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2024年9月9日月曜日

静の恐怖から動の恐怖へ移るホラー作品の続編

 先行して中国で公開されて自分も見てきた「エイリアン・ロムルス」ですが、日本でも公開されて評判は上々のようです。前回レビューでも書きましたが本作品では過去のエイリアンシリーズが要所要所でオマージュされた場面があり、過去シリーズ作品に対する敬意を払ってエイリアンの伝統をきちんと受け継いでいるだけじゃなく、「いいアンドロイド」ともいうべき本作独自の要素による味付けも施されており、エイリアンシリーズとしてだけでなく一娯楽作品としても非常に評価できる名作だと個人的にも思っています。

 その過去作品のオマージュですが、古い作品も多いため解説記事でもこの点がよくポイントになりやすいです。それもそのはずというか第一作目は1979年公開という半世紀近く前の作品であり、リアルタイムで見た人となると結構な年齢を数えるくらいであり、若者からすると若干古典的作品に見えるかもしれません。
 その第一作目ですが、この作品の制作当時はCGはおろか特撮撮影技術も現代と比べて非常に低いものがありました。ただそんな制限された環境においてもリアリティを見ている人に感じさせるため色々工夫されており、一番肝となるエイリアンはその活発に動く姿を撮影することが難しかったためおなか破って出てくる赤ちゃんの頃を除き、最終盤まで全身像は移さず特異な顔面部分のみしか映されませんでした。ただこの演出が「潜む恐怖」というかどこにいるのかわからない、けど見つかったら終わりともいうべき恐怖感を作る上で貢献したと言われています。

 そんな第一作の続編として出された「エイリアン2」では一転して、大量のエイリアンが所狭しと画面内で大暴れしまくり、海兵隊とバトルし合うアクション性が強められた作品となりました。路線変更をしたものの公開当時の評価は非常に高く、「ターミネーター2」が出るまでは最も成功した続編作品との呼び声も高かったようです。
 もっともこの時代においても怪物がはしゃぎまわるシーンを撮影するのは困難で、エイリアンの人形(ぬいぐるみ?)は数体しか作られなかったものの、撮影方法を工夫して何十体も動き回るように見せていたそうです。

 話を戻すと上記のエイリアン1から2への路線変更については、静かに恐怖がにじり寄るような1に対し、2では反応が遅れればすぐやられる的な動の恐怖へ移行したと評する声があります。この静の恐怖から動の恐怖への移行ですが、勘のいい人ならすぐにピンとくるかもしれませんがもう一つ別のホラー作品でも同じ路線変更が指摘されています。
 その作品というのもホラーゲームの金字塔ともいえるバイオハザードで、それほど多くない敵キャラがあちこちの物陰に潜んでいるという1の作りに対し、2では大量のゾンビが街に溢れ激しい戦闘で撃退しつつ脱出を図るという、アクション性が強められた続編となっていました。

 エイリアンもバイオハザードも、同じホラーシリーズ作品としてともに1から2で静の恐怖から動の恐怖へと路線が変わっています。偶然と取ることもできるのですが、例えばホラーゲームのサイレンでもほとんど敵キャラへの抵抗手段がなく逃げるだけだった1に対し、2では重火器も登場して敵キャラの闇人(やみんちゅ)を薙ぎ払えるなどアクション性が盛り盛りに高められています。でもってこっちも評価が高いです。
 その他のホラー映画作品でも、ヒットした作品はこの静の恐怖から動の恐怖への路線変更が多かれ少なかれ働いている気がします。でもって3で若干迷走して評価を落とすというところも大体共通しています。それらを踏まえると、少なくとも1から2にかけてはこの静の恐怖から動の恐怖への移行が重要なのではないかと思いついたわけです。

 なおエイリアンについては3は閉鎖空間で武器なしというマゾチックな環境になり、バイオハザード3はよりアクション性が高められた上に「追われる恐怖」がテーマとなっています。ただどちらも1と2ほどの評価は得られず、4に至ってエイリアンはかなり迷走し、バイオハザードは恐怖よりもアクションによる快感性をより追及するという転覆的路線変更をこなして大成功しています。
 ちなみにバイオハザード3ではプレイしていて怖いと感じた以上に、市長の像の裏からマシンオイルが出てきたときに大爆笑しました。いやまぁ病院のステージは敵も強いし弾薬も補給できないから結構怖かったけど。

