最近元気のない記事が続いているので、久々に手のかかる記事を書こうと思います。
さて世の中経済々々とそれしかこの世にはないのかって言いたくなるくらいにみんなして経済を良くしなければと口々に言っていますが、単純に経済を良くする為にはどうすればよいのでしょうか。この経済を良くするための処方箋は時代によって異なり、戦前の日本であれば如何にして生産力を上げるかが最も重要視されましたが、近現代の日本においてはいかに消費力(主に国内の)を上げるかに注力されました。
この生産力と消費力ですが、言ってしまえばこの二つのうち片方だけが良くとも経済が好転するわけでもなく、効率よく力強い経済システムをつくるためにはこの生産と消費が二つ噛み合って高い水準になければならず、これは言い換えるなら物やサービスを作って付加価値をつける生産者、それらを購入して消費する消費者それぞれが成長しなければ経済も成長しないという事です。先ほど近現代では消費力を上げる事に政府は注力していると書きましたが、これは現代日本の生産力に比して消費力が不足しているという考え方からの処方策です。
このように消費と生産は車の両輪のよう揃っていなければいい経済にはならないのですが、生産者側、言い換えると物やサービスの売り手側の努力に対して近年の日本人消費者の行動や反応ぶりがこのところいささか目に余るというか、かえって全体利益を損なわせているのではないかと思うところがあります。もう早いところ結論を述べると、ちょっとこのところは政府や世間は消費者を甘やかし過ぎなんじゃないかと言いたいわけです。
私がこのように思うようになったのも、先日に政府で100円ライターの販売禁止が検討されている事が一つの大きなきっかけになりました。
事の起こりはこうで、小さい子供らを車の中に残しておいたところ、所有者である子供の親が置いていたライターを子供がいじくったのか車が炎上してしまい、そのまま数名の子供が火傷で死亡した事件が今年にありました。この事件が起こるや設立の初めからきな臭くは感じてはいましたが消費者庁が飛びつき、子供が遊ぶと危険だからしっかりとした対策がなされない限りは現行の100円ライターは全面禁止にしようと言い出しました。
しかし100円ライターを子供に渡しても平気なほどの対策を行うとなると明らかに製造コストが跳ね上がり、現製造メーカーらは規制が作られれば廃業してしまうと主張したものの消費者庁はだったら廃業してしまえと言わんばかりに、今でも聞く耳を持っていません。
そもそもの話、私はライターを子供の手の届く所に置いていたことこそが一番問題だと思います。厳しい意見となりますが子供が死亡した先ほどの車の炎上事件ではライターが置かれていた車内、さらには燃えやすい可燃物も置かれていたそうで、寝ていたとはいえ子供をそんなところに置きざりにしていたのですから同情こそするもののそれでライターを置いていたことが事故の原因とするのにはおかしさを感じます。
またこの100円ライター同様、二年前の秋葉原連続殺傷事件で両刃のナイフが使われたことを受けてすぐさま一定の長さ以上の両刃ナイフが販売はおろか使用まで禁止されましたが、牡蠣の養殖業を携わる方によると閉じた牡蠣の殻を割って中身を取り出す際に細身の両刃ナイフが長年使用され続けてきたのですが、この新しい規制によってこのナイフまで使用禁止となり、使用していた場合には罰金刑が課されるようになってしまったそうです。
100円ライターにしろ両刃ナイフにしろ、絶対的多数の人間、それこそ99%以上の人間が本来の生活上役に立つ使い方をしていたにもかかわらず、1%にも満たない不心得物が間違った使い方をしたのを受けて正直者99%に使用を禁止するなんて、どれだけ馬鹿な世の中なんだと言いたくなってくる話です。
特に100円ライターについては私は煙草を吸わないものの、家で逝去した祖父母に線香を焚く際によく使いますし、突然の大地震やバイオハザードが起きてゾンビが街に溢れたりするサバイバルな状況下では非常に有用なツールになるので禁止されるなんてふざけるなと声を大にして言いたいです。まぁバイオハザードはともかくとして、線香に火を点けるのであればチャッカマンでもいいのではと言う声もあるかもしれませんが、それだとライターが駄目でチャッカマンがいいという論理がまたおかしい気がします。第一、煙草に火を点けるのもチャッカマンに変えたら余計に危ない気がするし。
このように近年は何か事件や事故、しかも明らかに使用者側に問題があると思われるケースが起こるたびにすぐ規制がかかって関係のないほかの使用者も使えなくなるということが増えているように思えます。消費者保護といっては聞こえはいいですが実態的には単なるメーカーやまじめな使用者イジメにしかなっておらず、メーカー側もこうしたわけの分からない規制やクレームに対応しなければならないことを考えると社会全体に対して重いコストにしかなっていません。
もちろん商取引上、生産者(販売者)の方が消費者に対して偽装や欠陥を秘匿することができるため基本的には消費者保護の姿勢を社会は持たねばなりませんが、過剰な消費者保護は生産者はおろか真っ当な消費者の利益をも阻害しかねないと私は考えます。
特に近年は脅迫まがいのわけの分からないクレームをつける人間も増えており、消費者を保護する一方で真面目な生産者を社会が保護する必要性も現れてきたかと思います。生産者の側も商品やサービスを提供するからと言ってなんでもかんでも頭を下げても結局はそういったクレーマーを助長させることにしかならず、そろそろ正当なクレームと脅迫はしっかりと分けて、脅迫をしてくる人間に対しては「帰れボケッ( ゚皿゚)キーッ!!」って、時には怒鳴り返すことを社会も認めるべきでしょう。あくまで時にはだけれど。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2010年8月4日水曜日
2010年8月3日火曜日
最近ハマッている漫画
土曜日曜は一日十時間眠っていたのに対し月曜と昨夜は5時間くらいしか眠れなかったのがたたって、どうにも頭がボーっとします。通勤がもう少し短ければなぁ……。
そんなわけでまた趣味の漫画の話を今日はしようかと思いますが、実はこのところ漫画の購入量が急激に増えています。私は普段は漫画喫茶などを利用するなどして新刊はチェックするのですが、一回読むだけでは納得行かないと思えるいい作品にこのところよく会えています。
そんな中今一番はまっている作品ですが、もったいぶらずに言うと弐瓶勉氏の「シドニアの騎士」という漫画です。元々弐瓶勉氏についてはデビュー作の「BLAME!」の頃から知っており、当時からも他の漫画家と大きく一線を画す、巨大な建築物とその間における人間の対比が絶妙といえるような絵柄と、一回読んだだけじゃ全く何も理解できない超絶難解なストーリー構成から只者ではないと思っていましたが、現在も連載中のこの「シドニアの騎士」は「BLAME!」と比べて絵も内容も随分とマイルドになり、なおかつストーリーの重厚さは失われていなかったので改めてすごい漫画家だと思い知らされました。また「BLAME!」も買いなおそうかな。
