事業仕分けの終わった今現在で最もホットな政治の話題とくれば、それはやはり鳩山由紀夫首相の偽装献金問題でしょう。この膨大な額の献金の出所について検察は、その大半に当たる9億円は鳩山首相の母親から出されていたものと発表し、近く秘書とともに現在は手術直後という事で見合わせていますが鳩山首相の母親も聴取を行うことに決めたそうです。
今回のこの献金騒動は結局なんだったのかと言うと、前からも申しておりますが結局の所は体のいい脱税だったというのが真相と見てもう間違いはないでしょう。前に私が書いた「鳩山首相の献金疑惑について」の記事にも書いていますが政治資金団体が管理する資金であれば相続税が発生しないため、恐らく鳩山首相の母親は自分の生前の間に保有する資産を相続税に取られる前に子供に委譲しようとして今回の事件を起こしたのでしょう。
これに対して鳩山首相は母親からそのような献金が行われているとは知らなかったと強弁しておりますが、自分の資金管理団体に九億円もの、しかも身内から融資が行われていたにも関わらず知らなかったと言うには一般の感覚からしたら無理があります。また仮にそうだったとしても、今回の疑惑の発端となった総選挙前に発覚した故人からの献金疑惑について鳩山首相は自己調査を行ったと説明してましたが、その調査時にどうして気がつかないというのもまたおかしな話です。もっともその時の事故調査報告も、今度は本当に献金した人を献金リストから外すなどザルな調査もいいところでしたが。
この鳩山氏の献金疑惑について佐野眞一氏がその著書「鳩山一族 その金脈と血脈」(文春新書)において、他の政治家が活動資金の捻出に苦しむ中、鳩山家は逆にその有り余る資産によって首を絞められると評していましたが、まさにこの言葉が示すとおりの結果となってしまいました。
ただこの事件で気になるのが、前回の記事でも最後にちょこっとだけ書いていた弟の鳩山邦夫氏についての疑惑です。
・偽装献金、鳩山邦氏に説明求める=自民・谷垣氏(時事ドットコム)
つい昨日から邦夫氏についてもこのようなニュースが報じられるようになりましたが、やはりというか邦夫氏の政治団体にも母親から4億円も献金されていたそうです。
ただこの件について邦夫氏は、「わたしは見たことも触ったことも聞いたこともないから、全く分からない」と答えており、由紀夫氏ならいざ知らず言わなくともいい事まで言ってしまうほど嘘がつけない邦夫氏の性格からするとなかなか無視できない発言です。邦夫氏がこう言うのであれば由紀夫氏が知らなかったと主張するのも、私の中では俄然信憑性が増します。
しかしそうなると、やっぱりこの偽装献金は鳩山氏の母親の独断+秘書の協力によって行われた事になってしまいます。佐野氏も述べていますが、母親の過剰な保護が息子を駄目にしてしまう一例になってしまうかもしれません。
おまけ
選挙前に民主党がマニフェストに掲げていた高速道路無料化ですが、本日政府は予算が足りないのと国民からの反発が強い事から来年度は北海道に限定して実験的に実施する案を発表しました。このニュースを聞いて私が咄嗟に思ったのは、北海道と来ると鳩山首相の選挙区で、なおかつ前回選挙では敗北したものの自民党の重鎮議員が数多くいる地域です。この北海道限定での高速道路無料化案は実験というのは建前で、実際の所は次回の選挙対策という意味合いの方が強いのではないかと感じた次第です。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2009年12月3日木曜日
2009年12月2日水曜日
ガンダムのOVA作品について
たまには趣味の事も書こうかと思うので、ガンダムのOVA作品について書きます。
それにしてもこの「OVA」という略称ですけど、意味は「オリジナルビデオアニメ」なのですが、90年代後半まではOAVといって、「オリジナルアニメビデオ」という同じ意味の略称もよく使われていたのですが時代とともにいつの間にかOVAに統一されていきました。まぁOAVだと「オリジナルアダルトビデオ」とも読めちゃうし、OVAの方が私もいいと思ってたけどさ。
話は本題に入りますが、ガンダムシリーズのOVA作品は複数あって、今回私が槍玉に挙げるのは「0083 スターダストメモリーズ」と「08MS小隊」です。両者ともセールス的には非常に成功した作品なのですが、私の感想はどちらも決してそのセールスに見合うほどの作品ではないとあまり評価しておりません。その理由はというとどちらもメインであるMSの造形についてはそれほど不満はないのですが、両作品ともあまりにもストーリーの展開がだるく、なんていうか三文芝居を見させられているように感じるためだからです。
具体的にどのような点が不満なのかというと、まず「0083」については私以外にもあっちこっちでいわれているようにヒロインのあのふざけた立ち位置ぶりに呆れさせられます。この作品はMSが敵役に奪われるシーンから始まるのですが、その強奪される瞬間を主人公とヒロインも目撃しているにも関わらず、何故かストーリーの後半になって突然その敵役がヒロインの元彼という設定が付け足されてしまうのです。ヒロインも強奪されるシーンにて敵役の顔をはっきり見ていて「誰だ?」とも言っているにもかかわらず、後半で元彼と設定されたばかりか主人公から離れてその敵役の側につくなど、その背信振りには今もネット上で「ガンダムシリーズ、最低のヒロイン」とまで揶揄されている程です。
そんな「0083」に対してその後に作られた「08MS小隊」ですが、この作品については私は先程も言ったようにくだらない三文芝居が延々に続くように見た当初感じました。どんな所が三文芝居なのかというと、まず気弱だが心優しい部隊長である主人公が、小隊内の自分に心酔する部下や甘ちゃんだと見下す部下を率いて戦い、戦闘の中で敵軍の士官と恋に落ちて周りからもスパイかもと勘ぐられて、最後はみんなうっちゃってヒロインである敵軍士官と敵の謎の巨大兵器と戦うという、本当にこの程度の話です。