 ややオチの弱い記事ですが、何が言いたいかというと静から動への路線変更はホラー作品には手堅いヒットルートなんじゃないかってことです。もっともリメイク予定のサイレントヒル2はこの例にもれず1以上に静謐な恐怖感を強めてヒットしたあたり必ずしも法則通りというわけじゃないですが。

2024年9月8日日曜日

松戸駅前にマンション作ってばっかで大丈夫?(;´・ω・)

  エイリアンVS吉田沙保里~どっちが勝っても、ALSOKは来ない

 また無駄にSF対策のプロットを立てていました。まぁエイリアンなら、吉田沙保里氏相手にいい勝負できるんじゃないかな。

寿センター シノダが解体され更地に「サン理容室」「八百岩商店」を含めた敷地で地上14階建てのワンルームマンションが建設予定(松戸つうしん)

 話は本題ですが上海にいながら何故松戸の動向をしらべるのかとかいう疑問は置いといて、上の記事はなかなかにショックでした。というのもここに出てくる「サン理容室」は自分が通っていた床屋で、お店のご家族らとも顔馴染みで中国からお土産買って帰るくらいの仲でした。それが記事によるとどうも立ち退いたようで、その跡地にはまたマンションが建つ予定とのことです。

 私がリアル松戸市民だった頃も松戸駅前はマンションの建設が続いていましたが、その傾向はいまだ続いているというかむしろ加速している感すらあります。すでに建設済みのある意味聖地なわらそう跡地はもとより、ダイエーの跡地もこのキテミテマツド横の区画もまたまたマンションということで、需要があるのはわかるけどいくら何でも駅前にマンションを密集させすぎやしないかとみていて疑問に思います。
 ただでさえ道路が混雑しやすい駅前だというのに、これだと混雑に拍車をかけ、また駅構内の混雑もさらに増すのではないかと心配しています。どうせ作るのならもう少し離れたところ、具体的には江戸川沿いにすればいいのにという気がします。

 にしてもサン理容室がなくなったとなったら、日本でどこで髪切ればいいのだろうか。上海ロックダウンの時の経験から、自分で切ることもできるっちゃできるけど。

2024年9月7日土曜日

日本で消えた戦争文学

 2年半前の時点で、今も続くウクライナ戦争が現在も続くとはおそらく誰も予想していなかったです。私自身も寒さ厳しいあの地域で冬季装備の準備もなく始まった戦争だった故に、長くても次の冬季までには停戦にはなると予想していましたが現実にはさにあらず、ロシア領内のクルスク州にも戦線が広がるなどむしろ拡大を続けています。
 もっともその代償は大きく、かねてからこのブログでも書いているようにロシアはこの戦争が終わった瞬間に戦時中以上の経済混乱に見舞われることになると私は予想しています。幸いな点は中国経済がこのところ不調であるという点で、かつての好景気を維持していたらロシアは中国の経済植民地化する可能性もあった気がします。

 ただこのウクライナ戦争ですが、戦況の報道こそ活発なれども戦争そのものをどう見るかという分析や解説はあまり多くない気がします。もちろん戦争が続いている中でこのようなことを論じようものなら批判も来るだろうし、分析も足りず誤った見方を招く恐れもあるため仕方のないことだと思いますが、この点について先ほど考えたところ、近年において日本で戦争そのものをどう考えるのかという議論、特に戦争文学が極端に少なくなっているのではないかということに気が付きました。
 それもそのはずというか、日本が実際に戦争に直接参加したのは約70年前の二次大戦が最後で、それ以降の戦争において日本は傍観者的な立場であり続けました。実際に戦争を体験することはなくベトナム戦争やイラク戦争を眺めるだけで、これでは戦争がいいか悪いか以前に戦争とは何なのかを深く考えることも難しい気がします。

