ページ

2020年5月30日土曜日

マツダだよ、全車集合!

 上海は梅雨に入りつつあるのか今日は朝から大雨で涼しいです。またこの時期からライチが果物屋に並び始めるので、ストックを買っておいて家で冷蔵庫開ける度に一個ずつ食べてますが、すっかり中国の生活が馴染んだなとよく思います。


 それで本題ですが、上記画像を遠目に見るとなんか赤い車の写真が連続して貼られているように見えますが、色こそ赤で統一されているものの、実際にはこれは全部別々のマツダの車です。ただ各社のフロントマスクの差がほぼないため、見ての通り見分け辛いラインナップとなっています。

 なおこの画像を最初見た時、私は「アタック25」を連想しました。あと自分はたまに変なテンションの時、「にじゅっご、にじゅっご♪」と口ずさむことがあります。

 話を戻しますが、なんでこんなに見分け辛いのかというと色以前にフロントマスクのデザインを統一していることもさることながら、ほぼ同じタイプの車を大量に出していることも理由に入るでしょう。代表的なのは「MAZUDA2(旧デミオ)」と「CX―3」と「CX―30」で、これなんかリアデザイン以外はほぼ一緒だから正面から見分けることは難しいと思います。それどころか名前すらも似たり寄ったりなため、さっきの画像から全車名を当てることは真面目にアタック25並に難しいでしょう。

 なんでマツダはこんなラインナップを仕立てたのかというと、一番はやはりBMWがフロントマスクを統一してブランドイメージを挙げるのに成功したのに続こうとしたためでしょう。こうした「顔面統一」作戦はトヨタやホンダなどでもある程度展開されていますが、日系で一番極端な形でやってしまったのは間違いなくマツダです。でもって、この目論見は少なくとも日本市場では失敗気味で、コロナ流行以前の販売台数推移などを見ても勢いをなくているのがはっきりしています。

 特にマツダの場合、日本史上で長年使われブランド力を持った「デミオ」や「アクセラ」といった車名を、また欧州系みたくアルファベットと数字の連番系の名前に統一してしまったことも悪手でしょう。車に独自の名前を付けるのは日系と米系(中国系もその傾向がある)が主とは言え、市場によって名前を使い分ければいいだけだったので、そこまで欧州にすり寄らなくてもよかったという気がしてなりません。
 第一、言霊信仰が若干ある日本人にとって、独自の名前を持たないというのは民俗学的にもセールスによくない気がします。民俗学にセールスどうこうあるのか知りませんが、車とはいえ自分の持ち物を番号で周囲から呼ばれるのは日本人的にはあまり喜ばしくないと思います。

 上記の統一方針以前に、マツダはそもそもラインナップの編成時点で滑っています。明らかにSUVとミドルクラスセダンに車種が集中しており、カバーする顧客層が非常に狭くなっています。特に「MAZUDA3(旧アクセラ)」に至っては最低購入価格が220万だなんて、誰が買うんだよこの値段設定とデビュー当初に本気で思いました。断言してもいいですがこの値段なら、性能的にも価格的にもカローラ(ノーマル:193万~、ハイブリッド:240万)を選んだ方が絶対得だと私は思います。
 「MAZUDA3」は200万円台なら、ハッチバック車はありだと思うのですが。自分がハッチバック好きなだけですが。

 もう少しグレードを分けるとか、デザイン面でも若者向けと中高年向けをしっかり区分すりゃいいのに、何をどう間違ってこんな方針を取ってしたのか気が知れません。真面目に、今のマツダはアルターコロナにどうやって行くのか、見ていてかなり不安です。「MAZUDA6(旧アテンザ)」なんかはいい車だと思うけど、今のラインナップだと自ら客を食い、且つ埋もれさせてしまっているように見えるだけに、大胆な切替えが必要だと思っています。

2020年5月27日水曜日

加賀ミリオネア

 勝手な憶測かもしれませんが、「百万」って単語に一番反応する日本人は石川県人だと思ってます。理由はもちろん加賀百万石からですが、数年前に金沢市を訪れた時にどのお土産にも「百万~」という名前が付けられてて、とにもかくにも石川県人は百万が好きなんだなと思いました。

