと、あまりにも安いからシナリオが短くてすぐ終わるんじゃないかと当初考えていました。
しかし、結論から言うと上記の予想は外れました。この作品はエンディングが三つで、分岐選択肢もたった二つしかないものの、盛り込まれたテキスト量は非常に膨大で、ゆっくり遊んでいたのもありますがプレイ時間はそこそこ要しました。
またアドベンチャーゲームの肝であるシナリオの質も単純に優れており、SF(深海・フィクション)に求められる科学的考証も非常に説得力ある内容がしあげられており、ちょうど深海魚のホウネンエソが状態がいいまま釣り上げられたというニュースが出ていた時期であったことから、シナリオ中に出てくる「生物発光」の話とかが興味深く読むことが出来ました。
他の人のレビューを見ていると、元々は同人ゲームとして作られたことからBGMや一枚絵がやや乏しい出来という意見が多くみられますが、私個人としてはこちらはそれほど気になりませんでした。BGMがしょぼいったって初代プレステ、いわんやスーファミ時代のアドベンチャーゲームと比べれば質は優れており、その時代を知っているが故か最新のゲームに音質で劣るとしてもそんな気になる程度じゃありません。少なくとも情景に外れたようなBGMはありませんし、一枚絵に関してもそんな頻繁に用意されたところでシナリオが悪ければ無意味です。
同時にそういったレビューでは、音声が入っていない点を残念点として挙げる声もありました。この点に関しても、確かに最近のアドベンチャーゲームで音声なしはもはやかなりレアとなってきていますが、あったらあったでいいとは認めるものの、必ずしも必要かといったらそうではないと私は思ってます。やはりアドベンチャーゲームはシナリオがほぼすべてといってよく、音声も演技良ければいいけど、ひどい演技の音声入ったらそれはそれでひどい始末であり、そこまで音声の有無はこだわらなくていい気がします。
さすがにシナリオのネタバレを書くのは良くないのでそこらへんは自重しますが、この作品について制作陣は、今もなおアドベンチャーゲームの傑作として名高い「ever17」をリスペクトして本作品を制作したと語っています。生憎私はマルクス主義的(意味のない、空虚)な理由から「ever17」を遊んだことはないのですが、この作品を作った打越鋼太郎氏のゲームは先日も取り上げた「AI:ソムニウムファイル」などを筆頭にそこそこ遊んでおり、「ever17」がリスペクトされるというのよくわかります。
ただ全シナリオを読んで率直に感じたことを述べると、「デイグラシアの羅針盤」はむしろ、「うみねこのなく頃に」の制作者がその作品で本来やり遂げたかったであろうテーマを正しい意味で見事にやり遂げているように感じました。
「うみねこ」の方で多少のネタバレを含みながら説明すると、この作品では「シュレディンガーの猫」箱の解釈に対する選択性、いうなれば読者(プレイヤー)の読後における解釈選択における基準なり規範、方向性というものをシナリオに取り込もうとしていたと考えられますが、はっきり言えばこの試みは完全に失敗しています。
失敗した理由は明白で、本来はSFに属すジャンルをミステリーと無理やり両立させようとしたためです。また制作者は当初プレイヤーに意図を隠す目的もあってか作品についてのコメントでミスリードを仕掛けた節がありますが、これがらさらにかえって逆効果となり、ミステリー性とSF性の相互背反性を余計に際立たせる結果したもたらさなかったように見えました。
一方でこの「デイグラシアの羅針盤」は、シナリオジャンルとしては徹底的にSFです。「サイエンス・フィクション」なのか「深海・フィクション」なのかはどっちでも取れますが、ミステリーな謎解き要素もないわけではないものの、大別して計三本のシナリオが同じシナリオベースの上できちんと独立構成されていることから、互いに妨害し合うというコンフリクトを起こしていません。さらにその三本のシナリオは舞台設定を除くと、「白い部屋」というある場面のみによって連結しており、この「白い部屋」をどう解釈するかによって、この作品の真実はどれだったのかということが様々に解釈可能です。
「遭難した深海遊覧船で、本当のところ何が起きていたのか」について、はっきり明示された回答は用意されていませんが、「恐らくこうなんじゃないのか?」という解釈は複数用意されており、それをどうとるかは完全にプレイヤーの自由です。またその複数ある解釈はどれもしっかり構成されているので、どれを選んでもそこそこ納得感があるため、考察や選択においてはストレスめいたものは感じません。そういう意味で、「うみねこ」にあった「本当の正しい結末の答えが得られなくてストレスが溜まる」という、制作者が実質的に回答を放棄したことで起こった最大の問題点を回避しつつ、読後における大きな解釈余地も「デイグラシア」は両立させており、意図的かどうかは図りかねますが、意図的であれば見事な技術だと思わざるを得ません。
そういう意味で値段も安いことから、この作品に関してはアドベンチャーゲーム好きであれば文句なしに太鼓判を押せます。実際、ほんの少し前に「AI:ソムニウムファイル」をやっていたのでインパクトがやや薄れた感はありますが、「デイグラシア」も近年稀に見るアドベンチャーの傑作だと思います。
最後に、自分がこの作品で選んだ結末の解釈についてその選択理由について述べると、冒頭に出てくる「大学院生の~」というセリフからでした。まぁこれ以外にもどの単語、どのシーンを真実と捉えるかによって、解釈はいくらでも変わるのですが。