弐瓶勉氏と並んで今私がもう一つはまっているのに、押切蓮介氏の「でろでろ」があります。元々押切蓮介氏はある日知ってしまった「ミスミソウ」という作品のストーリーがかなりアレだと聞いて興味が湧き、ひとまずデビュー作の「でろでろ」から読んでみようと手に取ったのがきっかけでした。
「でろでろ」の内容を簡単に紹介すると、これは一話完結型のギャグホラー作品なのですがなかなか癖になる話も多く、なおかつ意外と言っては失礼かもしれませんがキャラクターの書き分けが上手くて何度読み返しても面白いと素直に感じました。押切氏の絵についてもう一言加えると、最近の漫画家にしては非常に珍しくベタ(黒一色で塗りつぶす効果)の使い方が上手く、近年の漫画家が髪の毛をスクリーントーンを貼り付けて表現するのに対して押切氏はベタとケズリで器用に表現しています。こんなことしているのといったら他には「もやしもん」の作者と石川雅之氏くらいしか出てこないし。
そんなわけでまた趣味の漫画の話を今日はしようかと思いますが、実はこのところ漫画の購入量が急激に増えています。私は普段は漫画喫茶などを利用するなどして新刊はチェックするのですが、一回読むだけでは納得行かないと思えるいい作品にこのところよく会えています。
そんな中今一番はまっている作品ですが、もったいぶらずに言うと弐瓶勉氏の「シドニアの騎士」という漫画です。元々弐瓶勉氏についてはデビュー作の「BLAME!」の頃から知っており、当時からも他の漫画家と大きく一線を画す、巨大な建築物とその間における人間の対比が絶妙といえるような絵柄と、一回読んだだけじゃ全く何も理解できない超絶難解なストーリー構成から只者ではないと思っていましたが、現在も連載中のこの「シドニアの騎士」は「BLAME!」と比べて絵も内容も随分とマイルドになり、なおかつストーリーの重厚さは失われていなかったので改めてすごい漫画家だと思い知らされました。また「BLAME!」も買いなおそうかな。
弐瓶勉氏と並んで今私がもう一つはまっているのに、押切蓮介氏の「でろでろ」があります。元々押切蓮介氏はある日知ってしまった「ミスミソウ」という作品のストーリーがかなりアレだと聞いて興味が湧き、ひとまずデビュー作の「でろでろ」から読んでみようと手に取ったのがきっかけでした。
「でろでろ」の内容を簡単に紹介すると、これは一話完結型のギャグホラー作品なのですがなかなか癖になる話も多く、なおかつ意外と言っては失礼かもしれませんがキャラクターの書き分けが上手くて何度読み返しても面白いと素直に感じました。押切氏の絵についてもう一言加えると、最近の漫画家にしては非常に珍しくベタ(黒一色で塗りつぶす効果)の使い方が上手く、近年の漫画家が髪の毛をスクリーントーンを貼り付けて表現するのに対して押切氏はベタとケズリで器用に表現しています。こんなことしているのといったら他には「もやしもん」の作者と石川雅之氏くらいしか出てこないし。
2010年8月2日月曜日
組織拡大と綱領について
イギリス元首相のトニー・ブレアとなると日本ではジュニアブッシュに追従してイラク戦争に参戦したことからあまりいい評判ではありませんが、こと内政に関しては長く続いたイギリス病と呼ばれる長期不況から脱するなど目覚しい功績を残しております。そんな彼の経歴ですが、労働党の党首に若くして就任するやそれまでの労働党が持っていた社会福祉の絶対重視という綱領を一部捨て、保守党のマーガレット・サッチャーに始まる「第三の道」こと新自由主義路線の政策を採って中産階級にも支持を大きく広げることでなんと44歳という若さで英国首相という地位に上り詰めております。
トニー・ブレアの細かい政策内容についてまでは言及しませんが、彼は社会主義的性格の強い労働党の労働者保護などといった綱領を一部緩めるという事で組織拡大に成功したわけなのですが、早くから結論を述べると基本的に組織というのは綱領を強めた所ほど組織が縮小し、逆に緩めたところは組織拡大が起こる傾向があると以前から見ております。
同じく社会主義政党で英国労働党とちょうど好対照なのは日本の社民党なのですが、ここは冷戦が終わって社会主義国家像が薄れてからは以前よりも労働者保護と憲法護持という従来の主張をどんどんと強めていったのですが、結果は見ての通りですでに生息と息の泡沫政党にまで成り下がってしまいました。
私は組織というのは基本的に、アメーバのようなブヨブヨした流動体のような形で想像しております。組織というのはそのようにブヨブヨしているものだから、いくら綱領という凝固剤を投入したとしても時間が経つにつれてどんどんと崩れ落ちて行き、ボーっとしているとそのまま組織自体がなくなってしまうように考えています。
では組織を維持するためには何が必要なのかといえば、単純に行って門戸を大きく開き、新規の加入員をどんどんと連れてくることが何よりも大事です。たとえ一時期に大きな人気を博した綱領(憲法護持など)も経年劣化は避けられるわけもなく、時代ごとに求められる新たな概念を打ち出さなければ政党というものは自然消滅していくように思えます。
なにも日本の社民党に限らず世界的にも落ち目になってから従来からの支持者を強く繋ぎとめようと昔から持っている綱領を強めた組織は数多くありますが、結果的にはどれも余計に門戸を狭める事になって消滅を早める例が多いです。
何も綱領を全く持たずに緩々の組織であれば言いというわけではありませんが、がちがちに綱領を固めればいいってもんでもないという事でよくこのトニー・ブレアの話はあちこちでするようにしております。
翻って今の日本の消費市場ですが、どこの企業も対象とする顧客を強くゾーニングし、限られた顧客層に強く商品を売り出そうという傾向がこのところ強く見えます。顧客対象を調査して狙いをつけるということ自体は悪いというつもりはありませんが、なんていうか新たな商品をこれまであまり縁のなかった顧客層にもどんどん広げて行こうという、拡大していこうというような気概がどうもこのところ感じられません。昔のチキンラーメンみたいに、日本の食を変えてやるというような商品がでてこないものかとこのところよく思います。
トニー・ブレアの細かい政策内容についてまでは言及しませんが、彼は社会主義的性格の強い労働党の労働者保護などといった綱領を一部緩めるという事で組織拡大に成功したわけなのですが、早くから結論を述べると基本的に組織というのは綱領を強めた所ほど組織が縮小し、逆に緩めたところは組織拡大が起こる傾向があると以前から見ております。
同じく社会主義政党で英国労働党とちょうど好対照なのは日本の社民党なのですが、ここは冷戦が終わって社会主義国家像が薄れてからは以前よりも労働者保護と憲法護持という従来の主張をどんどんと強めていったのですが、結果は見ての通りですでに生息と息の泡沫政党にまで成り下がってしまいました。
私は組織というのは基本的に、アメーバのようなブヨブヨした流動体のような形で想像しております。組織というのはそのようにブヨブヨしているものだから、いくら綱領という凝固剤を投入したとしても時間が経つにつれてどんどんと崩れ落ちて行き、ボーっとしているとそのまま組織自体がなくなってしまうように考えています。
