2010年9月23日木曜日

フィリップ四世(仏)について

 いきなりですが、昨日も更新を休んだにもかかわらず今日も何故か記事を書こうという気力が薄いです。書きたい内容はいくつかもう持っているのですが、前回前々回と割と重たい内容を一気に書き上げたので少し消化不良気味なのかもしれません。
 なので今日はまた少し息抜きがてらに歴史の話でも書いてみようと思います。いつも日本史や中国史ばかりなのでたまには西欧史で面白い人はいないかなと思索すると、ちょうどいい具合にこの前軽く調べた人物ことフランス王フィリップ四世が浮かんできたので浅薄な知識ですが紹介します。

 このフィリップ四世という人物は高校の世界史を履修すれば必ず勉強する必要のある人物なのですが、私が彼の業績を教科書で読んだ時に思った感想はというと、「なんて悪人なんだろう」という印象以外ありませんでした。もう初対面からして最悪ですね。
 そんなフィリップ四世が生きていた時代は日本で言うと鎌倉時代後期に当たる13世紀後半から14世紀前半です。彼は生まれつきかっこいい容姿をしていたことから「端麗王」と呼ばれていたそうで、イギリスに続き十字軍後の西欧世界でフランスで絶対王政を確立させます。

 そんなフィリップ四世が歴史に名を残す事となったのは、なんとそれまで西欧世界を支配していたローマ教皇を捕縛しようとした「アナーニ事件」からです。フィリップ四世はイギリスとの結びつきが強かったフランドル地方を制圧するために何度も戦争を起こしていたのですが、その戦費調達のためにそれまで絶対不可侵であった教会の持つ財産にも課税しようとしました。しかしこれに対して時の教皇ボニファティウス八世がその徴税に待ったをかけたところ、元々十字軍の失敗によって教皇権が失墜し国王の力が増していたのもありますが、なんとフィリップ四世は実力行使とばかりにイタリアに軍隊を派遣して教皇を誘拐しようとしたのでした。ボニファティウス八世は支援者の助けもあってなんとかフィリップ四世の軍隊から逃げ切る事が出来たものの、いきなり襲い掛かられたショックと高齢からかこの事件のわずか三週間後に死亡してしまいます。

 この教皇の死後、フィリップ四世はローマ教皇庁を南フランスのアヴィニヨンに移すと実質的に教皇庁を支配し、その後しばらくはフランスの意のかかったフランス人教皇が続くなどしてフランス王の下に教皇は置かれました。この期間は約70年続き、この間の事を「教皇のアヴィニヨン捕囚」と呼ばれております。
 このアヴィニヨン捕囚は1377年に教皇となったグレゴリウス十一世がローマに戻った事で終わりを告げるのですが、そしたら今度はまたフランスの肝煎りでグレゴリウス十一世に対抗する形でアヴィニヨンにクレメンス7世という教皇が立てられ、ちょうど日本の南北朝時代のように同じ時代に二人の教皇が並存するという「教会大分裂」の時代に突入します。

 このように西欧世界で大きな影響力を持ったキリスト教会をとことん混乱させる原因を作ったフィリップ四世なのですが、これだけでも随分とはた迷惑な奴だったなぁと思っていたらよくよく調べてみると、もうひとつキリスト教関係で大きな事件を起こしていました。

 先にも述べた通りにフィリップ四世は戦争ばかりして常に戦費調達のため金策に走っていましたが、そんな彼が目をつけたものの一つに「ダヴィンチ・コード」で一気に有名となった「テンプル騎士団」もありました。
 このテンプル騎士団というのは第一回十字軍後に聖地エルサレムへの巡礼者を保護するという目的のために作られた、いわば志願型の武装自警団のような組織でした。ただこのテンプル騎士団に入団するためにはその残りの人生をすべて信仰に捧ぐ証を立てるために所有する財産をすべて騎士団に寄付しなければならなかったとされ、そうして集まった財産を元手に騎士団は徐々に金融取引も行うようになっていったそうです。

 ちょっとこの辺は自分もあまり詳しくはないのですが、エルサレムという遠隔地に赴く巡礼者たちの旅先での送金、果てにはイスラム世界との通商などを手がけていたらしく、テンプル騎士団はフィリップ四世の時代には莫大な資産を保有していたとされます。
 そのためにこの騎士団はフィリップ四世に目を付けられる事となり、厚生労働省の村木さんの事件じゃありませんが、騎士団は無理矢理に罪を被せられた挙句に異端審問にかけられて幹部らは皆処刑され、騎士団も解散されることになりました。そしてそれまで騎士団が保有していた資産はまるまんまフィリップ四世が着服したとのことです。

 確かこの時の審問でかけられた容疑の一つに悪魔であるバフォメットを陰で信仰していたという話を聞いたことがあるのですがとにもかくにも強引な裁判であったのは間違いなく、元々テンプル騎士団は入団の際に秘密儀式を行うなど神秘性を秘めていた事から先程の「ダヴィンチ・コード」のように聖杯を所有していてそれが目当てで狙われていたのではないかという説などいろいろ溢れております。
 ちなみにテンプル騎士団と同時期に結成された「聖ヨハネ騎士団」は未だに存続しており、国連にも参加しているそうです。

 という具合にもう悪い事ばかりやっていたという悪代官みたいな印象しか覚えられないフィリップ四世ですが、その死の際にフィリップ四世を呪ったとされるテンプル騎士団最後の総長であったジャック・ド・モレーの力か聖杯の力か、テンプル騎士団解散のその年に彼も同じく死去しております。さらに彼の子らも跡継ぎを残す間もなく次々と死んで行き、後継者争いがもつれたことからイギリスの介入を招いて後の百年戦争につながる事になります。

 歴史というのは因果なもので、百年や二百年後に思わぬ形で報いが返ってくることがあります。日本だと関ヶ原の戦いと幕末の構図が代表的ですが、このフィリップ四世とその後のフランスの歴史はまさに神がそうさせたとすら感じさせられる内容です。
 やる気でないとか言っておきながら、20分でここまで書き上げられてしまった。やっぱ歴史が好きなんだなぁ、私って。

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