今は普通に夜中とかに喉乾いたらコンビニ行って買い物とかできますけど、こうした自由が一体どれだけ価値があるのか、それがわかっただけでも全くの無駄ではなかったと思いたいです。二度とごめんですが。
話は本題ですが、先ほどまたWBC準決勝の村上選手のサヨナラ打を見て涙を流してましたが、マジでこの10年くらいで日本の野球は桁違いに実力を上げていると感じます。少子化や野球人口の減少などを考慮するとこの成長は異常発達のようにも見えますが、躍進の背景としては根性論から脱した科学的トレーニングの普及や、前の記事にも書いた各チームがそれぞれ人気を得るようになり、実力を高め、リーグ内で切磋琢磨が働くようになったことが大きい気がします。
このうちトレーニングに関しては、大体7、8年くらい前から画一的な指導ではなく、選手ごとに特性に合った指導やトレーニングを貸すようになったのが功を奏しているという指摘を見たことがあります。具体的には、同じ投手でも身長や腕の長さ、柔軟さによって最適とされる投球フォームやトレーニングは異なり、誰かが成功したからと言って同じトレーニング法が誰にでも通用しないといった価値観です。
それこそ、大谷選手がやっているトレーニングをほかの選手がやったところで、大谷選手のように活躍できるわけではないでしょう。また現在の大谷選手がやっているトレーニングを、今の体が出来上がる前の大谷選手がやったところで功を奏すかという点でも疑問であり、同じ選手であってもその時期に応じて必要とされるものは変わってくるというのが常識化してきています。
以上は野球の話ですが、勉強面においても結構同じことが言えるのではないかと前から密かに考えています。例えば進学校の生徒が受ける授業を底辺校の生徒に受けさせたところで、成績が上がるかと言ったら多分そうはならないでしょう。下手したら授業についていけず、従来の授業を受けるよりも成績が低下する可能性すらあるのは、検証するまでもない事実でしょう。
では進学校の生徒は同じ授業を受けていたら成績も同じようになるのかと言ったら、進学校の中でも優劣は当然分かれてきます。その分かれ目とは何なのかですが、単純な地頭の良さの差と言ったらそうでもないような気がします。というのも、入学試験である程度水準は均されており、極端な差は本来なら出ないとも考えられます。
私自身もちょっとそういうところがあったというか、学校の授業だとあまり覚えが良くなく、外部の予備校とか自習の方が成績に直結しやすい傾向がありました。はっきり言えば通った学校の指導法があまり合っておらず、無理して通わず自分で勉強していた方が効率よかったなと今でも本気で思っています。
私のケースで言うと、一つ一つ足場を固めながら知識を広げるのではなく、まず全体像を見てから重要な個所をピンポイントで埋めていき、ある程度埋まったところで残った余白を埋めるような勉強法が肌に合っています。恐らくこうしたタイプはレアな方なので学校が悪いわけではないですが、とにもかくにも指導法は私には合っていませんでした。
その上で、仮に私のようなタイプの人間であれば、学校の授業を受けて成績が悪くても、勉強法を変えることによって劇的に成績を上げる可能性もあるんじゃないかと思います。それどころか、上記のようなタイプに限らず、個々人によって合う勉強法、合わない勉強法があるのではないかと思え、その辺のマッチングをよくするだけでも全体の学習力や意欲も向上するんじゃないかというわけです。
本来ならそういうのは学風というか、学校の指導方針や教育理念とかで大雑把にとはいえ擦り合わせていくべきものなのですが、近年の中学や高校の募集要項とか見ていると、あんまそういう大方針には触れず、校舎施設や制服、あと部活動などをアピールして募集するパターンが多く、こと勉強に関してはどんな指導方針なのか読み取りづらくなっている気がします。まぁ昔からでしょうが。
また学校全体の指導方針があっていたとしても、教師との相性も存在するだけに、学校選びが正解であっても授業が正解となるわけでもありません。そう考えると、自分に合った教育法、学習法を見つけ、それを受けるのは難しいことかもしれません。
唯一の効率的手段としては、少人数、場合によってはマンツーマンの指導が受けられる予備校などがそれに当たるかもしれません。コストは高いですが、こうした指導を受けることで花開く人もいるかもしれないので、自分に合った教育法を探すうえではすごくいいのではないかという気がします。自分も中学に受けたマンツーマン授業を受け、「学校の授業は無理して聞かなくてもいい、っていうか時間の無駄だな(´・ω・)」とぶっちゃけ理解するに至ってますし。