昔、確か六年前に友人とテレビでニュースを見ていると、線路に自転車を投げ込んだとして中学生が捕まったというニュースが報じられていました。そのニュースを見て私は友人に、
「この中学生、もう死刑でいいよね」
「せやろなぁ。こいつも自転車投げ込んだら脱線するかもしれへんことくらいわかっとるやろしなぁ」
自分でも本当に自分は死刑廃止論者なのかと時々疑わしく思いますが、この事件について言うならば私は投げ込んだ中学生は少年法とかそういった物を一切無視してもいいとこの時思いましたし、今でもそう考えております。
そもそも何故少年法があるのかと言うと、善悪の判断がつかない、何が犯罪になるのか分からない子供は罪悪感を持つ事が出来ないため、罰を与えるよりはしっかりと教育を行っていくほうが当人にも、社会にもよいという考えから存在します。しかし先ほどの線路に自転車を投げ込むという行為については友人の言の通り、中学生であればそれがきっかけで電車が脱線する可能性も、それによってたくさんの人間が死ぬ可能性も容易に予測できるはずです。
もしこの行為で少年法が適用するのであれば、私は本当に右も左もわからない小学校の低学年くらいまでの子供であればまだ仕方がないと思いますが、いくらなんでも中学生でこんなことも分からないで実際に行動に移すというのであれば先が思いやられるにも程があります。
近年、著名な刑事裁判においては少年法、もしくは心神耗弱などといった理由によって弁護側より減刑を求めるという主張がほぼ確実になされていますが、そもそもの話としてこれらの適用があまりにも幅広すぎないかという気がしてなりません。報道される裁判を見ていても心神耗弱にしても善悪の区別がつかない状態というにはあまりにも程遠い容疑者ばかりで、それこそ先ほど私が言った「小学校低学年くらいまでの子供」のような状態なんてまずないでしょう。
今日何を思ったのか三年前に起きた「渋谷区短大生切断遺体事件」をまた調べなおしていたのですが、この事件の一審では被告人に多重人格が認められて求刑17年に対して判決は懲役7年へ一部減刑が認められていました。言っちゃなんですが殺害後にバラバラに切断し、家族に対して知らない素振りを見せて遺体を隠匿しようとする行動を見るにつけてとても被告がそのような精神状態であったとは思えません。
そしたら案の定二審では多重人格は否定されて懲役12年になったそうですが、いい加減、こういうくだらないことを裁判で言い合うのはもうよして、認められなかった場合には弁護側に明確なペナルティをつけるとかした方が裁判も効率化していいような気がします。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2010年7月27日火曜日
2010年7月26日月曜日
私の好きな白鵬について
昨日、終始波乱に満ちた名古屋場所が何とか無事に終わりました。開催前にはあーだこーだ言われていながらも終わってみれば観客数は前年度の一割減に止まり、当初予想されていたほどの落ち込みもなくNHKの中継がなかったとはいえまずまずの結果でした。
そんな名古屋場所で最初から最後まで大きな貢献を果たしたのは、誰の目から見ても優勝した横綱白鵬にあることは間違いないでしょう。先場所、先々場所に続く全勝優勝を果たしただけでなく、力士としての連勝記録も単独で三位、平成に入って以降ではついに過去最高の記録にまで至りました。恐らくこの白鵬の存在と活躍がなければ、今頃相撲協会は公益法人格を取り下げるべきだという声が公然と出ていたかと思います。
そんな白鵬ですが、力士としての取組ぶりはさることながら以前から私はその個人としての人格も高く評価しておりました。そこで今日は優勝記念とばかりに、白鵬のサクセスストーリーとに彼について私の知っている事をここで紹介しようと思います。
今でこそ力士として大成している白鵬ですが、彼が日本の相撲界に入ったのはわずか15歳の頃でした。すでにモンゴル人力士として日本で活躍していた旭鷲山を頼って来日したものの、一緒にやってきたメンバーは次々と相撲部屋からのスカウトを受けて次々と引き受け先が決まっていったにもかかわらず白鵬には全く声がかかりませんでした。このままではモンゴルに帰るしかない、そんな白鵬の苦境を知るや旭鷲山が斡旋に動きました。
実はこの旭鷲山と白鵬には因縁があり、モンゴル相撲の祭典に16歳の旭鷲山が出場したものの貧しい家庭出身ゆえに満足な食事が取れておらずお腹をすかしていると、当時4歳だった白鵬が食事を恵んでくれたそうです。二人ともこの時のことをよく覚えていたものの、この来日した白鵬の斡旋に動いていた際は互いにその時の相手だと分からず後になってあの時の相手がお互いだったと気づいたそうです。
そんな白鵬と旭鷲山ですが、当時背は175センチと高い身長ながらも痩せ型の体型の白鵬を引き取る相撲部屋はなかなか見つかりませんでした。そうして悩んだ末に旭鷲山は、
「そうだ、あの駄目な宮城野部屋ならなんとかなるだろう」
と、当時弱小だった宮城野部屋に「身長が高く、将来有望な少年がいる」とほとんど騙すような形で連れて行ったそうです。そうやって白鵬は宮城野部屋につれてこられたのですが、その白鵬を見るや当時の宮城野親方(現熊ヶ谷親方)は全然話が違うと追い返そうと考えたそうですが、不安そうな表情を浮かべている白鵬を見るに見かねて内弟子としてとることにしたそうです。
