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2020年10月28日水曜日

日本の歴史観~その2、皇国史観 前編

漫画みたく葉っぱにビビる猫

 そういうわけで歴史観連載の二発目で、今回は皇国史観について取り扱います。
 まず皇国史観とは何かですが、具体的には明治後期から戦前の昭和にかけて日本でスタンダードとなった歴史観です。その中身はというと、名前の通りに天皇を中心に何でもかんでも判断する内容となっています。

 具体的には天皇に味方したら「ヨシ!」、逆に逆らったり何かしら干渉していたら「ダメ!」という風に評価する傾向があり、後者において最も顕著なのは承久の乱で後鳥羽上皇を敗北せしめた北条義時と北条政子です。どちらも「天に歯向かった愚か者」代表のように激しく否定されており、鎌倉武家政権の成り立ちにおける役割や功績などはあまり評価されなかったようです。
 また評価自体はされながらも天皇家と関わる部分以外にあまり着目されなかった者として、意外にも織田信長がいます。

 あくまで伝聞で聞いた話で自分がきちんと検証したわけではないのですが、戦前において信長は「天皇家によく寄進したえらい武将」という評価がされており、天下統一の基礎を作ったことや、革新的な兵農分離や鉄砲の運用などはほとんど語られなかったそうです。それどころか、「後に天下を取る豊臣秀吉の旧主」みたいな扱いだったとも聞きます。
 実際にというか、明治大正の小説や当時の文献、歴史資料とか見ても、豊臣秀吉や徳川家康に比べると織田信長の影は現代と比べると異常に薄い印象があります。現代でこそ戦国時代を最も代表する人物ですが、戦前の評価は明らかに現代と比べると低い、というか薄すぎます。

 一方、反対に皇国史観によって評価が爆上げとなったのは言うまでもなく楠公こと楠木正成をはじめとする南朝方武将です。この評価は皇国史観のルーツをたどっていくことで段々見えてきます。
 皇国史観のオリジンは江戸時代における本居宣長の国学にあります。この国学は前回取り上げた徳川史観の思想的対抗馬として明治維新が起こされる大義ともなりました。この国学のうち、水戸で起こった水戸学では南北朝時代に南朝側についた北畠親房が書いた「神皇正統記」を経典の如く大事にしていたそうで、これが明治にできた皇国史観においても最高経典として奉られました。

 神皇正統記をベースに皇国史観が組み立てられたこともあって、南朝方武将はいずれも「天皇家に殉じた忠将」扱いされ、逆に北朝方はいずれも悪魔の手先のようなくらい徹底的に批判されました。
 特にその最大の矛先となったのは、後醍醐天皇が吉野に走るきっかけを作った足利尊氏をはじめとする、足利家一門でした。足利家への憎悪は幕末の頃からも高く、尊氏や義満の木像の首が切られるという事件も起こっており、皇国史観の煽りを当時から受けていました。

 ちなみに、徳川家はどうかというと自分が見る限りだと北条家、足利家と比べると批判が少ない気がします。それは何故かというと明治、大正時代の政府には旧幕臣や徳川家一族も参画しており、そうした大人の事情から批判が抑えられたのだと思います。
 その代わりスケープゴートとばかり、ラストジェネラルこと徳川慶喜に対する批判はなんかやたら激しかった気がします。もっとも慶喜に対する評価は現代でも二転三転しており、徳川家というよりも彼自身に起因するのかもしれませんが。

 話を戻すと、総じてこの皇国史観は天皇の権威を高めるという思想が背景にあることもあって、実証的な研究よりも天皇家との距離感によって歴史的評価が左右されました。また実証性よりも観念性が優先されたこともあり、明治当初に一時花開いた考古学など前史時代の研究も皇国史観が普及してからは端に追いやられるなど憂き目を見ています。
 このように皇国史観の科学性は極端に低く、極端な言い方をすれば神話のようなものであり、学問としてはおけないという風にすら私は考えています。実際、その起訴としている主張や論理には矛盾も少なくなく、いくら国威や権威高揚目的とは言えこんなもの使ってたなとすら思います。

