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2011年1月28日金曜日

デフレと過重労働 後編

 ようやく金曜日で明日は休めるーって思ってたら、2/1から十日間も旧正月休暇に入るので今週は土日も出勤だと今日になって言われてややブルーです。中国の長期休暇前は大体こんなもんだって前から噂で聞いてたけど、まさか自分もその渦中に加わるとは夢にも思わなかった……。

 そういうプライベートでどうでもいいことは置いといて、前回に引き続きデフレと過重労働の関係性についてまとめます。
 前回の記事ではデフレという現象の説明に終始しましたが基本的にデフレというのはモノやサービスの値段が下がる現象を指しており、デフレ下では大体どれもこれもそれ以前より値段が下がります。ただ値段が下がるといっても下がりやすい物もあれば下がりにくい物もあって経済が混乱するのですが、その下がりにくいものの中で非常に扱いの難しいものが給料こと人件費です。

 現在、大体どこの日本企業でも不況ゆえに役員クラスはみんな本来受け取る報酬額を減らしているでしょうし企業によっては課長クラスまでもが給料カットがされている状態ですが、圧倒的大多数の一般従業員はボーナス額が一部カットされることはあっても毎月の給料まではまだそれほど手をつけられてはいないと思います。管理職となる役職付きの従業員に対して一般従業員は労働法の保護や最低賃金の条例などがあるため会社側も定期給与には手をつけづらいのですが、それ以前に人間のモチベーションというか感情的にも、定期給与は一度もらってしまうとそれより少ない金額へ下げられることに強い抵抗感が生じます。
 たとえばの話でそれまで時給1000円のバイトで働いていたら不況だから来週から900円に下げるねと雇い主に言われたとすると、恐らく大抵の方はその晩に友人か家族に対して延々と愚痴を綴るか別のバイト先を探し始めるかと思います。

 これはなにもデフレ下に限るわけではないのですが人件費というのは一度上げてしまうと非常に下げ辛いと一般にも強く認識されており、このことを経済学用語では「人件費の下方硬直性」と呼ばれ、以前と比べて成果主義が大分一般化した現代においてもよほどのことがない限りは下げることが出来ません。また下げようったって先ほど挙げた最低賃金などの法規則の壁もあり、実際のところは残業代は支払わないのが当たり前だしこの最低賃金も無視して違法で働かせている企業はうんさかありますが、どれだけ状況が悪いとしても賃金を減らすという方法には限界があります。

 これがデフレとどのように関係するかですが、デフレというのは何度も言うように同じ金額が以前以上の価値を持つ状態です。デフレ下とデフレ前では同じ1000円でもデフレ下の方がより多くの買い物が出来るようになるわけですが、これを給料に置き換えてみるとずっと月収20万円をもらっている人はデフレになると同じ給料でそれ以前よりたくさん物が買えるようになって消費生活上は得をします。
 しかしこれが給料を支払う会社側からすると、ただでさえデフレでは物の値段が下がって売り上げが落ち込む中、従業員に対してはそれ以前と同じ金額の給料を支払い続けなければなりません。言ってしまえば同じ20万円でもデフレ以前では25万円くらいの価値を会社は支払っているような状態で、昇給も何もしていないの給与額を増額して支払っているような状態となって自然と経営は圧迫されるようになります。だからといって、「デフレで貨幣価値は上がっているから、前と同じくらい買い物のできる給料だよ」として、給与額をいきなり16万円に下げようものなら石くらい投げつけられるかもしれません。

 理屈では同じ価値だとわかってもいざ実際に額面が下がろうものなら結構心に堪えるため、会社側は売り上げや利益が減っているとしても人件費を減らすことは出来ません。仮にそのままの状態を放置するのであれば経営は悪化する一方なのですが、ならばどうするかといったら一般的な企業が取る方法としては給与を減らすのではなく給与を支払う人員を減らすこと、社員のクビを切るのが大体常です。
 そのためデフレ下というのは企業に残って以前と同じ額面でも価値の上がっている給料を受け取り続ける人と、クビを切られて収入が急減少する人とで二極化が起こります。言えば早いですがこれが今の日本で起こっている状況で、ただ失業者が増えるだけでなく給料をもらい続ける人の収入は同じ額面でも増え続けるというのがミソです。

 ただ収入価値が増えるからといって、給料をもらって働き続ける正社員が必ずしも幸福かといえばそれはまた別問題です。何故なら企業側が人件費を減らすために人員を減らした分、普通に考えれば残った社員にはその分の仕事が回ってくるのが当たり前です。そのため定期給与の収入価値は確かに上がっているかも知れませんが増えた仕事によってサービス残業が増え、変な話ですが時給に換算すると価値上でも前より給与が下がってしまうということも十分に起こりうるわけです。実際に私が人伝にあちこちから話を聞いているとどこの企業でも多かれ少なかれこういったことが起こっているようで、給料下がってもいいから人員増やして欲しいというようなことを言っている人もたまに見ます。