とはいえ当時の白鵬は日本語も全く分からず、しかも先ほども言った通りに非常に痩せていたため、宮城野親方は最初は稽古を一切させずにただご飯を食べて寝ろとだけしか指示しなかったそうです。当の白鵬もこれには困惑して、女将さんが言うには当時の白鵬の口癖は「何で?」だったそうです。
またある日、白鵬が一人で写真を見ていたので女将さんが声をかけると、白鵬は家族の写真だとその写真を見せてくれたそうです。そんな白鵬をみて女将さんはモンゴルに帰りたいのと聞くと白鵬は、「いや、横綱になるまでは帰れない」と毅然と言い返したそうです。
言葉も分からない外国で、しかも日本人ですら逃げ出すほど厳しい相撲部屋に入ったわずか15歳の少年が、ここまで覚悟を持てるものかと初めてこの話を聞いた時は非常に驚きました。多分私ならすぐに逃げ帰ってるだろうし。
そんな白鵬も体格が出来上がってくるや、元からの高い身体能力とあいまって異例のスピードで昇進を重ねていきます。私が白鵬の取組を見始めたのは2005年頃からですが、当時からも足腰の強靭さは並外れており、なおかつ一度廻しを掴んだら絶対に離れないと言われる握力とあいまって大きく印象に残ったのを今でも覚えています。
そうやって出世街道を走った白鵬が初めて取組で懸賞金を得ると、それを真っ先に宮城野親方と女将さん夫婦の元へ持っていって全額を渡したそうです。こうしたエピソードの数々を思い起こすにつけ、力士以前に白鵬という個人の人格に対しても尊敬の気持ちが湧いてくるわけです。
そんな名古屋場所で最初から最後まで大きな貢献を果たしたのは、誰の目から見ても優勝した横綱白鵬にあることは間違いないでしょう。先場所、先々場所に続く全勝優勝を果たしただけでなく、力士としての連勝記録も単独で三位、平成に入って以降ではついに過去最高の記録にまで至りました。恐らくこの白鵬の存在と活躍がなければ、今頃相撲協会は公益法人格を取り下げるべきだという声が公然と出ていたかと思います。
そんな白鵬ですが、力士としての取組ぶりはさることながら以前から私はその個人としての人格も高く評価しておりました。そこで今日は優勝記念とばかりに、白鵬のサクセスストーリーとに彼について私の知っている事をここで紹介しようと思います。
今でこそ力士として大成している白鵬ですが、彼が日本の相撲界に入ったのはわずか15歳の頃でした。すでにモンゴル人力士として日本で活躍していた旭鷲山を頼って来日したものの、一緒にやってきたメンバーは次々と相撲部屋からのスカウトを受けて次々と引き受け先が決まっていったにもかかわらず白鵬には全く声がかかりませんでした。このままではモンゴルに帰るしかない、そんな白鵬の苦境を知るや旭鷲山が斡旋に動きました。
実はこの旭鷲山と白鵬には因縁があり、モンゴル相撲の祭典に16歳の旭鷲山が出場したものの貧しい家庭出身ゆえに満足な食事が取れておらずお腹をすかしていると、当時4歳だった白鵬が食事を恵んでくれたそうです。二人ともこの時のことをよく覚えていたものの、この来日した白鵬の斡旋に動いていた際は互いにその時の相手だと分からず後になってあの時の相手がお互いだったと気づいたそうです。
そんな白鵬と旭鷲山ですが、当時背は175センチと高い身長ながらも痩せ型の体型の白鵬を引き取る相撲部屋はなかなか見つかりませんでした。そうして悩んだ末に旭鷲山は、
「そうだ、あの駄目な宮城野部屋ならなんとかなるだろう」
と、当時弱小だった宮城野部屋に「身長が高く、将来有望な少年がいる」とほとんど騙すような形で連れて行ったそうです。そうやって白鵬は宮城野部屋につれてこられたのですが、その白鵬を見るや当時の宮城野親方(現熊ヶ谷親方)は全然話が違うと追い返そうと考えたそうですが、不安そうな表情を浮かべている白鵬を見るに見かねて内弟子としてとることにしたそうです。
とはいえ当時の白鵬は日本語も全く分からず、しかも先ほども言った通りに非常に痩せていたため、宮城野親方は最初は稽古を一切させずにただご飯を食べて寝ろとだけしか指示しなかったそうです。当の白鵬もこれには困惑して、女将さんが言うには当時の白鵬の口癖は「何で?」だったそうです。
またある日、白鵬が一人で写真を見ていたので女将さんが声をかけると、白鵬は家族の写真だとその写真を見せてくれたそうです。そんな白鵬をみて女将さんはモンゴルに帰りたいのと聞くと白鵬は、「いや、横綱になるまでは帰れない」と毅然と言い返したそうです。
言葉も分からない外国で、しかも日本人ですら逃げ出すほど厳しい相撲部屋に入ったわずか15歳の少年が、ここまで覚悟を持てるものかと初めてこの話を聞いた時は非常に驚きました。多分私ならすぐに逃げ帰ってるだろうし。
そんな白鵬も体格が出来上がってくるや、元からの高い身体能力とあいまって異例のスピードで昇進を重ねていきます。私が白鵬の取組を見始めたのは2005年頃からですが、当時からも足腰の強靭さは並外れており、なおかつ一度廻しを掴んだら絶対に離れないと言われる握力とあいまって大きく印象に残ったのを今でも覚えています。
そうやって出世街道を走った白鵬が初めて取組で懸賞金を得ると、それを真っ先に宮城野親方と女将さん夫婦の元へ持っていって全額を渡したそうです。こうしたエピソードの数々を思い起こすにつけ、力士以前に白鵬という個人の人格に対しても尊敬の気持ちが湧いてくるわけです。
