先日、企業が就活の際に学生に課すSPIなどのウェブ試験を就活生本人に代わり問題を解いていた人物が捕まりました。結論から言うと、そもそもこんなウェブ試験をやっていること自体が自分は問題だと思います。
ウェブ試験の詳細については省きますが、自分も就活生時代に一通り対応したことがあります。その時の記憶で述べると、国語の問題などは俗にいう「この時の作者の気持ちを答えよ」的に基準のあいまいな問題が散見され、しかも選択肢の中に明らかに論理的に正解と判断できる答えが見つからないなど、そもそもの問題作成に問題があると感じる問題がたくさんありました。むしろあの問題の成績を参考にしようってのなら頭のおかしい連中だろうと、その手の問題についてはいい加減に処理した覚えがあります。
このウェブ試験ですが、ぶっちゃけズルし放題です。数学や英語の問題などは別端末などを使ってネットで検索かけるなどしたら容易に回答を導き出すことも可能なほか、同じ企業内で同じ試験だったら誰か一人が人身御供となることで問題文を取得することも可能です。
以上のような公平性が保たれない試験なだけに、真面目にやった奴ほど馬鹿を見るテストだと内心考えています。であれば小論文など、具体的正解はないものの文章構成力とかが図れるような課題のほうがもっといいと思うし、そもそもこういったウェブ試験、SPIの成績がその後のパフォーマンスとどう関連するのか、その辺の分析も企業側はやるべきでしょう。
このウェブ試験に限らず、日系企業の採用に関する選定基準は非常にあいまいかつ無意味なものが多く、面接も含めてもっと機械的な要素を高めるべきなんじゃないかと前から思っています。それこそ履歴書などの書類選考だけで済ますとか、一斉筆記試験で成績優秀者からとるとか、ともかく余計な感情の余地が挟まらないようにする方がずっと建設的である気がします。
こういうと面接しないと変な奴は言ってくるかもしれないという人もいるでしょうが、面接したから変な奴を排除できるのかと逆に問いたいです。
さらに言えばその就活における採用面接ですが、このところいろいろ調べたところ、どうも昭和と平成で面接の内容が異なっていることに最近気が付きました。その辺はまた次回の記事で。
4 件のコメント:
面接と言えば 今はどんな本を読んでいるかも聞いてはいけない
そうです。個人の自由であるべき思想を詮索して採用の合否
に判断するのは良くないという理由からだそうです。
ちなみに私は中学校の時、「面接時に愛読書は何か聞かれた
時は夏目漱石や森鴎外と答えなさい。週刊少年ジャンプや
ドラゴンボールと答えてはいけません」という指導を受け
ました。私は先生の指導にハイハイと頷いていましたが
内心では「今時 吾輩は猫である を真剣に読む中学生なん
ていないだろ。 ジャンプの方が面白いし」とつぶやいて
いました。
何読んでるかで思想がどうこうというのは内心過剰だと自分は思いますね。そんなこと言ったら、採用面接の意義こそ失いかねませんし。
明治の文豪の小説も、果たしてどれだけ価値があるのかとなるとまた議論の余地があるとは思います。森鴎外なんかは自分も好きなのですが、夏目漱石はそこまで評価してません。あとこの前金色夜叉を買ってみたけど、文語が古すぎて全く読めませんでした。
昔からやってるから形式上辞められない、みたいなの多いんですよね。意味ないからやめよう、という人が出ても、本当に意味がないか分からないから怖くて判断できない管理職がとても多いです。
形式に則っておけばとりあえず安心、という昭和の価値観が薄れるには、もう少し時間がかかりそうです。
京都で大学生活過ごしたことから、昔からの慣習に関しては「有効だから長く続く」という変な見方を持ってて慣習を否定する立場じゃないですが、就活に関しては歴史もないくせにやたら無意味な過去のやり方を踏襲しているなという気がします。
もっとも、昭和に比べたらだいぶましになっていることを、次の記事で書きます(;´・ω・)
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