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2011年1月20日木曜日

日本人の管理能力、及び管理層について

 去年の夏はすでに死んでいたにもかかわらず死亡届が出されず、遺族が年金を搾取していたという事件が日本の全国各地で多発しました。多発とは言っても実際のところは最初の東京での一件が明るみに出たことから各地で調査が行われ芋づる式にばれただけですが、このニュースは各方面に驚きをもって受け入れられ、記者の屋山太郎氏などは、「いくら腐ったとはいえ日本人には武士道があると思っていたが、ここまで退廃していたとは……」などと述べており、ほかの評論家の方々も日本人の倫理の低下を嘆くような言葉でこれらの事件について言及しておりました。

 しかし実のところというか、こういった死亡を隠すという行為はなにも最近に始まったことではなかったようです。文芸春秋で読んだコラムによると江戸時代の武士らは一家の大黒柱である主人が亡くなった際はお上に休暇届を出し、しばらくはその死を隠して主人の俸禄をもらい続けるのが当たり前だったそうです。無論お上側もこういった事実は把握していたそうですが葬式などでお金がかかることからほぼ黙認し、武士社会ではこうした行為は半ば慣例化していたそうです。となると逆説的ですが、年金搾取の事件を見る限り日本人の武士道はまだ失われてなかったということになります。

 とはいえこの事件は日本のみならずほかの国でもいろいろと注目されたことからお隣韓国でも報道されたようで、私がテレビのインタビューで見た韓国人は、「日本人は戸籍などの管理がしっかりしている国だと思ってたのに」などと言及していました。その韓国人の言う通り、確かに日本人は細かい性格していていろいろな管理に細かいような印象を持たれているし日本人らもそういう認識を一部自分たちに持っているような気がしますが、実際のところは少し事情が違うのではないかと私は睨んでいます。

 管理と一言で言ってもこの事件のように戸籍や住民票を初めとして様々なものがありますが、私が日本人がいい加減この上ないと感じる第一のものは統計です。現今の内定率や失業率を初め、日本はこれで本当に参考になるのかというくらいに状況を正確に反映していない曖昧でいい加減なデータに満ち溢れています。日本人、というより中国や韓国を含むアジア人は数字に対してシビアな西欧人と比べてなにかと数字に感情を込めたがる傾向があり、誇張やごまかしは当たり前で、こんだけ頭使えるならもっと別方面に使えよといいたくなるくらいの計算方法まで編み出したりして何かと統計数字を弄くるのに長けております。
 実際にこうした日本人の統計下手は今に始まったことでなく、戦後日本で餓死者が大量に出そうだということでアメリカが大盤振る舞いして食料を送ってくれましたが、蓋を開けて見ると全くでなかったというわけじゃありませんが予想に反して餓死者は少なく、マッカーサーがどういうことだと詰め寄ると、「うちの統計がしっかりしてればあんたの国に負けたりはしてないよ」と吉田茂は言い返したそうです。

 こうした統計を初めとして、私は日本人は管理というものが実際には非常に下手なのではないかという気がこのところします。意識しないと気づきませんが今時タイムカードのある会社の方が珍しいくらい勤怠管理はいい加減で、道路の自動車制限速度も標識の数字プラス10~20km/時で走るのが当たり前ですし、厳格であるべき法律についても解釈が多過ぎるというか。そんな管理に疎い日本人ですがまたここで逆説的な考えをすると、一体どうしてこれほど管理に疎いにもかかわらずそこそこ繁栄して他国からも管理が細かそうな印象をもたれるようになったのでしょうか。

 これがこの問いに対するすべての答えだとは言いませんが、私は戦時中のアメリカ軍の、「日本の兵隊と下士官は優秀だが、トップが馬鹿で助かる」という言葉が最も適格な回答ではないかと思っています。
 私が何を言いたいのかというと、日本は管理を行う組織の上層層はいい加減で現実を無視した指示や決断を行いうものの、それを実行する組織の中間層、下位層があまりにも優秀過ぎるためにそういった無茶な指示を本当に実現、実行してしまっているのではないかと言いたいわけです。

 いくつか例を出すと、なんかこの前も引用しましたが日露戦争の東郷平八郎がドイツで食べたビーフシチューが食べたいと言ってジャガイモとにんじんと牛肉が材料だから今すぐ作れと日本で調理師に無茶な要求を出したところ、やけになった調理師が日本風のしょうゆテイストで作って出したのが今や和食を代表する肉じゃがの始まりだそうです。
 またこうした歴史的な逸話に限らず比較的新しい事例ですと、

「リッター30キロのエンジン作れよ、わかったな!!( ゚Д゚)」
「三ヶ月でマスターアップしろよ、わかったな!!( ゚Д゚)」
「マエケン一人で20勝しろよ、わかったな!!( ゚Д゚)」

 などといった上からの無理難題を中間層、下位層といった実行部隊がマジで実行してしまったという話を本当にあちこちで聞きます。まぁ三番目は今シーズンかもしれないけど。
 よく企業家などが途方もない偉業や無理だといわれた難題をやりぬいたことについて、「やろうと思えば出来るんです!!」などと自慢げに言ってたりするのを聞きますが、実際頑張って達成したのは現場の人間だろうにと冷ややかな気持ちを感じずにはいられません。優勝しても選手が本当に頑張ってくれたと言う原監督のような人は恐らく珍しいのではないでしょうか。

 今日は逆方向からのアプローチがやけに多いですが、仮に私の言っている通りに日本は中間層、下位層が優秀にもかかわらず上位管理層の質が悪いとすると、問題な上位層が優秀になったら日本はどうなるのでしょうか。その一つのモデルケースと言えるのはやはり明治維新で、見方によれば戦国時代以上の実力主義による下克上が行われただけあってトップ層は伊藤博文を初めとして文句なく最上の人材が揃い踏み、世界史上でも稀な急速な発展を実現しています。

 さすがにもう長いので今日は書きませんが、最近の日本は上位層に続いて実行と管理を兼ね備えるべきの中間層の質も急激に落ちてきているのではないかという気がして、それが日本の活力低下の大きな原因なのではないかと見ております。そのため近頃強く必要性を感じるものとして、私もかつては否定していましたがエリート教育が挙がってきます。この辺についてはまた今度、詳しく書こうと思います。

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