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2015年9月5日土曜日

日本一の正直者

 先日、歴史上で有名な左遷された人たちをまとめた記事を書きましたが、菅原道真と並んで左遷された事実が堂々と歴史の教科書に載せられているくらい著名な人物を入れるのを忘れておりました。その人物というのも、奈良時代から平安時代にかけて活躍した和気清麻呂です。

和気清麻呂(Wikipedia)

 和気清麻呂について知っている人には早いですが、彼は733年の生まれで奈良時代末期の官僚です。彼が33歳だった769年、当時は女性天皇の称徳天皇の時代でしたが称徳天皇は僧であった弓削道鏡を寵愛して、現在の大分県にある宇佐八幡宮で「道鏡に天皇を継がすべし」という神託が下りたという報告を受けるや喜んでその通り実行しようとするほどの入れ込み振りでした。
 しかし周囲の廷臣たちからは道鏡への継承に反対する声や神託を疑問視する声も多く、これを受けて称徳天皇ももう一度神託を確認することを条件に妥協し、側近の女官であった和気広虫を宇佐八幡宮に派遣しようとします。しかし女性の和気広虫では体力的にも厳しい旅であったため、広虫は代わりに弟の清麻呂を推薦したためこの任は清麻呂が負うこととなりました。

 その後は歴史の教科書に書かれている通り清麻呂の報告は、「天皇家は皇室のみ継承すべしで道鏡はアウト」というものだったため、称徳天皇の期待通りに道鏡が継承するという夢は果たされませんでした。ただこの報告を受けて称徳天皇自身はやはり納得がいかなかったのか、清麻呂を鹿児島県に左遷した挙句に「別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)」という侮蔑的な名前に無理やり改名させます。なおこのときお姉ちゃんの広虫もとばっちりを受けて、「別部広虫売(わけべのひろむしめ)」という名前にこちらも改名させられた上に広島県へ左遷されています。

 恐らく、当時の人物においても称徳天皇に逆らえばタダではすまないと誰もがわかっていたことでしょう。実際、宇佐八幡宮の神官は清麻呂が再度の神託を求めた際に禍を恐れてか当初は拒否し、再三の確認要請を受けて渋々引き受けたということだったそうで、称徳天皇の意に敵わない報告をしたら必ず痛い目に見ることは清麻呂にも見えていたことでしょう。
 ちなみに無理矢理この宇佐八幡宮神託事件を現代風に翻案するなら、先代の一人娘である女社長が自分のお気に入りのホストを次期社長に指名しようとしたところ、「株主総会を経ずに社長を継承させては駄目です!」と会議で正直に抗議して阻止したものの、この時の怨みで鹿児島県に左遷されるという感じになると思います。だからなんだと言われたら困りますが。

 話は戻りますが、正直に報告したら必ずしっぺ返しを食らうとわかっていながら正直に報告し、結果的に皇室の継承を守ったということからも和気清麻呂は相当な正直者、言い換えると硬骨漢であったことが伺えます。なお清麻呂は称徳天皇の逝去後は中央政界に戻り、平安京への遷都を進言するなど実力派官僚としても名を残しました。

 よく世の中では正直者がバカを見るなどと言われて実際に自分も「君は正直すぎるからいい目を見ない」と指摘されるのですが、それでも正直であることは美徳であり、評価するものは評価してくれると自分は信じております。この和気清麻呂のエピソードもそうした正直者が報われるという話であり、歴史に残る正直者エピソードなだけに、日本はもっと「清麻呂のように正直者になりなさい」と全国のお母さんが子供に言って聞かせるくらい有名なエピソードに仕立て上げた方が良いと思え、彼を「日本一の正直者」と讃えるのも手じゃないかなと覚えました。少なくとも、現役官僚の皆さんにはもっと彼を見習ってほしいものです。

2 件のコメント:

家畜にはなりたくない さんのコメント...

 僕自身も花園さんと同じく自他ともに認める正直者です。もちろん僕自身も正直であることは美徳だと思っています。ただ日本だと和気清麻呂のエピソードはあまりはやらない気がします。以前記事にもなっていたと思いますが日本だと同調圧力が強いですし、僕の経験上、京都人なんかは正直者とは程遠い人が多い気がします。さらに日本人の精神の象徴とされている「和をもって尊しとなす」とも相性が悪い感じもします・・・。ただ全員が全員正直者になったらそれはそれで生きにくいのかなとも思います。僕自身、正直者がすくない現状だからこそ正直であろうと思ってたりもします。
 余談ですが先日、護王神社に行ってきました。正門の横にでかでかと結婚式にぜひ!!みたいな広告が貼ってあったのが印象的でした。

花園祐 さんのコメント...

 京都人は互いに嘘を言い合っている前提で話をするので、自分は周りほどそこまで嫌悪感は感じませんでしたね。何せ彼ら、「こいつら俺のいないところで陰口言い合っているんだろうな」ってみんな考えながら仲良く話しますし。
 確かに日本は同調圧力が強いですが、ほんのちょっと前はもっと本音を互いに言い合っていたと思います。昭和の頃の記録を見ると相当な暴言を互いに言い合っているし、むしろ今の時代は成熟し過ぎて本音を全く出さないというか、上っ面しか言わないほど腐ってきたのではというのが私の見方です。
 あと護王神社ですが、一回は行った覚えがありますがあんま記憶ないです。マイナーな所でやけに印象に残ったのは高山寺で、出発時は曇ってた程度なのに着いた時は吹雪になってて、うちの名古屋に左遷されてた親父と共に、「なんやこれは!?」といいながら参拝しました。