去年のリーマンショック以降から不振が続く米国金融業会にもかかわらず、業界最大手のゴールドマンサックスは去年でこそ赤字を計上したものの、今年は現在まで黒字続きで早くも経営陣へのボーナスが大きな目玉となっております。
この報道を受けて私は、いくらゴールドマンサックスとはいえ果たしてこれほど短期で経営を回復させられるのかと文字通りいぶかしんだのですが、案の定というか今月の文芸春秋に掲載された、神谷秀樹氏による「ウォール街、強欲資本主義は死なず」という題の記事を読んでようやく合点がつきました。
この記事によると、ゴールドマンサックスやモルガンスタンレーは一部破綻した米国金融機関の債務整理などを米国政府から請負い、総額で数十億ドル以上の手数料が税金から支払われることとなっていたそうです。いわば政府が彼ら金融機関に対して直接現金を振り込むことで彼らを救済していたというだけで、実態的には経営の改善はまだ未知数だったということです。
またこの債務整理を依頼したときの政府の財務長官はハンク・ポールソンという人物で、何を隠そうこの人物は元ゴールドマンサックスの会長職にあった人物で、今回の救済も身内による決定だったそうです。
それにしても今回の不況を見るにつけ、私は改めて日本の経済は一流も一流だったと思わせられました。というのも今回アメリカで起きたリーマンショックを日本ではなんと91年のバブル崩壊時に起こしており、時代的に言えば20年近くもこの形の不況を先取りしています。日本は制度など様々な点でアメリカに10年遅れていると言われていますが、経済で言えば成長からその転落の過程を比べるにつけ随分と先を走っているように思えます。
実際にこの点についてはアメリカの経済学者らも認めており、失われた十年の間に、「とっとと不良債権を処理すればいいだけの話を、何を日本はもたもたしてるんだ!」とあからさまに批判していたポール・クルーグマンも今回のリーマンショック後は、「不良債権を処理することがこんなにも大変だとは思わなかった。今まで日本の政策を散々批判してたけど、俺ゃ間違ってたよ……」と、素直に自らの非を認めています。
この不良債権処理についての解説は敢えてここではしませんが、クルーグマンの言うとおりに確かに不良債権を処理することが不況から脱する最適の手段だと分かっていながらも、その過程で大量の失業者や社会混乱を生み出す恐れがあるために政策実行者はなかなか一歩を踏み出せないそうです。そんな舵取りが非常に難しい不良債権の処理ですが、「失われた十年」末期の日本において十年はかかると言われたその処理を、たったの二年半で目処を付けてしまった人物がいます。何を隠そう、元総務大臣の竹中平蔵氏です。
彼の行った実績や政策については私が以前に執筆した、「竹中平蔵の功罪~陽編、陰編」にて詳しく記しております。なお最近、この二つの記事への検索ワードが非常に急上昇していて不思議がっています。
はっきり言って、彼が処理した不良債権の量は常識からすればありえない量です。それだけ処理できるほど冷酷と言うべきか、任務に忠実になりきれるというべきか、その政策手腕は他の規制緩和を考慮しなければ一級ものと呼んでいいでしょう。
それだけ政策の裏の裏まで知り尽くし、なおかつ実行までしてしまう実力者となると私は目下のところ竹中氏を越える経済畑の人材はいないと見ております。もちろん今と前とでは状況も違うことから、竹中氏が今出てきたところで何の役にも立たないことも有り得ますが、一切税金をばら撒くことなく景気を浮上させた竹中氏なら今どんな政策を取るのか、個人的に非常に気になります。
また格差を広げたとして竹中政策への批判の槍玉に一番上がってくる人材派遣法についても、時代は変わるもんで下記のようなニュースが書かれる時代となりました。
・トヨタ、期間工の採用再開=1年4カ月ぶり(時事ドットコム)
これはあくまで私の読んだ印象ですが、このニュースではトヨタが期間工を採用再開したことを好意的に報じているように見えます。仮にそうであれば、かつては差別的労働手法と批判されていた自動車業界における期間工も、今のような時代では歓迎されてしまうようです。
実際にこの期間工に限らず、これまで派遣労働で日銭を稼いでいた人たちからすると現在では派遣の仕事もなくなったために日々の生活に困るような自体になっているそうです。
私自身はあくまで現在の派遣法は問題を多く抱えているとは思うものの、これを今すぐに廃止、改正するというのは非常に危険なのではないかと危惧しています。もし現在のような不況下における緊急手段として用いるのであれば、非常に悩ましいところですが認めざるを得ないところも少なからず私の中にはあります。
そうした諸々の理由を考慮した上で、竹中氏の再登板はどんなものかとこのごろ考えます。少なくとも、バラマキ以外の政策を打ち出す人はいないものかといったところでしょうか。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2009年9月13日日曜日
2009年9月12日土曜日
日本古代史の謎
久々に今日はあまり書きたい内容が浮かんでこないので、軽くインストラクション程度に日本古代史の謎をいくつかピックアップします。
まず日本が公の歴史に始めて現れるのは縄文時代です。この時代に奴国の使者が中国に赴き、当時の王朝の後漢から金印を授けられたことが記載されており、実際にその金印も江戸時代に見つかっているのでほぼ確実視していいと思います。
