2010年11月28日日曜日

日本人の感情表現と文章

 ネットを当てもなく見ているとよく、「外国人を見て和む話」というものがまとめられております。実際に読んでみると確かに和む話ばかりで見ていてほのぼのとしてくるのですが、ふと考えてみるとなんで外国人の行動にこうも和まされるのかと疑問を覚え、ちょこっと考えて出した私の結論はというと、やっぱり日本人と比べて外国人は割合に感情をストレートに表現する事が多く、うれしいやがっかりといった感情を比較的押さえ込む日本人からするとそれが素直にさらけ出されるのを見て和みを感じるのではないかと思いました。
 なお言うまでもないことかもしれませんが、ここで言う外国人ってのは基本的に西欧人で中国人とか韓国人は入っていません。中国語でも西欧人は「外国人」もしくは「老外」というけど、日本人と韓国人はこれに入らない辺りにシンパシーを感じる。

 話は戻って素直に感情を出す外国人についてですが、日本人というか日本の世の中は基本的に感情を押し殺す事がすべての場において美徳とされ、小学校くらいからもそのように教育されます。私自身も日本人であるので感情を押し殺して黙々と行動する人間をかっこいいと思う傾向がありますが、その一方でなんでもかんでも感情を束縛される事に窮屈さを感じることもままあります。先ほどの外国人を見て和む話といい、私は今の日本人は一応は感情を押さえることが美徳だと認識しつつも、内心では感情をストレートに表現したいという欲求が強いのではと、考えた次第です。近頃流行りのうつ病も、やっぱりそういった感情表現と関係ある気がするし。

 では日本人は元からそうした感情表現を押し殺すのか、もしくは感情表現自体が苦手なのかと言うと、これは間違いなく後天的に植え付けられた特徴だと考えています。なんだかんだ言って日本の子供達を見ていると実に感情表現が多彩なのに対し、年齢が上がるにつれてそのような傾向はなくなってしまいます。となると日本の教育自体が感情表現を抑えるように教え込んでいる事になるのですが、そう考えた時に真っ先に思い浮かんだのが日本の作文教育です。

 日本の作文教育については過去にも「読書感想文は必要なのか」の記事の中で、日本の読書感想文は執筆者が本を読んで実際に感じた感想以上に教師が納得するような本を誉めるような内容が暗黙のうちに要求される点を指摘しましたが、よくよく考えてみると読書感想文に限らず日本の作文教育は個人的な意見はまだ書けるにしても、文章に感情を盛り込む事については徹底的に排除されているきらいがあります。

 ここで私がいちいち書かなくとも中学高校にて、「文章は客観的に書きなさい」と教えられたことは日本人なら誰にでもあるでしょう。この客観的にというのは響きはいいですが、実際には感情をすべて排除してマシーンのように文章をつづれと言っているも同然で、確かに客観的な視点は文章には不可欠であるものの主観的な視点を徹底的に排除するのはそれも問題だと私は思います。
 元々人間は感情を束縛される事に対して嫌悪感を抱くようで、私の感覚ですけど感情を捨てて文章を書けと言われてもあまり乗り気にはなれません。逆に、「お前の今持っている感情をすべてこの紙の上で表現せよっ!!(#゚Д゚)」などと言われ、自分の好きな歴史人物についてそれが何故いいのかだったり、嫌いな人間について呪詛の言葉をつづれってんなら物凄い乗り気で今からでもいくらでも書く気が起きます。

 くれぐれも言っておきますが、今も書いているこの文章を含め基本的には文章には客観性というか落ち着いた表現が求められると考えています。しかし主観的な表現も全く価値がないわけではなく、感情を文字にて表現するという意味ではむしろ格好の材料となることがあります。
 私が何を言いたいのかと言うと、日本の作文教育は一から十まで感情を殺すように書かせるために作文に対して苦手意識を作っている気がして、せめて小学生の間、出来れば中学校くらいまでは好きな事や感情をそのまま文字にて書かせた方がまだやる気もでていいんじゃないかという事です。

 これこそ先ほどの外国人の和む話で見かけた話ですが、イタリア人の男性は女性を見ると誰彼かまわず歯の浮くような文句で口説くそうですが、彼らは小学生の頃からラブレターの書き方を勉強するなどその方面で徹底した教育受けているそうです。ラブレターまでとは言いませんが、感情をさらけ出す材料をもうすこし作文の題材に選んで欲しいものです。

2010年11月27日土曜日

大学時代の遠慮のない後輩について

 またぞろ堅い内容の記事が続いているので、軟らかいネタでも書こうかと思います。

 先日、大学時代に住んでいた関西に行ってお世話になった方々へ挨拶回りに行きましたが、控えめに言っても私の大学時代は実り多いものだった気がします。今も交流があるほどいい恩師に恵まれた事はもとより、関東育ちの私が敢えて箱根の関を越えて関西の大学に行ったことで関西、関東両方の文化や地理を得られたことは今でも非常に大きな武器となっております。近年は東京一極集中のために関西の学生も地元に未練があるものの関東で働く事になることが多く、関東の学生はもとから住んでいるのもあってずっと関東に居続けると言うことが増えており、事実私の高校時代の友人らもほとんどが関東から出ずにいます。

 ただ大学時代で何が一番大きかったかというと、意外なことに下宿生活が一番だった気がします。ただ下宿するだけならそうでもないのですが、やや都市部から離れたキャンパスに通っていたために私が入った下宿はその大学の男子学生しか入居していない下宿で、周囲からも「○○男子寮」と揶揄されるアパートでした。大家の人も昔から学生を世話しているだけあって入学式の夜には一回生を集めて顔合わせ会などを催してくれるなど、壁が薄くて隣室のテレビの音が3Dサウンドで聞けましたが楽しい下宿でした。

 そんな下宿でしたが何の因果か私と大家夫妻は仲が良くなり、テスト中とかに遊びに行っては蜜柑とかお菓子を一緒に食べたり、下宿を出た後も遊びに行っては話をしたりしてえらく贔屓にしてもらいました。そんなもんだから二回生以降は前述の一回生らの顔合わせ会のまとめ役を毎年して、学年の違う後輩らとも知り合う機会も得られて今時ではない下宿生活をしてたように思えます。

 そうして知り合った後輩の中で、やっぱり特徴が強かったのは四国勢です。私の気のせいかもしれませんが四国出身の人間はみんな県民性を見事に反映していて、なおかつずうずうしいというか妙な遠慮がないために付き合ってて面白い人が多かったです。その中でも特にインパクトが強かったのは香川県から来た後輩で、何故かは知らないですが私がいつも夕食を作っている最中に、

「先輩、ゴミってどう出すんですか?」
「先輩、洗濯機って夜に使ってもだいじょうなんすか?」
「先輩、夏休みに部屋空ける時ってなにかしないといけないんすか?」

 こんな具合に、いっつもメシ作っている最中に来るので私も仕方なく、

「まぁ立ち話もなんだから、上がってメシでも食べてって」
「えっ、マジッすか!? じゃオジャマします!!ヽ(・∀・ )ノ 」

 他の学生ならまだ、「いやいや、そんなの悪いですよ」って遠慮してくるのに、彼だけは二つ返事でいつも食べてきました。まぁその方がこっちも気持ちいいけど。

 その後一旦私は中国に留学しましたが、日本に帰って元の大学に復学した際はキャンパスも変わっていたので別の下宿を借り、その後久々に元の下宿を訪れた際にその香川の後輩を訪ねるとうれしいことに私のことを覚えていて、たまたま一緒にいた自分は半分岡山県人だと言って譲らない神戸市西区出身の後輩ととともに私のことを、

「ちょうど今、俺達花園さんのことを話してたんですよ。井上和香が好きなスケベな先輩がいたよなぁって」
「('A`)」

 この時に新しい下宿の住所を教え、もしよければまた晩御飯を食べにおいでと誘ったら神戸の後輩と共にすぐに来て、その日は確かカレーを作りましたけどあらかじめご飯を四合炊いといたら「足りないっすねぇ( ゚Д゚)」と言ってきたので、追加で三合を炊いたら三人で全部平らげてしまいました。
 私は学生時代にいろんな人間を招いては食事を用意してきましたが、あれほど遠慮がない学生は他にいなく、今でも強烈な印象に残っております。日本の世の中だと遠慮深い事が美徳として扱われますが、私はこの後輩と会ってからは遠慮が強すぎるとかえって相手の気分を害させ、むしろ二つ返事で素直に喜んだ方が人間関係的にもいいと思うようになりました。

 ちなみに下宿にはもう一人、高知出身の後輩がいましたが、香川の後輩ほどではありませんでしたが彼もあまり遠慮はせずにいい意味で感情をストレートに出してました。ただ一回だけ彼の部屋に遊びにいったところ、結構散らかっていたのでそれからは私の部屋に呼ぶようにしました。

2010年11月25日木曜日

オリジナルなき中国経済

 前回の記事では日中の若者の現状を私なりに比較しました。概略を簡単に説明すると日中共に若者は苦しい立場に追いやられているが、日本の若者は中国の若者と比べれば将来性はともかく現状では金銭的にも社会的にも恵まれているにもかかわらず非常に後ろ向きなところがあるという主張をしました。
 そんな次の回の今日は、今回私が中国で滞在した際に感じた中国経済の違和感こと今後の中国の不安定要素と、それを逆の位置から見た日本の優位について一考を紹介します。

 以前に書いた「中国の自動改札と券売機」の記事にて私は中国での自動改札機と券売機を紹介しましたが、どちらも日本の駅に置かれているものと比べると性能的には低いものでした。元々両方とも日本企業の京都三大ブラック企業で有名なオムロンが開発した物なので原産国である日本の機械の方が優位を持ってて当たり前でしょうが、ふと考えるとこうして現在中国国内で普及が進んでいるものは、作っている現場は中国でも元々はすべて外国製なのではという考えがもたげました。自動車然り、携帯電話然り、マクドナルド然り、新幹線という高速鉄道は名前もそのままなのに「自分達で頑張って作りました」と言ってますが実際には日本の技術の流用だそうです。