 これが私の主張する、デフレと過重労働の関係性です。流れとしては

 デフレで企業の売上や利益が減る
→ほかの経費は減らせても一人ひとりの給与額は減らせない
→給与額を減らせないため、給与を支払う人員の数を減らす
→残った人に仕事が集中してしまう


 このようにして片一方では仕事を失い困る人が現れ、もう片一方では仕事が増えすぎて困る人が出てくるのがデフレです。はっきり言えばこれは不幸でありナンセンスです。
 ではどうすればいいかですが、感情的に納得できるかどうかは別として単純に給与額をみんなで減らすことで人員の削減をせず、むしろ仕事を分け合うように増やしたりすればよいのではという意見を言うことは出来ますが、これはやはり疑問です。それこそ最低賃金額を減らしたところで企業は人員を増やすとは限らず、残って働く方が同じ仕事量でより給料を下げられたりするのに悪用される可能性が高いからです。

 ここでは具体的に対策案についてはそれほど煮詰めませんがこの問題については賃金だけに拘らず、労働法や解雇規則、果てには社会慣習など多方面に渡って対策を考えるべきでしょう。ただ今回の記事で私が強く言いたいのは、最低賃金というのはただ高ければ高いほど労働者を助けるということにはならず、状況によっては給与をもらう側も追い詰める可能性もあるということがあるということです。

2011年1月26日水曜日

デフレと過重労働 前編

 リーマンショック直後の日本はいわゆる「派遣切り」という派遣社員や期間従業員の解雇が各企業で行われ、現在においても失業率はそれ以前と比べて高水準を維持しております。また高校、大学卒業生の就職状況(高卒内定率は今年やや改善)も悪いまま、特に大卒においてはかつての失われた十年における就職氷河期を越す過去最悪の内定率を記録するなど、お世辞にも現在の日本は仕事があるとは言い切れない状態です。

 その一方ですでに職を得ていて働いている側の人たちから話を聞くと、どこもかしこも人手が足りなくて忙しい、サービス残業が増えているという話ばかり聞きます。友人なんか、「なんで不況やのに前より忙しいねん……」といって、先週にとうとう過労で倒れたそうです。その友人の激務ぶりは以前から聞いていたので、倒れたと聞いた際は不謹慎ながらなんで今まで倒れなかったんだろうという疑問が最初によぎりました。ただ前にも野球の投手で言うならスタミナだけがやけに抜群で敗戦処理ならお手の物と評したほどその友人のタフさは尋常でないだけに、過労で倒れたその日だけ休んで次の日からまた出社しているようです。

 そんな凄い友人の話はおいといて、なかなか皮肉といえば皮肉ですが実際どこの企業もこんな感じだそうです。そりゃ派遣を切って新卒採用も狭めているのですから当然といえば当然なのですが、片一方では職を求める人が大量にいる一方ですでに職を持っている人が仕事に追われるというのはワークライフバランス的に言うとアンバランスな状況です。ある意味このような状況こそが不況の醍醐味といえばそうなのですが、私は今の状況は不況というよりデフレの影響の方が強いのではないかと考えています。
 
 デフレというとインフレの反対で、インフレは一次大戦後のドイツみたいに貨幣価値が下がって経済が混乱するというのだからデフレは貨幣価値が上がって経済が混乱するのでは、という風に考えている人が多いのではないかと思います。このような解釈でももちろん間違っていないのですが、経済の中心となる貨幣の価値が変動するだけにインフレ、デフレはともに多方面に渡って影響を与える問題で、私自身もしっかり全体を理解しているわけではないのですがインフレとデフレはそれぞれのケースに立って考えた方が理解しやすいと考えており、ちょっと今日は現在の過重労働とデフレがどう関係しているのかを書いてみようと思います。

 単純に言ってデフレというのは物価に対して貨幣価値が上がる現象を指しております。貨幣価値が上がるというのは具体的にどんな意味かというと以前と同じ金額で以前以上の物が買えるようになるということで、具体例を出すと以前は500円で買えた牛丼が300円で買えるようになります。これだけ見るとなんてデフレはいい現象なんだと思ってしまいますが、確かに物やサービスを買う買い手側にはよくても物やサービスを売る売り手側からすると、以前は牛丼一杯売って500円もらえたのが300円になってしまい、売り上げが五分の三になってしまいます。
 そのため牛丼屋側は売り上げが減った分儲けが減ってしまい、従業員らに支払う給料も減らさざるを得ません。そうなると給料をもらう従業員らは以前のようにお金を使うことが出来ず、自然と財布の紐を締めて普段の出費を抑えるためにより安い物やサービスを求めるようになり、牛丼屋に限らずほかのお店でも値段を安くしないと物が売れなくなるのでどんどんと値段が下げていき、牛丼屋同様に従業員らの給料を下げざるを得なくなるというのがエンドレスで続いていきます。こういった現象が延々と続くことを一時期流行ったデフレスパイラルというわけです。