その次の弥生時代にはこちらも同じく中国の今度は三国志でいう魏国に卑弥呼が治めていた邪馬台国が使いを出したことが記載されていますが、この辺りからいろいろと事実関係がややこしくなってきます。
というのもその後の中国は五胡十六国時代といって、漢民族とは別の異民族が華北を制圧して非常に混乱した時代となり、隋の時代が来るまで日本のことが中国の歴史書に書かれなくなったからです。そのため邪馬台国以降の時代については日本が独自に製作した「古事記」と「日本書紀」にしか記述がないのですが、ぶっちゃけた話、この両歴史書は事実面での信頼性では非常に低い資料と言わざるを得ません。
古事記については歴史書というよりは神話文書としてみるべきで、もう一方の日本書紀は奈良時代の天皇政権の支配の正当化を説明するような内容となっているからです。
特にこの古代史において一番謎な時代というのは、推古天皇から天武天皇に至るまでの期間です。
推古天皇というのはわざわざ説明するまでもなく日本初の女性天皇で、先ほど述べた中国が隋の時代に使者を送ったのもこの推古朝です。この時代の主役と来れば聖徳太子と蘇我馬子の両名なのですが、皮肉なことに両者の一族は中大兄皇子こと天智天皇と後の藤原氏の祖となる中臣鎌足の両名による大化の改新の時代にはほとんど係累を絶たれております。蘇我氏は蘇我石川麻呂がまだいたけど。
日本書紀によると、天皇による中央集権体制を蘇我氏が阻んで自らの一族の専横を図ろうとしたため、中大兄皇子らがクーデターを起こして、その後政権を正しく導いたというような説明がなされているのですが、推古朝の蘇我馬子は明らかに天皇による中央集権体制派であり、いくらその子孫だからといってそうまで方針転換が行われるのかはなはだ疑問です。
また蘇我氏が討たれた理由の一つとして、聖徳太子の息子の山背大兄王を馬子の息子の蝦夷と孫の入鹿が殺害したことがあげられていますが、仮にも天皇の一族である聖徳太子の息子を一豪族の蘇我氏が討って何もお咎めがなかったとは俄かには信じられません。
結論を言うと、私以外にもこの説を唱える人もいるそうなのですが、私は推古朝というのは実際にはなく、当時の天皇は蘇我馬子だったのではないかと考えています。その馬子を滅ぼして自らが帝位についたというのが中大兄皇子こと天智天皇で、その後のごたごたをまとめて安定した時代を築いたのがその弟の天武天皇ではないかと見ています。
なにせ資料も何もない時代ですからいくらでも推量することが出来ますが、あれこれ話を立てて考えてみると面白い時代ではあります。
ちなみにこの蘇我氏天皇論を語る上で一番立ち位置が分からなくなるのが、日本史において最大の謎の人物とされる聖徳太子です。確かに冷静に考えるなら聖徳太子はむしろ架空の人物としてみた方がいろいろと話の筋道が通りやすいのですが、世界最古の木造建築物である法隆寺がいまだ現存していることから、やっぱり聖徳太子に当たる人物はいると私は考えております。そこら辺の込み入った話はまた暇なときにでも解説します。
まず日本が公の歴史に始めて現れるのは縄文時代です。この時代に奴国の使者が中国に赴き、当時の王朝の後漢から金印を授けられたことが記載されており、実際にその金印も江戸時代に見つかっているのでほぼ確実視していいと思います。
その次の弥生時代にはこちらも同じく中国の今度は三国志でいう魏国に卑弥呼が治めていた邪馬台国が使いを出したことが記載されていますが、この辺りからいろいろと事実関係がややこしくなってきます。
というのもその後の中国は五胡十六国時代といって、漢民族とは別の異民族が華北を制圧して非常に混乱した時代となり、隋の時代が来るまで日本のことが中国の歴史書に書かれなくなったからです。そのため邪馬台国以降の時代については日本が独自に製作した「古事記」と「日本書紀」にしか記述がないのですが、ぶっちゃけた話、この両歴史書は事実面での信頼性では非常に低い資料と言わざるを得ません。
古事記については歴史書というよりは神話文書としてみるべきで、もう一方の日本書紀は奈良時代の天皇政権の支配の正当化を説明するような内容となっているからです。
特にこの古代史において一番謎な時代というのは、推古天皇から天武天皇に至るまでの期間です。
推古天皇というのはわざわざ説明するまでもなく日本初の女性天皇で、先ほど述べた中国が隋の時代に使者を送ったのもこの推古朝です。この時代の主役と来れば聖徳太子と蘇我馬子の両名なのですが、皮肉なことに両者の一族は中大兄皇子こと天智天皇と後の藤原氏の祖となる中臣鎌足の両名による大化の改新の時代にはほとんど係累を絶たれております。蘇我氏は蘇我石川麻呂がまだいたけど。
日本書紀によると、天皇による中央集権体制を蘇我氏が阻んで自らの一族の専横を図ろうとしたため、中大兄皇子らがクーデターを起こして、その後政権を正しく導いたというような説明がなされているのですが、推古朝の蘇我馬子は明らかに天皇による中央集権体制派であり、いくらその子孫だからといってそうまで方針転換が行われるのかはなはだ疑問です。
また蘇我氏が討たれた理由の一つとして、聖徳太子の息子の山背大兄王を馬子の息子の蝦夷と孫の入鹿が殺害したことがあげられていますが、仮にも天皇の一族である聖徳太子の息子を一豪族の蘇我氏が討って何もお咎めがなかったとは俄かには信じられません。
