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2011年9月18日日曜日

A級戦犯の選出方法

 極東国際軍事裁判への批判の代表的なものとして、「日本人を支配しやすくするための洗脳の一環だった」というものがありますが、これについては私もほぼその通りだという意見を持っております。ちょっとこのところやる気が落ちてきているのでぱっぱと書きますが、連合国側がこの裁判を通して日本人の意識に刷り込ませたかったであろう内容とは下記の数点に集約されます。

・戦争は軍部、それも東条英機を中心とした陸軍らが国民を煽動して引き起こした。
・日本国民はそうした軍部に間違った情報を流され、騙された被害者だった。
→アメリカは戦争を主導した一部の人間を倒しただけで、日本人全員の敵になったわけじゃない。

 大雑把にするとこんな感じだと思います。何故私がこのように考えると、前回の記事でも書いたようにA級戦犯に指名された人間に明らかに恣意的な要素が働いているからです。

A級戦犯(Wikipedia)

 名目上、A級戦犯に指名された人間らの指名理由は「人道に対する罪」ということになっていますが、現実は「国民を騙して戦争に無理やり駆り立てたというグループ像になってくれそうな連中」というもので選ばれているように私は考えています。作業の手順としてはまずその中心となる人物として、太平洋戦争開戦当初の首相であった東条英機が選ばれ、その東条と距離関係が近かったものから次々と選ばれていきました。
 無論、東条は首相になる前から対米強硬派であったことは間違いなく、日米を開戦に至らしめる上では波を強くさせた一人ではあります。しかし生前に松本清張は、「たとえ東条がいなくとも日米は開戦していた(別の人間が東条の代わりになっただろう)」と言っていたように、東条以外にも陸軍内部には数多くの戦争推進者がおり、仮に東条が処罰されるのであれば同様の理由でもっと大勢の人間が処罰されなければ論理としてはおかしくなります。

 実際にはその他大勢の陸軍関係者らはB、C級戦犯として裁かれることとなるのですが、私が最も腑に落ちないのは満州事変の首謀者といってもいい石原莞爾が東条と仲が悪かったという理由で一切処罰されていないことです。ちょっと専門的な話になりますが、満州事変は政府の承認なしに関東軍が勝手に軍事行動を起こしていることから本来ならば関係者らは厳しく処罰されなければいけないところ、満州地域の大半を占領したことから政府が追認を与えてしまい、その後の陸軍内部では命令がなくとも、また違反しても戦果を作れば許されるという風潮が生まれてしまったようです。このような目から見ると、真に日本を戦争に駆り立てたのは誰なのかという疑問がもたげます。

 またもう一つ極東国際軍事裁判への代表的な批判の一つに、「勝者による敗者への一方的な報復」というものがあります。これについてもおおむね間違いではないのですが、内心ではアメリカは満願を果たせずにいるのではないかと見ています。というのもアメリカが最も報復したかった人物はほかでもなく、真珠湾作戦を実行した山本五十六だったのではないかと思うからです。
 山本は戦時中に戦死しますが、もし仮に終戦まで生きていれば真っ先にA級戦犯として死刑判決を受けていたでしょう。よく真珠湾についてはアメリカは、「宣戦布告なしに奇襲をして日本は卑怯だった」と批判しますが、二次大戦におけるドイツのポーランド進撃をはじめとして近代戦はむしろ宣戦布告のある戦争の方が少ないです。また当のアメリカ自身、アフガニスタン侵攻、イラク戦争においては一切宣戦布告はしておらず、私はアメリカが真珠湾にこだわる理由は宣戦布告のあるなしではなく単純に、予想外の大きな損害だった故のショックからだと思います。

 そんな大ショックを与えた張本人の山本に対しては相当怨念が強かったらしく、戦時中も戦略的価値が低いにもかかわらずアメリカはわざわざ山本の出身地である新潟県長岡市までも空襲を仕掛けております。しかしいざ報復をする段階で当の山本は戦死していたわけで、東条とはあまり関係がないもののわざわざ海軍からは永野修身、嶋田繁太郎、岡敬純の三名がA級戦犯に指名されておりますが、これは山本のとばっちりが回ってきただけだと一説では言われており私もそれを支持します。

 これまでの意見はあくまでこういう仮説があるというものでまだ確定された歴史観ではないものの、仮にそうだとしたら本当にしょうもない理由で決められたんだなという気もしないでもありません。だからといって一部のA級戦犯、特に東条について私は同情するような感情は覚えず、厳しい言い方をすればアメリカに余計なものを始末させてしまったという風にすら思っています。東条の評価についてはまた次回に解説します。

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