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2010年10月2日土曜日

私の信頼度リスト(メディア編)

 友人には一ヶ月くらい前にこんなのブログでやってみたいと行っておきながら、今日ここで書くまでにえらく時間がかかりました。

 近年の日本の大きな特徴となると、かつてあった権威がどの分野においても失墜して信頼という物が各所で大きく揺らいでいる事もその一つとして挙げられるかと思います。私自身周囲の人間から不祥事発覚のニュースが報じられるたびに一体何を信頼すればいいのかという言葉を嘆息と共によく聞くことがあり、評価の基準を持つことが出来ず何を信じればいいのかと実際に相談を受けた事もありました。

 私に言わせてもらうと何を信じるか、相手の意見が正しいかどうかは自分で判断すべきで何か一つに自分の判断を丸ごと預けようというのはちょっと甘いのではという気もしないでもないのですが、誰もかもが一つ一つのニュースや商品の性能などに精通しているわけでもなく、なにか信頼できる情報発信元をあらかじめ決めておきたいと思うのは自然な感情なのかもしれません。

 そこで一つ今回やってみようと思ったのは、私自身が一つの指標となって各分野において信頼するものをそれぞれ、「信頼している」、「半信半疑」、「信頼していない」の三つにおおまかに分けてリストアップしてみようと考えてみました。
 あらかじめ申しておきますがここで紹介する信頼度リストはあくまで私がどの程度その対象を信頼しているかであって、必ずしも客観性に基づいたリストではなく、たとえ私のリストの中で信頼度が高かったとしても実際にその対象が信頼に基づく行動を行っているか、性能を有しているかどうかは保証しかねます。

 それにもかかわらず何故ここでこうしてリストアップしようとするのかというと、こうして皆で意見を言い合って議論を高める事がそれぞれの中で信頼度の指標を作る一助になるからではないかと考えたからです。
 そういうわけで一発目は、恐らく信頼という意味では一番肝心なメディアに対するリストです。百聞は一見に如かずというのでさっそくご覧下さい。

<信頼している>
NHK(テレビ局)
MBS(テレビ局)
文芸春秋(雑誌)
朝日新聞(新聞)

<半信半疑>
テレビ朝日(テレビ局)
テレビ東京(テレビ局)
読売新聞(新聞)
日経新聞(新聞)
週刊文春(週刊誌)

<信頼していない>
TBS(テレビ局)
毎日新聞(新聞)
産経新聞(新聞)
週刊現代(週刊誌)
週刊新潮(週刊誌)
バンキシャ(テレビ番組)

<論外>
アサヒ芸能(週刊誌)

<別格>
東スポ(新聞)

 一つ一つ詳しく説明すると、まず信頼しているリストに挙げた中でもNHKを私は特に強く信用しています。ここも過去に何度か不祥事を起こしていますがそれを補って余りある報道力に、ニュース番組でも民放と比べて余計でくだらない情報を流さない姿勢は高く評価しています。同じくテレビ局では関西放送局のMBSこと毎日放送もそのスクープを取り上げる取材力は群を抜いていることから高く評価しております。京都、大坂、神戸市役所の不祥事を全部暴いたのはほかならぬこの毎日放送だったし。
 次に雑誌メディアからは文芸春秋が入っていますが、分厚いだけあってなかなか硬派な情報が多く、なおかつ遠距離を見渡す上で重宝しております。ライバルの中央公論についてはただ単に私が購読していないだけなので信頼度は未定なだけです。
 最後の朝日新聞については「なにをっ(# ゚Д゚) ムッ!」と思われる方もいるかもしれませんが、今回の大阪地検特捜部検事の証拠偽装のスクープなどなんだかんだ言って世の中を動かす報道をよくしており、日々のニュースも最低限きちんと取り上げているので私は新聞メディアの中では朝日を評価しています。社説がくだらないのは仕方ないので、この点については見てみぬ振りしてますが。

 次の半信半疑のリストに挙げたリストについてですが、テレビ朝日については報道ステーションは嫌いだけど朝のニュースが好きなので入れて、その次のテレビ東京は同じくリストに入っている日経新聞同様、予算が少ないので事後報道が多くなりそれゆえに変な誤報が少ないということを評価しての事です。
 なお日経新聞は日本経済紙トップの意地から経済面のスクープには走りとも言われかねない報道が多かれ少なかれあり、それゆえに「日経は経済面以外がいい」と言われております。私自身もそう感じており、テレビ東京でよくやっている企業家の特集番組もええかっこしく映しており、意地の張ってない政治や文化面では逆にニュートラルに報道しているので半信半疑としております。
 読売新聞については対して特に何か強い報道姿勢を持っていないことからで、週刊文春については週刊誌の中ではまだマシと思うから入れました。実際は文春はほとんど信用してないけど。