それでもこの作品の前半部は東南アジアの密林の中でのゲリラ戦のような戦いが描かれており、その中の心理描写などはそこそこ面白かったのですが、なんか中盤に入ってヒロインとの絡みが多くなるにつれて段々と話がクサくなってきて、終盤に至ってはトチ狂ったヒロインの兄がヒロインが裏切ったと疑って銃で撃つのですが、打たれた弾がたまたまヒロインの持っていた写真入りロケットに当たって命が助かるという、今時コロコロコミックでもやらないようなクサい話が展開されていきます。
ただこんだけクサい作品において唯一の救いとも取れるのが敵軍における中年軍人が圧倒的不利な状況の中、孤軍奮闘して次々とMSを破壊していくという戦闘シーンです。二児の父親ですでに40代の私の従兄弟の旦那なんて、今でも私に会うたびにこのシーンを話題に上げてくるので子供にまで、「父ちゃんの頭の中はドイツとグフだけや」とも言われております。
という具合で散々に批判している両作品ですが、なんかこの前調べてみるとどちらも製作途中で監督が入れ替わっているそうです。そのためストーリー展開も途中でひっくり返されている所が多々あり、特に「0083」の後半の例のくだりについては一部スタッフからも明らかに前半との間に齟齬が生まれると反対されながらもあの展開が押し切られたそうです。
こういった作品のストーリーは決して一人が決めるのでなく脚本スタッフがみんなで話し合って作られるそうですが、それを推しても両方ともとんでもない方向に舵を切ったなと思ってしまいます。逆にこれはOVAではありませんが、同じガンダムシリーズでも映画の「F91」はたった二時間の映像の中によくもあれだけのストーリーを詰め込んだものだと見る度に感心させられます。それゆえか、先程に出てきた従兄弟の旦那も「F91」を最高傑作だとしきりに主張してきます。
それにしてもこの「OVA」という略称ですけど、意味は「オリジナルビデオアニメ」なのですが、90年代後半まではOAVといって、「オリジナルアニメビデオ」という同じ意味の略称もよく使われていたのですが時代とともにいつの間にかOVAに統一されていきました。まぁOAVだと「オリジナルアダルトビデオ」とも読めちゃうし、OVAの方が私もいいと思ってたけどさ。
話は本題に入りますが、ガンダムシリーズのOVA作品は複数あって、今回私が槍玉に挙げるのは「0083 スターダストメモリーズ」と「08MS小隊」です。両者ともセールス的には非常に成功した作品なのですが、私の感想はどちらも決してそのセールスに見合うほどの作品ではないとあまり評価しておりません。その理由はというとどちらもメインであるMSの造形についてはそれほど不満はないのですが、両作品ともあまりにもストーリーの展開がだるく、なんていうか三文芝居を見させられているように感じるためだからです。
具体的にどのような点が不満なのかというと、まず「0083」については私以外にもあっちこっちでいわれているようにヒロインのあのふざけた立ち位置ぶりに呆れさせられます。この作品はMSが敵役に奪われるシーンから始まるのですが、その強奪される瞬間を主人公とヒロインも目撃しているにも関わらず、何故かストーリーの後半になって突然その敵役がヒロインの元彼という設定が付け足されてしまうのです。ヒロインも強奪されるシーンにて敵役の顔をはっきり見ていて「誰だ?」とも言っているにもかかわらず、後半で元彼と設定されたばかりか主人公から離れてその敵役の側につくなど、その背信振りには今もネット上で「ガンダムシリーズ、最低のヒロイン」とまで揶揄されている程です。
そんな「0083」に対してその後に作られた「08MS小隊」ですが、この作品については私は先程も言ったようにくだらない三文芝居が延々に続くように見た当初感じました。どんな所が三文芝居なのかというと、まず気弱だが心優しい部隊長である主人公が、小隊内の自分に心酔する部下や甘ちゃんだと見下す部下を率いて戦い、戦闘の中で敵軍の士官と恋に落ちて周りからもスパイかもと勘ぐられて、最後はみんなうっちゃってヒロインである敵軍士官と敵の謎の巨大兵器と戦うという、本当にこの程度の話です。
それでもこの作品の前半部は東南アジアの密林の中でのゲリラ戦のような戦いが描かれており、その中の心理描写などはそこそこ面白かったのですが、なんか中盤に入ってヒロインとの絡みが多くなるにつれて段々と話がクサくなってきて、終盤に至ってはトチ狂ったヒロインの兄がヒロインが裏切ったと疑って銃で撃つのですが、打たれた弾がたまたまヒロインの持っていた写真入りロケットに当たって命が助かるという、今時コロコロコミックでもやらないようなクサい話が展開されていきます。
ただこんだけクサい作品において唯一の救いとも取れるのが敵軍における中年軍人が圧倒的不利な状況の中、孤軍奮闘して次々とMSを破壊していくという戦闘シーンです。二児の父親ですでに40代の私の従兄弟の旦那なんて、今でも私に会うたびにこのシーンを話題に上げてくるので子供にまで、「父ちゃんの頭の中はドイツとグフだけや」とも言われております。
という具合で散々に批判している両作品ですが、なんかこの前調べてみるとどちらも製作途中で監督が入れ替わっているそうです。そのためストーリー展開も途中でひっくり返されている所が多々あり、特に「0083」の後半の例のくだりについては一部スタッフからも明らかに前半との間に齟齬が生まれると反対されながらもあの展開が押し切られたそうです。
こういった作品のストーリーは決して一人が決めるのでなく脚本スタッフがみんなで話し合って作られるそうですが、それを推しても両方ともとんでもない方向に舵を切ったなと思ってしまいます。逆にこれはOVAではありませんが、同じガンダムシリーズでも映画の「F91」はたった二時間の映像の中によくもあれだけのストーリーを詰め込んだものだと見る度に感心させられます。それゆえか、先程に出てきた従兄弟の旦那も「F91」を最高傑作だとしきりに主張してきます。
2009年12月1日火曜日
エリート教育は必要なのか
リンク相手のSophieさんの「フランスの日々」にて昨日、「フランスで将来リーダーになる運命を感じて成長する人たち」という、フランスにおけるエリート教育について解説されている記事がアップされました。大まかな内容を私の解釈で述べると、フランスでのエリート教育の場であるグランゼコールの社会的価値と一般人の評価、そしてグランゼコール出身者のその後の人生の歩み方について書かれてあります。