 中国は今年、GDPで日本を追い抜きアメリカに次いで世界二位になることがほぼ確実視されていますが、世界二位の経済大国にも関わらず中国が独自に世界に発信した文化、サービス、規格となるとほぼ皆無なのが現状です。この傾向については私が記憶している限り五年前から中国国内の学者は今の中国の経済成長と日本の高度経済成長期を比較し、「当時の日本にはすでにトヨタやソニーといった世界に通用するブランドがあったにもかかわらず、中国には未だにそのようなブランドが存在しない」と問題視していましたが、それから五年経った今においてもこの点には一向に改善が見られません。
 企業ブランドで言えば一昨年のリーマンショック以降は吉利自動車がボルボを買収するなど、中国企業は主に海外の自動車系ブランドの買収は手広く行いましたが少なくとも現時点においてはまだそれら買収したブランドが有効に機能しているとは思えません。IBMのパソコン部門を買収したレノボは知名度アップに見事成功したとは思うけど。

 元々中国の企業はかねてから品質トラブルを抱える事が多いので、私みたいに中国と深く関わっている人間でなければあまり企業名までは覚えてもらえないのが常です。そうした企業ブランドの低さに加え、私がもう一つ問題視しているのは中国独自の技術や規格こと、「チャイナスタンダード」の欠如です。

 いきなりチャイナスタンダードといっても、恐らく大半の人は見慣れない言葉に戸惑うかと思います。この言葉の意味は文字通りに「中国規格」で、細かい所までとなると話は別ですが、今現在で中国で流通している商品やサービスにおいて中国独自の規格があるかといえばほぼ皆無なのが実情です。
 考えてもみてください。今現在で中国発の独自な文化やサービス、技術を挙げろと言われてすぐに挙げられる日本人はほとんどいないと思います。実際に他の人より中国に関わる事の多い私ですらこの質問は難問で、強いてあげるならば有人宇宙開発だけは結構頑張っていると思いますがそれ以外となると結局は他国の下請け製造のみで、むしろこの点では半導体製造や韓流ドラマなどを持つ韓国の方が上手です。

 結局の所、中国は以前から問題視されながらも世界に通用されるような独自規格を全く作れず、他国の完成した製品、もしくはサービスを受け入れているだけで、世界の工場といわれながらも製造している製品は他国のコピー止まりなのが現状です。
 断言してもいいですが、今後十年の間はチャイナスタンダードがグローバルスタンダードになることはありえないでしょう。中国は人口も多くて市場も大きいだけに、携帯電話の電波方式など自国でその商品なりサービスの形態を普及させる事で他国の企業を従わせやすいように思えるのですが、不思議な事に今もってそのようなグローバルスタンダードと呼べるような規格を作る事が出来ずにおり、その原因はほかならぬ中国人自身にあると思います。

 それにひきかえ日本はというと、よく携帯電話機の規格などでガラパゴス化しているなどと言われていますが、陰に隠れてちゃっかりと国際規格をいろいろ作っているとこのところ感じます。その一番の代表例はソニー連合のブルーレイディスクで、最初はあーだこーだいいながらも今じゃすっかり世界各国の映像記録媒体として定着していますし、それに合わせて再生機の規格も物にしてます。そのほか鉄道においては言わずもがなの新幹線、特に今度はありえない長距離をリニアモーターカーで結ぶというのですからその技術の高さは素人ながら恐れ深く感じるほどです。

 以上のような考察から私は、中国はまだしばらくは内需喚起で経済成長を確実に続けるものの世界第二位の経済大国と呼ぶにはあまりにも発信力、技術力が低いため、ある日突然に成長を止めることになると予想します。しかもそのブレーキの反動は恐らく日本のバブル崩壊時以上で、かつてヨーロッパ、日本が歩んだ通りかそれ以上の冬が来ると思います。

 かつて日本はアメリカなどから「人まねザル」などと言われた時代がありましたが、その時代にあってもカシオの計算機やマツダのロータリーエンジン、テレビアニメーションなどといった技術や文化を独自に生み出していました。しかし中国には、私の不勉強によるものかもしれませんが未だにそのような技術や文化はなく、むしろ独自性の強かった香港映画がハリウッド映画に成り下がった始末です。
 よく中国関係の仕事をしている人から聞く話に、日本はたくさん独自の技術や文化を持っているにもかかわらずそれを全く活用しようとせずに自国の経済を卑下する、という話がありますが、中国からの視点で見ると私も同じように感じます。日本の将来がダメだと悲観する事は簡単ですが、時と場合によってはまだ余裕がある人間の自己卑下にしか見えない時もあります。

2010年11月24日水曜日

中国から見た日本の若者の状況

 今現在、今後の日本の景気について聞けばサラリーマンはもとより評論家らも異口同音に不況で先行きは暗いという見通しを話します。私自身もつい先日までそのように考えていたのですが、先日に中国にしばらく滞在して新ためて日本を外から見るのと、中国を中から見て以前とはやや違った考え方を持つようにこのところなってきています。結論を先に述べると私は日本人が将来を悲嘆しているのは甘えもいいところで、まだ随分余裕を持て余しているようにしか現在は考えていません。

 上海に滞在中、街中を歩いているとそれまであまり気にしていませんでしたがふとあるレストランの入り口に掲げられていた看板に目を留めてみたところ、ちょっと気になる数字が書いてありました。

「ホールスタッフ募集 月給2,000元」

 もちろんオリジナルは中国語で、「招聘洗碗工 RMB2,000」と書かれていましたが、改めてこの数字を見てみると日中での為替格差と生活の差をまざまざと見せ付けられました。この2000元という数字、現在の日本円は円高の影響もあって1元=12円ですがそれで計算すると、その上海にあるレストランではホールスタッフの給与は24,000円という事が分かります。

 日本円で月給24,000円だととてもじゃないですが暮らしていくには厳しい額ですが、中国ならば物価も安くてそれ程でもないのではと皆さん思われるでしょう。確かに中国の物価は日本と比べて非常に安く、コーラなどは1缶2元(24円)、食事も10元(120円)も払えばチャーハンなりラーメンなりそこそこ食べることが出来ます。ただこうした費用が安いからといって他のも何でもかんでも安いわけではなく、これは中国人の友人にも確認しましたが上海市内で部屋を借りる場合はどんなに狭くとも2000元以上は必ず取られるそうで、その他の細かい生活費用も上海では日本並みに取られる事も少なくありません。
 となると家賃が2000元では先ほどのホールスタッフは月収を丸ごと大家に取られる事になり普通では生活できません。ではそんなホールスタッフの募集に応じる、主に田舎から出稼ぎにやってきた若者らはどうやって生活するのかと言うと、大抵は一つの狭い部屋を数人で一緒に借りて共同生活をして働き続けるのです。

 念のため言っておきますが、上海は中国で最も物価が高い地域である一方で最も給料の高い地域です。確かに地方によって細かい事情は変わってくると思いますが大抵の都市部では多かれ少なかれこのような状況で、元からその土地に住んで定住している人間ならともかく、出稼ぎに来た若者らは数人で共同生活をしながらわずかに残った給料を貯めて地方に送る事でぎりぎりの生活を続けています。
 こうした中国の苦しい状況は田舎出身の若者に限らず、大卒の若者ですらも当てはまるのではないかと現在私は睨んでいます。細かくまだ確認が済んでいなく企業ごとにも違うでしょうが、私の予想だと中国のホワイトカラー職の大卒初任給は約5,000元前後で、しかも最近は日本同様に大卒の就職状況が悪いために卒業したにもかかわらず職にあぶれる若者が後を絶ちません。

 翻って日本の状況ですが、就職氷河期を越えるほどの低い率で戦後最低を更新するほど昨年度の大卒内定率は悪かった物の、地方ならばともかく東京や大阪といった都市部であれば20代ならばまだアルバイトで働く事は可能だと思います。仮にアルバイトの身分で正社員同様にフルタイムで働けば月収20万円を稼ぐ事も難しくなく、この収入であれば部屋を借りて一人で生活することも不可能ではないでしょう。
 もちろん日本の雇用慣行上、新卒で就職できなければその後もずっと就職の機会がない、アルバイトでは雇用経験として認められない上にスキルが身につかない、三十代になればアルバイトもし辛くなるため、この低い内定率の状況を私も問題視しており早く対策を打つべきだと考えてはいますが、それでも中国の若者(大卒高卒を含めて)の状況と比べるならばまだまだ日本の若者は恵まれた環境にあると思います。厳しいことを言えば、たとえ就職にあぶれたとしても日本の若者ならばアルバイトをしながらお金を貯め、ある程度溜まった所で資格の勉強をしてスキルアップに繋げてその状況から抜け出す可能性もありますが、中国の若者にはそんな可能性すらありません。

 よく中国は上り調子、景気がいいとあちこちで言われていますが、そこで生活する人間達のミクロな生活を比較すれば今の日本人はまだ遥かに恵まれており、これで「日本の将来は暗い」、「一度チャンスを逃したらもう立ち直れない」などと言うのはどこか浮世離れした感が私にあります。

 もちろん言うは安しで行なうは難しの如く、実際に厳しい状況に置かれた事のない私がこんな事を言うべきではないのかもしれませんが、それでも敢えてこのように文章にして主張したのは自分を含む今の日本の若者に必要以上に世間の暗い雰囲気を真に受けるなと言いたいからです。
 たとえ正社員になれなくともまだ生きていける、生活できる、おまけに今はデフレで安い金額でそこそこ娯楽も楽しめる。将来が厳しいと予想されるとしても必要以上に暗くなる必要はありません。これは多分、近年中国に行ったことのある人なら皆わかると思いますが、日本の若者と比べて中国の若者は実に明るい表情を皆でしています(北方の人はあまり笑わないけど)。将来性はともかく現行の生活状況は中国の若者の方が明らかに苦しいにもかかわらず、彼らはまだ若者らしいと言ってはなんですが明るい表情で楽しそうに暮らしています。

 将来を懸念する事、対策を作る事は非常に大事ですが、そのために今現在を無駄に台無しにしては意味がありません。日々のニュースや年配の世代が暗い事ばかり言っているからといって真に受けず、まだ日本は頑張れば先進国の生活を送れるのだと考えてもっと前向きになってくれればと、一人の若者として切に願います。