 仮に物価の下落がストレートに給料に反映されるとしたら、それこそさきほどの牛丼屋の例ですと牛丼の価格が五分の三になったのに合わせてそれまで月20万円もらっていた人の給料が五分の三の12万円になるのであれば、結局は金額は下がったとしてもその金額でそれ以前に買えていたものと同じ価値を買えるので極論を言えば消費者生活には影響はありません。ただ世の中、そうなんでもかんでも杓子定規的に一斉に価値が変動するわけでなく、価値が下がりやすいものもあれば下がりにくいのもあって経済が混乱するのです。
 今回例に挙げた牛丼なんかは物価価値が下がりやすいものの代表格でまさにデフレを代表する商品ですが、近年は牛丼とともに家電の値下げ競争も激しく、パソコンなんて昔は10万円以上が当たり前だったとは自分でも信じられなくなってきました。

 では値段が下がらないものはどんなものかですが庶民生活において代表的なのはよく卵だと言われており、不況だろうが好況だろうが使用量があまり変わらない醤油などとともにほとんど変動がありません。ただこうした日用品以外にも値段が下がらないものとして一番に考えなくてはならないものはほかでもなく、人件費こと給料です。人件費の下げづらさのことを下方硬直性と経済学用語にもありますが、これこそがデフレ下において過重労働を生み出す最大の要因であり、今の日本において考えなくてはならないトピックなのではないかと私は見ております。

 話が長くなったので、続きはまた次回にて。

2011年1月25日火曜日

何故中国がレアアース大国なのか

 また聞きかじりの内容で記事を書いてしまいますが書かないよりはマシなので一応紹介することにします。一応自分で加工した情報とかも用意してはいるのですが、一気にまとめて書きたいから今度の週末かなぁ。

 さて昨年は日中間で尖閣諸島沖漁船衝突事故が起こりましたが、この事件における日中の応酬過程で突如として現れたのが今日の表題のレアアースです。はっきり言って露骨とも言っていいくらいに中国は突如として日本向けレアアースの輸出を差し止めてプレッシャーをかけてきたわけですが、この輸出停止によって大多数の日本人がレアアースの貴重性と中国への過剰なまでの依存に気づくきっかけとなりました。もっとも中国は一昨年辺りからそろそろこういった掘削材料から電球のフィラメントに用いるタングステンなどを含む貴重な鉱物の輸出量を減らすと宣言しており、去年のあのレアアース輸出停止は突然ではありましたが日本に限らず欧米向けも一気に減らしましたら来るべき時が来ただけとも見ることは出来ます。

 そんなレアアースですが、そもそもなんで世界の市場を中国が握っているのでしょうか。確かに中国国内にレアアースに属する鉱物がある鉱床がたくさんあるのは事実ですがこういった鉱床は中国に限らず、アメリカ大陸にも結構ちらほらあるそうです。それにもかかわらず世界中で今なおレアアースは中国に頼りきっているわけなのですが、実はこれにはわかりやすい裏があったそうです。レアアースというのはその産出量が希少であるだけでなく発掘にあたり一つ大きな問題を含んでいるのです。その大きな問題というのは発掘に伴い出てくる廃棄物のことで、レアアースを発掘するとほぼ必ずといっていいほどウランやトリウムといった放射性廃棄物も一緒に出してしまうそうです。

 トリウムなどはそれほど放射能被害は大きくないそうですがそれでも普通に発掘を続けていたら自然と放射能汚染を受けてしまいます。そのため米国などではレアアースを昔に発掘していた際には鉱床で大きな塊を切り出した上で専門の施設へ運び、作業員が放射能汚染を受けないようにレアアースを抽出するという方法で発掘を続けていたそうです。
 もちろんこんな七面倒なことをしていたらたくさん費用がかさみます。それをどうも中国は労働災害なんて全く無視して鉱床で発掘から抽出までガンガンと低コストで掘っていき、そうして掘り出したレアアースを破格の安さでばら撒くことで一挙に世界市場を独占するに至ったそうです。ちなみに、初期にレアアースの抽出方法を教えたのは日本人技術者だったそうです。

 現代の日本にはもう炭鉱労働に従事する人はほとんどいませんが中国にはそこらかしこに炭鉱があり、また少なからず労働災害や事故の話を耳にします。去年にチリの炭鉱での救出劇が大きなニュースとなりましたが、中国では二桁の人間が炭鉱で事故にあって生き埋めになるというニュースは日常茶飯事とまではいきませんが決して珍しくはありません。そういう意味ではこれまでの中国のレアアースはやや人道を無視して発掘されてきたと取ることも出来ますが、そうして発掘されたレアアースを世界で一番買っていたのは日本人ということも忘れてはならないでしょう。