 その金沢ですがなんで行ったのかというと、北陸に行く機会がそれまで多くなかったので日本帰国時に「北陸行きたい」当地の名古屋に左遷された親父に行ったら、なんか自分以上に親父の方が張り切って予定とか作ってました。それもそのはずというか、関西出身のうちの親父は入社して初めての赴任地が金沢だったとのことで、今でもたまに当時のメンバーで集まるくらい金沢が縁深い土地だったりします。
 とはいえ、最初いきなり金沢だったときは嫌で仕方なかったそうで、行ったら行ったで現地の人に関西弁を「訛ってますね」とか言われ、「お前らに言われたくない」と石川県人に対し腹の底で思ってたそうです。なおこの時の金沢訪問時、福井当たりの鉄道博物館にも言って、「この特急で連休に関西に帰省したんや」と古い車両を見ながらやたらはしゃいでました。

 いい加減親父の話はやめるとして、金沢自体は今のところ二回訪れましたが、二回とも悪い気分はせず、街中も整っててそこそこ気に入っています。割と寒い気候に強いし、冬は家に閉じこもってジーっと考えるのが好きだから将来北陸に住んでもいいかなとか思ってましたが、親父によると北陸は冬の湿気がやばいそうで、上海で湿気の多い冬を経験してからは確かに不快度数半端ないと気づいたので、現在はこの計画は立ち消えとなっています。やはり住むなら奈良がいいか。

2020年5月26日火曜日

安倍政権の今後の予測

 上海は昨日あたりから雨が降り始め、今後もずっと雨予報で梅雨が来ている感じです。自分でも知らないうちに、中国で梅雨を迎えるのがもう10年くらいになりました。ちょうど今は仕事が少ない時期ですが、来週からはまた鬼のように忙しくなることを考えると、梅雨が来る時期はちょうど今みたいに中だるみのようなだるさを覚えるのだろうかという風に思います。

 それで本題ですが、結論から書くと安倍政権は年内持つかもわからないというのが私の見方です。原因はやはり黒川元高検検事長の賭け麻雀退任事件、次点でアベノマスクです。

 賭け麻雀事件に関しては多分そうなるとは思ってたけどやはり懲戒とはならず、退職金も無事に支払われたそうです。後になってビビって一部減額したことにしていますがこれだって正直本当かわかりません。恐らく、安倍首相としてはこれで損切りをしたと考えているのかと思いますが、森友事件以降、彼の損切り感覚はかなり異常なものになっているので、国民はそうは受け取らないでしょう。昭恵夫人といい、身内に関してはとことん甘いというか何をしても放免する癖が露呈しているだけに、私自身は前述の一部減額という報道をはじめから信じていません。

 恐らく今後は支持率回復のためにコロナウイルスの感染拡大防止で実績アピールするかと思います。しかしこの点に関してもアベノマスクは壮大な無駄遣いとバラマキにしかなっていないという国民のコンセンサスは出来上がっており、また肝心の十万円給付も今のペースなら秋くらいになることから、秋までにもう一発何か来ると今度こそ支持率は底を割る気がします。
 また感染拡大防止に関してはどちらかと言えば自治体の首長、それと現場の医療関係者の努力による功績の方が大きいと私は見ており、他の日本人もそうではないかという気がします。にもかかわらず政府が実績アピールでもしようものなら、それは違うという反感しか買わないでしょう。むしろ逆に、医療従事者の努力を称えるセリフでも言えばまだいいのですが、今の官邸にそのような助言をできる人はいないと断言できます。

 私の個人的推測ですが、恐らく安倍首相としては今年開催予定だった東京五輪、あと憲法改正を花道にと考えていたのではないかという気がします。しかし後者はともかく前者は既に延期が決まっており、また来年に開催できるかも未だ見通しが立っていません。率直に述べると、来冬にコロナの第二波が来る可能性が非常に高いと思えるだけに、来年も東京五輪は開催できない可能性が高いのではと私は思います。
 仮にそうなれば、恐らく今年の10月くらいに開催可否をIOCが判断するでしょうが、花道にと考えていた東京五輪がなくなるので、安倍首相もそこらで気力が切れるのではという可能性を考えています。どれも推測ですが、そのあたりで次にとなるのではないでしょうか。