この記事の中では日本とフランスのエリート教育の違いについても簡単に触れられているのですが、ちょうどこの辺りの記事を書こうと思っていた矢先なので便乗する形で、日本でエリート教育は必要なのかどうかについて私の考えを紹介しようと思います。
まずいきなりなんですが、私はつい三ヶ月前までエリート教育はやはり世の中に必要なのではないかと考えておりました。何故そう考えたのかというとこれまで私が生きてきた経験から、基本的に仕事というのはよっぽど特殊なものでない限りは誰がどんな仕事をやるかというより、どれだけその仕事をやってきたのかによって能率や成功率が決まるように思えてきたからです。これは単純に言い換えるなら「理論より経験」、「Don't think, feel(#゚Д゚) !!(考えるな、感じろ)」、のようなもので、陶芸などの伝統工芸からオフィスでのデスクワークに至るまで、それぞれの作業系統ごとに理論知より経験知の方が仕事に及ぼす影響力が高いのではないかというわけです。
仮にもしこの通りに個人の資質以上に経験が作業の効率に影響を与えるのであれば、下手に作業をころころ変えるよりも自分が生涯をかけて専門とする仕事に若いうちから携わるに越した事はなく、非常に高い能力や専門性が求められる上になかなか経験を積み辛い経営者や政治家といったリーダー職には少しでも個人的資質の高いエリートに絞って経験させ、育てるべきではないかと私は考えたわけです。
はっきり言って同じ会社の仕事でも一般事務と経営ではあまりにも仕事内容に繋がりが薄く、やるだけ全く無駄というわけではありませんが、その会社を将来背負って立つような人材を作るのであれば早くから経営に関わる仕事をやらせるべきかと思っていたわけです。
現に欧米、特にSophieさんの取り上げたフランスや階級社会のイギリスではこの傾向が非常に強く、出身大学や専門性によって入社時から社員同士に待遇面や責任範囲において大きな差があり、その差は時間とともにますます開いていくとまで言われております。
しかしここまで読んでもらえばもう想像はつくでしょうが、現時点で私はこのようなエリート教育論が何が何でも悪いとまでは言うわけではありませんが、従来の日本の入社時のスタートラインは同じという平等なシステムも負けてはいないように考えております。もちろんこちらも、何が何でもいいと言うつもりはありませんが。
何故このように立場を三ヶ月前に変えるようになったのかというと、ちょうどその頃このエリート教育の必要性についてあれこれ考えている時に恩師に会い、この件について尋ねてみると次のようなエピソードを教えてくれました。
「昔の日本の会社は高卒だろうが東大卒だろうが新入社員はみんな底辺の仕事からやらされていました。国鉄などは典型で、切符切りから信号係などいわゆるブルーカラー系の仕事を主にやらせていました。
確かにこのような仕事は一見すると将来出世して経営者となる人物が担う仕事と無縁そうに見えますが、私が以前に会ったある会社の社長は一番最初に会社のクレーム担当の仕事をやらされたそうで、そのときにいろんな会社からクレームを受けて対応していた事でどのような事態が起きると大問題に発展するのか、どの取引先が口うるさくてどの取引先が自社にとって大口なのかなどと、社長となるのに必要な知識を実際に社長になった時点で始めから持ち合わせていたそうです」
こう踏まえた上で先生は、末端の仕事というものは実際には経営知識の宝庫のような場所で、たとえ短い期間でもそういった仕事に触れる事が将来経営者になる上でも非常に重要だと私に教えてくれました。
この先生の話を聞いた後に自分でも改めてこの件について考えてみたのですが、考えれば考えるほど会社の末端として働く重要性の方がエリート教育よりも必要性が高いのではと思い直すようになってきました。先生の言われる現場にある経営知識はもとより、私が独自に着目したのは近年の企業が起こした事件や事故の原因でした。
近年に起こった企業の事件や事故は様々ですが、それらがどうして起きたかという根本的原因を探っていくとそのどれもが経営陣による現場の声の無視が大きな要因となっている例が非常に多く思えます。かつての三菱ふそうの欠陥車問題など、現場では問題だと報告されていた事実が上層部によって無視、もしくは黙殺をされたことで大問題に発展してしまったケースが多々あり、こうした例を見ていてよく思うのは青島刑事じゃないけど、「作業は現場でやってるんだ、社長室じゃない!」と思うくらいの現場作業員と経営陣の意思疎通の乖離です。
この現場と経営の乖離ですが、すでに今の日本でも大分起きちゃっていますが欧米のようなエリート教育やシステムでエリートが始めから経営の側で仕事をするとなると、ますますこの乖離が大きくなるのではないかという気がします。逆を言えば末端からスタートさせる昔の日本の教育システムにて現場と経営の双方の立場を経験させる事で会社全体を見渡せる人材を作れるのであれば、それは欧米のエリート教育で生まれる経営技術に特化した人材にも決して引けを取らないのではないかとも思います。
無論社長や役員といったポストは限られているので、スタートラインは一緒ながらも中年に差し掛かる頃からは徐々に育てる人材を絞る必要はあるとは思いますが、それでも最初に新入社員全員が末端の仕事に就くという価値は計り知れないでしょう。
近年は日本の企業でも入社時の差別化が進んでいると言われており、先程挙げた国鉄こと現JRでも駅職員はバイトの人員がやることが増えてきましたが、初心に帰って末端の現場を社員に体験させるのも一考かと思います。ただ体験するのは新入社員よりも、社長や役員といった人の方が初心に変える意味では価値が高いかもしれません。JRの社長がラッシュ時の乗員を押し込める仕事やるとしたらいろいろと面白そうだけど。
ただ一つ残念なのは、恐らく新入社員時代にそのような末端の仕事をやっていたであろう現JR西日本の経営陣による、福知山線脱線事故の対応は事故報告書作成の委員を買収しようとするなどあまりにも一般感覚とずれたものばかりで、経験したとはいえ何十年も立てば現場のことなんてわからなくなるものなのかと自信をなくしてしまいます。