 またこの皇国史観では前述の通り極端な南朝贔屓がなされていたことから、戦後になって皇国史観が否定されたことにより、この辺の時代に対する研究が若干タブー視されるようになったきらいがあります。というのも南北朝時代は、人気が低いというのもありますが、他の時代に比べると研究している人や話題に上がってくることが極端に少ないと前から思っています。
 一応、楠木正成などは「贔屓目なしでも間違いなく名将。だが新田義貞、てめーはダメだ」などと実証的な評価や検証は行われるようにはなっていますが、それでも南北朝時代を扱う書籍は依然少なく、その解説は現代も少ないままです。

 多少しつこいですが私個人としては上記点、現代の歴史学研究にもタブー視させる雰囲気を作ったという点でもってこの皇国史観をよく思っていません。またこの皇国史観自体、歴史学の議論から生まれたというよりも、政争の具として使われるために巨大化していったという背景もあり、非常に気に入りません。
 学問の中立性とかどうとかいうつもりはありませんが、皇国史観に関しては学問というより政府攻撃目的で議論が盛り上がり、その後戦前の国威発揚に用いられるようになったという経歴は、歴史学としてはあってはならない経歴だと考えています。その辺についてはまた次回に自分の見解をまとめます。


<皇国史観において株が上下した対象>
株上げ:南朝方武将、天照大神
株下げ:北条家、足利家

2020年10月26日月曜日

Q3自動車記事の裏側

コロナ終了? 中国自動車市場が大復活を遂げていた(JBpress)

 歴史観の記事の続きを書こうと思ってましたが、今日も残業でついさっき帰ってきたので自分の配信記事の宣伝やります。ぶっちゃけ定期的に書いている自動車統計記事なので、何も解説するものがありません。

 強いて言えば、中国自動車市場のコロナショックからのこれだけの回復は誰も想定していませんでした。下手すりゃ通年での前年比プラスも見えてきているくらいですが、どの自動車会社もバンバン売れているというわけじゃなく日系とドイツ系がやたら売れる一方、中国系メーカーの落ち込みはどんどん広がっており、二極化が進んでいます。
 ただ記事にも書いている通り、何で日系がこんだけ好調なのかは当事者である中国の日系自動車関係者たちもわかっていません。なんとなくハイブリッド車が好調なのかとか、日系車のメンテナンス性、壊れにくさが浸透してきたのかとかいろいろ挙げますが、それにしたってこれほどの支持を得るとは思えないと当事者たちも感じています。

 その点で今回自分がこの記事で指摘している通り、自動車の購入単価がここにきて高く上昇してきていることから、消費のアップグレードこと高い車を購入する層が増えてきており、その上昇先のボリュームゾーンに日系車が上手く入ったのではという分析を今回展開しました。この分析は恐らく、現時点で自分しか主張していないと断言できるものであり、今回の記事では自分の主張を強く前面に出すという構成になっています。なんでそうなったのかというと、Q3は時期的になんか中途半端な時期でデータ分析だけだとあまり面白くないと考えたからです。

 これ以外は特に取り立てて書くことはないのですが、自分の自動車免許は現在キレています、じゃなくて切れています。例によってコロナ期間中に更新時期を迎えてしまい、帰国して更新することもできずどんどん月日が経っています。まぁ中国で使うことないから気にしなくていいけれども、来年いっぱいも帰国は無理だろうから、再来年くらいに行って更新しなきゃいけないと考えるとなんかやぼったく感じます。
 菅内閣では全国どこでも免許更新可能にすることをこの前提起していましたが、この際だから外国の領事館とかでも更新できるようにしてくれるとハッピーになる駐在員はたくさんいる気がします。申請費用は高くついてもいいから、そういうことも検討してくれたらいいなとか思います。

2020年10月25日日曜日

日本の歴史観~その1、徳川史観

 またいろいろ思うところがあるため、日本における歴史観をいくつかピックアップしてまとめてみます。なんでこんなことをやろうするのかというと、「歴史は中立」という考えは嘘だと内心考えているからです。
 歴史というものは得てして勝者によって語られることが多く、また勝者でなくても、その時々の価値観や発見されている資料によって見方は変わります。時にはリアルタイムの評価の方が中立的となってしまうことすらあり、歴史観というのは一種の意思を持ったものであるというの自分の中の定義です。

 そういうわけで一発目の今日は、江戸時代における歴史観こと徳川史観について書きます。

 まず徳川史観というのは何かというと江戸時代の徳川家による支配の中で、当時政権側が指導して、定着していた歴史観を指します。基本的には徳川家が支配する正当性を裏付けることを目的としているため、徳川家にとってとにかく都合のいい解釈がよりどりみどりです。具体的には、

1、徳川家が支配するようになって日本は平和になった
2、家康はめちゃ努力家で勤勉家でえらかった
3、豊臣政権はカスだった
4、武田家はめちゃつよだった
5、天皇家?いたっけそんなの?

