かつて郵政の無駄遣いの象徴といわれたかんぽの宿がようやく売却されたそうです。この件については自らの反省を込めて今この記事をまとめています。
読売新聞の報道によると、今回の売却額は88億円だったそうです。ただこのかんぽの宿の売却は何も今回初めて出てきた話というわけではなく、2008年にもオリックスへ売却することでほぼ決まっていました。その売却額も、今回の金額より高い109億円でした。
しかし当時に売却が内定してあとは執行する段階であったのですが、何故か最終承認権限者であった鳩山邦夫総務大臣(当時)が、「売却額が不当に安い」などと述べて承認せず、最終的にこの売却話は流れてしまいました。
一体当時に何があったのか。鳩山邦夫は当時、かんぽの宿の建設投資額に対し109億円は大きく下回っていることを、価格が不当に安いという根拠としていました。また最終入札においては、郵政民営化を決めた小泉政権の有識者会議に参加していた宮内氏が経営するオリックスしか参加せず、入札そのものが出来レースであったのではないかなどと述べ、決定プロセスに不公正な動きがあったのではないかなどと騒ぎ立てました。
当時のこのブログの記事を見ると、私自身も鳩山邦夫の意見を真に受けて、かんぽの宿の売却プロセスはおかしいのではないかと言及しています。しかし現在において、この自分の見立ては明らかに間違っていたと考え直しており、深く反省する意識を強く持っています。
一体何故自分が判断を誤ったのかというと、そもそもの資産価値の評価方法をきちんと理解していなかったことに尽きます。当時の時点でかんぽの宿は一部施設を除いてほとんど赤字であり、保有する機関が長いほど損失が出るという状態でした。そのため郵政本業とは無関係な事業であることからも、可能な限り売却してこれ以上の赤字発生を阻止する必要があったのですが、仮に各施設ごとに売却した場合、赤字施設は買い手がつかなくなる恐れがあり、また仮に買い手がついたとしても従業員の大幅なリストラが行われる可能性が高いとみられました。
そうした観点から、黒字の施設も赤字の施設も丸ごと売却する代わり、従業員の雇用維持を入札条件とする一括売却が方式として適切であるという結論が出たため、一括売却という流れになりました。当然、この雇用維持という条件はハードルを引き上げる条件となり、確か最初の入札にはオリックス以外の企業も応じたそうですが、最終入札には結果的にオリックスしか残らなくなったとのことでした。
そういう意味では、確かに建設投資額に比べ109億円という金額は大幅に下回る金額であったものの、赤字を垂れ流すだけだったかんぽの宿事業の資産価値としてみればむしろ売れるだけでもありがたいもので、オリックスとしてもテコ入れによって黒字化する可能性はあったものの、火中の栗を拾うような応札であったと言えるでしょう。
この辺の過程について、実はつい最近読んだ郵政初代社長の西川善文(畝傍出身)が生前に出していた「ラストバンカー」という本で、詳しく解説されています。この本を読んで改めて当時の自分が浅学なあまり間違った批判をしてしまったと悔悟するとともに、一体何故鳩山邦夫は売却を最終局面でひっくり返したのかが気になりました。
その辺の事情についても「ラストバンカー」で少し触れられており、そもそも小泉政権が終わった時点で自民党内の反郵政派が安倍政権内で復活しており、安倍政権以降の自民党自体が郵政民営化を潰そうとする姿勢であったと指摘されていました。鳩山邦夫が総務相を務めたのは麻生政権時でしたが、この時の自民党は下手すりゃ野党以上に郵政の民営化を阻止する意識が強く、実際その後に郵政は予定していた株式の一般公開も延期するなど、実質的に再国有化へ巻き戻されています。
また鳩山邦夫は上記のかんぽの宿売却案件を事実上阻止しただけでなく、古くて容積率も低かった旧東京中央郵便局庁舎の再開発に関しても「貴重な文化財が喪失する」と主張し、既に計画が決まって工事が始まっていたにもかかわらず工事中止をして保存計画を練るよう命令しています。最終的に旧庁舎の保存部分を少し増やすことで妥結に至りましたが、あれに文化的価値があったのか、また保存部分を増やすことに意味があったのかという点については甚だ疑問です。敢えて京都人の目線に立つなら、高々100年ちょいの建造物の価値なんてという気がしてなりません。