 目下、中国のこの急な輸出引き締めに対して各国でレアアース対策が話し合われております。中国が輸出量を減らしたことによって値段が高騰し、一度閉山した鉱山でもう一度発掘を再開しようという動きや代替材料の研究などが行われておりますが、もし実現できるとして一番手っ取り早い方法はというと、発掘の際に出てきてしまうトリウムを原発燃料として使うことではないかと私は見ています。現在この方面も研究は進められているようですがまだトリウムを原発燃料としての実用化は目処が立っておらず、あまり期待ばかりしていてもしょうがないでしょう。また代替材料についても生成に成功したなどというニュースをたまに見ますが、コストなどの面でほとんどどれも産業ベースとしては使えるレベルにまでは至っていないそうです。

 望むと望まざるを得ず、まだ数年はレアアースについては中国に頼らざるを得ないでしょう。ただ個人的にちょっと思うこととして、レアアース材料が必須なパソコンに使うハードディスクなどの値段はもうちょっと高くたっていい気がします。大体二年位前に1TBの外付けハードディスクを15,000円くらいで買いましたが、その後値段が下がりまくってすでに市場価では1万円を割っているのが普通です。
 わかっちゃいたけど、ここまで下がっちゃうとなぁ。

2011年1月23日日曜日

適切なエリート教育とは 後編

 これまでのあらすじを簡単に書くと、

・日本の組織は伝統的に中間層、下位層といった実行部隊は優秀
  ↓↓↓
・しかしそれを動かす上位管理層のレベルが低い
  ↓↓↓
・日本にはエリート教育が必要なのでは
  ↓↓↓
・今のところ、日本でエリート教育を行っている機関はあまり見当たらない

 大雑把なところ、こんなもんでしょうか。

 前回の記事に続き、エリート教育について思うことを書いていきます。
 上記のような流れで今の日本にはエリート教育が必要だと思うものの、具体的にどのような教育がエリートを養成できるのかということについて現実のエリート養成機関を探して見るところから始めましたが、現在の日本においてははっきりとエリートを養成する教育機関が見つからないところまできました。今現在それらしいエリート養成機関がないことこそがまさにが現状の日本のエリート不足の原因でしょうが、では過去はどうだったのかと言うと一応その役割を期待された陸大などの教育機関があったものの、成功したとは言いがたい結果に終わっております。唯一日本が誇れるようなエリートを数多く輩出した教育機関となると吉田松陰の松下村塾が挙がって来るのですが、ここでは具体的にどんな教育が行われたのかが私にはわからないため、エリート養成のノウハウはまだわからずじまいです。

 そういうわけで今日こそ本題であるどんな教育がエリートを作るのかという中身に移って行きたいのですがその前に、今日たまたま友人と話す機会があったのでもののついでに今の日本にエリート教育を行う教育機関はあるかと尋ねたところ、真っ先にICUこと国際基督教大学を挙げてきました。
 この大学についてはほかのサイトでもいろいろ紹介されているので詳しく知りたい方はいろいろと見てもらいたいのですがここでも簡単に説明すると、国際基督教大学は他の大学と比較して入学試験からカリキュラムまでかなり特徴的というか独特のものを用意しており、特にカリキュラムについては少人数教育の徹底が行われていると聞きます。実際に私の大学時代の恩師もほかの大学ならいざ知らずこの国際基督教大学のカリキュラムには一目置くと述べており、それがエリート教育かとなるとはっきりと断定は出来ませんが他と一線を画す特殊な教育を行っているという意味ではこの大学のカリキュラムが当てはまると言えるでしょう。

 話は横道にそれましたが、では具体的なエリート教育の中身です。前の記事でも書きましたが今現在においてもエリートの養成方法はきちっと定型化されていないためにここからは私の主観において話を進めていきますが、まず必要なのはさっき書いたICUのような少人数教育において他ならないでしょう。
 基本的に、エリートを作るためにはお金と手間が必要です。安価で大量に作れるというのなら今の日本のようなエリート不足なんか起こるわけでなく、一人の教員や指導員に対して一度には数人程度しか養成することが出来ないでしょう。そしてその指導においても付きっ切りで長時間指導する必要であることから、これは友人からの入れ知恵ですが教員と被指導者の間には相応の信頼関係が必要不可欠でしょう。

 それではそのようなマンツーマンに近い環境下で一体何を教えてどのような能力を鍛えればいいのかですが、これは人によって意見は変わるでしょうが私の意見を言わせてもらうと、一にエリートとしての心構え、二に観察眼です。

 エリートとしての心構えが何故必要なのかと言うと、単純にエリートを社会が作って社会が使うためです。何度も言いますがエリートを自然発生的に生まれて出てくるのを待つのであればその限りではありませんが、意図的に作ろうというのであれば相応の時間とお金が必要になります。それだけのコストをその社会が負担して作った後で出来上がったエリートが、「俺、知らないよ」とばかりにその社会へ自分の実力を還元しないのであれば丸損もいいところです。そうはさせないように、これはエリートのみならずその当該社会の構成員からのエリートへの期待など双方構成的な要素も含みますが、エリートはその社会(国家でもいいけど)に対して第一線に立って貢献しなければならないという意識を何よりもまず最初に強く持たせなければいけません。逆を言えばこの意識を持たせることが出来ないのであれば、その人物には後々のことも考えてあまりこのような教育を施すべきではないでしょう。