 次回はもうちょっとマクロな日中経済比較を行います。そこそこ自信のある内容を用意してます。

プレステVSサターンの次世代機争い

 先日、中国人の友人と日本のゲームの話をした際、日本でもあったプレイステーションとセガサターンの次世代機争いが中国でもあったという話を聞いたので、あの時代をリアルに生きていた一人として後世に歴史を語り継ぐために今日はこの次世代機争いについて書こうと思います。

ソニープレイステーション
セガサターン

 上記二機種のゲームハードはほぼ時を同じく1994年の年末に発売し、当時スーパーファミコン全盛だった時代に次世代の主要ゲームハードの座を賭して激しく争いました。発売当時の私は小学生でしたがゲーム屋、電気屋に置かれた試遊台にて両者のゲーム画面を見てそのグラフィックの良さに驚いたのをよく覚えています。

 まず簡単に発売当時の状況を説明すると、当時は持たないものは小学生男子にあらずと言われるまでに普及していたスーパーファミコンでしたが発売から大分年数が経っていたこともあってゲームハードとしての機能に限界が徐々に見えていました。そんな次世代機が徐々にほしいなぁと思われていた矢先、日本ではともかく海外市場ではメガドライブというハードで成功を収めていたゲーム会社のセガが日本市場の奪還のためにセガサターンを開発して市場に投入したのですが、その一方で家電会社のイメージの強かったソニーが任天堂との共同開発を行っていたものの途中で破綻したCDドライブ型ゲームハードを独自に開発しており、そうして完成したプレイステーションを揃って投入しました。両者はどちらもクリスマスの年末商戦に合わせて発売したのですが発売当初の両者の値段はプレイステーションが39,800円、サターンが44,800円で、物の分からない小学生とはいえ親にねだるには高すぎるなぁと私は感じました(スーパーファミコンは最初、25,000円だった)

 そんな感じだったので発売当初は遊んでみたいと思うめぼしいソフトもなく、値段の高さと相まってどちらかといえば子供ではなく大人が遊ぶゲームハードなんだろうと思ってあまり欲しいと感じませんでした。ただ市場では物凄い綱引きがあった様で、どちらも赤字覚悟で再三の値下げ合戦を繰り広げてはスーパーファミコンから離脱するサードパーティことソフト開発メーカーの抱きかかえ合戦が行われていたそうです。

 ちなみに確証は持てない情報ですが当時の業界関係者によると、当時ほぼゲーム市場を独占していたスーパーファミコンでゲームを発売するに当たって任天堂がソフトメーカーに任天堂に支払うよう課していたロイヤリティことマージン率は異常に高かったらしく、メーカーらも任天堂と対抗する他社の新ハードの登場を待望していたそうです。実際にスーパーファミコンの後期発売ソフトは定価が9,000円台後半で当たり前、中には10,000円を越すのまであったので現在のソフトと比べても異常に高いものだとわかります。一説によると、定価の約半分が任天堂へのロイヤリティ分だったという噂まであるし。
 逆をいえばこうした殿様商売をやっていた隙を突かれたこともあってこの次世代機争いの途中に任天堂が発売した「Nintendo64」は普及が進まず、現在に至るまで据え置き機で任天堂は王座に帰り着くことが出来ずにいます。消費者としてはソフト価格が安くなって助かったんだけど。

 話は戻ってプレステとサターンの話です。そんなこんだで94年の年末に発売して95年からがっぷり四つになって販売争いが行われるようになったのですが、当初はサターンの方が優勢でプレステ側が「目指せ100万台」と言っている最中に先にサターンの方が100万台を達成したくらいでした。この要因を私なりに分析するとサターンは販売元がゲーム会社のセガなだけにゲームセンターに置いて認知度の高かった「バーチャファイター」など人気ゲームを早くに移植したが故だと考えています。また私見ながら初期プレステのソフトはサターンと比べるとやや子供っぽいというか、対象年齢の低いゲームが多いように思えてハード本体の値段が子供には手の出し辛い価格だった事を考えるとそうしたソフトの差がモロにでたとおもいます。
 ちなみに95年、うちの親父が取引先から騙したのか脅したのかは分かりませんが、日立製のHiサターンというサターンのちょっと変わった機種をもらってきたので、私はこの次世代機争いではサターン派に属しました。

 明けて96年、すでにサターンを持っていたことからバリバリのサタニストだった私ですが、この年の初期に初めてプレステユーザーがうらやましくなる事件がありました。それは何かと言うと、今もシリーズが続く「バイオハザード」の一作目がプレイステーションから三月に発売されたのです。元々ホラーゲームが好きだった私なだけにこのゲームは発売前から興味があり、どうしてサターンじゃできないんだと歯噛みするような思いで店頭に置かれたデモプレイを眺めていたのを覚えています。

 そしてこの頃から両者ゲームハードにおいて性能差が徐々にはっきりでるようになり、聞くところによると当初はサターンの方が高性能だったものの元の設計が当時主流になりつつあった3Dゲームにあまり向いておらず、逆にこの分野に強かったプレステがソフトメーカーに頼られるようになっていったそうです。さらに発売当初は気にならなかったものの、ゲームの途中経過を記憶するのにプレステでは別売りの「メモリーカード」といって外付けの端子媒体を使うのですが、サターンの場合は内蔵のメモリが初めからついていました。サターンはメモリが最初からついてあるからなにかと便利だと思ったら運の尽きでこのメモリは定期的に電池を交換しないと機能しなくなり、しかも電池を交換した際はそれまでのデータがすべてすっ飛ぶという優れもの、さらには電池交換のタイミングは全く確認できないという三拍子ものでした。この次のドリームキャストといい、セガは記憶媒体についてなにか考え方がイカれているとしか思えない。
 一応サターンにも外付けの大容量記憶媒体こと「パワーメモリー」があったのですが、これも最初はいいけど使い出して大体二年くらい経つとびっくりするくらいにハードが認識してくれなくなり、私もサターン本体を殴り壊さんばかりにこのパワーメモリーを外しては挿入してを繰り返した事が何度もあります。

 そういった元もとの性能の差に加え、両者とも徐々に描画機能や開発機能などに改造を行っていましたがこれもプレステの方が進んでいました。唯一プレステで問題だったと私が感じたのは、サターンと違ってテレビなどとの接続端子がすぐに痛むところがありました。サターンは各部品ごとにメーカーがちがったもののプレステの場合はすべてソニー内の部品を使っていたためこうした細かい所ではサターンに軍配が上がります。とはいえ、プレステ2ではこういった接続不良はきれいさっぱりなくなったけど。

 そうして徐々にプレステが勢いづく中で最後の決定打となったのは96年の後半に発表された「ファイナルファンタジー7」がプレステから発売されるという一撃でした。まさに関ヶ原における小早川秀秋の裏切りのように、当時ブランドイメージとしてはゲーム会社中最強であったスクウェアのプレステへの参陣はサタニストの私も、「もはやこれまでか」と思わせられたほどでした。事実それからはどちらも持っていない子供はプレステを、サターンを持っている子供もプレステを買い漁る始末で、97年以降になるとサターンで発売されたゲームはセガ製以外はほぼすべてプレステに移植されるという、悲しい結果になりました。そんな下り坂まっさかさまの時代にあってサターンの最後を輝かせたゲームソフトをいくつか挙げると、

・街(チュンソフト)
・スーパーロボット大戦F(バンプレスト)
・ブラックマトリクス(NEC)

 私の記憶が確かなら、最後の「ブラックマトリクス」が他のゲームハードのソフトも入った週間売上げランキングにてサターンソフトでありながら一位になった最後のゲームだったと思います。まぁ三つとも、後にプレステに移植されているけど。

 このサターンとプレステの争いからもう十年以上経ちますが、その後も「プレイステーション2 VS X-box」や「プレイステーション2 VS ゲームキューブ」、「プレイステーション3 VS X-box360」、「Nintendo DS VS PSP」などと一応ハード争いを見ることはありますが、この時のハード争いほど熾烈なものは私は未だ見たことはありません。96年まではカプコンを筆頭に片っ方でゲーム出してもしばらくすればすぐもう片っ方に移植されて当たり前でしたし、他メディアとのタイアップも全然勢いが違いました。

 その上でサターンの敗因を私なりに言わせてもらうと、やっぱりセガの販売戦略が根本からおかしかったと言わざるを得ません。前ハードのメガドライブで人気だったソニックシリーズをなかなか出そうとしなかったり、小中学生には敷居の高い「大戦略」などといった戦略シミュレーションばかりだしたり、挙句にキラーソフトである「バーチャファイター」が3D格闘ゲームなのにハード性能を2D描画に偏らせるなど、言い方は悪いですが本気で売るつもりがあるのか疑問に感じるほど穴が多かったです。
 しかも残念なことにセガはこの次の「ドリームキャスト」でも大ポカを連続し、前述の記憶媒体では「ビジュアルメモリ」という、発売する前に誰か止めなかったのかと思うくらいの不良品を出してくる始末でした。この時期のセガはあの悪名高き「パソナルーム」を使って社員を退職に追い込むなど常軌の逸した行為をしており、末期だったんだろうなぁと個人的に思います。私もサタニストだっただけにセガを応援してたけど、「パソナルーム」のこと聞いてからはこの会社が大嫌いになりました。

  おまけ
 ちなみに私の中国人の友人は、「鉄拳(プレステ)かバーチャファイター(サターン)かで悩んだけど、僕は鉄拳を取ったよ」と言ってました。鉄拳も面白いしね……。

2010年11月23日火曜日

新聞を読まなくなったのはネットニュースのせいか

 別に隠すほどの事ではないのでもう書いてしまいますが、先週の金曜から日曜まで関西に赴き、お世話になったかたがたに中国へ行く前の挨拶回りに行っていました。夜行バスで行ったけど、自分が学生だった頃より本数が多くなったと思う。

 それはさておき今回の挨拶回りの最中に以前の恩師から誘いがあり、京都某所で行われた研究報告会にも参加してきました。報告会のテーマは今時の大学生ということで各専門の先生がそれぞれのまとめた内容を報告し合っていろいろと面白く、取り上げられたデータの中から面白かったのをいくつか抜粋すると、

・下宿生の支出は食費や娯楽費などほぼすべて下がっている中、家賃代だけは上がっている
・仕送りが減る一方、アルバイト収入も減少傾向
・一日一時間以上授業以外の自主勉強、読書を行えば統計上勉強している方になってしまう
・就職活動に苦しむのに男女ではあまり差がなく、どちらも真面目なタイプが苦労している