 それこそ昭和の時代であれば、水木しげるをはじめ実際に戦争を体験した人、それも高所からではなく末端の現場兵士だった人たちが数多く、彼らの体験に対する作品を通して間接的ながらも戦争を考える機会は数多くありました。しかし現代日本においてそのような戦争体験者はごく限られ、目下においては米国における従軍経験者らの話を聞く以外にはこの手の情報に触れることはできなくなりつつあります。

高部正樹(Wikipedia)

 唯一の例外として私もエッセイ漫画を読み続けている、この元傭兵だった高部正樹氏の証言があります。現代においては珍しい実戦込みの従軍経験者な方なだけあって興味深い話が多く、敢えて一つ挙げればエッセイ漫画の冒頭にて語った、

「戦争を避けるための話し合いの重要性は否定しないが、今すぐにも殺されそうな環境にある人たちは確実に存在していて、彼らを守るための武力もまた絶対に必要」

 という、虐殺の危機にある立場にある人からの目線には私も考えさせられました。

 私自身も戦争に関して決して偉そうなことを言えるような立場ではありませんが、それでもまだ若い世代に比べれば昭和の戦争文学や水木しげるの戦争体験漫画を見てきただけに、戦争に関して考える機会はまだ多くあったように思えます。そういう意味で私が憂えているのは、今後時代が下るにつれてますますこの手の戦争文学に触れない世代が増えていくということです。何故戦争が起き、何故続けられ、その結果がどうなるのか、また結果にかかわらず参加した人はどうなるのか、戦争の現場では何が起きているのか、こうしたことについて考える機会を日本国内においてももっと作らなきゃいけないと思います。

 中でも一番自分が危機的だと思うのが見出しにも掲げた戦争文学です。文学とはなにかという定義について私は、「文章を通して自分が体験していない状況や経験を間接的に経験する」ことであり、やはり戦争を考える上では文学の価値は非常に高い気がします。それだけに、実際に従軍経験ある人は少ないものの、聞き取りベースでもいいからもっと戦争文学を日本語で出す必要があるのではないかと思います。
 もちろん二次大戦の戦争文学でもいいのですが、基本的に古い作品が多いだけに現代語に合わせてアップデートや再編集が求められてくるでしょう。そうした努力をもっと日本社会全体で意識で、続けていく必要があるのではという考えた次第です。

 なお戦争をテーマにした文学は少ないもののガンダムシリーズをはじめアニメ作品は枚挙にいとまがありません。ただそのガンダムシリーズ、とりわけあのガンダムWを見て戦争を考察しようとするなら、多分余計に悩みそうな気がする。改めて見返すとガンダムWは登場キャラの思想がどれもぶっ飛びすぎてて「平和って何(;´・ω・)?」って気になってくる、
 むしろ戦後というものをテーマにしている点で、ガンダムXなんかは地味にいい作品な気がします。かつての戦前に囚われている人間、PTSDになっている人間、戦後に生まれ新しい時代に目を向ける若者の対比が非常によくできている気がするし。

2024年9月5日木曜日

河野氏の年末調整廃止主張について

 Boketeの投稿でホラー映画の「サユリ」のタイトルを「サオリ」に変えてた人がいましたが、実際確かに下手な幽霊より吉田沙保里氏を相手する方が絶対怖い。

河野氏、公約で年末調整廃止主張 自民党総裁選、原潜配備議論も(共同通信)

 話は本題ですが上の記事にあるように、河野氏が総裁選に向け、個人所得税の年末調整を廃止して原則確定申告を行わせるという政策を打ち出しました。これに対する世論の反応は明らかにネガティブで、先の自民党の裏金問題も相まって批判が強まっています。
 別にこれだけなら記事化する必要はないのですが、実はこの河野氏が主張する政策を自分は経験済みだったりするので今これを書いています。どういうことかというと毎年確定申告しているから……と言うだけじゃなく、スマホでほぼワンクリック確定申告を中国でやっているからです。