2010年7月24日土曜日
これまでの酒税率増税について
いきなり結論ですが、私は現行の酒税率を下げてかつての水準に戻すべきじゃないかと思います。
酒税というのは文字通りにアルコール類の飲料にかけられる税金で、飲料を製造したメーカーや酒造業者がその製造量に応じて支払うのですが、この税率はその製造された院量のアルコールの度数によって変動し、基本的にアルコール度数が高いほどかけられる税率も高くなります。
近年、この酒税率は一方的と行っていい程に増加しており、細かい税率までは紹介しませんが財政難の国が取り易い所から取ろうと、反発の少ない酒税に的を絞っているのは衆目の一致する所です。
確かに税収を増やすという目的であれば多少の増税は仕方ないと思うのですが、この酒税についてはちょっと話が変わってきます。というのも酒税率の増加と合わせて各飲料メーカーは比較的税率の低いアルコール度数の低い酒類、いわゆる発泡酒の製造、開発に勤しんだため、今ではすっかりこの発泡酒が世の中にも定着しました。
しかしこの発泡酒ですが、酒をよく飲む人間から話を聞くと以前と比べれば大分マシになったものの、それでもビールよりは味が悪いそうです。そういった方達に更に話を聞くと、できる事ならビールを飲みたいと思うものの先ほどの酒税率増税によってビールの値段が上がってしまっているため、昨今はやむなく発泡酒に切り替えて飲んでいるそうです。
こうした消費者の動きにこれでは増税した意味がないと国税庁も思ったのか、ビールに続いてこの発泡酒などの税率も近年は徐々に引き上げられてきております。そしたらそしたで飲料メーカーも今度はノンアルコールビールの製造、開発に勤しんで、なんか今年はやたらとこのノンアルコールビールが発売した、伸びているなどといったニュースを見ます。
はっきり言ってこんな「国税庁VS消費者+飲料メーカー」のいたちごっこがいつまでも続いていたら、最終的には「じゃあこの際、お酒っぽい水でもいいや」ってことになりかねませんし、少なくとも当初の目的である税収の増加は全く以って見込めないでしょう。
それだったら私はこの際、税率を以前の低い水準に戻し、飲みたい人間には以前の価格で以前どおりのお酒を提供するべきだと思います。酒飲みからすれば日ごろの楽しみの一つなのですし、味のいい飲み物を好きに飲ませた方が国民生活的にも、文化的にもいいかと思います。
また確かに近年の飲料メーカーに因る発泡酒の開発は大した物だと思いますが、やはり発泡酒では味に伸び代と言うか限界があるように思えます。そんな発泡酒を開発していくよりはもっとビールの製品改良を行った方が産業的にも、将来輸出できる可能性を考える上でもずっと有益な気がします。多分発泡酒やノンアルコールビールなんて、世界的にも飲む人は少なそうだし。
ちなみにここだけの話、私は酒が飲めない人間です。何気に昨日飲み会では次がれてしまったのでビールをコップ三杯飲んで、ブログの更新もサボったわけです。何も悪酔いしたわけでもなく二日酔いもなかったのですが、何度飲んでも酒類がおいしい飲み物だとは思えないなぁ。
酒税というのは文字通りにアルコール類の飲料にかけられる税金で、飲料を製造したメーカーや酒造業者がその製造量に応じて支払うのですが、この税率はその製造された院量のアルコールの度数によって変動し、基本的にアルコール度数が高いほどかけられる税率も高くなります。
近年、この酒税率は一方的と行っていい程に増加しており、細かい税率までは紹介しませんが財政難の国が取り易い所から取ろうと、反発の少ない酒税に的を絞っているのは衆目の一致する所です。
確かに税収を増やすという目的であれば多少の増税は仕方ないと思うのですが、この酒税についてはちょっと話が変わってきます。というのも酒税率の増加と合わせて各飲料メーカーは比較的税率の低いアルコール度数の低い酒類、いわゆる発泡酒の製造、開発に勤しんだため、今ではすっかりこの発泡酒が世の中にも定着しました。
しかしこの発泡酒ですが、酒をよく飲む人間から話を聞くと以前と比べれば大分マシになったものの、それでもビールよりは味が悪いそうです。そういった方達に更に話を聞くと、できる事ならビールを飲みたいと思うものの先ほどの酒税率増税によってビールの値段が上がってしまっているため、昨今はやむなく発泡酒に切り替えて飲んでいるそうです。
こうした消費者の動きにこれでは増税した意味がないと国税庁も思ったのか、ビールに続いてこの発泡酒などの税率も近年は徐々に引き上げられてきております。そしたらそしたで飲料メーカーも今度はノンアルコールビールの製造、開発に勤しんで、なんか今年はやたらとこのノンアルコールビールが発売した、伸びているなどといったニュースを見ます。
はっきり言ってこんな「国税庁VS消費者+飲料メーカー」のいたちごっこがいつまでも続いていたら、最終的には「じゃあこの際、お酒っぽい水でもいいや」ってことになりかねませんし、少なくとも当初の目的である税収の増加は全く以って見込めないでしょう。
それだったら私はこの際、税率を以前の低い水準に戻し、飲みたい人間には以前の価格で以前どおりのお酒を提供するべきだと思います。酒飲みからすれば日ごろの楽しみの一つなのですし、味のいい飲み物を好きに飲ませた方が国民生活的にも、文化的にもいいかと思います。