2020年1月23日木曜日
連休中にやること
既に報じられている通りに武漢がラクーン市みたく封鎖されたそうで、今日は会社でも噂もちきりでした。春節を前にして移動が制限された武漢市民に対しては深く同情しますが、現代においてこのような政策を取れる辺りはさすが中国だという感傷を持ちます。
で、上海住まいの私としては特に移動が制限されているわけではないですが、この連休中にどっか行く予定とかはありません。っていうか中国で連休中に観光地行くと人が多すぎてえらい事態に巻き込まれることが多く、むしろこういう時は自宅でじっとしているに限ります。
なので明日からの一週間の連休でぼんやりとやろうと考えていることを書き上げると以下の通りになります。
・ゲーム「デイグラシアの羅針盤」をクリアする
・Z33のプラモを組み立てる
・2019年中国自動車市場の記事を書き上げる
・「2050年のメディア」の書評を書く
・ため記事用の歴史記事を書く(二本立て)
・夏の連載用歴史記事プロットを固める
・中国関連記事ネタを考え出す
・1回はココイチのカレーを食べる
・1回は買っているインドカレー屋のカレーを食べる
・1回は自宅でカレーを作る
・ファーウェイのスマホ購入を検討調査する
・1回は1日12時間は寝る
なんていか記事書くのとカレー食うのばっかな予定ですが、こうなったのには理由があります。その理由というのも、天気予報では向こうずっと雨予報で外出ができないからです。
外出できるならまた100キロくらい自転車で走ってこようと考えてたのですが、今の予報だととてもそんなことできるような天気ではなく、実際に今もかなり強めの雨が降ってて、さっき夕食を食べに外出したら靴がずぶ濡れになりました。雨のおかげで気温はやや上がっていますが、多少寒くてもいいから雨やんでほしいです。
去年の今頃もやばいくらい雨が降り続けて、誇張ではなく1月中に太陽見れたのは3日程度しかなかったため、去年と比べるなら今年はまだマシな天気です。ただそれでも依然として雨が多く、5年くらい前の冬の上海と比べると、現在は明らかに雨や曇りの日が増えています。空気自体はかなりきれいになっていますが。
なんか日本でも今年は暖冬で雨が多いと書かれていましたが、恐らく関東地方は今上海で雨を降らしている雲が三日後くらいに移動するので、来週いっぱいはほとんど雨になるんじゃないかと予想しています。まぁ東京で雨降っても私にはあまり影響ないのですが。
ただ、この雨についてちょっと思うところがあります。それは最初の武漢のコロナウイルスに戻るのですが、この新型コロナウイルスの感染は湿気が影響するのかという点です。
通常のインフルエンザウイルスの場合は寒い気温と乾燥した空気が繁殖の好条件となり、そのため日本では冬場に暖房とともに加湿器がよく備えられ、湿気を高めることで感染予防を行います。それに対し新型コロナウイルスはどのような条件で繁殖し、感染しやすくなるのか、意外とこういう情報が個人レベルの予防や対策において実は大事なんじゃないかなと勝手に考えています。
・武漢(Wuhan)の天気(日本気象協会)
上記ページから過去1週間の武漢の天気情報が見られますが、これ見る限りだと直近の気温は上海と同じく5~10度ですが、ちょっと前までは0度前後で普通に上海より寒いです。一方、湿気の方はほとんど80%以上となっており、上海と同じくかなり蒸れた空気となっているようです。
となると仮にこの状態でも今後感染が広がるとしたら、湿気が高いという条件は感染に関係がない、若しくは広がりやすいということになります。湿気が高ければあまり広がらないという条件であれば、上海はこの後もずっと雨だからまだマシになるのかなと思ってましたが、武漢の天気情報から見るとあまりそうした効果はなさそうです。
どちらにしろ、去年といいマジでこの湿気の多さにはうんざりします。私の場合は室内で暖房を全くつけないということも影響しているのでしょうが、マジ冬だけど、っていうかもはや冬だからこそ除湿器が欲しいです。ニトリとか加湿器置いてないで除湿器置いたらすぐ買ってやるのに、いちいち空気読まない店だなと店頭に置いてある加湿器を見る度に思います。
で、上海住まいの私としては特に移動が制限されているわけではないですが、この連休中にどっか行く予定とかはありません。っていうか中国で連休中に観光地行くと人が多すぎてえらい事態に巻き込まれることが多く、むしろこういう時は自宅でじっとしているに限ります。
なので明日からの一週間の連休でぼんやりとやろうと考えていることを書き上げると以下の通りになります。
・ゲーム「デイグラシアの羅針盤」をクリアする
・Z33のプラモを組み立てる
・2019年中国自動車市場の記事を書き上げる
・「2050年のメディア」の書評を書く
・ため記事用の歴史記事を書く(二本立て)
・夏の連載用歴史記事プロットを固める
・中国関連記事ネタを考え出す
・1回はココイチのカレーを食べる
・1回は買っているインドカレー屋のカレーを食べる
・1回は自宅でカレーを作る
・ファーウェイのスマホ購入を検討調査する
・1回は1日12時間は寝る
なんていか記事書くのとカレー食うのばっかな予定ですが、こうなったのには理由があります。その理由というのも、天気予報では向こうずっと雨予報で外出ができないからです。