 恐らく私が毎年行っているスマホでの確定申告は、河野氏が主張している内容の理想形に最も近いものじゃないかと思います。この中国のスマホ確定申告について少し解説すると、基本的に中国も個人所得税は企業や団体が源泉徴収するのですが、副業する人が多い国なだけあってこうした確定申告手段も整備されています。
 ただ全員に義務があるわけではなく、年度内に転職して二つ以上の団体から給与を得た人とか、年間所得が一定額を超えている人、給与は一か所からしか得ていないが講演料など副収入があった人などが確定申告義務の対象者となります。私の場合は外国人とはいえこれらの規定は当てはまらないのですが、何かあったときに確定申告をした事実があると有利ということから一応毎年やっています。

 この確定申告方法ですが、中国人であればマイナンバーをアプリに登録するだけですぐにログインできて、企業や団体が支払った給与も全部マイナンバーを通して筒抜けとなっているため、アプリを起動してすぐに税額やこれまでの納税額を計算してもらえます。外国人の場合はマイナンバーの代わりにパスポート番号を入れますが、最初の1回のみ税務局で登録手続きが必要ですが、そんな時間はかからず、なおかつ1回やれば次年度以降は問題なくログインできて、同じように自動計算してくれます。

 基本的に収入が給与だけなら追納や還付税額はゼロと自動計算され、「この内容にお間違えないですか?」と表示されたら確認ボタンを押して確定申告を終えられます。ちなみに自分は先にも書いた通り毎年やっていますが、仮に追納するよう表示されたらそもそも申告義務がないのだし、無視しようといつも思ってやっています。幸いなところ、これまではそういうことないです。

 このアプリによる確定申告ですが、便利っちゃ便利なのですが操作に慣れていないのもあるものの、仮に控除が得られる支出があった場合などはどういう風に操作するのか、想定外の申告処理とかあったらどうなのかっていう点で少し不安があります。この辺はアプリで処理できるならアプリで、無理なら税務署に相談という形になるのでしょうが、この辺をきちんとやろうとしたら実際はかなり手間というかアプリのUIに求められる要件も高くなる気がします。

 そもそも現在の日本は中国ほど金の動きが電子化されておらず、実際にやろうとしてもそんな簡単に行くのかという点でも疑問です。なので河野氏の主張自体は全く理解できないわけじゃないのですが、やろうってなると10年くらいのスパンでアプリやシステムを整備した上、国民にも周知しなければならず、e-TAXは年々良くなっているとは聞くものの、この総裁選の公約にするのはやや無理がある気がします。

 その上で、こう言っては何ですが言い方が非常に悪いなと感じました。先にも書いた通り自民党は裏金問題に税金を支払っておらず、それなのに個人の収支は電子上で細かく管理しようっていうのは国民からすれば言われていい気がしないでしょう。
 むしろ確定申告を非常に手間だと考えている人が少なくないだけに、e-TAXを強化して確定申告をより手軽に、ワンクリックで済むようにさせるなどと言っておけば、賛同する人ももっと多かったのではないかと思います。それどころか、アプリで確定申告すればそれだけでマイナポイントを3万円くらい還付するとかニンジン戦法を取るのもありだったでしょう。ぶっちゃけ3万円なら、年末調整で法人が被る負担を十分ペイできる金額だと思うし。

 そうした点を踏まえると、ちょっと河野氏は発言や見せ方のセンスが悪いなという印象を覚えました。この点は岸田総理もそういうところあったけど、途中からは一切説明せずに政策やるようになって、本人にも周りにもいい結果を生むようになった気がします。

 最後に、中国で最初のアプリ確定申告のため税務署へ行けと言われた際、なんか余計に税金払うことになりそうだったので実はサボろうとしていました。期限が間近に迫る中、「あ、忘れてた(*´∀`*)」としらばっくれようと思っていた矢先、ある同僚が秘書にこの手続きのため税務署へ行くので同行してほしいと話すのを耳にしました。
 この時、もしこの機会を逃したら、もう一生チャンスがないと思った私は「あ、俺もやんなきゃいけなかったんだ。一緒に行っていい(。´・ω・)?」と素知らぬ顔でその同僚に乗っかることとしました。そしたら私以外にも、「俺もそうだったσ(゚∀゚ )オレ」、「俺も俺もσ(゚∀゚ )オレ」と、ほかにも何人も同僚が一緒になって同行を希望してきて、結果的にバスツアーの如く大所帯で税務署にカチコミかけることとなりました。