結論を言うと、私以外にもこの説を唱える人もいるそうなのですが、私は推古朝というのは実際にはなく、当時の天皇は蘇我馬子だったのではないかと考えています。その馬子を滅ぼして自らが帝位についたというのが中大兄皇子こと天智天皇で、その後のごたごたをまとめて安定した時代を築いたのがその弟の天武天皇ではないかと見ています。
なにせ資料も何もない時代ですからいくらでも推量することが出来ますが、あれこれ話を立てて考えてみると面白い時代ではあります。
ちなみにこの蘇我氏天皇論を語る上で一番立ち位置が分からなくなるのが、日本史において最大の謎の人物とされる聖徳太子です。確かに冷静に考えるなら聖徳太子はむしろ架空の人物としてみた方がいろいろと話の筋道が通りやすいのですが、世界最古の木造建築物である法隆寺がいまだ現存していることから、やっぱり聖徳太子に当たる人物はいると私は考えております。そこら辺の込み入った話はまた暇なときにでも解説します。
2009年9月11日金曜日
今シーズン終盤の野球について
前から計画していたものの、実現が延び延びになっていたスポーツ系カテゴリーを今日から導入します。設置が遅れた理由はいくつかあるのですがそれは置いといて、これまでこのブログは社会系の記事が非常に多かったのですが今後は多角化というか、もっといろんな話題についても幅広く書いていき、ブログから発展してネット新聞のようなホームページにしたいと以前から考えていました。もっとも、これまでもカバーしている範囲は十分広かったとは思いますが……。
そんなスポーツカテゴリーの今日の一発目は、現在シーズンも真っ只中のプロ野球についてです。
こういうのもなんですが、今シーズンはなかなかに面白い展開になっている気がします。当初でこそセパ両リーグで現在一位の巨人と日ハムがぶっちぎりの強さを誇っていたものの、セリーグで巨人が強いのはまだ変わりませんが、日ハムは夏以降から徐々に調子を落としていき、先月に一軍選手数名が新型インフルエンザに罹患して出場できなくなったのが響いて現在私が贔屓にしているソフトバンクにじわりじわりとゲーム差を詰め寄られています。
またパリーグはこの一位争いも激しいのですが、それ以上に見ていて面白いのが楽天と西武による三位争いです。楽天が設立以来初のクライマックスシリーズ出場をかけて争っているだけでも盛り上がるのですが、それに対して西武も順位を追い抜かれた後はまるで歩調を合わすかのように、楽天と共にこのところ連勝を続けてきっかり3ゲーム差から離されません。
それにしても楽天は岩隈選手、田中選手の二大エースもさることながら、未だ衰え知らずの山崎武選手に現在首位打者の鉄平選手など野手陣の活躍には毎日目を見張ります。
そんなパリーグに対してセリーグの方はというと、巨人が圧倒的に強くてもうシーズン一位はほぼ確定してはいるのですが、その下の三位争いは現在熾烈を極めています。
シーズン中盤までは上位チームと下位チームの成績の差があまりにもありすぎて、私なんか七月くらいには一位から三位までは巨人、中日、ヤクルトの三チームで決まりだろうと見ていたのですが、意外や意外にここに至ってヤクルトが大失速をして(現在も連敗中(´A`)……)、今日の結果時点で四位阪神とは0.5ゲーム差、五位広島とも1.5ゲーム差にまで詰め寄られております。
このヤクルトの大失速の原因はというと、誰がどう見たって故障者の続出によるものでしょう。中盤まで今年のセーブ王かと私も期待した林昌勇選手も現在一軍に同行しておらず、そのほかの主力選手も大事な終盤に至って離脱するなど悪夢そのものでしょう。もっともこれは阪神にも言える事で、中途入団にもかかわらず打線の中軸を担ってきたブラゼル選手が故障者入りしており、このペースで三位を奪取できるかまだ未知数です。広島に至っては、ルイスのおかげとでも言うべきでしょうか。
私は当初、現在のプレーオフ制度の導入については如何なものかと思っていたのですが、導入してみると今シーズンのように最後までどのチームにも注目することが出来、やっぱり導入して正解だったと考えを改めるに至りました。野球というのはサッカーと違い、点が入るときには一挙に入るもんだから最後まで結果が分かりにくいスポーツと言われますが、それこそが野球の魅力だと言う人もおります。そう考えると、シーズン最後まで結果がわからないこのプレーオフというのはある意味野球ファンには垂涎ものの制度だったかも知れません。
そんなスポーツカテゴリーの今日の一発目は、現在シーズンも真っ只中のプロ野球についてです。
こういうのもなんですが、今シーズンはなかなかに面白い展開になっている気がします。当初でこそセパ両リーグで現在一位の巨人と日ハムがぶっちぎりの強さを誇っていたものの、セリーグで巨人が強いのはまだ変わりませんが、日ハムは夏以降から徐々に調子を落としていき、先月に一軍選手数名が新型インフルエンザに罹患して出場できなくなったのが響いて現在私が贔屓にしているソフトバンクにじわりじわりとゲーム差を詰め寄られています。
またパリーグはこの一位争いも激しいのですが、それ以上に見ていて面白いのが楽天と西武による三位争いです。楽天が設立以来初のクライマックスシリーズ出場をかけて争っているだけでも盛り上がるのですが、それに対して西武も順位を追い抜かれた後はまるで歩調を合わすかのように、楽天と共にこのところ連勝を続けてきっかり3ゲーム差から離されません。