その一方、不況で人員調整が難しかった事から今年のトヨタは創業以来初めて大卒新入社員を一時工場のラインに並べたそうです。これらの社員が将来大活躍してくれれば、私も多少は自信を持ち直すのですが。
この記事の中では日本とフランスのエリート教育の違いについても簡単に触れられているのですが、ちょうどこの辺りの記事を書こうと思っていた矢先なので便乗する形で、日本でエリート教育は必要なのかどうかについて私の考えを紹介しようと思います。
まずいきなりなんですが、私はつい三ヶ月前までエリート教育はやはり世の中に必要なのではないかと考えておりました。何故そう考えたのかというとこれまで私が生きてきた経験から、基本的に仕事というのはよっぽど特殊なものでない限りは誰がどんな仕事をやるかというより、どれだけその仕事をやってきたのかによって能率や成功率が決まるように思えてきたからです。これは単純に言い換えるなら「理論より経験」、「Don't think, feel(#゚Д゚) !!(考えるな、感じろ)」、のようなもので、陶芸などの伝統工芸からオフィスでのデスクワークに至るまで、それぞれの作業系統ごとに理論知より経験知の方が仕事に及ぼす影響力が高いのではないかというわけです。
仮にもしこの通りに個人の資質以上に経験が作業の効率に影響を与えるのであれば、下手に作業をころころ変えるよりも自分が生涯をかけて専門とする仕事に若いうちから携わるに越した事はなく、非常に高い能力や専門性が求められる上になかなか経験を積み辛い経営者や政治家といったリーダー職には少しでも個人的資質の高いエリートに絞って経験させ、育てるべきではないかと私は考えたわけです。
はっきり言って同じ会社の仕事でも一般事務と経営ではあまりにも仕事内容に繋がりが薄く、やるだけ全く無駄というわけではありませんが、その会社を将来背負って立つような人材を作るのであれば早くから経営に関わる仕事をやらせるべきかと思っていたわけです。
現に欧米、特にSophieさんの取り上げたフランスや階級社会のイギリスではこの傾向が非常に強く、出身大学や専門性によって入社時から社員同士に待遇面や責任範囲において大きな差があり、その差は時間とともにますます開いていくとまで言われております。
しかしここまで読んでもらえばもう想像はつくでしょうが、現時点で私はこのようなエリート教育論が何が何でも悪いとまでは言うわけではありませんが、従来の日本の入社時のスタートラインは同じという平等なシステムも負けてはいないように考えております。もちろんこちらも、何が何でもいいと言うつもりはありませんが。
何故このように立場を三ヶ月前に変えるようになったのかというと、ちょうどその頃このエリート教育の必要性についてあれこれ考えている時に恩師に会い、この件について尋ねてみると次のようなエピソードを教えてくれました。
「昔の日本の会社は高卒だろうが東大卒だろうが新入社員はみんな底辺の仕事からやらされていました。国鉄などは典型で、切符切りから信号係などいわゆるブルーカラー系の仕事を主にやらせていました。
確かにこのような仕事は一見すると将来出世して経営者となる人物が担う仕事と無縁そうに見えますが、私が以前に会ったある会社の社長は一番最初に会社のクレーム担当の仕事をやらされたそうで、そのときにいろんな会社からクレームを受けて対応していた事でどのような事態が起きると大問題に発展するのか、どの取引先が口うるさくてどの取引先が自社にとって大口なのかなどと、社長となるのに必要な知識を実際に社長になった時点で始めから持ち合わせていたそうです」
こう踏まえた上で先生は、末端の仕事というものは実際には経営知識の宝庫のような場所で、たとえ短い期間でもそういった仕事に触れる事が将来経営者になる上でも非常に重要だと私に教えてくれました。
この先生の話を聞いた後に自分でも改めてこの件について考えてみたのですが、考えれば考えるほど会社の末端として働く重要性の方がエリート教育よりも必要性が高いのではと思い直すようになってきました。先生の言われる現場にある経営知識はもとより、私が独自に着目したのは近年の企業が起こした事件や事故の原因でした。
近年に起こった企業の事件や事故は様々ですが、それらがどうして起きたかという根本的原因を探っていくとそのどれもが経営陣による現場の声の無視が大きな要因となっている例が非常に多く思えます。かつての三菱ふそうの欠陥車問題など、現場では問題だと報告されていた事実が上層部によって無視、もしくは黙殺をされたことで大問題に発展してしまったケースが多々あり、こうした例を見ていてよく思うのは青島刑事じゃないけど、「作業は現場でやってるんだ、社長室じゃない!」と思うくらいの現場作業員と経営陣の意思疎通の乖離です。
この現場と経営の乖離ですが、すでに今の日本でも大分起きちゃっていますが欧米のようなエリート教育やシステムでエリートが始めから経営の側で仕事をするとなると、ますますこの乖離が大きくなるのではないかという気がします。逆を言えば末端からスタートさせる昔の日本の教育システムにて現場と経営の双方の立場を経験させる事で会社全体を見渡せる人材を作れるのであれば、それは欧米のエリート教育で生まれる経営技術に特化した人材にも決して引けを取らないのではないかとも思います。
無論社長や役員といったポストは限られているので、スタートラインは一緒ながらも中年に差し掛かる頃からは徐々に育てる人材を絞る必要はあるとは思いますが、それでも最初に新入社員全員が末端の仕事に就くという価値は計り知れないでしょう。
近年は日本の企業でも入社時の差別化が進んでいると言われており、先程挙げた国鉄こと現JRでも駅職員はバイトの人員がやることが増えてきましたが、初心に帰って末端の現場を社員に体験させるのも一考かと思います。ただ体験するのは新入社員よりも、社長や役員といった人の方が初心に変える意味では価値が高いかもしれません。JRの社長がラッシュ時の乗員を押し込める仕事やるとしたらいろいろと面白そうだけど。