 大まかにまとめましたが、割と的確に特徴を突いている気がします。

 まず1番目ですが、「戦国時代を終わらせたのときたら徳川家」的に関ヶ原と大坂の陣を大々的にピックアップしています。これは両大戦が徳川家の大勝利で終わったという背景もありますが、日本は平和になったという主張に関してはあながち間違っておらず、実際に長い間平和だったので実際に真実だと思います。

 次に2番目ですが、これは東照宮をはじめとする徳川家康の神格化などから見て取れます。案外天皇家もこんな感じで、支配の正当性を裏付けるために後からいろいろ神格化していったのかもしれません。

 次に3番目ですが、これが徳川史観の最も代表的特徴でしょう。何も徳川家に限るわけじゃないですが、前政権を打倒した新政権はその支配の正当性を主張するために、前政権が悪だったということにして自らが打ち倒す正義を語ります。豊臣家もこの例にもれず、徳川家に反抗しようとした、平和をかき乱そうとしたという風に描かれていますが、如何せん障害となったのはほかならぬ、最後の豊臣家当主である豊臣秀頼でした。
 というのも秀頼は家康の孫でもあり、また若年であったことから実際に政務を切り盛りしておらず、秀頼が何か悪さをしていたと主張するには徳川家的にも無理があると考えたのだと思います。そのためスケープゴートになったのは主に生前の豊臣秀吉と淀君で、特に淀君に至ってはやはりこれでもかというくらいに悪者扱いされ、豊臣家を滅ぼした中心人物としています。

 実際にというか、現代で検証されている範囲では豊臣家を大きく動かしていた責任者は淀君であると思われ、こうした批判も間違ったものではないと思います。そう思う一方、どことなく淀君がやや過剰に悪者にされ過ぎていないか、大阪方の意思決定者は他にもいたのではないかと思う節もあります。この辺については現代においても徳川史観の影響が残っているのかもしれず、今後更なる検証を待ってみたいのが本音です。

 次の4番目ですが、これも徳川史観ならではです。武田家は三方ヶ原の戦いで完膚なきまで徳川軍を叩いた歴史があり、この事実だけは隠蔽しようにもどうしようもなかったのでしょう。なので、「徳川家の武士は強かった、武田家はさらにその上を行く強さだったから仕方ない」的に、負けたのも仕方ないくらいの強敵認定することで徳川家の権威を守ることになったのでしょう。
 そうした影響もあってか江戸時代においては武田家の活躍を描いた軍記物が多数出されており、ぶっちゃけ徳川家関連よりも多かったんじゃないかと思いいます。またその延長で、大坂夏の陣で家康本陣まで迫った真田家、というより真田幸村に対しても称えるべき強敵認定されたこともあって、真田十勇士をはじめとする軍記物作品が多数生まれたのでしょう。

 逆にというか、これは恐らく私以外誰も主張したことのない説でしょうが、フェードアウトの対象となったのは織田家であるような気がします。というのも江戸時代に流行ったとされる小説や講談を見て織田家の影というものがほとんど一切見られず、その日本史への影響に比して異常なまでに影が薄いです。
 敢えて推論を述べると、徳川家にとって織田家との同盟は半従属的な同盟であり、当事者たちからすれば屈辱的に感じるものだったのかもしれません。それ故に事実自体をねじ曲げたりはしないものの、敢えて黙して語らず、織田家の影をとことん希薄化させるという意図があったのではと推測しています。

 そして5番目についてこれは徳川に限るわけじゃなく室町時代からずっとそうですが、天皇家に関しても影が薄いです。ただ天皇家に関する研究などを弾圧していたわけではなく、実際に江戸中期から国学が発達していき、皮肉なことにそれが明治維新の思想的根拠となっています。
 逆に江戸時代に弾圧された学問の代表格は蘭学こと西洋思想です。これはキリスト教、特にカトリックの侵略に対する警戒感が脈々と受け継がれていった結果でしょうが、江戸中期ごろからは蘭学の実用学的な部分に関しては一時認めるようになったものの、その後も蛮社の獄、安政の大獄など折に触れて弾圧しており、西洋思想に関しては終始厳しい態度を徳川政権は取り続けています。

