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2009年4月28日火曜日

二重の革命であった明治維新

 ちょっと前に書いた鳥取の記事の中で私と叔父が一緒に海水浴に行ったことを書きましたが、その旅行中のある夜、叔父からこんなことを聞かれました。

「ところで、君はなんで明治維新は成功したと思っとる。君の得意な中国なんか何度も改革をやろうとしては失敗しておって、それと比べると日本の明治維新は出来すぎる位に大成功やったと思うんだが」
「そうですね。敢えて言うとしたら旧弊こと、幕府の老臣を一挙に排除して若くて実力のある薩長の功臣が武功によって政治の実権を握ったからじゃないでしょうか。改革が失敗する原因というのは決まって、守旧派の巻き返しによるものですし」
「そうやろなぁ。普通に考えとったらあれだけ人事が変わることなんてありえんしのぉ」

 この会話で叔父が言った通りに、日本の明治維新は世界史上でも文句なしに大成功といえる革命劇という評価でいます。そしてその原動力はなんだったのかというと、上の会話でも言っているように後腐れを完膚なきまで排除した維新の方法、薩長による旧政権の親玉である徳川幕府の倒幕があったことからだと私は見ています。

 今でもこの自分の意見に大きな間違いはないだろうと考えていますが、私もファンである歴史学者の半藤一利氏が今月の文芸春秋に「明治維新は非常の改革だった」という題の記事を寄せてあるのを読んで、明治維新にはまだこんな見方があったのかと、いつもながら思いもよらぬ所からの着眼点に文字通り目からうろこが落ちました。特に今回の記事で一番なるほどと思わせられたのが下記の引用箇所です。

「私は明治維新とは二重の革命だったのだと考えます。一つは薩長の倒幕による権力奪取。そしてもう一つは、下級武士隊殿様、上級武士の身分闘争です」

 言われることまさにその通りで、歴史に詳しい方ならわかると思いますが明治維新で活躍した偉人はほぼすべてと言ってもいいくらい下級武士の出身で、平時であれば武士の中でも同じ武士として認められない、たとえて言うなら行政上は京都市の一部なのに上京区、中京区を中心とした住民から京都市民とは認められない伏見区の住民みたいな人たちでした。ちょっとたとえが複雑すぎるかな。

 薩摩藩の西郷と大久保は二人ともその日を食うや食わずやで過ごしてきたほど貧乏な家の出身で、母親が豪商の出身だったために家は裕福ではあったもののやはり下級武士だった坂本龍馬、そして長州藩の桂、高杉、伊藤、山縣に至ってはどん底もいいところというほどの下級武士でした。ついでに言えば、幕府の側も勝海舟や福沢諭吉は下級武士出身でした。

 彼ら維新の功臣たちは明治に入るや版籍奉還や廃藩置県によって、かつて自らが率いて維新を起こした藩とその藩主たちを事実上行政の長から無理やり引きずりおろし、日本全体の実権を自らの手にすべて集めてしまいました。一部の歴史の教科書では明治維新は武士間の一種の政権闘争で、被支配層である農民を始めとした一般民衆は変わらずに支配層だけが変わっただけので革命とは呼べないとする説を主張するものもありますが、私は江戸時代の階級制度を考えると彼ら下級武士の台頭は十分に革命と呼べるほどのインパクトがあったと思え、そういう意味で半藤氏の言う二重の革命とは非常に適切な表現だと感心させられました。

 さらに半藤氏は彼ら功臣が下級武士出身者だったからこそ士族への共感が薄く後の徴兵令による士族の完全な解体も行えたとして、特に徴兵令についてはこれを主導した山縣有朋は幼少時に身分の低さから散々に同じ武士からいじめられた体験が大きかったのではないかとも述べています。
 私から付け加えると、功臣の中でも西南戦争を起こした西郷隆盛を始めとした一部の人間は士族への共感が強かったとも思えますが、歴史的に見るなら冷徹にあの時代のうちに士族を切った大久保を始めとした政府幹部の決断と実行力は後の発展の大きく寄与したでしょう。そして士族に共感した西郷や萩の乱を起こした前原一誠らの反乱は皮肉にも、徴兵令によって作られた明治軍隊に鎮圧されたことで真の意味での維新の完成を促したとも見ることが出来ます。