また確かに近年の飲料メーカーに因る発泡酒の開発は大した物だと思いますが、やはり発泡酒では味に伸び代と言うか限界があるように思えます。そんな発泡酒を開発していくよりはもっとビールの製品改良を行った方が産業的にも、将来輸出できる可能性を考える上でもずっと有益な気がします。多分発泡酒やノンアルコールビールなんて、世界的にも飲む人は少なそうだし。
ちなみにここだけの話、私は酒が飲めない人間です。何気に昨日飲み会では次がれてしまったのでビールをコップ三杯飲んで、ブログの更新もサボったわけです。何も悪酔いしたわけでもなく二日酔いもなかったのですが、何度飲んでも酒類がおいしい飲み物だとは思えないなぁ。
2010年7月22日木曜日
法人税と消費税の関連性
もう結構前の放送ですが、「TVタックル」においてキョウデンの橋本会長が面白い事を話しておりました。一体どんな事を言ってたのかというと、赤字が続く日本の国家予算を回復させるために政府は消費税を上げるのではなく、法人税を上げるべきだと主張したのです。
正直な話、企業経営者の方から「法人税を上げるべきだ」という意見が聞かれるとはそれまで私は夢にも思いませんでした。一体どういう理由でそんな事を言い出すのかと続けて聞いていると、まず橋本会長は現在の消費税が昔と違って外税ではなく内税になっていることが企業にとって大きな負担になっていると言いました。
内税の現制度ですと、書籍などといったものを除いて基本的に商品の値札には消費税を含んだ金額を書かなければなりません。そのため仮に消費税が現行の5%から10%に上げられた場合、販売者側はこれまで通りの利益を確保するためには上がった消費税分だけ商品の値札価格をそれまでより上乗せしなければなりませんが商品を買っている消費者側からするとこれではただ単に物が値上がりしたようにしか見えず、橋本会長によると恐らく消費者の消費する意識が薄れて物が余計に売れなくなって販売者側もそれまで以前の利益を確保できなくなることが予想されるそうです。
そうなると販売者側は消費税が外税から内税に切り替わった2004年時のように値札の価格はそのまま、消費税の分だけ利益を減らすという方法を取らざるを得なくなるそうです。
この橋本会長の意見ですが、私も聞いてて大いにありうると感じました。実際に内税に切り替わった2004年時に私はほぼ毎日のようにスーパーに行って買い物していましたが、実際に物を買っていて消費税分だけ値札の値段が上がったと感じる事は殆んどありませんでした。
その上で橋本会長は、国は税収を増やしたいのであれば敢えて消費税をもっと減税し、その分法人税を上げるべきだと主張しました。消費税を下げる事で消費者は商品の値段が安くなったと感じてより消費意識が上がり、物を売る企業の側も余計な消費税の負担も受けずに経営がやりやすくなります。その上で企業が利益を出せるようになれば法人税が少し増えた所で、元々赤字の企業に法人税は課されないのだからさほど経営に影響があるとは思えず、むしろ利益を出せる企業が増える事で社会全体が明るくなるのではと意見をまとめていました。
私は元々消費税増税論者ではありますが、こうして実際に企業経営者側からの視点での意見を聞かされてみると改めて考えさせられました。橋本会長の言っている事は非常に筋が通っている上、どっかの死にぞこないの会長と違って企業経営者自身が法人税を上げるべきだという意見を出すその姿勢には正直頭が下がりました。
私が消費税を推進する理由は第一に徴税コスト(税金を徴収するのにかかる費用。マルサの雇用費も含む)が安い事、第二に脱税抜け道が少ない事、第三に比較的平等に徴税できるからで、仮に今後の日本で消費税率を上げるのであればその代わりに徴税コストが非常にかかる所得税を大きく見直し、それこそ所得の低い世帯を救済する為に年収400万円以下にはこの際所得税は一切かけないという案を持っていたのですが、聞いててこの橋本会長の案の方が案外いいんじゃないかと思いなおすようになってきました。
何気に「法人税」という言葉はこの陽月秘話とは縁のある言葉ですが、私は基本的に税金というのは単体で考えるのではなく、他の税金、その用途などを合わせた幅広い視野で考えなければいけないものだと思っています。
そういえば酒税についてまだ書いていなかったので、次回辺りにちょこっとこの辺を書いて見ます。
正直な話、企業経営者の方から「法人税を上げるべきだ」という意見が聞かれるとはそれまで私は夢にも思いませんでした。一体どういう理由でそんな事を言い出すのかと続けて聞いていると、まず橋本会長は現在の消費税が昔と違って外税ではなく内税になっていることが企業にとって大きな負担になっていると言いました。
内税の現制度ですと、書籍などといったものを除いて基本的に商品の値札には消費税を含んだ金額を書かなければなりません。そのため仮に消費税が現行の5%から10%に上げられた場合、販売者側はこれまで通りの利益を確保するためには上がった消費税分だけ商品の値札価格をそれまでより上乗せしなければなりませんが商品を買っている消費者側からするとこれではただ単に物が値上がりしたようにしか見えず、橋本会長によると恐らく消費者の消費する意識が薄れて物が余計に売れなくなって販売者側もそれまで以前の利益を確保できなくなることが予想されるそうです。