 次に観察眼ですが、前の記事でも書いたようにエリートに一番求められる能力とは先見性こと未来を予測して対策を立てる能力です。では未来を予測するにはどうすればいいかですが、極論を述べれば過去、現在の状況を理解しよく把握することを材料とするよりほかがありません。今現在では小さな問題が後々大きな禍根となったり、誰も注目していない小さな発見が後に大きな可能性となるなど歴史を見ればこのような例はいくらでもあり、そういったものを早期に発見してモノにするにはよく身の回りを見極めることの出来る観察眼こそが一番必要なのではないかと私は考えます。
 もっとも、こう書いておきながら私は観察眼というのは先天的な才能にかなり由来する能力だと思っており、私自身も意図的に訓練することが出来ないかと何度か試みた経験がありますがどれも確信を得るような結果は残しておりません。それでもまぁやっておいて損はないと思うのは過去のベース作りとばかりに歴史や古典の勉強、その上で諸パターンの解析を常日頃から自然と行う癖を作るために複数人での議論の実践が効果的かもしれません。

 最後にかなり根源的なことに触れますが、もしかしたら日本は人口が多いだけに、エリート教育が行われていないにもかかわらずエリートとして十二分に必要な才能を持った人材がすでに存在しているかもしれません。それにもかかわらず上位管理層のレベルが低いのは、単純にエリートとしての実力を持った人間がその相応しい地位についていないだけかもしれません。
 私がその可能性があると思ういくつかの要因に、昨日の記事でも書いた戦時中における東大生とオックスフォードの学生の徴兵に対する反応の違いがありますがそれともう一つ、こういった例に本来出すべきではないかもしれませんが気にかかって頭から離れないので書いてしまいますが、藤田田が唯一、「頭のいい奴だった」と評した光クラブ事件の山崎晃嗣の例があります。時代も大分昔ですし現代と比較するべきではないのですが、とてつもない能力者を社会が理解してその相応しい地位につけとかないと変になると思う一例です。

2011年1月22日土曜日

適切なエリート教育とは 前編

 一つ前の「日本人の管理能力、および管理層について」の記事で質問を受けたので、今日は求められるエリート教育の中身について思うことを書いてみようと思います。

 一概にエリート教育といっても、一体どんな教育をさすのかはそれこそ人によって千差万別です。教育学なんかだとこういうのをどういう風に扱っているのか興味は湧くのですが、どのような教育法がエリートの育成に効果があるのか、はっきりと定型化されていない日本の現状を見る限りだとそんなにまだ手垢がついていない領域なのかもしれません。

 そういうわけでどんな教育ならエリートが作れるのかですが、そもそもまずエリートとはどんな人間かを最初に定義しなければなりません。こっちは本題ではないのでさらりと流しますが、私はエリートと言うのは基本的には将来起こりうる問題に対する対策や、将来予見しうる事態に対して優位に立てるように行動指針を作る人間、つまり先見性を強く持っている人間を指すと考えています。本来エリートが勤めるべき役職の例を出すとそれはやはり政治家や企業経営者で、数年後の未来にどのようなことが起こりうるのかを予想して手を打つのが本来の仕事です。今の日本の政治家を見てると、年金を始めとして昔ほっぽって大事になってしまった問題の対処に追われているようにしか見えませんが。
 このほかエリートに求められる資質としたら未知の分野に取り組む率先力、集団を把握する統率力などがありますが、単純に頼れるリーダーとして求められる能力だと考えてください。そんなリーダーことエリートを作るにはどうすればいいかですが、社会学出身なだけにアプローチの方法としては過去にエリートを輩出した実績のある教育法、教育機関の例を辿るのが適当だと思い昨日辺りからいくつかピックアップを始めてました。

 まず現今の日本においてエリート養成機関とされるのは間違いなく東大です。同じ国立大でも京大は、あくまで私の印象ですが個人としての研究者育成機関としての側面が強いように思え、社会的な評価、官公庁や政財界への出身者の進出を鑑みても東大が一応は日本最大のエリート育成機関と見るべきかと思います。
 ではそんな東大のエリート教育ですが入って教育受けたわけじゃないからはっきり言えないものの、話に聞く限りですとほかの大学と比べてカリキュラムが極端に異なっているわけではないようで特別なエリート教育を行っているかは疑問です。確かに官僚や政治家を多く排出している実績こそありますが、昔ならいざ知らず現在において日本の官僚や政治家が他国と比して優秀かといわれるとこれまた疑問です。官僚についてはまだ他国と比べて不正が少ない分だけまともですが、政治家となると一つ前の首相を筆頭に目も当てられません。