ただ一つ残念なのは、恐らく新入社員時代にそのような末端の仕事をやっていたであろう現JR西日本の経営陣による、福知山線脱線事故の対応は事故報告書作成の委員を買収しようとするなどあまりにも一般感覚とずれたものばかりで、経験したとはいえ何十年も立てば現場のことなんてわからなくなるものなのかと自信をなくしてしまいます。
その一方、不況で人員調整が難しかった事から今年のトヨタは創業以来初めて大卒新入社員を一時工場のラインに並べたそうです。これらの社員が将来大活躍してくれれば、私も多少は自信を持ち直すのですが。
2009年11月30日月曜日
現代の若者のモラル
以前に参加した環境問題否定論者で有名な武田邦彦氏が、日本の子供達について以下のように語っておりました。
「私が勤務する大学での授業でテストを行う際、私はいつもテスト用紙のここからここまでを何でもいいから書けば合格点を出すと学生達にあらかじめ伝えています。それこそ授業で教えた内容とは全く関係のないことでもいいし、ちょっと頭をひねるなら縦書きで行を埋めても単位を与えると言っているのです。
ところがテスト中に学生の答案を見ていると全然答案が埋まっていない学生もおり、自分の事でも何でもいいから書きなさいと私は言うのですが、その学生はというと採点をする私がこう言っているにもかかわらず、授業と関係のないことを書くわけには行かないと拒否するのです」
こう踏まえた上で武田氏は、世の中間違った事が通ったりよこしまな人間が多いとみんな嘆くものの、現実にいる子供達はそうではなくむしろ大人たちの方が心は荒んでいるのではと話していました。
ちょっと前の記事で私も日本人のモラル低下について記事をまとめましたが、その記事で受けたコメントの中で時代とともにモラルは低下してきたとは言うが、現代の若者はむしろ礼儀正しいのが多く、年配の方の傍若無人な振る舞いの方が目立つという意見がありましたが、私も実はそのように感じる事が度々あります。武田氏の教育現場での話を聞くと、やっぱりそうなのかもなぁという気になってきます。
「私が勤務する大学での授業でテストを行う際、私はいつもテスト用紙のここからここまでを何でもいいから書けば合格点を出すと学生達にあらかじめ伝えています。それこそ授業で教えた内容とは全く関係のないことでもいいし、ちょっと頭をひねるなら縦書きで行を埋めても単位を与えると言っているのです。
ところがテスト中に学生の答案を見ていると全然答案が埋まっていない学生もおり、自分の事でも何でもいいから書きなさいと私は言うのですが、その学生はというと採点をする私がこう言っているにもかかわらず、授業と関係のないことを書くわけには行かないと拒否するのです」
こう踏まえた上で武田氏は、世の中間違った事が通ったりよこしまな人間が多いとみんな嘆くものの、現実にいる子供達はそうではなくむしろ大人たちの方が心は荒んでいるのではと話していました。
ちょっと前の記事で私も日本人のモラル低下について記事をまとめましたが、その記事で受けたコメントの中で時代とともにモラルは低下してきたとは言うが、現代の若者はむしろ礼儀正しいのが多く、年配の方の傍若無人な振る舞いの方が目立つという意見がありましたが、私も実はそのように感じる事が度々あります。武田氏の教育現場での話を聞くと、やっぱりそうなのかもなぁという気になってきます。
2009年11月29日日曜日
TBSの連続不祥事について
あまりこういった時流に乗ったニュースはこのブログでは取り上げないのですが……。
・遼クン取材のTBSカート暴走、観客4人はねる(読売新聞)
上記ニュースの内容は今日のゴルフツアーの取材にてTBSの取材カートが観客数人を撥ね、撥ねられた一人に至っては十数メートルも引きずって顔面の骨を折るほどの大怪我を負ったそうです。このニュースに対して私の第一印象はというと、一体TBSは反省がないのかと個人的に激しく怒りを覚えました。
かねてよりTBSはその取材方法に問題があると近年言われており、今回の事件の舞台と同じく石川遼選手が参加した以前のゴルフツアーでは、石川選手と同組の選手にマイクを持たせて発言内容を盗聴しようともしていました。
・【市橋容疑者逮捕】送検の際の混乱でTBSの男を公務執行妨害で逮捕(産経新聞)
そして上記リンクのニュースは今月、逃走していた市橋容疑者が送検される際にも警官の制止を振り切って過剰に車両に近づいて写真を撮ろうとTBS社員が逮捕されております。ほんの少し前にこんな大きな不祥事を起こしておきながらも、何故また不祥事を繰り返すのか、反省がないのか呆れて物が言えません。そもそも放送業界はこのような連続した不祥事に対してどんな防止策をとっているのか、このまま野放しにしていいものかとも感じます。
一応放送業界にはBPO、放送倫理協会が問題性のある番組対して是正勧告を行う事はありますが、それらはあくまで勧告であって直接的なペナルティを与える事はありません。それがゆえに現在のTBSのように何度も不祥事を起こすのであれば、もっとはっきりと目に見える罰則を設けたほうが放送業界にとっても良いのではないかと思います。仮に今回のTBSの不祥事に対して行うのであれば、一週間くらい番組放送を禁止するとかそれくらいはっきりとした態度を示すべきでしょう。
・遼クン取材のTBSカート暴走、観客4人はねる(読売新聞)
上記ニュースの内容は今日のゴルフツアーの取材にてTBSの取材カートが観客数人を撥ね、撥ねられた一人に至っては十数メートルも引きずって顔面の骨を折るほどの大怪我を負ったそうです。このニュースに対して私の第一印象はというと、一体TBSは反省がないのかと個人的に激しく怒りを覚えました。
かねてよりTBSはその取材方法に問題があると近年言われており、今回の事件の舞台と同じく石川遼選手が参加した以前のゴルフツアーでは、石川選手と同組の選手にマイクを持たせて発言内容を盗聴しようともしていました。
・【市橋容疑者逮捕】送検の際の混乱でTBSの男を公務執行妨害で逮捕(産経新聞)
そして上記リンクのニュースは今月、逃走していた市橋容疑者が送検される際にも警官の制止を振り切って過剰に車両に近づいて写真を撮ろうとTBS社員が逮捕されております。ほんの少し前にこんな大きな不祥事を起こしておきながらも、何故また不祥事を繰り返すのか、反省がないのか呆れて物が言えません。そもそも放送業界はこのような連続した不祥事に対してどんな防止策をとっているのか、このまま野放しにしていいものかとも感じます。