では組織を維持するためには何が必要なのかといえば、単純に行って門戸を大きく開き、新規の加入員をどんどんと連れてくることが何よりも大事です。たとえ一時期に大きな人気を博した綱領(憲法護持など)も経年劣化は避けられるわけもなく、時代ごとに求められる新たな概念を打ち出さなければ政党というものは自然消滅していくように思えます。
なにも日本の社民党に限らず世界的にも落ち目になってから従来からの支持者を強く繋ぎとめようと昔から持っている綱領を強めた組織は数多くありますが、結果的にはどれも余計に門戸を狭める事になって消滅を早める例が多いです。
何も綱領を全く持たずに緩々の組織であれば言いというわけではありませんが、がちがちに綱領を固めればいいってもんでもないという事でよくこのトニー・ブレアの話はあちこちでするようにしております。
翻って今の日本の消費市場ですが、どこの企業も対象とする顧客を強くゾーニングし、限られた顧客層に強く商品を売り出そうという傾向がこのところ強く見えます。顧客対象を調査して狙いをつけるということ自体は悪いというつもりはありませんが、なんていうか新たな商品をこれまであまり縁のなかった顧客層にもどんどん広げて行こうという、拡大していこうというような気概がどうもこのところ感じられません。昔のチキンラーメンみたいに、日本の食を変えてやるというような商品がでてこないものかとこのところよく思います。
2010年7月31日土曜日
私が今までにやったホラーゲーム
昨日は友人と深夜一時まで話をし、その後お腹がすいてそうめんを食べたので就寝は深夜二時でした。今朝は10時半まで寝たので睡眠時間はそこそこ取れているものの、平日は六時間弱しか睡眠時間が取れないので今日の昼間に二時間昼寝を取ったもののまだ眠いです。横綱白鵬は一日十六時間眠るそうですが、私もここまでとは行かずとも全盛期(中国留学中)は十時間眠るのがざらだったので今の生活リズムだとやっぱり普段はボーっとしてしまいます。そもそも寝過ぎなのが一番よくないのだけれど。
そこで今日も引き続き緩いネタをと思い、一つこれまでに私がやってきた、見てきた日本のホラーゲームを一部レビューとともに紹介しようと思います。何故にホラーゲームかというと、範囲が狭くてあまり他に解説するところも少ないだろうという打算があっての物であります。
1、スウィートホーム(ファミコン)
同盟の映画を原作としたホラーRPGゲーム。このゲームを作ったのは後述する「バイオ・ハザード」を作ったカプコンであるが、このゲームに関わったスタッフの一部が「バイオ・ハザード」の開発に携わっておりその土台になったと言われている。
このゲームの特徴はなんといっても、「一度死んだキャラはそのゲーム中、二度と甦らない」というRPGとしては厳しいルールです。通常のRPGではドラゴンクエストよろしくたとえ戦闘で死んでも甦らせるなどして戦闘に復帰させる事が出来るのですが、この「スウィートホーム」ではそんな生易しい救済措置などなく、問答無用でゲーム世界から追放されます。しかも最終的にはクリア時に生き残ったメンバー数によってエンディングが変化するので、やっている間は常に強い緊張感を持ち続けて遊ぶ事が出来ました。
そうしたゲーム上のルールもさることながらこのゲームでは恐怖の演出も上手く出来ており、ドット絵ながらも恐怖感の持てるグラフィックに館に仕掛けられたトラップなどお約束と思いつつもなかなかドキドキさせられました。特にネタバレになりますが重要キャラの「山村」のラストシーンはリアルに怖かったです
2、弟切草(スーパーファミコン)
現在でこそ大分一般的となったノベル系ゲームですが、その嚆矢となったこの「弟切草」からしてホラー要素が強く、次回作の「かまいたちの夜」を始めとしてその後のノベル系ゲームに大きな方向性を与えた偉大な第一作と考えて間違いないでしょう。
淡々と文章をグラフィック、BGMとともに読む。一体これのどこが面白いのかと問われると答えに困ってしまいますがそれでも面白いのだからなおすごいノベル系ゲームですが、その第一作の「弟切草」はさびれた館にカップルが迷い込むというお決まりの導入から始まりますが、そっから先は全く予想がつかないほどの膨大な選択肢とテキスト量にプレイヤーは圧倒されたかと思います。またグラフィック面でもちょうどファミコンからスーパーファミコンに移行した頃だったので、実際にプレイした私でもゾンビの顔グラフィックが怖くて仕方がありませんでした。
この「弟切草」の後、「かまいたちの夜」を始めとしてノベルゲームは続出しましたが、述べるゲームの完成系というのであれば「かまいたちの夜」が挙がりますが、テキスト寮や選択肢の豊富さを言うのであれば未だにこの「弟切草」を超えるものは出ていないかと思います。
3、零(PS2)
過去に「零~紅い蝶」についてレビューをこのブログで書いたことがありますが、このテクモの出した「零」シリーズの特徴を一言で言うならば、純粋な和風ホラーを追求した点にあるかと思います。舞台はシリーズを通して和風の屋敷や村で出てくる霊もしょっちゅう着物を着ており、しかもそんな怖い霊に対してカメラを撮って攻撃するという、見たくもないものを無理矢理見させて攻略させるこのシステムが恐らく海外の方でもヒットした要因でしょう。
私自身はこのゲームは面白いとは思うものの特段怖いと感じることはなく、むしろその綺麗なグラフィックと、Xbox版のわけの分からないコスチュームの多さの方が気に成りました。
4、DEEP FEAR(セガサターン)
多分このゲームは知っている人も少なそうですが、当時大ヒットしていた「バイオハザード」に追従する形でセガが作ったサバイバルホラーゲームです。このゲームの特徴ははっきり言って殆んどがバイオハザードと一緒なんですが、舞台が海底基地ということから常に室内の酸素量を気にしなければならないこと、敵クリーチャーの造形がそこそこよかった(全体的に映画の「エイリアン」っぽい)という点で異なっています。ただ残念というか私の友人から酷評されていた点として武器に使う弾薬が無限に補給できてしまうため、この点が制限されていた「バイオハザード」と違って緊張感がなかったとされています。
私はストーリーとか全体的に出来は悪くなかったと思うのですが、そもそもが二番煎じであったためにそれなりの結果になってしまったのではないかと思います。続編も出なかったし。
5、バイオハザード2(PS)
ご存知日本が誇るホラーゲームの金字塔となったこの一作。一応シリーズは1、2、3、4、アウトブレイク、Code Veronicaはやっているのですが敢えてここでは世界的ヒットを生んだ2を取り上げることにします。
この「バイオハザード」がどうしてここまで高い評価を得られたかといえば、ひとえにまずゲームの開発環境が揃ったということがあったのではないかと思います。スーパーファミコンからプレイステーションへ、当時に次世代機と呼ばれたハードへの以降があって3D描写も容易となり、これまで作ろうと思っていたものの作れなかったゲームが開発できる環境に至ってゾンビに横スクロールではなく追いかけられるこのゲームが成立し、それがユーザーの嗜好にマッチしたのが大きいように思います。
またこのバイオハザードが成功したもうひとつの要因として、比較的高めの難易度、現実に存在する武器を使って戦う、そしてその使用回数が限られているというサバイバルホラーの名に恥じない要素も大きかったでしょう。