 総括的に述べると、徳川史観は徳川家というよりも、武士らしい歴史観であるというのが自分の見立てです。強いものが勝って支配するのが当然的な価値観であり、「徳のあるものの支配」というイメージにはなんか程遠いです。実際それだけ徳川家は江戸時代において圧倒的な権力と実力を持っていたわけで、そうした構造的な面からこのような価値観になったのでしょう。

<徳川史観において株が上下した対象>
株上げ:武田家
株下げ:豊臣家、織田家

2020年10月24日土曜日

ハリアーⅡできた(∩´∀`)∩

 何かとは言わないけど戦犯は岩下。


 そういうわけで今日、ハセガワのハリアーⅡのプラモを作りました。


 知ってる人には早いですが「ハリアー」はトヨタのSUVではなく、英国が開発した世界初のVTOL機、即ち垂直離発着ジェット機です。端的に言えば、ヘリコプターの様に長い滑走路なしに真上への離陸、真下への着陸が可能で、尚且つヘリコプターより速い速度で飛ぶことができるジェット機です。


 もちろん垂直離発着+ジェット機を実現するに当たっていろいろな構造的課題が多いことから、「ジェット機としては最高速度はそれほど速くない」、「搭載重量が少なくあまり爆弾とか詰めない」などの弱点を持っています。


 ジェット機としての弱点は多いものの、垂直離発着という他のジェット機にない機能は戦術応用の面で高く評価され、「搭載重量少ないならエンジン強くすればいいじゃない」的に、米国によって中身を魔改造されたのがこのハリアーⅡです。


 そういうわけでこのハリアーⅡは英国生まれ米国育ちみたいな機体ですが、魔改造が聞いたことから英国も逆輸入して採用しています。外見こそ初代ハリアーとほとんど差はないものの、中身はかなり大きく異なった仕様になっているそうです。
 そうした逸話から前から構造に興味があって作ってみたいなと思っており、たまたまプラモ屋覗いたら何故か置いてあったので、その日は何も買うつもりなかったのに衝動買いしてしまいました。ちなみにソ連人民の敵であるうちの親父も昔からこのハリアーに、何故か強い興味を持っていました。

ノズル後ろ向き

ノズル下向き

 その垂直離発着を可能とする最大の機能を実現する特殊なエンジン配置とノズルはきちんとこのキットでも再現されています。見ての通り、ノズルは組み立てた後でも向きを変えることができます。
 なおこのキットですが、パーツ数が少ないにもかかわらずこうしたノズル可変機構も再現されており、かなりおすすめです。組立だけなら2時間程度あれば十分可能で、プラモ組立てに慣れていない初心者にも向いています。

正面図、どことなく「命」っぽい

左からハリアーⅡ、F-14トムキャット、J-20(殲-20)

 例によって大きさ比較のために前回作ったトムキャットと、久々にJ-20を引っ張ってきて並べました。比較対象二つがとんでもなくでかい機体ということもありますが、ハリアーⅡ自体は戦闘機としてはかなり小型です。やはり小型なだけあって、大型のトムキャットと比べてもデカール(シール)貼りはやりやすかったです。
 さっきにも書いた通り、非常に組み立てやすく、尚且つプロポーションも悪くなくて、作ってて非常に楽しいキットでした。ハセガワはタミヤと比べるとディテールにこだわるところがあってこれまで難しいという印象が強かったですが、このハリアーⅡに関しては全くそんなことなく、単純で且つ楽しく組めるキットでした。値段も安かったし。

2020年10月22日木曜日

三菱製ジェット機の開発凍結について

三菱国産ジェット、事実上凍結へ 開発費巨額に、コロナで需要消滅(共同通信)

 やっぱりという結果でした。

 そもそも、「三菱」の名を冠した「MRJ(ミツビシリージョナルジェット)」から「スペースジェット」に名前を変えた時点で、三菱の名を汚すまいという最後の意地だろうと感じたため、この報道に関してもそんな驚きはありません。一部コメントでも指摘されている通り、「コロナがきっかけ」と報じられているものの、実際には「コロナを言い訳」にしただけで、凍結は基本路線だったのだと思います。