 最後の信頼していないリストについては、TBS、毎日新聞についてはその不祥事の多さと頓珍漢な意見の連発から真っ先に入れました。次の産経新聞については政治に対する報道姿勢が異様に自民党支持に偏っており、ちょっと呆れるような意見も平気で載せてくる事から信頼していません。産経は日々のニュース報道も書き方下手だし。
 週刊現代は折角相撲界の大麻問題をスクープしたかと思ったら次に報道した八百長問題はどうも誤報の線が強まってきており、週刊新潮については以前の赤報隊事件犯人のでっち上げ記事から評価を落としました。こういうことばっかりやっているから、所詮は週刊誌と呼ばれというのに。
 最後のバンキシャについては敢えて日テレと書かずに番組名にしました。ここも異常な量の不祥事を起こしており、私はこの番組が存続しているという事実それだけで日テレに対して強い疑いを持ちます。

 あとおまけとして<別格>と<論外>を設けていますが、論外に入れたアサヒ芸能は直接手に取ることはないのですが電車の中の中吊り広告を見ると的外れもいいようなふざけた見出ししか書いておらず、以前にネットの掲示板でアサヒ芸能を情報ソースとしてスレ立てしてる人を見ましたがその際は本気で神経を疑いました。あとなんでこのアサヒ芸能はいつも暴力団内部の人事移動について詳しく取り上げるのかもよくわかりません。そういう広報誌なのだろうか?

 別格の東スポについてはちょっと理由があり、ここも「日付と天気予報以外は全部ウソ」とまで言われるほどとんでもない記事(UFOが電線に止まって盗電していた等)をよく載せてますが、この東スポのいいところはウソと分かる記事ははっきりウソだと分かる点で、娯楽として読む分には非常に出来のいい新聞だと評価しているからです。
 ちなみに東スポは変なところで硬派というか、以前に聞いた話だと昭和天皇の崩御の際にも一面の見出しは「ブッチャー、流血」だったそうです。すごい新聞だ。

2010年10月1日金曜日

特攻作戦の価値は

 特攻作戦というと二次大戦時に旧日本軍が行った作戦として日本人なら誰でも知っているかと思いますが、二次大戦時であればその決死性と共に特殊さが際立っていたものの現代ではイスラム過激派などの自爆テロが横行し、以前よりはこういった面の特殊性は薄れているかもしれません。
 そうした特殊性は置いておいて、この特攻作戦の価値や意義については未だに議論が強くなされております。戦後から60年以上経ったことでようやく感情的な議論は少なくなってきておりますが、それでも一部の前大戦賛美者からは日本の優れた精神性から生まれた作戦であったなどと反吐が出るような意見が出てくる事もあります。

 結論から言えば、私は特攻作戦は人間性と効率性を無視しただけの意味のない自己破滅的作戦であったと考えております。

 特攻が作戦としての戦術的価値がなかったことについては現在でも一般的な意見になりつつありますがこれについては調べれば調べるほど呆れた事実が出てきて、まず数百キロの爆弾を機体に括りつけて敵艦隊に対して胴体突撃を敢行すること自体が無茶もいい加減にしろというような内容です。これなんか私の後輩が昔に言っていましたが、二次大戦当時に日本は他国と比べて「弾幕」という無数の銃弾で壁を作る事によって攻防一体となす概念が薄かったといわれ、事実当時の日本陸軍参謀の堀栄三がパイロットらの意見を聞いた上で実際の戦闘を視察した際、上層部よりの敵艦に接近した上で攻撃せよという命令が現場ではほぼ実行不可能な意見であるものだと断じた上で報告しております。

 そんな銃弾の雨の中をただでさえ重たい爆弾を持って突っ込むなんて冗談もいいところなのですが、そんな無茶な作戦に対してただでさえ戦争後半に少なくなっていた訓練されたパイロットの命を消費するという発想自体も非常に馬鹿げております。
 通説、というより一部の礼賛者の意見では特攻作戦はすべて志願者によって行われたと言われておりますが、文芸春秋10月号の記事によると特攻隊の生き残り、または特攻隊員を指名した下士官らの意見を聞くと、実際の現場では志願を強制されたというのが実態だったようです。また私個人の意見としても、今も残る特攻隊員の遺書を見るととても自発的に特攻隊員が集められたとはとても思えません。

 その上で自分がこの作戦に腹立たしさを感じる点として、この作戦を指導した軍上層部自体がそもそもこの作戦に戦術的価値を見出していなかったという点です。はっきり言いますが、太平洋戦争は日本がサイパンをアメリカに奪取された時点でほぼ勝敗は決していました。ドイツもドイツで国土が蹂躙されるまで最後まで降伏しませんでしたが、賢明な指導者であれば、開戦はともかくサイパン陥落の時点で日本が降伏すべきだという事を十分に理解できたはずです。

 そんな劣勢下の中、特攻作戦は終戦の最後の最後の日まで実行されました。聞くところによると玉音放送のあった8/15に降伏宣言を知らずに出撃した特攻隊は、目標の沖縄上空に現れるや米軍基地へは突入せず次々と岩礁地帯へ突っ込んだそうです。好意的解釈を行うならば、上空から見下ろした米軍の様子を見た特攻隊員らは日本の降伏を察知し、自分達の攻撃が後に影響を及ぼさないように自決したとされています。

 さらにこの特攻作戦は終盤ともなると、通常戦闘使用機だけでなく性能の劣る訓練用機でも行われるようになります。ただでさえ正規機より突入が難しいと言われていながら訓練機も作戦に導入されたのは、一説では米軍の本土上陸時に特攻作戦がどれほど有効であるかを試すためだけであったとも言われています。

