友人からまた不思議なリクエストがあったので、今日はそれについて話をしようと思います。
実は今年の初め頃に小池百合子氏の講演会を聞きに行ったのですが、その際に小池氏が話したのはちょうど今から100年前のある日本の新聞の話でした。何でも、1901年にある新聞が20世紀の始まりということを記念して、「100年後はこうなる」という特集記事を組んだそうです。その記事の中では100年後の世界では当たり前になっているものとして、まず電信技術が発達し写真や声も瞬時にどこへでも送れるようになり、開発されたばかりの自動車も一家に一台という具合にまで普及するだろうともあり、更には当時の主要エネルギー源だった石炭が今後石油に変わっていくだろうといった予想まで書かれており、なかなかに未来を見通していた記事だったようです。
その記事を引き合いに出し小池百合子氏は、100年前には夢物語だった話も時が経つにつれて当たり前になる、今後も技術は向上するだろうし今では帰宅するとともに携帯電話を充電するのが当たり前になっているが、未来では自動車も電気で走るようになって家に帰るたびに充電するのが当たり前になるかもしれないと講演で話していました。小池氏の言うとおりに、100年も経てば今では夢のような話、それこそ今SFの文物で描かれている世界が当たり前のものになるかもしれません。
その中でもっとも近い未来にあるものが、先ほどに小池氏が話した電気自動車の話です。現実にもう三菱自動車はi-MIEVという電気自動車を開発しており、来年の発売に向けて現在試作テストを繰り返しているそうです。このi-MIEVの凄いところはなんといっても、本当に家庭用コンセントで充電できるという点です。他の車でのガソリン吸入口の部分にプラグがあり、それこそ家から延長コードを持ってきて差せば充電できるという代物で、燃費効率も劇的にとまでは行かないまでも、現在のガソリン自動車よりは資源の節約につながなるそうで、試乗したテリー伊藤氏(この人は大の三菱党)も予想以上の乗り心地だとべた褒めしています。ちなみに、その記事が書かれていたのも三菱自動車の御用雑誌に近い「ベストカー」です。親父とよく買って私も読んでます。
こうした従来とは一線を画す未来型の自動車が生まれる一方で、肝心のエネルギーについては大幅な転換が起こることが予想できます。というのもいわゆる石油が枯渇するオイルピーク説で、これなんか相互リンクを結ばせてもらっている「温暖化よりも、脱石油依存、食糧問題、自然農法等が重要だと思っています!!」さんのところでよく取り上げられていますが、石油資源に限度が見え、遅くても2050年までには採掘費用に採算が合わなくなってくると私は思います。ではそうなったらどうなるかですが、これは武田邦彦氏と同じ意見になるのですが、困った時の原発頼みというか、核技術を使った発電がメインになってくると思います。そういうのも、石油に変わる化石資源が今後出てくるかというと非常に可能性が低いからです。
ただ今のところまだあまり現実味がないですが、深海中にある「メタンハイドレート」という、通称「燃える氷」という化石資源は豊富にあります。しかしこのメタンハイドレートは深海の底にあるために採掘が難しく、目下のところ採算が全然合いません。けどこの前、なんかどっかの国立法人が連続しての採掘に成功したというニュースがありましたから、技術が格段に進歩すればこっちがくる可能性もあるかもしれません。
それで話は原子力発電の話に戻りますが、これも現在のまま話が推移していくわけではないと思います。たとえば現在日本がやろうと思ってもなかなかやれずにいる、一度原発に使った燃料を絞りきるまで使う「プルサーマル計画」というのもありますし、何よりも現在の核分裂反応を利用する発電方法から逆に重水素を作る核融合反応を利用する発電方法に切り替わる可能性は結構高いと思います。
ただこの分野については大分前、っても確か4年くらい前になるのですが、立花隆氏が日本政府はこの分野への研究投資額を非常に低く見積もっており、このままでは主要な特許が同じく開発を行っているフランスにすべて取られてしまうと、わざわざ当時文芸春秋でやっていた連載を中断してまで意見を出していました。それから大分時間が経っていますが、生憎この分野には詳しくないために今どうなっているかはわかりません。日本だとやっぱりこういう話題は表に出辛いでしょうし……。
さて最初にSFで描かれる世界が当たり前になると書きましたが、そうなるとやっぱり一番盛り上がるのは「攻殻機動隊」で描かれる体のサイボーグ化でしょう。こちらの方は大分前に映画の「ターミネーター」が公開されて早くから話題になっていたものの、あまり機械と肉体の融合は私の目には進んでいないと思います。唯一、確かホンダだったと思うけど、身体にくっつけて筋肉運動を補助する機械みたいな物は出来てたと思います。しかし「鋼の錬金術師」ばりの義手義足はまだ実現には程遠そうです。
その一方で、バイオ技術には今後も大きな期待ができると思います。まずはなんといっても京大の山中教授によって研究が進められているIPS細胞、通称万能細胞が大分実用化の見通しが出来、この前にはマウスにて大脳細胞の誘導、つまりコピーに成功したそうですし、四肢や神経細胞の復元なら近いうちに行えるようになるでしょう。皮膚細胞だったら恐らくすぐにでもできるでしょうし、やけどなどの根本的治療などで大いに楽しみな技術です。
そしてこのIPS細胞に加えヒト遺伝子の解析も既に完了しており、何気にすこし自慢ですがちょっと前にこの世界的研究に参加していた横浜にある某研究所に入って見学をさせてもらいました。巨大な超伝導磁石を用いているので、中に入る際は貴金属類はすべて外して、建物内部もそういった関係から木材を多く使ってましたね。
と、ちょっと話が横道にそれましたが、要するに遺伝子分野の研究です。これなんかクローン研究に至っては倫理学的議論をある程度踏めばすぐにでも実行できるレベルにありますし、徳弘正也氏が「狂四郎2030
」という漫画で描いている「理想的な遺伝子配列の兵士」がこれらの研究を利用して作られていくかもしれません。なお、以前に友人と話をした際に、
「ハンマー投げの室伏広治選手のクローンで大軍団を作れば、相当無敵な軍隊が作れそうだ、格闘戦だけなら朝青龍のクローンも捨てがたい」
という話をしたことがあります。これじゃスターウォーズだなぁ。でも一万人の室伏部隊ってのも壮観だろうなぁ。
とまぁこんな具合で、バイオ技術は恐らく今後10年で異様な発展を遂げる気がします。それに合わせて人間の平均寿命も、今の日本では大体80歳前後ですが、恐らく100歳も夢じゃなくなってくると思います。アメリカなんか今のブッシュ政権で最近日本でもちらほら見かけるようになった「アンチエイジング」への開発投資が行われ、需要も高いことから発展、普及していくと思います。まぁそうなったら生き方とか年齢の価値観についてひっくり返るから、それに合わせて倫理学の議論が必要になってくるでしょう。
