このカテゴリの連載記事二発目にしていきなりネタに走りましたが、今日は覚えている人は多分ほとんどいないであろう元女子フィギュアスケート選手、トーニャ・ハーディングを取り上げます。
・トーニャ・ハーディング(Wikipedia)
彼女はアメリカの女子フィギュアスケート選手で幼少の頃から頭角を現し、現代においてはトップ選手の間でほぼ一般的な技とはなっているものの我らが日本の伊藤みどり元選手に続き、トリプルアクセルを女子選手としては世界で二番目に成功しております。
そんな経歴の彼女がどうしてまたこんな暗殺者をテーマにした連載にでてくるのかというと、1994年に起きた「ナンシー・ケリガン襲撃事件」がすべての原因です。ナンシー・ケリガンというのはハーディングとほぼ同時期にアメリカで活躍していた女子フィギュア選手で、名実ともにライバルでした。
事件のあらましを簡単に説明すると、練習を終えて帰宅する途中だったケリガンは突如何者かに襲われ、ひざを強打されます。この影響で近くに予定していた大会を欠場することとなりその大会ではハーディングが見事優勝を飾ることとなったのですが、その後の捜査によってケリガンを襲ったのはハーディングの離婚した元夫だったということがわかりました。それどころかその元夫は、ケリガン襲撃はハーディングの依頼によるものだったと供述する始末でした。
この事態に至ってアメリカのフィギュア教会もハーディング追放を検討しましたが、ハーディング自体が抗議するなどして処分は一時保留。そして事件後のリレハンメルオリンピックにハーディングはケリガンとともに出場しますが、お騒がせキャラは健在というべきかここでも一騒動を起こします。
ハーディングはフリーの演技を開始した直後、突然リンクの上で泣きだして靴ひもがほどけた、または切れたとジャッジに抗議します。Wikipediaの記述によると当時の映像では靴ひもはしっかり結ばれており、これは恐らく出だしが上手くいかなかったことからやり直しを求めるために行ったハーディングの狂言という説を採っております。
狂言だったかどうかは別としてハーディングのこの抗議は認められて時間をおいて再演技をすることとなりましたが結果は8位にとどまり、襲撃による怪我から見事復帰したライバルのケリガンが銀メダルを獲得したことによって明暗は大きく分かれることとなりました。
リレハンメルオリンピック後、ハーディングは襲撃の事実をようやくというかやっと認めてフィギュア界から追放を受けます。その後は何故か全日本女子プロレスがスカウトに動いたり、同性相手に暴行を働いたり、総合格闘家としてマジでデビューしたりと話題に尽きない人生を送っております。
正確には暗殺じゃなくて襲撃、しかも実行犯じゃなくて指示犯だけど、なんか取り上げたくてこのカテゴリで記事を書いてみました。ちなみにこの事件当時に私は小学生でしたが、誰かから攻撃を受けると、「ハーディングにやられた」などとわけのわからないことを友達同士で言い合ってました。
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