 これは太平洋戦争全般、特に沖縄戦において言えることですが、本来国民の生命や財産を守るべき軍隊が国民の生命や財産をないがしろにしてでも軍という組織を守ろうとしたのがあの戦争だったと私は考えています。因みに天皇制についてはポツダム宣言受諾を巡って争点となったと言われておりますが、私が見ている限りだとどうもそれはうそ臭い気がします。陸軍の過激派などはもし昭和天皇が降伏を受け入れようとする素振りを見せようならば強制的に退位させ、別の皇族を天皇を立てればいいと主張していたグループもありました。

 そういった意味ではこの特攻作戦も、国家が国民の命を弄んだ愚行以外の何者でもないと思います。なお今回ちょっと調べなおしていて意外だったのは、通説では特攻の生みの親とされている大西瀧治郎海軍中将は実際には特攻作戦を起案していないという意見が現代では強まっていたという事です。まだはっきりしないのでこの点については今後の研究を期待します。

2010年9月28日火曜日

日本は外国人に死刑を行えるか

 どうでもいいですが今、以前に放映していた「ガンダムSEED」というアニメ番組の主題歌を聴いて懐かしんでいますが、この番組を見てた頃の私はボブ・サップにボコボコにされたアケボノの如く打ちひしがれていた時期だっただけにいろいろと胸に去来する物があります。これに限るわけじゃないですが、やっぱり辛い時に聴いていた音楽は良し悪しに関わらず後年も飽きずに聞き続けるものです。

 そういった前置きは置いといて、前回「社会的報復としての死刑の価値」の記事にて外国人犯罪者に対しても死刑は適用されるのかどうかという質問コメントを受けました。私自身も全く見落としていた問題ですが非常に重要な課題なので、本日一つの記事にしてまた私の考えを紹介しようと思います。

 まずこの問題に対して私が言えることは、死刑が下りてもおかしくない外国人による猟奇事件はそう遠くない未来の内に起こっておかしくないということです。ただでさえ人的移動が激しくなっているこの世の中、日本人ですらこのところ通り魔事件を起こす者が増えているのですから今後外国人が起こす事も十分にありえますし、実際にはもう起こっているかもしれません。そしてその際、日本は事件を起こした外国人犯罪者に対して果たして日本人同様に死刑判決を下せるかどうか、やや気が早いという気もしますが起こってから議論してはいろいろと問題なので、そういう意味ではこの課題は今のうちに議論を深めておくべきものかもしれません。

 これまでの記事でも私は何度か死刑を取り上げてきましたが、それらはあくまで日本人に適用すると仮定したものであって外国人に適用するという事は全く論外で話を進めてきております。というのも外国人への死刑適用ともなるとただでさえ西欧諸国や人権派団体などから日本は死刑が未だにあると叩かれているだけに、幕末の生麦事件じゃないですが外交問題に発展する事は必定です。
 実際にお隣の死刑大国中国では去年、中国法で死刑とはっきりと定められている麻薬密売を行っていたとされるイギリス人男性に死刑を執行した際にイギリスから激しい抗議を受け、すわ第三次アヘン戦争に発展するかと思うくらいに外交問題化しました。まぁもちろん戦争にはならなかったけど

 ちなみに中国は今年四月に同じく麻薬密売に関わっていたとして日本人男性数名に対しても死刑を執行しております。この死刑執行前に中国は日本側に事前連絡をした上、受刑者の家族に対して面会を許可するなど一定の配慮を見せましたが、当時の福島瑞穂消費者行政担当相はイギリス同様に執行中止をしてほしいと発言しました。福島氏の場合は政治的スタンスから発言しなきゃ党内支持が落ちるからしたのであって私はあまり気にしませんでしたが、一般世論はどんなものかと報道をチェックしていた限りでは日本人はそれほどこの死刑執行に対して特別な感情を持たなかったような気がします。
 報道によると死刑が執行された日本人男性らは皆日本の暴力団関係者でもあり、なおかつ所有していた麻薬の量も半端な量でなかったことからどちらかといえば冷淡というか、死刑になっても仕方ないのではという意見が多かった気がします。

 と、中国は現在も議論紛糾している日本との漁船衝突事件でも全く譲らず外交問題が何だってんだとばかりに外国人に対しても死刑を執行していますが、これが日本の場合だとどうなるかという事かです。結論を言えば、日本はあまり外交で揉めたがらないので外国人がいくら猟奇殺人事件を起こしたところで、国民から反発が起ころうとも死刑判決を下す事はないと思います。司法権の独立も始めからないし。

 ただ例外というか気になるケースが一つありまして、先に言ってしまうと「東電OL殺人事件」における容疑者の取り扱い方を見ていると、波風の立たない国の外国人に対してはありうるのではないかと見ております。この事件についてはもう大分古いですが佐野眞一氏の著作「東電OL殺人事件」を詳しく読んでもらうのが早いのですが、一体何が問題なのかというと犯人とされた容疑者がネパール人だったことで冤罪の線が極めて強く、事実一身では証拠不十分で無罪判決が下りております。