 もちろんこの結果自体は私自身も残念ですしどっかで再起とかかけてほしいですが、現実面として既に激しくスケジュールが遅延し、設計自体がもはや陳腐化する中で、リリースにこぎつけても損益分岐を超えることはまずないだろうから、計画が再開されることもまずないと思います。

 それにしても三菱グループもこのところ多方面でミソつけてて、いろいろと大変な気がします。応援したい気持ちはあるものの、三菱自動車の惨状とか見ていて、「俺の方があいつらより三菱車愛してんだよ!(# ゚Д゚)」と叫びたくなります。
 その上で、前から言っていますが次期国産戦闘機のF-3の開発は三菱重工で本当にいいのか。ここはやはり川崎重工にもあたってみて、「飛燕マーク2カスタムリファインZアサルトバスター」とか作らせる方がいいのではと、心の中でずっと祈っています( ˘ω˘)スヤァ

2020年10月21日水曜日

歴史シミュレーションゲームの能力表示の不自然

 いちいち突っ込んだらきりがないですが、信長の野望とかで地味に不自然だと感じる点として、能力値が数値として全部表示される点が気になっています。それこそ戦闘100だとか魅力86など、前キャラクターの能力値が一つのもれなく誰でも簡単に閲覧できる状態とされており、この時代の人達は全員もれなくスカウターを標準装備してるのかというくらいこまごまと能力値が序列化されて表示されています。

 もちろん現実には戦闘力を測るスカウターなぞ存在せず、社内の同僚がどれだけ戦闘力を持っているかを把握することなぞできません。その上で、身内のスタッフがどれほどの能力を持っているのかを手探りで探り、それぞれに適した仕事を割り振ったりするのはマネジメントの醍醐味というか非常に重要な構成部分です。これは何も現代に限らず戦国時代、というより戦国時代の方がこうした能力の見極めが重要だったと思われます。
 具体的には優秀な人材の選抜や、割り当てる軍隊の人数、あとは工事予算の管理や運営など、各人の適性や能力を見極めることは自身の浮沈を大きく左右する要因であったことに間違いありません。しかしそうした能力の見極め作業は、少なくとも私が知る限り、歴史シミュレーションゲームの中で反映された例は一つとしてありません。

 何故ないのかというと、表示済みの能力値をベースにやりくりすることがゲームの大前提(面白味)となっていることと、能力値まで完全にマスクデータ化したらゲームプレイが非常に困難になるという配慮からだと考えられます。ただその辺も最近の技術だったらある程度克服できるように思え、なんとなく気になっていることからもやはり能力値をマスクしたゲームが出てこないかと最近思います。

 一応というか、部分的にマスクデータにしたゲームはこれまでにも出ています。先ほどの信長の野望などは「裏切りやすさ」を左右する義理度というデータがマスクデータになっています。ただこのデータは後々公開もされていることから斉藤道三や藤堂高虎を始め「義理ワン」武将がかなり有名となってて、もはやマスクにする必要あんのかって疑問もありますが。
 また能力値に関しては、現在の能力値はきちんと表示するものの、今後の成長度合いというか成長の早さに関してはマスクデータにしているゲームはいくつか見られます。現在は能力値は低いけど、使っていくうちに呂蒙みたくぐいぐい能力を高めていって頼りがいのあるナイスガイへと変貌していくキャラなどはまさにその恩恵を受け、またプレイしている側も「今はパーだけど将来性を見込んで……」などと考えて使えるので、割かし感情移入も強まります。

 この成長度合いをマスクデータにしている「ギレンの野望」シリーズではこのほか、ガンダム作品の代表的概念である「ニュータイプ」という特殊能力についても完全にマスクデータにしています。このニュータイプはゲーム上で確認できる情報からは全く分からないようになっていますが、見分ける方法はないわけでもなかったりします。具体的には、ニュータイプだと表示されている能力値以上にその実力を発揮するため、戦闘アニメーションを見ると他のキャラの倍くらいビームライフル打ち込んだり、サーベルで切りかかったりするため、こうした実際の現場での戦いぶりからニュータイプであるかどうかがわかるようになってて、この辺は憎い演出だと思います。
 なお昔パワプロのマイライフモードで作ったプロ野球選手の名前は「旧型」と書いて「オールドタイプ」と読ませていました。ゲーム中で生まれた子供は「新型」、「最新型」、「未来型」、「究極型」としていって、後半は段々追い詰められていきました。