 半藤氏も西郷の死で維新は完成したとまとめており、革命には冷徹な非情さが必要という具合に筆をまとめており、近年の改革の成否やナポレオンのエジプト遠征時の兵士置き去り事件を思うにつけまさにその通りだと私も思います。

2009年4月27日月曜日

外国人が互いに持つイメージ

 最近また堅い内容の記事ばかり書いているので、久々に肩の力が抜けるような記事でも書こうと思います。

 さて私はこのブログでも何度も書いているように中国に留学した経験があります。向こうでは外語大学にいたのであまり中国人とは付き合うことは多くなかったのですが、その分いろんな国の人間と授業を一緒にしたりするなど交流がもてました。
 やっぱり会って話してみると国ごとにいろいろと特徴があり、ドイツ人はやっぱり皆真面目そうで日本人からしたら付き合いやすい人が多かった気がします。私と同じクラスだったクォシャオレイという中国名のドイツ人などは話し方も知的で、喫茶店にて二人きりでゆっくり話をした際にドイツの徴兵制度について直接聞けたのは幸運でした。意外と知らない人が多いですが、ドイツやフランスは今でも徴兵制度があって韓国ほど長くはありませんが男子には兵役が課せられています。

 このほかマイナーな国ではアフリカのルワンダから来ている方もいたのですが、ある授業中にその方が、

「他の国の人たちはアフリカ人は皆足が速いと思うらしいけど、俺、速くないし……(´Д`)ハァ」

 と言ったことがありましたが、別にアフリカの人に限らずどの国もイメージというのは皆いろいろと持っていました。その中で大筋で間違いじゃなかったと私が思ったのは、「ロシア人は酒飲み」というイメージで、実際にロシア人とウクライナ人と一緒にBARに行きましたが連中は飲むわ飲むわで、この時初めて私もウォッカを飲みました。悪酔いしない酒というだけあって、それほどキツイお酒だとは思いませんでしたが。

 逆にイメージと違った、というよりいい意味で引っくり返されたのはカザフスタン人でした。そのカザフスタン人は私の同級生で授業中は常に真面目で口数少なく、身長は185センチくらいもある巨体なのに行動はすこぶる穏やかで陰ながら一目置いていた人物でした。
 そのカザフスタン人の彼ですが、ある日のクラスでの飲み会で酒を飲むや豹変、とまでは行かないまでも恐ろしく性格が変わったのに驚かされました。普段は物静かなくせにやけに周りに絡むようになり、「俺の酒が飲めないのか!?」といって人のグラスに次ぐわ次ぐわで、非常に場を盛り上げてくれました。背が高いもんだから目立つのなんの……。

 そういう私こと日本人の周囲からのイメージですが、ある日授業中にフランス人の女性が、

「あなた(私)はまだまともな落ち着いた格好をしているけど、日本人や韓国人は理解できないような変な服装をいつもしているわね」

 と言われた事があります。具体的にどんな服装かというと恐らくこの人が言いたかったのは、日本人女性が来ていたような「派手すぎる普段着」なんじゃないかと思います。実際に私も、中国まで来て変な格好をしているなと思ったし。

2009年4月26日日曜日

今後の社会のあり方

 前回の記事の続きになりますが、私は今後の日本社会で個人はますます流動性を増さざるを得ないため、国の制度などもそうしたものに抜本的に変えていくべきだと考えています。