最後に、最もSF世界で取り上げられる宇宙開発について一言付け加えておきます。恐らく宇宙開発は軍事的な必要性から中国とアメリカ、そしてソ連で研究が進み、こちらも発展していく可能性が大でしょう。日本はアメリカとの密約上これ以上宇宙開発は出来ないと聞きますし、それならば宇宙での運用を想定する工具や機械の開発、言ってみればガンダムの開発をやった方がいいかもしれません。定額給付金をやるくらいならその金使ってガンタンクの一台でも作ってみれば、私も自民党に一票を投じるのですが。
予想以上に長くなったので、100年後の思想や倫理については次回に書きます。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2008年11月8日土曜日
2008年11月7日金曜日
失われた十年とは~その八、何故不況が続いたのか~
この記事でようやく経済学的な失われた十年の分析は終わりです。もともとここまでの内容は他でも行われているので敢えて私がやる必要もなく、本音を言うと次回辺りから書き始めるこの時期の社会状況の方が書く側としても非常に楽しみです。
前回では失われた十年における「平成不況」において、日本の景気を決定的に悪化させるに至った97年の転機について解説しました。その後の日本の経済状況についてはリストラ、合併の嵐で、構造的にも97年から大体03年までの間に日本の社会構造は大きく変換を余儀なくされました。その代表例の一つともいえるが日本の銀行で、今のアメリカの金融機関のように生き残りをかけて各銀行はこの時期にお互いに合併を繰り返した結果、現在において三大メガバンクと呼ばれる三つの銀行に主要行としての機能がほぼ集約されるようになりました。それで、その現三大メガバンクがどのように構成されたのかを列記すると、
・みずほ銀行 (第一勧業銀行・富士銀行・日本興業銀行)
・三菱東京UFJ銀行 (三菱銀行・東京銀行・三和銀行・東海銀行)
・三井住友銀行 (住友銀行・さくら銀行)
と、こうして書いて見るとほんのちょっと前まで日本にはたくさん銀行があったことがわかります。今でこそ思いますが、以前の日本人はこんなに銀行があるのにどうやって振込とか送金とかしていたんだろう。非常に面倒くさそうな気がするのですが。
他の業界でもこの銀行業界のように合併が繰り返され、その度に吸収される会社の側では大幅な人員カットことリストラが行われたと言います。その結果失業率も増えるなどして一時的に日本社会は大きく暗く落ち込みましたが、敢えて前向きに取るならこの時の苦しみの経験が今のまだマシな状況を作ったのだと亘がるのなら、決して無駄な時代ではなかったと思えます。
それでこの平成不況がいつ、どのようにして終わったかですが、これについては私が以前に書いた「竹中平蔵の功罪~陽編~」(http://imogayu.blogspot.com/2008/08/blog-post_02.html)の中で書いてあるので、そちらをご覧ください。正直言ってこの記事は恐らく一番私も力を入れて書いた記事なので、本音を言えばもっと高く評価されてもいいと思ってます。
ここまででこの平成不況の大まかな概要はほとんど書き終えているのですが、それでは何故これほど長い間日本で不況が続いたのかがまだ疑問として残ります。これまでの記事の中にもちょっとずつその原因を挙げてはいるのですがここで簡単にそれをまとめると、まず第一に政府の政策ミスが挙がってきます。政府としてはバブル崩壊以後の企業の業績不振を単純に、「個人消費の停滞」と判断し、個人消費を浮揚させるために散々公共事業を行いましたがこれは根本的な間違いであり、現在において実際の不況の原因は信用不安にあったとほぼ断定されております。
この信用不安とはちょうど今アメリカで起こっている経済問題がこれで、お金を貸しても物を売っても、その企業がお金を自分のところに返すか払う前に潰れてしまうのではないかと互いに尻込み、資金の流通が滞ってしまうことを指しています。日本の場合はそれまで資金融資の担保となっていた土地に代表される不動産の価格が大きく目減りしてしまい、金融機関としても損失を明るみにさせないために無理やり融資した資金を取り立てずに不良債権をどんどんと抱え込んだのが不況を長引かせた原因とされています。なので竹中氏がこの不良債権を徹底的に減らした途端に、まぁ中国の景気に引っ張られたのもありますが日本の景気も復活したわけです。
こうした不況原因の特定ミスともう一つ、この不況を長引かせた原因となったのは根強かった日本経済への楽観論でしょう。
当初、バブル期は異常ではあったがしばらくすればまた日本の景気はよくなるだろうという楽観論は非常に強かったと思います。その根拠として、当時の各政策決定者たちも不況が始まった当初から不良債権を問題視していたのですが、ひとまず公共事業をやって景気が落ち着いてから対処しようと、皆が皆この問題を先送りにしていた事実があります。この時の状況をたとえて言うなら、火事が起きているのに火元を消さず、自分の周りにだけ水を撒いているようなもんですね。
何故こうした楽観論が根強かったのか私の考えを言わせてもらうと、やはりバブル期以前に経済大国としての地位を固めたことにより日本人全体で経済に対して強いうぬぼれが生まれた気がします。逆を言えば相当に自信を持っていたために、現実の経済として通用しないことがはっきりした97年の転機によって今度はものすごい自信を失って日本式経営への批判が急に巻き起こっています。そこら辺は次回で解説しますが、こういったことから不況になった当初、真面目に不況対策を考えていなかったのが裏目に出たのだと私は考えています。
そして最後に、これなんかまんま私の持論なのですが、この連載の「その六、ポストモダンとデフレ」で書いたように日本においてポストモダン化現象が起きたのも原因として考えてもいいと思います。結構さらりと書いてはいますが我ながらなかなか重要なポイントを突いていると自信をもって公開してはいるものの、反響が少なく一人で落ち込んでおります。
前回では失われた十年における「平成不況」において、日本の景気を決定的に悪化させるに至った97年の転機について解説しました。その後の日本の経済状況についてはリストラ、合併の嵐で、構造的にも97年から大体03年までの間に日本の社会構造は大きく変換を余儀なくされました。その代表例の一つともいえるが日本の銀行で、今のアメリカの金融機関のように生き残りをかけて各銀行はこの時期にお互いに合併を繰り返した結果、現在において三大メガバンクと呼ばれる三つの銀行に主要行としての機能がほぼ集約されるようになりました。それで、その現三大メガバンクがどのように構成されたのかを列記すると、