外出できるならまた100キロくらい自転車で走ってこようと考えてたのですが、今の予報だととてもそんなことできるような天気ではなく、実際に今もかなり強めの雨が降ってて、さっき夕食を食べに外出したら靴がずぶ濡れになりました。雨のおかげで気温はやや上がっていますが、多少寒くてもいいから雨やんでほしいです。
去年の今頃もやばいくらい雨が降り続けて、誇張ではなく1月中に太陽見れたのは3日程度しかなかったため、去年と比べるなら今年はまだマシな天気です。ただそれでも依然として雨が多く、5年くらい前の冬の上海と比べると、現在は明らかに雨や曇りの日が増えています。空気自体はかなりきれいになっていますが。
なんか日本でも今年は暖冬で雨が多いと書かれていましたが、恐らく関東地方は今上海で雨を降らしている雲が三日後くらいに移動するので、来週いっぱいはほとんど雨になるんじゃないかと予想しています。まぁ東京で雨降っても私にはあまり影響ないのですが。
ただ、この雨についてちょっと思うところがあります。それは最初の武漢のコロナウイルスに戻るのですが、この新型コロナウイルスの感染は湿気が影響するのかという点です。
通常のインフルエンザウイルスの場合は寒い気温と乾燥した空気が繁殖の好条件となり、そのため日本では冬場に暖房とともに加湿器がよく備えられ、湿気を高めることで感染予防を行います。それに対し新型コロナウイルスはどのような条件で繁殖し、感染しやすくなるのか、意外とこういう情報が個人レベルの予防や対策において実は大事なんじゃないかなと勝手に考えています。
・武漢(Wuhan)の天気(日本気象協会)
上記ページから過去1週間の武漢の天気情報が見られますが、これ見る限りだと直近の気温は上海と同じく5~10度ですが、ちょっと前までは0度前後で普通に上海より寒いです。一方、湿気の方はほとんど80%以上となっており、上海と同じくかなり蒸れた空気となっているようです。
となると仮にこの状態でも今後感染が広がるとしたら、湿気が高いという条件は感染に関係がない、若しくは広がりやすいということになります。湿気が高ければあまり広がらないという条件であれば、上海はこの後もずっと雨だからまだマシになるのかなと思ってましたが、武漢の天気情報から見るとあまりそうした効果はなさそうです。
どちらにしろ、去年といいマジでこの湿気の多さにはうんざりします。私の場合は室内で暖房を全くつけないということも影響しているのでしょうが、マジ冬だけど、っていうかもはや冬だからこそ除湿器が欲しいです。ニトリとか加湿器置いてないで除湿器置いたらすぐ買ってやるのに、いちいち空気読まない店だなと店頭に置いてある加湿器を見る度に思います。
2020年1月21日火曜日
1Q九球
今日おなかすいて仕方なかったからラーメン屋で味噌ラーメンとチャーハンをそれぞれ1人前ずつ頼んだら、両方食べてやたらおなか一杯になり、昔と比べ胃が小さくなっている気がしました。もっともそれを言ったら学生時代と今を比べたら三分の一、いや四分の一くらいは確実に小さくなっていることになりますが。あの頃は茶碗じゃ小さすぎるからと言ってどんぶりでいつもご飯食べてて、1食で2合食うのが普通でした。
話は本題ですが書評でも書こうと考えていたところ、あれ書くとなるとかなり長めになり、昨日ほどじゃないけど今日も寒くて指が動かないのでどうでもいいこと書くことにします。
さて平成時代は既に去りましたが、平成時代で記憶に残る年を挙げるとしたら自分の中では間違いなく1995年が来ます。この年は阪神大震災、オウム事件があり、また刻一刻と失われた十年が本格化し始めて来た時期に当たり、なんというか時代の空気も一種独特な感がありました。
その次に挙げる場合、変な話ですが1999年が私の中でなんか大きいです。何故この年なのかというと自分でも理由がややはっきりしないのですが、一つはちょうどこのころに中学時代で精神面で受けるところが大きかったことと、次に世紀末とあって時代の分かれ目めいた雰囲気があったように感じるからです。
世紀末といってもノストラダムスの予言はかえってこの年はあまり盛り上がらず、ひっそりとMMRが終了したにすぎませんでしたが、2000年代に移る狭間故というべきかいろいろと技術面では変革が多かった気がします。
代表的なものとしては2000年問題で、現場状況は中学生だったので全く分かりませんでしたが、各システムの現場では表に見えないところで実際にはいろいろ動いたいたとのことです。そんな2000年問題以前として、ちょうどこのころからパソコンが一家に一台で普及するようになり、またノートPCも段々と増えていき、それらに伴ってインターネットサービスが本格的に普及してきました。
モバイルの発達も著しく、90年代半ばに一旦は普及し始めたPHSが2Gの発達により徐々に携帯電話にとってかわられ、モバイルサービスもこのころから本格的になっていきました。調べてみたらまさにこの1999年にiモードサービスが開始されており、今に続く通話以外のモバイルサービスの端緒となりました。
2Gのサービスは2001年の3Gサービス開始によってこの後から徐々に消えていくこととなりますが、技術というのは新技術との切替え直前にこそ成熟期を迎えるものであり、そう考えると2G末期の1999年にiモードが出たというのもなかなか因果があるように思えます。
