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2018年7月21日土曜日

好転する対日感情

 あまり日本人は気にしてないと思いますが、今中国の対日感情はかつてないくらいに好転しています。歴史的な統計で言えば天安門事件前後が最も対日感情がプラス方面に高く、その後90年代に行われた反日教育によって悪化していき、00年代後半から再び上昇していくような経過をたどっていますが、ある意味で2000年以降としては今が最も対日感情がいい状態ではないかと分析しています。
 一体何故対日感情がよくなっているのかというと理由は大きく分けて二つあります。

 一つ目は、今貿易戦争真っただ中の米国への対抗です。中国としてもこの貿易問題で日本を引き込む価値は高く、というより米国との関係を重視する日本を巻き込むのは物凄い得策で、だからこそ今年に李克強総理を北海道に派遣するなどして関係を重視する姿勢を示しました。日本としては無碍に相手する理由もなく、また米国を怒らせない範囲であれば中国と仲良くする方が米国へのけん制としても価値を持つだけに、割と利害は一致していると私は考えています。

 二つ目は、単純に中国が豊かになってきたからです。米国が嫌われる理由は単純に、米国が最も金持ちだからという意見がありますが、同様に豊かな国というのはただそれだけで豊かでない国から恨まれる運命にあります。中国も反日教育とか歴史問題とか言われていましたが、そうした要素は実際は二割程度で、残り八割くらいが富への嫉妬が反日感情の原動力だったと思います。
 それがここにきて中国が経済成長して大分豊かになり、富裕層に至っては日本以上の生活を満喫した上、市民層でもスマホ決済をはじめ日本よりもサービスの進んだ分野が出るなど、「何でもかんでも日本人に劣ってるわけじゃなくなったよね(´・ω・`)」という具合で、日本へのどろどろした気持ちがなんかさらさらした気持ちに変わってきている気がします。金持ち喧嘩せずって奴です。

 決して誇張ではなく、この要素が非常に大きいと思います。何故そう思うのかというと、これと真逆の現象がなんか以前よりもはっきりと色濃く見えるからです。特に今週水曜にもJBpressで記事書きましたが、こいつら本当に中国の製造業の現況について全く見分がないのだなと思うコメントが多くてびっくりしました。嘲るコメントを書いているつもりでしょうが、あまりにも場違いな意見でただただ私としては困惑する内容でした。

 こうした変化について気付いている人間は、多分現状ではほとんどいないのではないかと思います。だからこそこうして書いているわけですが、やっぱこういうのは現場にいる人間が一番強いなと再自覚するとともに、日本で中国の分析書いている人よりはやっぱり自分は有利だと感じます。

7 件のコメント:

小林哲夫 さんのコメント...

始めまして。
私は日中不戦ブログを書いている小林哲夫という者ですが、貴兄の見方は貴重だと思いました。
対日感情が好転している、という見方は、そのまま賛成しますが、反日感情が無くなったわけでは無い、と思います。
それは民族主義感情です。
日本国民には今中国脅威論があり、これが嫌中感情に繋がっているのを感じます。
これに似た反日感情は、強いものがある、と言う気がするのですが如何でしょうか?

花園祐 さんのコメント...

 小林様、コメントありがとうございます。
 おっしゃる通り中国人の日本人に対する対日感情は現在好転しているものの、反日感情、というより日本に対する警戒感は全く薄れてはいないというのが私の見方です。中国人の言葉として言うならば、「前ほど嫉妬を感じないし普通に付き合う分にはいいけど、戦うとなったらいまだ侮れない敵だろう」とみて、対米戦の際には必ず真正面で戦うことになる相手として日本人を見ている気がします。
 これが民族主義感情というべきかは議論の余地がありますが、「日本人なんてへっぽこだ」というような侮蔑感情ではなく、「日本人は決して侮れない」という警戒心による反日感情は未だ存在するというのが私の結論です。
 一方で日本人の中国人に対する見方ですが、これまでは「中国人なんてへっぽこだ」という侮蔑感でほぼ占められていましたが、今年か去年あたりからはっきり感じるようになりましたが、今現在は圧倒的に「恐怖」の方が強くなっている気がします。「侮蔑」と「恐怖」は近いようで異なっており、この変化が仮に私の見立て通りに起きているのであれば、日中ともに相手に対し「恐怖」を持ち合う関係になると捉えられます。この点を意識して関係を見ていくと、結構見えてくるものがあるのではと最近思います。

小林哲夫 さんのコメント...