 恐らく私以外のほかの連中もやらなきゃと思いつつしらばっくれるつもりだったのだと思います。それが思いもかけず出向こうとするものが現れたのでうまく追従しようと動いたのでしょうが、私はこの時、「ああ、勇者っていうのはこういう風に最初に声を上げて行動する奴なんだな」と、妙なRPG脳で考えていました。

2024年9月3日火曜日

中国のネット身分証検討を見て


 なんか知らんが作る前は一切興味もなく安いから買っただけなのに、作り終えてからこのX-29がやたら気に入るようになってきました。同じエリア88の風間真が乗ったF-20タイガーシャークも同様に作った後から好きになりましたが、あの漫画の作者が主役に乗せるだけあっていい機体なのかもしれません。


 話は本題ですが上のニュースを見て率直に言って疑問を感じました。結論から書くとこれは完全に本人特定が目的ではなく、本人特定は政府によって簡単に行われるというのを威圧的に見せることが目的でしかなく、こんなことをしても不満の種は消えることはなく、むしろ前以上に増大すると断言できるからです。

 順を追って説明すると、そもそも中国で誰かに成りすましてネット上で意見を発信するなら別ですが、匿名で意見発信することは現状ですでに不可能です。ネットへのアクセスやプロバイダー契約においては携帯電話番号が絶対必要で、またネットカフェを使うにしても入店時に国民番号などで本人特定が行われます。まぁこの身分証を偽造するならまだいけるか。
 にもかかわらずここでさらにネット身分証を作るとしたら、敢えて言えば運転免許証に対する証明書を別に作るようなもんで、本人特定や証明において如何なる価値も持ちません。にもかかわらず敢えて作ろうとする辺り、前述の通り中国政府がネット上で批判とかしたらすぐ捕まえるぞという脅し目的で敢えて作ろうとしていると私は見ており、これも比喩で言えば機関銃の横に実際には作動しない機関銃をさらに置くようなものです。

 しかしそもそも論で言えば、仮にこんなことをしても社会に対する不満や批判は中国では少なくならず、むしろかえって今まで以上に表面化するという風にも予想します。というのも、不満というのは吐き出さなければ出さないほどどんどん増大するものだと考えるからです。

 この辺は多分まだどっかにあると思うけどこのブログで書いたかつて大きく認知されていた「ネット右翼」という言葉が現在ほぼ死語化している理由と同じです。平成初期から中期にかけての自虐史観時代において、表立って愛国主義的な発言はマイルドなものですら一般社会で主張することは憚られる傾向がありました。そのため世間で発言できないこの手の感情はかえってそのうっ憤を晴らすかのようにネット上で先鋭化するようになり、極端な愛国主義が当時はネット上でよく叫ばれていました。
 しかし平成後期に自虐史観が薄れたというか左翼主義思想や勢力が社会における影響力とともに大きく後退すると、愛国主義的発言が公でも以前より自由に発言できるようになりました。その結果、ネットで喚かなくても普通に発言してストレスもためないため、ネット上では先鋭化した発言が消えるどころか「ネット右翼」と呼ばれた勢力自体も現状ほぼ消失しています。

 こんな感じで、批判や不満は抑えれば抑えるほど先鋭化する傾向があり、統治者というのはこの手の不満の吐き口をどこかで用意しておくものです。現状ではやはりネット世界がこの手の吐き口になりやすいのですが、日本の場合は日常のストレスが芸能人やスポーツ選手にこのところ向けられることが多くこれはこれで対策が必要ですが、今回のように中国がネットに対する統制を強めようものなら、多分その不満は社会の目につくところで今後より露わになると思います。
 以上のような見解から、何を考えこんな無意味なことをするのかと疑問に思った次第です。そもそも反乱分子をより潰そうってんなら、わざわざこんな風にアピールせずに黙って本人特定手段を追加すればいいだけで、こうして見え見えアピールもするあたりつくづくセンスがない気がします。