 個人的に安倍首相に関しては、やはり2年くらい前に任期きっかりで辞めとけば比較的高評価を得たまま去れた、いわば勝ち逃げが出来たと思うのに、東京五輪と憲法改正に欲を出した結果が森友・加計学園問題、検察庁介入問題にかかわることとなり、後世の評価を果てしなく下げたと考えています。特に今回の検察庁介入問題は真面目に韓国を笑えない暴挙としか思えず、政権に近いというだけの人間を明確に法に反して残留させ、挙句に賭け麻雀を半合法化させるという、歴史に残る暴挙をやってのけたものだなと思えてなりません。まぁ黙ったまんまの検察も検察だと内心思いますが。

 この検察庁問題は自分も専門ではないし他にも議論する人が多かったのでこれまであまり触れませんでしたが、一点だけ意見を述べると、先月の国会での定年延長議論時に突然芸能人らが一斉にこの問題に反対する発言を行い始めました。あまりの一斉ぶりから誰かしら入れ知恵する人間がいる、それも元々支持母体となっている公務員らの定年延長を求めていた野党側の人間ではなく、むしろ右翼側の人間だろうと考えていましたが、今回の賭け麻雀事件を見て感じたのは、「これも最初から含まれていたのか?」という点です。わかりやすく言い換えると、芸能人らに反対表明をさせた連中は、最終的に賭け麻雀で黒川を刺すことも織り込んでいたのかという点が気になります。

 自分でも穿ち過ぎな気もしますが、やはりタイミングがあまりにも良すぎることと、賭け麻雀報道をしたのは実は文春が初出じゃない点を考慮すると、週刊誌メディアを中心にこの情報はあらかじめ幅広く配られていたのは間違いなく事実だと考えています。配った人間は誰か、どんな意図だったのか、少しこの辺にきな臭さを感じています。まぁ政府の検察への過剰介入を排除できた点は素直に良かったことだと私自身は評価していますが、仮に初めからこのシナリオが織り込み済みだったとすると、安倍政権の今後もシナリオに入っているのか、論点はそこになってくるでしょう。

2020年5月25日月曜日

二つのダブルスタンダード

いつまで経ってもステマがなくならない裏側の理由(JBpress)

 というわけで今日の配信記事ですが、めっちゃアクセスは悪いです。ランキングには一回も出ず、コメントもほとんどなく、単純に読まれていません。つなぎとして書いた記事であることは認めますが、さすがにここまでアクセス悪いとため息も出ます( ´Д`)=3 フゥ
 ただ、それもそのはずというかこの記事は仕掛けがひどいです。極論から言うと、この記事のテーマは実はステマじゃなく、ダブルスタンダードについてです。それも二つ。

 一つ目は、記事中にも書いている通りステルスマーケティングは民間がやれば準犯罪だが、国がやれば情報操作という点です。このステマに限らずとも、個人や企業がやったら犯罪となる行為でも国がやるとなったら無罪放免となるものは多く、具体的には職務放棄や定年延長、賭け麻雀などです。特に後者は、今回の一件でレートが低ければ犯罪とはならないという前例を作ったので、今後摘発されたら「レートはテンピンだった」と言えばなんとかなるでしょう。まぁ試すことはないですが。

 もう一つのダブルスタンダードは、これは読み取れというのが実質不可能なレベルの自己満足なレベルのものです。記事中で触れているのはサブリミナルのところで、一時は多くのテレビ局や映画などで使われた手法であったものの、放送業界がもうやめようと自主規制規定を作った途端にピタリと止んだと書いたところです。何が言いたいのかというと、法規制よりも業界内の自主規制の方が意外と日本人は遵守するのではということです。

 以前にも私は、日本人は意外と遵法意識が低いとこのブログに書いたことがあります。にもかかわらずなんで秩序が保たれるのかというと村八分意識的なものじゃないかとも書いた気がしますが、まさにそうした感じで、法律で上から抑えられるよりも「出し抜け禁止」みたいにグループ内で取り決めを作った方が意外とルールを守るのではと、今回記事書いてて思いました。放送業界に限らなくても、自動車部品業界ではカルテル、建設業界では談合など、はっきり犯罪だと明示されているにもかかわらず業界内ではこうした事件は頻繁に起こります。
 自動車業界に関しては国際大手も同様であることからまだしも、日本の建設業界の談合については何度摘発されても不死鳥の如く甦り、挙句摘発された業者も何が悪いと居直るケースも多いです。このように、法律などよりも業界や身内の慣習の方が日本だと重く縛り、良くも悪くも秩序を作っているところがあるように感じ、その点が日本におけるダブルスタンダードだと、暗に含めて書きました。