 通常、一審で無罪判決が下りた容疑者はたとえその後に検察から控訴されたとしても拘置所から身柄を解放されることになっているのですが、「拘置所から出したら国外逃亡する恐れがある」として、このネパール人容疑者はその後も身柄を拘束され続けました。恐らくこのような処置が行われたのは未だかつて彼だけでしょう。
 仮にこの容疑者が中国やアメリカといった強国、というよりかはうるさい国の人間であれば、母国から激しい非難を受けておいそれとこのような法を曲げるような身柄の拘束は行えなかったでしょう。彼が無罪判決を受けたにもかかわらずその後も身柄を拘束され続けたのは、ただ単に彼がネパールという発言力の弱い国出身であったことに限ります。

 この時の例を考えると、強国出身の外国人はいくら猟奇事件を起こしてもせいぜい懲役刑止まりでしょうが、弱小国出身の外国人に対しては日本は死刑を執行する可能性があるんじゃないかと私は思います。もちろんこんなのは最低な差別で、外国人犯罪者に対して死刑をやるならやる、やらないならやらないとはっきりと分けておく方がいいと思います。

 最後に仮に本当に外国人犯罪者が猟奇殺人事件を起こしたらどうするべきかというのであれば、今時治外法権じゃないのだから私は他の日本人と同様に裁くべきだと考えております。ただその前に正当な裁判をきちんと踏んであるという証拠を作るために、取調べの可視化と録画、並びにきちんとした裁判翻訳員の整備をしておくべきだと思います。外国人犯罪者に限る事ではないが。

2010年9月26日日曜日

マリー・アントワネットについて

 出張所のほうでリクエストがあったので、フランス革命で処刑されたマリー・アントワネットについて自分なりに軽くまとめてみようと思います。

 あまり歴史に興味がない人でもこのマリー・アントワネットについては「ベルサイユの薔薇」(うちのお袋は「ベルサイユのババア」と呼んでいた)などの影響で知っている方も多いことでしょうが、簡単な出自を説明するとこの人は今もゲルマン人女性の鏡と呼ばれるマリア・テレジアの末娘で、ハプスブルグ家とブルボン家の歴史的和解のために14歳でフランスのルイ16世に嫁いでその後フランス革命にて処刑された女性です。流転といえばまさにその通りと呼べるほどの上がり下がりの激しい人生で、それゆえに後世の批評家からは評価が大きく分かれて現代においても未だ定まっていないという有様です。

 さてそんなマリー・アントワネットですが、先にも触れたとおりに14歳で故国オーストリアから国も言葉も文化も違うフランス王宮へと嫁いでおります。心理学の研究だと大体14歳か15歳くらいまでであれば移住先の国にすんなり馴染む確率が高いとされていますが、果たしてアントワネットがフランスに定着することが出来たかとなるとやっぱり当初はいろいろと気苦労が多かったようです。
 まず私が話を聞いてて呆れてくるのは当時のフランス王宮の文化で、なんでも「王族はその私生活を広く公開すべし」という妙な概念がまかり通っていたらしく、なんとアントワネットはルイ16世との新婚初夜を他のフランス貴族からの衆人環視の元で行わなければならなかったそうです。14歳の身空でいきなりこんなことされるだけでも十分トラウマ物ですが、それ以外にも朝食のテーブルマナーから何から何までゴシップ好きの貴族たちに見られ続けていたそうです。

 その上当時のフランス社交界における女の争いも激しく、この辺は割愛しますが対立していたグループの抗争に巻き込まれて本人にその気はないのにいつの間にか片方のグループの頭目扱いされてしまうなど、普通の主婦なら卒倒せんばかりの荒波にもまれる事となります。
 そのストレスの反動からかアントワネットはフランスに来た当初、賭け事にはまっていたらしく実母のマリア・テレジアからその事を諌める手紙もまだ現存しています。このほか夜な夜な仮面舞踏会といって皆で仮面かぶって身分を隠して踊る舞踏会(声とか背格好でわかりそうなもんだが)に出没し、そこで気のあったスウェーデン貴族のフェルセンと知り合い後に愛人関係とまでなったと言われております。なおこのフェルセンとの出会いの際にはアントワネット自ら仮面を取って素顔を出したといわれ、この行為は「礼儀知らず」とか「革新的だ」などと評価が分かれたそうです。こういうところで言い合いをするあたりフランス人はよくわからない。

 そんなこんだで慣れない外国生活でいろいろと騒動を引き起こしていたアントワネットですが、もはや彼女の座右の銘とまでされている「パンがなければお菓子をお食べ」というセリフについてはこれは彼女の発言ではないと現在ではほぼ否定されております。このセリフは日々の生活すらままならない庶民の生活を省みず浪費を行っていたお馬鹿なアントワネットを表す言葉として伝えられていますが彼女がこのような発言を行ったという記録は全くと言っていいほどなく、また普通に考えてもルイ16世にならばともかく王妃に対して庶民の窮状を報告するというシチュエーション自体が不自然です。

 その上、確かに当時のフランスの国家財政は破綻していてアントワネットがファッションに力を入れて浪費していたというのは事実ですが王室の経費なんて所詮はたかが知れた程度で、当時のフランス財政が破綻した直接の原因は先代のルイ15世がでかい建物を次々と建築しては戦費のかかる戦争を次々と起こしていたことが真の理由であるため、上記の発言はアントワネットを貶めるために後世に作られたものだろうとされています。