・みずほ銀行 (第一勧業銀行・富士銀行・日本興業銀行)
・三菱東京UFJ銀行 (三菱銀行・東京銀行・三和銀行・東海銀行)
・三井住友銀行 (住友銀行・さくら銀行)
と、こうして書いて見るとほんのちょっと前まで日本にはたくさん銀行があったことがわかります。今でこそ思いますが、以前の日本人はこんなに銀行があるのにどうやって振込とか送金とかしていたんだろう。非常に面倒くさそうな気がするのですが。
他の業界でもこの銀行業界のように合併が繰り返され、その度に吸収される会社の側では大幅な人員カットことリストラが行われたと言います。その結果失業率も増えるなどして一時的に日本社会は大きく暗く落ち込みましたが、敢えて前向きに取るならこの時の苦しみの経験が今のまだマシな状況を作ったのだと亘がるのなら、決して無駄な時代ではなかったと思えます。
それでこの平成不況がいつ、どのようにして終わったかですが、これについては私が以前に書いた「竹中平蔵の功罪~陽編~」(http://imogayu.blogspot.com/2008/08/blog-post_02.html)の中で書いてあるので、そちらをご覧ください。正直言ってこの記事は恐らく一番私も力を入れて書いた記事なので、本音を言えばもっと高く評価されてもいいと思ってます。
ここまででこの平成不況の大まかな概要はほとんど書き終えているのですが、それでは何故これほど長い間日本で不況が続いたのかがまだ疑問として残ります。これまでの記事の中にもちょっとずつその原因を挙げてはいるのですがここで簡単にそれをまとめると、まず第一に政府の政策ミスが挙がってきます。政府としてはバブル崩壊以後の企業の業績不振を単純に、「個人消費の停滞」と判断し、個人消費を浮揚させるために散々公共事業を行いましたがこれは根本的な間違いであり、現在において実際の不況の原因は信用不安にあったとほぼ断定されております。
この信用不安とはちょうど今アメリカで起こっている経済問題がこれで、お金を貸しても物を売っても、その企業がお金を自分のところに返すか払う前に潰れてしまうのではないかと互いに尻込み、資金の流通が滞ってしまうことを指しています。日本の場合はそれまで資金融資の担保となっていた土地に代表される不動産の価格が大きく目減りしてしまい、金融機関としても損失を明るみにさせないために無理やり融資した資金を取り立てずに不良債権をどんどんと抱え込んだのが不況を長引かせた原因とされています。なので竹中氏がこの不良債権を徹底的に減らした途端に、まぁ中国の景気に引っ張られたのもありますが日本の景気も復活したわけです。
こうした不況原因の特定ミスともう一つ、この不況を長引かせた原因となったのは根強かった日本経済への楽観論でしょう。
当初、バブル期は異常ではあったがしばらくすればまた日本の景気はよくなるだろうという楽観論は非常に強かったと思います。その根拠として、当時の各政策決定者たちも不況が始まった当初から不良債権を問題視していたのですが、ひとまず公共事業をやって景気が落ち着いてから対処しようと、皆が皆この問題を先送りにしていた事実があります。この時の状況をたとえて言うなら、火事が起きているのに火元を消さず、自分の周りにだけ水を撒いているようなもんですね。
何故こうした楽観論が根強かったのか私の考えを言わせてもらうと、やはりバブル期以前に経済大国としての地位を固めたことにより日本人全体で経済に対して強いうぬぼれが生まれた気がします。逆を言えば相当に自信を持っていたために、現実の経済として通用しないことがはっきりした97年の転機によって今度はものすごい自信を失って日本式経営への批判が急に巻き起こっています。そこら辺は次回で解説しますが、こういったことから不況になった当初、真面目に不況対策を考えていなかったのが裏目に出たのだと私は考えています。
そして最後に、これなんかまんま私の持論なのですが、この連載の「その六、ポストモダンとデフレ」で書いたように日本においてポストモダン化現象が起きたのも原因として考えてもいいと思います。結構さらりと書いてはいますが我ながらなかなか重要なポイントを突いていると自信をもって公開してはいるものの、反響が少なく一人で落ち込んでおります。
筑紫哲也氏の死亡報道について
今日また例によって知り合いの上海人からこのネタに書いてほしいとリクエストを受けたので、ちょっと思うところを書いて見ます。
・筑紫哲也氏が死去 「NEWS23」メーンキャスター(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081107-00000583-san-soci)(YAHOOニュース)
相変わらずこっちではリンクが貼れません。いい加減、とっととFC2の方に本拠地移そうかな。
それで本題ですが、いきなり結論から入ると、私は今でも何故この筑紫氏が著名なニュースキャスターとしていられたのか不思議でしょうがありません。ちょっと調べてみると80年代に若者論を出して一気に有名になったということなのでその時代を知らない私だからこういう感想を持つのかもしれませんが、少なくともまだ「ニュース23」に出ていた頃の、番組後半に筑紫氏が時事問題について自分の意見を紹介する多事総論を見ていて参考になったことは、私においてただの一回もありませんでした。
敢えて筑紫氏の発言や意見を私なりに分析すると、こういうのもなんですが毎回非常に曖昧な結論に終わることが非常に多かったように思えます。なんか他でもあれこれかかれていますが、どうもこの人はしっかりとした意見なんてものは持っておらず、その場その場で周りに都合のいい意見ばかり言っていたんじゃないかとすら思います。それで自分の意見を言う際には、どこにも角が立たないようにそれこそどっちとも取れるように言葉で濁してたんだと思います。
しかし言うまでもなく、それは言論人としてはなはだしく恥ずかしいことです。あまり一つの意見に偏りすぎるのも問題ですが、基本的に言論人は自分の考えを提示することで視聴者に対して物事を見るモデルを与えるのが仕事です。にもかかわらず筑紫氏はモデルを提示しないあまりか、時局によってころころ意見を変えるなどもってのほかです。
生前にも何故こんな人間がマスコミの大御所気取って存在していられるのか、怒りまでは覚えませんでしたが世の中は変に出来ているなとは前から感じていました。それならばもっと他にもいいキャスターもたくさんいますし、特に「ニュース23」に至ってはこの筑紫氏が引退して今のキャスターの後藤謙次氏に代わって非常にいい番組になったとすら思います。何気にテレビニュースはTBSが一番幅広く、バランスよくやってくれるので結構重宝してます。フジテレビは深くニュースを解説してくれるますが分野は幅広くはなく、日テレに至っては論外ですし。