その成熟期を迎えた技術で言うと、私の中ではゲーム機の初代プレイステーションが挙がってきます。ハード性能としては既に立ち遅れが目立つ水準となりつつあったものの、ソフトウェアメーカーの開発はまさに円熟期を迎えており、ちょうどこの時期にハード性能をやや無視したようなオーパーツ的なソフトがいくつか発売されています。覚えているのだと「ヴァルキリープロファイル」、「ファイナルファンタジー8」などがあり、この時期のプレステのゲームはほんと楽しかった気がします。
まぁ翌2000年には「GジェネF」、「エターニア」などもっと楽しいゲームが激しく出ていますが。
このほかだと上記のパソコン関連の話につながりますが、秋葉原が一番楽しい頃でした。まだオウムの店もあったし、ジャンクパーツ屋も多かったし、今と比べるとかなりディープなパソコン街で駅前にバスケットコートと穴開き包丁の実演販売もありました。
そういう風に考えると、やはりPC&インターネットの普及期にあったというのが印象的に大きいのかもしれません。
このほかプライベートな話をすると、ちょうどこの年に周りの友人を巻き込んで文芸同人誌を作りましたが、あまりに他の連中が役に立たない上に足しか引っ張らないので、「やる気のない奴はかえっていない方がいいんだな。あと何か期待するのは悪いことなんだな」ということが分かり、自分の独立心を凄い高めてくれました。
この時の経験はよく漫画家になりたいとか作家になりたい、けど技術を教えてくれる人とか、一緒に競い合う仲間が周りにいなくてなかなか踏み出せないという若い子相手に話してました。具体的には、「自分一人で習練積むこともできない時点でもう向いていない。俺は一人で黙々と毎日原稿用紙に向かってたし、表現技法もほとんど一人で開発した」と大物ぶって話したりします。
話は本題ですが書評でも書こうと考えていたところ、あれ書くとなるとかなり長めになり、昨日ほどじゃないけど今日も寒くて指が動かないのでどうでもいいこと書くことにします。
さて平成時代は既に去りましたが、平成時代で記憶に残る年を挙げるとしたら自分の中では間違いなく1995年が来ます。この年は阪神大震災、オウム事件があり、また刻一刻と失われた十年が本格化し始めて来た時期に当たり、なんというか時代の空気も一種独特な感がありました。
その次に挙げる場合、変な話ですが1999年が私の中でなんか大きいです。何故この年なのかというと自分でも理由がややはっきりしないのですが、一つはちょうどこのころに中学時代で精神面で受けるところが大きかったことと、次に世紀末とあって時代の分かれ目めいた雰囲気があったように感じるからです。
世紀末といってもノストラダムスの予言はかえってこの年はあまり盛り上がらず、ひっそりとMMRが終了したにすぎませんでしたが、2000年代に移る狭間故というべきかいろいろと技術面では変革が多かった気がします。
代表的なものとしては2000年問題で、現場状況は中学生だったので全く分かりませんでしたが、各システムの現場では表に見えないところで実際にはいろいろ動いたいたとのことです。そんな2000年問題以前として、ちょうどこのころからパソコンが一家に一台で普及するようになり、またノートPCも段々と増えていき、それらに伴ってインターネットサービスが本格的に普及してきました。
モバイルの発達も著しく、90年代半ばに一旦は普及し始めたPHSが2Gの発達により徐々に携帯電話にとってかわられ、モバイルサービスもこのころから本格的になっていきました。調べてみたらまさにこの1999年にiモードサービスが開始されており、今に続く通話以外のモバイルサービスの端緒となりました。
2Gのサービスは2001年の3Gサービス開始によってこの後から徐々に消えていくこととなりますが、技術というのは新技術との切替え直前にこそ成熟期を迎えるものであり、そう考えると2G末期の1999年にiモードが出たというのもなかなか因果があるように思えます。
その成熟期を迎えた技術で言うと、私の中ではゲーム機の初代プレイステーションが挙がってきます。ハード性能としては既に立ち遅れが目立つ水準となりつつあったものの、ソフトウェアメーカーの開発はまさに円熟期を迎えており、ちょうどこの時期にハード性能をやや無視したようなオーパーツ的なソフトがいくつか発売されています。覚えているのだと「ヴァルキリープロファイル」、「ファイナルファンタジー8」などがあり、この時期のプレステのゲームはほんと楽しかった気がします。
まぁ翌2000年には「GジェネF」、「エターニア」などもっと楽しいゲームが激しく出ていますが。
このほかだと上記のパソコン関連の話につながりますが、秋葉原が一番楽しい頃でした。まだオウムの店もあったし、ジャンクパーツ屋も多かったし、今と比べるとかなりディープなパソコン街で駅前にバスケットコートと穴開き包丁の実演販売もありました。
そういう風に考えると、やはりPC&インターネットの普及期にあったというのが印象的に大きいのかもしれません。
このほかプライベートな話をすると、ちょうどこの年に周りの友人を巻き込んで文芸同人誌を作りましたが、あまりに他の連中が役に立たない上に足しか引っ張らないので、「やる気のない奴はかえっていない方がいいんだな。あと何か期待するのは悪いことなんだな」ということが分かり、自分の独立心を凄い高めてくれました。
