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2010年7月5日月曜日

ロンドン海軍軍縮条約の意味

 私は中学、高校時代はそんなに学校の成績がよくありませんでしたが、こと歴史科目においては一貫して成績上位を難なく取っておりました。そんな歴史が得意な私だから思うだけなのかもしれませんが、やっぱり学校の授業では表面的な事項の説明に終始するため、教師ももっと深く掘り下げてやった方が学んでいる側も覚えやすくなるのにと思うことが数多くありました。一例を挙げると、これは世界史ですが中国で宋朝の後に出来た金朝を作った女真族は、後に清朝を作る満州族と同じだということなど。

ロンドン海軍軍縮会議(Wikipedia)

 上記リンクに貼った事項もその一つで、今日はちょっと政治思想的な内容を含めてこのロンドン海軍軍縮条約について私の意見を書いてみようと思います。

 第一次世界大戦後に二度とあのような世界大戦を引き起こさないため世界各国で軍縮を進めようという目的の下で1922年に結ばれたワシントン海軍軍縮条約に引き続き、1930年にこのワシントン海軍軍縮会議は開かれました。先にこの二つの条約の違いについて説明しておくと、前者のワシントン海軍軍縮条約では保有する戦艦の重量を制限したのですが、戦艦が作れないのであれば巡洋艦を作ればいいじゃないとばかりに、条約締結後に各国では制限対象にない攻撃能力の高い巡洋艦の建造ラッシュが始まってしまいました。
 しかし、これでは全く軍縮にならないじゃないかということになり、1930年に今度はロンドンで巡洋艦の保有数も制限しようとして開かれたのがこのロンドン海軍軍縮会議です。

 結果から言うと、艦の種類によって微妙に比率は異なりますが全体的には米英に対し日本は重量にして約10:6.975の割合で艦を保有を制限する事に決まったのですが、この条約案に対して批准するかどうかについて旧日本海軍内部は真っ二つに分かれました。
 腐っても欧米列強に対して約7割の保有数量を勝ち得たのは大成功だとする「条約派」、片や四方を海に囲まれている日本の海軍防衛力の重要性は米英の比ではないとして条約案を批判した「艦隊派」と海軍首脳部で二つに分かれたのですが、日露戦争の大立者である東郷平八郎はこの時、明確に艦隊派の立場に立って条約派を批判していました。

 最終的には時の政府を率いていた浜口内閣が大恐慌時代の最中ということもあり、余計な歳出を減らしていきたという思惑が条約派と一致して条約に批准はしたものの、海軍内部の艦隊派を含めて一般民衆からも条約批准時には政府に強い批判が起きたそうです。この動きに乗ったのが時の野党政友会で大物代議士であった鳩山一郎で、彼こそ後の軍部独裁時に錦の御旗として使われる事となる「統帥権の干犯」という言葉を使った最初の人間で、海軍内部の反対を押し切って条約を結んだ政府は憲法批判だと強く批判しました。
 よく鳩山一郎はハト派だったと評価する人がいますが、この鳩山一郎も孫同様に時期によって自分の意見や主張を平気で180度転換する事が多々あり、佐野眞一氏の言葉を借りるなら「嫌な人間の一族」の一人であると私も認識しています。

 さてそんなすったもんだがあったロンドン海軍軍縮条約ですが、たまに右翼的とされる評論家がこの条約について、「米英が躍進著しい日本を封じ込めようとして、艦隊の保有数量を制限しようとした策謀であった」という意見を述べる事がありますが、この意見について私は的外れな意見を言うのもいい加減にしろと言いたくなる意見だと考えています。

 名前を忘れましたが当時の条約派の軍人がこの条約に対し、「一見すると日本は米英の約7割に制限されるように見えるが、実際には日本7に対して米英を10に制限する、日本にとってこれ以上ない有利な条約だ」と述べております。これはどういう意味かというと、当時の日本と米英の工業生産力の差は現代とは比べ物にならないほど差があり、先ほどの軍人の意見の続きをそのまま引用すると、「仮にこの条約が撤廃されて建艦競争に入ると、日本が7の二倍の14に増やしている間、米英は20どころではなく30、40まで増やしているだろう」と述べており、実際にこの生産力の差はその後起きた太平洋戦争で実証される事になります。

 一つ例を紹介すると、太平洋戦争が開戦されるやアメリカはその有り余る生産力を存分に使って一気に軍備を拡張し、なんでも一ヶ月に一艦の割合で空母を建造していたそうです。それに対して日本は損傷した艦の修理にも何ヶ月もかかり、新造艦ともなると小さい物でも三ヶ月くらいの工期がかかっていたと思います。ちなみに大艦巨砲主義の申し子である戦艦大和はその運用において、先ほどのアメリカで一ヶ月に一艦の割合で作られた量産型空母一艦しか破壊する事が出来ず沈没しております。

 はっきり言って、当時のアメリカの工業力と日本の工業力を比較すれば先程の軍人が述べたようなロンドン海軍軍縮条約の価値は誰でも分かる話です。それにもかかわらず妙な精神論やら党利党略に走ってこの条約を批判し、挙句の果てには米英の妙な陰謀論まででっち上げるなんて馬鹿馬鹿しいにも程があるでしょう。

 昭和史研究家の半藤一利氏はこの時代の陸海軍首脳について、調べれば調べるほどにその要所要所の無責任さに呆れてくると述べていますが、このロンドン海軍軍縮条約一つ取ってもその言わんとする事が私にも分かります。この後に開戦される太平洋戦争の直前においても海軍は図上演習こと開戦した場合のシミュレーションを行っているのですが、なんでも十回以上やって全部アメリカの勝利に終わるという結果が出ても、「勝負はやって見なきゃわからないよ」と言って、最終的には政府の開戦提案にOKを出してしまいます。

 ちょっと前に日本人の無責任さについて長々記事を書きましたが、これは何も今始まった事ではないというのが今日の私の意見です。あともう一つ書いとくと、日本人はやたらと陰謀論を好みますが、実際にはそんなに込み入った陰謀と言うのは世の中少ないということも覚えておいてください。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

福島の原発事故が起きてからも、
他の原発がある市町村の住民には原発への肯定論が根強いようなんですが、
同じような事が起きてから後で政府や電力会社に文句言うなよと言いたいです。

花園祐 さんのコメント...

 原発とは何の関係もない記事にコメントするのもなんですが、念のため返信しておきます。
 原発周辺の住民は原発関連の会社や組織に属する人間も多いため、肯定論になるのは多少は仕方ないと思います。極端な話を言えばあまり意見としては参考にならないため、それほど真面目に聞く必要はないかとも。