・筑紫哲也氏が死去 「NEWS23」メーンキャスター(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081107-00000583-san-soci)(YAHOOニュース)
相変わらずこっちではリンクが貼れません。いい加減、とっととFC2の方に本拠地移そうかな。
それで本題ですが、いきなり結論から入ると、私は今でも何故この筑紫氏が著名なニュースキャスターとしていられたのか不思議でしょうがありません。ちょっと調べてみると80年代に若者論を出して一気に有名になったということなのでその時代を知らない私だからこういう感想を持つのかもしれませんが、少なくともまだ「ニュース23」に出ていた頃の、番組後半に筑紫氏が時事問題について自分の意見を紹介する多事総論を見ていて参考になったことは、私においてただの一回もありませんでした。
敢えて筑紫氏の発言や意見を私なりに分析すると、こういうのもなんですが毎回非常に曖昧な結論に終わることが非常に多かったように思えます。なんか他でもあれこれかかれていますが、どうもこの人はしっかりとした意見なんてものは持っておらず、その場その場で周りに都合のいい意見ばかり言っていたんじゃないかとすら思います。それで自分の意見を言う際には、どこにも角が立たないようにそれこそどっちとも取れるように言葉で濁してたんだと思います。
しかし言うまでもなく、それは言論人としてはなはだしく恥ずかしいことです。あまり一つの意見に偏りすぎるのも問題ですが、基本的に言論人は自分の考えを提示することで視聴者に対して物事を見るモデルを与えるのが仕事です。にもかかわらず筑紫氏はモデルを提示しないあまりか、時局によってころころ意見を変えるなどもってのほかです。
生前にも何故こんな人間がマスコミの大御所気取って存在していられるのか、怒りまでは覚えませんでしたが世の中は変に出来ているなとは前から感じていました。それならばもっと他にもいいキャスターもたくさんいますし、特に「ニュース23」に至ってはこの筑紫氏が引退して今のキャスターの後藤謙次氏に代わって非常にいい番組になったとすら思います。何気にテレビニュースはTBSが一番幅広く、バランスよくやってくれるので結構重宝してます。フジテレビは深くニュースを解説してくれるますが分野は幅広くはなく、日テレに至っては論外ですし。
2008年11月6日木曜日
失われた十年とは~その七、転換点~
久しぶりの連載記事です。前から書こう書こうと思っているのですが、別の記事を片付けていると途端にものすごい疲労感があってこの三日間は手が出せませんでした。別に何かで忙しいとかそういうことはないのですが、ぶっちゃけ今も疲労がものすごくてへとへとになりながら書いてます。
それでは今日は失われた十年全体において、その年を以って前期後期と分けるような象徴的な一年となった97年について解説します。
この連載の四回目の「個人消費」についての記事で私は、失われた十年の前半期は企業業績が全般的に落ち込みながらも、世界的にも歴史的にも珍しく当時の日本では個人消費はなかなか下降しなかったと解説しました。そしてこの経済の中で唯一好調だった個人消費が落ち込むことでこの時代の平成不況は本格的に深刻さを表してくるのですが、ちょうどこの97年が個人消費が落ち込み始めるようになった年であるのです。
では何故97年に個人消費が落ち込み始めたのかですが、以前の記事で解説したように世帯ごとの貯金が減っていったなどの継続的な理由もありますが、やはり一番の引き金となったのはこの年より施行された消費税のそれまでの3%から5%への引き上げです。これによって日本全体で物価が底上げされて個人消費が激減したことにより、日本は企業業績が悪化する一方で物価は上がる「スタグフレーション」という、名実ともに底なしの不況へと突入していきました。
政治界でもこの消費税増税による反発によって自民党の支持が急激に減ったためにこの年の参議院選挙で自民党は大敗し、当時の橋本龍太郎首相も退陣を余儀なくされています。もともとこの消費税の増税は世界中の経済学者が時期的に不適当だと批判されながらも橋本首相が強行した政策であり、結果的には橋本氏のそれが命取りとなったのですから皮肉なものです。なお私自身の橋本元首相への評価をここで紹介すると、彼の在任中の業績は言われているほど低くはなく、特にこちらも強行して取り組んだ行政改革は日本の政治史においても大きな成果であり、これがなければ後年の小泉改革により一時的な成功もなかったものと私は確信しています。もっとも既に書いたように消費税の増税のタイミングは本当に最悪のタイミングであり、この増税を実行したことについての非難はやむを得ないでしょう。
何はともあれこの年になるとしばらくすればまた景気は回復するだろうとの楽観論も完全に消えうせ、社会全体で先が見えない暗い雰囲気が立ち込め始めてきました。企業の方も上がらない業績に徐々に経営が追い詰められ、データで見てもリンクが貼れないのでアドレスだけ紹介すると東京商工リサーチ(http://www.tsr-net.co.jp/new/zenkoku/transit/index.html)のデータで、92年から96年までは企業倒産数は14000件台から15000件台の間にあるのが97年には一万六千件台に入り、その後も小渕政権でありえないくらいのバラ撒きが行われた99年を除いて18000件台から19000件台という非常に多い数字が2002年まで続きます。にしても、東京商工リサーチはいいデータを公開してくれている。帝国データバンクとは大違いだ。
そしてこの年の倒産といえばなにより、察しのいい人はもう勘付いていると思いますが、あの山一證券の倒産を抜きにして語ることは出来ないでしょう。
それまで野村、日興、大和と並んで四大証券と呼ばれ、日本を代表するエリートが集まると言われた大企業の一つ、山一證券がこの年に破綻をして本当に跡形もなくこの世からなくなってしまいました。この時に私は中学生でしたが、未だに当時の野澤正平社長が泣きながら記者会見で、
「みんな私たちが悪いんであって、社員は悪くありませんから! 善良で能力のある社員たちに申し訳なく思います。優秀な社員がたくさんいます。ひとりでも再就職できるように応援してください」
と、思わず全文を引用してしまうほどの重みを持った訴えをしたのが目に浮かんできます。それほどまでにこの山一證券の破綻は日本社会に大きな影響を与え、もはや大企業といえども安心ではないと、この日を境に社会の空気が一変したと、当時の私ですら感じました。
また大企業の倒産と言えばこの山一證券が破綻した11月22日のほんの五日前、11月17日にはこちらもエリート街道まっしぐらと言われた北海道拓殖銀行が破綻しております。