 しかし現代ならともかく高度経済成長期の日本の官僚は優秀だったのではないかという意見を言われる方もいるかもしれません。生憎私が高度経済成長期はまだ生まれていないので実際どうだったのかは想像しづらいのですが、年代から逆算するとこの時代の官僚は戦前の東大教育を受けてきているのではないかと思います。同じ東大といっても戦前と戦後では教育法から入学手段まで大きく異なっているので一緒に考えるべきではないのですが、戦前の東大は当時のお国柄もあって今以上にエリート養成機関としての側面が強かったはずでしょう。
 そんな戦前の東大からは立派なエリートが作られたのかについてですが、はっきりと検証できるわけではないものの戦時中の話でこんな話があります。なんでも戦時中のイギリスでは開戦するや名門オックスフォード大学の学生がこぞって空軍に志願していったそうなのですが、日本の東大生を始めとする学生らは徴兵から逃れるために徴兵対象からはずされる理系へと続々と進学していったそうです(手塚治虫も認めている)。欧米と比べてノブレス・オブリージュの気風が日本には少ないということもあるでしょうが、平時は優遇されるとしても非常時となったら率先して前に立たなければならないというエリートは日本には少なかったとよく言われますし、事実私もその通りだと思います。

 また同じく戦前のエリート養成機関としては、恐らく東大以上に陸大こと陸軍大学校の方がその色合いは強かったでしょう。陸大というのは数年間の勤務経験のある三十歳以下の陸軍仕官のみしか受験できない戦前の陸軍内における幹部養成機関のことで、陸軍内で枢要な地位につくためには陸大の卒業資格が必要であること、一組織としては陸軍が戦前で最大であることから当時のエリート養成機関としては最上級のものと私は見ています。同じ軍学校でも海軍大学校は海軍自体が陸軍より人員規模は低く、なおかつ昔陽月秘話に取り上げたキスカ撤退作戦の木村晶福を始めとして海軍内の昇進にあたり必ずしも海大卒業資格が必要なかったことからその役割は一段低いものと見ています。

 ではそんな戦前最大のエリート養成機関の陸大はどうだったかのですが、結論を言えば陸大以前に陸軍が内部で派閥抗争を繰り広げたたために途中からは長州閥嫌いの東条英機らによって長州出身の軍人が入学できなくなるなど、かなり問題の多い機関でした。またWikipediaのページを参照してもらえればわかりますが指導内容も補給こと兵站について指導することがほとんどなく、そうやって卒業したメンバーらも一概にエリートとして優秀だったかとなるとかなりあやしい人物も多いためにむしろ問題ある教育機関の好例といえるかも知れません。まぁ27期首席卒業者の今村均を始めとして人格的にも能力的にも優れた人物を排出しているのは事実ですが、同じ27期には東条英機もいるからなぁ。

 じゃあ一体どんな教育機関がエリート養成として優れているのかですが、日本において最もエリートを輩出した教育機関と呼べるのは文句なしに松下村塾だと私は考えています。高杉晋作、伊藤博文を始めとしてその後明治の維新志士として活躍する人材を数多く輩出しており、ただ単に優秀な人材が集まっていただけというよりは松下村塾の教育の賜物と言えるでしょう。そんな松下村塾はどんな教育は行っていたかですが、実はこれにはあまり研究したことがないので具体的なところはわからないのですが一つ知っていることとしては、松下村塾は当時としては珍しく身分を問わずに誰でも入塾することが出来、農民以下といっても差し支えない身分だった伊藤博文や山県有朋も入塾しております。

 もう少しこの松下村塾、並びにエリート教育について書いて見たい内容がありますがいかんせんすでに長文化しているので、続きはまた次回にて。

2011年1月20日木曜日

日本人の管理能力、及び管理層について

 去年の夏はすでに死んでいたにもかかわらず死亡届が出されず、遺族が年金を搾取していたという事件が日本の全国各地で多発しました。多発とは言っても実際のところは最初の東京での一件が明るみに出たことから各地で調査が行われ芋づる式にばれただけですが、このニュースは各方面に驚きをもって受け入れられ、記者の屋山太郎氏などは、「いくら腐ったとはいえ日本人には武士道があると思っていたが、ここまで退廃していたとは……」などと述べており、ほかの評論家の方々も日本人の倫理の低下を嘆くような言葉でこれらの事件について言及しておりました。

 しかし実のところというか、こういった死亡を隠すという行為はなにも最近に始まったことではなかったようです。文芸春秋で読んだコラムによると江戸時代の武士らは一家の大黒柱である主人が亡くなった際はお上に休暇届を出し、しばらくはその死を隠して主人の俸禄をもらい続けるのが当たり前だったそうです。無論お上側もこういった事実は把握していたそうですが葬式などでお金がかかることからほぼ黙認し、武士社会ではこうした行為は半ば慣例化していたそうです。となると逆説的ですが、年金搾取の事件を見る限り日本人の武士道はまだ失われてなかったということになります。

 とはいえこの事件は日本のみならずほかの国でもいろいろと注目されたことからお隣韓国でも報道されたようで、私がテレビのインタビューで見た韓国人は、「日本人は戸籍などの管理がしっかりしている国だと思ってたのに」などと言及していました。その韓国人の言う通り、確かに日本人は細かい性格していていろいろな管理に細かいような印象を持たれているし日本人らもそういう認識を一部自分たちに持っているような気がしますが、実際のところは少し事情が違うのではないかと私は睨んでいます。