この時の経験はよく漫画家になりたいとか作家になりたい、けど技術を教えてくれる人とか、一緒に競い合う仲間が周りにいなくてなかなか踏み出せないという若い子相手に話してました。具体的には、「自分一人で習練積むこともできない時点でもう向いていない。俺は一人で黙々と毎日原稿用紙に向かってたし、表現技法もほとんど一人で開発した」と大物ぶって話したりします。
2020年1月20日月曜日
キングダム記事の裏側
・中国初の統一国家を形成した外国人宰相3人の偉業(JBpress)
最近なんか自分の記事ばかり取り上げている気がしますが、例によって上の記事が今日配信されました。内容は秦の外国人宰相三人について簡単にまとめただけの記事です。
なんでこの記事を書いたのかというと単純にネタに苦しみ、ありきたりな内容だけど、とりあえず漫画のキングダムに抱き着いとけば一定数の読者は確保できるという打算で書きました。割とこういう思いきりは好き。
そのキングダム効果なのか、正直自分が想定していたよりはアクセスが良く、今は少し下がっているけど昼の時点でランキング5位にまで食い込み、意外にも健闘しました。てっきりトップテンからも外れると思ってたので、かなり想定外でした。
少しだけ記事の背景についてもう少し触れると、これまでJBpressで歴史記事を何本も書いてきましたが、実はそれらはすべて日本史と後何故かフィンランド史で、中国史の記事は何気にこれが初めてだったりします。無論中国史が苦手というわけではなく、中国史が好きで中国に来たくらいなのだから書こうと思えばこれまでだっていくらでも書くことが出来ました。
にもかかわらず何故これまで中国史記事を書かなかったのかというと、日本史と比べて中国史のファンは間口が狭く底が深い傾向があり、記事として出しづらかったというのが最大の理由です。
これはどういうことかというと、日本史はマニアレベルももちろんいますが、浅い知識を持っている層も広く、簡単な解説記事でも興味を持って読んでくれ、面白いと感じてくれる読者がいます。一方、中国史は修羅の国さながらで、そもそも中国史に関心を持つ層は日本史と比べると圧倒的に狭く、手に取ってもらう確率は大分低くなります。その上、元々中国史に興味がある人はかなりマニアックな知識自慢が多く、実際に中国で会った中国史マニアの日本人はほぼみんな、「中国史に詳しいというのなら、俺とデュエル(知識比べ)しようぜ( ・´ー・`)」と確実に言ってくる連中でした。
この手のマニアック層は何書いたって、「これに触れるならこれにも触れるべきだ」とか「一方の説しか引用してない」などとすぐケチをつけてくる人が多く、うかつな記事を書いたらなんかめちゃくちゃ叩かれそうだなと思ってこれまで書けませんでした。まぁこう言ってる私もこれまで他の記事にケチつけて来てるんだけど。
今回は前述の通りネタに苦しんだのと、キングダムをひっぱりゃまぁ何とかなるだろうという目算が立ったから書いたのですが、ヤフコメとか見てると意外と反応は悪くなく、ケチ付けて来た人間もいるっちゃいますが、その内容については全部想定通りで反撃可能な程度のレベルだったので、なんか変に安心しました。
夏にも中国史ネタでまた三週連続解説記事を書こうか書くまいかと悩んでましたが、今回の記事でそこそこ自信がついたので、恐らく書くことになるでしょう。
最後に、この記事で言いたかったことを少し解説します。記事の結論部分で割とはっきり明示していますが、第一には秦の覇権は軍事力ではなく内政統治が他国に比べ圧倒的に優れていたからだということを伝えたかったです。キングダムは漫画ゆえに軍事面ばかりが取り上げられますが、実際の歴史ではその軍事力、並びに人材を支えた内政統治システムによって秦は他国を凌駕しており、地味なところにこそ国の力が現れるということを書こうと思いました。
次に、ヤフコメでも「外国人をやたら強調して、日本にも外国人を採用しろと言いたいのか」みたいなコメントが見られますが、実はこの「外国人」というのはミスリードを誘う呼び水でした。私が何を言いたかったのかというと、「外国人だろうとなんだろうとかまわないから、もっと実力本位で人材を抜擢すべき」ということでした。
正直に言えば、私は国の力になってくれるというのなら外国人(ゴーン)でなくても、宇宙人、エルフ、妖怪の類でも要職に抜擢すべきだと考えています。もっとも妖怪とはいえ、ねずみ男が自ら売り込んできたらさすがに帰ってもらいますが。
なんとなくですが今の日本は外国人はおろか、日本国内にいる日本人ですら有為の人材をきちんと抜擢できず、人材を無駄に潰しているように見えます。政界なんかが特に顕著ですが、実力とかそういうのではなくほぼ完全にアピール力、どれだけ目立つかだけを指標に選別している節があり、先日自殺した三宅雪子のように、本来そうした世界に来るべきでなかった人まで巻き込んでしまっています。
そうした実力主義というテーマを敢えて「外国人」というカバーにかけて今回放出しましたが、さすがにここまで読み込んだ人はコメントを見る限りいません。もっとも私自身が読み取れる人が現れることまで期待しておらず、自己満足で終わらせようとした裏テーマに据えていましたが。
最近なんか自分の記事ばかり取り上げている気がしますが、例によって上の記事が今日配信されました。内容は秦の外国人宰相三人について簡単にまとめただけの記事です。
なんでこの記事を書いたのかというと単純にネタに苦しみ、ありきたりな内容だけど、とりあえず漫画のキングダムに抱き着いとけば一定数の読者は確保できるという打算で書きました。割とこういう思いきりは好き。