 ただ当時のフランス人のアントワネットへの憎悪はやはり激しかったらしく、目の敵にし易い外国出身でもあり「首飾り事件」という妙な事件もあり、ルイ16世を贔屓目に「悪い人ではなかった」とするために半ばスケープゴート的に悪役とされた節があります。

 それが最後に爆発したとされるのがフランス革命であり、彼女への処刑でした。フランス革命が起きた当初は国王一家はまだ国民から強い支持があって軟禁される以上は何も追求されずにいましたが、王権奪回を図ってアントワネットの故国オーストリアへ先のフェルセンの助けを借りて逃亡しようとして失敗した「ヴァレンヌ逃亡事件」によって一挙にこの流れが変わることになり、国王一家は明確に国民から国家を裏切ったと言われ、特にアントワネットに対しては「国王を惑わした」、「オーストリアにフランスの情報を漏らしている」とも言われました。まぁあながち間違ってないけど。

 こうした国民の声を受けて、国王支持者はそれでも多かったとされますが階級廃止を強く訴えていたジャコバン派のロベスピエールによってルイ16世は断頭台へ送られます。その後アントワネットの処遇については議論が行われ、道義的には処刑したいものの仮に処刑すれば隣国オーストリアと全面戦争になるとして慎重論も出ていたようですが、最終的には革命裁判で死刑判決を受け、夫同様に断頭台へ送られる事となりました。
 その後、オーストリアとフランスの戦争は案の定激化し、一時オーストリアがフランスに侵入することになりましたがそれを撃退して講和条約まで持っていったのがナポレオン・ボナパルトという、次にフランスで主役となる男でした。

 結論を言えば、アントワネットは確かに一女性としてやや問題な部分を持っていましたがそれは平時であれば特段問題となるほどではなく、厄介な時期にフランス王室に嫁いでしまったがためにその名前を後世に大きく残してしまった運の悪い女性だったと私は評価しています。ただ全部が全部同情するわけでなく、「ヴァレンヌ逃亡事件」については彼女とフェルセンの主導で実行された事を考えると如何なものかと思う節があり、この事件があったかどうかでブルボン家の存亡が変わったであろう事を思うと批判を受ける事となっても仕方のない気がします。

 なおこの時代にルイ16世、マリー・アントワネット、果てにはこの二人を断頭台へ送ったロベスピエールをも直接断頭台にかけたのは、以前にも私が紹介したシャルル=アンリ・サンソンという人物です。この時代のフランスの人物はやはり面白い人が多く、このほかにも風呂入っている最中に刺されたということで日本の高校生から「おいおい」と突っ込まれたであろうジャン=ポール・マラーを刺した張本人であるシャルロット・コルデーなど、評伝書いてて中々飽きない時代です。
 個人的にもっと知名度があっていいと思うのはちょっと時代が下がるけど、ジョセフ・フーシェだけど。

2010年9月24日金曜日

尖閣諸島沖衝突中国漁船船長解放、及び中国の対抗措置について

 今日友人からフジタの社員が拘束されたニュースについて早速メールがあったので、恐らく期待されているかと思うのでこの件と合わせて今日立て続けに起こった尖閣諸島沖で衝突事故を起こした中国漁船の船長解放などと合わせて私の見方を紹介しようと思います。まず結論から言うと、やはり今回中国はなりふりかまわない行動を取ってきたなと私も感じました。

 本日早朝、中国河北省の石家庄市で日本の建設会社フジタの社員四名が中国の軍事施設の無断撮影(もしくは立ち入り)を行ったとして拘束され、取調べを受けているとの情報が突然入ってきました。またこのニュースとほぼ同時に日本の各商社から一斉に中国がレアアース資源の輸出に制限をかけて困っているという連絡が経済産業省に寄せられているということがメディアを通して報道されました。
 どちらのニュースも先日の中国漁船衝突事故で船長を拘束した日本への対抗措置ではないかと報道され、わりと距離を離して報道するNHKですらもはっきりと先の事件の影響ではないかと言及しました。

 まず前者の日本社員拘束の事件については、私はさほど特別な感傷を持ちませんでした。というのも中国で軍の基地に立ち入ったとかカメラのレンズを向けたとかで外国人が捕まるのは割とよくあることで、私も留学した当初にもわざわざ中国公安の人間が大学にやってきて、新規留学生を講堂に集めると決して軍の基地などに迂闊に立ち入らない事などを長々と説明していました。
 そのため今回の事件についてもそういった中のよくある事件の一つで、確かに時期が時期なだけに中国の人質報復ではないかと見ることも出来ますが売り言葉に買い言葉とも言いますし、ここは日本人は中国人みたいに熱くならずに冷静さを保つ事が大事ではあるがそうも行かないだろうという具合に見ていました。

 なお今回出てきたフジタという会社は旧日本軍が中国本土に遺棄した化学兵器の処理施設設置事業を行っており、今回石家庄市に社員らが訪れていたのも軍関係の拠点が数多い事から今後の受注を見込んでの視察目的だったらしく、内閣府や中国当局には特に申し出ずに行っていたようなので現時点でははっきりいえませんが偶発的に捕まってしまった可能性があります。
 ただそれにしても日本側に現在の捜査状況やフジタ側に何の通告も行わないというのはやはり異例で、偶発半分報復半分のような事件ではないかと私は見ています。