 そもそも以前に知り合いの中国人が言っていましたが、江沢民や胡錦涛時代は海外旅行をはじめ、社会における自由がどんどん広がっていった時代だった。それが習近平時代になってからは社会上の制約がどんどん増え、挙句にはコロナ規制もあってどんどん閉鎖的になっていると評しましたが、実に簡潔に中国の移り変わりを説明した評価だと思います。
 あまり言及する人はいませんが、胡錦涛時代はそれまで外資参入規制のあった産業がどんどん解放されて、経済の自由度は飛躍的に高められていました。それが習近平時代に入ってからはその手の話はついぞ聞けず、唯一自分が覚えているのは自動車は新エネルギー車のみ外資100%の出資設立を認めるようになっただけで、そのほかの開放措置は本当に聞きません。本当に何がしたいのか、言い方悪いですが自ら中国経済を不況に突っ込ませるようなことしかしないなという気がします。

2024年9月1日日曜日

三中全会の報告の問題点





 50元(約1000円)と安かったのでX-29を買って作って遊んでました。デカール貼りが鬼作業過ぎる(;´・ω・)
 知ってる人には早いですがエリア88で主人公が最後に乗った機体で、使用していた米国本国よりも日本の方が知名度の高い機体と言って間違いないでしょう。にしてもパイロットはこんな顔だったっけ(。´・ω・)?

 話は本題ですがこのところ「Sntinel Girls 2」こと「救国のスネジンカ」というゲームで忙しくあまりブログ書く気が起きませんでした。なおこのゲーム、「救国」と書いていますが救われるキャラは誰一人として存在せず、前作の「溶鉄のマルフーシャ」を正当進化させた内容で相変わらず素晴らしいです。

 そんなんで 何か各ネタないかなーと思っていた矢先、先日発表された中国政府の三中全会報告について何も書いていなかったことに気が付きました。三中全会というのは中国共産党中央常務委員会(人気5年)がその新体制発足時に発表する、これからの5年間について方針を語る中国においてほぼ最上位の政権方針を指します。
 もっとも有名な三中全会報告と言ったら鄧小平が最高権力を握った年に出された「改革開放」にほかならず、三中全会と言ったらほとんどこの時の方針を意味するほど浸透しています。

 それで今回の三中全会報告ですが、本来なら体制発足時である去年に出されるはずが何故か今年初夏まで発表が延期されていました。その理由は単純に中国の経済不況が深刻で、具体的な対策を出すことができない、方針で揉めていたためと言われていますが、恐らくその通りでしょう。
 このようにして時間をかけてまで今年出された三中全会報告ですが、その内容に対して市場は物足りないとして失望するという意見が多く出ました。私自身も同感で、そう感じた理由は主に以下の通りです。

・不良債権の削減目標が出されなかった
 かつて日本の失われた十年時、当時の竹中平蔵大臣は不良債権を3年で半減化するという目標を掲げ、2年半で実現しました。これが当時は非常に大きかったと思え、現在の中国も当時の日本同様にデフレ不況に入りつつあることから、こうした不良債権の具体的な数値削減目標が欲しかったところですが、「不動産子女をてこ入れしつつ地方債務などを減らしていく」という、あいまいな書き方で終わりました。

・地方への税源移譲
 その地方債務問題については、地方への税源移譲が触れられていました。知ってる人には早いですが中国の地方予算はその多くの歳入を不動産売却収入から得ています。日本人からすると理解しがたいのですが、中国の地方の収入源は日本と比べて非常に少なく、また中央からの助成金も日本ほど割合が高くないため、何かやろうとなると土地の使用権を民間企業に売って予算にするしかなく、そのため不動産市況によって地方財政が左右されやすい傾向にあります。
 こうした状況だというまでもなく債務は高まっていく一方で、これに対し中国政府は今回、地方に増値税を含む間接税などの中央と地方の配分比率を見直すなどして、地方へ税源を移譲するという方針を出しました。一見すると地方に自治を促すいい政策に見えますが、見方を変えるとこれは中央が地方の債務に対し今後責任を持たない、地方の借金は地方でどうにかしろという突き放しではないかと私は見ています。要するに、地方の貯まった負債について中央政府は救済しない姿勢の表れであるように見えます。