 無論、こうしたことは他の国でも同じでしょうが、なんとなく日本は先ほどにも書いたように「村八分」状態に追い込まれかねない慣習法の方が異常な拘束力を持つ気がしてなりません。となると法律も、業界から締め出すような罰則の方が意外と効力を発揮するのかもしれません。

2020年5月24日日曜日

ふしぎなおどり

 先日、同僚から「やたら『スポット』という単語を使いますね」と指摘されました。主な使用場面としては「スポットでこれが必要になる」とか「こうなるのはスポットだから無理して覚えなくていい」などですが、意味としては「その場限り」、「そこでしか」というような具合で使っています。
 何故こんな横文字を使うのかというと、この意味に相当する日本語が見つからないからです。「その場限り」だと形容詞的な言葉となるし、また発音数が多くて少しだれた感じがします。また「スポット」だと動詞的な表現の様にも使えるので、本音としてはあまり横文字ばかり使うべきではないと思いますが、これに関しては一切抵抗なく、また便利であることから多用しています。

 このように日本語に関して時たま私は妙なこだわりを持って特定の単語や表現をよく用いるのですが、そんな私にとって地味に好きな単語は「ふしぎなおどり」だったりします。言うまでもなくこれは、ドラクエでMPを下げるとくぎです。
 この単語の何がいいのかというと、「一体何?」と興味と想像力を書き立てられるような単語の並びに加え、ひらがな独特の言いようのない不可思議さが自分にとって非常に好ましく感じます。もしこれが「不思議な踊り」だったら、なんにも魅力を感じなかったでしょう。

 それくらい妙に気に入っている単語なだけあって、よくあるプロフィール欄に「特技」という項目があったら迷わず「ふしぎなおどり」と書き込んでいます。もし深堀りされたら、「中国でMP(マグロ・パワー)を下げるのに使っている」などと説明しようといつも考えていますが、生憎そんな機会はまだ恵まれていません。これ以外のドラクエの特技だと「どとうのひつじ」が一時人気を博していたことありましたが、私は逆にこの発音の並びはそんなに好きじゃなかったりします。

 なお発音ネタで言うと、森鴎外の本名こと森林太郎(もりりんたろう)を中国語で読むと「センリンタイラン」になり、「なんかいいよねこの発音(´・ω・)(・ω・`)ネー」とこの前中国人と盛り上がっていました。なおスバル「ハイランダー」の中国語名は「森林人(センリンレン)」で、さっきの森林太郎はこのハイランダーのアッパーバージョンのように最近見えます。

2020年5月22日金曜日

ヤクルト黄金時代の思い出

【悲報】千葉県さん、無駄に有能(アルファルファモザイク)

 友人が上記まとめ掲示板の「県民は不安よな。森田、動きません。」という書き込みにえらく感銘してました。自分もですが。

すべては野村ヤクルトが教えてくれた(日刊ゲンダイ)

 話は本題ですが、上記連載記事が面白くこのところ続きを楽しみにしながらいつも読んでいます。この連載記事はヤクルト黄金時代で不動のセンターを務め、盗塁王も取りまくっていた飯田哲也氏の連載記事です。内容はヤクルトにおいて飯田氏が選手だった時代、そしてコーチであった時代にいた主だった選手に対する思い出や寸評などで、どれもスター選手ばかりなので興味深く、またチームメイトだからこそ知る内容が豊富で非常に面白いです。
 いくつか例を挙げると、「打撃成績が良くなるにつれ守備が悪くなっていったバレンティン」、「打撃ばかり気にして守備の意識が疎かだった青木」などは得心しながら読んでます。

 ヤクルト黄金時代は故野村監督が指揮を執った90年代前半を指しており、この時期のヤクルトはAクラスは当たり前、優勝も珍しくないというくらい実力のバランスが取れた時代でしたが、それ以上に特筆すべきは、この時代のヤクルト選手らの多くがその後監督やコーチになるなど、野球界で指導的役割を果たすようになっていることです。これらは野村監督の教えによる影響と私以外からも指摘されており、そういう指導者輩出的にもこの時代のヤクルトは「黄金時代」だったと言えるでしょう。