そうなると販売者側は消費税が外税から内税に切り替わった2004年時のように値札の価格はそのまま、消費税の分だけ利益を減らすという方法を取らざるを得なくなるそうです。
この橋本会長の意見ですが、私も聞いてて大いにありうると感じました。実際に内税に切り替わった2004年時に私はほぼ毎日のようにスーパーに行って買い物していましたが、実際に物を買っていて消費税分だけ値札の値段が上がったと感じる事は殆んどありませんでした。
その上で橋本会長は、国は税収を増やしたいのであれば敢えて消費税をもっと減税し、その分法人税を上げるべきだと主張しました。消費税を下げる事で消費者は商品の値段が安くなったと感じてより消費意識が上がり、物を売る企業の側も余計な消費税の負担も受けずに経営がやりやすくなります。その上で企業が利益を出せるようになれば法人税が少し増えた所で、元々赤字の企業に法人税は課されないのだからさほど経営に影響があるとは思えず、むしろ利益を出せる企業が増える事で社会全体が明るくなるのではと意見をまとめていました。
私は元々消費税増税論者ではありますが、こうして実際に企業経営者側からの視点での意見を聞かされてみると改めて考えさせられました。橋本会長の言っている事は非常に筋が通っている上、どっかの死にぞこないの会長と違って企業経営者自身が法人税を上げるべきだという意見を出すその姿勢には正直頭が下がりました。
私が消費税を推進する理由は第一に徴税コスト(税金を徴収するのにかかる費用。マルサの雇用費も含む)が安い事、第二に脱税抜け道が少ない事、第三に比較的平等に徴税できるからで、仮に今後の日本で消費税率を上げるのであればその代わりに徴税コストが非常にかかる所得税を大きく見直し、それこそ所得の低い世帯を救済する為に年収400万円以下にはこの際所得税は一切かけないという案を持っていたのですが、聞いててこの橋本会長の案の方が案外いいんじゃないかと思いなおすようになってきました。
何気に「法人税」という言葉はこの陽月秘話とは縁のある言葉ですが、私は基本的に税金というのは単体で考えるのではなく、他の税金、その用途などを合わせた幅広い視野で考えなければいけないものだと思っています。
そういえば酒税についてまだ書いていなかったので、次回辺りにちょこっとこの辺を書いて見ます。
2010年7月21日水曜日
時間が有限だと意識する事
夏休み お盆過ぎから 本番に
これは大分昔に作った私の俳句ですが、言わんとする事は夏休みは終盤に入って宿題に追われるという状況になればなるほど遊んでて楽しくなるという意味です。人間不思議な物で、何かに追われている状況であればあるほどやらなきゃいけない事を放って関係ない行為、それこそゲームとか掃除とかをすると強い快感を覚える物ではないかと常日頃から私は考えています。
まぁそういった現実放棄の快感は放っといて、それこそ今日から小学生らは夏休みに入ったそうですが、私の子供時代を思うにつけて夏休みが始まったばかりの七月だとどうにも休みという実感がないのですが、終わりが見えてくる八月の後半になるにつけ一日一日がそれまでよりずっと重く、価値があるように感じられた気がします。
これはなにも夏休みに限る事じゃなく期間の定めた時間一般にも当てはまるように思え、例えば先ほどの夏休みの宿題のような作業一つとっても日程に余裕のある間はどうせ後で出来てしまうからなどと思ってはそれほど切迫感を感じられませんが、日にちが段々と狭まっていくと徐々に切迫感が増して嫌が応にも作業への集中力が増していきます。
もうここで結論を出してしまいますが、人間というのは基本的に終わりが見えない間は現在自分がいる時間の価値を測ることが出来ないのではないかと私は言いたいわけです。
先ほどの小学生時代の夏休み然り、学生時代然り、若者でいる間然り、現役世代でいる間然りと、人間には人生において様々な時間の期間が存在しますが、それぞれの期間で満足に時間を使用したかと問われるならば恐らく殆んどの方が無駄な時間の方が多かったと答えると思います。その上でそれら期間の前半と後半でどちらが充実した時間を過ごしたかと問うならば、多分こちらも後半の方が濃密であったと大半の方が答えるかと思います。
何故このようになるかというと最初に言った通りで、それぞれの期間が終わりに近づかない限りはその期間における時間の価値、言い換えるならその間にしかできない事、やれない事を上手く認識できないからで、そのために人間が時間をフルに有効に使う事は至難の業ではないかと私は思うわけです。
で、ここで極論を突然出してしまいますが、一体何が人間にとって最後の時間かというならば、それは間違いなく死以外の何物でもありません。
私が何故この様なことを思いついたのかと言うと、ガン宣告を受けた患者らのインタビュー記事を見ていると、自分の死を意識するようになってから世界観が変わった、一日一日に価値を見出せるようになったという話を多く見かけたからです。
言われて見て仮に私自身がもし来週、下手すりゃ明日に死ぬとしたら、一体今自分は何を優先して行うべきなのだろうかをその時少し考えてみました。遺書を書くべきか、それとも誰かと話しているほうがいいのか、それともいっそ何もせずに外だけをじっと眺めているべきなのかといろいろ考えてみたのですが、時間が有限だと意識すると何か物の見方が変わった気がしました。