それにしても楽天は岩隈選手、田中選手の二大エースもさることながら、未だ衰え知らずの山崎武選手に現在首位打者の鉄平選手など野手陣の活躍には毎日目を見張ります。
そんなパリーグに対してセリーグの方はというと、巨人が圧倒的に強くてもうシーズン一位はほぼ確定してはいるのですが、その下の三位争いは現在熾烈を極めています。
シーズン中盤までは上位チームと下位チームの成績の差があまりにもありすぎて、私なんか七月くらいには一位から三位までは巨人、中日、ヤクルトの三チームで決まりだろうと見ていたのですが、意外や意外にここに至ってヤクルトが大失速をして(現在も連敗中(´A`)……)、今日の結果時点で四位阪神とは0.5ゲーム差、五位広島とも1.5ゲーム差にまで詰め寄られております。
このヤクルトの大失速の原因はというと、誰がどう見たって故障者の続出によるものでしょう。中盤まで今年のセーブ王かと私も期待した林昌勇選手も現在一軍に同行しておらず、そのほかの主力選手も大事な終盤に至って離脱するなど悪夢そのものでしょう。もっともこれは阪神にも言える事で、中途入団にもかかわらず打線の中軸を担ってきたブラゼル選手が故障者入りしており、このペースで三位を奪取できるかまだ未知数です。広島に至っては、ルイスのおかげとでも言うべきでしょうか。
私は当初、現在のプレーオフ制度の導入については如何なものかと思っていたのですが、導入してみると今シーズンのように最後までどのチームにも注目することが出来、やっぱり導入して正解だったと考えを改めるに至りました。野球というのはサッカーと違い、点が入るときには一挙に入るもんだから最後まで結果が分かりにくいスポーツと言われますが、それこそが野球の魅力だと言う人もおります。そう考えると、シーズン最後まで結果がわからないこのプレーオフというのはある意味野球ファンには垂涎ものの制度だったかも知れません。
新規リンク先の追加のおしらせ
・アングラ王子の書斎
本日より上記の、「アングラ王子の書斎」と相互リンクを始めました。
FC2ブログの出張所の閲覧者にはもう大分お馴染みかもしれませんが、このサイトの管理人のアングラ王子さんにはたびたびコメントをいただいており、私の方としてもこのサイトによく楽しませてもらっているので、是非他の閲覧者の方にもと思い、今回相互リンクを結ばせていただきました。
それにしても前回に相互リンクを結んだSophieさんの「フランスの日々」のリンク開始から今日まで、随分と日が空きました。
現在相互リンク先、並びに「私もこのブログで記事を書いて発信してみたい!ヽ(`Д´)/」という記事執筆希望の方を募集中です。もし我こそはという方がおられれば、お気軽にメールアドレスまでご連絡ください。
本日より上記の、「アングラ王子の書斎」と相互リンクを始めました。
FC2ブログの出張所の閲覧者にはもう大分お馴染みかもしれませんが、このサイトの管理人のアングラ王子さんにはたびたびコメントをいただいており、私の方としてもこのサイトによく楽しませてもらっているので、是非他の閲覧者の方にもと思い、今回相互リンクを結ばせていただきました。
それにしても前回に相互リンクを結んだSophieさんの「フランスの日々」のリンク開始から今日まで、随分と日が空きました。
現在相互リンク先、並びに「私もこのブログで記事を書いて発信してみたい!ヽ(`Д´)/」という記事執筆希望の方を募集中です。もし我こそはという方がおられれば、お気軽にメールアドレスまでご連絡ください。
出産に関する噂のあれこれ
週末なので、今日はちょっとふざけた記事を書いて見ようと思います。その内容というのも、出産に関するいろんな噂についてです。
今年の七月に私は「少子化問題と若者問題」など、いくつか少子化対策についての記事をまとまって書きました。自分で言うのもなんですがこれらの記事は割りと上品に書いたつもりで、あまりふざけた内容は極力排除するようにしてまとめています。ではそういった遠慮を抜きに書いてたらどうなったのかというと、まず真っ先に取り上げていたであろうものは「ニューヨーク大停電事件」でしょう。
この事件というのは1965年にアメリカ東部で大規模な停電が起こり、一夜に渡って都市全体の電気供給がストップしたことによってニューヨークを初めとした歳で大規模な混乱が起きたという事件です。この事件は大都市が如何に惰弱なインフラに依存し切っているかを象徴させる例としてよく取り上げられるのですが、その際に付随的に、
「なお、この事件より一年後はちょっとしたベビーブームになった」
と、よく語られます。
要するに暗くなったら人間はやることはひとつしかないという意味で、それだったら少子化に苦しむ日本もこの事件例を参考に月に一日くらい、「毎月五日は子作りの日!」とばかりに病院や警察署といった必要性の高い施設を除いて、敢えて電気供給を止めてしまったらどうだろうかと提案しようと考えていました。
しかしこのニューヨーク大停電の噂は以下のサイトによると、どうもデマだったそうです。
・大停電とベビーブーム(医学都市伝説)
言われてみれば確かに実証的なデータも見たことないし、いくら暗いからってこんな突発的な停電時にそんな風に事を運ぶのかといわれれば、リンク先に書かれているようにこの噂はデマなのではという気がします。
