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2009年9月9日水曜日

文化による時間概念の違い

 うちのお袋が今ドイツに旅行に行っているので、最近は心置きなく歌を歌いながらブログを書くことが出来ます。私自身は歌うのが非常に下手なのですが、下手の横好きと言うか昔から独りになれば何かしら口ずさんでおり、特に文章を書いてる時に周りに誰もいなければ近所に聞こえるのも気にせずによく歌っています。
 因みにそれが一番激しかったのは学生の頃に自殺に関するレポートを作っている時で、テーマがテーマなだけにやっててどんどんと鬱になってくるので負けじとテンションの上がるGガンダムの主題歌をずっと歌っていたら、次の日に隣に住んでた友人に、「最近の花園君はなんか元気だね」と釘を刺されました。

 そんな話は置いといて、そろそろ本題に移ります。
 突然ですが中国語で「明日」という単語はなんて書くか知っているでしょうか? 一般的に使われる単語は日本語にも近い感じがする「明天」と表現し、「昨日」もこんな具合に「昨天」と言うのですが、別の用法では「下天」とも使われ、「来月」という意味になると「下月」が一般的に使われております。
 ただこうして眺めるだけではそれほど意識しませんが、中国語では未来の時間を表す際には「下」という文字が使われ、逆に過去の時間を表す際には「上」という文字が規則的に使われているのです。

 こうした表現方法について私の恩師は、「中国では上から下に時間が流れるんだ」と言っておりましたが、言われてみると表現的にはまさにその通りで、中国語における時間の概念は上から下に下りていくような縦型をしております。
 これはあくまで推測ですが、中国ではちょうど山奥の上流から平野の下流部へ河が流れるように時間のイメージが出来上がったのかもしれません。元々黄河文明というくらいですし。

 そんな中国の「縦型の時間概念」に対して日本語では一体どのようなモデルをしているのかとこの前考え、「明日」と「昨日」ではどちらも太陽に関する漢字なのではっきりしませんが、「後日」と「前日」で表現してみるとなんとなく形になって比較も出来るのですが、もしこれが日本語の時間概念だとすると、日本人は「過去は正面にあって、未来は背中の後ろにある」という意味になってしまいます。まぁこの通りに過去にこだわったり、後ろ向きな国民性だと言われても否定できませんが。

 では中国人によく間違えられれる日本人の私はどっちの時間概念がしっくり来るのかといえば、実はどちらもしっくりきません。そんな私が持つ時間の概念とは、ちょうど本を本棚に入れてそれを正面から見るような、縦型でもなく奥行き型でもなく、左から右に行くにしたがって未来に行くような横型のイメージです。何故このようなイメージとなったのかいえば、やはり一番大きい原因は歴史の資料集とかにある年表の影響だと思います。中には中国っぽく縦型の年表もありますが大抵が左から右へ進んでいく横型で、それを使って歴史を勉強してきたからそんなイメージなんだと思います。

 このように言語に着目するだけでもいろいろな時間概念があるとわかるのですが、言語とは別にもう一つ人間の時間概念に大きく影響を与える文化があります。その文化というのも、宗教です。
 これは佐藤優氏がその著作にて述べている内容なのですが、仏教の基本的な時間の概念は循環する円の形をしており、神様や世界が出来る創造期の次に現在のような安定期がやってきて、その後滅亡期が来て一旦何もかもが滅んだ後に再び創造期に戻るというのが延々と繰り返される考え方をしているそうです。私も人づてに聞く仏教やヒンドゥー教の話というのはまさにこんな具合で、この佐藤氏の説明にも深く納得できます。

 そんな仏教の時間概念に対して、佐藤氏に言わせるとキリスト教ら西洋の宗教が持つ時間の概念は非常に危険な思想で、基本は一直線で過去は過去のままで未来は未来のままで、最終的には神と悪魔の最終戦争が行われて全部オジャンする考え方だそうです。
 こう前置きした上で佐藤氏は、設立当初のオウム真理教はヨガなどヒンドゥー教の教えを柱としていて円の形をした時間概念を持っていたものの、坂本弁護士一家を殺害するなどカルト化する前後からキリスト教的な一直線な時間概念に変わった形跡が見られると述べています。

 さすがにオウム真理教の出版物などを細かく調べていないので真偽はわかりませんが、言われてみるとどんな時間の概念を持つかというのはその個人、ひいては集団の性格を決める上で大きな要素になる気がします。それにしてもこの佐藤氏ですが、自分もキリスト教徒なのによくもまぁ「危険な思想だ」とキリスト教を言い切れる気がします。もっとも彼の出身大学はミッション系なのに、「キリスト教は虐殺を繰り返すことで信徒を増やしてきた」とまで言い切る講師がいるくらい自由な校風だそうですが。

  補足
 キリスト教の時間概念はイエスの生まれる前か後かで分ける様に確かに一直線ですが、英語について言えば「Next month」と「Last month」と表現していることから、未来は「次」で過去は「最後」と捉えている気がします。となると日本語と同じで日めくりカレンダーのような奥行き型をしているのですが、日本語とは逆に未来を前に見ているのがミソですね。

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