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2022年11月27日日曜日

電子書籍化に抵抗していた人々

 この記事が読まれているころ、私はすでに中国に旅立っていることでしょう。

 などと現在進行形で入国に伴う隔離中にこの記事を書いていますが、ぶっちゃけ中国入国時の隔離はホテルで、三食ちゃんと出るだけ先の上海ロックダウンに比べたら私物が周りにないだけでかなりまともな環境です。食い物が徐々になくなっていくという感覚はマジで恐怖でした。

 さて話は本題ですが、電子書籍は今やごく一般に普及し、出版業界からしてもなくてはならない存在となりつつあります。私が初めて購入した電子書籍は2011年に購入した文芸春秋で、当時文芸春秋は国内印刷会社などとの絡みなどからか、電子書籍の販売を海外に限定して、なおかつAmazonとかではなくなんか特殊なサイト経由でしか購入できませんでした。でもってビューアーもみすぼらしいもので、読み辛かったので買ったものの結局読むことはありませんでした。

 その後、2013年からはタブレットを購入してからは専ら漫画本を電子書籍で購入するようになり、今ではハードコピー本は一切購入しなくなっています。理由は、私の場合は海外在住で新刊をハードコピー本だと手に入らないこと、あと最近は少ないけど引っ越し回数が以上に多かった時期があり、その際にいちいち本を運ぶが億劫となったことが理由です。
 先にも書いたとおりに今や電子書籍は出版業界としても大きな売上げを占める形態となっており、その販売やプロモーションにも力を入れています。それこそ2015年くらいまでは集英社を筆頭に、新刊の漫画本だと電子書籍版はハードコピー版に比べ3ヶ月程度発売日をずらしていましたが、最近はそういう妙な小細工を取るアホはおらず、最初から今のように同時発売にしておけよと今更ながら思えてなりません。

 何故上記のような妙な小細工を取っていたのかというと、十中八九間違いなく印刷会社との絡みでしょう。出版社と印刷会社の関係はそれこそかつては水と魚のような関係で、互いになくてはならない存在ではあったものの、今やその関係には隙間風が吹く有様です。話を聞く限りだと両者の間では印刷会社のほうがやや立場が上というか、印刷リソースを確保、並びに校正スケジュールの調整面で出版社は頭が上がらなかったと聞きますが、今だと多分その立場は逆転しているでしょう。
 詳しい統計データこそ見ていないものの、かつてと比べると印刷部数はそれこそ何分の一程度にまで落ちていると見込まれています。輪転機メーカーの人に話を聞いたら、いま日本国内で新規発注はほぼなく、基本的には既存設備の更新しか修理しかないため、海外で売るしかないという話だそうです。

 当初でこそ出版社が電子書籍の発売日をずらしたりするなどしていたのは、まさに上記のような印刷会社の仕事を意図的に増やす、または彼らからの要請があったとみられます。しかし状況は今は変わり、かつてのような配慮がほぼ見られなくなったことを考えると、今後ますます印刷業界の景気は厳しくなってくるでしょう。

 こうした企業単位での話のほか、作家単位で電子書籍化に抵抗していた人もかつてはいました。主にミステリー系の作家に多く、代表格は宮部みゆき氏で、電子書籍が普及し始めても彼女の作品はなかなか電子書籍化されませんでした。やはり旧来の作家人からしたら本というものは紙で読むものという意識が強かったようで、先日逝去した佐野眞一も講演会で「紙の本は絶対になくならない」とアンチ電子書籍な立場を強く打ち出していました。もっとも同席していた友人は「それはない」と切っており、私も同感で実際にそうなりましたが。