一応放送業界にはBPO、放送倫理協会が問題性のある番組対して是正勧告を行う事はありますが、それらはあくまで勧告であって直接的なペナルティを与える事はありません。それがゆえに現在のTBSのように何度も不祥事を起こすのであれば、もっとはっきりと目に見える罰則を設けたほうが放送業界にとっても良いのではないかと思います。仮に今回のTBSの不祥事に対して行うのであれば、一週間くらい番組放送を禁止するとかそれくらいはっきりとした態度を示すべきでしょう。
2009年11月28日土曜日
連立を巡る政党間の駆け引き
・鳩山一族 その金脈と血脈 (文春新書) (新書)
前にも予告しましたが、今日本屋に言ったら「ノノノノ」の八巻と一緒に売っていたのでこの本もまとめて買っちゃいました。前半部は「文芸春秋」に載った記事が加筆されて載っているようですが、後半はすべて書き下ろしだというので非常に楽しみです。
またこれは余談ですが、私が佐野眞一氏を初めて知ったのは2003年の頃で、ちょうどその時に東電OL殺人事件の最終判決が下りたことから私の受けた授業の講師が佐野氏のルポを取り上げ、それ以降に興味を持って過去の著作を手に取るようになりました。まさかここまではまるとは思わなかった。
そんな私の休日の行動は置いといて、久々にオリジナルな政治の話題が今日の本題です。
まずこの数週間の政治の動きで一番大きかったものを挙げるとしたら、それは間違いなく民主党による事業仕分けでしょう。この仕分けについては賛否両論があり、特にスーパーコンピューターの製作に関わる予算について仕分けにて一度減額が判定されたものの、その後あまりにも学会からの批判が多かった事から政府内にてひっくり返して元の予算額となった一件は様々な議論を呼びました。
この仕分けに対する私の意見はというと、前にも書きましたがこれまで密室で、しかも恐らく何の検証もなく決められていた予算が公開の上で議論されるようになっただけでも価値があると考えております。そしてスーパーコンピューターの一件についても一度決まった減額がひっくり返ったことは政策のブレだと批判する方もいますが、私は逆にこの民主党の政策転換を高く評価しました。
一度は採算の見込みがないということで減額が決めたが学会や世論の強い反対を受けて政策を転換できたのも、この仕分け議論が公開されていたからに尽きます。逆を言えばこれが密室の議論であれば減額されていようと国民の大半は気づくことができず、また民主党の側もそうした外野の声を聞いて減額を取り消したというのは二次チェックがきちんと働いている証拠ともとれますし、予算を切る役とそれに歯止めをかける役が相互に役目を果たしているのだとなかなか感心しました。
こんな風な見方を持ったかどうかは分かりませんが、発足以後微減し続けた内閣支持率もここに来て逆に上昇に転じるようになりました。しかし支持率が低下していた原因となった問題は未だ片付いているというわけでなく、特に沖縄の米軍基地を巡る普天間基地問題はニュースに取り上げられる時間こそ減ったものの、現時点で連立すら脅かす大問題にまで発展しつつあるのではないかと私は見ています。
先日のニュースにて社民党が普天間基地の即時移転、返還を独自に掲げましたが、これの意味する所は民主党が下手な妥協をするというのならばすぐさま連立から撤退するという意思表示と見て間違いないでしょう。このような社民党の動きに国民新党も同調する動きを見せており、アメリカとの板ばさみで苦しむ民主党としては頭の痛いところでしょう。
しかしこの状況、ある一部の政治家達には非常に有利な状況となっているのではないかと実は私は考えております。もったいぶらずに言うとその政治家というのは「みんなの党」の渡辺喜美党首や江田憲司氏ら、そして自民党内の河野太郎氏の一派です。
何故この状況が彼らにとって有利なのかというと、社民と国民新党が連立から離脱するやかわりに彼らが民主党と合流、もしくは共闘することで、文字通り少ない兵力でも大きな戦果ことポストを得る事が出来るからです。特に自民の河野太郎氏なんてこの前落選した総裁選の一件ですっかり冷や飯を食う立場となっており、今回の仕分けについても昨日のインタビューにて、「こういうことが出来て、うらやましい」などと民主党と政策案が近いということをはっきりと述べています。なお同じく自民の大島幹事長は仕分けについて、「こんなものはパフォーマンスだ」などと言って批判してましたが、パフォーマンス一色だった小泉内閣よりはマシだと多分私以外にも感じた人は多かったように思えます。ちなみに私は現代においては政治自体が一種のパフォーマンスで、それを否定するというのはルールがわかっていないのではないかと政治家としての資質を疑います。
このように連立を巡る動き、もしかして年末から年始にかけて大きく動くかもしれません。無論鳩山首相の故人献金疑惑もいつどう転ぶか分からない状況で、三百以上議席を持ちながらも安定した政権基盤が保っていられる状況にはまだ至っていないでしょう。しかし仮に鳩山首相が総理の座から降りるとなると後には菅直人氏と岡田克也氏のどちらかになるのですが、この二人よりは私はまだ鳩山首相の方がマシだと思っているので検察には政治的判断からもうすこし待って欲しいというのが本音です。
前にも予告しましたが、今日本屋に言ったら「ノノノノ」の八巻と一緒に売っていたのでこの本もまとめて買っちゃいました。前半部は「文芸春秋」に載った記事が加筆されて載っているようですが、後半はすべて書き下ろしだというので非常に楽しみです。
またこれは余談ですが、私が佐野眞一氏を初めて知ったのは2003年の頃で、ちょうどその時に東電OL殺人事件の最終判決が下りたことから私の受けた授業の講師が佐野氏のルポを取り上げ、それ以降に興味を持って過去の著作を手に取るようになりました。まさかここまではまるとは思わなかった。
そんな私の休日の行動は置いといて、久々にオリジナルな政治の話題が今日の本題です。