何も常に死を意識しろとまで言うつもりはありませんが、今あるこの時間は有限であって無限でないと考えるだけでも、人間知らず知らずのうちにもっと充実した時間を送れるんじゃないかと思うわけです。
ちなみに常に死を意識するという考え方ですが、長岡出身の河合継之介と山本五十六の二人はよく、「常在戦場」という言葉を使っていたそうです。私はここまで極端ではないものの、論語の「朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり」をよく使っています。
これは大分昔に作った私の俳句ですが、言わんとする事は夏休みは終盤に入って宿題に追われるという状況になればなるほど遊んでて楽しくなるという意味です。人間不思議な物で、何かに追われている状況であればあるほどやらなきゃいけない事を放って関係ない行為、それこそゲームとか掃除とかをすると強い快感を覚える物ではないかと常日頃から私は考えています。
まぁそういった現実放棄の快感は放っといて、それこそ今日から小学生らは夏休みに入ったそうですが、私の子供時代を思うにつけて夏休みが始まったばかりの七月だとどうにも休みという実感がないのですが、終わりが見えてくる八月の後半になるにつけ一日一日がそれまでよりずっと重く、価値があるように感じられた気がします。
これはなにも夏休みに限る事じゃなく期間の定めた時間一般にも当てはまるように思え、例えば先ほどの夏休みの宿題のような作業一つとっても日程に余裕のある間はどうせ後で出来てしまうからなどと思ってはそれほど切迫感を感じられませんが、日にちが段々と狭まっていくと徐々に切迫感が増して嫌が応にも作業への集中力が増していきます。
もうここで結論を出してしまいますが、人間というのは基本的に終わりが見えない間は現在自分がいる時間の価値を測ることが出来ないのではないかと私は言いたいわけです。
先ほどの小学生時代の夏休み然り、学生時代然り、若者でいる間然り、現役世代でいる間然りと、人間には人生において様々な時間の期間が存在しますが、それぞれの期間で満足に時間を使用したかと問われるならば恐らく殆んどの方が無駄な時間の方が多かったと答えると思います。その上でそれら期間の前半と後半でどちらが充実した時間を過ごしたかと問うならば、多分こちらも後半の方が濃密であったと大半の方が答えるかと思います。
何故このようになるかというと最初に言った通りで、それぞれの期間が終わりに近づかない限りはその期間における時間の価値、言い換えるならその間にしかできない事、やれない事を上手く認識できないからで、そのために人間が時間をフルに有効に使う事は至難の業ではないかと私は思うわけです。
で、ここで極論を突然出してしまいますが、一体何が人間にとって最後の時間かというならば、それは間違いなく死以外の何物でもありません。
私が何故この様なことを思いついたのかと言うと、ガン宣告を受けた患者らのインタビュー記事を見ていると、自分の死を意識するようになってから世界観が変わった、一日一日に価値を見出せるようになったという話を多く見かけたからです。
言われて見て仮に私自身がもし来週、下手すりゃ明日に死ぬとしたら、一体今自分は何を優先して行うべきなのだろうかをその時少し考えてみました。遺書を書くべきか、それとも誰かと話しているほうがいいのか、それともいっそ何もせずに外だけをじっと眺めているべきなのかといろいろ考えてみたのですが、時間が有限だと意識すると何か物の見方が変わった気がしました。
何も常に死を意識しろとまで言うつもりはありませんが、今あるこの時間は有限であって無限でないと考えるだけでも、人間知らず知らずのうちにもっと充実した時間を送れるんじゃないかと思うわけです。
ちなみに常に死を意識するという考え方ですが、長岡出身の河合継之介と山本五十六の二人はよく、「常在戦場」という言葉を使っていたそうです。私はここまで極端ではないものの、論語の「朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり」をよく使っています。
2010年7月20日火曜日
大手生保四社、不払い問題対処に政界工作
今を遡ること五年前、日本の各大手生命保険会社できちんとした契約があるにもかかわらず、本来支払うべき保険金を敢えて受取人に告知しなかったり、間違った情報を教えるなどして払わないという不払い問題が続出しました。
・保険金不払い事件(Wikipedia)
詳しくは上記のWikipediaのページを見てもらえば分かりますが、私はこの事件を知った際に保険会社はなんてクズの集まりなんだ、絶対にこんな所には就職しないぞと北斗七星に誓ったもんです。しかも北京で。
この保険金不払い事件ですが、先日思わぬ所からまたこの名が持ち上がってきました。
・大手4生保、自民・民主に接待攻勢 不払い処分めぐり(朝日新聞)
上記記事は7/18日付けの朝日新聞朝刊一面に載ったニュースですが、これを朝六時から群馬榛名山へ向けて出発しようとする私と広島に左遷されたままの家の親父が見つけると互いに、これで朝日新聞から生命保険の広告が消えるなと言い合いました。