 しかし上記のレジスタンスのような作家陣も、このところ著作の電子書籍化を認めるようになってきています。心変わりの原因は人それぞれでしょうが、言い方は悪いですが、紙の本の風味とか読書週間などを口にしてはいたものの、単純に不慣れな新規テクノロジーへの抵抗感ゆえにこれまで電子書籍化を認めてこなかっただけではないのかとみています。
 私のような海外在住者からしたら海外でも新刊が読める電子書籍はありがたいことこの上ないし、場所も取らず、アカウントがなくならない限りはいつでもまた読めるという形態は望まれて然るべきものです。こんな便利な形態を何故読者にもたらそうとしないのか、色々こだわりはあるだろうけど、単純に消費者の立場を考えてくれていないという気がしてなりません。

 なお電子書籍の形態は、出版社のみならず作家にもメリットが大きいと聞きます。「GANTZ」の奥裕哉氏が言っていましたが、かつて単行本は新刊が出たときにしか収入にならなかったのに、電子書籍が普及してからはちらほらと旧刊の著作権収入が入ってくるようになったそうです。電子書籍だと単純に古本が流通せず、なんかのきっかけで読み始めた人も旧刊を電子版で購入するようになっているそうです。
 こうしたところから見ると、電子書籍の普及は出版社のみならず、作家にも高い恩恵をもたらすように見えるのですが、それ故になぜ抵抗する作家がいるのかがいろいろ意味不明です。まぁ印刷会社と古本屋にとっては大打撃にしかなってないけど。

2022年11月25日金曜日

昭和のやばすぎた就活事情

【速報】森保監督の支持率、北朝鮮並になってしまうwwwwwww(暇人速報)

 北朝鮮並みという比較がなんかツボにはまります。

 それはさておき本題ですが、先日起きた就活のウェブ試験代行事件に絡んでこれらの試験の無意味さを問う記事をこの前書きましたが、現代のこういうウェブ試験とか、どうでもいい趣味とか聞きまくる面接も大概であるものの、昭和の面接に比べたらだいぶまともになっていることをこの前気が付きました。マジでこの前。

 気づくきっかけとなったのはあるYoutuberの動画でした。名前は失念したのですが昭和の風習や時代性を解説する方で、たまたま見たその回では昭和、具体的には昭和40年代くらいの企業面接を解説していました。その具体的内容はというと、まず初めに家族構成を聞き、政治思想や心情を根掘り葉掘り聞くというものでした。でもって、片親だった場合はその時点で落とされるとも解説されてました。

 最初聞いたときは俄かに信じられず、うちの名古屋に左遷されたことのある親父に「これってホンマなん?」と超軽量飛行機に乗りに行く途中で聞いてみたところ、ホンマやと言われました。たまたまその場にはウルトラライトプレーンノリの知り合いのおじさんもいていろいろ話をさらに聞いたのですが、両親が揃って健在でなければ、理由の如何を問わずその時点で就職で不利になったそうです。また政治思想面でも企業の支持政党と合っていなければ、これまた落とされていたそうです。
 親父によると、当時の就活本には「支持政党は社会党と答えるのが無難」とか書かれてたそうです。

 それどころかって話じゃないですが、面接をうまく通り抜けた後もまだ障害はあったそうです。なんでも、当時は面接後に候補者に対し、企業が興信所を使って素性を調べることが当たり前だったそうです。当然というか前述の家族構成とかごまかしてもばれるし、部落出身者であれば本当にごまかしがきかないというか、劣悪な差別も当時は一般的にされたそうです。
 そんな厳しい条件で果たして有能な人間を雇えるのかよと思ったのですが、当時はまだ人口も多かったので、その辺はどうにかなってたそうです。また企業側としては当時は終身雇用意識がまだ強く、本当の意味で一生を添い遂げる社員を求めていたようです。

 ただこうしたやり方は当然ながら通用しなくなります。具体的にはバブル景気が過熱した90年前後に入り、企業側はともかく数を揃える採用方針に切り替え、このあたりから上記のようなトチ狂っているとしか思えない採用方法が改められていったそうです。
 もっともその後、就職氷河期に入り有能な人材を選ぶというより、ともかく採用者を削る、落とすというやり方が一般化していく過程で、なんかよくわからない心理テスト気味な現代の採用方法になっていったように私は見ていますが。