一作目も十分に売れましたが世界的に大きな成功を収めたこの「バイオハザード2」はストーリー自体はB級ホラーもいいとこでしたが、
・1プレイ時間が約三時間
・二人の主人公にそれぞれ表編、裏編とシナリオが二つある
・クリア後のおまけ要素が盛りだくさん
・結構しつこいタイラント
といった要素があって繰り返し遊べたがゆえに私も相当のめりこんでやってました。無駄にラスボス相手にハンドガンで戦ったり。
なおこの「バイオハザード2」のテレビCMではハリウッド俳優で天才子役として一時名を馳せたブラッド・レンフロ氏が出演していましたが、この人は二年前にコカイン中毒のためわずか26歳で夭折してしまいました。今じゃすっかり「バイオハザード」と来ると映画のミラ・ジョボビッチ氏が挙がって来ますが、ブラッド・レンフロ氏のデビュー作の「依頼人」を観ているだけに私の中では未だにこの人が浮かんできたりします。
まだまだ紹介するホラーゲームはありますが、ひとまず今日はここまでにしておきます。意外と書いてみたらつまらなかったし。
そこで今日も引き続き緩いネタをと思い、一つこれまでに私がやってきた、見てきた日本のホラーゲームを一部レビューとともに紹介しようと思います。何故にホラーゲームかというと、範囲が狭くてあまり他に解説するところも少ないだろうという打算があっての物であります。
1、スウィートホーム(ファミコン)
同盟の映画を原作としたホラーRPGゲーム。このゲームを作ったのは後述する「バイオ・ハザード」を作ったカプコンであるが、このゲームに関わったスタッフの一部が「バイオ・ハザード」の開発に携わっておりその土台になったと言われている。
このゲームの特徴はなんといっても、「一度死んだキャラはそのゲーム中、二度と甦らない」というRPGとしては厳しいルールです。通常のRPGではドラゴンクエストよろしくたとえ戦闘で死んでも甦らせるなどして戦闘に復帰させる事が出来るのですが、この「スウィートホーム」ではそんな生易しい救済措置などなく、問答無用でゲーム世界から追放されます。しかも最終的にはクリア時に生き残ったメンバー数によってエンディングが変化するので、やっている間は常に強い緊張感を持ち続けて遊ぶ事が出来ました。
そうしたゲーム上のルールもさることながらこのゲームでは恐怖の演出も上手く出来ており、ドット絵ながらも恐怖感の持てるグラフィックに館に仕掛けられたトラップなどお約束と思いつつもなかなかドキドキさせられました。特にネタバレになりますが重要キャラの「山村」のラストシーンはリアルに怖かったです
2、弟切草(スーパーファミコン)
現在でこそ大分一般的となったノベル系ゲームですが、その嚆矢となったこの「弟切草」からしてホラー要素が強く、次回作の「かまいたちの夜」を始めとしてその後のノベル系ゲームに大きな方向性を与えた偉大な第一作と考えて間違いないでしょう。
淡々と文章をグラフィック、BGMとともに読む。一体これのどこが面白いのかと問われると答えに困ってしまいますがそれでも面白いのだからなおすごいノベル系ゲームですが、その第一作の「弟切草」はさびれた館にカップルが迷い込むというお決まりの導入から始まりますが、そっから先は全く予想がつかないほどの膨大な選択肢とテキスト量にプレイヤーは圧倒されたかと思います。またグラフィック面でもちょうどファミコンからスーパーファミコンに移行した頃だったので、実際にプレイした私でもゾンビの顔グラフィックが怖くて仕方がありませんでした。
この「弟切草」の後、「かまいたちの夜」を始めとしてノベルゲームは続出しましたが、述べるゲームの完成系というのであれば「かまいたちの夜」が挙がりますが、テキスト寮や選択肢の豊富さを言うのであれば未だにこの「弟切草」を超えるものは出ていないかと思います。
3、零(PS2)
過去に「零~紅い蝶」についてレビューをこのブログで書いたことがありますが、このテクモの出した「零」シリーズの特徴を一言で言うならば、純粋な和風ホラーを追求した点にあるかと思います。舞台はシリーズを通して和風の屋敷や村で出てくる霊もしょっちゅう着物を着ており、しかもそんな怖い霊に対してカメラを撮って攻撃するという、見たくもないものを無理矢理見させて攻略させるこのシステムが恐らく海外の方でもヒットした要因でしょう。
私自身はこのゲームは面白いとは思うものの特段怖いと感じることはなく、むしろその綺麗なグラフィックと、Xbox版のわけの分からないコスチュームの多さの方が気に成りました。
4、DEEP FEAR(セガサターン)
多分このゲームは知っている人も少なそうですが、当時大ヒットしていた「バイオハザード」に追従する形でセガが作ったサバイバルホラーゲームです。このゲームの特徴ははっきり言って殆んどがバイオハザードと一緒なんですが、舞台が海底基地ということから常に室内の酸素量を気にしなければならないこと、敵クリーチャーの造形がそこそこよかった(全体的に映画の「エイリアン」っぽい)という点で異なっています。ただ残念というか私の友人から酷評されていた点として武器に使う弾薬が無限に補給できてしまうため、この点が制限されていた「バイオハザード」と違って緊張感がなかったとされています。
私はストーリーとか全体的に出来は悪くなかったと思うのですが、そもそもが二番煎じであったためにそれなりの結果になってしまったのではないかと思います。続編も出なかったし。
5、バイオハザード2(PS)
ご存知日本が誇るホラーゲームの金字塔となったこの一作。一応シリーズは1、2、3、4、アウトブレイク、Code Veronicaはやっているのですが敢えてここでは世界的ヒットを生んだ2を取り上げることにします。
この「バイオハザード」がどうしてここまで高い評価を得られたかといえば、ひとえにまずゲームの開発環境が揃ったということがあったのではないかと思います。スーパーファミコンからプレイステーションへ、当時に次世代機と呼ばれたハードへの以降があって3D描写も容易となり、これまで作ろうと思っていたものの作れなかったゲームが開発できる環境に至ってゾンビに横スクロールではなく追いかけられるこのゲームが成立し、それがユーザーの嗜好にマッチしたのが大きいように思います。
またこのバイオハザードが成功したもうひとつの要因として、比較的高めの難易度、現実に存在する武器を使って戦う、そしてその使用回数が限られているというサバイバルホラーの名に恥じない要素も大きかったでしょう。
一作目も十分に売れましたが世界的に大きな成功を収めたこの「バイオハザード2」はストーリー自体はB級ホラーもいいとこでしたが、
・1プレイ時間が約三時間
・二人の主人公にそれぞれ表編、裏編とシナリオが二つある
・クリア後のおまけ要素が盛りだくさん
・結構しつこいタイラント
といった要素があって繰り返し遊べたがゆえに私も相当のめりこんでやってました。無駄にラスボス相手にハンドガンで戦ったり。
なおこの「バイオハザード2」のテレビCMではハリウッド俳優で天才子役として一時名を馳せたブラッド・レンフロ氏が出演していましたが、この人は二年前にコカイン中毒のためわずか26歳で夭折してしまいました。今じゃすっかり「バイオハザード」と来ると映画のミラ・ジョボビッチ氏が挙がって来ますが、ブラッド・レンフロ氏のデビュー作の「依頼人」を観ているだけに私の中では未だにこの人が浮かんできたりします。