返信ありがとうございます。

現地の生の声を聴けて有難く思います。
このお答えはその通りですが、私はもう少し深いところを問題にしています。
民族感情と言うものは、自分では気づかないことが多いと思いますが、例えば18世紀の英仏間とか20世紀の独仏間の戦争にそれを見ることができます。
日清戦争、日中戦争の原因としても、それを感じます。
この感情を私は尖閣問題の時に、中国民衆の暴走デモに感じました。
この反感は、民衆の底に今も残っていて、何かのきっかけでまた爆発する恐れがあると思うのです。
例えば日本が南西諸島に自衛隊を配備しつつありますが、日本の自衛隊は明らかに中国を仮想敵国にして動いており、日米安保を重視する日本国民の気持もここに原因があります。
日本国民が中国を仮想敵国と見做し、その逆もあり、と言う状態を感じませんか?
私は日中間に戦争が起こらないようにするために、この感情を打ち消すような、行動が必要だと思っているのですが、如何でしょうか?

花園祐 さんのコメント...

 やや辛辣なご意見となりますが、どうかご容赦ください。
 まず社会学士の立場から言って、この議論において「民族感情」という言葉を使われていることに強い違和感を覚えます。民族感情というのは特定の人種や血族特有の感情同士を比較するもので、ルワンダのフツ族やツチ族間の対立議論ならばともかく、国家同士、それも中国のような多民族国家に用いることは適切だと思えず、この比較においては通常、「国民感情」とすべきではないでしょうか。
 その上で申し上げれば尖閣問題での中国のデモについて、あれは中国の国民または民族感情から起きたものかと言われたらややどうかなと、疑問に思う点があります。右左問わずいろんな論者はこういった出来事を何でもかんでも戦争に結び付けたがりますが、戦争発生はもっとハイレベルな箇所で決断、実行されるものと考えており、こうした細かい出来事にいちいち反応し過ぎるべきではないという立場をとります。
 また中国が日本を仮想敵国にしているとのご意見ですが、これは明確に間違っており、中国の仮想敵国はあくまで米国で、日本はその途中にある障害です。シーレーンで見れば一目瞭然ですが、逆に言えば日本が完全中立を果たすならば余計な茶々を入れてくることはなくなるでしょう。
 最後に日中間の戦争回避に対する努力についてですが、そもそも自分はそのようなことに係る立場でもなければ貢献できる実力があるとも己惚れていません。なのでそうした行動を自ら率先して取ることはありません。自分の立場としては日本の国際報道の品質向上を支える立場にあり、国家間の紛争については係る存在ではありません。

まっちぼう さんのコメント...

>私は日中間に戦争が起こらないようにするために、この感情を打ち消すような、行動が必要だと思っているのですが、如何でしょうか?

 まじめに言っているとしたら気持ち悪く思える。私が導いてやらなきゃ見たいに考えているなら、選民思想まるだしでは。
 中国人をひとくくりにして、化け物扱いしているように見える。何時の時代の人なんだ。普段から、民族のくくりで考えている人がどれだけいるか。個人または家族など近い範囲での利益の追求のために、行動を起こしていると考えるほうがまだ納得できる。

小林哲夫 さんのコメント...

花園祐さま、まっちぼうさま

前の文章にはミスがありましたので、差し替え願います。

お二方のお考えは理解しました。
価値観が全然違うので、「これ以上の話し合いはお断り」という段階かも知れませんね。
私は戦後間もなくの教育を受けたもので、太平洋戦争の教訓を忘れるな!という思想なのです。
戦後知識人に悔恨派と自称する人々が居ますが、あの戦争に反対しなかったことを悔やみ、「今度戦争になりそうになった時には、黙っていないで、絶対反対しなければならない」と言う思想です。
もうこういう思想は誰にも通じないのだ、と理解しました。

しかしコメント返信を頂いて、勉強になりましたので、感謝しています。

前文ミスの部分
「反対したこと」はミス、「反対しなかったこと」に訂正。

花園祐 さんのコメント...

 差し替えということで、ひとつ前のコメントは削除しておきました。
 ただ普通に両国間の友好を高めるというのであればなんでもありませんが、「戦争を起こさせないために」という言葉が入ると、やはり意味合いが異なってくると思います。当人らはその気がなくても、周囲の人間なども身構えてしまうでしょうし、なによりそういった主張をする団体は、その変な熱意からか外部からいいように利用され、使い捨てにされることが多いというのが私の実感です。
 先のコメントでも指摘しましたが「民族」や「国家」という単位の呼称はいろんなものを内包するため、変な批判や揶揄を受けやすいです。私個人としては国境の狭間で生きる立場から日中の友好が進めば有利となる立場でありますが、上記のように変なところに利用されず動き回れるよう、自分の見る真実を報じる立場をとります。