 ざっとこんなものなのですが、敢えて大きく取り上げようと思うのにこの記事の題となっている新聞とネットニュースの関連の研究報告でした。結果を先に言うとよく、「インターネットでニュースを見る習慣ができたので、新聞は読まれなくなった」と言われつつも実際に学生を調査してみたらインターネットでニュースを良く見る人ほど新聞も読む人が多くなったという内容で、私の感想を述べるとまぁそうだろうなと気がしたわけです。

 私自身も他の人間より人一倍ネットでニュースを見ますが新聞もほぼ毎日読んでて、購読ということになると学生時代はお金が惜しくて取りませんでしたがそのかわりに図書館や喫茶店でこれまたほぼ毎日チェックしていました。よく広告業の企業に勤めている人から最近はネットのせいで誰も新聞を読まなくなったという愚痴を聞きますが、確かにネットの影響は少なくないまでも今回のデータ報告といい、私は日本で新聞が読まれなくなっている本質はネットというより基礎学力の低下が原因ではないかと今回感じたわけです。

 日本にいるとあまり気がつきませんが、他国と比べると日本は相当な活字大国です。日本人全員が難しい漢字交じりの文章を読める識字率の高さはもとより多種多様な本が毎日出版され、そこそこの世帯では毎日新聞が配達されるなどということは他の国ではまず考えられません。他国で滞在した経験がある方なら分かるでしょうが他の国では本の紙質も悪ければ日本みたいに娯楽関係の書籍は異常に少なく(中国はビジネス書ばかり)、本を読むのは知識人くらいで本屋という店の形態もどことなく日本とは違っています。言ってしまえばこうしたブログが成立するのも日本人が活字を読むことに抵抗がなく、ユーザーが多いが故に草の根でも通用するからだと言えるでしょう。

 そんな日本はこのところ出版不況だと各所で騒がれていますが、それを推しても未だに日本は読書大国だと私は言い切れます。ただ以前の水準からは落ちているのは事実でそれがこのところの新聞購読者の低下にもつながっており、その主原因はネットだと言われているもののそれについてはかねてから反論もあり、私自身もネットでニュースは見るが新聞も見るのでなかなか腑に落ちていませんでした。
 そんなところへ上記の報告があったわけですが、結論を述べると私はネットでニュースを見るようになったのも全く影響がないわけじゃないもののそもそも新聞を読む人間が減った、言い換えるならば新聞を読むほど知識や好奇心を持つ人間が減ったのが原因じゃないかと思うわけです。

 日本の基礎教育力の低下はあちこちでも言われており、私も先日二年下の大卒の女の子から「チェルノブイリってなんですか?(´・д・`)」と言われてリアルに焦った経験がありますが、やはり私の目から見て勉強している人はネットだろうが新聞だろうがとにもかくにもニュースに対して貪欲であるのに対し興味のない人はネットニュースも新聞も読んでない気がします。荘考えるとネットニュースの配信が新聞の購読者を減らしたというより、日本の人口減もありますがそれまでの日本の基礎知識レベルの低下が主原因ではないかと感じるようになりました。

 基礎教育というとあまりイメージがしにくいですが、私なんか先日中国へ行ってこういったものが非常に大事なんだと思うようになりました。前にも書いた自動改札、券売機が使えない中国人といい、基礎教育レベルが高ければ当たり前に使える技術もレベルが下がって使えないということも十分に考えられ、今後日本も本というものは勉強する人しか読まないものになってしまうかもしれません。読書離れをどう防ぐかではなく基礎教育をどうするかという点に新聞社は着目すべきというのが、今日のまとめです。

2010年11月22日月曜日

中国で転職するには

 またしばらく家を空けていたので久々の更新となってしまいました。やる気はあるからまたばりばり書くぞ。
 あと今日からカテゴリーに新たに「中国のはなし( `ハ´)」を追加しました。今日の記事といい、これから中国の事もいろいろ書くので独立したカテゴリーを設けて臨もうと思います。

 すでに過去の記事でも書いていますが、先日私は日本で勤めていた会社を辞めて中国の企業に就職しました。現在私は中国での就労ビザの発行を待っている段階ですが今後中国での転職を考える方に対してなにかしら参考になるかもしれない、もとい検索に引っかかってアクセスが増えるように、今日はどうすれば中国の企業に転職できるのか私の経験を簡単に説明しようと思います。

 海外転職というと難しいのではと構えてしまう方が多いかも知れませんが、少なくとも今現在の中国に私のように日系企業への転職であれば不況真っ只中の日本よりは転職がし易いかと思います。ほかにも方法はあるでしょうが私は今回の転職にはオーソドックスな人材会社を通して探すというやり方を行いましたが、人材会社への登録はともかく本格的に企業を捜して大体二週間で無事就職先を決めております。

 具体的な流れはというと、まずはなんといっても人材会社への登録です。人材会社はいろいろありますがそれぞれ得意とする業種や分野があり、あらかじめ自分の目的に合った人材会社を選ぶ事をお勧めします。私の場合は中国で勤務する事が最大条件だったので海外転職を専門とする「パソナグローバル」と「テンプスタッフ上海」に登録して活動を行いましたが、両社とも担当者は中国での就労経験を持つ方だったので相談を含め非常に懇切丁寧に対応してもらえました。

 人材会社に登録すると登録時に作った条件に照らして担当者の方から募集企業の紹介があり、求職者はその紹介される企業の中から面接を受けたい企業を連絡し、担当者に面接の可否を企業側に尋ねてOKが出れば面接日時を設定してもらいます。
 私の場合は中国の滞在予定を作った上で担当者に相談し、その滞在日程の中で条件に合う募集企業の面接日程を作ってもらいました。こうした海外転職(現地採用)の場合は当然ですが面接は現地で行われるため該当する国に直接足を運ぶ必要があり、私のように会社を辞めて一ヶ月くらいの滞在をしながら捜す人もいますが元の企業に止まったまま、有休などを使用して現地での面接日にだけ渡航して面接を受けるという、働きながら転職先を捜す人もいるそうです。

 そうやって中国での面接日程を決めると、後は指定された日時に会社を訪問して面接を受けるだけです。私が受けたのは主に日系企業だったので面接担当者は皆日本語が上手な人で特に中国語で志望動機などを語る必要もなく、ざっくばらんな面接で控えめに言っても楽しかったです。
 面接後は日本での転職同様に人材会社から結果を聞くのですが、この結果の連絡は日本企業と比べて中国の企業は日系でも非常に早いです。私が受けた会社はどこもその当日中、もしくは次の日にすぐ合否の連絡があり、わざわざビザまで取って一ヶ月の滞在予定を立てましたが結果から言えば訪中から一週間で就職先が決まったほどです。そういう意味では無理して会社を辞めてから捜さなくても良かったような気がします。これはこれで手続き上は楽でいいんだけど

 ではそうした就職先の捜し方は置いといて、具体的に中国で仕事を捜すには何をしておけばいいかということを私の経験から話します。
 まず必要なのは中国語の技術で、日系企業で日本人を相手にするにしても生活する場が中国なだけに中国語はできるに越した事はありません。ただ本当に日本人ネイティブであれば誰でもいいという募集企業もあるので中国語が出来なくとも捜せない事はありませんが、中国語のハンデは給料にも反映されますし、中国に語学留学するのはそれ程難しくもなくお金もかからないため、中国語ができないなら現地で学校に入って勉強しながら捜す方がいいと私は思います。

 そうした語学以外に必要となってくるのはちょこっと意外かもしれませんが大学の卒業証書、あとすでに退職しているのであれば離職票です。というのも最近の中国は職にあぶれた日本人が私以外にも結構やってきているそうで、中国当局も以前と違ってこの頃は就労ビザの発行審査が厳しくなっているようです。実際に私が人材会社から受けた説明によると、以下の様な書類や履歴の有無を確認してくるそうです。

・中国語の成績書(HSKや中国語検定の証明書、留学中の成績書など)
・四年制大学の卒業証書
・無職である事の証明書(離職票)
・日本での勤務実績(約二年以上)

 私は全く意識してなかったのですが、中国でも最近は大卒の就職事情が悪いために勤務経験のない外国人には就労ビザがなかなか下りなくなってきているそうで、私のように日本で働いた経験があるとないとで結構扱いが変わるそうです。余談ですが日本食、それも寿司職人の場合だとどこも人材が不足しているため、どの国でもほぼ無条件でビザがもらえるらしいです。
 就労ビザは現地の当局に採用する企業が必要な書類(病院での健康診断書を含む)を提出し、地方にもよりますが提出から約一ヶ月ほど登録に必要な書類が採用先に届けられ、求職者はその書類を持って日本の中国大使館、領事館へ赴き、就労ビザの発行を受けるそうです。

 オチらしいオチがありませんが、中国への転職ですと人材会社に相談すれば結構スムーズに出来るという事が私の言いたい内容です。私自身が質問に答えてもいいですが、もしなにか中国での転職で聞きたいことがあれば人材会社に聞くのが一番かと思います。
 最後に昨今の日本人の中国転職状況を人に聞いた範囲で説明すると、上海万博が終わった事で以前より男性性社員の募集が減っていて、事務などの女性社員の募集が増えているそうです。先日の尖閣諸島沖の衝突事故の影響で日系企業は中国のカントリーリスクを持つようになった、撤退が相次いでいるという報道が日本でよくなされていますが、カントリーリスクはともかく撤退はそれほど行われているようには思えません。ですが以前ほどの水準となるとやや目減りしているのは事実です。その一方で依然と工程管理や技術開発などの経験者の募集は広く行われており、理系技術者については中国語が出来なくとも高い給料の仕事は保証されているように見えます。

2010年11月18日木曜日

昨今の与党と野党について

 いろいろ用意しているネタがあるものの書き始めるとしばらくはまた連載みたいな形になるので中々書き出せず、それ以外のねたとなるとちょっと浮かばなくて最近また更新が遅れ気味です。なもんだから無理して特定の記事を書くよりも曖昧な雑感を書こうと開き直り、今日は最近の日本政治の状況について思うところがあります。