まだまだ紹介するホラーゲームはありますが、ひとまず今日はここまでにしておきます。意外と書いてみたらつまらなかったし。
2010年7月30日金曜日
近年の女性アイドル業界について
最近またお堅い内容が続いているので何か軟らかい事を書こうかなと考えていたら何故か女性アイドル業界が思い浮かんできたので、今日はこれについてさらっと書こうかと思います。前もって断っておきますがここで書く内容はあくまで私の主観によるものなので、細かい所はいちいち突っ込まずにこんな意見を持ってる奴がいるんだ程度で軽く流してください。あと人名が多く出るので、敬称はこの際一つもつけずにどんどんと書いていきます。
まず近年のアイドル業界における一つの特徴として、またぞろ平均年齢が低下し始めてきた事が挙げられるかと思います。2000年代中盤は29歳という以前では考えられない年齢でブレイクしたほしのあきを筆頭として20代中盤の、主にグラビア出身のアイドルがテレビなどで活躍していましたが、寄る年波には勝てず近年はテレビでの露出が大幅に減ってきております。特に顕著なのはイエローキャブに所属していたアイドル達で、分離したサンズエンタテインメント所属共々かつての勢いはどこに言ったのかと思うくらい見かけなくなり、小池栄子などブレイクしていた頃にレギュラーを勝ち得た番組を持つアイドル以外はもう殆んどゴールデンで見ることが出来ません。
こうしたアイドル達に取って代わったといえるのがAKB48を初めとした、10代を中心としたアイドルユニットグループだと思います。ただアイドルの低年齢化が最も激しかったのは90年代後半のモーニング娘全盛期で、あの頃は辻、加護を筆頭に中学生ジュニアアイドルがこれでもかと言わんばかりに活躍しており、そのころに比べるならば今のアイドルが極端に年齢が低いとは言えず、むしろアイドル全盛期だった80年代よりは平均年齢が高いように感じます。それでも低年齢化を私が強く意識してしまうのは先述の通りにちょっと前がこれまでにないくらいに高年齢アイドルが活躍していた時代を経ているので、ちょうどそのギャップゆえだからでしょう。
それで今やアイドル界で大きな顔をしているAKB48ですが、確かに今の時代では比較的強い力を持っているとは言えますが、これまでのトップアイドル達と比べるとその影響力はやはり低いように思えます。それこそモーニング娘の全盛期の頃は街中のそこらかしこで「LOVEマシーン」が流れて一通りのサビ部分の歌詞を私も自然と覚えましたが、AKB48に至ってはこれが全くなく、一体どの曲が彼女らの歌なのか塵一つ知りません。
この違いは音楽業界の衰退もあってCDの売り上げ数低下も影響しているでしょうが、それとは別にもう一つ、モーニング娘とAKB48の売り出し方の大きな違いもあるかと思います。
モーニング娘が日本全国老若男女津々浦々に広く大衆に対して売り出したのに対し、AKB48はそのユニット名からして非常に対象を絞った売り出し方をしているのではないかと私は見ました。この二つの売り方がどう違うかというと簡単に言って広く浅くか狭く深くかの違いで、前者は万人受けするようにジュニアアイドルを入れる一方で中澤裕子や後藤真希など年齢層やヒットする対象の違うメンバーが組まれていたのに対し、後者は販売方法によるものもありますが一人でCDやグッズをいくつも買うような人を主な対象としているところがあり、アイドルユニットの性格としては真逆の位置にあるのではないかと思います。
ただ苦言というか、これはアイドルユニットに限るわけじゃないですが対象を狭く絞った組織や集団というのは基本的にどれも長くは続かない傾向があり、一回ぱっと盛り上がった後に急速にしぼんでいくという例がたくさんあるので、もしかしたらAKB48は使い捨てにされるんじゃないかという気がしてなりません。私が心配してもしょうがないけど。
このようにアイドルというのは元々賞味期限が少なくどんどんと切り替わっていくもので、グラビア界もさきほどのイエローキャブ勢をはじめ、一時期トップグラビアとして君臨した小倉優子、期待されていたわりにはすぐに旬が過ぎたスザンヌなどがおりますが、何年間にも渡り活躍し続ける稀有な存在として私が一目置いているのは上戸彩です。
元々この人は「3年B組金八先生」での演技で注目を浴びて最初はそのまま演技畑に行くかと思いきや、初主演作の「あずみ」が、私も見ましたがびっくりするくらい下手な演技で、映画で主演をしてかえって評価を一時下げたという非常に稀な経歴があります。
ただこの上戸彩を何年にも渡ってトップアイドルとして君臨させ続けているのは、なんといってもテレコマーシャルでの活躍ぶりです。すっかりおなじみとなったソフトバンクの白戸家シリーズやオロナミンCのCMなど何年も出続けている定番のCMを持っているだけでも非常に強みなのに、それ以外の年毎のCMでもやはり他のアイドルと比べて一際光って見えます。個人的にお気に入りなのは損保JAPANでパンダの着ぐるみでしたが。
彼女のギャラはCM一本辺り年間契約で5,000万円とされてますから、年俸を計算すると本当に天文学的数字になってしまいそうです。
最後に私のお気に入りの井上和香についてですが、彼女は最初はグラビア、次はバラエティーと活躍の場を意図的に変えていった節があり、現在は一昨年の朝ドラでも出演していたように演技での活躍の場をねらっているように思えます。どうでもいいですが昔ロンドンで寮が一緒になった双子の女性に井上和香が好きだといったら、
「顔に似合わず巨乳好きなのね( ^∀^)」
と言われ、一瞬ちょっとショックを受けたものの、「顔にそぐわぬ巨乳好き」と言われるよりずっとマシだと思って立ち直りました。
まず近年のアイドル業界における一つの特徴として、またぞろ平均年齢が低下し始めてきた事が挙げられるかと思います。2000年代中盤は29歳という以前では考えられない年齢でブレイクしたほしのあきを筆頭として20代中盤の、主にグラビア出身のアイドルがテレビなどで活躍していましたが、寄る年波には勝てず近年はテレビでの露出が大幅に減ってきております。特に顕著なのはイエローキャブに所属していたアイドル達で、分離したサンズエンタテインメント所属共々かつての勢いはどこに言ったのかと思うくらい見かけなくなり、小池栄子などブレイクしていた頃にレギュラーを勝ち得た番組を持つアイドル以外はもう殆んどゴールデンで見ることが出来ません。
こうしたアイドル達に取って代わったといえるのがAKB48を初めとした、10代を中心としたアイドルユニットグループだと思います。ただアイドルの低年齢化が最も激しかったのは90年代後半のモーニング娘全盛期で、あの頃は辻、加護を筆頭に中学生ジュニアアイドルがこれでもかと言わんばかりに活躍しており、そのころに比べるならば今のアイドルが極端に年齢が低いとは言えず、むしろアイドル全盛期だった80年代よりは平均年齢が高いように感じます。それでも低年齢化を私が強く意識してしまうのは先述の通りにちょっと前がこれまでにないくらいに高年齢アイドルが活躍していた時代を経ているので、ちょうどそのギャップゆえだからでしょう。