 まずこれまでとどう変わっていくのかというと、一番大きなものは終身雇用制がなくなるということです。この終身雇用制を日本社会に方向付けたのは占領下のGHQの政策委員で、日本以上に職業上の保障が整った国は他にないと本人が自負するまでにこの制度の完成度は高かったです。しかしグローバル化、また企業の方針転換などによって今では一つの会社にずっと定年まで居続けるというのは実質難しくなっております。
 参考までにこれまでの日本人男性の典型的なライフコースを説明すると、まず高校か大学まで教育期間を設けてその卒業後に就職、就職後はほとんど転職をせず(グループ会社などにはあり)そのまま定年まで勤め上げて退職後は年金で生活、というのが一応の理想のライフコースだったと言うべきでしょうか。

 しかし前回の記事で書いたようにかつては三十年持った一つのビジネスモデルがいまや三年も持たないほど社会の変化が激しくなったこの時代で、一つの会社に居続けるというのはそれだけでも至難の業です。また転職に限らなくとも再教育についても今後増えることが予想され、一旦就職してお金を貯めた後に海外に留学したり大学院に入りなおし、知識を身につけてから再び就職するというようなライフパターンも増えていくだろうし、またそうした就職後教育が今後ますます必要になってくると思います。

 しかるに日本の制度はこれほど流動性が高くなっているにも関わらず、未だ終身雇用のライフコースから外れると個人は再復帰がしづらい制度のままです。いくつか例を挙げると教育期間の終了後にすぐに就職できなかった就職氷河期の若者がニートやフリーターとして厳しい生活に追いやられ続けていたり、ブラック会社に就職してしまったので離職をしたら履歴の離職暦が再就職の足かせとなったり、果てには失業保険や生活保護費が全然行き渡らなかったりと。

 では具体的にどういう風に今後制度を私が変えて行きたいのかというと、大まかに二つに絞ると社会保障制度と税制をこれまでの制度から抜本的に入れ替えたいと考えています。
 社会保障制度は現在のところ年金、健康保険、失業保険などの支払い費用が企業に勤めている正社員であれば企業との折半いった形で支払われるので、正社員でない方の支払い費用と比べると格段に少なくて済みます。私はこれ自体が自営業者たちへの差別につながるので早くに支払い費用については統一化し、その上で本予算でないために監視が行き届かず散々不良債権を作って問題化した年金特別会計のように、こうした保険料の予算は本予算に組み込んで他の税金と合わせて使い道を決めていくべきだと思います。ま、年金については今年から霞ヶ関埋蔵金で補填してるのだからそうしないと即破綻するのだけど。
 その上で年金についてはあまりにも長すぎる加入期間を撤廃し、出来れば十年、無理なら十五年くらいで受給資格年齢に変えて行きたいです。やっぱりこの年金の受給資格が得られるまではなかなか転職に踏み切れないという人が多いというし。

 そして税制ですが、これは前から私が主張しているように現在の所得税に代表される直接税を主にする税収方法を消費税に代表される間接税を主にする方法がいいと思います。これによってどんなメリットがあるのかというと、まず直接国税だと一人一人細かく給与額を査定して税額を決めなければならないために人員と手間が多くかかります。それが消費税であれば事業者のみの査定で済むので、大胆な話年収五百万円、もしくは一千万円以下の世帯は所得税を廃止してもいいと思います。
 これがどう社会の流動性に影響するかですが、私はこうすることで企業側が人員を雇用する際に必要なコストが大きく削減されて雇いやすくするというのを狙っています。今大卒の初任給はひと月約二十万円ですが、これは本人の収入だけで実際のところ企業はこれに加えて国や自治体に払う必要のあるいろいろな費用が発生するため、アルバイトを雇う感覚でほいほいと雇えないと言われています。こうした部分を無税とする代わりに個人が生活していくうちに自然と払われる消費税を増やすことによって、企業としても試しにいろいろと人を雇いやすくなるのではないかと期待しています。

 こんな具合にいくつか腹案はありますが、要するに私はもっと転職や離職、再就職のしやすい制度に変えていくべきだと考えています。以前にも一回自分で書いて「我ながらうまいこと言うやんけ」と思った一節に、