 まず与党民主党についてですが、あちこちでも取り上げられているように尖閣ビデオ流出問題を筆頭に危機管理の面でいろいろとボロを出しております。最近でも柳田法相が今時まだこういう勘違いしているのが生き残ってたんだなぁと思う失言で早晩辞職もやむをえない状況にまで追い込まれていますが、こうした危機管理について民主党は以前から問題視されていながらもとうとう克服は出来なかったのだと感じています。
 ただこうした民主党の状況からすぐにでも政権から引き摺り下ろされてまた野党に転落するだろうという意見をいくつかのブログで見ますが私の見方は少し違い、自民党も似たり寄ったりなんだからまだ民主党政権は続くと考えています。

 自民党も一から上げていっては長くなりますが、ナントカ還元水発言で物議をかもした松岡元農水相をなかなか罷免できず、外交においても福田元首相のパンダレンタル契約(私は支持するけど)中国詣でを繰り返していただけで決して上手いやり方が出来ていたとは思えません。恐らく今の政権が自民党政権だったとしても、尖閣諸島沖の漁船衝突事件では民主党同様に情けない対応になっていた気がします。
 その上で今の自民党が最も情けないのはいちいち民主党を批判する問題が蓮舫議員の国会内撮影など矮小でどうでもいいものばかりで核心を突いておらず、傍目にもミスってばかりの民主党を攻撃しきれずにいる点です。今月の文芸春秋で安藤優子氏に、「自民党の谷垣総裁は見た目からしてサラリーマンにしか見えず、とても野党の党首の風格がない」とまで言われる始末で、他の人は違うかもしれませんが今の自民党を与党にするくらいならまだ民主党政権が続いていた方が政権も変わらなくていいのではないかと私は思います。

 話が急展開しますがよく民主党政権を批判する人は数多いものの、私は結局は民主党、自民党のあまりにも情けない議員らを国会に送り込んだ有権者自身が最も反省するべきだと思います。民主党を与党にさせた以前に、対抗馬となるべき自民党議員にも一般人としてどうかと思う人が多く、そんな人を議員にしてしまったがゆえに安倍政権以降から続く政治的混乱が収まらないのではないかと考えています。まぁそれを言ったら復活当選のある比例代表制がガンになりつつあるということになるのですけど。

 この点について私と考え方が同じとは言いませんが、共感する意見として意外に人気が出てきた小泉進次郎氏の意見があります。小泉氏は先日行われた時事通信の取材に対していろいろと答えており、いくつか抜粋すると、

(民主党の支持率が下がりながらも自民党の支持率が中々上がらない事について)
「自民党は野党である今のうちに劇的に変わらなくてはいけないのにすぐに支持率が上がってしまってはこれくらいの変化でいいと勘違いしてしまう。そういう観点から僕は以前から支持率が上がらなくてよかったと言っている」

(政権奪回のタイミングは?)
「自民党が将来の日本の役に立つ提言や政策を作る事が出来れば必ずしも与党になる必要はない。自民党=与党でなくて、日本のためになるのであれば自民党は今後も野党であってもかまわないと思っている」
注:上記の小泉氏の発言はインタビュー記事を私なりに整理したものなので全文抜粋にあらず

 私が今現在で日本の政治に一番期待するのは、換骨奪胎の如く野党に転落した自民党が旧来の使えない議員を放逐した上でいい意味で変わってくれることです。そういう意味では上記の小泉氏も入りますが親の地盤を受け継いだだけで実力も何もない谷垣氏を始めとした二世議員が一番自民党にいてはならないのですが、比例制の今だとなかなかそれも期待できないかもしれません。
 与党民主党にはしばらく変化が期待できないだけに、自民党の今後の変化に私は期待を持ちます。

2010年11月16日火曜日

中国の自動改札と券売機

 今回中国に滞在していて一番面食らったというか中国らしさを感じたのは、地下鉄や列車の駅にある自動改札と自動券売機です。上海市地下鉄は結構前から自動改札と自動券売機が普及して入るのですが首都北京を含むそれ以外の都市となるとほとんどこういった機会は導入されておらず、実際に私が留学していた頃の北京は切符は窓口で手売りで、改札も買った切符を駅員がせっせせっせと一枚一枚ちぎって通る仕組みでした。

 これが都市内の地下鉄程度であればまだ笑って許せるのですが、都市と都市を結ぶ長距離列車となると如何な中国通と言えども苛立ちを押さえきれない物があります。何が辛いかというと駅の外にあるチケット売り場で買うのであればともかく駅構内のチケット売り場で買おう物ならさすがは人口大国というべきか、いつも窓口は長蛇の列が出来ていて一枚のチケットを買うのにも非常に多くの手間と時間がかかります。
 窓口では基本的に駅員がプラスチックの窓越しにわざわざマイクとイヤホンを使って客から行き先などを聞いて発券するのですが、この駅員というのも大抵女性ですが誰もが高慢な態度で、私は知りませんが旧国鉄は駅員の態度が悪かったといいますがこんな感じだったのかと思うくらいひどいです。

 そんな駅員の態度などもあってか、どうにもこうにも列はサクサクと進む事はありません。それだから以前から上海の地下鉄同様に自動券売機が都市間列車にもないものかと以前から感じていたのですが、今回上海虹橋駅という駅に行ってみたらなんとこれがありました。早速使ってみると外国人の自分でも簡単に操作が出来て窓口なら30分はかかるまい発券がわずか2分で済んでほっとしたのですが、なにやら気配を感じて後ろを振り向くと数人の中国人が私の操作をじっと眺めていました。
 見ると便利で簡単な自動券売機があるにもかかわらず他の乗客は依然として駅員のいる窓口に並んでおり、自動券売機には一応は見てみるものの手をつける人はほとんどいません。また自動券売機にも操作を教える駅員がついているのですが、空いている自動券売機があるにもかかわらずほとんどの中国人はその駅員のついている券売機に集中して操作を教えてもらっていました。

 上海の駅には前から導入されていると聞いているのであの時の中国人はきっと地方から上海に来たいわゆるお上りさんだったのだと思いますが、それにしたって大した操作でもないのにという感情を覚えずにはいませんでした。また万博中の期間ということもあって地下鉄の自動改札機においても、いまいち上手く通れないという人を数多く見ました。
 まぁ地方には全くないんだし、見慣れない代物だから戸惑うのはしょうがないと思いつつもついつい日本と比べてしまいます。日本は歴史を調べてみると1980年位には自動改札と券売機が大都市ではほぼ普及しており、漫画の「バキ」に出てくる烈海王じゃないですが、「ここ数年で中国が経済成長したのは認める。だが君らのいる場所(自動改札と券売機)は我々はすでに三十年以上前に通過しているッ!」というセリフが何故だか浮かんできました。

 結局の所、中国の最大のアキレス腱というか日本の経済成長期と違うのはここだと思います。日本はなんだかんだ言っても全国である程度情報や技術を共用し、地方民と都市民で中国ほど極端な差異がありません。また基礎教育のレベルも段違いで、こうした新奇の技術に対してもそれほどの時間を費やさずともすぐに操作に慣れて普及させる事ができます。携帯電話一つとっても、自分はほとんど使いませんがインターネットコンテンツなどを日本の高校生がすぐに使い慣れるのを見てどこが教育レベルの低下だなどと思いますし。

 中国は沿岸部ならまだしも内陸部は日本ではほとんど報道される事もなく、情報を入手するのも難しいほどです。私の上海人の友人などは露骨に地方出身者のことを「土人」と呼びますし、基礎教育レベルにおいても大きな差があります。今後この差が何かのてこに働くかも知れず、注視する必要があるでしょう。

征韓論とはなんだったのか

 帰国してからまだ歴史系の記事を一本も書いてないので、恐らく中国系記事と並ぶこのブログのメインコンテンツの歴史系記事を上げとこうと思います。

征韓論
明治六年の政変(Wikipedia)

 征韓論といえば中学校の歴史でも学ぶくらいポピュラーな日本の事件史ですがこの征韓論の中身とその後の展開については高校の日本史選択者くらいしか学ばず、またそうやって高校で学んだとしても他の事件との関連を教師から教えられなくていまいち理解せずに終わっている方も少なくないと思うので、ちょっと今日は気合を入れてこの事件の発端から帰結までを解説いたします。

 まずそもそもの「征韓論」の中身ですが、呼んで字の如く当時の朝鮮王国に対する外交をどうするかという論争でした。当時の明治政府内部は大きく二分しており、欧米を視察した岩倉市切断のメンバーとその視察中に政務を取り仕切った留守政府メンバーでこの征韓論の論争は行われました。なお、それぞれのグループにおける中心メンバーは下記の通りです。

  岩倉使節団
大久保利通、岩倉具視、木戸孝允、伊藤博文、黒田清隆

  留守政府
西郷隆盛、板垣退助、後藤象二郎、江藤新平、副島種臣、桐野利秋

 当時の明治政府は朝鮮王国に対し、かねてから開国を促していました。何故日本が朝鮮へ開国を促していたのかというとまず単純に大陸マーケットの足がかりを作るのと、朝鮮を開国して自衛力を付けさせる事で欧米のアジアからの干渉を排除するという目的があったとされています。ただ後者については私はやや疑問視している所があり、一応教科書では日本は当時の清(中国)が領土を割譲させられたように朝鮮が欧米列強の植民地となると距離的にも欧米の日本に対する干渉や危険性が高まるとして、それを未然に防ぐために日本が朝鮮を援助するという目的だったとしています。この方針が引っくり返ったのは福澤諭吉の「脱亜論」発表からと言われていますが、私としては初めから清と対抗して欧米列強の如く朝鮮を日本の支配化に入れるという目的が強かった気がします。

 話は戻って征韓論についてですが、朝鮮を開国するために留守政府は西郷隆盛を特使として派遣して改めて開国を迫り、もしこれを朝鮮が拒否しようものならそれを口実に出兵してでも開国させようというのが征韓論です。
 留守政府は明治六年(1873年)に西郷の派遣を決めたものの、もうすぐ帰ってくるという事だったので岩倉ら使節団の帰還と彼らの承認を受けてから実施しようとしたところ、使節団のメンバーらは日本はまだ内政に従事するべき時期で外征を考えるべきでないと強く反対したのです。