 以上のような歴史を振り返ると、「人類は一歩一歩、ちゃんと進歩してるんだな」とマジで感じます。っていうかそんな差別まみれの世の中に生まれなくて、内心よかったと思う自分もいます。自分が差別の対象に遭うことよりも、そうした差別を当然視するような人間になっていたのではという点で、軽い恐怖を感じるためです。

2022年11月23日水曜日

就活のウェブ試験に感じる無意味さ

替え玉受験で捕まった男、余罪300件で逮捕カーニバル開催wwwww(ガハログ)

 先日、企業が就活の際に学生に課すSPIなどのウェブ試験を就活生本人に代わり問題を解いていた人物が捕まりました。結論から言うと、そもそもこんなウェブ試験をやっていること自体が自分は問題だと思います。

 ウェブ試験の詳細については省きますが、自分も就活生時代に一通り対応したことがあります。その時の記憶で述べると、国語の問題などは俗にいう「この時の作者の気持ちを答えよ」的に基準のあいまいな問題が散見され、しかも選択肢の中に明らかに論理的に正解と判断できる答えが見つからないなど、そもそもの問題作成に問題があると感じる問題がたくさんありました。むしろあの問題の成績を参考にしようってのなら頭のおかしい連中だろうと、その手の問題についてはいい加減に処理した覚えがあります。

 このウェブ試験ですが、ぶっちゃけズルし放題です。数学や英語の問題などは別端末などを使ってネットで検索かけるなどしたら容易に回答を導き出すことも可能なほか、同じ企業内で同じ試験だったら誰か一人が人身御供となることで問題文を取得することも可能です。
 以上のような公平性が保たれない試験なだけに、真面目にやった奴ほど馬鹿を見るテストだと内心考えています。であれば小論文など、具体的正解はないものの文章構成力とかが図れるような課題のほうがもっといいと思うし、そもそもこういったウェブ試験、SPIの成績がその後のパフォーマンスとどう関連するのか、その辺の分析も企業側はやるべきでしょう。

 このウェブ試験に限らず、日系企業の採用に関する選定基準は非常にあいまいかつ無意味なものが多く、面接も含めてもっと機械的な要素を高めるべきなんじゃないかと前から思っています。それこそ履歴書などの書類選考だけで済ますとか、一斉筆記試験で成績優秀者からとるとか、ともかく余計な感情の余地が挟まらないようにする方がずっと建設的である気がします。
 こういうと面接しないと変な奴は言ってくるかもしれないという人もいるでしょうが、面接したから変な奴を排除できるのかと逆に問いたいです。

 さらに言えばその就活における採用面接ですが、このところいろいろ調べたところ、どうも昭和と平成で面接の内容が異なっていることに最近気が付きました。その辺はまた次回の記事で。

2022年11月22日火曜日

そして誰もいなくなった(岸田政権)

 このところ辞任ドミノが続いている岸田政権ですが、さすがに終わるのは来年だろうと思っていたものの、なんか年内も怪しくなってきています。内心、アホみたいな不祥事が出てくる大臣が相次いでいて岸田総理に対しては同情心もあるのですが、今日は文春に岸田総理自身の疑惑を報じる記事が出てきており、ただでさえ逆境なだけに正念場となってくるかもしれません。

 大臣らの不祥事に関しては細かいところを追っていったら石を投げられない人はまずいないものの、死刑執行命令を金にも票にもならないといった葉梨氏や、故人が会計責任者やってた寺田氏に関しては弁明の余地なしに辞任以外は考えられず、よりによってこういう頭のおかしい人間を大臣にした点では岸田氏にも任命責任は発生してくるでしょう。
 にしても寺田氏の件は故人が責任者ってだけに、実はゾンビが会計をやっているのではと変な期待を抱きましたが。