しかし私は現代の日本は24時間営業しているコンビニを始めとして、深夜まで営業活動、サービスを行う業者があまりにも多すぎるため、独身の癖にこんなこというのもなんですが、全体で夫婦が子作りを行う時間が以前より大幅に減っているのではないかという気はします。そういう風に考えるのなら、無駄な電気を使わずに環境に貢献しようとか言って月に一日くらい、こうした深夜営業を自粛するよう官公庁で促していくのは決して無駄には終わらないんじゃないかと思います。第一、この程度の少子化対策ならお金も使わないで済むんだし。
ここで話は変わりますが、実は日本でもこの手の妙な噂を以前に私は聞いたことがあります。その噂の提供者は私の高知出身の友人で、その友人が言うには、
「よさこい祭りからちょうど一ヶ月くらいが、高知で一番堕胎が多くなるんやって」
あくまで噂の真偽は分かりませんが、なんか言われて妙に納得してしまいました。それだったら阿波踊りはどうなんだろう。
なお私にはその高知出身の友人のほかにも徳島県出身の友人がいて、それぞれが相手の県の踊りについて、
「阿波踊りなんてあんなもん、(動きが)止まっとるやろ」(高知出身)
「よさこいなんてあんなもん、下品に動くだけで振りがないやろ」(徳島出身)
こんな具合に貶しあっているのを見て、四国は本当に面白そうなところだと思いました。
今年の七月に私は「少子化問題と若者問題」など、いくつか少子化対策についての記事をまとまって書きました。自分で言うのもなんですがこれらの記事は割りと上品に書いたつもりで、あまりふざけた内容は極力排除するようにしてまとめています。ではそういった遠慮を抜きに書いてたらどうなったのかというと、まず真っ先に取り上げていたであろうものは「ニューヨーク大停電事件」でしょう。
この事件というのは1965年にアメリカ東部で大規模な停電が起こり、一夜に渡って都市全体の電気供給がストップしたことによってニューヨークを初めとした歳で大規模な混乱が起きたという事件です。この事件は大都市が如何に惰弱なインフラに依存し切っているかを象徴させる例としてよく取り上げられるのですが、その際に付随的に、
「なお、この事件より一年後はちょっとしたベビーブームになった」
と、よく語られます。
要するに暗くなったら人間はやることはひとつしかないという意味で、それだったら少子化に苦しむ日本もこの事件例を参考に月に一日くらい、「毎月五日は子作りの日!」とばかりに病院や警察署といった必要性の高い施設を除いて、敢えて電気供給を止めてしまったらどうだろうかと提案しようと考えていました。
しかしこのニューヨーク大停電の噂は以下のサイトによると、どうもデマだったそうです。
・大停電とベビーブーム(医学都市伝説)
言われてみれば確かに実証的なデータも見たことないし、いくら暗いからってこんな突発的な停電時にそんな風に事を運ぶのかといわれれば、リンク先に書かれているようにこの噂はデマなのではという気がします。
しかし私は現代の日本は24時間営業しているコンビニを始めとして、深夜まで営業活動、サービスを行う業者があまりにも多すぎるため、独身の癖にこんなこというのもなんですが、全体で夫婦が子作りを行う時間が以前より大幅に減っているのではないかという気はします。そういう風に考えるのなら、無駄な電気を使わずに環境に貢献しようとか言って月に一日くらい、こうした深夜営業を自粛するよう官公庁で促していくのは決して無駄には終わらないんじゃないかと思います。第一、この程度の少子化対策ならお金も使わないで済むんだし。
ここで話は変わりますが、実は日本でもこの手の妙な噂を以前に私は聞いたことがあります。その噂の提供者は私の高知出身の友人で、その友人が言うには、
「よさこい祭りからちょうど一ヶ月くらいが、高知で一番堕胎が多くなるんやって」
あくまで噂の真偽は分かりませんが、なんか言われて妙に納得してしまいました。それだったら阿波踊りはどうなんだろう。
なお私にはその高知出身の友人のほかにも徳島県出身の友人がいて、それぞれが相手の県の踊りについて、
「阿波踊りなんてあんなもん、(動きが)止まっとるやろ」(高知出身)
「よさこいなんてあんなもん、下品に動くだけで振りがないやろ」(徳島出身)
こんな具合に貶しあっているのを見て、四国は本当に面白そうなところだと思いました。
2009年9月10日木曜日
民主党の連立協議を見て
昨日は新聞からテレビに至るまでこぞって民主、社民、国民の三等連立合意のニュースが報じられていましたが、ちょっと昨日からあれこれ細々と動いていて全部が全部調べきれていないのですが、なんていうかどのニュースの論評も私からするといまいちな内容ばかりでした。
主に取り上げられていたのは、「安全保障上の政策の溝」と「社民、国民の党首の入閣」の二点だったと思いますが、私はこんな事実ではなく何故この連立が行われなければならないのかというその背景への言及が少なかったのが非常に残念です。
すでに知っての通りに民主党は今回の衆議院選挙で日本の議会政治史上かつてないほどの大勝を収め、単独政党としては過去最高の議席を保有するに至りました。前回の郵政選挙後の自民党は公明党と連立を組んでいたため、与党としては衆議院において三分の二以上の議席を持っていましたが、政党単独で見れば今回の民主党の獲得議席数は選挙前の自民党を上回る議席数です。
