・【悲報】千葉県さん、無駄に有能(アルファルファモザイク)
友人が上記まとめ掲示板の「県民は不安よな。森田、動きません。」という書き込みにえらく感銘してました。自分もですが。
・すべては野村ヤクルトが教えてくれた(日刊ゲンダイ)
話は本題ですが、上記連載記事が面白くこのところ続きを楽しみにしながらいつも読んでいます。この連載記事はヤクルト黄金時代で不動のセンターを務め、盗塁王も取りまくっていた飯田哲也氏の連載記事です。内容はヤクルトにおいて飯田氏が選手だった時代、そしてコーチであった時代にいた主だった選手に対する思い出や寸評などで、どれもスター選手ばかりなので興味深く、またチームメイトだからこそ知る内容が豊富で非常に面白いです。
いくつか例を挙げると、「打撃成績が良くなるにつれ守備が悪くなっていったバレンティン」、「打撃ばかり気にして守備の意識が疎かだった青木」などは得心しながら読んでます。
ヤクルト黄金時代は故野村監督が指揮を執った90年代前半を指しており、この時期のヤクルトはAクラスは当たり前、優勝も珍しくないというくらい実力のバランスが取れた時代でしたが、それ以上に特筆すべきは、この時代のヤクルト選手らの多くがその後監督やコーチになるなど、野球界で指導的役割を果たすようになっていることです。これらは野村監督の教えによる影響と私以外からも指摘されており、そういう指導者輩出的にもこの時代のヤクルトは「黄金時代」だったと言えるでしょう。
当時、私は小学生で実はそんな野球とか見ていませんでしたが、巨人と比べて人気のないヤクルトの試合チケットがある伝手からよくもらえたので、恐らく現在においても観戦回数で一番多いチームだったりします。なお相手は当時関東で人気のなかったカープがぶっちぎり多かったです。
野球にあまり興味がなかったとはいえ、そんな環境であったことからヤクルトファンとなり、よく週末の塾のテストの後とかにうちの名古屋に左遷された親父とともに神宮へ足を運び、それほど声を上げたりすることもなく黙々と野球を見ていました。当時好きだった選手は池山氏で、後年の引退の時は私も軽いショックを受けました。
打者に関しては飯田氏や池山氏、あと地味に土橋氏の印象が強く、特に土橋氏については打率はそこまで高くないのにここぞという場面で打つイメージを当時にも持っていました。後年、Wikipediaで当時の並み居るセリーグ投手らから、「最も嫌なバッター」と言われていたと知り、なるほど等と思い言っていました。逆に投手に関しては、所詮は小学生の身ということもあってあまり調べず、凄さもわからずで、投手で当時名前を覚えていた選手は皆無と言っていいほどいませんでした。
その後、大学で岐阜出身のくせに頭おかしいくらいのヤクルトファンの友人と会い、パワプロをやり始めることでプロ野球にのめり込んでいきましたが、その時くらいからベイスターズとソフトバンクを徐々に贔屓にするようになり、逆にヤクルトとは距離を置くようになりました。ヤクルトファンの友人が試合結果に一喜一憂するのを横目に、「飯田って今楽天にいるんだ」と、黄金時代メンバーの動向の方を気にしてみていました。
私が記憶する限り最後に神宮球場に足を運んだのは2009年のことで、別の用事で都内で会った野球好きの友人と一緒に、「どうせ予定もないし、あのイムチャンヨン見に行こうぜ!」的にその場で神宮へ観戦しに行くことを決めました。生憎、試合は確か相手チームが大差のリードを取って「イム出ないだろうね」と思って途中で切り上げて帰っちゃいましたが、今でもイムチャンヨンの投球はどっかで見ておけばよかったと若干後悔しています。
現在もコロナの影響でプロ野球は開幕していませんが、その分スポーツ紙各紙は過去のプロ野球史に関する特集記事を数多く組んでいて、昔を懐かしむ記事を見ることが多いです。自分にとって一番プロ野球が熱かったのは野球に興味を持ち、日本にいた2005~2010年くらいですが、それ以外だと実際に球場に足を運んでいた90年代ヤクルト黄金時代であり、当時の名選手のこういった連載はいろいろと去来するものも多いです。
最後に、何気に中学・高校は幕張市内にある学校に通っていたにもかかわらず、千葉ロッテの試合はこの時期一度も見に行くことがありませんでした。大学に入って野球に興味を持って以降は行くことが増え、幕張市内の友人と会うときはよく見に行ってましたが、当時のロッテは球場スカスカだったんだから、地元の中学・高校とかに無料でチケット配ってファンを増やしとけばよかったのにと今でも思います。
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