そのキングダム効果なのか、正直自分が想定していたよりはアクセスが良く、今は少し下がっているけど昼の時点でランキング5位にまで食い込み、意外にも健闘しました。てっきりトップテンからも外れると思ってたので、かなり想定外でした。
少しだけ記事の背景についてもう少し触れると、これまでJBpressで歴史記事を何本も書いてきましたが、実はそれらはすべて日本史と後何故かフィンランド史で、中国史の記事は何気にこれが初めてだったりします。無論中国史が苦手というわけではなく、中国史が好きで中国に来たくらいなのだから書こうと思えばこれまでだっていくらでも書くことが出来ました。
にもかかわらず何故これまで中国史記事を書かなかったのかというと、日本史と比べて中国史のファンは間口が狭く底が深い傾向があり、記事として出しづらかったというのが最大の理由です。
これはどういうことかというと、日本史はマニアレベルももちろんいますが、浅い知識を持っている層も広く、簡単な解説記事でも興味を持って読んでくれ、面白いと感じてくれる読者がいます。一方、中国史は修羅の国さながらで、そもそも中国史に関心を持つ層は日本史と比べると圧倒的に狭く、手に取ってもらう確率は大分低くなります。その上、元々中国史に興味がある人はかなりマニアックな知識自慢が多く、実際に中国で会った中国史マニアの日本人はほぼみんな、「中国史に詳しいというのなら、俺とデュエル(知識比べ)しようぜ( ・´ー・`)」と確実に言ってくる連中でした。
この手のマニアック層は何書いたって、「これに触れるならこれにも触れるべきだ」とか「一方の説しか引用してない」などとすぐケチをつけてくる人が多く、うかつな記事を書いたらなんかめちゃくちゃ叩かれそうだなと思ってこれまで書けませんでした。まぁこう言ってる私もこれまで他の記事にケチつけて来てるんだけど。
今回は前述の通りネタに苦しんだのと、キングダムをひっぱりゃまぁ何とかなるだろうという目算が立ったから書いたのですが、ヤフコメとか見てると意外と反応は悪くなく、ケチ付けて来た人間もいるっちゃいますが、その内容については全部想定通りで反撃可能な程度のレベルだったので、なんか変に安心しました。
夏にも中国史ネタでまた三週連続解説記事を書こうか書くまいかと悩んでましたが、今回の記事でそこそこ自信がついたので、恐らく書くことになるでしょう。
最後に、この記事で言いたかったことを少し解説します。記事の結論部分で割とはっきり明示していますが、第一には秦の覇権は軍事力ではなく内政統治が他国に比べ圧倒的に優れていたからだということを伝えたかったです。キングダムは漫画ゆえに軍事面ばかりが取り上げられますが、実際の歴史ではその軍事力、並びに人材を支えた内政統治システムによって秦は他国を凌駕しており、地味なところにこそ国の力が現れるということを書こうと思いました。
次に、ヤフコメでも「外国人をやたら強調して、日本にも外国人を採用しろと言いたいのか」みたいなコメントが見られますが、実はこの「外国人」というのはミスリードを誘う呼び水でした。私が何を言いたかったのかというと、「外国人だろうとなんだろうとかまわないから、もっと実力本位で人材を抜擢すべき」ということでした。
正直に言えば、私は国の力になってくれるというのなら外国人(ゴーン)でなくても、宇宙人、エルフ、妖怪の類でも要職に抜擢すべきだと考えています。もっとも妖怪とはいえ、ねずみ男が自ら売り込んできたらさすがに帰ってもらいますが。
なんとなくですが今の日本は外国人はおろか、日本国内にいる日本人ですら有為の人材をきちんと抜擢できず、人材を無駄に潰しているように見えます。政界なんかが特に顕著ですが、実力とかそういうのではなくほぼ完全にアピール力、どれだけ目立つかだけを指標に選別している節があり、先日自殺した三宅雪子のように、本来そうした世界に来るべきでなかった人まで巻き込んでしまっています。
そうした実力主義というテーマを敢えて「外国人」というカバーにかけて今回放出しましたが、さすがにここまで読み込んだ人はコメントを見る限りいません。もっとも私自身が読み取れる人が現れることまで期待しておらず、自己満足で終わらせようとした裏テーマに据えていましたが。
2020年1月19日日曜日
中国の地下鉄の衛生環境
また最近ブログの誤字脱字が激しくなってきていますが、これは単純に家の中で暖房を一切つけないために、寒くて指がかじかむからです。特に昨日は部屋着のフリースを洗ったところ乾かず、干しっぱなしで着れなかったので余計に寒かったです。フリース一枚であんな変わるとは思わなかった。ちなみに今の室温は10度台。
話は本題ですが武漢発コロナウイルスが日本でも話題になっていますが、中国現地にいる身からすると、現時点でもインフルエンザの方が感染者も死者数も多いのになって感じであんま慌てていません。武漢行った人も現地は割と普段通りと言ってました。
ただ、武漢以上に中国では衛生的に怖いというか危険なところは結構あります。具体的に言うとそれは地下鉄で、油断していると変な虫とかつけられます。
春節まで一週間を切ったちょうどこの時期に顕著ですが、明らかに地方出身者と思しき乗客を地下鉄で見ることが増えてきました。臭い的にはそんなきついものはないのですが、明らかに身なりからして一般の上海市居住者と比べて汚く、うかつにこういった乗客の近くで電車乗ってるとダニとかその手の虫が飛び移るのか、電車降りてから猛烈に背中のあたりがかゆくなったりします。