 これによって政府は上記の使節団メンバーと留守政府メンバーに二分されて激しく対立し、最終的には使節団メンバーが天皇を動かして西郷の派遣を取りやめさせた事で決着がつきました。ただこの裁可に不満を覚えた上に記した留守政府メンバーは皆下野し、事実上その後の政府は使節団のメンバーが中心となっていきます。

 この辺までが学校でも習う征韓論のお話なのですが、実はこの後切って離してはならない事件が続々と起こります。その第一発目に当たるのがこの翌年に起きた台湾出兵です。
 この事件は1871年に数十名の沖縄の漁師が台湾に漂流した際に現地住民に殺害されたことに対して清政府に賠償を求めた所対応がなく(管轄外として拒否)、1874年に日本が兵士を台湾へ派遣した事件です。この事件を経て清側から撤兵の為の賠償金支払いがあり日本の沖縄の領有権を確定したのですが、内政を優先すると言いながら露骨な外征を真っ先に政府が行ったことに木戸は筋が通らぬと政府を下野しています。

 木戸が下野した後の明治政府は同じ使節団メンバーの大久保利通が取り仕切っていたのですが士族らによる政府への反乱が続々と起きるなど政情は不安定化さ増したことで、伊藤博文や井上馨らの仲介で行われたのが翌年(1875年)の大坂会議です。この大坂会議ではその後の政治体制をどのようにするかについて大久保、木戸、板垣の三者で話し合われ、下野した木戸と板垣はこの会議を経て政府に復帰する事となりました。

 ところがその同じ年(1875年)に日本政府はまたも、今度は朝鮮に対して江華島事件というまさに征韓論をそのまま実行したかのような外征を実行しました。まだ事件の詳細については議論がされていますが、現在伝えられている内容では日本側が朝鮮王国の砲台付近で測量をするなど挑発的行為を行い、それに朝鮮側が乗って砲撃するやあっという間に日本軍は砲台を占領したそうです。この事件の後に日本は朝鮮に賠償として日朝修好条規という、かつて日本が江戸時代に欧米と結ばされた不平等条約を結ばせます。

 この江華島事件を受けて復帰したばかりの板垣は、それ以前からも自由民権運動をしながらすぐに政府に寝返ったという批判を受けていたのもあってまたまた下野してます。また木戸もこの頃から体調を悪くして主だった政治行動を取らなくなり、大坂会議体制は早くも滅んで再び大久保独裁体制というような時代に舞い戻ります。

 このように征韓論こと明治六年の政変後の歴史を見ると、征韓論に反対した大久保や伊藤といった使節団メンバーに主導される形で日本は外征を行っていた事がよくわかり、あの論争は一体なんだったのかと言いたくなるような結果です。西郷らが征韓論を強く主張していたのは出兵する事で秩禄処分によって生活が困窮していた士族らを救う、もとい始末する目的があったためだとされますが、台湾出兵時の目的もやはり士族への対応が大きかったそうなので使節団メンバーは留守政府メンバーと価値観を共有していたように思えます。

 となると征韓論は何故あれほどの論争になったのか。
 結論を述べると私は征韓論論争とは、使節団メンバーと留守政府メンバーの単純な派閥抗争、主導権争いだったというのが実情だったように思えます。それだけに各派閥の頭領こと大久保利通と西郷隆盛の対立には運命に皮肉を感じざるを得ません。
 その後の西郷は西南戦争にて政府が処理にあぐねていた多くの士族らとともに戦死し、大久保はその施政に不満を持った石川県士族によって暗殺されます。

2010年11月14日日曜日

社会人という言葉に思うこと

 いきなり結論ですが、私は「社会人」という言葉をあまり好んではいません。理由は単純で一般的に社会人と呼ばれるカテゴリーの人間らがその社会人という言葉が意図する内容から程遠い人間が多く、人を貶めるために使われている事が多いように感じるからです。

 一般的な社会人という言葉の定義を簡単にまとめると、まず誰かの保護を受けずに自らの給料でもって独立して生活しながら一般社会で勤労する人間というのが無難かと思います。そのため日本で一番適用されるカテゴリーとしてはサラリーマンで、「社会人とはかくあるべし」としてサラリーマンとして心得なり訓示なりでよく使われています。
 ただこうした一方で、「社会人なんだから」などや「学生じゃないんだから」などと、よく上司が若手社員を叱る際によく聞こえ、聞いててよく「社会人って随分万能人間なんだな」と皮肉っぽく感じてました。

 恐らく叱る側の意図としては「もっと責任感を持て」という具合で叱っているんでしょうが、私は聞いててつくづく、そもそも日本のサラリーマンは皆が皆で責任から忌避していて如何にも「後は俺が責任を取る」っていう人が全くいないのに誰の事を指してんだ、って思ってました。また責任以外の面でも社会人以前に人間としてどうかと思う行動や発言をする人もサラリーマンには多く(そういうのに限って社会人という言葉を使って人をよく批判する)、なんとなくこの言葉に空々しさを感じます。
 さらにはこの「社会人」と言う言葉と対比して使われる「学生」と言う言葉についても、昔はどうだか知りませんが少なくとも私の周りではサラリーマン以上に責任感というか人間的にもしっかりした人間が多く、如何にもサラリーマンこと社会人に劣るような使われ方をするというのはどんなものかと思います。

 繰り返し結論を述べると、社会人であろうと学生であろうと、無責任な奴は無責任だし立派な奴は立派だと思うので、何も働いているからって何でもかんでも偉そうにするなとこの社会人という言葉を多用する人間には言いたいです。私はサラリーマン以上に無責任で卑屈な人間が多い集団は知らず(主婦の方がしっかりしてると思う)、むしろこれからは「社会人風情が」、「社会人の分際で」などと、下に見る言葉として使う方が適切なんじゃないかな。

  おまけ
 何でも先週、ロンドンにおいて学費値上げに反対する学生が与党本部にデモで押しかけたというニュースがありました。日本もこの数十年はスライド式に学費が値上げされてて私立大だと1990年時の平均が611,500円に対し、2009年時の平均は848,200円(「旺文社 教育情報センター)より:http://passnavi.evidus.com/teachers/viewpoint/pdf/20100303.pdf)と、約1.4倍にまで跳ね上がってます。暴動を起こせとまでは言いませんが、私大の経営が苦しいのは知っていますし、日本は先進国中でも国の教育予算が少ないことで有名ですからもう少し行動を起こしてもいいかとおもいます。

  おまけ2
 東京の大学で金持学生の学校とくれば慶応、貧乏学生の学校と来れば早稲田。これが京都だと同志社と立命館だと言われてましたが、最近は必ずしもそうではないと言うのでちょこっと学費を調べてみました。その結果は以下の通りです。

  各大学学費(初年度納入金から入学金のみを差し引いた金額)
慶応 :1,049,350円(経済学部)、1,513,350円(理工学部)
早稲田:1,054,500円(政経学部)、1,496,000円(基幹理工学部)

同志社:838,500円(経済学部)、1,301,000円(理工学部)
立命館:904,000円(経済学部)、1,358,000円(理工学部)

 ちょっと関西は安くしすぎじゃないか? でも関西の学生の方が学費に関する文句が多いような……。
 結果は慶応と早稲田はほとんど差がなく学部によって上だったり下だったり、同志社と立命館について言えばもう同志社の方が安かったりします。未だに昔の価値観で大学を見る人がいますが、もっと現実を見たほうがいいでしょう。実際金持ちの学生は同志社にも立命館にも多いんだし。

 あと入学金について言えば慶応と早稲田はどちらも200,000円で、同志社は280,000円に対して立命館は300,000円でした。私が受験生だった頃はどこも一律300,000円だったと思うのですが、最近はそれぞれでちょっと色をつけてるようです。

2010年11月12日金曜日

前原誠二への中国の関心

 昨日の晩に友人からリクエストというか質問を受けたので、自分としても書く気満々の内容であったので早速記事にしようと思います。
 確か先々週辺りだったと思いますが、日本のネットニュースにて中国の環球時報という新聞が一面を使って日本の前原誠二外相を激しく批判する内容を載せたという情報が載っていました。昨晩の友人の質問はこれが本当だったのかという質問だったのですが実はたまたま私もこのネットニュースを見ていたこともあり、当時直接環球時報のサイトへ行って確認をしていました。

 結果から言うと、この情報は本当でした。環球時報時報の社説欄にて前原氏一人を取り上げて、私の見た印象だと日本のネットニュースの表現(外交ではタカ派で要注意人物と書かれていた)以上に強い調子で以って、批判を通り越して非難を行っていたように思えます。覚えている内容を抜粋すると、

「(前原外相は)尖閣諸島問題について日本に領土問題はないと否定した」
「かねてから中国の軍事拡大を批判している」
「彼一人の行動と発言によって日中は会談や関係発展が阻害されている」

 といった所でした。個人的には三番目の点についてこの前の東アジアサミットの日中首脳会談を中国がドタキャンした際に、「日本側が雰囲気を壊した」などと、夢見る女子高生みたいな理由を話したのはどっちだよとちょっと思いましたが。

 ただこの環球時報に限らず、中国の政府側が前原外相に対して良くも悪くも注目しているのは確かなようです。実は中国滞在中のある日の朝、たまたまテレビをつけていたら世界事情を取り上げるニュース番組にて前原外相を単独で取り上げる特集が組まれていました。内容は前原氏のこれまでの経歴から外交姿勢までを解説したのですが見ていて驚いたのは実に細かい情報まで逐一取り上げている事で、特に経歴については京都大学卒で松下政経塾を出ており、さらには鉄道オタクであることまで鉄道博物館訪問時の映像つきで紹介していました。その上で一時は民主党の代表を務めるなど要職を歴任し、これまでに何度も中国脅威論を唱えてきた人物であるといった具合でまとめられていました。

 ここから私の情報ですが前原外相は確かにかなり昔から中国脅威論を唱えており、今の日本の政治家の中でも中国に対して厳しい発言をする第一人者であることは間違いありません。特に軍事費の拡大については度々言及しており、中国を牽制する上でも自衛隊の拡充や運用について法整備すべしと主張するなど、外相としては中国にとって最も厄介な人物であるのは間違いありません。
 ただ個人的に一つ気になる発言として、小泉時代に前原氏が民主党の代表をしていた際に代表者質問でこんな発言がありました。