記事の内容を簡単に説明すると、五年前の不払い事件が発覚した年、日本生命、第一生命、明治安田生命、住友生命の生命保険大手四社が自民、民主両党の金融関係の委員となっている議員やその秘書らに対して接待攻勢をかけていたという事実が報じられています。しかも第一生命に至っては07年に政治家のパーティ券を1000万円超も購入するなど、不払い問題の処理を巡って政界工作を行っていたと朝日は断じています。
実際に当時、明るみになった不払いだった生命保険料の支払いのために各生命保険会社の経営は悪化しており、2005年以降に急激に増加したこれら接待費、献金は国政側に寛大な処置を求めるという意図あっての行為と見て間違いないでしょう。
しかも今回朝日新聞が報じたこの記事を見ていて呆れてくるのは、一連の接待の中でなんと15回もこの大手四社の幹部が顔を合わせる接待を行っており、その接待における費用負担もそれぞれで決めていたようです。これが何を意味するかと言うと、この大手四社は不払い問題が起こるや互いに連絡を取り合って、手を取り合って政界工作を行っていたという事です。
以前に朝日新聞はキャノンと松下の人件費の偽装請負を報じた事により未だにこの二社から広告を一切出してもらえていませんが、恐らく今回のこの記事でも生命保険会社から広告が引き上げられる事となることが予想され、いわば朝日は大口の収入源を失う覚悟でもって今回の記事を報じたと思います。
ネット上で朝日新聞はよく赤新聞などと叩かれる対象であり、実際に私も過去にしょうもない記事を何度かこのブログで批判しましたが、今回のこのニュースは文句なしによく書いたと思わせられる記事です。惜しむらくはこうしたよい報道に限ってあまり別メディアに取り上げられず、ざっと見回した所、まだ東京新聞紙しか追随していません。
こんな小さなブログですが、何かしらこの記事がもっと注目されればと思い、こうして私は取り上げる事にしました。
・保険金不払い事件(Wikipedia)
詳しくは上記のWikipediaのページを見てもらえば分かりますが、私はこの事件を知った際に保険会社はなんてクズの集まりなんだ、絶対にこんな所には就職しないぞと北斗七星に誓ったもんです。しかも北京で。
この保険金不払い事件ですが、先日思わぬ所からまたこの名が持ち上がってきました。
・大手4生保、自民・民主に接待攻勢 不払い処分めぐり(朝日新聞)
上記記事は7/18日付けの朝日新聞朝刊一面に載ったニュースですが、これを朝六時から群馬榛名山へ向けて出発しようとする私と広島に左遷されたままの家の親父が見つけると互いに、これで朝日新聞から生命保険の広告が消えるなと言い合いました。
記事の内容を簡単に説明すると、五年前の不払い事件が発覚した年、日本生命、第一生命、明治安田生命、住友生命の生命保険大手四社が自民、民主両党の金融関係の委員となっている議員やその秘書らに対して接待攻勢をかけていたという事実が報じられています。しかも第一生命に至っては07年に政治家のパーティ券を1000万円超も購入するなど、不払い問題の処理を巡って政界工作を行っていたと朝日は断じています。
実際に当時、明るみになった不払いだった生命保険料の支払いのために各生命保険会社の経営は悪化しており、2005年以降に急激に増加したこれら接待費、献金は国政側に寛大な処置を求めるという意図あっての行為と見て間違いないでしょう。
しかも今回朝日新聞が報じたこの記事を見ていて呆れてくるのは、一連の接待の中でなんと15回もこの大手四社の幹部が顔を合わせる接待を行っており、その接待における費用負担もそれぞれで決めていたようです。これが何を意味するかと言うと、この大手四社は不払い問題が起こるや互いに連絡を取り合って、手を取り合って政界工作を行っていたという事です。
以前に朝日新聞はキャノンと松下の人件費の偽装請負を報じた事により未だにこの二社から広告を一切出してもらえていませんが、恐らく今回のこの記事でも生命保険会社から広告が引き上げられる事となることが予想され、いわば朝日は大口の収入源を失う覚悟でもって今回の記事を報じたと思います。
ネット上で朝日新聞はよく赤新聞などと叩かれる対象であり、実際に私も過去にしょうもない記事を何度かこのブログで批判しましたが、今回のこのニュースは文句なしによく書いたと思わせられる記事です。惜しむらくはこうしたよい報道に限ってあまり別メディアに取り上げられず、ざっと見回した所、まだ東京新聞紙しか追随していません。
こんな小さなブログですが、何かしらこの記事がもっと注目されればと思い、こうして私は取り上げる事にしました。
2010年7月16日金曜日
かつて呼ばれた私の異名
最近濃い内容の記事を連発していていささか食あたり気味となっているので、今日はなにか緩いネタを書こうと思います。
前に一度、これまでにあった野球選手のニックネームをまとめた記事を書いた事がありますが、ニックネームことあだ名というものはないよりもあった方が世の中いいと思います。具体的に何がいいとかそういった細かい理由まで詳しく書きませんが、やっぱり人となりや大まかな性格を理解する上で通しがいいし、初めて会った人に覚えてもらうのにもいい気がします。
かくいう私はこれまで何か特定のあだ名をもらった事はこれまでにないですが、その代わりに異名というか、「○○した人」というようなニックネームは何度か友人らからもらった事があります。せっかくの機会ですので、幾つかここでそれを紹介しようと思います。
1、花園~変態と呼ばれた漢
