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2019年6月13日木曜日

小説などによる誤った歴史の流布について

 最近仕事忙しくて寝る時に奈落に落ちるような感覚がして目覚め方も非常に悪く、昼食後に昼寝するけど起きた後しばらく正気に戻れず「これ逆効果じゃね?」と思いつつも、昼寝せずにはいられない生活を続けています。
 ちなみに正気でいられない間は無駄にホームズで奈良の賃貸物件とか眺めています。近鉄奈良駅近くで検索しているのに、「近鉄奈良駅までバス18分」とかの物件が表示されるのは内心どうかと思います。

「俗流歴史本」の何が問題か、歴史学者・呉座勇一が語る(現代ビジネス)

 奈良なんてどうでもいいから本題に切り替えますが、今日読んでて気になったのが上の記事です。記事中では「逆説の日本史」でお馴染みの井沢元彦氏が名指しで批判されていますがそれは置いとくとして、この記事で言われている、「面白いから」という理由だけで特に根拠のない歴史上の推論や説が漫画や小説などで大きく取り上げられ、それがさも事実であるかのように流布するという事実については私も前から懸念していました。
 それこそ、疎開時代の上海で北斗神拳を操る男が大暴れするようなフィクション上等な歴史ファンタジー漫画とかであればこういった「怪しい説」を取り上げるのは別に問題ありません。しかし中にはさも史実に沿っているかのように展開、説明しつつ、所々でトンデモ論を注釈無しで出し、読者にそれが史実であるかのように誤解させてしまう作品はすくなくありません。

 また執筆、発行当時に有力視されていた説であっても、その後の新資料発掘によって事実関係が否定されてしまうというケースも多々見られます。具体的には司馬遼太郎作品にこの手のパターンが多く、司馬遼太郎は一切悪くはないのですが、なまじっか作品が有名過ぎてその後もかつて正しいと見られた誤った説が正しいと信じ続けられてしまうということも見られます。

 なお私の生きた時代で言うのなら、資料でいうと「武功夜話」がひっくり返りの代表格です。出た当初はなんかやたらもてはやす人がいて画期的資料と言われましたが、現代は年号などの記述の誤りなどから資料的価値はほとんどないと見られ、私も正直信用していません。第一、内容が面白すぎると言うか、世間に阿り過ぎな点で怪しかったというべきでしょう。

 話を戻すと、記事ネタに困るそばから歴史ネタを引っ張り出す私もこの点についてはいつも憂慮しており、ブログならまだしも、JBpressで出す記事に関してはいつも注意するようにしています。具体的には、「史実かどうか曖昧な内容は絶対に書かない」、「異説のある内容については注釈をつける」などという対処をしています。
 特に後者に関しては、先程も書いたように現代では正しいと信じられていながらも、将来的にひっくり返る可能性のある内容と言えるだけに、逃げ道を作っておくように(異説あり)という風に記述するようにしています。

 またその事実がごく一部の証言者によって支えられている場合、その証言者名を敢えて出すようにしています。こうすることで、証言者が嘘をついていた場合は自動的に自分の記述も修正される事となるよう図っています。もっともどれだけ努力したところで後年に事実がひっくり返ることは多々あるため、限界はあるのですが。

 ただこうした配慮を全くしない、というよりむしろ怪しい説をさも真実であるかのように取り上げる文物は少なくありません。それはやっぱり娯楽性が高いからというのが最大の原因で、トンデモ論とかそういったものは容易に人の興味を引くからでしょう。その上というか、歴史学者も自らの功名心のために敢えて目立つようトンデモ論を主張することが少なくなく、古事記と邪馬台国を結びつけようという主張はすべてこの手のトンデモ論だと私は考えています。

 もちろん正しいだけの歴史を語るのは野暮で、いくつか怪しい説もフィクションとしてなら取り上げたりするのは大賛成です。ただやはりそれはフィクションと断らなければならず、そうした配慮というか自制を自分を含め強く意識しなければとよく思います。

 ちなみに誰がどう見てもフィクションとわかるけど、宮下あきら氏の「天下無双 江田島平八伝」にはマッカーサーとか毛沢東、溥儀とか出てきますが、フィクションの度合いが凄すぎて、「よくこんなに想像膨らませられるな(・_・;)」と逆に感動しました。あそこまで無茶苦茶に史実の人物を動かしてくると、むしろ史実ってなんだっけと逆に疑問を感じてしまうからすごい。

4 件のコメント:

サカタ さんのコメント...

歴史物は、空想が多いものが時代小説。史実に基づいているものが歴史小説という分け方があると思います。明確に書いておくと、歴史に疎い人にもわかるかもしれませんね。

それと、歴史学についてもマスコミが囃し立てる事があるので間違った認識を与えないでほしいですよね。ただ、諸説あるのが歴史学で新しい説が出るといかがわしいものでも、面白く読めてしまうんですけどね笑。

片倉(焼くとタイプ) さんのコメント...

東日流外三郡誌 という古文書があります。 古代日本の青森県津軽地方に大きな勢力を
持った国があったという内容の古文書です。ただ、この古文書は現在偽書とされています。
東日流外三郡誌には矛盾点から多いからです(本の内容の記述だけでなく本が発見された
経緯についても)

私が歴史を語る場合は、災害や地形に注目しています。 災害は人為的に起こすことは
できませんし、地形の変更(川の流れを変える)は権力者であっても多くの時間と財力
が必要になります。災害や地形の変更という事実は捏造することが難しいからです。

前述した東日流外三郡誌が偽書と認定された理由の一つとして、発掘調査の結果、
十三湊には大津波の痕跡がなかったという事実が明らかになったからです。
(東日流外三郡誌によれば十三湊には安東氏の都があった。しかし南北朝時代初期
  の大津波により都が壊滅したという記述があります。)

花園祐 さんのコメント...

 言われるとおりに災害の記録との照合は重要且つ確実ですね。件の武功夜話も、発見した経緯が台風で蔵が崩れたからと言っておきながら、そもそも蔵なんてその家になかったことから疑問視されましたし。
 にしても安東氏か。なんとなく南部家にすぐ食われるイメージ。

花園祐 さんのコメント...

 史実以外ダメとしてしまうと、それはそれで歴史は面白くなくなってしまうので、やはり棲み分けが大事でしょうね。誤った内容を本当の歴史だと主張してしまうのはまず良くないでしょう。