「昔は社会流動性が低くまた決まったライフコースからこぼれ辛かったが、今は社会流動性が低いままでライフコースからこぼれやすくなった」

 と書いたことがありますが、今でも現実はこの言葉の通りだと私は思います。時代と共に周囲の環境は動くので制度は変えていかねばならず、それでも制度を何が何でも維持しようというのならかつての江戸時代のように鎖国をして時を止めるしかないでしょう。

2009年4月25日土曜日

日本の社会保障制度による固定性

 FC2ブログでやっている「陽月秘話 出張所」の方では前にも言いましたが拍手コメントといって、クリックするだけでその記事を評価するボタンがあります。管理者側はこの拍手に対して一ヶ月内の記録を全部見ることが出来るのですが、やっぱなんだかんだいって今まで書いた記事の中でも自分が力を入れた記事にはよく拍手が集まる傾向があり、公開してから月日が経っても思い出したかのように拍手が来ることがあります。

 そうした今でも拍手がたまに来る記事の中で、去年の十二月に書いた「日本で何故レイオフが行われないのか」はすこし自分でも注目しています。実はこの記事は野球で言うなら内角高目のストレートを打てるもんなら打ってみろとばかりに投げたような記事で、コメント欄に敢えてどんな返答が返って来るのかを見極めてから続編の記事を書こうとしたところ、生憎sophieさんしか返答をくれなかったのでそのまま放置したのですが、今月にもFC2の方で拍手が来て、やっぱり見てる人は見てるんだなと思い直してちょっと今日のこの記事で補足しようと思うに至りました。

 まず前回の記事ではこうした不況下などにコスト削減のために給料の数割を支給するかわりに人員を解雇、もしくは帰郷(自宅待機)させ、好況時にはまた優先的に再雇用させるというレイオフという制度に触れ、普段忙し過ぎて旅行や留学にいけない個人にとっても、景気が回復した際に業務に習熟した人員を素早く揃えなおせるという点から企業にとっても決して無意味でない制度だと思うにもかからずほとんど実施されないという現状について解説しました。前回の記事では最後の部分にて「どうして?」と敢えて読者に聞いたのですが、実は何故レイオフが日本であまり実施されないのかという理由は私の中である程度わかっていました。その理由というのも、今問題となっている年金を初めとした社会保障の制度からです。

 私が一番レイオフを阻害させている最大の原因と見ているのは日本の年金制度です。タダでさえ問題の多いこの年金制度ですが、諸外国と比べて格段に問題性が高いと感じる点はあまりにも長すぎる受給資格期間です。
 アメリカ、あと確かイギリスでも年金を受給する資格を得るには約10年間年金基金を支払えばよいのですがこれが日本だとなんと25年間という普通に考えたってあまりにも長すぎる期間で、しかも25年間払いきったところでもらえる額は生活するにはやや不足する額だといわれており、実質的にはその後も上乗せ分のために支払い続けるのが一般的です。

 この長すぎる支払い期間のためにうかつに転職、もしくは一時的とはいえ離職する事によって個人が受ける影響は大きく、しかもしっかりしない社会保険庁のため一旦離職して再就職して年金の申請もしっかり行っていたとしても現在も問題が一向に解決されない記録の紛失や削除が行われる可能性が非常に高いです。更には医療保険や失業保険なども普通に生きてる一般市民からすれば複雑怪奇な代物で、ひとことで転職をしようにもこうした制度の更新に膨大な労力がかかってきます。

 ここで話はレイオフに戻りますがもし仮に企業がこれを実行しようとしてもこうした日本の諸制度が全く対応していないため、企業としても社員管理などの面で実行すること自体が不可能なのではないかと私はにらんでいます。こうした保険、保障制度は専門外なので断言こそ出来ませんが、元々日本の雇用、社会保障制度は終身雇用を前提にしているためにこうした弊害が出てくるのではないかと思います。