以上のような背景をよく熟知しているのか、読売新聞も過去の売却案件についてもきちんと紙幅を割いており、当時の金額なども載せていてくれて大変助かる次第です。また最後の段落には「民営化以降14年間の累積赤字は約650億円に上る。」という情報も載せており、あの時鳩山邦夫が止めたせいで109億円で売れた資産が88億円となり、また売れるまでに600億円超の赤字が垂れ流されたという事実をまざまざと示してくれています。兄同様、彼もまた日本の足を引っ張る政治家であったなと評価せざるを得ません。
3 件のコメント:
4年ぶりに陽月秘話を拝見しています。延々と日本の政治評論ならび社会学を展開するよりも 上海で生活しているのですから 中国の現状を詳しく記載すべきです。木村正人氏のように国際的な視点対比を語るべきです。 花園祐さんの記事を拝見していると 日本国内いる視野の狭い政治評論家と殆どかわらないです。 https://news.yahoo.co.jp/byline/kimuramasato
上の方のコメントに関して、私も気になることがあります。
中国に在住する上で、現地の現状について書けない事情というものはありますか?
以前花園さんがブログ記事で「公権力の暴力は怖い」みたいなことをおっしゃった記憶があるのですが、敢えて触れないようにしている事柄はありますか?
それから、木村正人氏の総裁選に関する評論を拝見したのですが、我が国の新しい政治指導者に対する各国の分析は興味深いものでした。ですが、これらはあくまで岸田氏の外交姿勢に注目したもので、岸田氏の政策実行力を問うものではないように見受けられます。政治家の発言や経歴などの狭い視点に着目することは、当人の指導力を測る上では決して的外れではないと考えます。それにしても、わざわざ特集組んで昨日食べた物や趣味などを追及する意味はないと思いますが。
言葉を持たない菅首相が誰にも支持されないまま退任したことを鑑みると、岸田新総裁には、たとえ言葉で敗北するとしても、自分の言葉で政治を導いてほしいものです。
かんぽの宿と全然関係ない内容ですみません!!
中国で記者活動していることから恐らく自分もマーク対象でメールとかもチェックされていると思いますが、少なくとも日本語で書けないような中国事情は手元にはないですね。仮に根拠なく誰々が不正蓄財をしているとか、共産党幹部の家族などのプライベート情報を書いたらさすがに怒られるでしょうが(牢獄で)、そうした内容はそもそも日本国内のジャーナリズムにおいてもアウトな行為であり、自分が手を出すことのない分野であるだけに、普段の執筆において自分が手控えることは中国事情でもほぼありません。
「公権力の暴力」については、どちらかというとはっきりと暴力を使うことを示している中国よりも、「殴ったりしないよ♪」といいながら遠慮なく暴力を振るうことのある日本のことを指しています。具体的には国策捜査などで、政権の方針転換によって急に暴力の矛先となるリスクが日本にはあることを示唆しています。
総裁選に関してはまた古い報道というか派閥の票取りに関する記述が日系メディアでは多く、政策に関する具体的言及がほとんど見られず、割と退屈してみてました。基本的に印象論と論考狙いで票が決まったとみており、そういう意味では岸田政権が今後どうなるかは評価できないものだとみています。だって政策議論が総裁選で行われなかったんだし。
自分としてはやはり政治は政策の中身で見るべきで、その人物が性格的に好ましからざるとしても日本にとってプラスの政策を果たす姿勢なら応援すべきだと思うし、そうした議論があるべきだと考えてますが、なんか今回の総裁選はかつてよりも政策が問われず、90年代に戻った感覚があります。
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