 当時、私は小学生で実はそんな野球とか見ていませんでしたが、巨人と比べて人気のないヤクルトの試合チケットがある伝手からよくもらえたので、恐らく現在においても観戦回数で一番多いチームだったりします。なお相手は当時関東で人気のなかったカープがぶっちぎり多かったです。
 野球にあまり興味がなかったとはいえ、そんな環境であったことからヤクルトファンとなり、よく週末の塾のテストの後とかにうちの名古屋に左遷された親父とともに神宮へ足を運び、それほど声を上げたりすることもなく黙々と野球を見ていました。当時好きだった選手は池山氏で、後年の引退の時は私も軽いショックを受けました。

 打者に関しては飯田氏や池山氏、あと地味に土橋氏の印象が強く、特に土橋氏については打率はそこまで高くないのにここぞという場面で打つイメージを当時にも持っていました。後年、Wikipediaで当時の並み居るセリーグ投手らから、「最も嫌なバッター」と言われていたと知り、なるほど等と思い言っていました。逆に投手に関しては、所詮は小学生の身ということもあってあまり調べず、凄さもわからずで、投手で当時名前を覚えていた選手は皆無と言っていいほどいませんでした。

 その後、大学で岐阜出身のくせに頭おかしいくらいのヤクルトファンの友人と会い、パワプロをやり始めることでプロ野球にのめり込んでいきましたが、その時くらいからベイスターズとソフトバンクを徐々に贔屓にするようになり、逆にヤクルトとは距離を置くようになりました。ヤクルトファンの友人が試合結果に一喜一憂するのを横目に、「飯田って今楽天にいるんだ」と、黄金時代メンバーの動向の方を気にしてみていました。

 私が記憶する限り最後に神宮球場に足を運んだのは2009年のことで、別の用事で都内で会った野球好きの友人と一緒に、「どうせ予定もないし、あのイムチャンヨン見に行こうぜ!」的にその場で神宮へ観戦しに行くことを決めました。生憎、試合は確か相手チームが大差のリードを取って「イム出ないだろうね」と思って途中で切り上げて帰っちゃいましたが、今でもイムチャンヨンの投球はどっかで見ておけばよかったと若干後悔しています。

 現在もコロナの影響でプロ野球は開幕していませんが、その分スポーツ紙各紙は過去のプロ野球史に関する特集記事を数多く組んでいて、昔を懐かしむ記事を見ることが多いです。自分にとって一番プロ野球が熱かったのは野球に興味を持ち、日本にいた2005~2010年くらいですが、それ以外だと実際に球場に足を運んでいた90年代ヤクルト黄金時代であり、当時の名選手のこういった連載はいろいろと去来するものも多いです。

 最後に、何気に中学・高校は幕張市内にある学校に通っていたにもかかわらず、千葉ロッテの試合はこの時期一度も見に行くことがありませんでした。大学に入って野球に興味を持って以降は行くことが増え、幕張市内の友人と会うときはよく見に行ってましたが、当時のロッテは球場スカスカだったんだから、地元の中学・高校とかに無料でチケット配ってファンを増やしとけばよかったのにと今でも思います。

2020年5月20日水曜日

黒川高検検事長の賭け麻雀報道について

黒川弘務東京高検検事長 ステイホーム週間中に記者宅で“3密”「接待賭けマージャン」(文春オンライン)

 かくも見事な報道としか言いようがないでしょう。

 詳細はリンク先記事を見てもらえばわかりますが、東京高検の黒川検事長が賭け麻雀をやっていたと報じられています。個人的に麻雀じゃなくドンジャラだったらどうなるんだろうとかよく思いますがそれは置いときますが、ただでさえ定年延長とか検察庁改革でごたごたしている最中の報道だっただけに、報道が正しければ「すべてを無にする一撃」となるでしょう。もっとも、検察を含む関係各所は取材に対して言葉を濁しているので、この状況から報道がデマだったとひっくり返るケースは過去ほとんどないですが。

 この報道を最初見た時、前述の検察庁改革法案で国会の審議が揉めている最中にどうして出なかったのだろうかと、タイミングの点が気になりました。最初でこそ審議で揉めている最中に出せばよかったのにと思いましたが、法案は結局今国会ではお流れになったのがつい先日だったので、文春側としてはもっと法案議論が最終段階になるか、可決となったハイボルテージな段階で出すつもりだったのかもしれません。そう考えると、お流れになったばかりのこのタイミングで出すのも悪手ではないと思え、自分の懸念は間違っていたなとか思いました。