 話を戻すとこの一連の辞任ドミノを見て自分はアガサ・クリスティの名作「そして誰もいなくなった」をまず連想しました。最後にいなくなるのは誰なのかは別として、岸田政権はまず来年一年を持たせることは不可能であるともう断言してもいいでしょう。
 以前の記事でも触れましたが、岸田総理自身の指導力や政治力以前のところでこのところの問題が起きており、それ即ち自民党議員の凋落こそが根本的な問題であるとにらんでいます。逆に言えば自民党執行部はもっと競争力や実行力のある人材をどうして引き上げられないのか、問題のある人間を身体検査で事前に排除できないのか、こうした点で明らかにぬるさを感じます。そういう意味では議員の資質の問題というより、自民党という組織の弱体化といえるでしょう。

 もっとも同じ党組織の能力でいえば野党のほうが身体検査を中心にぬるく、団体としての規律が整っていないところが多いです。そういう意味では鬼の副長こと土方歳三的に規律に厳しい人材こそが、今の各党に求められているのかもしれません。

2022年11月21日月曜日

「すずめの戸締り」をみて

 もう日本滞在が3週間くらい経過してやることないし、中国帰る前にどうせ話題になるのだからと「すずめの戸締り」を興味に行きました。平日の朝9時半からの回を見に行ったので、観客は自分を含めて7人くらいでした。
 なお本題と関係ないですが、本編開始前の別映画の宣伝が開始時間の10分前から見せられ、開始時間に入ってからはさらに20分間も見させられたのには辟易しました。またその宣伝映像も、見栄えが良ければいいのですが全体的に見ていて無駄に腹立つ感じのする映像で、もう少し消費者満足度を機にしろよ東宝とか思います。

 映画自体の感想に話を移すと、一言でいえば文句なしといったところです。新海作品特有の色のきれいな描写は言うに及ばずで、自然災害、都市と地方の対比など従来の作品から受け継がれているテーマもうまく話に落とし込まれています。
 強いて言えば、これまでの新海作品はごくごく狭い世界の出来事が全世界に影響を及ぼすようなセカイ系な特徴を持っていましたが、今作品では日本列島を縦断することとなっており、登場人物が関わる世界は比較的広くなっているため、従来と比べてセカイ系要素は弱まったかなという印象を覚えました。

 このほかの内容に関してはネタバレになるところもあるので敢えて言及を避けますが、見る前と変わった印象としてはヒロインのすずめについて、PVとかイメージビジュアルを見ていた時は「肩幅広くてごつそうな女だな」という、謎の印象を持っていました。実際の作品上では普通の女子高生で、男を追いかける形で全国飛び回ることから猛禽類とか呼ばれてますが、そこまでごついキャラクターとしては描かれていませんでした。
 ただ「君の名は」のヒロインと比べると、明らかに行動力やフィジカルですずめの方が勝っているようにしか見えず、その点ではごついヒロインといえるかもしれません。

太平公主記事の裏側


 というわけでまた自分の記事ですが、今回は中国史で、則天武后の娘であった太平公主についてまとめています。自分的にはかなり気に入っている記事なのですが、あいにくアクセスはそれほど伸びておらず残念です(´;ω;`)ウッ…

 詳しくは記事を見てほしいのですが、太平公主は則天武后と唐の皇帝であった高宗の娘で、母親で中国で唯一の女皇帝となった則天武后と比べると皇室の血を引く女性であり、皇帝に就任する正当性は母親以上にありました。それでいて頭もよく、支持者も多くで、本当にちょっとした何かがあれば彼女も女帝になっていたかもしれない人物であっただけに、今回取り上げようと考えました。

 そうした太平公主自身の経歴もさることながら、個人的にうまく引っ張ってこれたと思うのが「武韋の禍」でおなじみの韋皇后の死に関する記述です。Web上の日本語情報では彼女は夫である中宗を毒殺したと書かれてありますが、この中宗の死因について中国史学会では近年疑問視されており、自然死だったとする説が強まっています。この辺の話は私もこれまで知らなかったし、私自身も毒殺説を疑問視することから、中国史学会の傾向を紹介する形で「毒殺は疑問視されている」という記述を盛り込みました。流行るといいけど。