何気にさっきも帰宅途中の地下鉄でそれっぽい乗客を見てからかゆみを覚えたので、帰宅後にすぐシャワー浴びました。
特に虫に弱い自分からするとこの手の地方出身者は明らかに鬼門なのですが、彼らにとっては自身の衛生感覚からして問題のない状態であり、一方的にこちら側が彼らを不潔と言うべきかとなるとそうではないと私は思っています。それだけにこうした衛生感覚というのは、やはり国家や地方自治体単位で徐々に高めて、強めていくしかないんだろうなという気がします。
日本国内でも、私が子供だった頃は擦り傷作っても消毒なんて生ぬるい時代でしたが、今はなんかやたら破傷風とか言い出すようになったし、小売店とかでも入り口前にアルコール消毒スプレーとか普通においてあって、やはりかつてと比べると衛生感覚が向上しているように思えます。そう考えると中国も発展途上だと言え、少なくとも昔と比べては段々マシになってはいるので、あまりとやかく言うべきではないという風に自分では位置付けています。
だがそれでも地下鉄はもうちょい綺麗にしてほしい。夏場なんか特にかゆくなること多いし、最悪なのは椅子に座っただけで尻がかゆくなります。それでも昔に比べたらマシだけど。
ついでに書くと、地下鉄車内で歌を歌いながら物乞いをする人は最近見ません。何それとか思うかもしれませんがほんの10年くらい前は地下鉄に乗るとほぼ毎回この手の物乞いと出くわし、変に近寄られると自分の体がかゆくなるという嫌な出会いが頻発してました。
あと上海市内の物乞いは割とアグレッシブだから、普通に路上歩いていたら声かけてきて「パンを買うお金が欲しいんだけど」とか言ってきます。もっとも、身なりが綺麗だから本気で困っているわけじゃなく仕事として物乞いしてんだろうけど、なんでみんなパンを口上に並べるのかが割と不思議です。
期限良い時は中国語で「ほか当たれ」とか「警察に言え」とか言いますが、マジ機嫌悪い帰宅途中だったら「(# ゚Д゚)<うるせぇ!」と日本語で一喝して去ります。
なお関係ないけど、日本にいた頃マジ機嫌悪い状態で夜自転車に乗ってたら、どっかの家の犬が自分に向かって吠えてきたので本気で「(# ゚Д゚)<うるせぇ!」と怒鳴ったら、なんか前歩いてたおっさんが驚いてて、おっさんにはちょっと申し訳ない気がしました。場所は何気に松戸で、マッドシティらしい夜だった気がします。
2020年1月18日土曜日
戦国時代のスキルを現代に例えるなら
最初はJBpress向けの記事で書こうかなと考えていましたが、昔「戦国ハローワーク」というお題の掲示板がありました。ここでは戦国時代における就活についてそれぞれ勝手に言い合うという大喜利が繰り広げられていたのですが、
「拙者、馬術免許を持っているのですが、どこか仕官できそうなところはあるでしょうか?」
「今時馬術なんてどこも欲しがらない。時代は鉄砲だよ」
「最低でも、タネガシマスコア650は欲しいね」
などと、うまく現代的な話題で結構ディープなネタが並べられてて、未だにその内容を強く覚えています。
上記のやり取りにも出てきますが、実際に戦国時代半ばから後期にかけては、鉄砲技術がどの大名家でも重要視され、この方面に明るい人物は重宝されたそうです。稲富流の開祖でゲームではやたら鉄砲スキルが高い稲富祐直なんて、ゲームで遊んでいてもぜひスカウトをかけたくなる人材で、実際に当時の大名家もこんな具合で欲しがったんだろうなというバーチャル体験ができます。
なおこのほかに鉄砲技術で仕官を勝ち取ったというか高い評価を受けたものだと、大河でおなじみの明智光秀、それと秀吉と犬猿の仲でおなじみの佐々成正です。佐々成正に関しては、日本史上最高のアルピニストとしての登山技能(さらさら越え)も持ち合わせていますが、生憎登山技能はそれほど重宝されませんでした。
この鉄砲スキルを敢えて現代で例えるとしたら、やはり今最も注目されているAIスキルが適当であるという気がします。逆を言えば戦国時代も現代も、搭乗したばかりの最先端の技術ほどそのスキル価値が高いと言え、「技術は新しければ新しいほどいい」というのは案外どの時代でも当てはまるかもしれません。
一方、前述の馬術、並びに剣術スキルについては、習得が比較的容易で且つ取得者も多いことから、実際にはこれだけで仕官に結びついた例はあんまり聞きません。それこそ剣術では宮本武蔵のようなトップクラスに限られ、馬術については「できて当たり前」的なもので、今でいうと「普通自動車免許」みたいなものだったのかもしれません。
だとすると剣術は、ITパスポート程度かな。WordやExcelは仕事で一般的に使うけど、極めているかどうかが一見判断しづらいというのも共通してるし。
このほか、どこでも引っ張りだこになるレアスキルとしては「築城」がありました。これはそもそもスキルを習得、向上させる機会が非常に少ないけれど、実際に使うとなると非常に重要ということから、戦国末期にかけては経験者があちらこちらで現場監督指導に引っ張りだこにされています。このスキルの代表者としては丹羽長秀と思いきや、実際には藤堂高虎で、次点で加藤清正とかが来るのではないかと思います。
この築城を敢えて例えるとしたら、習得が困難ではあるがもっとくと圧倒的に強いという意味では司法試験合格者が適当かもしれません。