 管理と一言で言ってもこの事件のように戸籍や住民票を初めとして様々なものがありますが、私が日本人がいい加減この上ないと感じる第一のものは統計です。現今の内定率や失業率を初め、日本はこれで本当に参考になるのかというくらいに状況を正確に反映していない曖昧でいい加減なデータに満ち溢れています。日本人、というより中国や韓国を含むアジア人は数字に対してシビアな西欧人と比べてなにかと数字に感情を込めたがる傾向があり、誇張やごまかしは当たり前で、こんだけ頭使えるならもっと別方面に使えよといいたくなるくらいの計算方法まで編み出したりして何かと統計数字を弄くるのに長けております。
 実際にこうした日本人の統計下手は今に始まったことでなく、戦後日本で餓死者が大量に出そうだということでアメリカが大盤振る舞いして食料を送ってくれましたが、蓋を開けて見ると全くでなかったというわけじゃありませんが予想に反して餓死者は少なく、マッカーサーがどういうことだと詰め寄ると、「うちの統計がしっかりしてればあんたの国に負けたりはしてないよ」と吉田茂は言い返したそうです。

 こうした統計を初めとして、私は日本人は管理というものが実際には非常に下手なのではないかという気がこのところします。意識しないと気づきませんが今時タイムカードのある会社の方が珍しいくらい勤怠管理はいい加減で、道路の自動車制限速度も標識の数字プラス10~20km/時で走るのが当たり前ですし、厳格であるべき法律についても解釈が多過ぎるというか。そんな管理に疎い日本人ですがまたここで逆説的な考えをすると、一体どうしてこれほど管理に疎いにもかかわらずそこそこ繁栄して他国からも管理が細かそうな印象をもたれるようになったのでしょうか。

 これがこの問いに対するすべての答えだとは言いませんが、私は戦時中のアメリカ軍の、「日本の兵隊と下士官は優秀だが、トップが馬鹿で助かる」という言葉が最も適格な回答ではないかと思っています。
 私が何を言いたいのかというと、日本は管理を行う組織の上層層はいい加減で現実を無視した指示や決断を行いうものの、それを実行する組織の中間層、下位層があまりにも優秀過ぎるためにそういった無茶な指示を本当に実現、実行してしまっているのではないかと言いたいわけです。

 いくつか例を出すと、なんかこの前も引用しましたが日露戦争の東郷平八郎がドイツで食べたビーフシチューが食べたいと言ってジャガイモとにんじんと牛肉が材料だから今すぐ作れと日本で調理師に無茶な要求を出したところ、やけになった調理師が日本風のしょうゆテイストで作って出したのが今や和食を代表する肉じゃがの始まりだそうです。
 またこうした歴史的な逸話に限らず比較的新しい事例ですと、

「リッター30キロのエンジン作れよ、わかったな!!( ゚Д゚)」
「三ヶ月でマスターアップしろよ、わかったな!!( ゚Д゚)」
「マエケン一人で20勝しろよ、わかったな!!( ゚Д゚)」

 などといった上からの無理難題を中間層、下位層といった実行部隊がマジで実行してしまったという話を本当にあちこちで聞きます。まぁ三番目は今シーズンかもしれないけど。
 よく企業家などが途方もない偉業や無理だといわれた難題をやりぬいたことについて、「やろうと思えば出来るんです!!」などと自慢げに言ってたりするのを聞きますが、実際頑張って達成したのは現場の人間だろうにと冷ややかな気持ちを感じずにはいられません。優勝しても選手が本当に頑張ってくれたと言う原監督のような人は恐らく珍しいのではないでしょうか。

 今日は逆方向からのアプローチがやけに多いですが、仮に私の言っている通りに日本は中間層、下位層が優秀にもかかわらず上位管理層の質が悪いとすると、問題な上位層が優秀になったら日本はどうなるのでしょうか。その一つのモデルケースと言えるのはやはり明治維新で、見方によれば戦国時代以上の実力主義による下克上が行われただけあってトップ層は伊藤博文を初めとして文句なく最上の人材が揃い踏み、世界史上でも稀な急速な発展を実現しています。

 さすがにもう長いので今日は書きませんが、最近の日本は上位層に続いて実行と管理を兼ね備えるべきの中間層の質も急激に落ちてきているのではないかという気がして、それが日本の活力低下の大きな原因なのではないかと見ております。そのため近頃強く必要性を感じるものとして、私もかつては否定していましたがエリート教育が挙がってきます。この辺についてはまた今度、詳しく書こうと思います。