 それに対して先程のレアアースの輸出停止は間違いなく中国政府の確信犯的行動と私は断言できます。基本的に中国の石油や鉄、石炭といった資源会社はどこも国営みたいなもので中国政府の意向が強く反映されます。それゆえに中国の日本向けレアアース輸出が通関で一斉に止まるという事は中国政府の意向なしにはまず行えないことで、これほどまでに極端な行動は仮に中国が報復のつもりではないといった所で信じる日本人はまずいないでしょう。

 こんな予告なしの貿易取引停止は常識はずれもいいところで、訴えようによってはWTOから勧告や制裁を受けてもおかしくないほどの行動です。こう言ってはなんですが、領土問題が絡んでいるからといってたかだか漁船衝突事故一件のためにこれほどまで極端な行動を取ったというのは実に勿体無いというか、問題を無駄に大きくさせている気がしてなりません。

 こういった中国の行動が効を奏したというか、今晩事故を起こした船長を拘留している那覇地検は船長の解放を発表しました。この那覇地検、といっても実際は政府の意向による解放については私は支持をします。
 私が今回の解放を支持する理由としては単純に割に合わないからで、領土問題についてはオバマ大統領より「尖閣諸島は安保保障の範囲内」との発言を得た上でこれ以上お互い粘っても平行線であることから一区切りを得ており、レアアースを多く消費する日本の現況を見ると意地張って船長一人拘留するよりかは実利を得るべきだという判断からです。
 なお自民党の谷垣総裁や安倍氏などは今回の船長解放について政府を強く批判しているようですが、私はそういう自民党もかつて金正男氏と見られる男性を長く拘留せずに国外退去としていますし、領土問題にも悪影響が出ると連中は言ってますが近年の日中国境線問題で一番悪影響を作ったの福田政権での春暁ガス田共同開発合意だと私は見ているので、ちょっとこの批判のやりかたは虫が良過ぎるかと思います。

 今回の漁船衝突に始まる一連の外交は間違いなく中国の勝利と言えるでしょうが、その小さな勝利の代償として中国が支払うべきコストは後から重くのしかかってくることになると私は予想します。現在中国は米国から執拗に人民元の切り上げを行うよう要求されていますが、恐らく今後日本政府も米国と協調して切り上げ要求を強めることになる可能性があり、また単純に日本人の中国への感情もすこぶる悪くさせてしまいました。ついでに書くと、SMAPの公演を楽しみにしていた中国ファンもがっかりさせただろうな。

 ちなみに自分は来月から一ヶ月ほど上海に滞在する予定なので、今回の事件で周囲から「花園君は大丈夫?(´・д・`)」という具合でえらく心配されっぱなしで逆に困ってます。まぁ捕まったら捕まったでブログでネタになるから、死なない程度であれば少しはおいしいかな。

2010年9月23日木曜日

フィリップ四世(仏)について

 いきなりですが、昨日も更新を休んだにもかかわらず今日も何故か記事を書こうという気力が薄いです。書きたい内容はいくつかもう持っているのですが、前回前々回と割と重たい内容を一気に書き上げたので少し消化不良気味なのかもしれません。
 なので今日はまた少し息抜きがてらに歴史の話でも書いてみようと思います。いつも日本史や中国史ばかりなのでたまには西欧史で面白い人はいないかなと思索すると、ちょうどいい具合にこの前軽く調べた人物ことフランス王フィリップ四世が浮かんできたので浅薄な知識ですが紹介します。

 このフィリップ四世という人物は高校の世界史を履修すれば必ず勉強する必要のある人物なのですが、私が彼の業績を教科書で読んだ時に思った感想はというと、「なんて悪人なんだろう」という印象以外ありませんでした。もう初対面からして最悪ですね。
 そんなフィリップ四世が生きていた時代は日本で言うと鎌倉時代後期に当たる13世紀後半から14世紀前半です。彼は生まれつきかっこいい容姿をしていたことから「端麗王」と呼ばれていたそうで、イギリスに続き十字軍後の西欧世界でフランスで絶対王政を確立させます。

 そんなフィリップ四世が歴史に名を残す事となったのは、なんとそれまで西欧世界を支配していたローマ教皇を捕縛しようとした「アナーニ事件」からです。フィリップ四世はイギリスとの結びつきが強かったフランドル地方を制圧するために何度も戦争を起こしていたのですが、その戦費調達のためにそれまで絶対不可侵であった教会の持つ財産にも課税しようとしました。しかしこれに対して時の教皇ボニファティウス八世がその徴税に待ったをかけたところ、元々十字軍の失敗によって教皇権が失墜し国王の力が増していたのもありますが、なんとフィリップ四世は実力行使とばかりにイタリアに軍隊を派遣して教皇を誘拐しようとしたのでした。ボニファティウス八世は支援者の助けもあってなんとかフィリップ四世の軍隊から逃げ切る事が出来たものの、いきなり襲い掛かられたショックと高齢からかこの事件のわずか三週間後に死亡してしまいます。