このように、かつては誰もがうらやむ就職先と言われた大企業の連続した破綻が、日本人はもとより世界中にこの不況はただ事じゃないと強く知らしめました。そして本当に景気が申告に悪化していったために続々と中小企業も倒産してゆき、生き残った企業も合併や所有部門の売却、そして後で解説する社員のリストラの実行とタダでは生き残れない厳しい時代を歩むことになりました。
このように、全体の景気においても社会の空気においても、失われた十年においてもっとも重要な転換期に当たるのがこの97年、更に言えば山一證券が破綻した11月22日がすべての転換点に当たるとして、便宜上これ以前を前期、これ以降を後期として私は失われた十年の期間を二分しております。
前期はこれまでも語ってきたように「変なものが流行ったりしてなんとなくおかしな感じだけどまだまだ余裕」な頃で、後期は「皆で後ろ向き、フォーエバー!」ってな頃だと勝手に解釈しております。
不思議と、書き終わってみると書き始めの頃より元気になっています。
それでは今日は失われた十年全体において、その年を以って前期後期と分けるような象徴的な一年となった97年について解説します。
この連載の四回目の「個人消費」についての記事で私は、失われた十年の前半期は企業業績が全般的に落ち込みながらも、世界的にも歴史的にも珍しく当時の日本では個人消費はなかなか下降しなかったと解説しました。そしてこの経済の中で唯一好調だった個人消費が落ち込むことでこの時代の平成不況は本格的に深刻さを表してくるのですが、ちょうどこの97年が個人消費が落ち込み始めるようになった年であるのです。
では何故97年に個人消費が落ち込み始めたのかですが、以前の記事で解説したように世帯ごとの貯金が減っていったなどの継続的な理由もありますが、やはり一番の引き金となったのはこの年より施行された消費税のそれまでの3%から5%への引き上げです。これによって日本全体で物価が底上げされて個人消費が激減したことにより、日本は企業業績が悪化する一方で物価は上がる「スタグフレーション」という、名実ともに底なしの不況へと突入していきました。
政治界でもこの消費税増税による反発によって自民党の支持が急激に減ったためにこの年の参議院選挙で自民党は大敗し、当時の橋本龍太郎首相も退陣を余儀なくされています。もともとこの消費税の増税は世界中の経済学者が時期的に不適当だと批判されながらも橋本首相が強行した政策であり、結果的には橋本氏のそれが命取りとなったのですから皮肉なものです。なお私自身の橋本元首相への評価をここで紹介すると、彼の在任中の業績は言われているほど低くはなく、特にこちらも強行して取り組んだ行政改革は日本の政治史においても大きな成果であり、これがなければ後年の小泉改革により一時的な成功もなかったものと私は確信しています。もっとも既に書いたように消費税の増税のタイミングは本当に最悪のタイミングであり、この増税を実行したことについての非難はやむを得ないでしょう。
何はともあれこの年になるとしばらくすればまた景気は回復するだろうとの楽観論も完全に消えうせ、社会全体で先が見えない暗い雰囲気が立ち込め始めてきました。企業の方も上がらない業績に徐々に経営が追い詰められ、データで見てもリンクが貼れないのでアドレスだけ紹介すると東京商工リサーチ(http://www.tsr-net.co.jp/new/zenkoku/transit/index.html)のデータで、92年から96年までは企業倒産数は14000件台から15000件台の間にあるのが97年には一万六千件台に入り、その後も小渕政権でありえないくらいのバラ撒きが行われた99年を除いて18000件台から19000件台という非常に多い数字が2002年まで続きます。にしても、東京商工リサーチはいいデータを公開してくれている。帝国データバンクとは大違いだ。
そしてこの年の倒産といえばなにより、察しのいい人はもう勘付いていると思いますが、あの山一證券の倒産を抜きにして語ることは出来ないでしょう。
それまで野村、日興、大和と並んで四大証券と呼ばれ、日本を代表するエリートが集まると言われた大企業の一つ、山一證券がこの年に破綻をして本当に跡形もなくこの世からなくなってしまいました。この時に私は中学生でしたが、未だに当時の野澤正平社長が泣きながら記者会見で、
「みんな私たちが悪いんであって、社員は悪くありませんから! 善良で能力のある社員たちに申し訳なく思います。優秀な社員がたくさんいます。ひとりでも再就職できるように応援してください」
と、思わず全文を引用してしまうほどの重みを持った訴えをしたのが目に浮かんできます。それほどまでにこの山一證券の破綻は日本社会に大きな影響を与え、もはや大企業といえども安心ではないと、この日を境に社会の空気が一変したと、当時の私ですら感じました。
また大企業の倒産と言えばこの山一證券が破綻した11月22日のほんの五日前、11月17日にはこちらもエリート街道まっしぐらと言われた北海道拓殖銀行が破綻しております。
このように、かつては誰もがうらやむ就職先と言われた大企業の連続した破綻が、日本人はもとより世界中にこの不況はただ事じゃないと強く知らしめました。そして本当に景気が申告に悪化していったために続々と中小企業も倒産してゆき、生き残った企業も合併や所有部門の売却、そして後で解説する社員のリストラの実行とタダでは生き残れない厳しい時代を歩むことになりました。
このように、全体の景気においても社会の空気においても、失われた十年においてもっとも重要な転換期に当たるのがこの97年、更に言えば山一證券が破綻した11月22日がすべての転換点に当たるとして、便宜上これ以前を前期、これ以降を後期として私は失われた十年の期間を二分しております。
前期はこれまでも語ってきたように「変なものが流行ったりしてなんとなくおかしな感じだけどまだまだ余裕」な頃で、後期は「皆で後ろ向き、フォーエバー!」ってな頃だと勝手に解釈しております。
不思議と、書き終わってみると書き始めの頃より元気になっています。
技術者不足を解消するには
なんかこのところ、ブログを書き始めると毎日のように激しい疲労を憶えます。一番の原因は本店のブロガーの方で未だにリンクが貼れない事にイライラするからだと思いますが、それを推しても異様な疲労感です。なんかほかにあるのかな。
それで本題に移りますが、既にもう何年も前から、日本では若者の理系離れが問題視されています。近年は以前と比べて理系の学部、学科に進学する学生数が減る一方で、さらに団塊の世代の大量退職を迎えてこれまで世界に高く評価されてきた日本の技術の継承が行われずに失われてしまうと懸念されています。
そのため政府としてもなんとしても現役高校生の理系離れを食い止めるためにいろんなイベントを催したり、税金の無駄遣いと言われながらも東京都内に三つも科学博物館を作るなどしてこの流れに歯止めをかけようとしていますが、効果は一向に現れずに現在に至っても理系への進学者は減る一方で、また現役世代への技術の継承もうまくいっていないとも伝えられています。
