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2013年7月13日土曜日

敵失を待つことの不毛さ

 先日にこのブログで政治解説をした際、野党は今国会で与党である自民・公明党の敵失を待つ戦略、具体的には失言が出るのを待ち構えて自分たちでは政策代案など何も出さずに、国会でもあまり議論しないという戦略を採ったのではと私は書きました。該当記事でも書いてある通りに近年は政治家の失言が大きく取り沙汰されるだけに、ただ単に議席を取るという戦略上では決して大きく外れたものではなかったものの、今度の安倍政権は驚くほど失言事件が起こらず、結果的には選挙争点が何も作れず失敗してしまったように見えるとまとめました。

 この「敵失を待つ戦略」ですが、この言葉の元は野球におけるエラーです。なので野球にたとえるなら「相手の守備にエラーがでることを期待する」といったところですが、こんな戦略持った野球チームなんてまず勝てるわけがないでしょう。これまた元の政治記事でも書いていますが相手のミスに期待するなんて勝負を捨てたも同然で、今度の参院選でも野党は現時点で敗色濃厚ですが負けるべくして負けたと言わざるを得ません。
 と、こんな風に書くとこの戦略がどれだけ価値がなく不毛かということがなんとなく見て取れると思うのですが、改めて考え直してみると他のある分野にも適用できるのではないかという気がしてきました。もったいぶらずに言うと、日本人が持つ他国との経済競争における価値観です。

 実はこのブログでここ数ヶ月の間、「中国経済崩壊」というキーワード検索で訪問する人が非常に多いです。行き当たるページは「世界終末論と中国経済崩壊論」の記事で、、むしろこの記事では中国経済崩壊論の書籍は過去何冊も出版されているが今まで当たった試しがないと批判している記事ということもあり、こんな検索ワードで来られても当惑するというかむしろ来るなと言いたくなってきます。
 ただこの「中国経済崩壊」というキーワードでGoogleなどを検索すると、中国経済の危険性を訴えるページが本当にたくさんヒットします。またそういった個人のホームページだけでなく大手メディアの報道でも、中国経済が好調という話より中国経済が危険という話の方がニュースとして大きく取り扱われる傾向にあることも事実です。

 この時点で筆を終えてもいいのですが、稀勢の里が三敗目を喫して横綱昇進が絶望となった記念(別に彼が嫌いというわけではないが)に詳しく書くと、日本と中国で経済を比較し合い将来性を検討する場合、日本人はほぼ確実と言っていいほどに中国経済のリスクや問題点ばかり探してあげつらい、日本の経済を今後どのように振興して中国の企業に勝つかについては全く触れることがありません。もう少し口語に言い換えると、中国経済は今は勢いあるけどどうせもうすぐ破綻して、最終的には日本が勝つよという風な議論しか出てこず、前を走ろうとする中国に対してどうやってそれより前を走るか、そのような具体的提案は何も出てこないと言ったところです。
 これは何も中国に限らず韓国に対しても全く同じですが、中国や韓国に対して日本は今後どの分野で勝負し、戦っていくかではなく、中国や韓国が駄目になるのを待つという話しか経済比較では見受けられません。まともな経済誌ならまだこの辺の議論はあるのですが、やはり大多数の議論や主張としては私が不毛と批判する「敵失を待つ」ような、言ってて恥ずかしくないのかという意見しか出てきません。

 言うまでもないことですが中国は今でも国全体を挙げて現状以上に経済を発展させようとしており、その競争力は数年前と比べると確実に増しております。そんな中国の経済というか企業が数年後、今より競争力を落とすかと言ったらそれはあまり考え辛く、むしろ増すものだと考える方が普通な思考な気がします。そんな力を増す中国企業に対し日本企業はどうするべきかというと、さらにその先を行く方法を考える、つまり相手のミスを期待せずに如何に自分の力を伸ばすべきかということを考えるべきです。
 私は自己評価については過小でも過大であってもよくないと考えます。しかし競争相手に対する評価では、的確な評価が理想であることはもちろんですが、過小に評価して侮るくらいなら過大に評価して警戒する方がずっとマシです。然るに今の日本人の他国の経済に対する価値観においては過小評価が圧倒的と言わざるを得ず、その不毛な戦略と相まって将来的に負けるべくして負ける事態に陥るかもしれません。

 くれぐれも言いますが経済というのは競争です。競争において相手が途中で転ぶことを期待するようなアスリートが強いわけがありません。相手を研究することは大事ではありますが自らを鍛えようとすることはもっと大事で、陰湿な性格にはなるなよと言いたいのが今日の私の意見です。

2 件のコメント:

川戸 さんのコメント...

花園さんが主張しておられる日本メディアの中国に対する軽視は中国への反感から来る恣意的なもので、甚だ論理を欠いたものだと思われます。というのも敵失を望んでいるのは他でもない我々日本国民であり、中華製品が爆発するたびに歓声を上げるのはネットコミュニティで中国の変色した山河の光景を映した悲劇のワイドショーに興じたのは主婦たちでした。この記事が書かれた当時私は中学生でしたが当時父は近いうちに中国は分裂すると話していました(笑)。中国情勢は半ばエンタメとして取り扱われ真面目に議論されなかったので今もピントのズレたニュース記事(というより印象論)が散見されるのでしょう。
中国は面白い国ですが、そのステレオタイプにメディアが流されてしまったところはあると見ています。日本の仮想(?)敵国としてはロシア、北朝鮮なんかが控えていますがこの二国は謎多くそして無関心の対象です(北朝鮮は過去形)。誰も語らないから自分で調べようとするときは真摯な態度でいられますが、これが下手に知った素振りだと途端に傲慢になり不確かな知識をひけらかします。今のロシア人はほとんどウォッカを飲まないそうです。ステレオタイプは現実の認知を歪めます。中途半端に関心が持たれている事柄を調べるのは、皆が無関心な事柄を調べるより難しいと思います。

花園祐 さんのコメント...

 ステレオタイプは確かに大きく、特に中国に関しては古いまま残っていることが大きいでしょうね。これをもう少し掘り下げて考えると、そもそも現在の中国を現地で見ながら報道する人間が少なく、ひどい場合は中国に一度も行ったことがない人間が知った風して古いステレオタイプで語るというのが誤解を招いていると思います。
 まぁそれを言ったら、日本に年間2週間も滞在しないにもかかわらず日本の社会批評している自分はどうかとも思いますが、友人からよく「日本にいないのになんでそんなマイナーニュースに詳しいんだよ」とか突っ込まれるので自分はありかなという気もします。