 このほかついでに書くと、この唐の時代が終わって宋に至るまでの五代十国時代はこれまで難しそうで敬遠してきましたが、改めて学びなおしたところ期間にして約50年間で、主要な王朝(五代)に限定してみていけば割かし理解しやすい時代だったと見直しています。この辺もっと小説とかでも取り上げられたら注目されて評価されるのにとすら思う次第です。

2022年11月20日日曜日

日本の物価で奇妙に感じる点

 物価高と言われ続ける昨今の日本ですが、毎年CPIが3%前後上昇している中国、それも物価最高な上海にいる身からすると、日本の現状なんか「物価高騰なめんなよ」と言いたくなるのが偽らざる気持ちです。とはいえ、奈良の唐招提寺の入場料が大人1人千円になってたのはマジビビりました(;´・ω・)

 とはいえ、日本の物価はかつてと比べると確かに上がっているなと感じます。特に消費税10%に関しては、自分が中国行く前に慣れていたのは5%の水準であっただけに、値札価格からレジで金額が跳ね上がるのには結構ビビるところがあります。もっともこの点については、値札価格を税込価格にするよう徹底すればいいだけなのですが、法律があっても誰も守ってないなとか密かに思っています。
 生鮮品に関しては正直それほど上がったとは思わないものの、ちょっとした飲食店のランチ代なんかは千円のラインを超える店が明らかに増えており、かつては千円はランチで超えてはならないラインだったことを考えると、物価は確かに上がっているでしょう。ただ、そうしたランチ代以前に密かに気になっているのは、原価の低い商品の物価だったりします。

 具体例を挙げると、この前見かけたノートPC用スタンドの量販店での価格は2500円前後だったのですが、実は中国で自分も似たような金属フレームを組み合わせたPCスタンドを先月に購入しており、そのお値段というのも15元(300円)でした。
 正直に言って、金属フレームを組み合わせてほんの少し吸盤となるゴム付けたこの商品の原価なんてたかが知れているというか、100円は行かないだろうと見込んでいます。それだけに安価な商品だしと買ったのですが、価格の割高な商品でも50元(1000円)程度で、日本円で2000円以上行くPC用スタンドなんてタオパオのリスト上では記憶がありません。

 いったい何故日本はこんな原価の低い商品をもっともらしくこんな高値で売るのか。こんな感じで改めて商品を見ていくと、パスケースとかそうした雑貨が高いのなんので、総じていえば原価が低い小物ほどなんかやたらと日本は店頭価格が高いようなイメージを覚えました。
 反対にというか、革靴なんか非常に品質がいいと思うのに中国で流通している革靴に比べやたらと価格が低く、荷物の空きスペースがあるなら買って帰りたいと本気で思ったほどでした。以上をまとめると、なんか日本は原価が低そうな商品ほど価格が高く、逆に原価が高そうな商品ほど価格が割安であるように見えます。

 何でこんなことが起こるのかっていえばやはり流通に問題があるのではないかとみています。具体的には流通システムそのものというよりは流通過程での競争原理があまり働いていない、つまり中間業者間で価格競争がそれほど起こらず、なんとなく従来の慣習で続いていた価格帯でどこも卸売価格、市場価格を決めている節があり、市場価格が原価とそれほど連動していないのではないかと疑っています。

 それこそ前回自分がこのブログで取り上げたように、自転車のロードバイクは日本だとやたらと高値で売られていますが、あれなんか中国市場から輸入すれば半分以下の価格で販売しても利益が出るくらいです。多分探せばもっとこういう原価と乖離した市場価格となっている商品はあるように思えるし、そうした商品を粗利が減るとはいえ原価に連動した価格で売れば、市場シェアとか一気にとれるんじゃないかって気すらします。ビジネスチャンスが多いと言えば多いのですが、なんとなくその辺は空気読まない外資系がやりそうですが。