 この教皇の死後、フィリップ四世はローマ教皇庁を南フランスのアヴィニヨンに移すと実質的に教皇庁を支配し、その後しばらくはフランスの意のかかったフランス人教皇が続くなどしてフランス王の下に教皇は置かれました。この期間は約70年続き、この間の事を「教皇のアヴィニヨン捕囚」と呼ばれております。
 このアヴィニヨン捕囚は1377年に教皇となったグレゴリウス十一世がローマに戻った事で終わりを告げるのですが、そしたら今度はまたフランスの肝煎りでグレゴリウス十一世に対抗する形でアヴィニヨンにクレメンス7世という教皇が立てられ、ちょうど日本の南北朝時代のように同じ時代に二人の教皇が並存するという「教会大分裂」の時代に突入します。

 このように西欧世界で大きな影響力を持ったキリスト教会をとことん混乱させる原因を作ったフィリップ四世なのですが、これだけでも随分とはた迷惑な奴だったなぁと思っていたらよくよく調べてみると、もうひとつキリスト教関係で大きな事件を起こしていました。

 先にも述べた通りにフィリップ四世は戦争ばかりして常に戦費調達のため金策に走っていましたが、そんな彼が目をつけたものの一つに「ダヴィンチ・コード」で一気に有名となった「テンプル騎士団」もありました。
 このテンプル騎士団というのは第一回十字軍後に聖地エルサレムへの巡礼者を保護するという目的のために作られた、いわば志願型の武装自警団のような組織でした。ただこのテンプル騎士団に入団するためにはその残りの人生をすべて信仰に捧ぐ証を立てるために所有する財産をすべて騎士団に寄付しなければならなかったとされ、そうして集まった財産を元手に騎士団は徐々に金融取引も行うようになっていったそうです。

 ちょっとこの辺は自分もあまり詳しくはないのですが、エルサレムという遠隔地に赴く巡礼者たちの旅先での送金、果てにはイスラム世界との通商などを手がけていたらしく、テンプル騎士団はフィリップ四世の時代には莫大な資産を保有していたとされます。
 そのためにこの騎士団はフィリップ四世に目を付けられる事となり、厚生労働省の村木さんの事件じゃありませんが、騎士団は無理矢理に罪を被せられた挙句に異端審問にかけられて幹部らは皆処刑され、騎士団も解散されることになりました。そしてそれまで騎士団が保有していた資産はまるまんまフィリップ四世が着服したとのことです。

 確かこの時の審問でかけられた容疑の一つに悪魔であるバフォメットを陰で信仰していたという話を聞いたことがあるのですがとにもかくにも強引な裁判であったのは間違いなく、元々テンプル騎士団は入団の際に秘密儀式を行うなど神秘性を秘めていた事から先程の「ダヴィンチ・コード」のように聖杯を所有していてそれが目当てで狙われていたのではないかという説などいろいろ溢れております。
 ちなみにテンプル騎士団と同時期に結成された「聖ヨハネ騎士団」は未だに存続しており、国連にも参加しているそうです。

 という具合にもう悪い事ばかりやっていたという悪代官みたいな印象しか覚えられないフィリップ四世ですが、その死の際にフィリップ四世を呪ったとされるテンプル騎士団最後の総長であったジャック・ド・モレーの力か聖杯の力か、テンプル騎士団解散のその年に彼も同じく死去しております。さらに彼の子らも跡継ぎを残す間もなく次々と死んで行き、後継者争いがもつれたことからイギリスの介入を招いて後の百年戦争につながる事になります。

 歴史というのは因果なもので、百年や二百年後に思わぬ形で報いが返ってくることがあります。日本だと関ヶ原の戦いと幕末の構図が代表的ですが、このフィリップ四世とその後のフランスの歴史はまさに神がそうさせたとすら感じさせられる内容です。
 やる気でないとか言っておきながら、20分でここまで書き上げられてしまった。やっぱ歴史が好きなんだなぁ、私って。

2010年9月21日火曜日

厚労相郵便不正事件、捜査検事逮捕について

 私は現在通勤時間が約二時間の職場に通っているため毎朝大体6:50くらいに家を出るのですが、毎日家を出る前にうちのポストに刺さっている朝日親新聞朝刊の見出しを刺さったままの状態でかがみこんで見るのが習慣となっています。うちが朝日新聞を取っているのはお袋が朝日の新聞屋で集金のパートをしているからなのですがそれは置いといて、今朝また怪しい格好で覗き込んだ一面見出しを見て私は思わず息を呑みました。

最高検、主任検事を証拠隠滅容疑で逮捕 郵便不正事件(朝日新聞)

 私も先日に「偽障害者団体郵便不正事件、村木厚子元局長の無罪判決について」の記事にて取り上げた郵便不正事件の捜査において、この事件を主導して捜査した大阪地検特捜部所属の前田恒彦検事が重要な証拠の改ざんを行った容疑でつい先程逮捕されました。

 まさに電光石火とはこういうことで、この前田容疑者逮捕へ至る発端は今朝の朝日新聞による「検事、押収資料改ざんか」という見出しの記事からで、報道が行われた今日の今日に前田容疑者は同じ身内の最高検察庁により逮捕されることになりました。因みに今朝通勤途中で読売など他紙の一面を確認しましたがこの朝日の報道はどこも触れておらず、事実上朝日新聞一社独占のスクープだったのでしょう。