 さてこの報道で何が一番面白いかって、この賭け麻雀に産経と朝日の人間も同席していたってことです。取材に対して産経は自分も取材する立場なのに文春の報道に無回答で、朝日は自粛期間中に外出したことは問題だったと話題をすり替えるなど、いつも通りのダブスタぶりです。結局誰が麻雀で一番勝ったのかくらい応えるべきじゃないかと思いますが。

 何気に、個人的に今回の報道で私が一番腹立たしく感じたのは黒川検事長じゃなく、産経と朝日の人間です。その関係から恐らく記者だと思いますが、検事長が賭け麻雀という超特大の特ダネを抱えておきながら何故それを報じなかったのか、この点が私にとって一番許せない事実です。めちゃくちゃな言いようかもしれませんが、自分が同席していたからとかそういうのは言い訳にはならず、最高の特ダネを持ちながらそれを料理せず腐らせるなんて記者として最低この上なく、自爆覚悟で報じることすらできなかったというのならはっきり言って完全なる記者失格でしょう。
 特に朝日に至っては検察庁改革法案に批判的に立場であっただけに、この報道を行うことによって一発で廃案へと追い込めたというのに何故それをやらなかったのか。本人以外は知らなかったのかもしれませんが、少なくともこの検察庁関連において朝日はしばらく報じるような立場にはないし、いわんや産経もといったところです。

 それこそ「検事長が賭け麻雀?」みたいな見出しでばっと報じて、黒川検事長が報道を否定しながら「誰か見たという人でもいるのですか?」と行った瞬間に「ここにおるぞ!<ジャーンジャーン」と出てきたら最高に格好いいのに。真面目に同席していた記者らは報じなくても記者生命どうせ終わるんだし、最後にどうして一花を咲かせようとしなかったのか不思議でしょうがありません。

 真面目に書くと、自分は記者時代に上司から、「パンフレットに現金挟み込まれることもあるから気を付けろよ。取材相手からは絶対に何も受け取るな」と厳しく言い含められました。それだけ記者は取材相手との距離を保つことに細心の注意を払わなければなりません。ましてや公権力関係者ともなればなおさらですが、その記者としての大前提を守れなかった時点でどの道この仕事は向いていなかったと言わざるを得ません。

  追記
黒川検事長、緊急事態宣言中にマージャン 週刊誌報道(朝日新聞)
黒川検事長 賭けマージャン報道(産経新聞)

 ちょっと調べてみたら一応両紙ともに文春の報道に対する二次報道は既に行っていました。見比べてみたところ、朝日新聞側は末尾にて「おわび」とはっきり書いた上で「黒川氏とのマージャンに参加していたことがわかりました」と書いて事実関係を認めています。金銭授受については調査中でほんまやったらマジ半端ないみたいな感じで「適切に対処します」と書かれてあり、甘いかもしれませんが会社としてはきちんと反省の態度を示しているという印象を覚えます。同席した社員についても、50代の元記者であるという情報も公開してるし。

 それに対し産経はというと、「取材源秘匿の原則を守りつつ、これまでも社内規定にのっとって適切に対処しており、今後もこの方針を徹底してまいります。」と言って、同席の事実関係はおろか何も認めていないし、お詫びの言葉一つ書かれてありません。
 悪質性で言えばハイヤーまで用意した産経の側の方が顕著であるのに、なんでお前そんな偉そうなんだよと言いたくなるような態度です。少なくとも初動の広報対応で見れば、産経は下の下に対し朝日は中の上といったところでしょう。「犯人は社内にいた!」的に完璧に調査して報じていれば、朝日は上でしたが。

 ただそれにしても朝日新聞側の記事では、「産経新聞社広報部は『取材に関することには従来お答えしておりません』とコメント。」とわざわざ産経側の文言を引用しており、見ていて非常によくわかってんなぁと思えて(・∀・)ニヤニヤします。わざわざ産経の側のコメント探さなくてもよくなってて、見る側としては大助かりです(´∀`*)ウフフ


産経サイトの記事検索画面、慌ててんのか同じ記事が三つも表示される