 確かに終身雇用でずっとやり続けられるのに越したことはありませんが、これはうちの親父がよく言う言葉ですが、かつては一つのビジネスモデルが三十年続けられたのに対して現代は三年も持たないと、グローバル化などのもろもろの影響から日本の社会も流動性が強くならざるを得ないと現代について私は思います。そうした世の中の変化に対していくら昔みたいに固定した制度を保とうとしても無理があり、むしろ社会流動性が高くなった現実に合わせてこうした制度などを抜本的に改正し、最低限の保障が出来る社会に持っていくべきだと思います。この辺の詳しい内容についてはまた次回にて。

2009年4月24日金曜日

SMAP草彅剛氏の逮捕について

 あまり書くネタもないので、短く簡単にこのニュースについて書こうと思います。
 さて皆さんも知っての通りだと思いますが、昨日未明にSMAPの草彅氏が公然わいせつ罪で逮捕されました。この件について私の感想はというと、何故こうも警察が強権的な行動を取ったのかいろんな意味で腹が立ちました。

 別に私はSMAPのファンというわけではありませんが、今回の事件は深夜に草彅氏酔っ払って全裸になったところを捕まったという報道がされており、言ってはなんですがこんなことくらい週末になるとたくさんの酔っ払いが年がら年中よくやっていることで、警察が出てきて補導する事はあっても逮捕するということはまずないケースだと思います。しかも今回の草彅氏のケースの場合、逮捕後に草彅氏の自宅を麻薬があるかどうかを調べるために家宅捜査までした上に今日の釈放時の警察発表に至っては「逃亡、証拠隠滅の恐れがない」と、こんな事件に証拠隠滅もクソもないだろうと突っ込んだのはうちのお袋以外にもたくさんいるでしょう。

 多分こんな風に容疑内容に比べて拘束等が厳しすぎるという批判が警察に行くと、「被疑者は非常に有名な人間ゆえ社会的影響を鑑みた」などと言い訳をすると思いますが、それを考慮しても今回の警察の行動は異常なまでに厳しすぎるとしか言いようがありません。そりゃ確かに酔っ払って周囲に迷惑をかけたというのはわかりますが別に何か器物破損をしたわけでもないし、何故か外人がインタビューに答えるくらい目撃者も少なかったのだから逮捕、拘留まで行う理由なんて私にはどこにも見当たりません。一体いつから日本の警察はこうも簡単に一般市民をしょっ引くようになったのか、草彅氏の行動よりも私は今回の事件の警察の対応の方が癇に障りました。
 ついでに言えば逮捕直後に「最低の人間だ」とまで非難した上にファンから「言いすぎだ」と抗議されてあっさり発言を引っ込めた鳩山総務相についても、少なくとも「アルカイダの友達が友達だ」などと責任ある立場でありながら発言した人間よりはまだ草彅氏の方が人間的にも社会的にもマシな気がします。

 最後にもうワイドショーのコメンテーターがあちこちで言っていますが、これが芸人であればここまで騒がれることもなければ大事にならなかったと私も思います。第一、こんなことで毎回逮捕されていたら江頭2:50や小島よしおの立場はどうなるんだということになりますし、草彅氏も今回の件はあまり気にせず「こんなのかんけーねー!」とまた来週からこれまで通りに芸能活動を続けてくれればと思います。

2009年4月23日木曜日

私と鳥取

「今度、わしと鳥取行かへんか?」
「いやおじさん、俺、今度行くんですけど」

 思えば、これが私と鳥取県が関わるはじめの一歩でした。
 ある年の夏、当時京都に住んでいた私に兵庫の叔父から電話が来て、次の連休に鳥取県の海に素潜りに行くから一緒に来ないかと誘われた際のやり取りが上記の会話文です。一体何故叔父の誘いにこんな返し方をしたのかというと実はこの電話が来る約一週間前に、自動車の免許合宿先に鳥取県にある「日本海自動車学校」を選んですでに申し込みをしていたからです。そういうわけで約一ヵ月後に鳥取に行くことが決まっていた矢先の叔父からの誘いで、この時には何かとこの夏は鳥取に行くことが多いなとは思いましたが、まさかそれが今にまで続くとはこの時は全く思いもしませんでした。