まずこの数週間の政治の動きで一番大きかったものを挙げるとしたら、それは間違いなく民主党による事業仕分けでしょう。この仕分けについては賛否両論があり、特にスーパーコンピューターの製作に関わる予算について仕分けにて一度減額が判定されたものの、その後あまりにも学会からの批判が多かった事から政府内にてひっくり返して元の予算額となった一件は様々な議論を呼びました。
この仕分けに対する私の意見はというと、前にも書きましたがこれまで密室で、しかも恐らく何の検証もなく決められていた予算が公開の上で議論されるようになっただけでも価値があると考えております。そしてスーパーコンピューターの一件についても一度決まった減額がひっくり返ったことは政策のブレだと批判する方もいますが、私は逆にこの民主党の政策転換を高く評価しました。
一度は採算の見込みがないということで減額が決めたが学会や世論の強い反対を受けて政策を転換できたのも、この仕分け議論が公開されていたからに尽きます。逆を言えばこれが密室の議論であれば減額されていようと国民の大半は気づくことができず、また民主党の側もそうした外野の声を聞いて減額を取り消したというのは二次チェックがきちんと働いている証拠ともとれますし、予算を切る役とそれに歯止めをかける役が相互に役目を果たしているのだとなかなか感心しました。
こんな風な見方を持ったかどうかは分かりませんが、発足以後微減し続けた内閣支持率もここに来て逆に上昇に転じるようになりました。しかし支持率が低下していた原因となった問題は未だ片付いているというわけでなく、特に沖縄の米軍基地を巡る普天間基地問題はニュースに取り上げられる時間こそ減ったものの、現時点で連立すら脅かす大問題にまで発展しつつあるのではないかと私は見ています。
先日のニュースにて社民党が普天間基地の即時移転、返還を独自に掲げましたが、これの意味する所は民主党が下手な妥協をするというのならばすぐさま連立から撤退するという意思表示と見て間違いないでしょう。このような社民党の動きに国民新党も同調する動きを見せており、アメリカとの板ばさみで苦しむ民主党としては頭の痛いところでしょう。
しかしこの状況、ある一部の政治家達には非常に有利な状況となっているのではないかと実は私は考えております。もったいぶらずに言うとその政治家というのは「みんなの党」の渡辺喜美党首や江田憲司氏ら、そして自民党内の河野太郎氏の一派です。
何故この状況が彼らにとって有利なのかというと、社民と国民新党が連立から離脱するやかわりに彼らが民主党と合流、もしくは共闘することで、文字通り少ない兵力でも大きな戦果ことポストを得る事が出来るからです。特に自民の河野太郎氏なんてこの前落選した総裁選の一件ですっかり冷や飯を食う立場となっており、今回の仕分けについても昨日のインタビューにて、「こういうことが出来て、うらやましい」などと民主党と政策案が近いということをはっきりと述べています。なお同じく自民の大島幹事長は仕分けについて、「こんなものはパフォーマンスだ」などと言って批判してましたが、パフォーマンス一色だった小泉内閣よりはマシだと多分私以外にも感じた人は多かったように思えます。ちなみに私は現代においては政治自体が一種のパフォーマンスで、それを否定するというのはルールがわかっていないのではないかと政治家としての資質を疑います。
このように連立を巡る動き、もしかして年末から年始にかけて大きく動くかもしれません。無論鳩山首相の故人献金疑惑もいつどう転ぶか分からない状況で、三百以上議席を持ちながらも安定した政権基盤が保っていられる状況にはまだ至っていないでしょう。しかし仮に鳩山首相が総理の座から降りるとなると後には菅直人氏と岡田克也氏のどちらかになるのですが、この二人よりは私はまだ鳩山首相の方がマシだと思っているので検察には政治的判断からもうすこし待って欲しいというのが本音です。
2009年11月27日金曜日
猛将列伝~サラディン
・サラディン(ウィキペディア)
ウィキペディアに書かれているこの人物の名称は「サラーフッディーン」ですが、日本で出回っている世界史の教科書は他の書籍では「サラディン」と書かれていることが多いので、この記事もそちらの表記に従います。
今日はいつも日本史や中国史の人物を紹介するのと違って、気分一新とばかりにイスラム世界の人物を紹介します。イスラム史については私はそれほど勉強したわけでなくはっきり言って世界史の中でもインド史と並んで苦手としていた範囲なのですが、中学生の頃に十字軍についてやけに詳しく勉強した事があったおかげでこのサラディンについてはかねてより良く知っていました。
今ここでも書いたように、サラディンが活躍した時代というのはヨーロッパにおいて十字軍が組織された中世12世紀で、日本においては平安から鎌倉時代へ移るころの時代です。
具体的にこのサラディンがどんな人物かというと、当時の中東イスラム国家の貴族階級の出身で、少年時代は人質として暮らすものの成人後は軍事、行政の面で活躍して幸運も重なりましたがエジプト地域の支配者にまで三十代で上り詰めます。当時のイスラム世界は各地の軍閥がそれぞれの地域を勝手に統治していた時代で、サラディンがエジプトを支配した頃も彼は形式上はまだサラディンはシリアのダマスクスにいた軍閥の臣下という立場でした。しかしエジプト占領後にその主君に当たる軍閥においてお家騒動が起こったのを好機として紛争に介入し、エジプトからシリアに跨る広大な領地を統一して支配するアイユーブ朝を開きました。
シリアを征服したサラディンはその後、かつての第一回十字軍にて建国されたエルサレム王国に侵攻して今も紛争の耐えない地である聖地エルサレムを約百年ぶりに奪還することに成功しました。しかしエルサレムの占領はかつて十字軍を組んでまで取り返した西ヨーロッパ諸国を大きく刺激することになり、獅子心王(ライオンハート)とあだ名されるイギリス王のリチャード一世を筆頭とする第三回十字軍が組織される原因となりました。