それで今やアイドル界で大きな顔をしているAKB48ですが、確かに今の時代では比較的強い力を持っているとは言えますが、これまでのトップアイドル達と比べるとその影響力はやはり低いように思えます。それこそモーニング娘の全盛期の頃は街中のそこらかしこで「LOVEマシーン」が流れて一通りのサビ部分の歌詞を私も自然と覚えましたが、AKB48に至ってはこれが全くなく、一体どの曲が彼女らの歌なのか塵一つ知りません。
この違いは音楽業界の衰退もあってCDの売り上げ数低下も影響しているでしょうが、それとは別にもう一つ、モーニング娘とAKB48の売り出し方の大きな違いもあるかと思います。
モーニング娘が日本全国老若男女津々浦々に広く大衆に対して売り出したのに対し、AKB48はそのユニット名からして非常に対象を絞った売り出し方をしているのではないかと私は見ました。この二つの売り方がどう違うかというと簡単に言って広く浅くか狭く深くかの違いで、前者は万人受けするようにジュニアアイドルを入れる一方で中澤裕子や後藤真希など年齢層やヒットする対象の違うメンバーが組まれていたのに対し、後者は販売方法によるものもありますが一人でCDやグッズをいくつも買うような人を主な対象としているところがあり、アイドルユニットの性格としては真逆の位置にあるのではないかと思います。
ただ苦言というか、これはアイドルユニットに限るわけじゃないですが対象を狭く絞った組織や集団というのは基本的にどれも長くは続かない傾向があり、一回ぱっと盛り上がった後に急速にしぼんでいくという例がたくさんあるので、もしかしたらAKB48は使い捨てにされるんじゃないかという気がしてなりません。私が心配してもしょうがないけど。
このようにアイドルというのは元々賞味期限が少なくどんどんと切り替わっていくもので、グラビア界もさきほどのイエローキャブ勢をはじめ、一時期トップグラビアとして君臨した小倉優子、期待されていたわりにはすぐに旬が過ぎたスザンヌなどがおりますが、何年間にも渡り活躍し続ける稀有な存在として私が一目置いているのは上戸彩です。
元々この人は「3年B組金八先生」での演技で注目を浴びて最初はそのまま演技畑に行くかと思いきや、初主演作の「あずみ」が、私も見ましたがびっくりするくらい下手な演技で、映画で主演をしてかえって評価を一時下げたという非常に稀な経歴があります。
ただこの上戸彩を何年にも渡ってトップアイドルとして君臨させ続けているのは、なんといってもテレコマーシャルでの活躍ぶりです。すっかりおなじみとなったソフトバンクの白戸家シリーズやオロナミンCのCMなど何年も出続けている定番のCMを持っているだけでも非常に強みなのに、それ以外の年毎のCMでもやはり他のアイドルと比べて一際光って見えます。個人的にお気に入りなのは損保JAPANでパンダの着ぐるみでしたが。
彼女のギャラはCM一本辺り年間契約で5,000万円とされてますから、年俸を計算すると本当に天文学的数字になってしまいそうです。
最後に私のお気に入りの井上和香についてですが、彼女は最初はグラビア、次はバラエティーと活躍の場を意図的に変えていった節があり、現在は一昨年の朝ドラでも出演していたように演技での活躍の場をねらっているように思えます。どうでもいいですが昔ロンドンで寮が一緒になった双子の女性に井上和香が好きだといったら、
「顔に似合わず巨乳好きなのね( ^∀^)」
と言われ、一瞬ちょっとショックを受けたものの、「顔にそぐわぬ巨乳好き」と言われるよりずっとマシだと思って立ち直りました。
2010年7月29日木曜日
信頼性なき日本財政
あまり世の中で取り上げられる事は非常に少ないのですが、小泉政権は世界的にも非常に珍しい偉業を一つ達成しております。その意業というのも、財政出動なしでの景気の回復です。
小泉氏が総理になる前の自民党総裁選で小泉氏が公約として掲げたものの一つに、「国債発行高を30兆円以下に収める」というものがありました。その後見事総理に就任して小泉氏でしたが作った予算は結局30兆円からすこし足が出て、あの有名な、「この程度の公約違反、大したことではない」という発言が飛び出すこととなったのですが、それでも自らを「平成の借金王」とまで言った前小渕政権と比べると国債発行高は非常に抑えられ、全体の予算額もそれ以前から大きく縮小されました。
この小泉氏、というよりは経済産業担当大臣だった竹中平蔵氏ら主導の予算案に対し野党議員、評論家、並びに身内の自民党議員からも、「不況期にどうして財政出動(公共事業)を減らすのだ(#゚Д゚)」と、当時の私が覚えている限りでもどこを見回しても肯定的な意見はありませんでした。小泉氏も小泉氏で、
「経済は竹中君に任してるから(´∀`)」
「えっ、全部俺!?(;´Д`)」
てな感じで責任転嫁をしたので竹中氏が国会中で総叩きを食らう羽目となってしまいましたが、その数年後の9.11選挙で小泉氏が勝利した後に東証株価などが飛躍的に伸びるなど、リーマンショックが起きるまで一時的とはいえ日本の景気は回復傾向が起こりました。
この景気回復に対しては今でも議論が行われており、格差を無理矢理広げた上での偽りの景気回復だった、それ以前の小渕政権までの財政出動が時間が経ってようやく効果がでたものだ、などという意見がありますが、失われた十年にあれだけ馬鹿みたいに財政出動して何の効果もなかった事、五年間の運営実績を考えるとやはり小泉政権の功績と取るべきだと考えております。
さてここで経済学の話になりますが、中学校の公民の時間でも教わるくらい、一般的に不況期には政府は財政出動をして公共事業を行うことがよいとされていますが、これは20世紀のケインズが提唱した政策でフランクリン・ルーズベルトが採用してニューディール政策と呼ばれた事でも有名です。しかしそもそもの話、ニューディール政策自体が現在その効果が疑問視されており、また先にも述べた通りに日本も失われた十年の間に小渕政権を筆頭として財政出動を繰り返したもののはっきり関連が見える効果は何も生まれず、私自身本当にただの無駄遣いだったという評価をしております。
では逆に財政出動を切り詰める所まで切り詰めた小泉内閣はどうして一時的な景気回復に成功したのでしょうか。それについては昔に書いた「竹中平蔵の功罪~陽編~」に詳しく書いていますが、最近これとは別に、かえって財政出動を減らしたこともよかったのではないかと思うようになってきました。
こう思うようになった一つのきっかけはうちの両親の会話で、仮に親父が60歳で定年を迎えるにしろ年金をもらえるようになる65歳まで生活するのに平均で2,000万円以上の貯金が必要だとテレビか雑誌かで言われていると話し合い、現行の貯金額と受け取るであろう退職金額を予想した上ですでにリストラ候補となっているうちの親父がいつまで会社のリストラ要求を突っぱねて給料をもらい続けるかというシミュレーションを立てていました。またその会話で仮に現行の年金制度が維持されるならともかく、今後給付額が減らされる可能性もあることから実際にはシミュレーション以上の貯金が必要になってくるかもしれないとも話し合っていました。