 今回前田容疑者が逮捕された容疑をかいつまんで説明すると、この事件において検察により関与が疑われたために不当に逮捕され、すでに無罪判決を受けている村木厚子氏の無実を証明するに当たり重要な証拠となるフロッピーディスク内のデータの日付を自分達の都合のいいように改ざん、言い換えるなら村木氏を冤罪に陥れるために改ざんしたという、まさに前代未聞ともいえる容疑からでした。

 具体的にどのような改ざんが行われたかというと、村木氏の元部下の上村被告が偽障害者団体へ発行した偽造証明書の作成日を2004年の6/1から6/8へ改ざんしたと報道されております。この改ざんがどのような意味を持つのかというと検察は今回の捜査、裁判において村木氏は上村被告に対して六月上旬に証明書を偽造するよう指示したと主張して事件を組み立てていましたが、実際の偽造証明書は6/1に作成されているため、これでは村木氏が偽造を指示したとされるのは5/31以前でなければ不可能ということなり事実上検察の見立ては崩れてしまいます。
 ですがその作成日が6/8であればさきほどの六月上旬という検察、というよりは前田容疑者のストーリーに矛盾がなくなり、いわば事実を無理矢理に捻じ曲げて都合のいい証拠を作成しようと改ざんしたと見られております。

 結局この日付が改ざんされたデータの入っているフロッピーディスクは公判前に村木氏が日付の矛盾に気がつき指摘した事で検察も裁判中に証拠として使用せず、逆に弁護側が元の日付と検察のストーリーの矛盾を攻め立てた事で村木氏の無罪獲得への重要な証拠となったわけですが、仮にもし誰もこの日付の矛盾に気がつかず、検察が改ざんした日付のデータを証拠にして有罪が下されていればと思うと私も寒気を覚えずにはいられません。
 この改ざんについて当の前田容疑者は「遊んでいるうちに間違って変えてしまった」と同僚らに語っていたと報じられていますが、そもそも捜査に重要な証拠を私的に使用するなんて本来あってはならない話で、仮にそれが事実だとしても何故今の今まで自己申告しなかったのかと子供がつくような嘘も大概にしろと厳しく言いたいものです。

 またこの改ざんについても朝日新聞がその問題のデータ(どうやって手に入れたかまでは書いてないが)を大手情報セキュリティ会社に解析を依頼した事で改ざんの有無と改ざんが行われた日付を割り出したことで明らかになりましたが、これも朝日が報じていなければどうなっていたのか気になります。
 さすがに朝日新聞が報道したのを受けて検察もこの改ざんの事実を初めて知って今日の今日にすぐ前田容疑者を逮捕したというのは考えられず、恐らくは内々でこの問題の対応や処分が検討されている中で今朝の朝日新聞の報道があり、世間の批判を受ける前に慌てて前田容疑者を今夜逮捕するに至ったのではないかと思います。これは逆に言えば、世間に大きく報道されなければ大阪地検は前田容疑者を捜査担当から外す程度の内々の処分で済ましていたのではないかとも疑えるわけです。

 どちらにしろ今回のこの前田容疑者の行動は捜査機関の職員としてはあるまじき行為だけでなく、無実の人間に偽の証拠を偽造してまでも冤罪に陥れようという一人間としても最低極まりない畜生に等しい行為に他なりません。聞く所によるとこの前田容疑者はたまたま今日収監された守屋元防衛庁事務次官の収賄事件や小沢氏の資金管理団体の事件などいろんな事件の捜査に携わったとされており、言っちゃなんですがこれら前田容疑者が関わった事件は証拠が偽造されてないかすべて洗いなおす必要があるのではないかと思います。

 その上でノンフィクション作家の吉岡忍氏がNHKのインタビューで指摘していましたが、この検察内の不祥事を同じ身内の検察が逮捕、捜査してもいいのかという気もします。吉岡氏も当の本人でもある村木氏もこの前田容疑者の最低極まりない行為は第三者機関を交えて公平に調べる必要があると述べており、検察は外部の有識者団体を入れなければまず間違いなく失った信頼を取り戻す事は出来ないでしょう。

 私が検察に対して初めて不信感を覚えたのは2005年に発刊された佐藤優氏の「国家の罠」を読んでのが最初で、その後映画の「それでもボクはやっていない」を見てますます不信間に磨きがかかり、この村木氏の事件が取りざたされたのを見た際には初めからこの事件はおかしいと感じるようになっていました。その後足利事件で冤罪にあった菅谷さんの例もあり、誰がどう見ても真っ黒な小沢氏があんなふざけた供述をしているにもかかわらず起訴されないことに恐らく私以外にもたくさんの方が検察に対して恒常的に信頼しなくなってきているかと思います。

 そういう目で見ると、今回の前田容疑者の事件は偶発的に起こったという感覚よりやっぱりそういう検察って組織だったんだなと私は思わざるを得ません。相撲界もそうでしたが、この事件をきっかけにどれだけ血を流すかで検察組織は信頼回復以前にその存在理由が問われる事となるでしょう。