2011年1月18日火曜日

私の陶器集めについて

 このところ真面目な話題ばかり取り上げていたのでたまにはくだけた話題を書こうと思います。

 自分の密かな趣味として、陶器集めがあります。もちろん専門の方と比べたら屁でもない程度ですがそれでもほかの人と比べると茶碗やら湯飲みやらマグカップを購入する量は明らかに多く、金がなくて一食の食事代もケチっていた学生時代ですら平気で1500円くらいの湯のみをぽんと買うのに友人も不思議がっていました。
 自分のこの陶器趣味は恐らく、うちのお袋の影響によるところが大きいです。うちのお袋もこちらは主にティーカップですがよく集めており、実家には自分がもらったものを含めてそんなに大きくはないガラス棚ですがウェッジウッドなどが所狭しと並んでます。

 それでは一体どんなものを私が買うかですが、基本的に買うのは日本製の茶碗です。ティーカップも嫌いではありませんがおふくろの持っているもので十分なので、新たに買い足したりはせず買うのは決まって茶碗です。お気に入りの茶碗は伊賀焼と信楽焼で、どちらも薄くて軽いのが特徴ですが安土時代の武士ではないですが柄は無骨な茶碗が好きなので大抵単色でざらざらした質感の茶碗を買ってたりします。両者とも手に持って見ると驚くほど軽く感じるのですが、その分熱伝導率も半端じゃなくお茶を入れて飲むとたまに手がやけどしかけるというデメリットがありますが。

 そんな伊賀焼と信楽焼に対し、一時期ハマったのは山口県の萩焼です。これは広島に左遷されっぱなしのうちの親父と中国地方を回った際にたまたま立ち寄った土産物屋で値段は2000円程度でしたがいい茶碗が見つかり、買って帰って使ってみると使い心地もよくしばらくはその茶碗で毎日三杯はお茶を飲んでました。
 ところが、それだけ愛用していた萩焼の茶碗ですがある日帰省していたうちの親父がその茶碗を取ろうとして滑り落とし、割ってしまいました。まだ買って一ヶ月もしない新婚ほやほやの期間だっただけに今思うとちょっと怒り過ぎだと思うくらいの勢いで当時は親父を激しく責め立て、そのあまりの剣幕を見てか後日うちのお袋が私に内緒で3000円くらいの別の萩焼の茶碗を通販で購入してくれました。使い心地は、やっぱり前の割った奴のがよかったけど。またその後、今度はお袋が広島の親父を尋ねていってそのときにもまた別の萩焼の茶碗を買ってきてくれました。こっちは通販のよりはまだよかったけども、それでも最初のあの茶碗を越えることはありませんでした。といっても、受けられる水の量がちょうどいいからその後一年くらいは日常用として使ったと思いますが。

 私は基本的に茶碗というのは飾るものではなく使ってなんぼだと思うので、買ってくそばからローテーションを決めて日ごとに茶碗を変えたりして次々と飲み変えていきます。それでも毎回変えていたらお袋に怒られるので日常用は固定して使いますが、確か日本を出る前までは去年の正月に友人と浅草で会った際に購入した信楽焼の茶碗だった気がします。京都にしばらく住んでたくせに、なぜか清水焼には手を出さなかったなぁ。

 こうした茶碗に対し、マグカップ類は単純に絵柄で決めます。容量は大体300ml以上が入るのが条件で気に入った柄があればどんどん買います。ただこういったものはやっぱり値段がきちんと反映されると言うか気に入る柄は1000円位したりして、100円ショップの柄は大抵は気に入りません。唯一100円ショップで購入した中で気に入っているのはアルミ製のマグカップで容量も大きく、アルミという一風変わった材質がやけに気に入って愛用していました。
 ただマグカップ類は茶碗と比べて買いやすいため、大学在学中でも一人暮らしの癖して常に7個とか8個くらいはマグカップを保有していました。これだけ多いと置き場所にも困るし新たに買い足せないため、何度も家に来る友人らに気に入ったマグカップがあれば彼らにそのまま譲渡していました。基本的に男子学生なので私みたいに年がら年中お茶を飲む習慣はおろか急須すら持っていないのが普通なので、マグカップも大抵の友人は持ってないのでみんなそれなりに喜んで持っていってくれました。私自身もあまり使わないで置いておくよりも、それぞれ気に入ってくれた人に使ってもらった方がいいだろうと考えて渡していました。

 ただ唯一、「俺、これが欲しいっ!」と言われても手放さなかったマグカップがあります。別に高いわけではないのですが私がイギリスに行った際に買った、リーマンショックで廃業してしまったウィッタードというコーヒーとお茶を売っていたところのマグカップですが、イギリスらしく愛らしいウサギの漫画が書かれた小さいマグカップで使用機会はそれほど多くなくとも非常に気に入ってたので人気抜群の中、とうとうこれだけは手元に置き続けました。
 その後ウィッタードは私が大学を卒業した後に前述の通り廃業したわけですが、Googleに検索をかけると前に陽月秘話で書いた私の記事が出てきたりしますが、案外こういうちょこっとしたものほど検索に引っかかったりするんだなとしみじみ感じたりします。思い出というのも、こういうものなのかもしれませんが。