実際に日本の年金制度がこのままでは破綻するのは簡単にシミュレーションできることで、将来的には受給世代の給付額が減って現役世代の納付額が増やされる事は自明と言っていいでしょう。また年金に限らず今の借金漬けの日本の財政を考えるにつけ、医療費を含めた社会保障費はどんどんと減らされていくことも考えられ、そんな時代では消費よりも貯蓄の方に頭が行ってしまうというのも自然な話です。
久々に大分前置きが長くなりましたが、要するに日本の財政、年金に信頼がないからこそ現代の日本人は消費意欲が低いのであって、それが景気に悪影響を及ぼしている最大の原因ではないかと私は言いたいわけです。
小泉政権は確かに切捨てと言われるような厳しい政策を採ったものの曲がりなりにも財政再建に真正面から取り組んでいましたが、それ以降の政権では徐々に予算を拡大化させ、前鳩山政権に至っては税収以上の国債を発行する甲斐性なしの男性のような予算まで組みました。
私はいくら今が不況だからって、借金がない状態ならともかくすでに借金漬けの現状で財政出動を行うのは余計に国民から財政への信頼を失わさせ、景気悪化を引き寄せる事になるのではないかと思います。それであれば弱者切捨てとなろうとも、まだ未来が持てるような政策を取った方がまだ最終的な犠牲者は少なくて済む気がします。弱者切捨て以前に、まず真っ先に切るべきは子供手当てでしょうが。
小泉氏が総理になる前の自民党総裁選で小泉氏が公約として掲げたものの一つに、「国債発行高を30兆円以下に収める」というものがありました。その後見事総理に就任して小泉氏でしたが作った予算は結局30兆円からすこし足が出て、あの有名な、「この程度の公約違反、大したことではない」という発言が飛び出すこととなったのですが、それでも自らを「平成の借金王」とまで言った前小渕政権と比べると国債発行高は非常に抑えられ、全体の予算額もそれ以前から大きく縮小されました。
この小泉氏、というよりは経済産業担当大臣だった竹中平蔵氏ら主導の予算案に対し野党議員、評論家、並びに身内の自民党議員からも、「不況期にどうして財政出動(公共事業)を減らすのだ(#゚Д゚)」と、当時の私が覚えている限りでもどこを見回しても肯定的な意見はありませんでした。小泉氏も小泉氏で、
「経済は竹中君に任してるから(´∀`)」
「えっ、全部俺!?(;´Д`)」
てな感じで責任転嫁をしたので竹中氏が国会中で総叩きを食らう羽目となってしまいましたが、その数年後の9.11選挙で小泉氏が勝利した後に東証株価などが飛躍的に伸びるなど、リーマンショックが起きるまで一時的とはいえ日本の景気は回復傾向が起こりました。
この景気回復に対しては今でも議論が行われており、格差を無理矢理広げた上での偽りの景気回復だった、それ以前の小渕政権までの財政出動が時間が経ってようやく効果がでたものだ、などという意見がありますが、失われた十年にあれだけ馬鹿みたいに財政出動して何の効果もなかった事、五年間の運営実績を考えるとやはり小泉政権の功績と取るべきだと考えております。
さてここで経済学の話になりますが、中学校の公民の時間でも教わるくらい、一般的に不況期には政府は財政出動をして公共事業を行うことがよいとされていますが、これは20世紀のケインズが提唱した政策でフランクリン・ルーズベルトが採用してニューディール政策と呼ばれた事でも有名です。しかしそもそもの話、ニューディール政策自体が現在その効果が疑問視されており、また先にも述べた通りに日本も失われた十年の間に小渕政権を筆頭として財政出動を繰り返したもののはっきり関連が見える効果は何も生まれず、私自身本当にただの無駄遣いだったという評価をしております。
では逆に財政出動を切り詰める所まで切り詰めた小泉内閣はどうして一時的な景気回復に成功したのでしょうか。それについては昔に書いた「竹中平蔵の功罪~陽編~」に詳しく書いていますが、最近これとは別に、かえって財政出動を減らしたこともよかったのではないかと思うようになってきました。
こう思うようになった一つのきっかけはうちの両親の会話で、仮に親父が60歳で定年を迎えるにしろ年金をもらえるようになる65歳まで生活するのに平均で2,000万円以上の貯金が必要だとテレビか雑誌かで言われていると話し合い、現行の貯金額と受け取るであろう退職金額を予想した上ですでにリストラ候補となっているうちの親父がいつまで会社のリストラ要求を突っぱねて給料をもらい続けるかというシミュレーションを立てていました。またその会話で仮に現行の年金制度が維持されるならともかく、今後給付額が減らされる可能性もあることから実際にはシミュレーション以上の貯金が必要になってくるかもしれないとも話し合っていました。
実際に日本の年金制度がこのままでは破綻するのは簡単にシミュレーションできることで、将来的には受給世代の給付額が減って現役世代の納付額が増やされる事は自明と言っていいでしょう。また年金に限らず今の借金漬けの日本の財政を考えるにつけ、医療費を含めた社会保障費はどんどんと減らされていくことも考えられ、そんな時代では消費よりも貯蓄の方に頭が行ってしまうというのも自然な話です。
久々に大分前置きが長くなりましたが、要するに日本の財政、年金に信頼がないからこそ現代の日本人は消費意欲が低いのであって、それが景気に悪影響を及ぼしている最大の原因ではないかと私は言いたいわけです。
小泉政権は確かに切捨てと言われるような厳しい政策を採ったものの曲がりなりにも財政再建に真正面から取り組んでいましたが、それ以降の政権では徐々に予算を拡大化させ、前鳩山政権に至っては税収以上の国債を発行する甲斐性なしの男性のような予算まで組みました。
私はいくら今が不況だからって、借金がない状態ならともかくすでに借金漬けの現状で財政出動を行うのは余計に国民から財政への信頼を失わさせ、景気悪化を引き寄せる事になるのではないかと思います。それであれば弱者切捨てとなろうとも、まだ未来が持てるような政策を取った方がまだ最終的な犠牲者は少なくて済む気がします。弱者切捨て以前に、まず真っ先に切るべきは子供手当てでしょうが。
2010年7月28日水曜日
千葉景子法相の死刑執行署名について
かなり以前に佐藤優氏がその著作において、日本で法務大臣の権威が低すぎるのは問題だという指摘を行っていました。佐藤氏によると米国では大統領が突然死した場合、ピンチヒッターで次の大統領に就任する優先順位は第一位に副大統領で、確か二位か三位に法務大臣が来るそうで、法治国家において国の根幹となす法律を管理する最高責任者はその職務を全うするに足る相応の人物がならなければいけないと重く見られているそうです。それに対し日本では、国土交通大臣や厚生大臣と比べると利権が少ないという理由で権威が非常に低いのは異常だと佐藤氏は指摘していました。
佐藤氏は検察から国策捜査を受けた事があるゆえになかなか説得力があるのですが、確かに近年私が確認するだけでもこの法務相という職には首を傾げざるを得ない人選がことごとくなされており、それまでの経験で法務に全く携わってこなかった人間や、失言を繰り返す人間がなるなど、どこかお飾りというかマスコット的な大臣職にしか扱われていないだろうと感じていました。