あと戦国時代を代表する仕官用スキルとしては、茶道があります。戦国後期に大流行した茶道の作法は人脈構築において圧倒的に有用なスキルとなり、またその技能レベルに関しても初級から上級、果てには利休クラスの神業級と上下の幅が広く、一般性を有しながらその経験や技能深さが非常に問われるスキルでした。
これは現代に例えるなら迷わず「外国語」だと言えます。比較的広範に使える人が多いものの、その使用レベルに上下があるということと、初級者であっても一定の需要があり、尚且つ他のスキルと組みあわえることで真価を発揮するというのがその根拠です。
もっとも、リアル外国語ことオランダ語や英語も、当時の外国との貿易に当たって非常に重要なスキルでありました。特に当時の日本は火薬の自給自足が行えず、その大半は海外からの輸入品であったと言われることから、実際に仕えて且つ人脈なども持っているキリシタン大名はその点で強みがあったと言えるでしょう。
このように考えると、どの時代も仕官や就職に求められるスキルの構造というのは、レアリティやスキルの深さが非常に重要で、新規スキルほどニーズが高い点で、案外変わりがないんだなぁという気がします。ただ「読み書きそろばん」はさすがに現代では言葉として古く、今風に言うなら「ワード、パワポ、エクセル」、若しくは「コミュ力、英語、Office」というんじゃないかな。
「拙者、馬術免許を持っているのですが、どこか仕官できそうなところはあるでしょうか?」
「今時馬術なんてどこも欲しがらない。時代は鉄砲だよ」
「最低でも、タネガシマスコア650は欲しいね」
などと、うまく現代的な話題で結構ディープなネタが並べられてて、未だにその内容を強く覚えています。
上記のやり取りにも出てきますが、実際に戦国時代半ばから後期にかけては、鉄砲技術がどの大名家でも重要視され、この方面に明るい人物は重宝されたそうです。稲富流の開祖でゲームではやたら鉄砲スキルが高い稲富祐直なんて、ゲームで遊んでいてもぜひスカウトをかけたくなる人材で、実際に当時の大名家もこんな具合で欲しがったんだろうなというバーチャル体験ができます。
なおこのほかに鉄砲技術で仕官を勝ち取ったというか高い評価を受けたものだと、大河でおなじみの明智光秀、それと秀吉と犬猿の仲でおなじみの佐々成正です。佐々成正に関しては、日本史上最高のアルピニストとしての登山技能(さらさら越え)も持ち合わせていますが、生憎登山技能はそれほど重宝されませんでした。
この鉄砲スキルを敢えて現代で例えるとしたら、やはり今最も注目されているAIスキルが適当であるという気がします。逆を言えば戦国時代も現代も、搭乗したばかりの最先端の技術ほどそのスキル価値が高いと言え、「技術は新しければ新しいほどいい」というのは案外どの時代でも当てはまるかもしれません。
一方、前述の馬術、並びに剣術スキルについては、習得が比較的容易で且つ取得者も多いことから、実際にはこれだけで仕官に結びついた例はあんまり聞きません。それこそ剣術では宮本武蔵のようなトップクラスに限られ、馬術については「できて当たり前」的なもので、今でいうと「普通自動車免許」みたいなものだったのかもしれません。
だとすると剣術は、ITパスポート程度かな。WordやExcelは仕事で一般的に使うけど、極めているかどうかが一見判断しづらいというのも共通してるし。
このほか、どこでも引っ張りだこになるレアスキルとしては「築城」がありました。これはそもそもスキルを習得、向上させる機会が非常に少ないけれど、実際に使うとなると非常に重要ということから、戦国末期にかけては経験者があちらこちらで現場監督指導に引っ張りだこにされています。このスキルの代表者としては丹羽長秀と思いきや、実際には藤堂高虎で、次点で加藤清正とかが来るのではないかと思います。
この築城を敢えて例えるとしたら、習得が困難ではあるがもっとくと圧倒的に強いという意味では司法試験合格者が適当かもしれません。
あと戦国時代を代表する仕官用スキルとしては、茶道があります。戦国後期に大流行した茶道の作法は人脈構築において圧倒的に有用なスキルとなり、またその技能レベルに関しても初級から上級、果てには利休クラスの神業級と上下の幅が広く、一般性を有しながらその経験や技能深さが非常に問われるスキルでした。
これは現代に例えるなら迷わず「外国語」だと言えます。比較的広範に使える人が多いものの、その使用レベルに上下があるということと、初級者であっても一定の需要があり、尚且つ他のスキルと組みあわえることで真価を発揮するというのがその根拠です。
もっとも、リアル外国語ことオランダ語や英語も、当時の外国との貿易に当たって非常に重要なスキルでありました。特に当時の日本は火薬の自給自足が行えず、その大半は海外からの輸入品であったと言われることから、実際に仕えて且つ人脈なども持っているキリシタン大名はその点で強みがあったと言えるでしょう。
このように考えると、どの時代も仕官や就職に求められるスキルの構造というのは、レアリティやスキルの深さが非常に重要で、新規スキルほどニーズが高い点で、案外変わりがないんだなぁという気がします。ただ「読み書きそろばん」はさすがに現代では言葉として古く、今風に言うなら「ワード、パワポ、エクセル」、若しくは「コミュ力、英語、Office」というんじゃないかな。
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