十字軍は合計で七回組織されましたがこの時組織された第三回十字軍は最も戦火が激しかったとまで言われるほどの激戦で、先程のリチャードのほかにもフランス王のフィリップ二世なども参加した非常に大規模な戦争でありました。サラディンはこの戦いで一度手に入れた地中海沿岸地域の都市を奪い返されるものの本命のエルサレムの防衛には成功し、リチャード一世との和議によってこの地域の支配権を確立する事が出来ましたが、まるでそれを待っていたかのごとく終戦の翌年に病気にて死去しております。
現在彼への評価はイスラム世界はもとより、世界史上でも英邁な君主として高く賞賛されております。エルサレムを奪還した戦術的功績ももちろん大したものなのですが、彼が評価される最大の理由というのは彼がエルサレムを奪還した後に行ったキリスト教徒の保護にあります。
第一回十字軍がエルサレムをイスラム世界から奪還した際、西ヨーロッパの騎士たちは街中のイスラム教徒を片っ端から虐殺して、その後もイスラム教徒の巡礼を一切許す事はありませんでした。そんな第一か十字軍とは打って変わって約百年ぶりにエルサレムを奪還したサラディンはというと、街にいるキリスト教徒と捕縛した捕虜達を保護し、身代金と引き換えの上で西側諸国へ開放しました。また第三回十字軍の後に行われた和議でも、キリスト教徒のエルサレムへの巡礼を許可するなど寛大な態度を最後まで崩す事はありませんでした。
こうした現代において人道的、当時にとってすればそれ以上とも取られていたであろう寛大な態度こそが彼を現代においても高く名指しめている要因となっており、私もまたその人間的魅力に強く惹かれました。多少青臭いと自身でも感じますが、このような人物が高く評価されるのを見るにつけて人間にはまだ良心というものが曖昧ではあるものの確実に存在するのだと感じます。
ちなみにサラディンが開いたアイユーブ朝は比較的短命に終わり、その後は女性の、しかも元奴隷のシャジャルが開いたマムルーク朝が中東を長らく支配しますが、この二つの王朝の間は中東は比較的安定した時代を送ったそうです。今度この辺をまた勉強しなおそうかな。
ウィキペディアに書かれているこの人物の名称は「サラーフッディーン」ですが、日本で出回っている世界史の教科書は他の書籍では「サラディン」と書かれていることが多いので、この記事もそちらの表記に従います。
今日はいつも日本史や中国史の人物を紹介するのと違って、気分一新とばかりにイスラム世界の人物を紹介します。イスラム史については私はそれほど勉強したわけでなくはっきり言って世界史の中でもインド史と並んで苦手としていた範囲なのですが、中学生の頃に十字軍についてやけに詳しく勉強した事があったおかげでこのサラディンについてはかねてより良く知っていました。
今ここでも書いたように、サラディンが活躍した時代というのはヨーロッパにおいて十字軍が組織された中世12世紀で、日本においては平安から鎌倉時代へ移るころの時代です。
具体的にこのサラディンがどんな人物かというと、当時の中東イスラム国家の貴族階級の出身で、少年時代は人質として暮らすものの成人後は軍事、行政の面で活躍して幸運も重なりましたがエジプト地域の支配者にまで三十代で上り詰めます。当時のイスラム世界は各地の軍閥がそれぞれの地域を勝手に統治していた時代で、サラディンがエジプトを支配した頃も彼は形式上はまだサラディンはシリアのダマスクスにいた軍閥の臣下という立場でした。しかしエジプト占領後にその主君に当たる軍閥においてお家騒動が起こったのを好機として紛争に介入し、エジプトからシリアに跨る広大な領地を統一して支配するアイユーブ朝を開きました。
シリアを征服したサラディンはその後、かつての第一回十字軍にて建国されたエルサレム王国に侵攻して今も紛争の耐えない地である聖地エルサレムを約百年ぶりに奪還することに成功しました。しかしエルサレムの占領はかつて十字軍を組んでまで取り返した西ヨーロッパ諸国を大きく刺激することになり、獅子心王(ライオンハート)とあだ名されるイギリス王のリチャード一世を筆頭とする第三回十字軍が組織される原因となりました。
十字軍は合計で七回組織されましたがこの時組織された第三回十字軍は最も戦火が激しかったとまで言われるほどの激戦で、先程のリチャードのほかにもフランス王のフィリップ二世なども参加した非常に大規模な戦争でありました。サラディンはこの戦いで一度手に入れた地中海沿岸地域の都市を奪い返されるものの本命のエルサレムの防衛には成功し、リチャード一世との和議によってこの地域の支配権を確立する事が出来ましたが、まるでそれを待っていたかのごとく終戦の翌年に病気にて死去しております。
現在彼への評価はイスラム世界はもとより、世界史上でも英邁な君主として高く賞賛されております。エルサレムを奪還した戦術的功績ももちろん大したものなのですが、彼が評価される最大の理由というのは彼がエルサレムを奪還した後に行ったキリスト教徒の保護にあります。
第一回十字軍がエルサレムをイスラム世界から奪還した際、西ヨーロッパの騎士たちは街中のイスラム教徒を片っ端から虐殺して、その後もイスラム教徒の巡礼を一切許す事はありませんでした。そんな第一か十字軍とは打って変わって約百年ぶりにエルサレムを奪還したサラディンはというと、街にいるキリスト教徒と捕縛した捕虜達を保護し、身代金と引き換えの上で西側諸国へ開放しました。また第三回十字軍の後に行われた和議でも、キリスト教徒のエルサレムへの巡礼を許可するなど寛大な態度を最後まで崩す事はありませんでした。
こうした現代において人道的、当時にとってすればそれ以上とも取られていたであろう寛大な態度こそが彼を現代においても高く名指しめている要因となっており、私もまたその人間的魅力に強く惹かれました。多少青臭いと自身でも感じますが、このような人物が高く評価されるのを見るにつけて人間にはまだ良心というものが曖昧ではあるものの確実に存在するのだと感じます。
ちなみにサラディンが開いたアイユーブ朝は比較的短命に終わり、その後は女性の、しかも元奴隷のシャジャルが開いたマムルーク朝が中東を長らく支配しますが、この二つの王朝の間は中東は比較的安定した時代を送ったそうです。今度この辺をまた勉強しなおそうかな。
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