・不良債権の処理方法
 上の二つと相まって、不動産業界を中心に返す宛てのない負債額が中国ではどんどん膨れ上がってきていますが、この負債を最後どこに引き受けさせるのかという方針が見えませんでした。一応報告では、不動産業界の活性化を促して処理するような方針を出してはいますが、仮に不動産企業が潰れたらどうするのか、現状からみると先に住宅購入費用を支払った消費者個人に負担させるのではないかという風に読み取れます。
 逆の見方をすると、不動産業界の負債に関して銀行は一切補償しない、損失を引き受けないという方針であるかのように自分には見えました。こう考えるのも中国政府としては銀行、それも国有銀行をなるべく守りたい、安全地帯にいさせたいという動機があるように見え、だからこそ不良債権の処理方法、責任の所在についてやたらあいまいな姿勢を取っているような気がします。
 しかし銀行以外に巨額の不良債権を処理できる受け皿なぞなく、遅かれ早かれかつての日本の住専問題や金融恐慌の時と同様に銀行が矢面に出ざるを得なくなると思います。これは遅れれば遅れるほど傷が広がるものであり、今回こうした姿勢を出さなかったことで中国の未来は数年間が消し飛ぶことになると私は予想しています。

 主に気になったのはこの三点ですが、それ以外でもこれはと目を引く内容が乏しいものがありました。

 ただもう一点あげると、今回の三中全会報告では毛沢東に関する言及があまりなく、逆に鄧小平とその「改革開放」路線についての言及が増えているような気がしました。言うまでもなく習近平は毛沢東信奉者で、プーチン同様に失敗した指導者を何故信奉するのか理解しがたいのですが、ここへきて急に鄧小平路線を打ち出したあたり、焦りを非常に感じます。それだけ彼自身も現状の中国に対して自信を失ってきていることの現れともみえ、今後も政策方針を巡っては二転三転が続くかもしれません。

2024年8月31日土曜日

戦国大名の本拠地移転

 相変わらず政策議論の盛り上がらない自民党総裁選ですが、かつてあったのに今や全く語られなくなった政策議論として、道州制と首都移転があります。どちらも重要だと思う議論でしたが、今やだれも関心がなく今後も盛り上がることはないでしょう。

 このうち首都移転についてですが、戦国時代においては地味に本拠地移転は非常に重要な要素であったと思います。この本拠地移転を度々繰り返したのは言うまでもなく織田信長で、父の代からの清州城からスタートして、美濃攻めのために前線に近い小牧山城へ引っ越して以降、岐阜城、安土城と次々に拠点を移しています。実現こそしなかったものの、安土城の次には本願寺跡地、即ち大阪への引っ越しも検討していたと言われており、戦国の引っ越し王の名は伊達じゃありません。
 この信長の本拠地移転の目的は色々ありますが、第一に領土拡大に当たっての前線により近いところから迅速に指揮を行うためにあると言っていいでしょう。交通の便はさることながら、当時の中央(京都)に近づくように移しており、非常に合理的な判断をしていたと言えます。

 逆にどれだけ合理性がありながらも本拠地移転を行わず、非常に惜しいことをしていたと思うのが武田家と上杉家です。武田家は滅亡するまで甲斐(山梨県)の躑躅ヶ崎館を本拠地としていましたが、ここはお世辞にも交通の便がいい場所とは言えず、また前線となる他国の境界にも近い場所ではありませんでした。それ以前に、石高の良くないエリアでもあったし。
 事情を無視して合理性から考えれば、今川家滅亡後に占領した駿河に本拠地を移していれば徳川家、北条家の眼前でややリスクはあるものの、主力を前線へ動かしやすく武力で優っているというのなら領土拡大は確実に捗っていたでしょう。しかし武田家はそのような本拠地移転はとうとう行いませんでした。

 上杉家に至ってはもっと影響が大きかったというか、仮に上杉謙信が本拠地を越後(新潟県)から峠を越えた北関東地方に本拠を移してさえいれば、きっと彼は北条家も打倒して関東を支配していたことでしょう。というのも上杉家は桶狭間の戦いより前はほぼ毎年関東地方へ遠征し、北条家の支配を切り崩しては領土を拡大してはいたものの、冬になって越後に帰り路が雪で閉ざされると、北関東で北条家が盛り返して領土を奪い返し、一度は帰順した豪族らも再び北条家につくということを繰り返していました。
 仮に上杉謙信が北関東に本拠地を置き関東地方に対し年間を通してにらみを利かせていれば、小田原方位にも成功しているだけに関東地方一円を支配できたことでしょう。逆を言えば何故それをしなかったのかと言えば、本拠地を移せなかった事情があったということになります。