まず政府の対応ですが、こういうのもなんですが真面目にやっているのか非常に疑わしいです。現在においても文系卒者と理系卒者で生涯年収には大きな開きがあるといわれ、また俗に言われるポストドクター職の人間が有り余りすぎて問題になるほど人材をうまく社会に転用できていないなど、システム上の問題を解決しないで現役世代に理系に進むようにといってもそうはうまくはいかないに決まってます。
ちょっと本気で疲労感がやばいのでもう結論出しちゃいますが、私はこの際現役の高校生に理系教育を施すより、既に現役世代として社会人をやっている、文系の既卒者に対して高等教育を再び施すべきだと考えています。こう言うのも実はゆとり教育が背景にあり、以前に私塾経営者の方に聞いたのですが、以前の高校生と比べて近年の高校生は驚くほど数学の能力はもとより、計算能力でも劣っているという話を聞いており、基礎学力の観点からも現在の高校生、しかもあまり理系学部に興味を持たなくなった世代に理系高等教育を施したところで、果たしてうまく技術の継承が行えるのかという疑問があります。
それならば年齢的にも老、壮年層に当たる世代に近い上に詰め込み型教育を受けてきた世代の文系既卒者の中から技術系職転向を目指す者を集め、また一から鍛えなおした方が技術継承を行う上では適当だと考えています。
そういう意味で、まだ割と新しいにもかかわらずすっかり社会に定着した法科大学院ことロウスクールなどよりも、文型既卒者でも気軽に入れて徹底的に鍛えなおす理科大学院のような教育施設を設置することの方が社会的価値は高い気がします。そしたら名前は理科=サイエンスだから「サイスクール」とでも言うのかな、それとも技術=テクニックで、「テックスクール」かな。こっちだとなんか情報系の専門学校にしか聞こえないけど。
それで本題に移りますが、既にもう何年も前から、日本では若者の理系離れが問題視されています。近年は以前と比べて理系の学部、学科に進学する学生数が減る一方で、さらに団塊の世代の大量退職を迎えてこれまで世界に高く評価されてきた日本の技術の継承が行われずに失われてしまうと懸念されています。
そのため政府としてもなんとしても現役高校生の理系離れを食い止めるためにいろんなイベントを催したり、税金の無駄遣いと言われながらも東京都内に三つも科学博物館を作るなどしてこの流れに歯止めをかけようとしていますが、効果は一向に現れずに現在に至っても理系への進学者は減る一方で、また現役世代への技術の継承もうまくいっていないとも伝えられています。
まず政府の対応ですが、こういうのもなんですが真面目にやっているのか非常に疑わしいです。現在においても文系卒者と理系卒者で生涯年収には大きな開きがあるといわれ、また俗に言われるポストドクター職の人間が有り余りすぎて問題になるほど人材をうまく社会に転用できていないなど、システム上の問題を解決しないで現役世代に理系に進むようにといってもそうはうまくはいかないに決まってます。
ちょっと本気で疲労感がやばいのでもう結論出しちゃいますが、私はこの際現役の高校生に理系教育を施すより、既に現役世代として社会人をやっている、文系の既卒者に対して高等教育を再び施すべきだと考えています。こう言うのも実はゆとり教育が背景にあり、以前に私塾経営者の方に聞いたのですが、以前の高校生と比べて近年の高校生は驚くほど数学の能力はもとより、計算能力でも劣っているという話を聞いており、基礎学力の観点からも現在の高校生、しかもあまり理系学部に興味を持たなくなった世代に理系高等教育を施したところで、果たしてうまく技術の継承が行えるのかという疑問があります。
それならば年齢的にも老、壮年層に当たる世代に近い上に詰め込み型教育を受けてきた世代の文系既卒者の中から技術系職転向を目指す者を集め、また一から鍛えなおした方が技術継承を行う上では適当だと考えています。
そういう意味で、まだ割と新しいにもかかわらずすっかり社会に定着した法科大学院ことロウスクールなどよりも、文型既卒者でも気軽に入れて徹底的に鍛えなおす理科大学院のような教育施設を設置することの方が社会的価値は高い気がします。そしたら名前は理科=サイエンスだから「サイスクール」とでも言うのかな、それとも技術=テクニックで、「テックスクール」かな。こっちだとなんか情報系の専門学校にしか聞こえないけど。
2008年11月5日水曜日
オバマ氏の当選について
まだ本店の方でリンクが貼れなくなったことに怒りが収まらないのですが、本日アメリカで次期大統領選挙が行われて各地の予想通りにオバマ候補が当選しました。
友人の上海人などはこれまでのブッシュ政権は日本寄りであったから、アジア政策について中国寄りだといわれる民主党の候補が勝った事に素直に喜んでいます。実際にオバマ次期大統領は日本に対する言及は選挙期間中にも少なく、逆に中国については北朝鮮政策などにおいて重要なパートナーとなるなどと多く発言しており、私としても今後のアメリカのアジア政策には転換が起こるだろうと予想しています。
それよりも、本当はここでリンクを貼らなければいけないのですが何度も言っているようにそれが出来ないので文面で書くと、かなり以前の私の記事で、現在のアメリカの人口で白人とその他の有色人種の比率が既に6:4まで来ているらしいです。それで当時はこのまま行くと移民もどんどんとやってきて、また社会的に貧困層が多い有色人種の家は多産の傾向があり、あと数十年以内に人口比で過半数を逆転するだろうと予想しました。そしてそうなった際、人口の影響で議会に送り込まれる代議士も有色人種の意見を代表する者が増え、アメリカ世界の主導権も逆転するのではと書き、それに対してWASPこと白人有力者層はきっと選挙区の配置をいじるなどして恐らく主導権を譲ることに抵抗を見せるだろうと書いたのですが、まぁこの予想はいろんな意味で外れて、最高権力者に今回いきなり有色人種出身のオバマ氏が来てしまいました。
個人的な意見を言わせてもらうと、今回の選挙はアメリカにとっても非常に大きな転機になると思います。日本で言うのならそれこそ在日韓国人の方や在日中国人のような人が総理大臣になるようなもので、人種的な壁を乗り越え、実力者が相応の地位に就くべきというアメリカの精神がついに政治権力にまで及んだといえるでしょう。
恐らく批判される方もおられるでしょうが、私は外国人だろうと宇宙人なんだろうと、本当に日本のことを考えてくれ実力を持つ方ならば相応の地位につくべきだと考えており、現在日本でも問題になっている、在日韓国人などに代表される外国籍永住者の方の地方参政権については認めるべきだという立場におります。こういうのも、そもそも私自身が一般的な日本人の姿から外れていることからこれまで相当に社会的に痛めつけられた経験からの僻みも原因でしょうが、日本人の中だけで果たして本当に優秀な人材を確保できるのかという疑問があるからです。現在の政治問題にしろ社会の情勢を見ていても、この人だったらどんな問題でも解決してくれるのにとはっきりと確信させてくれるような人材が全く見当たりません。