「米側に日中の接近を妨害するような、わざと関係を悪化させるような動きがあるのでは」

 さすがに外相となった今にこんな発言をしたらとんでもないでしょうが、なかなかに太平洋地域外交を考える上で重要な発言なので五年も前の発言ですがここで書いとこうと思います。
 米国側からしたら確かに日中が仲良くなるのは思わしくなく、露骨な事はしてませんが日中関係が悪化して欲しいと内心では願っていると私も思います。だからといって日本は中国と組んだ方がいいかとなるとそれも難しく、現時点では私はやはり日本は米国と共同して生きてくべきだとは思いますが、日中関係を考える際に米国を抜くことはありえないという意味ではこの前原氏の発言は含蓄深いものがあります。

 とにもかくにもこんな感じで中国は前原氏に良くも悪くもかなり注目しています。私としては外交というものは無関心であるよりは憎み合っている方がまだ関心が持てていいのではないかと思っており、小泉時代も散々日中で言い合いをしましたがあの過程を経てお互いの勘なりツボなりをそれなりに知り合えたのではないかと考えてるため、かえって前原氏が外相でいる方がこうして互いに特集組めるので日中関係的にはいいんじゃないかと思います。

 ただ前原氏は中国脅威論の第一人者であるものの、感情的な批判をしないからまだ安心して見てられます(その分脇が甘いけど)。中国が嫌いな日本人を挙げると石原慎太郎都知事などがいますが、この人なんか理屈とかそういうの抜きで感情的な発言を全然関係ないところで突然ぶちかますから、もう影響力なんて全然ないけど出来ればこのまま表舞台から去ってもらいたいのが私の本音です。逆に非常に理論立って批判するけどその批判振りが激しいのになると櫻井よしこ氏がいますが、中国は櫻井氏の特集は組まないのかな。

2010年11月11日木曜日

続、尖閣ビデオ流出事件について

 昨日就労ビザを取るために日本に一時帰国しました。日本は上海とかと違って空にもやがなく、視界が広いのが何故だか新鮮。

 昨日は前にも取り上げた尖閣諸島沖漁船衝突事故のビデオをYoutubeに流出させた海保職員が名乗り出たニュース一色でしたが、放りっぱなしもあれなので続きを書こうかと思います。

 まずそもそもの今回流出した映像について前の記事で書きそびれたことを書くと、そもそもこの映像を非公開にする必要があったのかどうかということに疑問を感じます。流出した映像はすべてではなく数分間に編集されているとはいえ、少なくとも映っている内容を見る限りでは漁船側から故意に衝突を行ってきたことを明確に映しており、船長を逮捕する根拠を示す上では日本が川からするとなんら恥ずかしい映像ではありません。民主党は中国側への配慮から映像をこれまで公開しなかったと行っていますが、今回の問題がなんでここまでこじれたのかというと、衝突が海保側からか漁船側からかどっちに責任があるのかはっきりせず、また日本政府が衝突時の映像を出し渋ったことでなおさら中国側に、「やっぱり日本は自分に非があるのを隠そうとしている」として付け入る隙を与えたことに尽きます。それであれば、事件発覚後に今回の編集された状態でもいいから衝突時の映像を日本、中国それぞれにはっきりと公開するべきだったでしょう。

 それで今回映像を流出させた海保職員の件ですが、他の評論家らも述べていますがこの職員一人を罰するというのは確かにお門違いもいいところでしょう。高級幹部が流出させたならいざ知らず、一職員が秘匿すべきとしていた映像を入手できたというこの事実一つとっても危機管理、情報管理の不徹底ぶりが窺え、幸いというか今回流出した映像は秘密兵器の隠し場所を書いてるような超重要な代物ではありませんでしたけど、今回のような情報管理の不徹底ぶりを考えるならば責任持つべき役職の人間が相応の責任を取るべきでしょう。

 また流出した映像の中身についても、先にも書きましたが非公開にする理由があるとは私にはとても思いません。むしろこの問題を日中ではっきり白黒つける意味では公開するべき映像で、先年に公開された米軍の核兵器持込みを容認する密約ならばいざ知らずいくら政府が公開するべきでない機密だと言っても私自身は納得できません。私は民主主義国だからと行って何でもかんでも情報公開するべきとまでは言うつもりはありませんが、言ってはなんですがこんな機密レベルが低いと思える情報まで非公開にしようとする現政府の意向は如何なものかと思います。中国じゃないんだから。

 日本に戻ってきてまだ本調子じゃなくやや凝り固まった文章になりましたが、私はそもそも今回公開された映像を非公開に扱う理由が見当たらず、今回流出させた海保職員の処分は形式程度に止めるべきでそれよりは情報の管理がなっていなかった責任をしっかりと問うべきだというのが私の意見です。
 あとあまりニュースとか見ていないですが、かつての西山事件と比較する人とかいるのかが少し気になります。西山事件も今回の事件も政府が隠したがっていた情報を公開したことで公開者が政府にプレッシャーをかけられることになった点では一致していますが、前者は国民がその密約の事実を全く知らなかった、後者はある程度と言うか伝聞で内容は知っていたという点ではっきり違います。これは逆に言えば、この程度でなに大騒ぎしてんだってことにもつながるんですが。

ブログ更新の停止について

 毎度、陽月秘話をご贔屓していただきありがとうございます。

 前回の記事でアクセスが出来ないと書きましたが、これは「陽月秘話 出張所」の方では書きましたが当時私が中国に滞在していたため、中国国内ではこのBroggerへのアクセスでが禁止されているが故でした。また今度私は中国に長期で滞在する予定となってこちらのBroggerの更新は難しく、私自身が残念に思いながらも今後の更新は「陽月秘話 出張所」(http://yougetuhiwa.blog39.fc2.com/)に移行する予定です。

 誠にお手数ですが、ブックマーク、RSS登録をされている方は上記の出張所のアドレスへの以降をお願いします。なおこのサイト自体はバックアップ、または今後の活用の可能性を考えて残していこうと考えています。
 今後とも、陽月秘話をよろしくお願いします。

2010年11月9日火曜日

北方領土問題に対する中国の反応

 留学中もそうでしたが中国の街中を歩いてて何が一番気になるこというと、やけに中国人が自分に道を聞いてくることです。周りにも人はたくさんいるにもかかわらず何故か外国人の自分に道を聞いてきて、「あの、中国人じゃないんで……」といつも断っていますが、友人いわく顔が中国人そっくりでやさしそうに見えるからみんな声かけてくるんだそうです。

 話は本題に移りますが、先週の金曜日に私が中国に滞在中住む予定の部屋にインターネットを引きました。それほどヘビーユーザーというわけじゃないですが一応高速回線に越したことはないのでADSLを引きましたが、中国のADSLは日本のADSLと比べて回線速度はちょっと低いのが難点ですが工事も無事終わり、これでブログも安心してかけるぞとほっとしていたらこんな会話がありました。

「最近、日本はロシアと揉めてるよね」

 工事に来た中国電信の作業員の方が、不意に中国語でこんな風に話しかけてきました。
 恐らく先のメドベーチェフロシア大統領が北方領土に足を下ろしたことに日本側が抗議した事件についてですが、尖閣諸島の問題ならいざ知らず、いきなり北方領土について話しかけたことにやや驚きを感じました。
 しかもその次の日にテレビでニュースを見ているとまさにこの問題について特集が組まれており、日本側、ロシア側のそれぞれの対応を逐一報道していました。

 今回のこの北方領土問題に対する中国の反応ですが、私の感想は驚き半分納得半分、あとおまけが安心ちょっとといったところでした。
 驚き半分は先に書いた通りに思ってた以上に中国側が関心を寄せていたという事実ですが、納得半分というのは中国側が関心を寄せるのも決して土台違いな話じゃないと判断したからです。その理由はいくつかありまず一つ目は先の尖閣諸島沖での漁船衝突事故から起きた日中の領土問題で、日本の他の領土問題についてもこの事件の影響から気になるようになったという理由です。ただこれは自分で書いておきながら無理やりにでっち上げたもので、中国側がなんでこの問題に関心を寄せたかという本命の理由は相手がロシアだったからだと私は睨んでいます。

 ちょっとこの辺を説明するに当たって、中国とロシアの関係史を軽く紐解く必要があります。中国は蒋介石率いる国民党を台湾に追い出した後、同じ共産主義国の旧ソ連とは深い親交で結ばれてしばらくは蜜月関係が続きました。何気に私が留学のため初めて北京で住んだ学生寮はこの旧ソ連との蜜月時代にソ連の設計士や技術者が作った建物でしたが、この蜜月時代はそれほど長くなく、スターリンの死とともに終わりを迎えます。

 スターリンの死後のソ連はフルシチョフが書記長となっていわゆる雪解けことデタントが始まり、アメリカとの冷戦も一時和らぎます。ただこれに反発したというかフルシチョフの路線に反を唱えたのは何を隠そう毛沢東で、共産主義の路線対立から中国とソ連の外交関係は一気に冷えました。
 その後ソ連が共産圏から離脱しようとする東欧諸国に対してプラハの春など武力を以ってしてでも強行に従わせようとする行動を見て、中国こと毛沢東は非常に焦りを感じるようになります。というのも当時の中国の人民解放軍はお粗末なくらいに弱く、ソ連軍が攻めてこようものならあっという間に制圧される可能性が強かったからです。

 そのために毛沢東が取った選択はというと、「敵の敵は味方」ことソ連と対抗するアメリカと手を結ぶことでした。俗に言うパンダ外交を展開して日本とも田中角栄政権時に国交を開くなど世界外交に劇的な変化が起こったわけですが、この外交転換のそもそもの原因は中国が抱いたソ連への脅威においてほかなりません。こうして形だけでも米国と手を結んだ中国ですがその後もソ連への恐怖は拭えず、国境も直に接していることもあって事実上2000年に入るまでは最大の仮想敵国はソ連ことロシアであったでしょう。これに限るわけじゃないですが、行くところまで行った同属嫌悪というのは始末が悪いです。
 ちなみに大友克弘氏の「気分はもう戦争」という漫画は、ソ連がアメリカの許諾を得て中国(ウイグル自治区のあたりへ)に侵攻するという仮想のお話です。