それほどまでに大勝した民主党が何故、衆参合わせて議員数がたったの十人前後の社民党と国民新党と、しかも伝え聞く限りでは彼らの要求をあれこれ飲まされた挙句に連立を組まなければならないのでしょうか。わざわざ説明するまでもないですが、この理由は現在の参議院で民主党が単独過半数に達していないためだからです。
日本の憲政上、いくら衆議院の優越が認められているとはいえ参議院にて過半数を確保していなければ与党はおちおち法案を通過させることも出来ません。今回の選挙前の自公も参議院では過半数を確保しておらず非常に厳しい国会運営を迫られましたが、それでも自公の場合は衆議院で三分の二以上の議席を保有していたことから、参議院で否決された法案でも衆議院での三分の二以上の賛成で無理やり通過させることが出来ました。しかし今回の民主党の場合は単独での議席が三分の二まで達していないためその手段を使うことが出来ず、仮に参議院で法案を否決されようものならほとんど何も出来ることがありません。うろ覚えですが確か、参議院で否決された法案は三ヶ月を経てば自然成立されたと思いますが、そんな毎回三ヶ月も待っていたらいろいろえらいことになるのは予想に難くありません。
そうした民主の懐事情を知ってか、社民も国民も今回の連立協議では終始強気だったと思います。しかし彼らの政党はあくまで十人前後の小政党です。そんな小政党が状況の有利が働いたにしても、なんでもかんでも自分らの要求を今回の選挙で国民から投票を受けた民主に行うというのはどこか筋が違っていると思います。
特に社民党については日米地位協定について今回あれこれ民主党に要求を行い、一部の民主党議員が不満を覚えるほどまで粘った挙句に自らが要求する文言を政策提言に無理やり入れさせたそうです。もちろん連立に参加するのですから要求を行うのは決して間違いではないですが、国民からそれほどまでに投票を受けたわけでもないのにここまでやるのかと、私の目からするとやや疑問に映る態度でした。こういっては何ですが、これから連立に参加して与党となるのに、まだ本人らは野党みたいに好き勝手文句が言えると勘違いしているのではないでしょうか。
その点で見ると、公明党はいろんな意味で分をわきまえていたなと今になって思います。当初こそ難色を示したものの自衛隊のイラク派遣も最後には同意したし、自分らの要求する細かな政策を実行させる代わりにあんまり機微なところまでは自民党に突っ込まなかった気がします。なんでも社民党と国民新党は民主党が公明党と連立を組むのを最も恐れているらしいですが、今の状況と比べるとさもありなんでしょう。私もこの際、社民と国民と組むくらいなら公明と民主は組んでもらいたいとすら、今回の協議経過を見ていて思ったくらいです。
主に取り上げられていたのは、「安全保障上の政策の溝」と「社民、国民の党首の入閣」の二点だったと思いますが、私はこんな事実ではなく何故この連立が行われなければならないのかというその背景への言及が少なかったのが非常に残念です。
すでに知っての通りに民主党は今回の衆議院選挙で日本の議会政治史上かつてないほどの大勝を収め、単独政党としては過去最高の議席を保有するに至りました。前回の郵政選挙後の自民党は公明党と連立を組んでいたため、与党としては衆議院において三分の二以上の議席を持っていましたが、政党単独で見れば今回の民主党の獲得議席数は選挙前の自民党を上回る議席数です。
それほどまでに大勝した民主党が何故、衆参合わせて議員数がたったの十人前後の社民党と国民新党と、しかも伝え聞く限りでは彼らの要求をあれこれ飲まされた挙句に連立を組まなければならないのでしょうか。わざわざ説明するまでもないですが、この理由は現在の参議院で民主党が単独過半数に達していないためだからです。
日本の憲政上、いくら衆議院の優越が認められているとはいえ参議院にて過半数を確保していなければ与党はおちおち法案を通過させることも出来ません。今回の選挙前の自公も参議院では過半数を確保しておらず非常に厳しい国会運営を迫られましたが、それでも自公の場合は衆議院で三分の二以上の議席を保有していたことから、参議院で否決された法案でも衆議院での三分の二以上の賛成で無理やり通過させることが出来ました。しかし今回の民主党の場合は単独での議席が三分の二まで達していないためその手段を使うことが出来ず、仮に参議院で法案を否決されようものならほとんど何も出来ることがありません。うろ覚えですが確か、参議院で否決された法案は三ヶ月を経てば自然成立されたと思いますが、そんな毎回三ヶ月も待っていたらいろいろえらいことになるのは予想に難くありません。
そうした民主の懐事情を知ってか、社民も国民も今回の連立協議では終始強気だったと思います。しかし彼らの政党はあくまで十人前後の小政党です。そんな小政党が状況の有利が働いたにしても、なんでもかんでも自分らの要求を今回の選挙で国民から投票を受けた民主に行うというのはどこか筋が違っていると思います。
特に社民党については日米地位協定について今回あれこれ民主党に要求を行い、一部の民主党議員が不満を覚えるほどまで粘った挙句に自らが要求する文言を政策提言に無理やり入れさせたそうです。もちろん連立に参加するのですから要求を行うのは決して間違いではないですが、国民からそれほどまでに投票を受けたわけでもないのにここまでやるのかと、私の目からするとやや疑問に映る態度でした。こういっては何ですが、これから連立に参加して与党となるのに、まだ本人らは野党みたいに好き勝手文句が言えると勘違いしているのではないでしょうか。