そんな状況下で、私は日本人という枠にこだわっている場合ではない気がします。かつての歴史でも、出身にこだわらずに優秀だとわかる人材を抜擢して言った人間はその後成功しております。そして地域社会においても、投票ができるかどうかというのは当該社会の団結においても非常に大きな役割を持っております。アメリカはよく人種問題で取り上げられる国ですが、それはこの問題に真正面から取り組んできたことの現れであり、この問題を避け続けた日本とは違うからでしょう。
折も折で、日本も本当に、真剣に移民について議論しなければならない時期に来ています。外国人の社会の扱いについて、以前に書いた二重国籍の問題と合わせて考えを深めねばならない時に来ているでしょう。なんせいざ実際に日本が大変になった時に、「僕はムーンレイスなんですよー!」って言う人も出てくるかもしれないんだし。
友人の上海人などはこれまでのブッシュ政権は日本寄りであったから、アジア政策について中国寄りだといわれる民主党の候補が勝った事に素直に喜んでいます。実際にオバマ次期大統領は日本に対する言及は選挙期間中にも少なく、逆に中国については北朝鮮政策などにおいて重要なパートナーとなるなどと多く発言しており、私としても今後のアメリカのアジア政策には転換が起こるだろうと予想しています。
それよりも、本当はここでリンクを貼らなければいけないのですが何度も言っているようにそれが出来ないので文面で書くと、かなり以前の私の記事で、現在のアメリカの人口で白人とその他の有色人種の比率が既に6:4まで来ているらしいです。それで当時はこのまま行くと移民もどんどんとやってきて、また社会的に貧困層が多い有色人種の家は多産の傾向があり、あと数十年以内に人口比で過半数を逆転するだろうと予想しました。そしてそうなった際、人口の影響で議会に送り込まれる代議士も有色人種の意見を代表する者が増え、アメリカ世界の主導権も逆転するのではと書き、それに対してWASPこと白人有力者層はきっと選挙区の配置をいじるなどして恐らく主導権を譲ることに抵抗を見せるだろうと書いたのですが、まぁこの予想はいろんな意味で外れて、最高権力者に今回いきなり有色人種出身のオバマ氏が来てしまいました。
個人的な意見を言わせてもらうと、今回の選挙はアメリカにとっても非常に大きな転機になると思います。日本で言うのならそれこそ在日韓国人の方や在日中国人のような人が総理大臣になるようなもので、人種的な壁を乗り越え、実力者が相応の地位に就くべきというアメリカの精神がついに政治権力にまで及んだといえるでしょう。
恐らく批判される方もおられるでしょうが、私は外国人だろうと宇宙人なんだろうと、本当に日本のことを考えてくれ実力を持つ方ならば相応の地位につくべきだと考えており、現在日本でも問題になっている、在日韓国人などに代表される外国籍永住者の方の地方参政権については認めるべきだという立場におります。こういうのも、そもそも私自身が一般的な日本人の姿から外れていることからこれまで相当に社会的に痛めつけられた経験からの僻みも原因でしょうが、日本人の中だけで果たして本当に優秀な人材を確保できるのかという疑問があるからです。現在の政治問題にしろ社会の情勢を見ていても、この人だったらどんな問題でも解決してくれるのにとはっきりと確信させてくれるような人材が全く見当たりません。
そんな状況下で、私は日本人という枠にこだわっている場合ではない気がします。かつての歴史でも、出身にこだわらずに優秀だとわかる人材を抜擢して言った人間はその後成功しております。そして地域社会においても、投票ができるかどうかというのは当該社会の団結においても非常に大きな役割を持っております。アメリカはよく人種問題で取り上げられる国ですが、それはこの問題に真正面から取り組んできたことの現れであり、この問題を避け続けた日本とは違うからでしょう。
折も折で、日本も本当に、真剣に移民について議論しなければならない時期に来ています。外国人の社会の扱いについて、以前に書いた二重国籍の問題と合わせて考えを深めねばならない時に来ているでしょう。なんせいざ実際に日本が大変になった時に、「僕はムーンレイスなんですよー!」って言う人も出てくるかもしれないんだし。
2008年11月4日火曜日
史実としての三国志
なんか今日のこの「ブロガー」は妙です。通常、記事を書く際の画面ではリンクボタンとか文字を太字にさせるボタンがあるのに今日は表示されません。まぁ使う予定がないからいいけど、何してんだグーグルは。
それでは本題ですが、昨日の史記の話を書いたところ三国志にはフィクションが多いと聞いたがという質問をコメントで受けましたが、これは実際かなり多いです。
まず基本知識として一般に三国志と呼ばれる書物には二種類あり、三国時代が終結した直後に陳寿によって書かれた歴史書の「三国志」がすべての原典で、これはもう一つの三国志と分けるために一般には「正史三国志」と呼ばれています。これに対して十四世紀に羅慣中によって脚色をふんだんに入れて書かれたのが「三国志演義」といって、通常三国志という場合はこっちの方を指します。フィクションが多いと言われるのもちろんこっちの方です。
それでは演義にどれくらいフィクションがあるかなのですが、現地中国においても清代の歴史学者の章学誠が、「七分が真実で三分が虚構」と評しており、書かれている内容の大半は確かに真実なのですがその中にちょびっとずつフィクションが入っているために非常に読者は混乱するとも先ほどの章学誠は述べています。実際に私から見ても大体この割合で演義は書かれており、そのためよく三国志を知っている方でもフィクションと知らずに実際の歴史だと思い込んでいるということが多々あります。
では具体的にどの辺がフィクションかですが、やっぱり代表的なのは今映画が公開されている「レッドクリフ」の題材となっている赤壁の戦いの辺りでしょう。演義の中では諸葛亮が風を呼んだり周喩を馬鹿にしたりなど鬼人の如き活躍を見せ、戦いも派手な火計で一挙に総崩れともなるほど大掛かりな戦闘となっていますが、現在の研究によるとこの赤壁の戦いで曹操軍が負けた最大の原因は疫病にあるとされ、また実際の戦闘でも諸葛亮はほとんど何もせず、実質周喩一人で曹操軍を蹴散らした戦いのようです。これは周喩に限るわけじゃありませんが、やっぱり諸葛亮が人気なために彼と相対する人間は相対的に実際の歴史より低く見積もられて書かれてしまいます。曹操軍についても同じように、特に夏候淳や夏候淵らは短慮な武将としてかかれ、実際は優秀な武将であったにもかかわらず引き立て役にされてしまっています。さすがに、張遼は悪く書かれていないけど。