 そんなわけで叔父の電話があってからしばらくしてから私は叔父の自慢のベンツ(安く買い叩いたらしいけど)に乗って鳥取に行き、民宿に泊まりながら近くの海で泳いだりサザエを取ったりして楽しく過ごしました。なおこの時スイムウェアを叔父から借りて一応着て潜ったのですが、まだ七月の中ごろだった上に体脂肪率が現在も続く10%強の体ゆえ、海に入ってもすぐに体を冷やしてどっちかって言うと海辺で日に当たっていることのが多かったです。

 この叔父との旅行から数週間後に今度は免許合宿のために鳥取の日本海自動車学校に行ったわけですが、よく教習所というと教官の不遜な態度などでストレスを溜めやすい場所とは言われていますが、この日本海自動車学校は「笑顔日本一」というのを売りにしているだけあって教官らの態度は常に良く、また教え方も非常に上手で一瞬たりとも不快な気持ちになったことはありませんでした。路上教習中も私の教習原簿を見てはよく話しかけてくれ、

「君、関東出身だとしたら鳥取は初めてじゃないの?」
「いや、実は先月に叔父と海に潜りに来てるんですよ。まさかひと夏に二回も来るとは思っていませんでしたけど」
「そうだろうなぁ。一生に一回来るか来ないかだろうな、君だったら」

 というような会話をしたりして、終始なごやかに教習を続けました。なおこの時AT限定で免許を取ったので路上教習ではよく女の子と一緒になったりしたのですが、何度か一緒になった地元の女の子が何故か運転中にカーブを曲がる際、必ず片手を一旦離してなにやら手を動かしているのを見て、

「あのさ、左右の方向をはしを持つ手で必ず確認しているでしょ」
「うるさいっ(`Д´) ムキー!」

 という風に怒られました。教官もえらい笑ってたけど。

 こうしてひと夏に二回も鳥取に行き、さすがにもうこれからはあまり訪れることがないと思っていたらその次の年の二月、ひょんなことから鳥取県出身の人間と突然友人になり、しかも同時期に日本海自動車学校に通っていたと聞いて一挙に意気投合して今でも交流が続いています。しかも当時に師事し始めてこれまた現在も交流が続いているK先生も鳥取出身だとわかり、自分はなにか鳥取と縁があるなとこの頃から意識し始めました。

 そしてそれから中国留学を経て京都に戻った際、新しく借りた下宿の近くの本屋にてついに私が出会ったのが水木しげるでした。
 その本屋は京都の本屋らしく狭いながらも商品が精選されていて当時によく通った本屋だったのですが、何故か漫画本のコーナーにはこれでもかと言うくらいに水木しげる氏の著作が常に置かれていたのを見て、少し高いが手にとってみようと買ったのが「水木しげる伝」こと水木氏の自伝漫画でした。この「水木しげる伝」から猛烈に水木氏の著作にハマりだして、水木氏が幼少の頃に住んでいた鳥取県境港市(生まれたのは実は大阪)にも興味を持ってこれまたある年の夏、今度は親父とレンタカーを借りて山陰地方を回った際に境港にも寄ってあの水木しげるロードも訪れました。

 率直な感想を言うと水木しげるロードは確かに妖怪のブロンズ像が並んでいたりして楽しかったのですが、まだ境港の持つコンテンツを完全に生かしきれていないように思いました。どっちかというと同時期ではひこにゃん擁する彦根城の周辺の方が雅な茶店や庭園があったりして、街全体の雰囲気では上だった気がします。
 とはいえ私の水木氏への情熱はこれだけで満足することはなく、境港も一度立ち寄っただけなので是非いつかは一週間くらいかけてじっくりと滞在してみたいものです。そんな風に思っていたら、何でも来年のNHKの朝ドラの原作が水木氏の奥さんの自伝小説、「ゲゲゲの女房」に決まったそうです。