 中国は日本に限らず韓国、ベトナム、インドネシアなどたくさんの国々と国境問題を抱えていますが、その中でもこれまで一番中国が深刻視してきたのはロシアとの国境問題でした。ただこれは種明かしをするとすでに解決済みの問題で、確か去年か一昨年くらいに中国とロシアはきちんと国境線を定めてようやくこの領土問題はケリがつきました。私はこの中露の領土問題が終わったと報道された際に内心、中国とロシアがお互いの問題が片付いたのを機に揃って日本へ尖閣諸島、北方領土の問題で圧力をかけてくるのではないかと懸念してまずいことになったと思ったのですが、幸いというか今の今までそんなことは起こりませんでした。

 今回、九月に尖閣諸島の問題であれだけ揺れたのに続いて今度はまたロシアが突然北方領土に対して強気の姿勢を見せてきました。尖閣諸島の問題についてはまだともかくとして今回のメドベーチェフ大統領の北方領土訪問は、確実とは言い切れませんが尖閣諸島の日本側の対応が影響してとの可能性も考えられます。それだけに漁船衝突事故の政府の対応がやや悔やまれるのですが、幸いというか私の見立てだとこのロシアの行動に対して中国側は関心を持ったものの、ロシアの行動をあまり支持していないのではないかと思います。

 元々中国はソ連と対立していたという歴史上、これまでの世界地図でも北方領土については「日本領(ロシア占領中)」と書くなど、うれしいことしてくれるじゃないのと言いたくなるような態度を取っていました。現時点でもそれは変わらず、私が見たテレビ番組中でも同じような説明で、まだ両者の立場を説明するような中立的な報道でしたが端々に日本、ロシアそれぞれへの警戒感を感じる内容でした。

 中国としても大連港を始めとする東北地域はロシアの国境とも近く、軍事的な観点から言えば北方領土までロシアが出張って来るのはあまりうれしくはないでしょう。ただそれは日本にとって都合のいい考え方で、状況が変われば先ほど私が言ったようにそれぞれの抱える日本との領土問題に対して中露が共同歩調を取ってくる可能性もまだあります。そういう意味ではこれらの領土問題を相手を一国と考えず、別の相手も意識しつつ毅然とした態度を取ることが今後必要となってくるかもしれません。

2010年11月8日月曜日

尖閣ビデオ流出事件について

 多分期待されている方も多いでしょうから、ちょっと日は経ってしまっていますが一応触れとくことにします。

 九月に発生して日中関係を冷めるところまで冷めさせた尖閣諸島沖中国漁船衝突事故について、つい先日にその少し前に国会の委員会にて公開された衝突時の映像がインターネット上のYoutubeにアップされました。この映像の公開者は未だにわかってはいませんが与党民主党としてはこれまで野党に何度も催促されてきたにもかかわらず公開を拒んでいたこともあって今回の流出は痛手となり、早くも流出者に対しては国家公務員法に照らして厳しく対処すると息巻いております。

 実はこの流出したとされる映像についてですが、中国ではYoutubeにアクセスできないために(前は出来たのに……)私はまだ視聴しておりません。ただネット上で視聴した方の意見や友人から話を聞く限りだと、

・中国漁船の方から明らかにぶつかってきた
・実際に公開されている海保の船の傷と衝突箇所が一致する
・衝突時の船の揺れなども確認できる

 といった風に私は伺っています。
 個人的に気になっていたのは、「乗り込んできた海保職員を中国漁船船員が銛で突いてきた」とされる噂なのですが、少なくとも今回流出した映像にはそれは入っていないようです。今回流出したのは国会議員に公開された、民主党の編集を受けての映像で全体からするとごく一部だそうですが、私個人としてはさすがに銛で突いてきたというのはネット上で過熱して出てきた噂に過ぎないんじゃないかと現時点では考えております。

 それで今回の流出について私の感想を述べると、一番気になるというかなんでと思う点は、民主党はどうしてこれまでこの映像を国民に公開しなかったということです。
 少なくとも今回流出した映像で海保の船と漁船が衝突した、それも漁船側からの故意の衝突が伺えるはっきりとした映像で、漁船船員や船長の逮捕の根拠をはっきりと示すものです。私個人としては不当逮捕だと主張していた中国、ならびに日本が正しいのだと思っていた日本の国民に対して公開して然るべき映像だったと思うのですが、民主党はこれまで公開要求を頑なに拒否し続けてきました。

 恐らくこの民主党の姿勢は中国側を刺激しないようにとの配慮からの態度だったと思いますが、今回の流出で後味の悪い結果(民主党にとって)になってしまったのは非常に皮肉です。私は自他共に認める親中派ですが、真に信頼の置ける関係を築くためには譲るところは譲り、譲れないところはたとえ衝突することとなってでも強く主張をすることが一番大事だと考えております。特に中国については、市井においても自分の都合のいいように勝手に話を進める中国人が多いだけに、拒否するところははっきりと強い態度で拒否する必要があります。

 今回の衝突事件についても、船長を起訴せず帰して、ビデオも非公開にしていたにもかかわらず中国は一切日本に対して追撃の手を緩めることはありませんでした。基本的に中国という国は「一歩引けば相手も一歩引いてくれる」という価値観は通用せず、相手に一歩引いてもらいたい時は敢えてこちらが無理やりにでも一歩進もうという素振りを見せるなど牽制で以ってしか引くことはありません。
 そのため今回流出した映像については私は事件が起きた直後にでもすぐに、「こういう理由で日本は船長を逮捕をしたのだ」とはっきり公開するべきだったと考えます。恐らく公開したところで中国の態度は軟化することはなかったでしょうが、極端に硬化することもなかったのではないかと思います。どっちにしろ中国はレアアースの輸出阻止や逆人質など露骨な手段は取ったのだし。

 ただ事件直後に公開していたことで明らかに今の情勢とは変わったこととして、国民の政府への信頼感があります。今回政府は中国側に配慮し、国民の要望を遮ってでも映像の公開を拒否してきました。機微な外交を取り扱う上でこのような態度を起きには取らざるを得ないというのは理解できないでもありませんが、伝え聞く映像の内容を考えるとそこまでして秘匿するほどの映像なのかという気がしてなりません。それであれば船長を帰すやまた謝罪と賠償を中国が請求したすぐ後にでも情報公開の原則に照らして公開しておけば、まだ国民は納得したんじゃないかなぁと思います。今に始まったわけじゃありませんが、一体民主党はどっち向いて政治しているんだと今回の件では強く言いたいです。

 最後にこの映像について中国現地はというと、ちょっとごたごたしていた時期であるので生憎ニュースとか見ていないのであまりわかりません。ただ今日新聞買ってきて読んだ限りだとこの件についての記事は何もないので、恐らく政府側が何らかの規制をかけているんだと思います。

 これから俺、毎日中国のニュース番組とか新聞見ることになるんだろうな……。

2010年11月7日日曜日

私が中国に来た理由

 また大分日が空いてしまいましたが、前回の記事にてこのところブログの更新が休みがちなのは所用で中国に来ているためと書きましたが今日はその理由をちょこっと書きます。実は先々月九月いっぱいでそれまで勤めていた日本の会社を退社し、先月十月から転職活動のために中国に来ておりました。結果はというと訪中するや案外あっさりと日系企業に内定をもらえて、先週は勤務先となる場所に赴いて就労ビザの発行手続きやら借りるアパートの部屋探しなどをやってたためにブログの更新を行うことが出来ませんでした。
 それにしてもこんなに早く決まるのであれば、なにも一ヶ月も滞在日程を作る必要はなかったな。

 話は戻り、そもそもなんで私が今回中国へ転職しようと思ったかについて簡単に話します。プロフィールやらにも書いてある通りに私はかつて北京に一年間語学留学をした経験がありますが、中国語というのは入りづらく極めづらい言語で、一年いたからといって何でもかんでもぺらぺらしゃべれるほどのレベルには到底至れませんでした。日常会話であれば何とかなるものの、今後中国語を武器に生きていくのであれば中国現地にて実際に働くよりほかがないだろうとかねてから考えていました。
 そのため在学中の就職活動も中国に駐在する可能性の高いメーカーなどを受けてはいましたが結果はどれも惨敗で(景気よかったころなのに100社以上落ちた)、なんとか以前勤めていた会社に拾ってもらったものの機会があれば中国に行きたいという考えはずっと持っていました。

 別段、前の会社に特別不満などを持っていたわけでもないですが、日本の企業である以上は明らかにこちらに理があるとしても立場によっては頭を下げざるを得ません。全く我慢が出来ないというわけじゃありませんでしたが、一回本当にしょうもないことで周りから自分に頭を下げてくれと言われて下げた際に、こんなしょうもないことでいちいち頭下げてたら今後もずっと卑屈に生きてかないといけないんじゃないのかとふと感じ、それであればもっと卑屈にならざるを得ないかもしれないけど自分が納得するような場所、将来の自分に可能性を残せるところに行ったほうがいいと考え、割とすぐに転職を決意しました。

 また海外に転職するに当たって、今回強く意識したのは自分の年齢です。現在自分はまだ二十代ですが、これが三十代だと多少中国語が使えるからといって恐らく雇ってくれる企業はずっと狭くなるように思え、また体力的にも持つかどうか怪しく、行くんだったら若い時分に越したことはないと判断しました。

 ひとまず今週中に就労ビザの手続きなどをするために一旦日本に帰りますが、今後自分がずっと中国で働くのか、またいつか日本に帰ってくるつもりなのかは現時点では全く予想がつきません。少し前の記事で近年はあまりにも社会変化が激しすぎるために十年先、五年先は全く読めず、下手に先を読もうとするとドツボにはまるのではという記事を書きましたが今の自分がまさにそうです。現在自分は一年先までしか見ておらず、一年後にどれだけ自分を鍛えるかという視点で以って今回の中国への転職を決意しました。

 そういうわけで今後はより中国関係の記事が多くなるでしょうが、今後ともご贔屓の程よろしくお願いします。

  おまけ
 ちなみに、転職に当たって最後の一押しというかとどめの一言をくれたのはリンクを結んでいる「フランスの日々」のSophieさんの、「行くんだったら若い方がいいよね」の一言でした。中国だとBroggerとTwitterがアクセス禁止を食らって開けないので最新記事は読めてませんが、いろいろお世話になりました。