この張遼ですが、私の中学時代の後輩なんかはこいつが一番好きでゲームでも贔屓して使っていました。この張遼は魏軍の中で呉との最前線に立って守り続けた武将で活躍のシーンも有り余るほどなのですが、彼の場合は非常に珍しく、演義でも活躍しているのに実際の歴史ではもっとすごい活躍をしています。
何でも呉軍が十万の軍勢を引き連れてきた際には自ら奇襲をかけ、なんと七百人の兵隊で追い返したらしいです。しかもその際に逃げ遅れた部下を見つけるや再び敵軍に突撃し、部下を拾ってから帰還したというのですから化け物です。
しかしそれにしても、一番演義で悪く書かれてしまって損を食ったのはまず間違いなく魏延でしょう。演義では劉備の元に初めてやってくるなり諸葛亮に、こいつは反骨の相があるからいつかきっと裏切るから殺してしまえとまで言われてしまいます。ちなみにこのシーンでは「ジョジョの奇妙な冒険」の名セリフがパロディされて、
「くせぇー、こいつは反骨の臭いがプンプンするぜっ! 早いとここいつの首を切っちまいな、劉備さん!」
というネタがあり、一人で大爆笑してしまいました。
実際にはこの魏延は劉備に深く信頼された知友兼備の武将で、劉備の絶頂期に魏から要衝の漢中を奪った際には皆劉備の義弟の張飛が太守となるだろうと思っていたところ、なんと劉備はこの魏延を大抜擢してその地を守らせています。しかし実際の歴史でも諸葛亮が死んだ際に魏に裏切ろうとして処刑されたため、演義では徹底的に腕力はあるが短慮な武将、たとえるならミニ張飛とも言うべき役柄に不当にもされてしまっています。
そして極めつけというべきか、私が現代日本三国志の一つのスタンダードとなっている横山光輝氏による漫画版三国志を友人に貸したところ最も多かった感想が、
「魏延、普通じゃんっ!」
っていうものでした。
というのも、近年一挙に三国志が広まるきっかけとなったゲームの「三国無双」シリーズで魏延は変な仮面を被って片言の言葉しかしゃべれない世にも奇妙なキャラクターにされてしまい、これから入った友人らはてっきり魏延は異民族などの出身者かと思っていたそうです。まぁ実際、初めて見た時に私もこれはひどいと思いました。「戦国無双」の上杉謙信は石原良純の顔にしか見えないし……。
それでは本題ですが、昨日の史記の話を書いたところ三国志にはフィクションが多いと聞いたがという質問をコメントで受けましたが、これは実際かなり多いです。
まず基本知識として一般に三国志と呼ばれる書物には二種類あり、三国時代が終結した直後に陳寿によって書かれた歴史書の「三国志」がすべての原典で、これはもう一つの三国志と分けるために一般には「正史三国志」と呼ばれています。これに対して十四世紀に羅慣中によって脚色をふんだんに入れて書かれたのが「三国志演義」といって、通常三国志という場合はこっちの方を指します。フィクションが多いと言われるのもちろんこっちの方です。
それでは演義にどれくらいフィクションがあるかなのですが、現地中国においても清代の歴史学者の章学誠が、「七分が真実で三分が虚構」と評しており、書かれている内容の大半は確かに真実なのですがその中にちょびっとずつフィクションが入っているために非常に読者は混乱するとも先ほどの章学誠は述べています。実際に私から見ても大体この割合で演義は書かれており、そのためよく三国志を知っている方でもフィクションと知らずに実際の歴史だと思い込んでいるということが多々あります。
では具体的にどの辺がフィクションかですが、やっぱり代表的なのは今映画が公開されている「レッドクリフ」の題材となっている赤壁の戦いの辺りでしょう。演義の中では諸葛亮が風を呼んだり周喩を馬鹿にしたりなど鬼人の如き活躍を見せ、戦いも派手な火計で一挙に総崩れともなるほど大掛かりな戦闘となっていますが、現在の研究によるとこの赤壁の戦いで曹操軍が負けた最大の原因は疫病にあるとされ、また実際の戦闘でも諸葛亮はほとんど何もせず、実質周喩一人で曹操軍を蹴散らした戦いのようです。これは周喩に限るわけじゃありませんが、やっぱり諸葛亮が人気なために彼と相対する人間は相対的に実際の歴史より低く見積もられて書かれてしまいます。曹操軍についても同じように、特に夏候淳や夏候淵らは短慮な武将としてかかれ、実際は優秀な武将であったにもかかわらず引き立て役にされてしまっています。さすがに、張遼は悪く書かれていないけど。
この張遼ですが、私の中学時代の後輩なんかはこいつが一番好きでゲームでも贔屓して使っていました。この張遼は魏軍の中で呉との最前線に立って守り続けた武将で活躍のシーンも有り余るほどなのですが、彼の場合は非常に珍しく、演義でも活躍しているのに実際の歴史ではもっとすごい活躍をしています。
何でも呉軍が十万の軍勢を引き連れてきた際には自ら奇襲をかけ、なんと七百人の兵隊で追い返したらしいです。しかもその際に逃げ遅れた部下を見つけるや再び敵軍に突撃し、部下を拾ってから帰還したというのですから化け物です。
しかしそれにしても、一番演義で悪く書かれてしまって損を食ったのはまず間違いなく魏延でしょう。演義では劉備の元に初めてやってくるなり諸葛亮に、こいつは反骨の相があるからいつかきっと裏切るから殺してしまえとまで言われてしまいます。ちなみにこのシーンでは「ジョジョの奇妙な冒険」の名セリフがパロディされて、
「くせぇー、こいつは反骨の臭いがプンプンするぜっ! 早いとここいつの首を切っちまいな、劉備さん!」
というネタがあり、一人で大爆笑してしまいました。
実際にはこの魏延は劉備に深く信頼された知友兼備の武将で、劉備の絶頂期に魏から要衝の漢中を奪った際には皆劉備の義弟の張飛が太守となるだろうと思っていたところ、なんと劉備はこの魏延を大抜擢してその地を守らせています。しかし実際の歴史でも諸葛亮が死んだ際に魏に裏切ろうとして処刑されたため、演義では徹底的に腕力はあるが短慮な武将、たとえるならミニ張飛とも言うべき役柄に不当にもされてしまっています。
そして極めつけというべきか、私が現代日本三国志の一つのスタンダードとなっている横山光輝氏による漫画版三国志を友人に貸したところ最も多かった感想が、
「魏延、普通じゃんっ!」
っていうものでした。
というのも、近年一挙に三国志が広まるきっかけとなったゲームの「三国無双」シリーズで魏延は変な仮面を被って片言の言葉しかしゃべれない世にも奇妙なキャラクターにされてしまい、これから入った友人らはてっきり魏延は異民族などの出身者かと思っていたそうです。まぁ実際、初めて見た時に私もこれはひどいと思いました。「戦国無双」の上杉謙信は石原良純の顔にしか見えないし……。
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