これは当時マガジンで連載していた「哲也~雀聖と呼ばれた漢」という漫画のタイトルからもじられたあだ名です。ごく一部の友人の間で、しかも使われた期間も少なかった異名ですが、もじりかたがうまいなぁといわれた本人が感心する名前でした。
2、Tシャツをハーフパンツに入れている人
これは言われている本人が全く知らない所で、同じ学科内では相当知れ渡っていた異名です。この異名の由来は今でもこの時期はそうですが、夏となると私は毎日ハーフパンツにTシャツ、しかもTシャツを外に出しているのが嫌だから絶対にハーフパンツの中に入れて平気で外出しています。あんまりにも私がこの格好であちこち歩き回るもんだから、たまたまTシャツがハーフパンツから出ているとそれだけでニュースになっていたそうです。
3、洗濯物を取り込む男
在学中のある日、今にもやばいくらいの夕立が降ってきそうな天気なのに同じアパートに住んでいる後輩が外に布団を干していたので取りこむように言おうと尋ねた所、その後輩は当時外出していました。後輩と言ったって赤の他人、しかし布団が夕立に晒されてずぶ濡れになるなんて本当に最悪もいい所です。そうやって悩んだ結果、その後輩の隣の部屋に住んでいる別の後輩の部屋に行き、その部屋からベランダを移って勝手ながら布団を部屋に放り込んでおきました。
その後布団を放り込んでおいた後輩からは勝手な事をしてきながらもお礼を言ってもらえたのですが、取り込む際に部屋に入らせてもらった別の後輩がまたも学科内でこの話をばらしまくって、私と友人になると洗濯物を取り込んでくれると噂になってました。
4、ミスターHard Rock
別に私は音楽バンドとかをやっているわけじゃないのですが、うちの旅行狂いのお袋が世界中にある「Hard Rock Cafe」というレストランに各地で訪れて、私へのお土産に胸にでっかく「Hard Rock Cafe」と書かれたTシャツやらセーターを買ってくるので、夏場なんか毎日それを着ているもんだからいつの間にか「Hard Rock Cafe」が私の代名詞になっていました。今度何着持っているかをこのブログで数えてもいいけど、恐らく20着は超えているだろうな。
緩いネタをと思って書いたものの、想像以上にまた濃い内容になった気がします。
前に一度、これまでにあった野球選手のニックネームをまとめた記事を書いた事がありますが、ニックネームことあだ名というものはないよりもあった方が世の中いいと思います。具体的に何がいいとかそういった細かい理由まで詳しく書きませんが、やっぱり人となりや大まかな性格を理解する上で通しがいいし、初めて会った人に覚えてもらうのにもいい気がします。
かくいう私はこれまで何か特定のあだ名をもらった事はこれまでにないですが、その代わりに異名というか、「○○した人」というようなニックネームは何度か友人らからもらった事があります。せっかくの機会ですので、幾つかここでそれを紹介しようと思います。
1、花園~変態と呼ばれた漢
これは当時マガジンで連載していた「哲也~雀聖と呼ばれた漢」という漫画のタイトルからもじられたあだ名です。ごく一部の友人の間で、しかも使われた期間も少なかった異名ですが、もじりかたがうまいなぁといわれた本人が感心する名前でした。
2、Tシャツをハーフパンツに入れている人
これは言われている本人が全く知らない所で、同じ学科内では相当知れ渡っていた異名です。この異名の由来は今でもこの時期はそうですが、夏となると私は毎日ハーフパンツにTシャツ、しかもTシャツを外に出しているのが嫌だから絶対にハーフパンツの中に入れて平気で外出しています。あんまりにも私がこの格好であちこち歩き回るもんだから、たまたまTシャツがハーフパンツから出ているとそれだけでニュースになっていたそうです。
3、洗濯物を取り込む男
在学中のある日、今にもやばいくらいの夕立が降ってきそうな天気なのに同じアパートに住んでいる後輩が外に布団を干していたので取りこむように言おうと尋ねた所、その後輩は当時外出していました。後輩と言ったって赤の他人、しかし布団が夕立に晒されてずぶ濡れになるなんて本当に最悪もいい所です。そうやって悩んだ結果、その後輩の隣の部屋に住んでいる別の後輩の部屋に行き、その部屋からベランダを移って勝手ながら布団を部屋に放り込んでおきました。
その後布団を放り込んでおいた後輩からは勝手な事をしてきながらもお礼を言ってもらえたのですが、取り込む際に部屋に入らせてもらった別の後輩がまたも学科内でこの話をばらしまくって、私と友人になると洗濯物を取り込んでくれると噂になってました。
4、ミスターHard Rock
別に私は音楽バンドとかをやっているわけじゃないのですが、うちの旅行狂いのお袋が世界中にある「Hard Rock Cafe」というレストランに各地で訪れて、私へのお土産に胸にでっかく「Hard Rock Cafe」と書かれたTシャツやらセーターを買ってくるので、夏場なんか毎日それを着ているもんだからいつの間にか「Hard Rock Cafe」が私の代名詞になっていました。今度何着持っているかをこのブログで数えてもいいけど、恐らく20着は超えているだろうな。
緩いネタをと思って書いたものの、想像以上にまた濃い内容になった気がします。
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