 武田も上杉も共通していますが、本拠地を移そうにも空いた元本拠地を維持する、任せられる人材や基盤が両家にはなかったため、どちらも本拠地を移すことができなかったと考えられます。電話のある今の時代と違って通信状況の悪かったあの時代、反乱が起きても遠隔地に連絡がいくには数日は必要で、仮に本拠地を移して反乱が起きようものなら根拠地を失う羽目となります。
 また拠点防衛を任せようにも、下手な人材に任せたら他勢力に切り取られるし、また有能な人物に任せたら裏切られて独立される恐れがあります。この点、信長は自らの息子らに多くの領土管理を任せ、与力というか参謀に重臣を置いて補佐させています。

 こうした領土管理面の問題もさることながら、兵の動員面でも彼らは本拠地を移せない事情があったと推察されます。当時、織田家を除いてどの勢力も自領の農民を主兵力としていましたが、その動員は大名自らというよりは各地の豪族任せな一面がありました。
 具体的には大名は各地の豪族に動員を命じ、これに応じた豪族らが兵を引き連れ集合する形態が主でした。大名自身も直接動員力を持っていたものの、全体に対する比率はそこまで高くなかったと言われます。

 こうした動員方式を取っていたことから、基本的に大名も豪族もその土地に縛られていた面があります。自分の兵隊を自由にどこでも移動したり配置したりすることはできず、戦争のたびに引っ張っていくようなありさまで、本拠地を移転したところでその兵士たちも一緒に移転できるというわけじゃありませんでした。なのに本拠地を移転しようってもんなら、恐らく兵士のみならず、支配地が地元に縛られている豪族たちも拒否したことでしょう。
 唯一の例外は織田家で、織田家のみ当時としては農業に従事せず、戦にのみ専従する専属兵士を大量に抱えており、信長の命令一つでいつでもどこでも移動させることができました。部下の家臣らも同様で、織田家の家臣らはある時期までほとんど領土を与えられず、俸禄のみで雇われていたため、上司である信長の命令一つでいつでもどこでも転勤することが可能でした。
 こうした織田家の動員体制には争っていた毛利家の人間からも、「織田家はうちよりもかなり先を行っている」と舌を巻くほどでした。

 こうした動員体制から信長はより領土拡大や支配に都合のいい本拠地へポンポン移動できたのに対し、武田や上杉は本拠地から動けず、むしろ領土が拡大するにつれてその兵士の前線までの移動がより長く困難になっていく面もあったように見えます。そうした点も考慮すると、織田家以外の勢力はその地元民を使う動員方式により、領土拡大はある範囲で制限がかかりストップしてしまう傾向もあったように見えます。

 以上を総括すると、腰が落ち着かず本拠地を度々移していたことから信長は支配地を拡大していったように見えますが、むしろ本拠地を何度も移せるくらい融通の利く動員体制を築いていたからこそあれだけ勢力を拡大できたと言えるかもしれません。

 なお織田家以外に本拠地移転をした大名としては、徳川家が岡崎城から今川家滅亡後に浜松城へと移し、岡崎城は長男の信康に任せていました。ただこの結果として家臣内で岡崎派と浜松派の派閥争いが起こり、岡崎派に担ぎ上げられた信康は一悶着あって切腹させられる羽目となっているだけに、領土の遠隔管理の難しさが見られます。
 このほか北条家も伊豆で旗揚げした後、勢力拡大初期に本拠を小田原城へと移しています。これは単純に伊豆だと実際行ったから実感わきますが、半島の出口抑えられたら一瞬で密室が出来上がるほど交通が閉ざされており、支配拡大にも困難な地域だったから移って当然とも言うべき選択です。逆に小田原はちょうど関東から東海へ至る入り口に当たり、交通面でも要衝であったことからいい場所柄だったのでしょう。