その点で見ると、公明党はいろんな意味で分をわきまえていたなと今になって思います。当初こそ難色を示したものの自衛隊のイラク派遣も最後には同意したし、自分らの要求する細かな政策を実行させる代わりにあんまり機微なところまでは自民党に突っ込まなかった気がします。なんでも社民党と国民新党は民主党が公明党と連立を組むのを最も恐れているらしいですが、今の状況と比べるとさもありなんでしょう。私もこの際、社民と国民と組むくらいなら公明と民主は組んでもらいたいとすら、今回の協議経過を見ていて思ったくらいです。
2009年9月9日水曜日
文化による時間概念の違い
うちのお袋が今ドイツに旅行に行っているので、最近は心置きなく歌を歌いながらブログを書くことが出来ます。私自身は歌うのが非常に下手なのですが、下手の横好きと言うか昔から独りになれば何かしら口ずさんでおり、特に文章を書いてる時に周りに誰もいなければ近所に聞こえるのも気にせずによく歌っています。
因みにそれが一番激しかったのは学生の頃に自殺に関するレポートを作っている時で、テーマがテーマなだけにやっててどんどんと鬱になってくるので負けじとテンションの上がるGガンダムの主題歌をずっと歌っていたら、次の日に隣に住んでた友人に、「最近の花園君はなんか元気だね」と釘を刺されました。
そんな話は置いといて、そろそろ本題に移ります。
突然ですが中国語で「明日」という単語はなんて書くか知っているでしょうか? 一般的に使われる単語は日本語にも近い感じがする「明天」と表現し、「昨日」もこんな具合に「昨天」と言うのですが、別の用法では「下天」とも使われ、「来月」という意味になると「下月」が一般的に使われております。
ただこうして眺めるだけではそれほど意識しませんが、中国語では未来の時間を表す際には「下」という文字が使われ、逆に過去の時間を表す際には「上」という文字が規則的に使われているのです。
こうした表現方法について私の恩師は、「中国では上から下に時間が流れるんだ」と言っておりましたが、言われてみると表現的にはまさにその通りで、中国語における時間の概念は上から下に下りていくような縦型をしております。
これはあくまで推測ですが、中国ではちょうど山奥の上流から平野の下流部へ河が流れるように時間のイメージが出来上がったのかもしれません。元々黄河文明というくらいですし。
そんな中国の「縦型の時間概念」に対して日本語では一体どのようなモデルをしているのかとこの前考え、「明日」と「昨日」ではどちらも太陽に関する漢字なのではっきりしませんが、「後日」と「前日」で表現してみるとなんとなく形になって比較も出来るのですが、もしこれが日本語の時間概念だとすると、日本人は「過去は正面にあって、未来は背中の後ろにある」という意味になってしまいます。まぁこの通りに過去にこだわったり、後ろ向きな国民性だと言われても否定できませんが。
では中国人によく間違えられれる日本人の私はどっちの時間概念がしっくり来るのかといえば、実はどちらもしっくりきません。そんな私が持つ時間の概念とは、ちょうど本を本棚に入れてそれを正面から見るような、縦型でもなく奥行き型でもなく、左から右に行くにしたがって未来に行くような横型のイメージです。何故このようなイメージとなったのかいえば、やはり一番大きい原因は歴史の資料集とかにある年表の影響だと思います。中には中国っぽく縦型の年表もありますが大抵が左から右へ進んでいく横型で、それを使って歴史を勉強してきたからそんなイメージなんだと思います。
このように言語に着目するだけでもいろいろな時間概念があるとわかるのですが、言語とは別にもう一つ人間の時間概念に大きく影響を与える文化があります。その文化というのも、宗教です。
これは佐藤優氏がその著作にて述べている内容なのですが、仏教の基本的な時間の概念は循環する円の形をしており、神様や世界が出来る創造期の次に現在のような安定期がやってきて、その後滅亡期が来て一旦何もかもが滅んだ後に再び創造期に戻るというのが延々と繰り返される考え方をしているそうです。私も人づてに聞く仏教やヒンドゥー教の話というのはまさにこんな具合で、この佐藤氏の説明にも深く納得できます。
そんな仏教の時間概念に対して、佐藤氏に言わせるとキリスト教ら西洋の宗教が持つ時間の概念は非常に危険な思想で、基本は一直線で過去は過去のままで未来は未来のままで、最終的には神と悪魔の最終戦争が行われて全部オジャンする考え方だそうです。
こう前置きした上で佐藤氏は、設立当初のオウム真理教はヨガなどヒンドゥー教の教えを柱としていて円の形をした時間概念を持っていたものの、坂本弁護士一家を殺害するなどカルト化する前後からキリスト教的な一直線な時間概念に変わった形跡が見られると述べています。
さすがにオウム真理教の出版物などを細かく調べていないので真偽はわかりませんが、言われてみるとどんな時間の概念を持つかというのはその個人、ひいては集団の性格を決める上で大きな要素になる気がします。それにしてもこの佐藤氏ですが、自分もキリスト教徒なのによくもまぁ「危険な思想だ」とキリスト教を言い切れる気がします。もっとも彼の出身大学はミッション系なのに、「キリスト教は虐殺を繰り返すことで信徒を増やしてきた」とまで言い切る講師がいるくらい自由な校風だそうですが。