 話を戻すと、そこまでリアルに徹する必要があるか議論の余地はあるものの、通常の能力値もマスクにしたシミュレーションゲームもあっていいんじゃないかと思います。では各キャラクターの能力をどうやって判別するかですが、先ほどのギレンの野望みたく実際にコマンドを割り振ってその働きぶりや実績からそれとなく判断させるというのが最もストレートです。
 ただ信長の野望みたいなゲームだったら、同僚同士の評価などを聞くコマンドを設けてみるのもいいような気がします。「あいつについてどう思う?」的なコマンドがあって、それによってキャラクター同士に能力を評価させあって、みんなから評価が高い奴はやっぱり使える的に判断材料としてみたら面白いかもしれません。

 もっともキャラクター全員が正しい評価したら結局意味がなくなるので、キャラによっては自分より能力が高い相手に対して、「あいつなんて大した奴じゃないですよ」みたいなことを言う奴も入れておくとなお楽しくなるでしょう。っていうかこういう奴、現実にもいてリアルだし。
 逆に、どんなキャラに対しても公平に評価するようなキャラクターとかいれば、人材運営面では非常に重宝することになります。こういうシステムがあったら、三国志の闞沢みたく人相見系キャラはもっと輝く気がします。逆に諸葛亮や石田三成とか元々優秀過ぎるキャラには敢えて、どんなキャラにも「あいつは大した人物じゃありません」と言わせたりすればなおいいでしょう。真面目にこういうゲーム、作ってくれるとこないかな。

2020年10月20日火曜日

ベガルタ仙台の女性暴行選手の解雇について

仙台、暴行傷害で逮捕報道のMF道渕諒平を契約解除(日刊スポーツ)

 ついさっきに上記ニュースに関するまとめ記事を読みましたが、またこんな危機管理のない組織があったのかと思え呆れてなりません。事件内容についてはいちいち紹介しませんが、JCASTが書いてある通り所属球団のベガルタ仙台は選手が逮捕されたにもかかわらず事情をしっかり把握しなかった、若しくは把握していながら対処しなかったということで、いくらなんでも世の中舐めているだろうと思えてなりません。

 一応、謝罪公告はサイトに出してはいますが、びっくりしたのは公式ブログの方で、タイトルが「傷心」となっています。書かれている内容は「ブログの更新は今日はお休み」ということだけですが、「いやそれ自体が更新じゃねーか」と思うのと、「それならタイトルは『更新お休みのお知らせ』でいいじゃん」と率直に思いました。
 多少意地悪な見方をしているという気がしますが、「傷心」というタイトルと今回の騒動に対する球団の対応を見るにつけ、「(バレちまって)傷心」にしか私には見えません。っていうかこんなタイトルつけるくらいならDV被害者を案じるような内容でも書けばいいのに。

 そもそも今回の騒動に関しては、JCASTが大体おかしいところ全部つついていますが、逮捕されてから日数も経っているのに球団側は該当選手に対して何の措置も行わなかったばかりか、平常通りに試合にも出場させ続けています。指摘されている通り、球団側は「ここまで大ごとだとは知らなかった」と言ってはいるものの、実際には知ってて黙認していたとしか思えません。知らなかったとしてもそれで済むレベルの話ではなく、厳しい言い方をすれば球団を経営する能力が経営陣にないと言わざるを得ません。
 もっとも一部掲示板を見ると、なんかやたらとベガルタ仙台の球団経営幹部の名前リストを何度もあちこちに貼り付けている人が見かけますが、こっちはこっちでああはなりたくないなと思います。

 ただ、コロナの影響でただでさえ経営が傾いているのにこの隠蔽騒動ときたもんだから、真面目にこれが蜂の一刺しになってこの球団は潰れる可能性もありうる気がします。そう考えると該当選手は、ヴァンフォーレ甲府時代にも女性暴行で逮捕されたことから球団から処分を受け、その後でベガルタ仙台に移ってきているのだから、まるで球団を潰すためだけに移籍してきたような奴だなと思え、つくづく救えない人間のように見えます。