 私もこの本は発売してすぐに買って書評まで書いていますが、もし境港で撮影などがあるのなら見学を兼ねてまた行ってみようかなと計画中です。私は鹿児島で生まれて物心ついてからずっと千葉で育っていますが、将来的には鳥取県か奈良県で骨をうずめたいとこの頃は思うようになりました。鳥取に埋まれば、なんとなく妖怪になって化けて出れそうだし。
 少なくとも千葉県に関しては、他の千葉県民同様にあまり郷土意識は持てません。なんで郷土意識が持てないのか研究してみたら面白そうだけど。

2009年4月22日水曜日

死の前の平等

 昨日に死刑制度について書いたばかりでSophieさんからもコメントを戴き、ちょっと思い出した面白い話があるのでここで紹介してみようと思います。その話というのも、「死神の名付け親」です。

 昔ある夫婦の下に子供が生まれたところ、その父親は公平なことが大好きな父親だったのでこの世で最も平等な人に子供の名前をつけてもらおうと考えました。すると父親の元にまず悪魔が現れて名付け親になろうと申し出たのですが、
「いや、あんたは人によって与える不幸の度合いが違うから平等じゃない」
 といって断ったところ、今度は神様が現れて同じように名付け親になろうと申し出たのですがその父親はまたしても、
「いや、あんたは全ての人間に平等に幸福を与えていないじゃないか」
 といってまたも断ったところ、今度は死神が現れて名付け親になろうと申し出てきました。すると父親は、
「あんたはどの人間にも平等に死を与える。あんたほどの平等な奴はいないから是非名付け親になってもらおう」
 こうして、その子供は死神に名前をもらったそうです。

 こんなお話ですが初めて聞いたときはなかなか含蓄の深い話だと思い、書かれている通りに人間は生きてる限りはいつかは必ず死ぬので、死という行為の前では死に至る過程は別とすると確かに皆平等なように私は思えました。
 そして実際に、このお話のように死という行為が世界に強烈に平等というものを見せ付けた歴史が過去にありました。何を隠そうそれはフランス革命で、恐らく世界で最も有名なシャルル=アンリ・サンソンの死刑執行です。

 詳しくはリンクに貼ったウィキペディアの記事を読んでもらえばわかりますが、フランスでは死刑執行人は世襲によって決められており、このシャルル=アンリ・サンソンはギロチンの音が鳴り響いたあのフランス革命時の執行人でした。
 彼の最大の不幸はなんといっても、フランス革命によって自身が強く信奉していたルイ16世の処刑を実行しなくてはならなくなったことでしょう。彼自身は熱心な王党派で国王に対しても並々ならぬ感情を持っていたようなのですが、歴史の皮肉というべきかその敬愛していた国王に対して自らの手でギロチンにかけることとなり、また執行人に対する世間の冷たい視線を感じてか死刑の廃止論者でもあったのですが時は折しも死刑の吹き荒れたフランス革命期で、恐怖政治を行ったロベスピエールによって次々と送られてくる被処刑者をサンソンは手にかけねばなりませんでした。

 このサンソンは彼自身の思想と生きた時代ゆえか様々な文物によって取り上げられていますが、私が見た中で絶妙であったのは今も連載中の漫画、「ナポレオン -獅子の時代-」(長谷川哲也)での描かれ方で、国王を処刑してサンソンが後悔の念をにじませるシーンの後、その国王を断頭台に送ったロベスピエールが今度はクーデターを受けて断頭台に送られてきた際に耳元で、
「ロベスピエール、私はあなたを断頭台にかけるのに国王程の憐憫を覚えません」
 と囁くと、顎を打ち抜かれていて声が出せないロベスピエールが心中にて、
「ああサンソンよ、私が夢見た世界というのは私と君とルイが同じテーブルを囲んで談笑する世界だったのに」
 と、声にならないロベスピエールの言葉とサンソンの執行人として立場が、「平等」という軸を間に見事に対称されて描かれていたのには舌を巻きました。

 このサンソンは後世の歴史家から「国王も革命家も皆一緒くたにギロチンにかけた」として、はからずも最初に私が引用したお話のように死の前で人間は平等ということをある意味体現したという評価を受けています。