補足
キリスト教の時間概念はイエスの生まれる前か後かで分ける様に確かに一直線ですが、英語について言えば「Next month」と「Last month」と表現していることから、未来は「次」で過去は「最後」と捉えている気がします。となると日本語と同じで日めくりカレンダーのような奥行き型をしているのですが、日本語とは逆に未来を前に見ているのがミソですね。
因みにそれが一番激しかったのは学生の頃に自殺に関するレポートを作っている時で、テーマがテーマなだけにやっててどんどんと鬱になってくるので負けじとテンションの上がるGガンダムの主題歌をずっと歌っていたら、次の日に隣に住んでた友人に、「最近の花園君はなんか元気だね」と釘を刺されました。
そんな話は置いといて、そろそろ本題に移ります。
突然ですが中国語で「明日」という単語はなんて書くか知っているでしょうか? 一般的に使われる単語は日本語にも近い感じがする「明天」と表現し、「昨日」もこんな具合に「昨天」と言うのですが、別の用法では「下天」とも使われ、「来月」という意味になると「下月」が一般的に使われております。
ただこうして眺めるだけではそれほど意識しませんが、中国語では未来の時間を表す際には「下」という文字が使われ、逆に過去の時間を表す際には「上」という文字が規則的に使われているのです。
こうした表現方法について私の恩師は、「中国では上から下に時間が流れるんだ」と言っておりましたが、言われてみると表現的にはまさにその通りで、中国語における時間の概念は上から下に下りていくような縦型をしております。
これはあくまで推測ですが、中国ではちょうど山奥の上流から平野の下流部へ河が流れるように時間のイメージが出来上がったのかもしれません。元々黄河文明というくらいですし。
そんな中国の「縦型の時間概念」に対して日本語では一体どのようなモデルをしているのかとこの前考え、「明日」と「昨日」ではどちらも太陽に関する漢字なのではっきりしませんが、「後日」と「前日」で表現してみるとなんとなく形になって比較も出来るのですが、もしこれが日本語の時間概念だとすると、日本人は「過去は正面にあって、未来は背中の後ろにある」という意味になってしまいます。まぁこの通りに過去にこだわったり、後ろ向きな国民性だと言われても否定できませんが。
では中国人によく間違えられれる日本人の私はどっちの時間概念がしっくり来るのかといえば、実はどちらもしっくりきません。そんな私が持つ時間の概念とは、ちょうど本を本棚に入れてそれを正面から見るような、縦型でもなく奥行き型でもなく、左から右に行くにしたがって未来に行くような横型のイメージです。何故このようなイメージとなったのかいえば、やはり一番大きい原因は歴史の資料集とかにある年表の影響だと思います。中には中国っぽく縦型の年表もありますが大抵が左から右へ進んでいく横型で、それを使って歴史を勉強してきたからそんなイメージなんだと思います。
このように言語に着目するだけでもいろいろな時間概念があるとわかるのですが、言語とは別にもう一つ人間の時間概念に大きく影響を与える文化があります。その文化というのも、宗教です。
これは佐藤優氏がその著作にて述べている内容なのですが、仏教の基本的な時間の概念は循環する円の形をしており、神様や世界が出来る創造期の次に現在のような安定期がやってきて、その後滅亡期が来て一旦何もかもが滅んだ後に再び創造期に戻るというのが延々と繰り返される考え方をしているそうです。私も人づてに聞く仏教やヒンドゥー教の話というのはまさにこんな具合で、この佐藤氏の説明にも深く納得できます。
そんな仏教の時間概念に対して、佐藤氏に言わせるとキリスト教ら西洋の宗教が持つ時間の概念は非常に危険な思想で、基本は一直線で過去は過去のままで未来は未来のままで、最終的には神と悪魔の最終戦争が行われて全部オジャンする考え方だそうです。
こう前置きした上で佐藤氏は、設立当初のオウム真理教はヨガなどヒンドゥー教の教えを柱としていて円の形をした時間概念を持っていたものの、坂本弁護士一家を殺害するなどカルト化する前後からキリスト教的な一直線な時間概念に変わった形跡が見られると述べています。
さすがにオウム真理教の出版物などを細かく調べていないので真偽はわかりませんが、言われてみるとどんな時間の概念を持つかというのはその個人、ひいては集団の性格を決める上で大きな要素になる気がします。それにしてもこの佐藤氏ですが、自分もキリスト教徒なのによくもまぁ「危険な思想だ」とキリスト教を言い切れる気がします。もっとも彼の出身大学はミッション系なのに、「キリスト教は虐殺を繰り返すことで信徒を増やしてきた」とまで言い切る講師がいるくらい自由な校風だそうですが。
補足
キリスト教の時間概念はイエスの生まれる前か後かで分ける様に確かに一直線ですが、英語について言えば「Next month」と「Last month」と表現していることから、未来は「次」で過去は「最後」と捉えている気がします。となると日本語と同じで日めくりカレンダーのような奥行き型をしているのですが、日本語とは逆に未来を前に見ているのがミソですね。
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