幾つかそういった法務大臣経験者を出すと、まず第一に挙がってくるのは第二次小泉内閣での南野知惠子氏です。国会での質問に度々窮してついに出てきた言葉が「何分、専門家ではないもので」という発言で、法の素人がどうしてその最高責任者になれるんだよと見ていて呆れさせられました。
次に問題性があると私が感じたのは麻生内閣での森英介氏です。森氏は不法入国していたフィリピン人家族の処置に対して曖昧な態度を取り続けた上に、あまりニュースでは取り上げていませんが冤罪だった可能性が未だ濃く残る飯塚事件の犯人の死刑執行署名にサインしております。
簡単に飯塚事件について説明するとこの事件は検察と警察が冤罪だったと完全降伏するに至った足利事件と全く構図が一緒で、警察が犯人を特定するに至ったのは現場で見られたと証言のあった車と同じ車を犯人とされた人物が持っていたことと、当時の技術レベルの低い不正確なDNA鑑定の結果だけでそれ以外の物証は何もありませんでした。
しかも犯人とされた人物は終始無実を訴えていたのですが、死刑執行の優先順位が100人中61番目だったにも関わらず、再審請求が行われていたにも関わらず刑が執行されました。この異例ともいえる執行が何故行われたかについてはいろいろいわれていますが、事件の舞台となった飯塚市がある総理経験者と同じ選挙区だったことが影響していたのではという意見があるとだけ申しておきます。
この他第四次小泉内閣での杉浦正健氏も如何な人物でしたが、そんな法務大臣職に民主党が政権交代して誰がなるかと思っていたら、杉浦氏同様に就任するや、「死刑執行の署名は行わない」と言い出す千葉景子氏でした。いい大人だったら本当にやるやらないは別としてこういったことは口には出さないでいるべきだと思うのですが、弁護士出身とはいえまたも不安な人間がなったなぁとかねてから思っていました。そうしたら、
・千葉法相、2人の死刑執行 「見届けることが責務」と立ち会い(産経新聞)
なんとかつての自分の発言はどこいったのか、千葉氏は今日になって突然二人の死刑受刑者の刑執行を行ったと発表してきました。
そもそも千葉氏は前回の参議院選挙で落選しており、現在はいわば民間人大臣であります。小泉政権の頃の竹中平蔵氏みたいに民間人ではあれども経済学者出身として専門分野に直結する経済産業担当大臣を務めるというのならば分かりますが、何度も言いますが法治国家において法を管理する最高責任者が選挙の洗礼を受けない、っていうか洗礼を受けて落選し、国会議員でもなくなった一民間人が法務大臣を務める事には前々から批判がありましたが、まさかそんな人間が死刑執行を決めるなんて私もさすがに唖然としました。
この千葉氏の民間人という地位について枝野幹事長は執行の署名はまだ千葉氏が参議院議員資格のある24日に行ったとフォローを入れていましたが、これはこれで企業で言うなら退任間近の社長が人事に介入するような行為と変わらず、少なくとも死刑執行の署名をするに適当な時期ではなく問題があるように私は思えます。
今回の死刑執行の一件は、言ってしまえば任命されれば誰でも死刑受刑者を好きに処刑できるという事を証明してしまったと思います。死刑という制度についていろいろと議論する余地はありますが、今回の一件はどこをどうみても評価できる点を見つける事は多分出来ないでしょう。これを期に法務大臣職にはもう少しまともな人物がなるようになればまだいいのですが。
佐藤氏は検察から国策捜査を受けた事があるゆえになかなか説得力があるのですが、確かに近年私が確認するだけでもこの法務相という職には首を傾げざるを得ない人選がことごとくなされており、それまでの経験で法務に全く携わってこなかった人間や、失言を繰り返す人間がなるなど、どこかお飾りというかマスコット的な大臣職にしか扱われていないだろうと感じていました。
幾つかそういった法務大臣経験者を出すと、まず第一に挙がってくるのは第二次小泉内閣での南野知惠子氏です。国会での質問に度々窮してついに出てきた言葉が「何分、専門家ではないもので」という発言で、法の素人がどうしてその最高責任者になれるんだよと見ていて呆れさせられました。
次に問題性があると私が感じたのは麻生内閣での森英介氏です。森氏は不法入国していたフィリピン人家族の処置に対して曖昧な態度を取り続けた上に、あまりニュースでは取り上げていませんが冤罪だった可能性が未だ濃く残る飯塚事件の犯人の死刑執行署名にサインしております。
簡単に飯塚事件について説明するとこの事件は検察と警察が冤罪だったと完全降伏するに至った足利事件と全く構図が一緒で、警察が犯人を特定するに至ったのは現場で見られたと証言のあった車と同じ車を犯人とされた人物が持っていたことと、当時の技術レベルの低い不正確なDNA鑑定の結果だけでそれ以外の物証は何もありませんでした。
しかも犯人とされた人物は終始無実を訴えていたのですが、死刑執行の優先順位が100人中61番目だったにも関わらず、再審請求が行われていたにも関わらず刑が執行されました。この異例ともいえる執行が何故行われたかについてはいろいろいわれていますが、事件の舞台となった飯塚市がある総理経験者と同じ選挙区だったことが影響していたのではという意見があるとだけ申しておきます。
この他第四次小泉内閣での杉浦正健氏も如何な人物でしたが、そんな法務大臣職に民主党が政権交代して誰がなるかと思っていたら、杉浦氏同様に就任するや、「死刑執行の署名は行わない」と言い出す千葉景子氏でした。いい大人だったら本当にやるやらないは別としてこういったことは口には出さないでいるべきだと思うのですが、弁護士出身とはいえまたも不安な人間がなったなぁとかねてから思っていました。そうしたら、
・千葉法相、2人の死刑執行 「見届けることが責務」と立ち会い(産経新聞)
なんとかつての自分の発言はどこいったのか、千葉氏は今日になって突然二人の死刑受刑者の刑執行を行ったと発表してきました。
そもそも千葉氏は前回の参議院選挙で落選しており、現在はいわば民間人大臣であります。小泉政権の頃の竹中平蔵氏みたいに民間人ではあれども経済学者出身として専門分野に直結する経済産業担当大臣を務めるというのならば分かりますが、何度も言いますが法治国家において法を管理する最高責任者が選挙の洗礼を受けない、っていうか洗礼を受けて落選し、国会議員でもなくなった一民間人が法務大臣を務める事には前々から批判がありましたが、まさかそんな人間が死刑執行を決めるなんて私もさすがに唖然としました。
この千葉氏の民間人という地位について枝野幹事長は執行の署名はまだ千葉氏が参議院議員資格のある24日に行ったとフォローを入れていましたが、これはこれで企業で言うなら退任間近の社長が人事に介入するような行為と変わらず、少なくとも死刑執行の署名をするに適当な時期ではなく問題があるように私は思えます。
今回の死刑執行の一件は、言ってしまえば任命されれば誰でも死刑受刑者を好きに処刑できるという事を証明してしまったと思います。死刑という制度についていろいろと議論する余地はありますが、今回の一件はどこをどうみても評価できる点を見つける事は多分出来ないでしょう。これを期に法務大臣職にはもう少しまともな人物がなるようになればまだいいのですが。
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